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ときめく時の中で総集編 第10集
ときめく時の中で(163)
NEXT GENERATION(1)
学年最後の期末試験が終わり、その上位の成績が発表されると、校内にどよめきのよ
うな物が走り抜けていった。
「参ったな。勉強も出来るということか」
「はんぱじゃないなあ」
「すごいなあ、学年一位。テニスも出来て、優しくて、それであのルックス。
正直なところ、憧れちゃうな」
そんな話題の対象となっている人物。
将は変わることなく、普段通りすごしていた。
「しかし、やるもんだ。将が学年一位とはね」
「はっきり言って、自分でも驚いているよ。
今回のテストの出来はいいとは思っていたけど、まさか、一位とは思ってもいなかっ
た」
和人の感想に、素直に答える将だった。
昼休み、将、和人、四本松、そして優美の4人は、いつものように教室で昼食をとっ
ていた。その中での会話だった。
「そうね。私も頑張ったんだけど、将くんの伸びには、全く驚かされちゃうわ」
四本松の言葉である。
彼女の成績は21位で、上がったことは間違いはないのだが、どうしても将と比べて
しまう四本松だった。
「和人も何だか成績が上がってきたみたいだし、優美も負けていられないな」
優美の言う通り、和人の成績も上がっていた。
72位という成績は、優美とほぼ肩を並べるもので、伸びからいえば、将以上かも知
れない。
「一体どうしたわけ?」
優美の問いに、和人は別段変わった様子もなく答える。
「うーーん、強いてあげれば、生活環境の変化かな?
それに今回、昨年のテストの傾向を教えてくれた人がいたから」
「美樹原さん?」
優美、四本松、そして将の声までが揃った。
和人はもっていた箸を握り固め、声を振るわせながら答える。
「・・・言うと思ってはいたけどね。今回は違う人」
「誰? それって誰よ?」
相変わらず、一言多い和人だった。
それを聞き逃さず、興味津々といった表情で優美に聞かれ、和人はいかにもまずっか
ったな、という表情になる。
その時、偶然に、将と和人の視線が合った。
「どうする? 俺は言ってもいいと思うけど?」
将の声に、和人は少しためらう素振りを見せた。
だが、すっきりしたような表情と共に、静かに言った。
「実は・・・」
「何?」
優美と四本松の声が揃った。
「俺、引っ越したんだよ」
和人の声に、優美と四本松は顔を見合わせ、二人共通の疑問を聞く役を、四本松が引
き受ける。
「どこに、引っ越したの?」
「今、住所書くけどね。
今年、卒業した人に館林さんって人がいたんだけど、その人の家に越したんだ」
「?」
和人はそう言ったものの、優美と四本松には、事態が飲み込めない。
和人は平然と、その説明をする。
落ち着いた口調は、その内容と結びつけることは容易ではなかった。
「俺の両親、離婚したんだよ。
これが笑っちゃうんだけど、両方とも俺を引き取るのを拒否したんだ。それぞれに恋
人がいたからね。
それで、兄貴の奥さんの両親が、保護者になってくれたわけ。
兄貴は奥さんと一緒に住むんで、その家を出て、俺がその代わりにその家に入るとい
うことだな。
俺、知らなかったんだけどさ、俺の年だと、その人が了解してくれれば、自分で保護
者を選べるんだぜ。
本当は引っ越したくはなかったんだけど、慰謝料やらなんやらで、家を売るって言う
から、住むところがなくなっちゃうんだよ。
そうしたら、館林さんが俺を引き取ってくれるって言ってくれてさ。
最初はさすがに不安だったんだけど、館林さんの両親はいい人だし、居心地はいい
よ」
和人にしては珍しく、一方的にしゃべったのは、和人が立て板に水のごとくしゃべっ
たからではない。
むしろ、和人の口調はゆっくりとしたもので、それに口を差し挟むことは、いくらで
も出来たはずだったのだが、その内容があまりに重い物だったので、優美も四本松も、
何も言えずにいたのだ。
「おいおい、あんまり、深刻に受け止めるなよ。
俺は、かえってさっぱりしてるんだから」
「・・・でも」
和人にそう言われても、四本松は何も言えないでいた。
「将にはこの事を話したけど、いずれ二人には話さなきゃならないな、と思ってはいた
んだ。
まあ、いい機会だから話したんだけど、あまり、気を回すのだけはやめてくれよ。
今まで通りで頼むよ」
左目だけを閉じ、右手を立てて頼み込む和人に、しばらくの間、優美と四本松は何も
言えないでいた。
放課後になり、掃除当番になっていた和人は、手にしたモップを床に立て、同じく当
番になっていた将に言った。
「絶句してたなあ、優美も、四本松も」
その言葉に、将もモップを動かす手を休める。
「俺は前々から、それとなく聞いていたから、まだ平気だったけど、二人には、ちょっ
と、きつかったかも知れない」
「二人とも、そういった事に免疫なさそうだからなぁ。
やっぱり、話さない方がよかったのかな?」
頭をかき、しかめっ面をする和人の肩を、将が軽く叩く。
「おいおい、お前が逆に気を使って、二人を心配してどうするんだよ?
大丈夫だよ。あの二人なら」
「そうだといいんだがな」
そんな会話を交わし、手を休める二人に声がかかる。
「もう、そこの二人! なにサボってんのよ!!」
その声に、二人が振り向く先に優美が立っていた。
「サボってるんなら、ごみ捨てに行くの手伝ってよ。
ほら、和人!行くわよ!」
和人はしばらく呆気に取られていたが、
「ああ」
と生返事をした。
そんな和人を従えて、ごみを捨てに行く優美を見ていた将も、しばらくの間茫然とし
ていたが、やがて安心したような笑顔を浮かべ、掃除を続けた。
焼却炉にごみを捨てながら、和人は優美に聞いた。
「なあ、何怒ってるんだよ? 俺、なんか気にさわるようなことした?」
「怒ってなんかないわよ。
ただ、優美はまだまだ子供だなあ、って思ってるだけだよ」
「なんだ、そりゃ?」
優美の返事に、和人は拍子抜けしたような顔になる。
「和人も将くんも、大変な事をかかえているのに、全然、そんな素振りを見せないんだ
もん。
優美も、頑張るしかなくなっちゃうでしょ。
それって、結構大変なんだよ」
「そうかな?」
「そうだよ。こんな事言ったら、和人怒るかも知れないけど、よく和人、悪くならない
な、と感心しちゃうもん」
優美の言葉に、和人は、ほんの少し動きが止まるが、ごみ箱を焼却炉の口に持ち上げ
ぼそっと言った。
「俺、そういうの、もう飽きたから」
ごみ箱の底を叩いて言った和人の口調は、相変わらず淡々としたものだったが、その
内容は、優美をしばらく絶句させる。
「軽蔑するか?」
やや自嘲気味の和人の問いかけに、優美の表情が強ばる。
「怒るよ、和人。
優美がそんな人間だと思ってるの?」
優美の真剣な表情と口調に、和人は頭をかく。
「ごめん。そんなつもりで言ったんじゃないよ。悪かった」
頭を下げる和人に、優美もうなずく。
「判ってくれればいいの。今の和人と将くんのこと、優美、尊敬してるんだからね」
「・・・何だか照れくさいけどな」
「優美も正面切って言うのは、ちょっと照れくさいよ」
二人は顔を見合わせて、クスッと笑った。
「さ、戻ろうか? 将の奴に、遅いと言われないうちにな」
「うん、そうだね」
そうして二人は、校舎に戻っていった。
ときめく時の中で(164)
NEXT GENERATION(2)
君本が駅のホームに立つ。
カバン一つ持つだけの気軽な格好だが、彼はこれからイギリスへと渡る。その為、こ
れから空港へと向かうのである。
君本のまわりには、彼の両親、そして、詩織が立っていた。
空港へと向かう列車が姿を現すと、君本は振り返る。
「じゃあ、俺、行くから」
「本当に空港まで行かなくていいのかい?」
母親の心配そうな声に、君本は笑顔で答える。
「あのねえ。これから、いやってほど、一人でなんでもしなけりゃならないんだよ。
いつまでも親に頼ってちゃ、シャレにならないよ」
君本にそう言われれば、両親もうなずくしかない。
近づく列車を見つめながら、君本が詩織に視線を向ける。
「・・・詩織」
「なあに?」
「電話は無理でも、手紙、書くから」
「・・・うん」
そう言ったきり、黙ってしまった詩織に、君本は小さく息を吸い込み、優しく微笑
む。
「あの木の下での、詩織との約束は忘れないよ。
どんなに遠く離れていても、詩織の心の一番近くにいるのは俺だよ。そして、俺の心
の一番近くにいるのも、詩織だからな。
それは、手紙も書けないほど忙しくなっても、絶対に忘れないから」
詩織は声も出さず、ゆっくりとうなずいた。君本も、それを確認してゆっくりとうな
ずく。
そこには二人だけの会話が成立し、君本の両親でさえ、ただ黙って見守るしかなかっ
た。
停車した列車のドアが開く。
列車に乗り込んだ君本は、乗降口で何人かの乗客をやり過ごし、振り返った。
「じゃあ」
短く君本がそう言うと、それを待っていたかのようにドアが閉まる。
「気をつけて」
「いってらっしゃい」
両親が、しまりかかるドア越しに声をかけ、君本がうなずく光景を詩織は見るだけだ
った。
ゆっくりと、静かに列車が動き始めた。それに合わせるかのように、詩織が歩き始め
る。
列車がスピードを上げると、詩織は早足になり、そして最後には駆け出した。
その間、詩織は何も言わない。ただ、君本の顔を見つめるだけだった。
やがて、ホームが終わり、それ以上列車を追いかけることの出来ない詩織は、立ちつ
くした。
そして、誰に言うでもなく、また、特に意識したわけでもなく、走り去る列車に向か
って、ぽつりと言った。
「・・・トシくん」
とぼとぼとした足どりで引き返す詩織を、君本の両親は待っていた。
母親が静かに言った。
「詩織ちゃん」
「・・・はい、なんでしょうか?」
「人思のこと、お願いね」
「え? なぜですか?」
母親の真意がつかめないため、詩織の表情に、戸惑いの成分が含まれ始めるのを見て
とった母親は、ゆっくりとした口調で付け加える。
「詩織ちゃんにも、いろいろ、つらい事があった事は、薄々知っているわ。
それでも、人思を想ってくれて、母親として、とても嬉しく思うの。
これからも、いろんな事があると思うけど、人思の事、よろしくね」
ようやく母親が何を言っているのか判った詩織は、精一杯の笑顔を母親に向け、力強
く言った。
「はい」
「これで全部よね?」
「ええ、そうです。・・・多分」
ちょうどその頃、和人は館林の家の一室で、段ボール箱や家具などに囲まれていた。
両親が離婚し、館林の家に住むこととなった和人は、引っ越しの真っ最中という訳で
ある。
和人の手伝いをしているのは、これから同居する館林家の両親と、見晴の3人だっ
た。
一人だけの引っ越しと言っても、いざとなるとその量は相当な物となる。
「しっかし、兄貴も、自分の弟が引っ越すというのに手伝いに来ないというのは、
随分、薄情だよなあ」
作業が一段落し、館林家の両親が席を外した後、一休みといった感じで、和人がぼそ
りと言った。
「お義兄さんも引っ越しで忙しいのよ。和人くんの為に、この部屋を空けるので、大忙
しだったもの」
大きめの段ボール箱にちょこんと腰掛け、見晴が答える。
「まあ、そういう事になるんだろうなぁ。
そういう事なんで、これからよろしくお願いします」
「いえいえ、こちらこそ」
和人のあらたまった挨拶を受け、見晴も頭を下げる。
頭を上げた見晴は、少しばかり真剣な表情になって、和人に言った。
「私ね、和人くんの事、最初、怖かったのよ。でも、最近は怖いどころか、逆に尊敬す
らしてるのよ」
意外な言葉に、和人は呆気に取られる。
「な、なんで?」
「だって、和人くんって、泰然自若って言うのかな?
いつも落ち着いていて、動じないんだもん。私だったら、そんな風にはしていられな
いだろうな、って思うの」
見晴が言外に何を言っているのかが判る和人は、苦笑いに近い笑みを浮かべながら答
える。
「全然平気、という訳でもないよ。
ただ、身近に、境遇は違うけど大変だと思える生活してるのに、そんな素振り全く見
せない奴がいるんだ。
なのに、自分一人が不幸な顔をしてるのって、なんか格好悪いな、そう思ってるだけ
なんだ」
「・・・吉野くんの事?」
和人は小さくうなずいた。
見晴は将についての詳しいことは知らない。
だが、詩織、そして君本との間になんらかの”事件”があったということは、卒業し
た今となっても聞き及んでいた。
「そうか、吉野くんも大変な思いしてるんだ」
独り言に近い見晴の言葉に、和人は首を振る。
「あいつは大丈夫だよ。
じれったいほど不器用だったり、信じられないほどばか正直だったりするけど、自分
に負けるようなやつじゃない。
長年、一緒にいた俺には判るんだ。
俺も、それに負けないようにしなくっちゃ。そう思うだけなんだよ」
見晴は納得したようにうなずいた。
「自分に負けない・・・か。・・・私も頑張らなくっちゃ」
それを言っただけで、後は何も言わなかった見晴だったが、彼女の言いたい事を、なんとなくではあるが理解できる和人は、それ以上何も言わなかった。
そうしている内に、両親が掃除道具などをもって戻って来たので、和人は気合いを入
れるようにして立ち上がる。
「それじゃあ、もうちょっと、頑張るか」
ときめく時の中で(165)
NEXT GENERATION(3)
4月。
また今年も出会いの季節がやって来た。
各地の様々な職場、環境、そして学校に、新しい顔ぶれが加わる。
そんな新しい環境に飛び込む一人の少年が、今、自宅を出ようとしていた。
「行ってきまあす」
「ちょっと待ちなさい!」
「え? なんだよ。お姉ちゃん?」
「ハンカチ持ったの?」
そう言われ、少年はズボンのポケットを触る。ペタンとした感覚に少年は思わず声を
上げる。
「あ」
「やっぱり。はい、ハンカチ」
「ありがとう、お姉ちゃん。じゃ、行ってきます!」
転げ出るような駆け出し方で、少年が玄関を飛び出すと、そこにスーツ姿の若い男性
が立っていた。
「おはよう、義昭兄ちゃん!!」
「おう、おはよう。・・・そうか、今日はきらめき高校の入学式か?」
「うん。義昭兄ちゃんのおかげで、入学できたもんだもんね」
「おだてたって何も出ないぜ。ほら、行くんだろ」
「あ! そうだった。じゃあね!」
「気をつけていけよ!」
「うん!!」
手を振りながら、その少年が去っていく後ろ姿を見送っていると、その背後に、一人
の女性が立っていた。
「おう、鏡か? おはよう」
「おはよう、米津君」
鏡と米津、お隣同士の二人はこの春の3月、同時にきらめき高校を卒業した。
鏡は芸能事務所に所属し、現在、モデルとしての修業中であり、米津は地元の企業に
就職をしていた。
「それにしても、米津君はスーツ姿が似合いすぎるわね」
「それって、素直に喜んでいいのかな?」
鏡は少し困ったような表情で、笑顔を浮かべる。
「たまには、素直に受け取ってよ」
「そうか、ありがとう。・・・でも、このネクタイがどうもまだ慣れなくてな」
そう言って米津はネクタイを締め直す。
「ずーっと学生服だったものね。ネクタイは初めてなんでしょ?」
「まあね・・・。でも、学生服と言えば、よく似合っていたね。明くん」
「・・・そりゃそうよ。中学と一緒なんですもの。ボタンをかえるだけよ」
「・・・ああ、そうか。・・・でも、早いなあ、明くんがきらめき高校生かあ」
もうその姿は見えないのだが、二人は、少年、鏡明が走り去っていった方向を見続け
ていた。
鏡 明。きらめき高校の新入生である。
「ところで、 ・・・ボタン付け替えたの、やっぱり。鏡?」
「 ・・・い、いいじゃないの!そんな事」
「はい、はい」
きらめき高校の入学式は、式次第に乗っ取って進められた。
その途中、新入生、そして出迎える2,3年生の一部の間からも、ざわめきが漏れる
出来事があった。
新入生を迎える側の生徒を代表して、祝辞を述べるため、二人の生徒が壇上に上がっ
た。
一人は生徒会長である。
そしてもう一人、それは将だった。
「・・校生活3年間の間には、いろんな事があるでしょう、つらい事、悲しい事、
でも・・・」
将の祝辞の最中、一年生の互いに顔を知っている者同志、とくに女子は、小声で囁き
あった。
「ねえ、あの人誰? 知ってる?」
「ほら、”あの人”よ。テニス部の吉野さんって」
「ああ、そうなの。あの人が・・・ 」
そんな囁きあう声を、知ってか知らずか、あらかじめ用意していた文を読み上げ、将
は自分の席に戻る。
大きくため息をつき、将は内心で思った。
(学年末試験の首位がする挨拶か。まさか自分がそれをするとは思わなかったなぁ)
将は知らなかった。自分が”あの人”と呼ばれる存在になっていた事を。
将は最上級生となっていた。
慣れぬ新入生たちが校内を動き回る慌ただしい雰囲気が一日続き、きらめき高校は
放課後を迎えていた。
「いったい、なんなのよ」
将と四本松は、テニスコートの入り口で立ちつくしていた。
テニスコートの中には、明らかに一年生だとわかる50人ほどの男女が、列をなして
いた。
「ようやく来てくれたわね。すぐに入部手続きを手伝って」
連尺の声に、将と四本松は慌ててウエアに着替え、入部希望の新入生たちの応対に回
った。
将が現れると、新入生の間に、静かなざわめきのようなものが沸き起こった。
(な、なんだ?)
その原因がいまだによく判っていない将に、四本松がひじを突く。
「なに驚いてるのよ? 将くんのことを言ってるに決まってるじゃないの」
小声で言った四本松の声に、将は戸惑ったような声を出す。
「お、俺?」
将のそんな様子に、四本松は自分の額に手を当てて、小さく首を振った。
「もう。いい加減に、少しは自覚してよ」
四本松を横目で見ながら、将はわずかにうなだれて、ぼそりと答える。
自覚はともかく、やはり、将の影響は大きかった。
「吉野さんに憧れて来ました」
と、入部動機を明言する者も多く、正確な資料がある訳ではないが、その入部希望者
の人数は過去最高になるだろうというのは、衆目の一致するところだった。
「テスト ・・・するのか?」
全部員と入部希望の一年生を集め、オリエンテーションをしている時、将は連尺に聞
いた。
将の言うテストとは、入部人数を減らすためのものであり、その方法は、将が一年生
の時、当時2年生だった詩織にされた、レシーブのテストである。
連尺は小さく笑って、それに答える。
「私は、全員、入部してもらうつもりよ」
「でもなあ、この人数だと目が届かなくなる恐れがあるぞ」
「それについては、少し考えがあるの」
「なに?」
「まあ、それはおいおいね」
明らかにはぐらかせられたのだが、将はうなずいた。
「連尺がそう言うんなら、任せるよ」
そうして二人は、連尺の意見によって事実上、入部希望者から新入部員に格上げされ
た一年生たちの前で説明を続ける、本郷と西島を見守った。
ドタバタしながらも、その説明が終わり、一年生の自己紹介へと移っていった。
自己紹介が次々と続き、一人の少年が立ち上がった。
やや細い線をしているという印象はあるが、美少年といわれる範疇には充分入れる容
姿を持っていた。
まわりにため息のような声が漏れる。
そんな中、少年はにっこりと微笑み、自己紹介を始めた。
「鏡 明です。
テニスの経験はありませんが、吉野さんにあこがれてます。
よろしくお願いします」
ときめく時の中で(166)
NEXT GENERATION(4)
きらめき高校の放課後。
一人の教師が校内で、一人の私服の女性を見かけた。
その教師は、それを不審な人物とは思わなかった。逆に親しげに声をかけたほどだっ
た。
「おや、卒業しても部活かい?」
呼び止められた格好のその女性、それは虹野沙希だった。
虹野は振り向き、その教師の姿を認めるとぺこりと頭を下げた。
「こんにちは先生」
「こんにちは、虹野さん。やっぱりサッカー部へ?」
「はい。学校には部活動がないし、それにちょうど帰り道にあるから、つい寄ってしま
うんです」
そう言ってにこりと笑う。
「そうか、まあ、虹野さんが来ればサッカー部の連中も喜ぶだろう。なかには、差し入
れ目当ての不届きな者もいるかもしれないがね」
いたずらっぽく笑った教師に、うなずいて虹野は答える。
「それでもいいんです。お料理するのは好きですし、美味しいって言われると嬉しいか
ら」
虹野は卒業の後、地元の調理師の専門学校へと進んだ。
料理を今より、もっと本格的に習い、できれば、そういう職業に就きたいと考えたか
らだ。
ただ、学校とは言っても、高校と違いクラブ活動のような物がある訳ではない。当た
り前と言えば当たり前であるし、そんな事は彼女にも判っていたことだったが、それで
も今まで3年間、熱心に部活動をしていた習慣のようなものはおいそれと変えることは
難しい。
結局、地理的なものもあって、たびたびクラブに顔を出すようになっていた。
「あ、虹野先輩!!」
「こんにちは。虹野先輩!」
「はい、こんにちは。みんな元気?」
グラウンドに出た虹野は、サッカー部員たちに出迎えられる。
「私の事はいいから、みんな練習を続けて。
出迎えてくれるのは嬉しいんだけど、私が来るたびに練習を中断させては、みんなの
邪魔をしてる事になってしまうからね」
「はい」
元気よく返事をして、部員たちがグラウンドに戻っていくのを見送って、虹野はそば
にいた女子マネージャーに話しかける。
その女子マネージャーは、虹野の一年後輩で、マネージャーの仕事を引き継いでもら
っていた。
「どう、みんなの調子は?」
「ええ、いいですよ。新入生にも期待できそうですし」
「そう、ならよかった」
「 ・・・でもぉ・・・ 」
「え? どうしたの?」
マネージャーの不安そうな声に、虹野もつられてしまう。
「やっぱり、虹野先輩が抜けたら、マネージャーの仕事、大変です。
先輩の存在、大きいなあって思ってしまいます」
虹野は笑いながら答える。
「もう、何を言ってるのかな? 中野さんがしっかりしなくてどうするの?」
「で、でも、本当にそう思うんです」
そんな彼女に、虹野はにっこりと微笑む。
「大丈夫。あなたならちゃんと出来るわ。
それに、毎日やっていけばなんとかなるものよ。 ・・・あとは根性で乗りきるしかない
わね」
虹野の言葉に、中野と呼ばれたマネージャーは、クスリと笑った。
「え? 何? 何がおかしいの?」
戸惑う虹野に、中野は首を振って答える。
「いえ、そういうわけじゃなくて、 ・・・先輩のその口癖、それを聞くと、なんか頑張れ
そうな気がしてくるんです」
中野は2度ほどうなずいてから、虹野に言った。
「はい。先輩の言う通り、根性出して頑張ります」
「そう、そう。その意気よ。 ・・・あ、忘れちゃいけない」
そう言った虹野は、手にしていたバッグから、少しばかり大きめの紙袋を取り出し
た。
その紙袋を中野に手渡す。
「クッキーを焼いてきたの。練習が中休みになったら、みんなで食べてね」
受け取った中野は、本当に嬉しそうな表情を浮かべる。
「わあ、いつもすいません」
「いいのよ、このぐらい。味の保証は出来ないけどね」
「先輩が作ってくれたんですもん。ハズレな訳ありませんよ」
「そう言ってくれると、お世辞でも嬉しいな」
「そんな、お世辞なんかじゃありませんよ」
むきになって反論して来たため、虹野は慌てて話題を変える。
「あ、私、ちょっと用があるの。すぐに戻ってくるけど、ちょっと行ってくるね」
「あ、は、はい」
中野の返事もそこそこに、虹野は軽く手を振って、グラウンドから駆け出して行った。
「松島くーん」
虹野がサッカー部が練習しているグラウンドから抜け出し、やって来たのはテニスコ
ートだった。
虹野がその名を呼んだ松島は、コートの外で四本松と、班ごとの練習スケジュールの
調整をしているところだった。
「あれ、虹野さん。どうしたんですか?」
松島が答える。
虹野は横にいる四本松に気付き、口に手を当てて言った。
「あ、ごめんなさい。練習の時間だったわね。また後で来るね」
振り返り歩き出す虹野に、松島は四本松に視線を向ける。
その視線に、半ば”しょうがないわね”というような表情で、四本松は小声で松島に
耳打ちした。
「せっかく来てくれたのに、お帰ししては失礼でしょ?
少しぐらいなら時間とれるから」
「はい」
大きくうなずき、松島は虹野の後を追いかける。
「すいません、虹野さん。ご用はなんですか?」
その声に立ち止まり、虹野は答える。
「うん。この前、お弁当にちょうどいい、おかずのレシピ手に入れたの。
松島くん、欲しいかな?て思って」
虹野はそう言って、数枚のコピーを松島に手渡した。
「え? 僕にですか? わあ、嬉しいなあ。
実・・・ ああ、弟なんですけど、もう、文句ばっかり言うんですよ。 あれは嫌だ、こ
れは嫌いだって、好き嫌いも多いし、困ってるんですよ」
「そうか、そうよね。好き嫌いが多いと大変よね」
「そうなんですよ。対処法はメニュー増やすしかないし、かと言って、本屋さんに行っ
ても、なかなか、これというのがないんですよね」
「あ、それ判る! メニューが多くても、実際に出来そうなのが少なかったりしてね」
「ええ、それで、なかなか、本も買えないんですよ。
こうして、虹野さんが持って来てくれるとすごく助かります。
虹野さんが選んでくれた物にハズレはありませんからね」
先ほど同じようなことを言われた虹野は、その偶然の一致にクスクスと笑い始めてし
まった。
「え? 何がおかしいんですか? なにか変なこと言いましたか?」
「ううん。そう言うわけじゃないのよ。さっき、今の松島くんと同じような事、言われ
たものだから・・・ それだけよ」
「そうですか・・・ 」
少し不思議そうな表情の松島に、虹野は片手を上げる。
「それじゃあ、松島くんは練習に戻ってね。あんまりサボってると、さっきの先輩に怒
られちゃうからね」
「はい」
松島がそう答え、虹野は振り向き、歩き始めた。
すると松島が、ためらいながらも虹野を呼び止めた。
「虹野さん!」
「ん? なあに?」
振り返った虹野は、松島の表情を見て驚いた。その表情はまるで体温が2、3度上昇
してるいと思えるほど、真っ赤に染まっていたからだ。
「あ、あの。良かったら・・・ 、本当に良かったらでいいんです。ご都合のいい時、また
こういう風に、料理のメニューなんか、教えてもらえませんか?」
春とは言え、まだ気温はそれほどでもないのに、うっすらと汗さえ浮かべる松島に、
虹野はにっこりと微笑む。
「 ・・・ええ、私のでよければ、喜んで」
松島がコートに戻ってくると、四本松が歩み寄って、まわりに部員に聞こえないよう
に、小声で聞いた。
「松島くんって、虹野さんのような人が好みなのね?」
核心を突いた質問に、松島は答えることもできず、ただ顔を赤らめるだけだった。
四本松の追及は続いた。
「それで、デートの約束でもしたの?」
「ち! 違いますよ! そんなんじゃありません! からかわないでください!」
ようやくそれだけ言って、松島は駆け出した。
その後ろ姿を見て、四本松は右手を口に当てて、クスクスと笑うのだった。
ときめく時の中で(167)
NEXT GENERATION(5)
ある春の日曜日の午後、将は自分の部屋で机に向かっていた。
便せんに何か書いていたのだが、行き詰まり、ため息を漏らし窓の外を見た。
いかにも春の雨という表現に似つかわしい、糸のような細い雨が音も立てずに降りし
きっている。
その雨の様子をしばらく眺めていた将だが、左手で額を押さえながら、再び便せんに
向かう。
「えーーと・・・ 、悪いのですが・・・ 、違う。 ・・・大変申し訳ないのですが、今は・・・ 、
誰ともおつき合いする気はありません。
・・・いや、ダメだな。
心に余裕がありません。
・・・、うーーん。どう書けばいいんだよ?」
などと独り言を言いながら、便せんに向かう将は、背後から近づく美里に気がつかな
かった。
「ふーーん。ラブレターもらったんだ。どんな娘?」
将の前においてあった一通の手紙を取り上げ、いきなり核心をついた美里の追及に、
将は慌てて、その手紙を取り返し、うわずった口調で答える。
「あ、あのねえ! 少しはプライバシーってのを考えてよ!」
だが、美里は平気な顔で答える。
「何言ってるの? 他のことはともかく、こう言った事に関しては放っておけないから
心配してるんじゃない」
「あ、あのねえ・・・ 」
「で、どんな娘なの?」
将の言い分など、どこ吹く風と、美里の追及は続く。美里から発せられる無言のプレ
ッシャーに耐えかねたように、将はいかにも重い口調で口を開く。
「良くは知らないよ。良くは知らないけど、いい娘みたいだよ。同じ学年なんだけど、
評判はいいみたいだし、文面もていねいだよ。
・・・ でもねえ、良く知らない人から、いきなり付き合ってください、と言われたって
どうしていいか判らないよ」
(それに、今はそんな気分ではない)と思っていたが、それは口にはしなかった。
「じゃあ、断るの?」
「それしかないだろ」
ややもすると不機嫌に見える将に、美里は残念そうな表情を浮かべる。
「なんだ、そうなの?
いいじゃない、付き合ってみちゃえば。その先どうするかは、それから決めればいい
でしょう?」
そんな美里の提案に将はむきになって反論する。
「そんな事、俺にできると思う?
それに今は、そんな気分になれないよ!」
そして、先程まで口にしなかったことを漏らしてしまった。
美里は、
”ああ、やっぱり”
というような表情になり、小さなため息をついた。
将は今まで、詩織との事を、あまり詳細に美里に話すことはなかった。
だが、その後の将の物腰や、長年見てきた将の性格等から、何があったか、ほぼ正確
に推測していた美里だった。
(全く、こんなところまで私に似なくてもいいのに・・・ )
美里はそう思わずにいられなかった。
親馬鹿と言うべきなのか、惚れた弱みと言うべきか、将がその気になれば、さしたる
困難もなく簡単に女の子と付き合えるだろう。また、その相手を見つけるにも、さほど
困ることはないだろう。
美里は将のことをそう見ていた。
もっとも、そうはならない事は知っていたし、また、そうなったらなったで、逆に心
配の種になるだろう。
それは重々承知していた。
だが、美里は思わずにはいられないのだ。いまだに、詩織の存在が、将の心の中に大
きな比重を占めていることを。
将はその事を、たとえ美里の前でも明らかにすることはなかったし、一人でそれに対
処しようとしている将の姿は、紛れもなく成長の証であり、頼もしくさえ思える。
しかし、それはそれで寂しさのような物も感じる自分に、美里は苦笑いを浮かべたも
のだった。
だから、無駄なことだし、なおかつ、おせっかいとも知りつつ、将に言わずにはいれ
なかったのである。
「そんな事より、もう、仕事に行く時間じゃないの? 今日は予約があって忙しいん
じゃなかったの?」
そんな美里の内心を知ってか知らずか、将は突き放したような口調で、美里に仕事に
出る時間だと告げる。
「ああ、もう、こんな時間!?
じゃあ、行ってくるからね。あと、お願いね」
「はいはい」
将がそう答え、美里が玄関に立つと、それを待っていたかのようなタイミングで、来
客を告げるチャイムが鳴った。
「はい、 ・・・あら? ゆかりさん」
美里がドアを開けると、そこには古式が立っていた。
「こんにちは。これからお仕事ですか?」
「え? ええ、そうよ・・・ 、ああ、将に用?」
「はい、いらっしゃいますか?」
「ええ、いるわよ」
美里が答えたその時、将が玄関に顔を出す。
「姉さん、どうしたの?」
将の疑問に、にっこりと微笑みながら古式は答える。
「はい、よろしければ、これから、私と、ドライブ、などしませんか?」
古式の口から出た聞きなれぬ単語に、将は眉をしかめた。
古式は卒業後、短大へと進んだ。一応、連絡は取り合ってはたが、ここ数日、留守が
ちな事があった。
そして将は、一つの仮定を口にした。
「ねえさん。ひょっとして、車の免許とったの?」
「はい。 お父さまは、あまり、いい顔はしなかったのですけれども、普通免許を取っ
てしまいました。
それで、よろしければ、私と、ドライブを、してくださらないか? と思いまして、
誠に突然ですが、お邪魔した次第です」
将の顔が一瞬、ひきつる。
「そ、それはいいんですけど、朝日奈さんはどうしたんですか? なんか、真っ先に飛
びついていきそうですけど?」
将の質問に、やはり、にっこりとした微笑みをそのままに、古式は答える。
「ええ、お電話差し上げたのですが、なんでも、早乙女さんとの約束を、思い出したと
言われまして、残念ながら、次の機会にという事になってしまったのです」
(逃げたな)
将は本能的にそう思った。
「私も、せっかく取った免許ですので、運転してみたいと思ってしまいました。
よろしかったら、お付き合いくださいませ」
将は助けを求めるような目で美里を見たが、美里は冷たく突き放した。
「さあ、私はお仕事だから、将はゆかりさんにおつき合いしなさいな」
将の口があんぐりと開いたが、やがてうなずく。
「はい」
「でも、姉さん。あのお父さんがよく運転を許してくれましたね?
それに、車どうしたんですか?」
傘をさし、アパートの階段を下りながら、将は古式に聞いた。
その2つの質問に、古式は同時に答える。
「ええ、もちろん、反対されてしまいましたが、黙って、お父さまの車で、抜け出して
きました。ほら、この車です」
そう言って、乗ってきた車を示す、古式の指の先を見て、将は驚きの声を上げる。
「いい!?」
そこには押し出しの強いフロントグリルを持つ、シルバーメタリックのドイツ製高級
車が置いてあった。
「でも、不思議ですねえ。
仮免許で運転しているときには、車間距離が、すぐに詰まってしまったのですが、今
日は、前後とも、充分あいていて、とても走りやすかったのですよ」
(そりゃ、そうだろうなあ・・・ )
将はひきつった笑いを浮かべた。
少し時間を遡った、その同じ日、同じく細い雨の中、連尺は住宅街を歩いていた。
傘からは、雨の音は聞こえてこないが、雨は確実に降りしきり、傘に無数の水滴を
作っていた
そして、連尺は一軒の家に着き、その玄関の軒下で傘を閉じ、雨粒を振り払う。
ゆっくりと振り向き、そのドアの脇のチャイムを押す。その玄関に掲げられた表札に
は、「藤崎」と書かれてあった。
その家は詩織の家だった。
ときめく時の中で(168)
NEXT GENERATION(6)
連尺の計画そのものは、非常に判りやすく、理にかなっており、それに反論、反対す
ることは非常に難しかった。
だが、連尺個人が、何をどう考えてそんな事を言い出したのか? まわりの者は、戸
惑うばかりだった。
それは、春の公式戦を間近に控えたある日の放課後、テニス部の部室での幹部会議で
のことだった。
新入部員もかなり落ち着き、上級生たちも、自分達の仕事や役割に慣れてきたため、
これからの活動方針を決めるための会議だった。
そして、そこで明らかにされた連尺の考えに、部室の空気が一気に緊張した。
連尺の考えというのは、これからテニス部は、専属のコーチの指導を仰ごうというも
のだった
それは当然と言えば当然なことではある。競技レベルが上がれば、第三者の的確な指
導が必要不可欠になってくる。
きらめき高校テニス部のように、生徒達による自主的な練習によって、これまでのよ
レベルを維持してこれた事だけでも、奇跡に近いのである。
連尺の方針は正しい。
その場にいた、四本松、松島、西島、本郷、そして将、その場にいた五人の誰もがそ
う思った。
だが、その人物が問題だった。
「し、 ・・・藤崎先輩にお願いする?
藤崎先輩にコーチをお願いするって言ったのか? 連尺!?」
その必要もないのに、無意識の内に立ち上がり、将は連尺に問い詰めた。
静かだが、しかし、気迫がこもった将の声は、その静かさゆえ、寒気がするほどの迫
力をともない連尺に襲いかかった。
将のその気迫の意味が判るため、まわりの人間は声も出せない。西島と本郷は、明ら
かにうろたえていたし、松島や四本松でさえ、事の成り行きを見守るだけだった。
並の人間なら、その迫力だけで震え上がってしまいそうなほどだったが、連尺は全く
動ぜず、平然といつもと変わらぬ口調で答える。
「ええ、詩織先輩にお願いします。
もちろん、詩織先輩にも、大学の講義などがあるので、毎日という訳にはいきません
が、定期的に出ていただき、指導をしていただきます。
私はこれ以上ない適任だと思うのですが、何か問題がありますか?」
逆に問い返され、将の方が言葉に詰まる。連尺の口調は、確かにいつものままだった
が、そこには有無を言わさぬものがあった。
この場にいる誰もが知っていることだが、まさか、
”俺と先輩との間に何があったか、連尺だって知っているはずだ”
とは言えない将だった。
だが、将はさらに反論する。それは、将だけではなく、四本松や松島も思いついてい
たことだった。
「そうかも知れないけど、藤崎先輩にだって都合ってもんがあるだろう?
いくら、こっちで勝手にそう決めたって、藤崎先輩だって、そう簡単に引き受けては
くれないだろ?」
この時、将は詩織がそれを引き受けるはずがないと信じていた。四本松、松島もそう
思っていた。西島や本郷でさえ、本能的にそう思っていた。
しかし、連尺はさらに平然とした口調のままで答える。
「詩織先輩にはすでにお話しして、了解を得てあります」
「なに!?」
「え!?」
「そ、そんな!?」
連尺以外の者から同時に声が上がった。
その数日前の雨の降る日曜日。
連尺は詩織の自宅を訪ねていた。地元の四年制大学に入学した詩織とは、卒業して以
来の再会だった。
「その後、みんなは元気にしてる?」
「はい」
等という挨拶と近況を、差し出された紅茶を飲みながら、お互いに言った後、連尺は
この日訪ねた理由と、その本題に入った。
「 ・・・私に、コーチをしろと言うの? みゆきさんは?」
連尺はある程度予測していたことだったが、詩織の動揺は、その予測をわずかではあ
るが上回っていた。
「はい」
だが、連尺はそれを一切無視し、ゆっくりとうなずきながら答える。
その連尺を詩織は真正面からしばらく見つめていた。その表情はその直後、そのまま
言葉となって詩織の口から漏れた。
「 ・・・あなた、何を考えているの? そんな事、できるわけないでしょう?」
「詩織先輩ならできます。いえ、詩織先輩にしか出来ません。
ずっとテニス部の中にいて、内情を知っていますし、何よりコーチとしての実力は、
誰だって認めるでしょう」
連尺の答えに詩織は首を振る。
「そうじゃなくて・・・ 」
だが、詩織は言葉に詰まる。連尺は、そんな詩織に、自分の考えを苦笑いを浮かべな
がら続けて言った。
「含みのある会話というのは苦手ですから、単刀直入に言います。
詩織先輩が気にしているのは将くんとのことだと思います。違いますか?」
詩織は何も反応しなかったが、それはとりもなおさず肯定を表わすものであった。
「私も、元城先輩に手を貸しましたから、無関係ではありません。ですから、それは判
るつもりです。
ですが、それを承知した上でお願いします。
今のままでは将くんは、いずれ壁に突き当たります。いえ、現に今がそうなのかも知
れません」
「 ・・・全国レベル、 ・・・での話というわけね」
連尺の話から、一つの仮定に達した詩織は、それを口にした。
「はい。今のままでは、どこまでいっても健闘止まりです。
将くんのレベルはそんなものではないはずです。ですが、それを引き出すには、客観
的に補佐できる人間が必要です。
残念ですし、悔しいですけど、私にはその実力はありません。いえ、将くんのレベル
になると、今のテニス部にはそれをできる人間はいません。
お願いします。お力を貸して下さい」
そう言って頭を下げる連尺を見て、詩織はしばらく瞳を閉じる。
やがて、静かにその目を開き、言葉を一言一言、確かめるようにゆっくりと言った。
「判りました。私にできる範囲で協力します」
その言葉を聞き、連尺の表情がほっとしたような表情になる。
だが、そんな連尺に詩織は問いただした。
「だけど、将くんは納得してくれるかしら? 反対するんじゃないかしら?」
連尺はその問いを予想でもしていたかのように、即答した。
「もちろん、ハイそうですかとは受け入れないでしょうね。でも、それを納得させるの
は私の役目。それは覚悟の上です」
きっぱりとそう言いきった連尺に、詩織は驚いたような、それでいて感心したような
表情となる。
「 ・・・つらいわよ」
短い詩織の言葉に対して、連尺は力強くうなずく。
「それも覚悟の上です。憎まれ役は私に望むところです」
「みゆきさん・・・ 」
言葉をなくす詩織に対し、連尺はにっこりと微笑みながら言葉を続ける。
「正直言えば、こんな役目、私もしたくはないんですけど、これしかないんです。
私が将くんのためにしてあげられることは。それで嫌われるなら、それはそれでしょ
うがありませんね。 ・・・でもいいんです。それが将くんのためになるなら」
連尺の決意を目の当たりにして、詩織はうなずくしかなかった。
「みゆきさんの考えは判りました。 私も全力を尽くします」
「 ・・・藤崎先輩が、受けた?」
将は、そう言ったきり、絶句するしかなかった。
ときめく時の中で(169)
NEXT GENERATION(7)
連尺の示した詩織をコーチにするというプランは、テニス部の幹部会の了解をえられ
た。
だが、それは、「完全に納得して」と言うものではなかった。
「本当に、時々、みゆきには驚かされると言うか、思いもつかないことをされると思う
わ」
幹部会が終わり、それぞれが自分の仕事をするために、コートに戻る途中で、四本松
は連尺を呼び止めた。
そして、小声で連尺の耳元でそう言った。
連尺は動ずることなく、それに答える。
「そう? 不満なの?」
「そういう訳じゃないわ。ただ、よくそこまで、できるなって思っちゃうわ。
詩織先輩と、将くんの間に何かあった事ぐらい、あなただって知らない訳ないでし
ょ?
なのに、あえてこんな事を考えるなんて、ちょっと寒気がしたほどよ」
連尺は四本松から視線をそらし、小さな声で言った。
「二人なら、そう言ったことは無視できるわ。ちゃんと割りきって、コーチと選手とい
う立場でいられる。 そう思えたから、考えたの。
将くんのレベルをあげるには、それが最善だと思ったのよ」
連尺のその言葉に、四本松の脳の一部が光り、弾け飛んだ。自分でも理解できない感
情が、ふつふつと沸き上がり、いつにない厳しい口調で連尺に言葉を投げつけた。
「そりゃそうでしょう! 冷静に考えればその通りでしょうね!
でも、それで将くんが全く平気だと思うの!? 将くんの事だから、何も言わず、そ
れに耐えるでしょうね。でも、将くんだって悩んだり、苦しんだりするのよ。
私、そのぐらいの事、みゆきだって判ってると思う。それでも、こんな事を考えるな
んて・・・ 。
正直言って、あなたが怖いわ」
四本松が放った言葉に、連尺は一言も返さず、遠くを見つめていた。
その姿に、四本松は、言葉に力を込める。
「あなたが、将くんの技術面を伸ばそうとするのなら、それはそれでいいわ。
でも、これだけは忘れないで、将くんの精神的な面を支えるのは私の役目よ。
私はそうやって、将くんを助けるんだからね」
なおも返事をしない連尺に、四本松は高ぶる感情をようやく抑え、部室に向かって歩
き始めた。一人、部室に残った将のことが、気になってしょうがなかったのだ。
その四本松の背中を見送って、連尺は誰にも聞こえない声で言った。
「 ・・・だって、しょうがないじゃない。私にはこんな事しかできないんだもん」
「幹部会2年生組」の、松島、西島、そして本郷の3人も、連尺のプランには驚かさ
れていた。
「ようするに、吉野先輩の負担を減らそうって訳だ」
テニスコートのすぐ外で、3人は向かい合っていた。そして、松島が自分の考えを
言った。それに答えたのが西島だった。
「負担を減らすってなんだよ? そりゃ逆だよ。
精神的にはよっぽどきついと思うぜ。失恋した相手がコーチだなんて」
そんな西島に本郷が突っ込む。
「どうしてそんな言い方するのよ!? あんたって?」
「だけど事実だろ?」
「言い方を考えろって言ってんの!」
「じゃあ、どうやって言えって言うんだよ!」
「やめろよ、二人とも。今はそんな事を言い争ってる時じゃないだろ?」
そう言ったのは松島だった。西島と本郷の口ゲンカはいつもの事だが、本当に今はそ
れどころではない。
ばつが悪そうに視線を交わし、西島と本郷は黙り込んだ。そして、松島が再び口を開
く。
「練習がハードだから、ぽろぽろやめていくだろうけど、現に部員は増えた。練習につ
いてこれるのだけ残そうって事だとおもうけど、これだと減るまでが大変だ。
そして、その管理は基本的には連尺キャプテンと、サブCの吉野先輩の仕事だ。
だけど、吉野先輩には自分の練習もある。それも全国レベルを維持するための練習が
ね。
その両立は大変だと思うよ」
「だから、詩織先輩を?」
本郷の問いかけに、松島はうなずく。
「考えてみれば、これ以上の適任者はいないよ。
藤崎先輩なら、誰よりも吉野先輩のことを知っている。知識もプレーヤーとしての実
績も豊富だ。それ以上の人間を探し出すのは無理ってもんだ。
だからと言って、実際にそうしようとは、なかなか考えないと思うけどね。
・・・まったく、 ・・・俺達はすごいキャプテンの下にいるよ」
感情のこもった松島の声に、しばらく沈黙していた西島が、頭をかきながら言った。
「俺、どうしよう? あの二人を前にして、普通でいれるかなあ?」
「馬鹿じゃないの? あんたがそんなんで、どうするの? そういった雰囲気って事情
を知らない1年生にも伝わるのよ」
本郷に問い詰められ、西島は顔をしかめる。
「そうは言うけどさぁ」
「将先輩は、普通でいられるよ。あんたとは違うんだから」
本郷のきつい言葉にも、西島はムッとするわけでもなく、むしろ肯定するような口調
で答えた。
「そりゃそうだろうさ。”あの人”は違うんだから」
「?」
松島と本郷は、無意識の内に無言で視線をあわせた。
将に対する西島の態度に、急激な変化が見られたからだ。
将は一人、部室に残り、会議用の大きい机の前のスチール製の椅子に座っていた。
何をするわけでもない。ただ、自分でも訳の分からない感情を抑えるために、部室に
残ったのだ。
だが、突然こみ上げてきた感情につき動かされ、手近にあったルーズリーフのバイン
ダーを、払いのけた。
宙を舞ったバインダーは、中にはさんであったであろう、数枚のメモ用紙を巻き散ら
かしながら、入り口のドア付近に飛んでいった。
その光景を見た将は、ハッと我に帰った。
それが単なる八つ当たりだと思い、首を振り、そのバインダーを拾おうとしたその
時、ドアが開いた。
「 ・・・、四本松?」
部室に入ってきたのは四本松だった。
視線を落とした四本松は、無言でバインダーと、散らばったメモ用紙を拾い上げた。
さして、ついてもいないほこりを払い、そのバインダーに向けて言葉を漏らす。
「かわいそうに。バインダーはなんにも悪くないのにね」
その言葉の意味が判る将は、慌てたような口調で言った。
「いや、 ・・・これは、 ・・・ごめん」
頭を下げた将に近づき、四本松はバインダーを差し出す。
「はい」
将はバインダーを受け取り、元の位置に戻し、椅子に座り直す。
「う、うん。ごめん、気、悪くしたか?」
将の問いかけに、四本松は首を傾ける。
「どうして?」
「だって、こんなの八つ当たりだし、それを見せられるのって嫌だろ?
・・・まさか、すぐ外にいるとは思わなかったから・・・ 」
歯切れの悪い将の言葉に、四本松は声のトーンを上げる。先ほどまでの感情が影響し
ていたことは間違いないと、彼女も実感していた。
「そうやって、将くんは、私達に弱みを見せてこなかったのね? そうやって、自分一
人で抱え込んできたのよね?」
「四本松?」
「 ・・・ううん、そうじゃない。和人くんは別よね。和人くんには、きっとそういった面
も見せてるんでしょ?
私や優美ちゃんが、どんなに将くんのそばにいても、将くんはそういう弱い部分を見
せてはくれないのよね!?」
「 ・・・ど、どうしたんだ、四本松?」
今まで見たことのない、四本松の態度に将は戸惑う。四本松はさらに言葉を投げかけ
る。
「だって、だって悔しいじゃない! 将くんがそうしている限り、私、将くんの力にな
れないじゃない!
私、将くんに出会ってから変わった。自分でもわかる。将くんのおかげで、いろんな
事を覚えたわ。
でも、私、将くんのために何もしてない。できなかった。
それが悔しくてたまらないのよ!」
振り絞るような言葉を聞き、将は四本松に背中を向ける。
「いいんだよ、そんな事は。四本松がそう言ってくれただけで、ずいぶん救われたよ。
ありがとう」
事実、四本松の言葉は嬉しかった。だが、だからと言って、四本松に弱みをさらけ出
す自分を認めたくもなかった。
四本松にもそれがわかった。だから、彼女はこう言うしかなかった。
「忘れないでね。私はいつでもそばにいるわ。
泣きたくなった時、つらくなった時、私でよかったら、いつでも言ってね」
将は無言でうなずいた。いや、うなずく事しかできなかったのだ。
ときめく時の中で(170)
NEXT GENERATION(8)
「こら!光、鏡! 早くご飯を食べてしまわないと、また遅刻してしまうわよ!
映はしたくは出来たの? もう中学生になったんだから、ちゃんと自分でやらない
と駄目よ」
鏡家の朝はにぎやかである。
6人の男の兄弟が、朝、いっせいに食事をとったり、顔を洗ったりするのだ。言っ
てみれば、戦場のような忙しさ、などと形容される風景である。
そして、その中で、その場を仕切っているのが、長女の魅羅というわけである。
いつもと同じ朝の風景。だが、その風景の中にあって、魅羅は、長男の明の様子が
いつもと違うことに気が付いた。
高校に入ってから、以前とは比べられないほど落ち着いてきた明だったが、今日の明
は落ち着いてると言うより、呆然としていると言った様子だったのだ。
ご飯を口に運ぶ箸の動きもぎこちなく、その視線も定まってないようだった。
もっとも、そういう事に気付くというのは、魅羅が注意深く、弟たちに目を向けてい
るという事に他ならない。
「どうしたの、明? 身体の具合でも悪いの?」
心配する成分をふくんだ魅羅の声に、明はハッとしたように顔を上げる。
元気よく首を振って、それを否定する。
「そうじゃないよ、お姉ちゃん。別にどこも悪くないよ」
「そう?」
魅羅がそう言うのを受けて、箸を休め明は聞いた。
「ねえ、お姉ちゃん」
「なあに?」
「お姉ちゃんは、藤崎詩織さんって知ってる?」
明の口からこぼれた意外な固有名詞に、魅羅は思わず手を止め、明に向き直った。
「藤崎さんがどうかしたの?」
もちろん、魅羅とて、詩織の名前は聞いたことがある。いや、むしろ、意識してきた
名前と言ってもいいだろう。
直接知っているわけではない。
魅羅は、詩織と比べられることがままあったのである。
きらめき高校の在学時、どちらが上か?という、生徒たちの興味本位で、その美し
い容姿を比較されたのである。
もっとも、魅羅の回りにいたのは、いわいる彼女の取り巻きだったので、魅羅に軍
配があがったのだった。とはいえ、気にならなかったといえば嘘になる。
だが、それを今、明に話すのも気が引けた。
「でも、お姉ちゃんも、それほど詳しく知っているわけじゃないのよ。名前だけは知
っている。というところかしら」
「ふーーん。そうなのか ・・・」
さして、有益な情報がえられなかったからか、明はやや気の抜けた返事をした。
「 ・・・それで、藤崎さんがどうかしたの?」
「う、うん。特にどうっていうわけじゃないんだけど、その藤崎さんが、今度、コー
チになったんだよ。
自己紹介で、今年卒業したばかりだって言ってたから、それで、どんな人なのかな、
お姉ちゃんなら知ってるかな? って思っただけ」
「あら、そうなの」
魅羅にはそう言ったものの、明がそう聞いたのはそれだけのせいではなかったので
ある。
初めて詩織が、テニスコートに1年生部員を集め、あいさつした時のことだった。
「皆さんはじめまして、藤崎詩織です。この春、このきらめき高校を卒業したばかり
の、大学一年生です。
毎日は来れませんけど、みんなの役に立てたらと思い、一生懸命頑張ります。
どうかよろしくお願いします」
詩織のあいさつに、コートの中にため息に混じりながら、感想が漏れた。
「 ・・・、綺麗な人」
「ああ、あの藤崎詩織さんなのか」
そんな声に明の記憶が甦った。
(そうだ、あの時、コートの脇にいた人だ)
明の言う、「あの時」。それは、もう1年と半分ほど時をさかのぼる。
何気なく通りがかったテニスコートで、人だかりがあるのにつられて見たテニスの
試合。そこで行われていた地区新人戦。
実は明がテニスを始めるきっかけとなったのが、圧倒的な不利の声を跳ね返す、その
コートでの将の姿にあこがれたからであるのだが、その脇のフェンスの外にいた、緋色
の髪を持つ女性も、その時同時に、記憶の隅に埋めこまれていた。
目の前に立っている詩織に、その時の記憶が蘇ってきたのである。
だが、明はテニス部の異質とも言える雰囲気に気が付いてしまった。一年生の中には
気が付いてなかった者もいるだろうが、明にははっきりと判った。
詩織と同じ学年だった姉の魅羅なら、何か知っているかと思い聞いたのだが、それも
徒労に終わったようで、明は朝食をとる。
「ところで、お姉ちゃんの方こそ時間はいいの?
今日は早く行くって言っていたでしょ?」
明の言葉に、魅羅は壁にかけてあった時計を見上げ、それまでの余裕の表情を一変さ
せる。
「あ、いけない! もうこんな時間なの!?
みんな、食べ終わったら、流しに置いておいてね」
そう言って、急いで身仕度を始める魅羅に、明は声をかける。
「お姉ちゃん、僕、テニスやっていていいの?」
「え? 何? 何か言った?」
「僕さあ、本当にこのまま部活していいの?
お姉ちゃんにだって、仕事があるのに・・・ 」
その問いに、魅羅は一時手を休め、にっこりと笑いながら微笑む。
「馬鹿ね。明はそんな事、気にしないでいいって言ったでしょ。それがお父さんやお母
さんの願いでもあるんだからね」
「う、うん」
口に食べ物を含ませながら、明がうなずく。
「さあ、明だってそろそろ時間でしょ? 急いで急いで」
「はあい」
と言うような会話の中、鏡家での朝がすぎて行った。
その日の昼休みの事だった。食事を終えた将は、一人、校舎の屋上にいた。
たいてい、昼休みを一緒にすごす、優美、四本松は、次の授業が家庭科の実習授業の
ため、その準備に行ってしまい、和人も委員会があると言うので(風紀委員!)そちら
に行ってしまっていたのである。
将は決して、クラスで浮いている存在というわけでもないし、友達が少ないわけでも
ない。ましてや、嫌われているような事もないのだが、こういう時、将は一人でいる事
の方が多かった。
特に何をするわけでもなく、ややもすると、ぼうっとしているようにも見える将は、
その下方にある、テニスコートを視界に入れていた。
バレーボールのトス回しをしたり、お喋りをしたりしていた、屋上にいた数人の女子
生徒が、そんな将を気にしていた。校内で、将はすでにそういう存在になっていたのだ
が、当の将本人は、全く気が付いてはいなかった。
実際、将はそれどころではなかった。
将は、「コーチ」となった詩織との練習を思い出していた。
詩織は決して将の専属コーチなどではない。だが、テニス部、いや、校内でも期待を
背負わされる立場となった将を、詩織が多くの時間を費やすことになってしまうのも、
仕方がないことであった。
その時の詩織の雰囲気は、在校時と全く変わる事はなかった。しかし、将は自分で自
分が普段通りのままでいられたかどうか、自信がない。
それは精神的には負担になってはいたが、それ以上にコーチという存在は救いになっ
ていた。
第3者の客観的な目は、無駄な練習、時間を防ぐことができる。
連尺の見識の高さがうかがえた。
だが、予鈴が鳴り、将は自分の教室に向かいながら、こう、思わずにいられなかっ
た。
(意外と引きずるもんだな)
ときめく時の中で(171)
NEXT GENERATION(9)
春と言うには暑い、そう、初夏と言うべき日曜日の陽射しの中、きらめき高校のテニ
スコートでは、翌週に控えた春の公式戦に向けての練習が行われていた。
テニス部は、一年生だからと言って、コートを使えないなどという事はない。もちろ
ん、人数が多いために、ロードワークや基礎練習などを、コートの外で行ったりするの
だが、その練習メニューのスケジュールが絶妙だった。
分単位、いや、冗談ではなく、秒単位での練習スケジュールが組まれ、これ以上はな
いのではないか? と思えるほどだった。
そんな中、新入部員たちは、将の練習に声を失っていた。
それは今までも見ていたものであったが、実際目にするたびに、その内容に声を失っ
てしまうのである。
「すごい練習だよな」
「こうまでしないと、インターハイには行けないのか」
それらは会話ではない。会話をしている余裕は、まだ彼等にはなく、各自がそれぞれ
思っているだけである。
実際のところ、将一人が特別な練習をしているわけではない。彼が属する通称”トッ
プチーム”全てのメンバーを、詩織がコーチしているのだが、一年生達はどうしても、
その中心に将を据えてしまうのだった。
”トップチーム”というのはあくまでも俗称で、正式な名前ではないし、そもそも、
そう言ったグループ分けがされているわけでもない。キャプテンの連尺、サブCの将の
二人とも、選手のランク付けのようなものを嫌っていたのだ。
ただ、その時調子のいい者や、実力がある者を有機的に組み合わせ、特別メニューを
組むと言うのは、そこがテニス部の「一軍」であるという印象は免れない。
そして、そこに将は常にいた。正式なチームでなかろうと、将と同じ練習メニューを
し、詩織のコーチを受けるというのは、テニス部員の一つの目標であった。
「目指せ! トップチーム」
それが合い言葉だった。
テニス部は基本的に班ごとに構成されている。四本松や、松島、西島などの班長が、
各班を管理し、その班長相互の連絡や調整するのが、連尺や将の役目である。
だが、その他にも、組織だったものがある。
実質的に将がリーダーとなる、”トップチーム”と同じように、連尺が直接管理す
る、これまた俗称で「直属部隊」と呼ばれる7人のマネージャーチームがある。
驚くべきことに、練習中、小型トランシーバーで連絡を取り合う彼等は、練習メニュ
ーの消化、移動、トラブルの対処、果ては各部員の健康管理までしているのである。
「選手が多少いなくてもなんとかなるが、マネージャーチームが機能しなくなったら、
テニス部は壊滅だよ」
と将は公言してはばからない。それほど、テニス部におけるマネージャーの存在は大
きかった。
高校のクラブ活動で、ここまでの組織、システムが作り上げられているという事が、
どんなに稀有なことか、当事者である彼等は知らない。
いや、ただ一人、学校を卒業し、大学生である詩織だけは知っていたが・・・ 。
順調にメニューが消化されていく中、連尺は詩織と簡単な打ち合わせと、2、3点の
事項の確認をしていた。
キャプテンの連尺は、元々、運動をしていたせいか、じっとしている方ではなく、陣
頭指揮を取るタイプのキャプテンだった。
「では、混合ダブルスは松島くんと、優さんという事でいいですね?」
「そうね。あの二人のプレースタイルを考えれば、それがいいでしょうね」
詩織の言葉に連尺は、決してあからさまではないが、安堵の表情を浮かべる。
それを詩織は見逃さなかった。
「どうしたの? なんだか、安心したみたいな顔だけど?」
「え? ええ、正直言って、私にはプレーのことはよく判らないんです。だから、詩織
先輩にそう言ってもらえると、ほっとするんですよ。詩織先輩のように客観的に判断が
できる人がいなかったら? と思うと、ぞっとします」
「そう、これだけの部活スケジュールを立てられる、みゆきさんの方がすごいと、私は
思うな。
それに、その為に必要だと思ったら、感情や私情を無視できるんだもの、なかなかで
きないわよ」
「す、すいません。詩織先輩にまでご迷惑をお掛けしてしまいました」
うつむいて、そう言った連尺に詩織の方が慌てる。
「 ・・・あ! これ、悪い意味じゃないのよ。ご、ごめんね、変な事言って」
連尺は微笑み、首を振る。
「いえ、いいんで・・・ 」
だが、連尺の言葉がそこで途切れた。
レシーバーから、連尺を呼ぶ声が飛び込んで来たのである。
『グラウンドの中里です。キャプテン、来てください。
一年の鏡君の顔色が悪いんです』
連尺は聞き返す。
「本人はなんて言ってるの?」
『大丈夫だとは言ってますが、とりあえず、日陰で休ませています』
「それでいいでしょう。笠井くん、聞こえる?」
『はい、聞こえてます』
「鏡君の健康診断のデータを出して。それとメディカルボックスを持ってきて!」
『はい』
「今、行きます。他のマネージャーは、そのままメニューを消化してください」
それに答える複数の声がレシーバーから聞こえると、連尺は詩織に向き直る。
「すいません。また後ほど」
「ええ。私の方はいいから、早く行ってあげて」
「はい」
そう言って駆け出す連尺の背中を見て、詩織は小さくため息をついた。
「私も負けてられないな」
小さくそう言ってから、将達の方に視線を向ける。
「さあ、続けるわよ!」
「はい!!」
「血圧は、 ・・・って下がってるに決まってるわね。これだけ顔色が悪ければ」
グランド脇の木陰で、明の手首をとり、脈拍を数えながら連尺は言った。
「大丈夫です、キャプテン。僕、元々色が白いから、よく、顔色悪く見られるんです。
全然大丈夫ですから」
だが、連尺は明の言葉に耳を貸さない。
「嘘は駄目よ。調子の悪い時は悪いと言わないと、かえって周りが迷惑するのよ」
「 ・・・はい」
明は、ばつが悪そうにうつむく。
「保健室に連れて行きますか?」
そばにいたマネージャーが、連尺に聞いた。
「そうね。 ・・・しばらく、ここで休んで、様子を見ましょう。
笠井君と美枝さんは練習の方に戻って、鏡君には私がついています」
「はい」
マネージャーの二人がそれぞれの持ち場に戻ると、明は本当にすまなさそうな表情で
連尺に言った。
「すいません。こんな事で、キャプテンの手間を取らせてしまって」
「いいのよ。これが、私の役目だから。 ・・・でも、明くん」
「はい?」
「君は本当に線が細いね。ちゃんと食べてる? 私は医者じゃないから、絶対とは言え
ないけど、多分、貧血だと思うわ。
栄養のバランス考えて、しっかり食べて体力つけないと、これからもこういう事が起
こるわ。そのあたりを考えないといけないわね」
連尺の口調そのものは柔らかいものだったが、そこに込められた厳しさのようなもの
を感じ、明は身震いをした。
「はい、すいません」
恐縮しきりの明に、連尺は微笑む。
「判ればいいのよ。ところで、一つプライベートな事聞いていいかな?」
「え? なんでしょうか?」
「鏡くんのお姉さん、魅羅さんは、その後どう?」
「え? キャプテン、お姉ちゃ・・・ 、姉を知っているんですか?」
「勿論よ。そりゃ、有名だったのよ、鏡君のお姉さんは。
・・・モデルになったんですって? どんな感じなのかな?と思って」
「姉は、まだ、モデルの卵ってところだ、って言ってます。
キャプテン、そういうの興味があるんですか?」
明に聞き返され、連尺は少し照れくさそうな表情になる。
「そりゃ、一応、私だって、女の子だから、おしゃれには興味はあるわよ。
・・・おかしい?」
「い、いえ。そんな事ありません。
・・・もし、何か姉から聞くような事があったら、キャプテンにはお話ししますよ」
「本当? うん、お願いね」
そう言って微笑む連尺に、明は内心思った。
(最初は、ちょっと怖い人だなと思ったけど、なんだか、可愛い人だよな)
と。
少し、気の楽になった明は、逆に連尺に聞いた。それは、明自身はやや飛躍してると
は思っていたが、それは逆に、彼の鋭い観察眼をうかがわせる質問だった。
「あの、僕も一つ、質問があるんですけど・・・ 」
「え、なあに?」
「藤崎コーチの事なんですけど」
「詩織先輩? 詩織先輩がどうかしたの?」
「ええ、藤崎コーチって、吉野先輩とどんな間柄なんですか?」
「!?」
その質問に、連尺は一瞬絶句してしまうのだった。
ときめく時の中で(172)
NEXT GENERATION(10)
”詩織と将の間柄”を明に問われ、連尺は一瞬だが絶句した。
「ど、どうして、そんな事思ったの?」
明らかに動揺した連尺の声を、変だなと思いながら、明は答える。
「どうしてと言われても、ただ、なんとなく、そう思ったんです。
なんて言うか、吉野先輩は本当に藤崎コーチの事、信頼してるって感じだし、藤崎コ
ーチも、吉野先輩の事を一目置いてる感じですよね。
だけど、なんか、よそよそしいと言うか、距離を置いているような感じしませんか?
・・・これは、僕だけが思ってる事なのかも知れませんけど」
連尺は声を失ってしまった。
連尺の目から見て、将と詩織から、明の言う通りの物を感じとる事はできなかった。
言い方は悪いかもしれないが、「上手くやっている」と思っていた。だが、そういっ
た物を、明は、理論だててではないが、いとも簡単に見抜いてしまっていたのだ。
「 ・・・キャプテン? どうしました?」
明の声に、連尺は我に帰る。
「あ、えっと、あのね・・・ 」
この時の連尺の表情を、明は意外に思った。連尺は常に毅然とした物腰で、新入部員
たちと接していた。
ところが、今の連尺は、これまで見せたことのない表情だったのである。
連尺は、そんな自分を自覚し、それを抑えながら、明に答える。
「これは、あくまでもプライベートな事だろうけど、コーチである以上、鏡くん達にも
無関係じゃないものね。
だけど、あまり詳しいことはさすがに言えないわ。
ただ、私に言えるのは・・・」
そこで一旦言葉を切り、遠くに見えるテニスコートを見ながら連尺は言った。
「詩織先輩は将くんにとって、とても大切な人なの。将くんに大きな影響を与えた人な
のよ。
そして、きっと、それは詩織先輩にとっても同じ事でしょうね」
「 ・・・恋人同士・・・ なんですか?」
ためらいがちに聞いた明の言葉に、連尺は苦い笑みを浮かべる。
「本当にそうだったら、私も楽なんだけどね」
「?」
明には連尺の言う言葉の意味は、全く理解できなかった。そんな明に、連尺は浮かべ
ていた笑顔から、苦味の部分を消し去る。
「明くんには、まだ、難しいかな? 色々複雑な事情があってね」
連尺の言葉に、明は少しムッとした。
「子供扱いしないでください」
「でも、まだ、大人じゃないよ。それは私も同じなんだけどね。だから、という訳では
ないんだろうけど、いろいろ、失敗したり、上手くいかない事だってあるのよ」
後半の言葉は、すでに明に向けられた言葉ではなかった。明にもそれが判る。
「 ・・・キャプテン」
無意識に漏れた明の言葉に、連尺は明の方に視線を向け直す。
「あ!? ごめんね。これ以上は、私の口からは言えないの。
でも、これだけは覚えておいて、あの二人が、そのために、鏡くん達一年生に悪影響
を与えるようなことは無いわ。いいわね?」
明はうなずくしかなかった。
「でも、驚いちゃったな。和人くんが、見晴ちゃんの家に引っ越しただなんて。
見晴ちゃんから電話で聞いて、びっくりしちゃった」
「俺もだよ。見晴姉さんと愛が友達だなんて。
たぶん、その電話のあとだろうね。見晴姉さんに散々からかわれたよ。
”メグちゃんとはどういう付き合いなの?”とか、”デートなんかしてるの?”とか
ね。
今日だって出かける時に、”あ、メグちゃんとデート、略して、めぐでぇ?”なんて
言われてね。 まったく、参っちゃうよ」
「あ、私とじゃ、いや?」
「いや、そんな事は無いって言ってるだろ、いつも」
「う、うん」
将達が練習をしている頃、和人と美樹原は動物園に来ていた。コアラに赤ちゃんが産
まれ、公開されたと聞いては、美樹原が見過ごすはずが無かった。
そこで、和人の引っ越し先の、館林の家の話題が出たのである。
館林と美樹原が友達という事を、和人は全く知らなかった。また、館林も美樹原も、
互いに和人と接点があるなどとは、思いもしなかったので、館林が電話で、新しい同居
人の話をした時には、美樹原は絶句してしまった。
その絶句した理由を美樹原が言うと、館林も同じように絶句してしまい、運命の巡り
合わせのようなものに、二人は電話口で笑い転げたのである。
だが、和人にとっては少々複雑である。何しろ、館林と同居している以上、和人の私
生活は美樹原に筒抜けなのである。
館林はそれほど口が軽いというわけではないが、固いとはとても言えない、ごく普通
の女の子であると、それまでの付き合いで和人は知っていた。
美樹原が聞きたがれば、館林とて話してしまうだろう。それを止める手だては和人に
はない。
「やれやれ」
和人は独り言と共に、ため息をついたものだった。
コアラの赤ちゃん(と言っても、公開されるようになったのは、生まれてから相当日
数が経っているので、見た目は小振りのごく普通のコアラである)を見終わって、和人
と美樹原は、自動販売機で缶ジュースなどを買い、木陰のベンチで一休みをしていた。
「コアラの赤ちゃん、可愛かったね」
「ああ、そうだね」
「そう言えば、見晴ちゃんもコアラ好きなんだよ。知ってた?」
「うん、知ってるよ。家にはいっぱい、コアラグッズあるから」
美樹原の質問に、苦笑いしながら和人はそう答え、ウーロン茶を飲む。
そんな和人を横目で見ながら、美樹原はいたずらっぽい口調で言った。
「そうね。コアラパンツ見られたって言ってたもん」
「ブーーーーーッ!!」
和人は思わず口にしていたウーロン茶を、盛大に吹き出してしまった。
「な、な、な、な、なにを?」
慌てふためく和人に、美樹原はにっこりと微笑んでハンカチを差し出す。
「やだ、もう和人くんったら。はい、ハンカチ」
「な、何をいきなり言い出す?」
ハンカチを口に当てて、和人がそう聞くと、美樹原は、全然見当違いの方向を見なが
ら、意識的に感情を抑えた声で言った。
「だって、覗いたんでしょ? 見晴ちゃんがシャワーに入るところ」
「があ」
和人の口が大きく開く。一瞬の後、和人は首を振り弁明を試みる。
「あ、あれは違うって! だって、入浴中の札もかかってなかったし、静かだったし、
それに、朝の6時から、シャワー浴びるなんて思わないよ! 普通!」
館林の家のバスとトイレの間には、洗面所があり、そこが脱衣所になるのであるが、
朝方、トイレに行こうと思った和人は、寝ぼけ眼で脱衣所である洗面所のドアを開けて
しまった。そこには、シャワーを浴びようと、服を脱いでいた館林がいたのである。
まさか、館林もこんな時間にタイミングよく誰かが来るとは思わず、入浴中の札をド
アに掛け忘れたのである。
言わば、事故なのだが、話の種になるには十分すぎる。
「でも、見たんでしょ?」
「見るとか、見ないとかじゃないよ! 慌てて背中向けてドア閉めたし・・・ 、
それに、まだ下着つけてたよ!」
「ほら、やっぱり見てたじゃないの」
「あ」
相変わらず、和人は一言多い。
力なくうなだれる和人の姿に、美樹原はクスクスと笑い始める。
「ま、和人くんに下心があった訳じゃないから、見晴ちゃんも、全然気にしてないって
言ってたよ」
和人も顔を上げ、ぼそりと言った。
「その時、ドア越しに、諭すように言われたからな、
”今度はちゃんとノックしてね、和人くん”
って。
完全に弟扱いだから、俺」
「ふーーん、そうなの。 ・・・で、感想は?」
「いやあ、見晴姉さんって、意外と着痩せするタイプなんだなあって、特に胸のあたり
が・・・ 」
「パンチ!」
美樹原の腰の入っていない、いかにも手打ちと言った感じのストレートが和人の顔面
に炸裂した。
ときめく時の中で(173)
NEXT GENERATION(11)
「痛いなあ、顔に入ったじゃない」
痛くもない頬を手でさすり、和人は前を歩く美樹原に言った。
美樹原と動物園に来た和人は、館林の家で、シャワーを浴びるために服を脱いでいた
見晴と出くわしたことを、美樹原に責めたてられていた。
和人が言うのは、それを聞いた時、美樹原の右ストレートが和人の頬を捉えていた事
をさしている。
が、彼女の華奢な腕では、それほどの威力があるわけもなく、さらに、あくまでもそ
れはポーズである。
和人とて、それを避けることなど造作もないはずだったのだが、あえて、それを受け
た。しかも、本能的にあごをねじって、威力を消していたので、痛いわけがない。
どちらかと言うと、ふざけあっていると言うべきかもしれない。
「和人くんったら、本当にエッチなんだから」
「だから、あれは事故だって」
和人の弁明にも、美樹原は耳を貸さない。いや、そのふりをしているだけなのかも知
れない。
「事故のわりにはちゃんと見てるじゃない」
「ああ・・・ 、そ、そんな言い方しなくたっていいじゃない」
この件に関して、和人に弁明の余地はない。それは、和人自身も充分、知っている事
なので、たじたじである。
この時は、さすがの和人も、自分の目の良さを呪った。さらに、驚き、慌てふためい
たわりには、しっかり、観察している自分に自己嫌悪さえ覚えてしまった。
しかし、それでも、美樹原がそんな風な態度を取ることに、和人は違和感を覚える。
「何、すねてるの?」
「すねてなんか、いないもん」
だが、その言葉には、どう見ても説得力はない。
それは、美樹原にも判るので、少しうつむき、自分の身体を見た後、肩ごしに、和人
の方に視線を向ける。
「やっぱり、和人くんも、見晴ちゃんのような・・・ 、あ! な、なんでもないのよ」
「はあ?」
言葉が途中で途切れたとは言え、美樹原が何を言おうとしたか、和人には判った。だ
からと言って、それに対して、上手く受け答えをするというのは、今の和人には途方も
なく難しい事だった。
二人の間に、気まずいと言うのとは、少し違う、妙な雰囲気が漂う。
「比べたって仕方がない事は、私も判ってるの。だけど、 ・・・ね。
・・・見晴ちゃんみたいな可愛い女の子と、一緒の家に住んでると思うと、ちょっと、
複雑なの。こんなの、 ・・・ただのやきもちだよね。
私は、和人くんの彼女でもなんでもないのに、・・・」
そこまで言って、美樹原は口ごもる。
そんな美樹原を見て、和人はにこやかな表情を浮かべる。
「いいんじゃない? それでも。
俺は、そんな愛が・・・ !?」
和人はそこまで言って、思わず口元を手で押さえた。
「え? 何か言った?」
「いや、なんでもないよ」
「そう?」
不思議そうな表情を浮かべる美樹原が、そのまま歩いていくのを見ながら、思った。
(俺、何を言おうとしたんだ?)
和人は自分に戸惑った。
練習を消化し、ミーティングや、スケジュール調整などの話し合いを終え、将が家に
戻ってきたのは、夕闇が訪れる頃だった。
「練習メニューを変えると、木曜日の夕食がつらいのか? 母さんに言って、当番変わ
ってもらわないとなあ。
春の公式戦もすぐだしなあ」
変更されたスケジュール表をチラチラ見ながら、将は独り言を言っていた。
そして、階段のところにいた和人に気が付いた。
「なに? どうしたんだ、和人?」
「ん。いやあ、ちょっとね」
「今日、美樹原さんとデートって言ってなかったっけ?」
やや、からかうような将の口調に、和人は苦笑いを浮かべる。
「まあ、その事で、ちょっと聞いて欲しい事があるんだけど」
将は眉をひそめる。和人からそんな事を言われるのは、長い付き合いでも、初めての
事だったのである。
「まあ、上がっていけよ」
「美里さんは、仕事?」
「ああ、そうだけど、それが?」
「いや、べ、別に」
「ふーーん」
将は何事か悟ったような表情で、階段を上っていった。
「で、なんだよ? 話って?」
着替えやら、夕食の支度などをしてから、将は和人に聞いた。
その間、和人はTVゲームなどをしていたのだが、集中力を欠いているのか、結果は
さっぱりだった。
「夕飯、食べちゃえよ」
「和人は?」
「館林の家で食べるから、いいよ。将は練習で、腹、減ってるだろ? 俺のことはいい
から。食いながら聞いてくれればいいからさ」
「そうはいかないよ。話が先。で、なんだよ?」
将にそう言われても、和人は多少ためらった。だが、ここまで来て、話さないわけに
もいかないので、和人はゆっくりとしゃべり始める。
「あのさあ。こう言うの将は苦手だとは思うんだけど、他に相談できる相手いなくって
さ」
「ひどい言い方だなあ」
「いや、悪気がある訳じゃなくって、 ・・・それに、将にとっては、あんまりいい話じゃ
ないかと思って」
「なんだよ、気持ち悪いな。和人がそんな気をきかせるなんて。
話してみろよ。なんだ?」
将の言い方も、和人に負けず劣らずなのだが、今の和人にはそれに反論する余裕はな
いようである。
「その、め、いや、美樹原さんのことなんだ」
将の表情は、この時、納得ずくといった表情になっていた。
「普段通りでいいよ」
「あ? ああ、愛の事なんだけど、俺さあ、・・・ なんて言うのかな? 上手く言えない
なあ」
和人らしくもない、散々悩む素振りに、将は苦笑いと共に頭をかく。
それを見て、和人は意を決した。
「俺、どうも、愛のこと・・・ 、好きになってしまったらしいんだ!」
ようやくの事でそこまで言った和人は、堰を切ったように話し始める。
「そりゃ、あれだけ可愛い娘に好意を持ってもらえば、悪い気はしないさ。
一応は年上だけど、そんなのはほとんど意識したことはないし、気にもならないよ。
他の男と話す時には、おどおどしてしまう事があるらしいけど、少なくても俺の前で
は、ちゃんと話すし、話してても楽しい。
だけど、俺には別に好きな人がいて、愛だってそれは知ってるはずなのに、それでも
いいって言ってくれて、でも、俺はその人が好きなんだって、ずっと思ってきたから、
愛の気持ちには答えてあげられないって思ってた。
だけど、今日、思っちゃったんだよ。俺、愛のこと、好きになってるって。
でも、その人の存在が大きくて、こんな気持ちのままじゃ、愛に悪い。愛がかわいそ
うだと思えてならないんだ。
俺、この先、どうやって愛と付き合えばいいんだろう?」
長い和人の台詞が終わり、しばらく二人は黙り込んでいたが、やがて将が、声を出し
て笑い始める。
「な、何がおかしいんだよ? 将!?」
「 ・・・いや、とうとう、和人にもそう言う女の子ができたんだなあって、思ったら、な
んか、笑えてきちゃって」
「悪かったな」
「いや、ごめん。悪かった。すまん」
頭を下げて謝る将だったが、その表情は安堵を感じさせる成分が含まれていた。
「でもさ、和人」
「なんだよ?」
「それはそれでいいんじゃないの? 今すぐ結論出さなくたって。美樹原さんだって、
待つって言ってくれるだろ?」
「そ、そうかも知れないけどさあ」
「大体、和人だって、いつまでも、俺の母さんじゃないだろ?」
将はさらっと言いのけたが、和人の驚きは相当なものだった。
「将、お前、今なんて言った?」
「だから、いつまでも、俺の母さんを想ってたってしょうがないだろ? って言ったの」
「お、お前、なんでそれを知ってる!?」
和人の上擦った声に、将は呆気に取られる。
(なんで、判らないと思えるんだよ、和人は?)
ときめく時の中で(174)
NEXT GENERATION(12)
和人の表情は、付き合いの長い将でさえ滅多に見たことのない、ひどく赤面したもの
だった。
「な、なんで、将が、し、知ってるんだよ?」
和人の質問に、将は半ば呆れながらも、この時思っていた事を、素直に口にした。
「どうして判らないと思えるんだよ、和人は?」
「え?」
和人の心底驚いたような声に、将は本格的に呆れた。
「あのねえ。みえみえだって言うの。
判るに決まってるだろ? 普段のお前の、母さんに対する接し方を見ればさあ」
将の言い方は呆れると同時に、多少からかうような成分も混ざっていたのだが、それ
を聞いた和人の表情が表わすものは、驚愕と言うよりも、恐怖に近いものがあった。
「そ、それ、美里さんも、判ってるのかな?」
「俺でさえ判るんだぜ。あの人が判らないわけないだろ?」
”そういう事に鈍いという自覚はあるんだな”と、和人は将のことを一瞬思ったのだ
が、質問に対する答えの重大さで、和人は茫然としてしまい、頭を抱える。
「だーー、本当かよ?」
「まあ、あの人は何も言わないけどねぇ。和人の気持ちは薄々と言うか、確実にと言う
か、ともかく、知ってるはずだよ。
大体、あからさまなんだよ。普通はどうか知らないけど、友達の母親のこと、名前
じゃ呼ばないだろ?
おばさんとかさ・・・ 」
「美里さんは、おばさんじゃない!!」
真剣な和人の表情と声に言葉を遮られ、将はいたずらっぽい笑いを浮かべる。
「俺な、さすがに和人を”お父さん”とは呼べないぞ」
「ばっ、馬鹿野郎!! そんなんじゃねえよ!!」
和人はそう怒鳴った後、小さくため息をつき、観念したように続けた。
「俺はなあ、美里さんみたいな女の人知らなかったんだよ。
最初は、母親替わりだと思ってた。でもその内に、そうじゃないと思ったんだ。
これは、一人の女の人として好きなんだって・・・ 。
自分でもどうしよう?と思ってた。いくらなんでも、年が離れすぎてるって。
でも、それでもいいやって。相手にされないより、将の友達としてでも、そばにいら
れるなら、それでもいいって。
美里さんには、一生かけても返せない恩があるからな。こんな俺でも、何か役に立て
ればそれでいいって思ってた。
だから、他の女の人なんて、全然気にしたことはなかった」
「そこに現われたのが、美樹原さんか・・・ 」
将の言葉に、和人はうなずいた後、天井を見上げる。
「愛は年上なんだけど、なんか、可愛くてしょうがないんだよ。年上って感じ、全くな
いんだ。 けなげで、一途で、本当に俺の事を想ってくれてる」
(はいはい)
和人は真剣そのものなのだが、将は内心でそう思っていた。なにしろこれでは、単な
る「のろけ」になってしまっているのだから。
内心はともかく、表情を引き締め、将は和人に顔を向ける。
「まあ、そこまで言うんなら、もう少し付き合ってみれば?
なんにも問題はないんだから」
「問題は俺だよ。こんな俺が、愛のような娘といていいのか?そう思うんだ。
まだ俺は、どこかで誰かを頼る部分がある。美里さんのことにしたってそうだし、
現に館林さんの世話を受けなきゃ、俺一人じゃ、生活も出来ない。
そんな俺が、愛とこのまま付き合っていいと思うのか?」
「あ、あのねえ」
将は頭を抱える。将自身、自分がこういう恋愛ごとに免疫がなく、不器用であるとい
うことは、うすうす自覚していた。和人にもその辺りの事は、散々からかわれたりもし
て来たのだが、今の和人も、それに負けず劣らずである。
将は苦笑いを浮かべると共に、内心で思った。
(結局、こういう事って、誰でも不器用だし、悩むものなんだなぁ)
こういう時の第3者は、意外と冷静になれるもので、将はゆっくりと静かに和人に
言った。
「いいんじゃないの? 誰かに頼ったって。俺達はまだ子供なんだぜ。
いや、大人になったとしたって、きっと、誰かの助けが欲しいはずだよ」
「?」
将の言葉に和人は意外そうな表情を浮かべる。
その表情に答えるべく、将は言葉を続けた。
「人間、一人で出来ることなんて、たかが知れてるよ・・・ って、これ、姉さんの受け売
りなんだけどね」
「姉さん・・・ 、古式さんか?」
「ああ。この前、姉さんが、俺をドライブに誘ってきたんだ」
「古式さんが・・・ 、車の運転を?」
「そう意外そうな顔をするなよ。姉さんはなかなか安全運転だよ」
(車のせいもあるだろうけど)
内心、そう思いながら、将は古式とのドライブでの話を続けた。
古式の運転で、二人は有料スカイラインの山頂付近にある、展望台に来ていた。
雨の日のだったので、(どこへ行っても濡れるなあ)と、将が思ったその時、古式が
言ったのである。
「それでは、雲の上に参りましょうか?」
と。
古式の言う雲の上が、この山頂だったのだが、さすがに「上」という訳には行かず、
霧のような、雲の「中」になってしまった。
「残念ですねえ。ここからの眺めは、とても綺麗だと、聞き及んでいたのですが」
あいにくの霧にさえぎられ、眼下に広がるはずの景色は、乳白色のスクリーンと化し
ていた。
こんな天候では、さすがに人出は少ない。閑散とした中、細かい雨を避けるように、
二人は展望台へと上る。
そこに行ったとしても、景色が見えるはずもないことは判っていたが、”せっかくこ
こまで来たんだから”と言うような、心理が働いてしまったのだ。
展望台には屋根があるため、雨に濡れることはない。
「やはり、ここに来ても、景色は、見えませんねえ」
判っていたこととは言え、古式は、つい、そう口にした。
「でも、いいですよ。ここに来るまで、なかなか楽しかったですよ」
将がそう言うと、古式は残念そうな表情を、多少やわらげる。
「そう言ってもらえると、助かりますねぇ。
将くんの、気分が晴れれば、と思っていたのですが、それが、この雨では、と、心苦
しく思っていたのですよ」
その言葉に、将は古式の顔を見つめる。
「 ・・・姉さん、ひょっとして、気を使ってくれてるの?」
古式は、彼女にしては珍しく、慌てたように視線をそらした。
「あ、 ・・・そう思われますか?」
「 ・・・なんとなく・・・ 」
「 ・・・そうですね、そういうのは、確かにありました。
実は、藤崎さんとの事で、私は、将くんに恨まれても、しょうがない事を、してしま
いましたから」
「その事は、もういいんですよ。何度も言ってるでしょ? 姉さんは、間違ったことは
していないんだから。
逆に、俺の方が情けないですよ。強がってみても、その実は、ひどく弱い。
いつまでたっても、誰かに助けられて、俺一人じゃなんにも出来ないでいる。
情けないです」
うなだれる将に、古式はにっこりと微笑む。
「それで、いいのでは、ないのですか?」
「え?」
将は顔を上げる。
「人間が、一人で出来ることなんて、本当に、わずかなものです。人は、支えあい、助
け合って生きる、生き物です。
そして、将くんは、それが、とても大切なことだと、知っています。
それでいいんです」
「姉さん・・・ 」
将は姉である古式の存在に、心から感謝していた。
「ふーーん。そんな事があったのか」
頭の後ろで腕を組み、和人はそう言った。
「ああ、姉さんの、その言葉があったから、藤崎先輩のコーチングを受ける事が出来た
んだろうね。実際は、自分を抑えるのに苦労しるけど、それを四本松が助けてくれてい
る。 俺は、いろんな人の支えの上に立っているんだよ」
「そして、誰かを支えている・・・ か?」
「和人だってそうさ。和人の支えがあったから、美樹原さんの立ち直りが早かったんだ
と、俺は思ってるよ」
「そうかな?」
「そうさ」
将は力強くうなずき、和人に答える。
「俺達は、まだまだ、非力なんだよ。
だから、支えあいながら、自分を磨き、高め、想いを伝えあう。
それが大切なんじゃないかな? なんか、キザったらしくて、答えになってないんだ
けどな」
「いや、将の言いたい事、なんとなく判るよ。
結局は、精一杯やるしかないという事なんだけど、一人で背負ったってたかが知れて
る。そういう事だろ?」
「まあね」
将はうなずき、左の拳を顔の前に持ってきた。
「そう言った俺を支えてくれる人たちのためにも、俺に出来ることは、全力でぶつかっ
て行くつもりだ。 まずは、春の公式戦だ」
将の言葉に、知っているものとは違う気迫のようなものを感じとり、和人は言った。
「月並みだけど、 ・・・頑張れよ」
和人も右の拳を、顔の前に上げる。
「ああ」
将と和人は、互いの拳を3回ほど、軽くたたき合った。
ときめく時の中で(175)
NEXT GENERATION(13)
「ねえ、ねえ、よっくん。こんなところに何の用なのよう?」
好雄に引っ張られるようにして、きらめきスポーツ公園に来た朝日奈は、初夏とも言
える陽射しで、うっすらとかいた汗を拭いながら好雄に聞いた。
きらめき高校を卒業した後、二人はよく外出をしたのだが、こう言ったところへ来る
のは初めてだったので、朝日奈としても好雄の真意がつかめなかった。
好雄は自ら「滑り込んだ」、という大学に入学し、朝日奈は自由気ままな生活をして
いた。
比較的、お互い時間に余裕があるので、よく外出していたのである。
「いやあ、ちょっと気になることがあってさ。ちょっと、よるだけだからさ」
「だからぁ、何があるのよぉ?」
やや不満げな朝日奈の声を背中に、好雄は小さいながらもスタンドを備えたテニスコ
ートへとやって来た。
「何々? なんのイベント?」
「お前ねえ、イベントじゃないよ。テニスの試合があるの。今日、準決と決勝なんだっ
てさ」
好雄の答えに朝日奈は、少しばかり真面目な顔になる。
「吉野くんと、藤崎さん?」
「まあね。ちょっと気になって、見に来たわけさ」
「それを、トシくんに伝えるの? インターネットで?」
やや冷やかすような朝日奈の声に、好雄はやや照れくさそうに笑った。
「そういう事なんだけど、そう言うのは全部、藤崎さんがトシに伝えてるよ」
「 ・・・そうかあ。手紙より早くて、電話より安い電子メールか」
朝日奈は感心したようにうなずいた。
当初、君本と詩織はお互いの連絡を、手紙でするように決めていた。だが、それぞれ
の両親が相談し、二人にパソコンを与えた。
詩織はテニス部の関係で一台保有していたが、それは電脳部から借りていたものだっ
た。
卒業して、それは返却した。もともと古い型式のもので、電脳部としても有り体に言
って処分に困っていたので、”そのまま使ってくれてもいいよ”とまで言われたのだ
が、学校の備品である事に変わりはないので、詩織としてもそれを受けるわけにはいか
なかった。
結局「いずれ必要になるのだから」と、これを機に購入したのだった。
それは、電子メールが便利な事を、仕事で知っていた君本の両親の提案だった。
無論、そこには、遠くイギリスに行った我が子を心配する、親心もある。
そこでまず、詩織は NIFTY-Serveに入会した。電子メールだけならインターネットで
も充分使えるし、何よりも、いろいろな情報を知る事が容易だという利点にひかれた。
ただ、君本の方は生活が安定するまで、なかなか環境が整わなかった。コンピュータ
自体を使うのも戸惑ったし、慣れぬ生活の中で、プロバイダーなどを選ぶにも苦労した
からだ。
それが、先日、ようやく環境が整い、二人は電子メールを活用し始めた。
そして、それを聞いた好雄も両親に頼み込み、パソコンを購入した。それによって連
絡を取り合うように決めていた。
「使いこなせないと、お母さんにいろいろ言われるんでしょ? パソコン?
ともかく、こう言った事で使うんでしょ?」
からかうように言った朝日奈に、好雄は苦笑いを浮かべる。
「まあ、それもあるんだけど、やっぱり気になるんだよ。二人の事」
「心配?」
「というか、二人のお互いを信頼する、気持ちの深さみたいなのに驚かされちゃうんだ
よ。 藤崎さん、よく、コーチを引き受けたなと思ってさ」
「そうよねぇ。私も始めにそれを聞いた時には驚いたもん。ただね・・・ 」
「ただ?」
「しおりんは、それをトシくんにちゃんと伝えたんでしょ?」
「ああ、そう聞いた」
「それで、かえって安心出来るんだと思うな。トシくん、それにしおりん自身も」
「 ・・・そう言うものなのかな?」
首を傾げる好雄に、朝日奈は笑って答える。
「本当のとこは、わかんないわよ。そんな難しい事は」
「なんだ」
「ああ、笑ったな」
朝日奈が口を尖らせ、好雄を軽く小突く。
「悪い悪い」
その手を受けながら、好雄はテニスコートに目を向け、朝日奈もそれに習う。
その先、コートの脇には、数人の部員と共に、詩織と将が、何事か話し合っている姿
があった。
男子シングルスで、将は準決勝を勝ち抜き、決勝へと駒を進めていた。
実のところ、優勝候補の一人と目されていた高林が、故障で今大会を欠場したため、
将が最有力とされていた。
だが、同じ高校生同士、力にそれほどの差がある訳もなく、正にそれを詩織は将に指
導していた。
「決勝の相手は典型的なレシーバーよ。サービスを拾われても焦らないで、いつもの通
りにね。
ここまで来たんだから、焦らないこと。いいわね?」
「はい」
そう言って将はうなずく。そんな将に、詩織が微笑み付け加える。
「はっきり言うわ。
将くんが持っている力を出せば勝てるわ。でも、実力を出し切る事が本当に難しい事
なの。
判ってるわね?」
「はい。
気持ちの緩みで実力が出し切れないような事は、みんなに対する裏切りです。
そんな事だけには、絶対になりません」
詩織が多くを語るまでもなく、その言わんとしている事を理解した将に、詩織もうな
ずく。
その二人を、まわりにいた部員達が無言で見つめる。
その中に明もいた。
二人を見て、明は思わずにはいられなかった。
(なんだか知らないけど、この信頼関係はすごいなぁ)
明を含めたまわりの部員達が詩織と将から感じたのは、コーチと選手という関係だっ
た。過去にどんな経緯があったにせよ、少なくとも、今の二人の間柄は良好な物のよう
に見えた。
その時、一人の男子部員が走り込んで来た。
「混合ダブルス、勝ちました!!」
短いが力強いその声、それは四本松、松島ペアが優勝したことを物語っていた。
その場に歓喜の声が沸き起こる。
「将くん」
「はい?」
「次は、将くんの番よ」
「はい!」
将を見送った詩織は、そのままスタンドへとむかった。
そこには連尺がいた。
「どうでした? 将くんの様子は?」
連尺が聞く。
「大丈夫よ。落ち着いてたわ」
「勝てますか?」
「女子シングル、男子ダブルス、混合ダブルスに続いて、男子シングルスもきらめき高
校のものよ」
詩織にしては、やや不遜な物の言い方に、連尺は意外そうな表情を浮かべる。
その表情に気がついた詩織が微笑む。
「私が自信を持ってそう言えるほど、きらめき高校は強いのよ。そして、それは、みゆ
きさんのおかげよ」
「 ・・・そ、そんなことは・・・ 」
「そうなの」
優しく、そして力強く言った詩織の言葉に、連尺は微笑みを返した。
コートの直前、将は四本松、松島とすれ違った。
「お先に」
そう言って四本松が右手を上げる。
将はそれに答え、同じく右手を上げ、その手を叩く。
乾いた音が響き、将はコートへと向かった。
ときめく時の中で(176)
NEXT GENERATION(14)
春の公式戦で、きらめき高校テニス部は好成績を残した。
女子シングルス、男子ダブルス、混合ダブルスに続き、男子シングルスの将が優勝を
収めた。
表彰式の後、喜びに沸く部員たちから離れ、将と四本松は会場の隅の建物の影にある
ベンチに腰掛けていた。
「将くんはすごいな。プレッシャーもあったはずなのに、それにも負けず勝っちゃうん
だもん」
感心した四本松の声に、将は少しばかり気だるそうな声で答える。
「そうかな? 四本松の方がすごいと思うよ。女子シングルスと混合ダブルスの2冠じ
ゃないか」
将の言う通り、その急成長で、今回もっとも注目されたのは四本松だった。日程的に
苦しかったのにもかかわらず、女子シングルスと混合ダブルスの双方で激戦、接戦を征
し、見事優勝を遂げたのだから、それも当然ではある。
「運が良かったのよ。強い人たちが別ブロックで固まってくれて、潰しあいになったり
したから・・・ 。ダブルスは松島君が引っ張ってくれたから、助かったのよ」
「優勝は、優勝さ・・・ 」
言葉の意味はともかく、将の言い方が多少気になった四本松は、そっと左側にいる
将のほうに視線を向けた。
将は瞳を閉じ、ベンチの後ろの壁で後頭部を支えていた。
「眠いの?」
「え? う、うん。緊張が解けたら、なんか、ね」
「一眠りすれば? 何かあったら起こしてあげるよ」
「ありがと。 ・・・でもいいよ。ちょっと、目を閉じているだけでいいよ」
「そう? じゃあ、静かにしてるね」
「うん」
だが、そう言ったものの、暑くもなく、寒くもない春の日の日陰、そこにさわやかな
風が吹けば、1度働き始めた睡魔を抑えることは、並大抵のことではない。
やがて将は、静かな寝息を立て始めた。
その姿を見て四本松は思った。
(お疲れさま。将君)
だが、四本松とて睡魔の手から逃れるのは不可能だった。しばらくすると、うとうと
し始めてしまった。
(いけないなあ、私まで寝むっちゃったら、しゃれにならないよ)
そう思った時だった。
四本松の左肩に何かが触れた。
「?」
彼女の意識がはっきりするのと同時に、それはその重量を増した。
(しょ、将くん?)
四本松の肩に、将は無意識のうちに頭を乗せ、そのまま眠りについていた。
(う、うわ。うわ、ど、どうしよう?)
予想もしなかった事態に、四本松は慌て、その顔は真っ赤に染まってしまった。
あたりの視線が気になったが、きょろきょろと見回しては、将を起こしてしまいかね
ない。
そのため、そのままの姿勢で固まってしまうのだった。
先程まで、あれほど執拗だった睡魔も、どこかに立ち去ってしまい、高鳴るばかりの
胸の鼓動からは、眠ることなど考えることは、とても出来なかった。
そのうち(こ、このぐらい、いいわよね)という心境に達し、そのままの姿勢で春の
風を感じようと決めた四本松だった。
先程から、元城は紐緒の視線が気になって仕方がなかった。
「だからぁ、ちょっと後輩たちの様子を見ていくだけだよ。そんなに怒るなってば」
「べ、別に怒ってなんかいないわ」
紐緒はそう答えたものの、その表情には明かに、不満の成分が含まれていた。
元城と紐緒の二人は、それぞれ進路が違っていたので、そうそう、会う事もままなら
なかった。
紐緒は製薬会社に勤め、元城は初級公務員試験を受け、市役所に勤めることとなって
いた。
それならば、休日が合いそうなものなのだが、元城のほうが時間外窓口の担当になっ
たため、休日がずれ込んでしまったりしたのである。
今日は久しぶりにスケジュールがあい、デートとなったのだが、元城のたっての願い
で、このスポーツ公園に来ていた。もちろん、テニス部の様子を見るためである。
だが、紐緒としてみれば、久しぶりに会うと言うのに、テニス部に顔を出す元城の考
えが理解できなかった。
紐緒自身も、こんなことで不機嫌になる自分に驚いていた。高校時代には、こんな感
情が自分にもあるなどとは、思ってもみなかった。そんな自分に気づかせたのは他でも
ない、今、自分の前にいる元城である。だからなのか、不満ながらも、元城について来
ていた。
もっとも、この埋め合わせをしてもらうことは、確約済みなので、それを思うと、無
意識のうちに、ほくそ笑んでしまう紐緒だった。
「あ!? 元城じゃないか? 何しに来たんだ?」
そう自分の名を呼ぶ声に、元城は視線を向ける。
「なんだ? 早乙女か? それは俺のほうが聞きたいぜ!」
スタンドの裏手で、元城たちは好雄と朝日奈に出会った。
「え? ああ、まあいろいろとな、元城は?」
「いろいろか? まあいいか。俺は、テニス部の後輩たちが気になったから来たんだ。
文句はなかろう」
「それはいいとしても、試合、終わっちゃったぜ」
「しょうがないだろ、今まで仕事だったんだから」
「あ、そうなのか」
好雄は納得したようにうなずいた。そんな好雄に元城は続ける。
「ところで早乙女、せっかくの朝日奈さんとのデートに、こんなところに来るなんて、
彼女何にも言わなかったのか?」
元城は好雄にそう言った。ただし、かたわらにいた朝日奈の方に視線を向けながら言
ったのである。
「そうなんよ。元城君もそう思うっしょ?」
そのもう一方の当事者である朝日奈が、ここぞとばかりに好雄を攻めたてる。 2対1
の不利を悟った好雄は、自己弁護をせず、逆に攻勢に転じた。
「あ、あのなあ、そう言う元城だって、紐緒さん、何も言わなかったのかよ?」
好雄にしてみれば必死の抵抗だったのだが、元城は平然と答える。
「結奈の場合は、何も言わない時の方が怖いよ。いろいろ言われてるほうが安心でき
る」
考えてみれば、元城の言い方は随分なものがあるのだが、それを聞いた紐緒は、肩を
すくめ、苦笑いを浮かべるだけだった。
(なんだよ? ずいぶん良い雰囲気だな、この二人)
好雄も朝日奈も、そう思わずにはいられなかった。
「ところで、本題。きら高はどうだったんだ?」
元城は好雄に聞いた。
「ああ、すごかったぜ。まあ、詳しいことは後輩たちに聞けよ。俺達はもう行くから。
なんせ・・・ 」
そこまで言って、好雄は元城の耳元に口を近付け、小声でささやく。
「なんせ、ひなのご機嫌とらなくちゃならないもんでね」
「ああ、そうか」
思わず笑ってしまった元城に、朝日奈の勘が働く。
「あ、よっくん! 私のこと、なんか言ってるっしょ!?」
「何にも言ってないって!」
「嘘だねぇ!」
そう言って、朝日奈は好雄を追い掛け回す。
「じゃあな、元城!」
「またね、ユイナ!」
そんな言葉を残し、去って行った二人を見て、元城と紐緒は思った。
(いいコンビだなあ)
「あ、元城先輩!?」
「こんにちは」
元城は後輩達に出迎えられた。
「おお、藤崎。コーチご苦労さん。そのおかげあっての大成果だな?」
あいさつもそこそこに、元城はそこにいた詩織に向かって言った。
「私は決められた仕事をしただけよ。本当にすごいのは、選手やそれを支えた部員、そ
して、それをまとめ上げた現キャプテンの手腕よ」
詩織は連尺の背中を押す。
「わ、私の手腕だなんて、そんな・・・ 」
口ごもる連尺に、元城は無言でその肩を叩いた。
「ところで、将は?」
元城の質問に、2年生の女子部員の間に笑いが漏れる。
「 ・・・だってねえ」
「優先輩なら、しょうがないって感じだよね」
「?」
元城にはその会話の意味が掴めなかった。
「おいおい」
元城は思わず口にした。
2年生部員に案内され、元城が目にしたのは、四本松の肩により掛かり、眠りにつく
将の姿だった。
「私が呼びに言ったら、優先輩、シーーッて言って、将先輩を寝かしたままなんです」
「起こせないんですよね。そうやって止められるから」
そう言って笑う部員の声を聞きながら、元城は思った。
(いつの間に、こんなになったんだよ?)
ときめく時の中で(177)
NEXT GENERATION(15)
春の公式戦がおわり、新年度になって初の、部活が休みとなった日曜日。将は四本松
とショッピング街へと来ていた。
シューズやウェア等を買うためである。サイズやフィーリングがあるので、こればか
りは人任せには出来ない、という訳だ。
今日のデートは、将の方から四本松を誘ったことに始まる。正確に言うと、将の誘い
に乗ってきたのは四本松だけだった。と言うべきなのだろうか?
テニス部の練習が終わり、将が
「今度の日曜日、買いものに行くつもりなんだけど、誰か一緒に行かない?」
と、聞いたのは、将なりのコミュニケーションだった。
行きたい者同士、連れだって買い物に行けば、気心も知れるというわけである。
「私、行く! ちょうど、買いたい物あるし」
それにすかさず答えたのは四本松だった。自分の靴ひもをほどく手を休め、手を上げ
た。だが、彼女がまわりに視線を向けると、賛同者が他にはいなかった。
いや、途中まで手を上げていた者もいたのだが、四本松が名乗りを上げたのを受け、
その手を収めてしまったのだ。
「あれ? 他にはいないのかな? 何人でもいいんだよ」
将はそう言ったのだが、部員達は顔を見合わせるだけで、名乗り出る者は他には出ず
じまいだった。
「俺って、人望ないんだな」
ショッピング街を歩きながら、将はぼそりと言った。小さな声で独り言のように言っ
たのだが、それを四本松は聞き逃さなかった。
「なんで、そんな事思うの?」
将は、多少驚いたような表情になって、四本松に顔を向ける。
「あ? いや、自分で言うのもなんだけど、もう少し、一緒に行ってくれると思ったん
だ。俺って自分が思うほどは、人気ないんだな、と思っちゃったわけ」
そんな将に、四本松はクスッと笑いを浮かべた。
「何がおかしいんだよ?」
「え? あ、そうじゃないの。それは将くんのせいじゃないのよ、って事なの」
「は?」
将には四本松の言う意味が、さっぱり判らない。
「だから、私が真っ先に手を上げたから、みんな変に気を回して、遠慮しちゃったのよ
ね。それにあの時は、南ちゃんもいなかったし」
「なんで、四本松が先に手を上げると、みんなが気を使うんだ?」
「 ・・・さあ、どうしてでしょうね?」
四本松の声には、やや、将を非難する成分が含まれていた。
それが気になる将は、改めて考え込む。
「で、なんで、そこに本郷が出てくるわけ? ・・・え? ま、まさか・・・ 」
一つの仮定にたどり着いた将は、四本松に顔を向ける。
「ま、まさか。俺達、付き合ってるように思われているのか?」
「さあ、それはどうか知らないけどね」
四本松の言い方は、多少、いたずらっぽい物になっていた。だが、その推測がある程
度、的を得たものだという結論を得た将は、ゆっくりと空を見上げる。
「なんで、そんな風になっちゃうんだろうなあ?」
将の、そのため息交じりの声に、四本松の胸の奥がちくりと痛む。
「 ・・・私とそんな風に見られるのって、迷惑?」
将は驚いたようなような表情で四本松を見た。顔を赤く染め、伏し目がちな四本松
に、さすがの将も、その心情を察する事ができた。
だが、それを、今、口にすることは避けた。故に、将の口からこぼれた台詞は、四本
松が期待していた物とは、多少、そのベクトルが違っていた。
「俺は、別に構わないんだけど。四本松の方が、迷惑するんじゃないかな?って思った
のさ。
四本松、最近、校内で噂になってるらしんだ。もちろん好意的な意味でのね。
なのに、俺がそばにいたんじゃ、迷惑するんじゃないかな?」
この時の、将の演技は一級品だった。それを聞いた四本松が
(ああ、やっぱり、将くんには、こういう回りくどい言い方じゃ通じないのよね)
と、思ったのだから。
この数カ月のうちに、数々の経験を踏み、将も恋愛関係の事について、以前とは比べ
られないほど進歩した。まだまだ、不器用ではあるが、それでも一年前と比べれば、別
人だと言ってもいい。
だからこそ、四本松の投げかけた質問に対する、真の答えを出す気にはなれなかっ
た。
今はまだ、そういう事を考えられるだけの余裕がなかったのだ。
それに、四本松はクラスメートとしても、クラブ仲間としても、かけがえのない存在
である。この先、ぎくしゃくするのは避けたかったので、はぐらかすような答えしか出
せなかったのである。
そんな事とは知らない四本松も、気を取り直し言った。
「ともかく、買うもの買っちゃおうよ。ね?」
「ああ、そうだね」
二人は並んでショッピング街を進んでいった。
「さて、買う物は買ったし、どこに行こうか? まさか、まっすぐ帰るなんて言わない
よね? 将くん?」
「さあてなあ。どうしようか?」
「んもう」
買い物を終えた将と四本松は、そんな事を言いながら、裏通りを抜け、あてもなく歩
いていた。
そこにあった小さな公園の中で、ちょっとした人だかりができていた。
「あれ? ストリートバスケット? 3ON3ね」
四本松が言ったように、そこではささやかながら沸き上がる歓声の中、3ON3が行わ
れていた。
「思い出すなあ、去年の文化祭」
将の言葉に、四本松がうなずく。
「そうそう、優美ちゃんに乗せられて3ON3の大会に出たんだっけ。今思うと、準決勝
までいったんだから、結構、惜しかったのよね」
「でも、あの芹澤チーム、確かに強かったから、どの道、優勝は難しかったぜ」
「それはその通りだとは思うけど、それでも、あの戎谷っていう人が入った時、優美ち
ゃんが私の代わりに出れば、ディフェンスが強化されて、いい勝負ができたと思うんだ
けどなぁ」
「いいじゃないか、済んだことだよ」
「まあ、そうなんだけどね」
四本松が微笑みながらそう言うと、そこに声をかける者がいた。
「あれ? 将くんに優ちゃん、どうしたの、こんなところに二人揃って」
聞き覚えのあるその声の持ち主を目にして、将と四本松は同時に叫んだ。
「早乙女!?」
「優美ちゃん!?」
そこに立っていたのは、今までの彼女からは想像し難いファッションの優美がいた。
栗色の髪をカラフルなバンダナでまとめ、やはり原色系のTシャツ、真っ赤なショー
トパンツ、そして、NBAのロゴが入ったバスケットシューズ。
どこから見ても、ストリート系のファッションである。それが、妙に決まっている。
「早乙女、ここで何してるんだ?」
「何って、3ON3に決まってるじゃん。今日、クラブが休みの日だから、こうして、気
分転換を兼ねて、武者修行に来ているんだ。
3ON3とフルコートはかなり違うけど、それでも、いい練習になるんだよ」
「 ・・・すごいわね」
四本松は心底感心していた。テニス部に負けず劣らず、女子バスケ部も、春の大会で
は大活躍だった。
惜しくも優勝はのがしたものの、見事に準優勝を飾り、2校が出場できるインターハ
イに向け、大きな自信となっていた。
実際のところ、それは優美の働きが大きかった。そして、それを支えていたのは、こ
う言った努力の賜物なのだろう。
四本松はそう理解した。
だが、優美の次の言葉に、将と四本松は驚かされることとなる。
「あ! そうだ。将くん、優ちゃんもやっていかない? 3ON3。
面白いことは知ってるよね」
「え?」
「いいっ!?」
なんと言い返そうか、悩む将と四本松だったが、優美がこうなると、何を言っても聞
かないことを知っているので、あっさりとあきらめた。
「はい、はい」
「お手柔らかに」
ときめく時の中で(178)
NEXT GENERATION(16)
「なんで、こんな事になったのかなあ?」
自分の靴ひもを縛りながら、将は独り言をこぼした。
ふと見上げると、その先には買ったばかりのヘアバンドをつけながら、四本松が優美
に話しかけていた。
「全くもう、優美ちゃんったら、いつだって突然なんだから。今日、スカートで来てた
ら、どうするつもりだったの?」
四本松は、活動的な普段着を好む。その理由は、本人の言うところの、「小さな頃は
ひらひらした服しか、着せられなかったから」というところにあるらしいのだが、とも
かく、今日も、それに習うかのような、ショートパンツだった。
だが、それでも、運動をするには適当とは言えないがため、優美にそう言ったのであ
る。
「大丈夫、大丈夫。そんなに激しくはならないから、それで充分だよ」
優美はそう言うのだが、多少、四本松は不安ではある。
「おーーい、ユミィ。そっちのメンバー、準備はいいのかい?」
そう呼び掛ける声に、優美は振り替える。
「うん、OKだよ。ユミィの秘密兵器を見て驚くなよ」
「ユミィ? 秘密兵器?」
優美の口から漏れ聞こえた、意外な単語に将は首をかしげる。それを見た四本松が、
将に言った。
「こういうのにも、きっと独特の世界があるのよ、きっと」
「この場だけの名前とか?」
「そ。ここは優美ちゃんの言う通りにしたほうがいいようね」
「うーーん。そうかもね」
将は苦笑いを浮かべ、(こりゃあ、完全に開き直るしかないな)と内心で思った。
「うおお! すげえジャンプ力!?」
「動きはめちゃくちゃだけど、何だかすごいぜ、あの二人」
優美、四本松、そして、将のチームはハーフコートの中での注目を浴びていた。
とにかく、将のチームは派手だった。昨年の文化祭の時のまま、オフェンス中心の試
合は、激しい点の取り合いとなってしまうのである。
優美が入っている分、ディフェンスは強いのだが、組織だったプレーは望むべきもな
く、結局は点をとられてしまう。
だが、それ以上に、点を取るため、歓声が湧くのである。
将も四本松も、バスケットの経験こそわずかではあるが、それ以上に、テニスの練習
によって備わった運動能力、身体能力があった。
四本松のロングパスを受け、片手でダンクシュートを決める将に、歓声が沸き起こる
のも、ある意味当然なのかも知れない。
将達のチームは周囲の注目を集め、数試合を消化したのだが、さすがにバスケットに
関しては素人も同然であり、当初のうちはまだ何とかなっていたが、次第に勝敗は二の
次と言うことになってしまった。
それでも、そこでの数試合は、将と四本松にとっても新鮮で、いい気分転換になった
ことは間違いがない。
また、飛び入りとは言え将達の見せたパフォーマンスは、まわりの者からも、好意的
に受け入れられた。
「そうかあ、テニスをしてるのか。あのフットワークはそっから来てるんだね」
「なるほど、ユミィが飛び入りさせるわけだ」
「気が向いたら、またおいでよ」
そんな声に送られて、将達はハーフコートから離れ、日陰で休む。
「ふあー! せっかくの休みに疲れちゃったよ。明日の練習に響くかもな」
「でも、私は面白かったよ」
将の感想に四本松が答える。そこに優美がうれしそうな声で言った。
「やっぱり、将君と優ちゃんはすごいなあ。今からでも遅くないから、バスケ部に来な
い? 絶対、良い戦力になるから」
いったん、四本松のほうに顔を向けた後、苦笑いを浮かべながら将が答える。
「早乙女こそ、今からテニス部に来ないか? 戦力になることは俺が保証するぜ」
その言葉に、しばらく呆気にとられてしまった優美だったが、やがて、クスリと笑い
ながら首を振る。
「ああ、そうだよね。これは優美のほうが、しょうがない事言っちゃったみたいだね。
今のはなし! ね?」
「ああ」
将が答えるのを見て、四本松が優美に聞いた。
「ところで、優美ちゃん?」
「なあに?」
「ずいぶん、ここに馴染んでいるようだけど、いつごろからここに来ているの?
私、全然知らなかったな」
「へへへ。ここに来はじめたのは、3月ごろからだよ。
部活が休みのときに、時々来るぐらいなんだけど、なかなか参考になるんだ」
「早乙女って、意外と勉強家だったんだな」
「ああ、将くん、ひどい! ぶーーっ!」
「ははは、ごめん、ごめん」
将が笑いながら謝るが、早乙女の表情に陰りがさした。四本松がそれに気づく。
「どうしたの? 優美ちゃん?」
「 ・・・でも、本当のところはね、優美、その頃、めちゃくちゃ落ち込んでてね。
家にいても暗くなっちゃうばっかりだから、ともかく外に出ようとして、ここに来た
のがきっかけなんだよ」
「そうか」
「そうなの」
優美が落ち込んだ原因が判るため、将も四本松もそう言うしかなかった。
「ははは。なんか、そんな風に言うと暗いけど、今は全然元気だよ。
二人とも、そんな顔しないでよ」
そう言われ、自分達がどんな表情をしているのかと、将と四本松は顔を見合わせる。
だが、それが優美なりの気の使い方だと判ったため、3人は笑いはじめる。
「そうか、そうだよな。
早乙女、今日はありがとう。楽しかったよ」
「私もよ。優美ちゃん」
「うん。よかったら、文化祭の時、またやろうね。和人を加えて」
「ああ、それもいいな」
「和人くんは嫌がるだろうけどね」
嫌がる和人の表情が目に浮かび、3人は苦笑いを浮かべた。
ちょうど同じ頃、虹野は大型のショッピングセンターに来ていた。
日常の食品を買うためだけなら、近所のスーパーマーケットでも、充分間に合うのだ
が、こういうところに来ると、今まで見たことのない、変わった食材を見つけられたり
するので、多少遠出にはなるが、休日などにはよく来るのである。
「ふーーん、こんな果物があるんだ。どうやって、食べるのかなあ?」
等と言いながら、売り場を歩く。
そんな時だった。
「お父さん、実ったらこんなのが欲しいなんて言うだよ」
「なんだ、そりゃ?」
「お菓子に決まってるよ」
「そうか、まあいいじゃないか、買ってあげれば」
「お父さんは実に甘いよ」
そう言った会話が聞こえてきた。それはこう言った場所ではよく聞かれる類の会話な
のだが、問題はその一方の声に聞き覚えがあったことだった。
「あれ? 松島くん!?」
そう呼ぶ声に振り返ったのは、虹野が言った通り、松島だった。
「あ、虹野さん?」
松島の横には二人の人物がいた。
一人は中年と言うにはやや若い男性であり、もう一人は小学校低学年、いや小学生に
なり立て、といった感じの男の子だった。
その年長の男性が、松島に小声で言った。
「にじの、さんって、あの虹野さんか?」
その声に松島は、顔を赤らめるのだった。
ときめく時の中で(179)
NEXT GENERATION(17)
「にじの、さんって、あの虹野さんか?」
松島にとって幸いだったのは、その言葉がとうてい虹野に聞こえるはずもないほど、
小さな物だった事だろう。
実際、虹野には何も聞こえなかったが、赤面した松島の表情に、疑問が生まれるのも
無理のないことだろう。
松島に何事かささやいた男性は、年で言うなら30代前半ぐらいに見える。
背が高く、甘いマスクの持ち主で、黒い髪を下ろした髪形のせいもあり、そう見える
のであって、実際にはもう少し年齢は上かも知れない。
先程の会話で「お父さん」と呼ばれていたが、どちらにしても、高校生の子供がいる
ようにはとても見えない。
その脇、その「お父さん」の膝に手をかけ、半ば隠れるようにして、虹野を見つめる
子供は、小学校に上がったか上がらないくらいの男の子で、いかにも柔らかそうな髪を
した、目のくりっとした愛らしい顔だちの子だった。
反射的に松島の名前を呼んだものの、こう言った場合どうしたらいいのか、虹野は悩
んでしまった。と言うより緊張してしまった。と言うべきかも知れない。
それを見兼ねたように、父親が優しい声で口を開く。
「虹野沙希さんですね?いつも、悟がお世話になっています。 ・・・いや、家族一同と言
うべき何でしょうか?」
「?」
疑問の表情を浮かべる虹野に、父親は続ける。
「実はですね、悟が作るお弁当のレパートリーが広がったのは、虹野さんのおかげだと
聞いているんです。
お弁当作りが楽になったと悟も喜んでいるんです。常々、お礼をしなければと思って
いたんですよ」
「い、いえ、そんな、私のほうこそ、松島くんにはいろいろ教えてもらってますから」
そうやってお礼を言われるような事をしたとは、全く思っていない虹野は慌ててしま
う。
「あまり、ご無理は言えないのですが、気が向いたらで結構ですので、悟の事、よろし
くお願いします」
「お、お父さん! そんな勝手なお願いしたら駄目だよ! 虹野さんだって迷惑するだ
ろ!?」
松島が、慌てて父親を制する。
それを見て虹野がにっこりと微笑む。
「あ、私のほうこそ、松島くんのお世話になっていますから、これからもお世話になる
と思いますので、よろしくお願いします」
妙な偶然で出会った、虹野と松島一家だった。
あいさつと多少の会話を終え、虹野はその場を離れる段になって思い出した。
(そう言えば、松島くん、お母さんが・・・ 、それでお買い物だったのね。
あの小さな男の子が実くんなのか。ハンバーグが好きでお魚が駄目。と言うことは、
すり身のハンバーグなんかにすればいいのよね)
買い物の後、家路を歩きながら、新しいメニューを考える虹野だった。
その頃、松島親子は、ちょっとした口論になっていた。と言っても、一方的に松島が
父親にくってかかっている、と言うべきなのだが・・・。
「おい、悟。何を怒ってるんだ?」
「決まってるだろ! お父さんが、虹野さんを食事になんか誘うからだよ!
虹野さんに変に思われたじゃないか」
「そうか? お礼にそのぐらいの事したって、別に変じゃないだろう?」
「お父さんぐらいになればそうかもしれないけど、やっぱり、変だと思われたよ」
「うーーん、そうか? せっかく、虹野さんと一緒にいる機会を増やしてあげようと言
う、親心だったんだがなあ」
「な!? 何を言ってんだよ! 変な気はまわさないでよ」
「おにいちゃん、あの人が好きなの?」
「実は黙ってろよ!」
弟の実に、ストレートに聞かれ、松島の声のトーンが上がる。
父親はその様子を見て内心で思わずにはいられなかった。
(大人びていると思っていたんだが、こうして見ると、悟もまだまだ子供だったんだな
あ)
週の半ばの水曜日、本郷南が将のところに来たのは、練習が終わって帰る間際になっ
てからのことだった。
「なんだ?」
「あ、あの、その・・・ 」
「おいおい、南らしくないな。聞きたい事があるんじゃないのか?」
将にそう言われ、本郷も意を決したように口を開いた。
「間違っていたらすいません。けど、最近、将先輩、なにか考えごとをしているような
気がしてならないんです。
そりゃ、いろいろなことがあったから、考え込むのも判るんですけど、何か違うな、
と思えるんです。何だか、今までとは違うような気がしてならないんです。
何かありましたか? やっぱり、詩織先輩のことですか?」
将はいかにも困ったような表情で、髪をかきあげる。
「やれやれ、南には驚かされるなぁ」
「やっぱりそうなんですね?」
「半分あたりで、半分外れと言うところだな」
「?」
困惑した表情の本郷を見て、将はゆっくりと続ける。
「つまりな。今はいいんだよ。インターハイに向けて集中すればいい。
詩織・・・ 藤崎先輩のことや、みんなに期待され、協力してもらうことは、正直言って
重荷になっていることは、あるにはある。
だけど、それ以上に、頑張れるんだ。みんなの思いが自分の力になっていくことが判
るんだよ。
だけど、インターハイが終わったら、その先に何があるんだろう?
それがどうにもピンと来ないんだ」
「 ・・・あの、それって、どういう意味なんです?」
本郷に顔を向け、将は続ける。
「なんて言うのかな? いつまでも、このままではいられないだろ? インターハイが
終われば、みんな、それぞれの道を選ばなけりゃならない。
その時、俺はどうすればいいんだろう。なんて、ふと思っちゃったのさ。
藤崎先輩が卒業するまでは、先輩の背中を追い掛けていたような気がする。今はみん
なが後押ししてくれているような気がしている。
だけど、俺一人で何が出来るのか、この先どうなるのか考えると、漠然とした不安み
たいなのがあるんだよ」
本郷はなんと答えればいいのか悩んだ。自分にはまだ1年の猶予がある、そのため、
今の将に対しては、何を言っても的確なアドバイスになり得るとは思えなかったのだ。
さんざん悩み、本郷は全く意外なことを口にした。
「なら、詩織先輩を振り向かせてみたらどうですか?」
「なに?」
今度は将が何と言っていいのか悩む番だった。そんな将にかかわらず、本郷は続け
る。
「今からだって、遅くはないですよ。君本さんはイギリスだし、詩織先輩だって、将先
輩のことを嫌ってはいないからこそ、コーチになったんだから、先輩にはチャンスがあ
ると思います。どうです?」
本郷の表情は、将を気遣うようなものだけではない、好奇心のような成分が含まれて
いた。
「南、おまえ、それ本気で言ってるのか?」
将の口調は厳しいと言うより、すでに怒気さえ含んでいた。それが判った本郷は慌て
た。
「あ、その、そう言うわけじゃ・・・ 」
「だったら、そんな事、俺の前で口にするな。
状況がどう変わったとしたって、俺は、俺なりに出した結論を後悔してない。
どういうつもりかは知らないが、そんな事を2度と言うな!」
将の静かだが、気迫のこもった迫力に、本郷は震え上がった。
「あ、あの、すいません。余計なことを言って・・・ 」
大きくため息をついた後、将は気を静めてから言った。
「いや、俺のほうこそ、つい感情的になってしまったな。悪かった」
「いいえ、いいんです」
「ただな、あの二人の間に、俺の入り込める余地なんか、もう、ないはずだよ。
俺はそう思うんだ」
「将先輩・・・ 」
本郷にはそれ以上、何も言えなかった。
その同じ頃、帰宅した詩織は、パソコンのスイッチを入れた。
カラーの画面が現れ、マウスを動かして、通信ソフトを始動させる。
モデムが電子音を鳴らし、センターと接続する音が続く。
画面に文字が流れ、いつもの一文が表示される。
ようこそNIFTY-Serveへ
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前回LOG OUT 9x/05/xx 19:15:58
−−メールが1通届いています(未読分1通)−−
それは最近、毎日の習慣となった、君本からの電子メールだった。
オートパイロットで流されていく文字を読みとることは難しかったが、それが詩織に
は分かる。
本当なら嬉しいはずなのだが、この日は、自分でもよく判らない感情に彼女自身戸惑
っていた。
そして、画面に向かって、ほとんど無意識のうちに語りかけていた。
「会いたいよ。トシくん・・・ 」
ときめく時の中で(180)
NEXT GENERATION(18)
詩織は君本からの電子メールを読む。
ここ最近、毎日の習慣になっていることである。
「やあ、詩織、元気かい?
こちらの方は相変わらず、英会話に悪戦苦闘しているという毎日だよ。
なんて、言ってばかりもいれないよな。
いまだにケイトが、先生がわりだ。
なかなか厳しいぞ。ケイト先生は(^_^;)
今度の日曜日、ウェールズとイングランドのサッカーの試合を見に行くこと
になった。
なんて言っても本場だからな。楽しみだよ。
結果とか詳しいことは、またな。
ああ、そう言えば、今週は詩織の誕生日だったな。
プレゼントは航空便で送るよ。
じゃあ、また明日。
人思 」
君本は、それほどタイピングが早いと言う訳ではない。
コンピューターそのものの扱いに、慣れているわけでもない。
短い文章だが、これだけ書くのにどれほど君本が苦労しているか考えると、詩織とし
ても、ほほえましく思えてくる。
そして詩織は返事を書き始める。
「おはよう人思くん。お元気そうね。
私はとても元気よ。
さすがのトシくんも、英会話には苦労させられているみたいね?
>>なかなか厳しいぞ。ケイト先生は(^_^;)
そうね。トシくんがたじたじになるぐらいなんだもんね。
>>今度の日曜日、ウェールズとイングランドのサッカーの試合を見に行くこと
それは、楽しみね。
でも、”フーリガン”だったわよね。ニュースでよく聞くわ。
ちょっと、荒っぽいって言うから、すこし心配だわ。
でも、トシくんなら大丈夫よね。
私の誕生日に、トシくんが居ないのは初めてだね。
イギリスじゃしょうがないかな。
・・・でも、会いたいな」
そこまで書いて、詩織は首を振り、その部分を消す。
「駄目よね。こんな事書いちゃ。トシくんに心配かけちゃうもん。
そんなに簡単に会える訳じゃないんだから」
詩織はそう思って、その一文を消した。
だが、それは紛れも無い、詩織の本心だった。
きらめき高校テニス部では、詩織の誕生日プレゼントを送る事になった
全くの善意でしてもらっている、コーチのお礼も兼ねている。
連尺は決して強制はしなかったが、2.3年生はもちろん、1年生の一部までその考
えに参加した。
一人一人の出す金額を抑えたので、それほど高価な物を贈れるわけはないが、あまり
金額がはっては、かえって詩織が困ってしまうだろう。
そんな事もあって、金額を抑えるようにして、そのプレゼントは女子部員が相談し
て、買いにいった。
詩織の誕生日当日の練習前、松島は将を呼び止めた。
「吉野先輩」
「ん? 何? 松島くん」
「藤崎先輩へのプレゼント、結局なんになったんです?」
「うーん。詳しいことは知らないんだけど、服になったらしいよ」
「そうなんですか。 ・・・で、練習が終わった後に渡すんですか?」
「そういう事になっているらしいね。連尺が代表して渡すらしい」
将の返事を聞いて、松島はうなずいたが、その表情に物足りなさそうなものを感じ、
将は冗談めかして言った。
「俺が渡した方がいいかな?
でも、それであらぬ噂が立つと、先輩に迷惑がかかるんで、やめたのさ」
それは松島にとって十分すぎるほど意外な言葉だった。
呆気に取られる松島に、将は笑いながらその肩を叩く。
「おいおい、冗談だってば。本気にするなって」
将はそう言って、練習に向かった。
その背中を見送りながら、松島は思った。
(先輩、吹っ切れたのかな)
練習後、テニスコートで、連尺は詩織にプレゼントを手渡した。
「お誕生日おめでとうございます。
これは部員全員からのプレゼントです」
こんな事態を全く予想していなかった詩織は、喜びと共に、驚きの表情を浮かべる。
「私に? わあ、うれしいな」
プレゼントを受け取る詩織の姿を、やや遠くから見ながら、四本松はその脇に立つ将
に言った。
「喜んでもらえたようね?」
「ああ。そうだね」
「将くんは、もう贈ったの? プレゼント」
「いや、贈ってないよ」
「え? なんで?」
「なんでって、クラブで贈るから、それでいいだろ?」
「そりゃ、そうだけどね」
四本松は、安心したような、それでいて不思議そうな顔をした。
実のところ、将も個人的にプレゼントを贈ろうかどうか悩んだ。散々悩んで、結局、
贈るのはやめた。
迷惑だとは思われないだろうが、それでも、君本と詩織の間に波風を立てるような事
になりはしないかと、気を回したのである。
(ま、そんな事になりはしないだろうけどね)
将がそう思った時、コートがざわめいた。
「ちょっと、あれ!?」
「うそ、どうして?」
そんな声と、視線が集まる先に「彼」はいた。
その「彼」の方に視線を向けた詩織は、身を震わせて思わず言葉を漏らした。
「ト、トシくん?」
コートの金網越しに立っていたのは、紛れもない君本だった。
「トシくん、どうして、どうしてここに?」
君本に駆け寄り、詩織は君本に聞いた。
「誕生日プレゼントは航空便で送るって、メールに書いただろ?」
「いつ? いつ帰って来たの?」
「本当に、今日帰ってきたばかりだよ。日本について着いて、家に帰る前に詩織の家に
電話したら行ったら、まだ、ここにいるだろうって事で、直接ここに来たわけさ。
通り道だからね。
それに、ちょうど荷物持ちが欲しかったようだね」
そう言って、君本は詩織が持っていた、大きめの箱を指さす。
「うん。これ、テニス部のみんなが私にって・・・ 」
「そうか、俺もいろいろ考えたんだけど、飛行機のチケットでとんじゃったから、あん
まり大したもん用意してないんだ。ごめんな」
「ううん、いいの。いいのよ、そんな事は」
詩織の声は、すでに半分涙声になっていた。
その光景を見た将は、フッと笑いながら思う。
(ほらな。心配するまでもないんだよ。あと、問題は俺の方か)
将がそんな事を考えていると、君本が大きめの声で言った。
「みんな、インターハイ目指して頑張れよ!」
それは表向きはテニス部全員に向けて言ったものだったが、その視線は紛れもなく、
将に向けられていた。
将は、その視線に答え、ゆっくりと、力強くうなずくのだった。
−−−−−−−−−−−−− NEXT GENERATION 終−−
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