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ときめく時の中で総集編 第9集 1
ときめく時の中で(121)
このときめきは忘れない(1)
「一度、こういうの、やってみたかったのよね」
真っ赤なドレスをまとった美里が、将、和人を両脇に従えながら微笑んだ。
ここは伊集院家主催の、クリスマスパーティー会場である。
和人は伊集院家と直接かかわりがないので、来る気はなかった。将にしても、元城か
ら招待券を手に入れることは出来たのだが、同じく来る気はなかったのである。
だが、二人とも美里に引っ張られた格好となっていた。
どうやら美里は、昨年のこのパーティーで、将が伊集院に追い返されたことが、よほ
ど腹に据えかねていたらしく、自分のコネを活用して招待券を手に入れ、その敵討ちに
来たという訳である。
大人げないと言えばそれまでなのだが、「親馬鹿」と言う将の声にも「親馬鹿で悪い
か」と開き直る始末だ。
それで和人はと言うと、これは美里の趣味と言うか願望のようである。
それが証拠に、将と和人は、タキシードを身にまとっている。将が深い紺色、和人が
限りなく黒に近い緑。
二人とも、かなり際だつ容姿の持ち主であり、その二人が赤いドレスの美里の両脇に
立つという図は、会場の注目を集めることとなった。
「美里さん、喜んでるでしょ?」
和人が小声で聞いた質問に、ご丁寧に羽根造りの扇子で口元を隠しながら、美里は答
える。
「当ったり前でしょお、有閑マダムってね。これがいいんだ」
「あのねえ」
思わず将は頭を抱えた。
「あれぇ?将くんに、和人ぉ。ずいぶん決めてきたのね?」
突然、そう言った声に、和人は答える。
「なんだ、早乙女。来てたのか?」
「優美だけじゃありませんよぉ。優ちゃんと一緒に来てるんだから」
将がそこに加わる。
「四本松も?・・・四本松は元城先輩からだとして、早乙女はどうやって、招待券手に入
れたんだ?」
「お兄ちゃんからだよ」
「・・・ふう、なるほどね」
何がなるほどなのか判らないのだが、将は納得したようにうなずいた。
そんな将に、優美が美里のことを聞く。
「あの、将くん、この方は?」
将はそれに答える。
「何言ってるんだよ。一度会ってるだろ?」
優美はそう言われて、首を傾げる。
「エーー、いつぅ?」
そんな会話を見て、美里が将に聞いた。
「こちらのかわいいお嬢さんは、どなた?」
「えへっ、かわいいだなんて、優美照れちゃいますーー」
その様子を見た和人が、ハン!と鼻で笑う。
「あによ?その笑いは?」
「いや、別にーー!」
「将くんはともかく、和人なんか、馬子にも衣装じゃないか!?」
「おお、難しい言葉知ってますね、優美ちゃん」
「くーー!なんかむかつくーー!!」
そんな二人を、将が止めに入る。
「まあまあ、二人とも、そこら辺にしておけよ。
お母さんは、早乙女の顔を憶えている暇なかったか。
早乙女も、そっちまで気がまわらなかったかな?・・・うん、早乙女、改めて紹介する
よ。これは、俺の母親で、吉野美里。
母さん、こちらはクラスメイトの、早乙女優美さん」
紹介され、優美は慌てて頭を下げる。
「はじめまして、早乙女優美です」
(はじめましてじゃないんだけど。まあ、いいか)
などと、将が考えていると、突然、優美が言った。
「お、お母さん?お母さんって、お母さんのお母さん?」
(何を言ってるんだか)
和人は右の手の平を、自分の額に当てた。優美はそれを見て、言葉をつなげる。
「だって優美、将くんのお姉さんかなって思っちゃったんですう」
「聞いたかい、将?お姉さんで通じるのは、藤崎さんだけじゃないよ。やっぱりまだま
だ、私も若いねえ」
「え?藤崎先輩、将くんのお母さんを、知って・・・ご存じなんですか?」
優美がそう言ったのを受けて、将が答える。
「え?ああ、以前にね」
「ふーん、そうかあ。将くん、もう藤崎先輩をお母さんに紹介してたのかあ・・・」
「おいおい、ちょ、ちょっと待てよ、早乙女。お前、なんか勘違いしていないか?
大体、早乙女だって、一度会ってるって言ってるだろ」
焦ったように言った将に、優美は答える。
「えーー、いつ?」
「だから、俺が・・・」
将がそう言いかけたところに、別の人物が声をかけてきた。
「うわーー、将くん、決まってるねぇ」
「四本松、・・・それに藤崎先輩」
その声に顔を向けた将の視界には、四本松と詩織がいた。
「あらー、お久しぶりね、藤崎さん」
美里が将の身体の影から、半分身を乗り出して、詩織に言った。右手を開いたり閉じ
たりしての挨拶は、まるで友達同士のようである。
「あ、お久しぶりです。お母さま」
「ひやーー、お母さまだって」
「あ、あのなあ、早乙女」
将の苦悩をよそに、女性陣の会話が一気に盛り上がる。
「お久しぶりです。吉野さん」
「え?優ちゃん、将くんのお母さん知ってるの?」
美里にあいさつをした四本松に、優美が聞いた。
「ほら、”あの時”将くんと一緒にいたじゃない」
四本松が言う、”あの時”とは、将が柔道部壊滅事件で、処分を受けた時の事であ
る。
それを思い出して、優美も思い出したようだ。
「あ!あの時ね。優美、全然、そこまで気がつかなかったなあ」
四本松が、その時を思い出したように言った。
「あの時、将くんのお姉さんってきれいな人だなあ。って思っちゃった。
まさか、お母さんだとは思わなかったのよ」
詩織がそれに続く。
「優ちゃんも、そう思う?私もそう思ったんだよ」
「優美も、そう思いましたあ」
「いやあ、そう言ってもらえると、お世辞でも嬉しいわよ」
「お世辞なんかじゃありませんよ」
「そうですよぉ」
「そう?ありがと。それにしても、あなた達を見ていると、将のまわりには、かわいい
女の子ばかりのような気がするわね」
「そんな、かわいいだなんて」
合唱となった声を聞いて、将は再び頭を抱える。そんな将に和人が言う。
「将」
「なんだよ?」
「こりゃあ、新学期になったら・・・」
「頼むぅ!それ以上言うなあ!」
半ば涙目になった将が、和人にしがみついた。
「なんか、あそこ異様に盛り上がってるなあ」
将達の会話が交わされている場所から、やや、離れた場所で見ていた早乙女好雄は、
傍らに立つ君本にそう言った。
「タキシードのツープラトンは反則だよな」
コーラの入ったグラスを傾けながら、君本が答える。
「ま、いいじゃないか」
「何がいいんだよ?」
「トシは、藤崎があっちに行っちゃったから、面白くないんだろ?」
「そんなんじゃねえよ」
「まあ、隠すな隠すな。俺とお前の仲じゃないか」
心底、嬉しそうな好雄に対して、面白くなさそうな表情で、君本が答える。
「なあ、好雄」
「ん?なんだ?」
君本は無言で好雄の後ろを指さした。
「なーに話してんのよ。よっくん?」
「うわ!朝日奈、いつの間に!?」
「いつの間にじゃ、ないっしょ?さっきから呼んでるのに。
ああ、トシくん、よっくん借りてくわよ」
「ああ、ご自由に」
その表情が陽気なものへと変わっていた君本の返事を待たずに、朝日奈は好雄の手を
取り、どこかに引きずっていった。
(どこからどう見ても、ナイスカポオだと思うけどなあ)
そんな事を呆然と考えていた君本の背後から、声をかけた者がいた。
「あの、君本、人思、さんですね?」
振り向いた君本は、その少女に見覚えはなかった。
「ええ、君本ですが、どちら様でしょうか?」
「これは、申し後れました。私、古式、ゆかり、と、申します」
ときめく時の中で(122)
このときめきは忘れない(2)
伊集院家のクリスマスパーティーで、君本と話していたところを、朝日奈に中断さ
れ、さらに、半ば強引に連れ去られた格好の好雄は、朝日奈の手から力が抜けた頃を
見計らって、その手を振りほどき、指差しながら聞いた。
「何だよ?何の用だ?ひな」
「いやあ、特に用って用はないんよ」
「はあーーあ?」
ほとんど埴輪顔になった好雄は、そんな間の抜けた声をあげる。
「用も無いのに、俺を引っ張って来たのかよ?お前は?」
「メンゴメン。用があるのは、トシ君なんよ」
両手を顔の前であわせ、謝りながら言った朝日奈の言葉に、好雄は首を傾げる。
「ひな」
「はい?」
「説明、してくれるよね」
「エヘヘヘヘ・・・。はい」
朝日奈がした説明は、好雄にとって、意外な話だった。
「古式さん?・・・古式ゆかりか。ちょっと待てよ」
そう言った好雄は愛用のメモ帳を取り出す。
「よっくん、こんな時まで、メモ持って来てるの?」
「当ったり前だろうが。情報収拾のチャンスが、こんなにたくさん転がっている場所な
んだぜ」
メモのページをめくりながらそう言った好雄に、朝日奈はやれやれと言った顔で、首
を振る。
「あった、あった。・・・うーーーん。やっぱり、古式さんとトシの接点なんて、お前し
かいないぜ。ひなが知らないのに、俺が知る訳ないだろう?」
「そうかあ、よっくんの情報網でも掴めないかあ。ゆかりんたら、一体、どうしちゃっ
んだろう?
突然、トシ君を紹介して、って言うなんて」
「古式さんがねえ・・・。ちょっと待てよ、古式さんって確か・・・」
そう言って、好雄は再びメモのページをめくる。
「やっぱり」
「ん?何々?」
「古式さんって、2年の吉野将に、好意を持ってるはずだぜ」
ウインクをして自慢げに答えた好雄だったが、朝日奈はそれほど感心したようではな
かった。むしろ、ほんの少しだがあきれた表情になっていた。
「もーー、何言ってるのよ?そんな事、知ってるわよ。だけど、ゆかりん、吉野君が藤
崎さんを好きなのを知ってなのか、見守ってるだけなんよ。
だから、トシ君を紹介してと言われた時、ああー、ゆかりんも吹っ切れたかな?と思
ったのよ。
まあ、相手が、”あの人”だとは、ちょっと意外だったけど」
「気になるの?」
「ば、なーーに言ってるのよ」
朝日奈は、軽く拳で好雄の右肩を叩く。小さな声と共に。
「たくーーっ、自分の事に関しては、全然うるばかなんだからあ」
「え?なんだって?」
「え?な、なんでもないよ」
「小声でなんか言ったよ。ま、どうせ、俺の悪口かなんかだろ」
「ま、まあ、いいじゃんか」
「はいはい、どうせ、そうでしょうよ、わかったよ・・・。
話し、元に戻るけど、そう考えてみると、古式、吉野、藤崎、君本というラインが、
一応出来る訳だ」
メモに何事か書きながら、好雄は言った。
「それはそうだけど、これが、どうつながるのさ?」
「そこまではちょっと判んねえよ」
「だよねぇ」
「ふーん」
「ふーん」
二人はそう言って悩んだ(ふり?)。
「古式さんて、古式不動産の古式さん?」
「はい、古式不動産は、お父様の、会社です」
スツールに腰を掛け、君本と古式は話し込んでいた。
話し掛けて来たのは古式だったのだが、取り立てて用と言うべき物はなく、取り留め
もない雑談に終始していたのである。
「そうかあ、あそこはバブルがはじけても、大丈夫だったみたいだね?」
「私は、そういった事には、あまり、詳しくないのですが、お父様も、自分の経営方針
は、間違っていなかったと、常に、聞き及んでおります」
「それじゃ、借金なんかもなくて、健全経営か。
古式さん、お金持ちなんだ」
「いいえ」
「へ?」
「確かに、古式の家は、多少の資産は、ありますが、それは、お父様や、お母様のもの
で、私は、ごく普通の、高校生ですよ」
にっこりと微笑み、首を傾げるその表情には、いやみなどと言った物はなく、素直な
考えだと言う事が君本にも判った。
「そうだよね。古式さんは、普通の女の子なんだよね」
「はい」
それからしばらくの間、二人は本当にたわいもない雑談をしたのだが、頃合を見計ら
うかのように古式が立ち上がり、丁寧に頭を下げる。
「それでは、私は、これにて、失礼いたします」
「え?ああ、そうですね」
(言葉のペースが移っちゃったよ)
そんな事を考えながら、君本は、それに答えて頭を下げた。
古式が立ち去った後、好雄が戻って来て、君本に聞いた。
「なあ、トシ。古式さん、何の用だったんだ?」
「いや、それが、どうもよく判らないんだ」
「ひなも、よく判らないと言ってた」
「・・・ああ、朝日奈さんの用って、そう言う事か・・・」
「まあな、あいつも意外と世話好きっちゅーか、おせっかいちゅーか、こまめに動くか
らなあ」
「それは、お互い様なんじゃない?」
「・・・?そりゃ、どういう意味だよ?」
「ま、それは、ご想像にお任せするけど。・・・ひな、・・・ねえ」
そう言ってニヤリと君本は笑った。
好雄はそれをみて、明らかに慌てた。
「こ、この、殴るぞ」
「ま、良いんじゃないんですか?」
「くーー、なんか、むかつくーー」
こういう時、優美と同じ台詞をいうところなどは、本当に兄妹である。
そのころ、将のいる所に、伊集院がやって来た。
正確に言うと、通りがかっただけなのだが、美里はその姿を、それまでとは違う、真
剣な表情で見ていた。
「なに、怖い顔してるの?」
将の問いかけに、美里が答える。
「あの子が、伊集院レイ・・・くん?」
敬称の言い方に違和感を覚えた将は、美里の小声で聞いた。
この辺りは、永年一緒に暮らして来た親子の呼吸である。
「判った?」
「私も長い事、仕事して来たからね。商売柄・・・、将、あなた知ってるの?」
「うん、夏合宿の時ね」
「・・・そうなの。事情は判らないけど、あの子も大変なんだねぇ」
「敵討ちは良いの?」
「うーーん。まあ、良しとしておきましょう」
そんな二人に、詩織が話し掛ける。
「なにをお話してるんですか?」
「ううん、なんでもないの」
そう言った美里に、額に手を当てながら将が言った。
「やめろって」
「私じゃ、似合わないって言うの?」
「はっきり言って欲しいの?」
「首を締めるわよ」
「締めてから言うなって」
そんなふたりのやり取りを見ながら、詩織は思った。彼女だけではない。その場にい
た、他の者も同じ様に思った。
(親子だなあ・・・)
ときめく時の中で(123)
このときめきは忘れない(3)
伊集院家のクリスマスパーティーも、プレゼント交換を終え、招待客の多くが帰りは
じめた頃、会場の隅で古式と連尺が何事か話していた。
「君本さんに会ったんですか?」
「はい。どういう、お方か、この目で、確かめたいと、思いまして」
古式の今回の行動の素早さが、意外に感じた連尺は微笑む。
「それで、どんな印象でしたか?」
「なかなか、素敵な、お方、ですねぇ。・・・もっとも、将くんには、かないませんけど」
にこやかに笑いながらも、自分の感想をはっきり言う古式である。
連尺は、多少、面食らってしまった。
「それで、これからどうするつもりなんですか?」
連尺の問いに、古式は右手人指し指を顎に当てて、小首をかしげる。
「さて、どうしましょうか?」
古式の言い方は、彼女にしては珍しく、はぐらかしたような言い方だった。連尺はそ
れに気づきはしたが、古式に任せると言った以上、さらに聞くことは出来ない。
「お願いしたからには、全て、ゆかり先輩にお任せいたします。よろしくお願いいたし
ます」
「はい、判りました」
やはり、にこやかに微笑みながら古式は答える。
「未緒ちゃんと、こうして歩くのも久しぶりね?」
「そうね、優ちゃん、部活、頑張ってるものね」
パーティー会場で、久しぶりに会った如月と四本松は、帰り道を一緒に歩いていた。
「テニス、本当に頑張ってるものね。活躍は聞いているわよ」
「そんな、まだまだよ。本当に、上手な人、いっぱいいるもの。未緒ちゃんこそ、書い
ていたお話が、コンテストの最終選考に残ったって言う話じゃない。そっちの方がすご
いと思うな」
「こんな事が出来たらいいな、あんなことが出来たらいいな、と言う願望をお話にした
だけなのよ。
それが最終選考に残るなんて、私の方が驚いているぐらいなんだから」
如月の言葉に、四本松は、夜空を見上げながら答える。
「その方がすごいよ。私、作文となるとさっぱりだから、そんな物語を作れるの、すご
いと思うなぁ」
「・・・私は身体が弱いから、優ちゃんのように運動できるのが、すごいと思うわよ」
「・・・」
「・・・」
二人は沈黙した後、顔を見合わせて笑った。
「なんだか、二人ともないものねだりしてるみたいね?」
「そうね」
笑いが収まった頃、如月が四本松に聞いた。
「それで、どう?自分というものが見つかった?」
それは、今年の春、四本松が如月に言ったこと。自分を見つけたいと言った、四本松
の言葉に対する問いかけだった。
「うーーん、どうかな?まだまだ、テニスに追われまくってるってところかな?
自分をどうこう言えるような状況じゃないわね」
「そうなの・・・。じゃあ、・・・吉野くんとは?」
四本松は、苦笑いを浮かべながら首を振る。
「もう、全然よ。あくまでも同じテニス部って事だけ、それ以上はなんにもよ。
それに将くんは、詩織先輩のことが・・・。
・・・でも、今はそれでいいの。最初から判ってた事だもの」
「そう、・・・優ちゃんはすごいな。着々と自分の目標に向かって進んでいくんだもの」
「やめてったら、そんな立派なものじゃないんだから。
未緒ちゃんの方こそどうなの?その後、好きな人とは?」
四本松にそう言われて、如月は口ごもり、うつむいてしまった。
心配げに四本松が聞いた。
「ど、どうしたの?」
如月がためらいがちに答える。
「なんだか、受験、大変みたいなの。向こうからは、もう、お誘いはないし、私からし
ても、いつも断られるの。
今は、下校の時、一緒に帰るぐらいよ」
「ふーーん。そうか、・・・」
そこまで言った四本松は、ふと思い出したように言った。
「まさか、未緒ちゃんの好きな人って、・・・あの人?」
「え?言ってなかったかしら?」
「聞いてないわよ。未緒ちゃん、教えてくれなかったじゃない!」
「そうだったかしら」
「そうだよ。・・・そうだったの、未緒ちゃんが、コンタクトにしようと悩むくらいだか
ら、相当な人だとは思っていたけど、なるほど、君本さんだったのか」
「私なんかじゃ、似合わない・・・かな?」
四本松は、そう言った如月を、きっと睨む。
「未緒ちゃん、冗談でも、そんな事言うと怒るわよ。未緒ちゃんが、どんなにいい娘な
のか、私は知ってるのよ」
「ご、ゴメンなさい。でも、あの人は人気があるから、不安になるのは、自分でもどう
しようもないのよ。
優ちゃんの様に私もなりたいわ」
四本松は、少し考え込んでから、言った。
「私だって、不安なんかいつもだよ。あの二人に『はっきりするなら早くしてよー!』
って、思うことなんてしょっちゅうだよ。
本当にあの二人ったら、お互い遠慮してるんだもん。まわりで見てる方がいらいらす
るわ」
そう言った四本松に、如月は笑いながら聞く。
「なんだか、それでは、二人を応援してるみたいね?」
「え?・・・そ、そうかな?・・・そうかもね。だって、将くんが詩織先輩を好きなことは、
ずいぶん前から知っているし、いまさら、私がじたばたしても、しょうがないもん。
それに比べれば、未緒ちゃんには、まだ、チャンスがあるんだから、あきらめちゃ駄
目よ」
「そうね、優ちゃんの言う通りね」
そんな会話をしながら、二人は如月の家の前まで来た。
「それじゃあ、お休みね」
「優ちゃんも気をつけて帰ってね」
「うん」
手を振りながら駆け出していく、四本松の後ろ姿を見送りながら、如月は思った。
(確かに、優ちゃんが言うように決定的じゃないけど、あの人の心には、すでに誰かが
いるの。そして、それは私じゃない。
でも、優ちゃんが言う通り、あきらめちゃ駄目よね)
将、和人、美里の3人が帰り支度をしているところに詩織がやって来た。
「あれ、どうしたんですか、先輩?」
「ええと、・・・あのね」
詩織には似合わないような、はっきりしない態度に将は首を傾げる。
そんな将の背中に、美里が右肘を入れる。
「グエッ!何するんだよ!」
「お前と来たら、本当にこういう事に鈍いんだから。藤崎さんはお前に送って欲しいん
だよ。
ね、藤崎さん?」
「え?」
驚いたような表情の将に、詩織は黙って肯く。
「ほら、そうと決まれば、行った行った」
そう言って美里は将の背中を押す。
「藤崎さん」
「はい?」
「この子はこういう事には本当に気がつかないけど、必ずあなたは守るから、安心して
ね。母親の私が保証するわよ」
「はい。それは、私も知っています」
詩織はそう答え、将と連れだって歩いていった。
「送り狼になるんじゃないよ!」
「ば、馬鹿野郎!なるわけないだろ!」
「藤崎さんの前で、馬鹿野郎なんて言うもんじゃないわよ」
将は慌てて口を押さえるが、無論、手遅れである。詩織が笑みをこぼす。
二人のその背中を見送って、美里がぽつりと言った。
「やれやれ、本当に世話が焼ける子だよ」
和人が苦笑いを浮かべながら答える。
「まあ、それが将らしいと言えば、将らしいんですよ。
それじゃあ、美里さん、帰りましょうか?」
「何言ってるの!?あなたはあっち」
美里はそう言ったかと思うと、和人の頭頂部を左手で押さえ、90度横に向ける。
「いででで」
無理やり、横に向けられた和人の視界に、美樹原がいた。
「め、・・・美樹原さん、どうしたの?」
そう言った和人に美里が言った。
「和人くん」
「ハイ?」
「君も人の事言えないぞ」
「・・・はい、その様です」
ときめく時の中で(124)
このときめきは忘れない(4)
伊集院家のクリスマスパーティーの帰り道、美樹原と和人は並んで住宅街を歩いて
いた。
美樹原を和人が送るという事なのだが、和人の物腰はどうにも落ち着かない様子であ
る。
「もう、どうしたの和人くん?さっきから落ち着かないようだけど?」
美樹原のそんな問いかけに、和人は頭を掻きながら答える。
「だって、美樹原さん」
「愛でいいわよ、あの時みたいに」
「・・・愛さん」
「あの時、”さん”なんて、付けなかったよ」
「・・・じゃあ、愛」
「はい。なんですか、和人くん?」
にっこり笑って言った美樹原に、和人は突然、美樹原が、たとえ一つであっても年上
なんだと再確認してしまった。
美樹原をはげました時、美樹原ではなく、「愛」とファーストネームで呼んだのは、
和人の本能のようなものだった。
美樹原は、それを難なく受け止めてしまっているのだ。
「・・・愛、俺となんか帰っていいの?」
「え?それ、どういう意味?」
「あの、だから、俺と噂になんかなったら、嫌じゃないかな?と思って」
「・・・迷惑?」
「いや、そんな事ないよ!
だけど、俺が側にいると、愛に好意を持っている男がいても、言い寄ってこないん
じゃないかと心配しているわけ。
愛は可愛いし、その気になれば、よりどりみどりだよ。その邪魔にならないかな?
って思うんだよ」
美樹原は、しばらくキョトンとした顔になっていたが、やがてプッと吹き出し、クス
クスと笑った。
「和人くん、自分が怖いって知ってるんだ?」
「愛だって怖いって言うじゃないか!?」
「ま、それはそれ、これはこれ、と言うことかな?」
クスクス笑いながらそう言った美樹原に、和人も笑いながら答える。
「意外と、愛って勝手だなあ」
「そうよ、私、自分勝手なのよ。
いいんだ。今は他の男の子と、お付き合いする気にはなれないし」
そう言った美樹原の表情が一瞬曇ったが、すぐに元の笑顔に戻る。
「それに、 ・・・どうしても駄目なのよね、男の子と話すのって」
「それなんだよなあ。なのに、俺とならいいってのが、どうにも判らないんだけど?」
「私も不思議なの。和人くんとは普通に話せるのよね。
・・・迷惑かな?」
和人は右手を振りながら答える。
「だから、そんな事ないって。俺が役に立てるなら何でもするよ」
「でも・・・」
「でも?」
「和人くんこそ、私がいたら、他の娘に誤解されないかな?」
「?」
首を傾げた和人だったが、その意味が判ると、右手の甲で美樹原の肩を軽くたたく。
「そんな心配いらないって。俺みたいなのがいい、なんていう懐が広い娘なんて、滅
多にいないよ」
「判ってないなあ。前にも言ったけど、和人くんのファンって女の娘、多いんだよ。
もっとも、和人くんは気にしないだろうけど。なんて言ったって和人くんには、ずー
ーっと思っている女の人がいるんだもんね?」
「またまた、そういう事を言う!意地悪だなあ」
和人はそう言いながら、美樹原の頭を軽く、ポンと叩く。
「きゃん!」
美樹原はそう言いながら、和人の腕を取り、両手で抱える。予想できなかった美樹原
の行動に和人は戸惑う。
「め、愛?」
「・・・そうよ。私、勝手で意地悪な女の子なの。だから、私が嫌な、酷い女の子になり
そうな時には、遠慮なく叱って。
こんな事を頼めるの、和人くんしかいないの。
お願い。私が嫌な女の子にならないように、私を見ていて」
和人は思った。美樹原は普段、明るく振る舞っているが、心の傷が完全に癒えたわけ
ではない。まだ、自分自身苦しんでいるのだ、と。
「ああ、いいよ。愛がいいと思うまで、俺でよければそばにるよ」
「・・・ありがとう。それと、ごめんね」
「いいんだってば、気にしないで」
「うん」
美樹原は和人の腕を、さらに強く抱きしめた。
端から見れば恋人同士に見えるかもしれない、一種、奇妙な関係の二人。その上の空
から、ちらちらと雪が舞い降りてきた。
「今日のパーティーよかったね」
「う、まあ、そうですね」
(こんな格好でなけりゃなあ)
将は自分の格好を顧みて思った。
将は詩織を送って行く事になったのだが、繁華街を通るとき、二人はやたらと目立っ
た。
ある意味、それも無理はない。きらめき高校のアイドルで、その存在が他校にも知ら
れているほどの詩織と、やはり校内の人気は高く、テニスでも注目を浴びる、際だつ容
姿の将が、並んで歩けば、人の目も引こうというものだ。
今、将はコートを着込んでいるから、まだ目立たないが、パーティー会場でのタキシ
ード姿の将の注目度といったら、相当なものだった。
「将くんが、今、何を考えてるか当ててみようか?」
人混みを抜けたところで、悪戯っぽい笑顔を浮かべて詩織が言った。
「え?なんですか?突然?」
「ふふふっ。将くん、こんな格好でなけりゃ良かった。とか思っているでしょ?」
将はしばらく言葉を失ってしまった。
「な、なんで判るんですか?」
「やっぱり」
詩織はそう言って、クスクスと笑った。
「将くん、人の目をずいぶん気にしていたもの。
本当に将くんって、人の注目を浴びることが苦手みたいね?」
「そうですね。どうも居心地が悪くって。これがコートとかなら、まだ、テニスに注目
できるんですけど、こう言うのって、本当に駄目ですね」
「それが将くんらしいと言えば、そうだけどね」
二人はそう言って、同時に静かに笑った。
お互いの瞳を見つめあう視線の中に、白い物が上から入り込む。
それに気づいた詩織が空を見上げる。
「わあ、雪」
将もそれに答える。
「本当だ」
「素敵、ホワイトクリスマスね」
ため息のような、うっとりとした声を詩織は上げる。
「積もりますかね?」
「さあ、そこまでは無理かな?」
そう言った詩織が、白い息と共に、身体を身震いさせた。
身体が冷えているようである。
「あ、ええと・・・」
将が、はっきりしない態度をとった。将がそんな風に迷う事態は、ある意味限定され
る。
「どうしたのかな?将くん?」
それが判っていながら、詩織はわざわざ将に聞いた。
「あ、あの、これ」
そう言って将は、コートを脱ぎ、詩織の肩にかけた。照れくさいのが、はっきり判る
表情と、顔色の赤さである。
気障なことをしていると思えてしかたがなく、自分には似合わないと思う将だった。
スマートとか、ロマンティックとかの、対極にいる渡し方だった。
「すいません。似合わない事しちゃって」
「ううん、そんな事ない。将くんらしいよ。
これで、将くんがトシくんみたいに、さりげなくコートを肩にかけるようなら、それ
こそ似合わないわよ」
詩織はそう言って、クスクス笑った。
「そうですね。それこそ似合いませんよね」
将もつられて笑った。だが、その心の中には、ほんの少しの暗い影が走った。
それが何なのか、その時は判らなかった。
その正体が判ったのは、詩織を家に送り届け、帰ろうとして、君本の家を見た時だっ
た。
ささいな事である。詩織自身にも、それほど深い意味があるわけではないのかも知れ
ない。
しかし、その影は濃かった。
ときめく時の中で(125)
このときめきは忘れない(5)
一年も残り少なくなった大みそかの夜、将と美里は例年のように、アパートで新年
を迎える用意をしていた。
”新年をゆっくりすごしたかったら、その分、年末に働け”という言葉が、将の脳裏に
こびりついていた。
そんな中、部屋を片付けながら美里が将に聞いた。
「今年、和人くんは来ないの?」
将はキッチンで、年越しそばを作る準備をしながらそれに答える。
「うーーん。今年は館林さんの家で年を越すって言ってたよ」
それを聞いた美里は、少しばかり意外そうな顔になった。
「和人くん、つい最近まで、館林さんの家には、なかなか、行きたがらなかったのに、
どうしたんだろうね?」
将はそれに思い当たるところがあった。
「館林さんの、えーーと、見晴さんだったっけ?その人が、そうとう粘り強かったらし
いよ。
さすがの和人も根負けしたらしい」
将は苦笑いである。
「ふーーん。じゃあ、将は新年を一人で迎えるわけだ」
「なんだよ、その言い方は?」
「いやあ、別に」
とぼけた表情で美里がそう答えた時、来客を告げるチャイムが、軽やかに響き渡っ
た。
「あ、私が出るよ」
将を制して、美里は玄関のドアを開けた。そして、その表情がにこやかなものに変わ
った。
「あら、南ちゃん。お久しぶりね」
玄関に立っていたのは本郷だった。
「こんばんわ。おばさま。お久しぶりです
おばさま、という言葉に、美里の頬がピクリと動いたが、それはあくまでも一瞬のこ
とだった。内心では
(抑えなさいって。南ちゃんからすれば、それもしょうがないんだから)
等と思っていたものなのだが・・・。
「何?将に用?」
「はい。いらっしゃいますか?」
「いらっしゃるも何も、和人くんに振られて、一人寂しく年越しそば作ってるよ」
「誤解を招くような発言はやめろって言うの!!」
会話の一部始終を聞いていた将が、きざんでいたネギを突き出しながら叫んだ。
「和人先輩いないんですか?」
「へ?・・・ああ、そうだけど?」
将の答えに、本郷は両手を顔の前で合わせて、喜色満面といった表情で言った。
「それじゃあ、私と二年参りに行きませんか?」
将はしばらくキョトンとした顔になっていたが、静かな笑みにその表情を変える。
「ああ、いいけど、・・・その前に」
「・・・その前に?」
「年越しそば食ってくか?」
「・・・、は、はい!」
本郷は元気よく答えた。
その頃、和人といえば、館林の家のTVモニターの前で唸っていた。
「浜松か、・・・岐阜か?」
そんな和人に、小学4年生ぐらいの男の子が言った。
「和人兄ちゃん、いつまで悩んでんの?」
その男の子に館林見晴が言った。
「あんたは静かにしなさい!和人お兄ちゃんは、こういう事には真剣になるの!」
(なんか、引っかかる言い方だなあ)
和人は内心で苦笑いを浮かべながら、そんな事を考えていた。
館林見晴にくどき落とされ、館林家に来たものの、やっていることは、見晴と、その
弟、3人でのTVゲームである。
まあ、大みそかともなれば、こんな事で時間をつぶすのも特に変わったことではない
のだろうが、和人にとってはこう言った団らんというべきものは、ひどく違和感があっ
た。自分には似合わないと思ってしまうのである。
(なにをしとるんだか?)
和人はそんな事を思うのであった。
だが、和人の思惑はともかく、見晴には、その目的は達成出来ていた。
(少しでも、和人くんに、この家の雰囲気に慣れてもらわないとね)
そのころ別室では、和人の兄、之信が、年配の男女を前にしていた。
「いろいろとご迷惑をおかけしてしまいます。なにも、この新年を迎える時に、とは思
うのですが、なるべく早くお知らせしようと思いまして・・・」
それに答え、初老の男性が言った。
「そうか、領家君は離婚すると決めたのか・・・」
「はい、家の父親、いえ家族一同、お義父さん、お義母さんには世話になっておきなが
ら、恩を仇で返すような事になってしまい、お詫びの言葉もありません」
之信はそう言って、深々と頭を下げる。それに答え初老の男性が言った。
「いや、いや。こういう事は、私がどうこう言えるものではない。
で、どうするのかな?和人くんのことは?」
「はい、情けないことに、双方共、和人を引き取ることに難色を示しています。
つきましては、まことに勝手ながら、私が和人を引きとろうと思います。
妻も納得してくれました。
勝手なお願いだとは思いますが、よろしくお願いします」
そんな之信に、今まで黙って聞いていた、やはり年配の女性が言った。
「之信さん」
「はい?」
「私達は前から言っているじゃありませんか?和人くんを、この家に住まわせたいと。
こちらの方こそ、お願いいたします」
その声に之信は、肩を小刻みに振るわせながら答えた。
「あ、ありがとうございます」
神社の境内は、ここで新年を迎えようとした人々によって、相当に混雑していた。
「お、おい。本郷!?」
「だってえ。こうでもしないと、はぐれそうなんだもん!」
心底、嬉しそうな表情で本郷は答える。
「何も、こうまでしなくたっていいだろう!」
本郷の両腕は、将の左腕にしっかりと巻きつかれいた。いくら人混みの中とは言え、
将の言う通り、そこまでしなくても、と言えるものだった。
新年を数分後に控えた頃、人混みを少し外れた場所に二人は立っていた。
やがて、本郷がつぶやくように言った。
「先・・・、いえ、吉野さん」
本郷の自分を呼ぶ言い方に、違和感を覚えた将は顔を本郷に向ける。
「どうしたんだ?」
「私、今でも、吉野さんの事が、・・・好きです」
一瞬のためらいをにじませながら言った本郷に、将は言葉を失った。
「でも、吉野さんは、藤崎先輩の事が・・・」
そのまま黙り込んだ本郷の顔をのぞき込むようにして、将は言った。
「・・・本郷・・・?」
本郷は自らに気合いを入れるように身震いした後、将にその黒の瞳をまっすぐ向け
る。
「だけど、いいんです。私も藤崎先輩の事が好きだし、藤崎先輩ならって思います。
迷惑なのは判っています。だけど、だけど、今まで通り、せめて吉野さんの事を好き
でいさせてください。
お願いします!」
将の腕をつかみながら、本郷は頭を下げた。
「お、おい!どうしたんだよ?いきなり?」
「・・・クリスマスの時、藤崎先輩と帰りましたよね?偶然見ちゃったんです」
「・・・ああ」
「二人を見ていて、『あ、かなわないな』って思ったんです。自分でもどうしようもな
いほど、そう思っちゃったんです」
将は何も言わず、本郷の次の言葉を待った。
「私らしくないですよね?
でも、こうして吹っ切れるのかもしれない。こうして、吉野さんの事を、ただの先輩
として、見ることが出来るようになれるのかも知れないと思うんです」
本郷は将の腕を抱きしめた手に、さらに力を込める。
「でも、そんな簡単には割り切れられません。
ただ、今、言えるのは来年からは、吉野さんを応援する本郷南になります。
先輩の吉野さんを好きな、そして、力になりたい私になります。
・・・そのぐらいは構いませんよね?」
将は黙って肯く。
「だけど、今年までは、一人の男の人、吉野さんを好きな女の子でいさせてください。
あと数分ですけど、その間だけは、そうさせてください」
将は何も言わなかった。それは肯定を表す沈黙だった。
「君本さんなんかに、負けちゃ嫌ですよ」
小さくそう言った本郷の言葉を、将は聞き取ることが出来なかった。
「え?なんだって?」
「・・・この一年、お世話になりました、って言ったんです」
「こちらこそ、来年もよろしくな」
「はい」
そして、その数分後、新しい年を迎えた。
それは、将と詩織が同じ学校にいられるのも、あと二カ月という事である。
ときめく時の中で(126)
このときめきは忘れない(6)
2年参りから、本郷を家に送り届け、将が自宅に戻ってきたのは、元旦の午前2時前
だった。
体調等を考えて、徹夜はしないと決めていたので、家に帰るなり、すぐに床についた
将だったが、本郷の言葉が頭から離れなかった。
(ごめんな、南。俺はお前の想いに答えることが出来ないよ)
思えばこの1年間、将は詩織の事だけを見ていたような気がした。
将が目標としてきたのは、常に詩織だった。詩織はいつも将の前にいて、将はその姿
を追いかけていた。追いかけても追いかけても、詩織はまるで、逃げ水のように逃げて
行くような感じが、常に将には付きまとっていた。
しかし、それはある意味、気が楽な事ではある。追いかける立場というのは、前だけ
見ていればいいのだから。将もそれは判っていた。
「もう1年、早く生まれていれば」
そんな仮定に意味がないことは分かっていても、将がそう思ったことは一度や二度で
はない。
だが、将は知った。
同じように考え、将に対して、今の将と同じような感覚に捕らわれる人々も、多くい
ることを。
それが、人のつながりというものだという事は判る。
自らの身体が一つしかない以上、他の者の想いに答えることは出来ない。だからこそ
自分の想いを大切にしていかなければならない。
そう、詩織への想いを。
しかし、同時に将は不安も憶える。
「俺は、詩織さんに見合うだけの男になっているんだろうか?」
と。
答えることの出来ない自問自答に、将の眠りは妨げられ、浅い眠りを繰り返しながら
朝を迎えることとなる。
夜が明け、冷え込んではいるが、穏やかな正月をきらめき市は迎えていた。
年賀状を整理しながら、君本はこたつで温まりながら、お決まりの正月番組を見ると
もなしに見ていた。
「さて、これからどうしようか?」
独り言を言ってはみたものの、したいことは判っていた。
と言うより、希望はあった。
詩織と初詣でに行きたいと思っていたのだが、少しばかりためらっていた。
と言うのは、昨年の元旦、君本は詩織と初詣でに行った。
だが、これは君本の方から誘ったものだった。別に順番があるわけではないのだが、
今年は詩織からの誘いがないか、と考えてしまう君本だった。
「たまには、詩織から誘いがあってもいいだろうに」
君本は、ついそんな事を口にして、ハッとした。
詩織が、自分と初詣でに行くとは限らない事に、この時のなって気が付いたのだ。
昨年までは、当たり前のように初詣でに行っていた。だが、これからもそうとは限ら
ないのだ。
君本は、慌てて詩織に電話しようとした。
その時である。
来客を告げるチャイムが鳴った。
「誰だ?詩織かな?」
そういう希望的なことを思いながら、君本は玄関を開けた。
「如月さん?」
玄関に立っていたのは、如月だった。
「明けましておめでとうございます」
頭を下げて、新年のあいさつをした如月に、君本も答える。
「あ!お、おめでとうございます。本年もよろしくお願いします。」
・・・ところで、どうしたの?」
君本の質問に、ためらいつつも如月は答えた。
「あの、よろしければ、ご一緒に初詣でに行きませんか?」
「え?あ、ああ・・・」
君本は、正直言って、どうしようか悩んだ。だが、この寒い中、わざわざ家にまで来
てくれた如月を、このまま帰すというのも、かなり気が引ける。
悩んだ末に、君本は了承した。
「ああ、いいよ。一緒に行こうか?」
「はい、ありがとうございます」
ありがとう、と言われても困るのだが、君本は急いで身仕度を整えた。
君本と如月が、君本の家を出て行くところを、偶然見ていた人物がいた。
それは、お隣の詩織である。
自室の窓から、君本の家の玄関から二人が出かけるところを目撃した詩織は、しばら
く黙り込んでいたが、やがて、誰に言うでもなく、こう言った。
「そうか、トシくん。今年はあの人とどこかへ行くのかな?そうよね、いつまでも今ま
でと同じ、という訳にはいかないよね」
そして記憶のデータベースから、君本の隣にいる女性を思い出していた。
(たしか、・・・如月さんだったわね。文芸コンクールで最終選考に残ったという、文芸
部の才女と言われている人ね)
詩織の思考が、そこで一旦中断された。
やがて、詩織は立ち上がりこう言った。
「それじゃあ、私はどうしようかな?」
そう言ってクローゼットに向かった。
将の寝覚めは最悪だった。とにかく眠りが浅く、たとえ寝ても、見る夢が(詳しく内
容は憶えてないのだが)悪い物ばかりだったのだ。一富士二鷹三茄子なんてのは、文字
通り、夢のまた夢だった。
将はあまり縁起などをかつぐ方ではないのだが、それでも、ついこう言ってしまう。
「新年早々、なんて事だ」
と。
美里が起きて、雑煮などを作っているので、そのにおいが、将の胃袋を刺激する。
「はー、起きるか」
布団を片付け、キッチンにいた美里と新年の挨拶を交わす。
「明けましておめでとう」
「はい、おめでとう。お雑煮作ってるけど、お餅、いくつ?」
「えーと、二つ」
「はいはい」
そう言って美里は、鍋に向かう。
将はやたらと厚い新聞を広げながら、出来上がりを待っていた。
「それにしても、和人くんがいないお正月というのも、本当に久しぶりだねぇ」
そう言う美里に、将は答える。
「そうだなあ、五年ぶりなんじゃない?」
「そのぐらいになるかなぁ、やっぱり。
・・・将?」
「ん?」
「和人くんがいなくて、寂しいんじゃないの?」
将は新聞に突っ伏す。
「だーかーらー、そう言う誤解を招くような発言はやめろって言うの!」
将がそう言った時、チャイムが鳴った。
「誰かしら?」
「あ、俺が出るよ」
将はそう言って、玄関を開けた。
そこに立っていたのは、
「連尺?」
将の言葉の通り、連尺であった。
ときめく時の中で(127)
このときめきは忘れない(7)
元旦の朝、連尺は吉野親子のアパートを訪ねていた。
「明けましておめでとう、将くん」
「ああ、明けましておめでとう、連尺・・・ええと」
(どうしたの?)
と聞こうかと思った将だったが、今日という日を考えれば、さすがに用件は判る。
そんな将に、連尺が聞く。
「良かったら、私と初詣でに行かない?」
すでに本郷と二年参りで初詣でに行っている。
だが、断る事は将には出来そうにない。
連尺は昨年も、初詣でを誘いに将の家に来た。その時は、テニス部の他のメンバーが
そろっての初詣で、となってしまったので、後になって和人にさんざん言われたもので
ある。
「連尺さんはお前を誘いに来たのに」と。
それが判る将は、連尺に答える。
「いいよ、行こうか?今、準備するから待ってて」
「ええ。・・・ところで、今年は領家君はいないの?」
「ああ、今年はいないんだ」
「そうなんだ」
昨年は、ここで電話がかかってきて、結局テニス部初詣でツアーになってしまったの
で、将は支度を急いで、連尺と出かけていった。
二人を見送った後、美里はTVを見ながら店で用意した、スーパーのおせち料理を食
べたりしていた。
「今年の正月は男っ気のない正月だねえ」
などと、多少不謹慎なことを言う美里だった。
その時、玄関のチャイムが鳴った。
「あら?忙しいわね。今度は誰かしら?」
美里はドアを開け、来客を見て思わずこう言った。
「あら、まあ!?」
そのころ、君本と如月は神社の境内で、おみくじを引いていた。
「私も大吉なんですよ」
「大吉しかないのかもね」
二人とも大吉を引いて、そんな会話をしていた。
そろそろ、帰ろうかという頃になって、如月が言った。
「本当に今日はありがとうございました。
でも、無理にお誘いしてしまったみたいで、申し訳ありません」
「いやあ、いいんだって。どうせ暇だったし、行く当てもなかったしね」
内心とは、相当違うことを言っているのだが、正直に言う訳にもいかない。
「本当にお優しいんですね」
「え?やだなあ、そんな事言われたら照れちゃうよ」
「いえ、本当にそう思うんですから」
「でもねぇ、優しいだけじゃ、駄目なんだよね」
「君本さん?」
表情に少しばかり暗い影が差した君本に、如月は思案にくれた。
実際、君本が優しい人間だというのは、校内での一致した評価だった。
もっとも、それが一歩間違えると優柔不断の部類に入るもので、そのせいで一時期、
修羅場を見る事になったのだ。
その後の君本の努力(?)により、なんとか丸く収まったわけで、その事が君本の評
価を、さらに上げる事になったわけである。
だが、君本自身はその点に関しては、全く評価していない。
そのおかげで、詩織の君本に対する評価が最悪となったわけで、君本は、ただ単に優
しいだけでは意味がないと思っているのだ。
如月の言葉は、君本にとって、さほど嬉しい言葉ではなかった。
「・・・君本さん?」
「え?ああ、ごめん、ごめん」
過去の事をあれこれ考えていた君本は、如月の言葉で我に帰った。
「君本さんは、ご自分のことに、あまり自信がないようですね?」
如月の突飛とも思える言葉に、君本は慌てる。
「な、何を言い出すの、如月さん?」
「君本さんが何を目標にしているのか、私には判りません。でも、君本さんは今のまま
でも、充分魅力的な人です。自信を持ってください!」
「き、如月さん・・・?」
言葉をなくした君本の表情に、如月は、今、自分が何を言ったか思いだし、顔を真っ
赤に染め上げる。
「す、すいません。おかしな事を言ってしまって・・・」
そう言って、如月はうつむき黙り込んでしまった。そんな如月に君本は言った。
「ありがとう、如月さん」
「え?」
「如月さんにそう言われたら、なんか、そんな気がしてきたよ。
そうか、自信を持たなきゃいけないんだよな。うん、ありがとう」
如月は、その自信を生かす相手が自分でないことは判っていた。だが、元気づけずに
は、入られなかった。
沈んでいる君本を見るのは忍びなかったのだ。
(大丈夫、後悔などしないから)
自分にそう言い聞かせる如月だった。
君本と如月が神社を後にする頃、入れ替わるように将と連尺がやって来た。
「割りと空いてるね。まず、お参りしましょう?」
「ああ、そうだね」
連尺の提案を、将は了解した。将は内心、
(夜と同じことを頼まなきゃ駄目なんだろうなあ)
などと律義なことを考えていた。将らしいと言えば将らしいことではある。
おみくじを引いた後(ちなみに、連尺は大吉で、将は小吉だった)連尺は、なにやら
お守りを買って、将に手渡した。
「なにこれ?」
「うーーん、将くんって、ジンクスとか縁起とか、あまりかつがない方だけど、私は、
結構そういうの気にするから、良かったら貰って」
「連尺がそう言うんなら、ありがたく貰うけど・・・」
将はお守りを袋から出して、それを見ながら言った。
「これ、交通安全だよ?」
「いいの、それで」
「?」
一瞬、考え込んだ将だったが、その意味が判り、真面目な顔になった。
「連尺」
「うん、そうよ。交通事故は怖いんだから。
私だって事故に遭ってなければ、今ごろ、まだ、水泳をやっていたかもしれない。
・・・あ、別に、それで、後悔しているわけじゃないのよ」
やや大袈裟に、多少おどけるような物を含ませながら、連尺は首を振った。
「ただ、将くんがそういう事で、テニスが出来なくなったら、いやだもん。
だから、交通安全のお守り」
明るい連尺の表情に、将も微笑む。
「そうだな、連尺の言う通りかもな。さすが、テニス部のキャプテン、見るところが違
うな」
「やめてよ、そんな冷やかすような言い方」
二人は同時にクスクスと笑った。
だが、やがて、連尺が顔を引き締めて言った
「そのキャプテンから、サブCの将くんにお願いがあるの。新年早々なんだけど」
「ん?なんだい?」
「実際のところ、私には、キャプテンという大任は、まだ重すぎるの」
「そんな事ないよ、連尺、よくやってるよ」
将の言葉に、連尺は微笑むが、次からの言葉はかなり重い物だった。
「そう言ってくれるのは嬉しいんだけどね。
・・・それで、お願いというのはね、今年、私はみんなの嫌われ役になるから、将くん
には、みんなのまとめ役をやってもらいたいの」
将には連尺が何を言っているのか判らなかった。
「ど、どういう事!それって!?」
連尺は優しい表情で答える。
「今まで、テニス部って、和気あいあいでやって来たでしょ?」
将は無言で肯く。
「それは、キャプテンや、他の人達が人間的に大きく、実力があったからよ。
でも、私にはそれは出来ないの。
私はみんなに、厳しいことを言わなければならないわ。それで、みんなに尊敬され
るキャプテンになろうなんて、虫が良すぎるもの」
「なんで、そんなに決めつけるんだよ!連尺だったら出来るよ」
将の言葉にも、連尺は首を縦には振らない。
「もし、それで失敗したら?」
「え?」
「中途半端になって、テニス部が弱くなったら私の責任よ。元城先輩、米津先輩、詩織
先輩、他の3年生の先輩、中沢さんや有玉さんOBの人達に対しても、申し訳が立たな
いわ!」
「・・・連尺、何を、一人で抱え込んでるんだ?俺じゃ、力になれないのか?」
「だから、将くんには、みんなのまとめ役になってもらうのよ」
しばらく固まった将だったが、やがて動きを取り戻し、頭を掻きながら言った。
「いや、そうじゃなくて、連尺一人が悪者になることないだろうって意味で・・・」
「将くん、知ってる?」
「・・・なにを?」
「組織を簡単にまとめる、一番簡単な方法を?」
将は完全に真顔である。
「・・・共通の敵を作ること」
「ピンポーーン!」
対する、連尺の表情はその提案に不釣り合いなほど明るい。
「有る意味、キャプテンというのは、それに打って付けの立場だと思わない?」
「・・・本気なんだな?」
「ええ。そのかわり、将くんにはインターハイには行ってもらうわよ。
いえ、目標は全国制覇よ」
「・・・マジ?」
「そうよ、そうでもしなけりゃ、悪役になる私は割りが合わないもん」
にっこり笑った連尺だったが、将は、その連尺に、先が尖ったしっぽが生えているよ
うな気がした。
連尺を家に送り、自分のアパートに帰ろうとする将は、自分の胃袋のあたりを手で押
さえた。別に痛くもなんともないのだが、今日一日で、いろんな物をしょいこんだ気が
して、そんな事をしてしまうのだった。
「なんだか、いろんな事がある元旦だなあ」
と独り言を言った将だったのだが、これで終わったわけではなかったのだ。
「ただいま」
「お帰りなさい」
玄関を開けた将を、二つの声が迎えた。
「?」
部屋をのぞき込んだ将は、信じられないといった表情でこう言った。
「藤崎先輩?」
ときめく時の中で(128)
このときめきは忘れない(8)
「藤崎先輩?・・・どうしたんですか?」
居間に、晴れ着で着飾った詩織が、座卓をはさんで美里といた。
「明けましておめでとう、将くん」
「あ、明けましておめでとうございます、・・・あの・・・どうして・・・?」
将の質問に、美里が答える。
「お前が、外出した後、入れ違いにおいでになってね。あんまり晴れ着が似合って綺麗
だから、私が我侭言って、上がってもらったのよ」
「おじゃましてます」
にっこり笑って頭を下げる詩織に、将も答える。
「すみません。汚いところで」
「汚いは余分なんだよ」
美里が笑いながら突っ込み、詩織がそれを見てさらに笑う。
「本当に、お二人は仲がいいんですね」
詩織の言葉に、美里と将は顔を見合わせて笑う。
「すみません、連尺が来て初詣でに行ってきたんです」
「え?」
上着を脱ぎ、ハンガーにかけながらそう言った将に、詩織が驚いたような声を上げ
る。
美里は頭を抱えながら、将に言った。
「この大馬鹿!そんな事まで正直に言うことないのに」
「え?」
今度は将である。そんな将に構わず、美里は詩織に頭を下げる。
「ごめんなさい。私は藤崎さんに嘘をついていました。考えてみれば、将がそんな事に
気が付くわけないのに、浅はかでした」
美里は将の外出の理由を、詩織に正直に言わなかったのだろう。
詩織は笑いながら答える。
「いいんですよ。私、気にしていませんから」
さすがの将も、美里が何をしたのか判り、「しまった」とは思ったが、だからと言っ
て、将の性格からいって隠し事が出来るはずもない。
美里もそれが判るから、照れくさそうに笑いながら立ち上がる。
「どこへ?」
と言う将の質問に、美里は手にしていた写真フィルムを将に見せる。
「これを現像してくるの」
「それって、クリスマスの時、俺と和人のタキシードのじゃないか?フィルム余ったっ
て言ってた。・・・ま、まさか?・・・」
「そう、藤崎さんにお願いして撮らせてもらったの」
嬉しそうに笑う美里に対し、将は呆れたような、怒ったような顔になった。
「な、何考えてんだよ!?」
「あら、藤崎さん快く引き受けてくれたわよ」
「母さんがそんな事言ったら、断ろうにも断れないじゃないか!先輩に失礼だろ!?」
将の剣幕に、さすがの美里も怯んでしまった。
そんな美里に詩織が援軍となった。
「いいのよ、将くん。私からもお願いしたぐらいなんだから」
「・・・そうですか?」
将は多少不満げだったが、詩織にそう言われては矛を収めるしかない。
「・・・それで、現像に行くったって、こんな正月早々にやってる店なんて有るの?
何も、今日でなくても」
将の疑問に美里は答える。その表情は”よくぞ聞いてくれました”とでも言いたそう
な物だった。
「ほら、写真屋の星野さん、知ってるでしょ?」
「ああ」
「つけがたまってるから、電話をかけて、これこれこういう理由で、と言ったら、
”快く”
引き受けてくれたわよ」
将は頭を抱えた。
「それって、一歩間違えれば脅迫だぞ!」
「いいのよ、星野さん、私の言うことなら、なんでも聞いてくれるんだから」
うきうきしながら、美里はそう言って靴を履いた。その姿を見ながら、将は思わずつ
ぶやいた。
「・・・悪女・・・」
「なんですって?」
「いや、なんでもないよ」
とぼける将を、美里は手招きする。
「将」
「ん?」
「私、一応、晴れ着の着つけは出来るけど、なるべく、そうならないようにしてね」
「・・・大馬鹿野郎!!」
さすがの将も、これには即答した。しかし、「なるべく」と言う美里も美里ではあ
る。
ともかく、美里を送り出した後、将は詩織の向かいに腰を下ろす。
(・・・やっぱり、綺麗だなあ)
美里には、ああ言ったものの、詩織の晴れ着姿を目の前にすると、美里の気持ちも
分からないではない将だった。
「どうしたの将くん?」
そんな考え事をしていた将に、詩織が聞いた。
「あ、ええと、なんて言うか、母が失礼をしたようで、申し訳有りません」
詩織は首を振る。
「いいのよ、そんなに気にしないで」
「まったく、ミーハーでしょうがないんですけど、許してください。あの人は、晴れ着
を着る機会がなかったもので、きっと、先輩がうらやましいんだと思うんです。
俺を育てるのに、それどころじゃなかったから・・・」
「そうね、そうかもね」
詩織も、その辺りの事情を知っているので、肯いた。
二人はしばらくの間、言葉をなくした。
「ところで、将くん?」
沈黙を破ったのは詩織だった。
「はい?」
「みゆきさんと、初詣でに行ったんですってね。あーあ、一歩遅かったのかぁ」
詩織の言葉は、詩織自身が意識していなくとも、将にとってはプレッシャーだった。
いや、針のむしろと言っても良い。
将はたまらず、包み隠さず、連尺との事を言った。もっとも、そこまで言うことも、
ないと言えば、ない。
「そう、みゆきさんがそんな事を・・・」
「ええ、何もわざわざ辛い選択をしなくても、と思うんですけどね」
「でも、なんとなく判るような気もするな。みゆきさんって、そういう感じ方、するの
よね」
「そうなんですか?」
「そうよ」
詩織にそう断言されると、なんとなく納得してしまう将だった。
「将くんも、自分の事で大変だとは思うけど、テニス部のこと、頼んだわよ。
私達3年も、もう、・・・あと2カ月しかいないんだから・・・」
詩織は、自分の言葉に驚いたような表情になり、言葉も途切れがちにそういった。
「・・・そうですね。俺が入部して・・・足掛け2年、あっと言う間でしたね・・・」
再び、二人は黙り込んでしまった。
「な、なんだか、湿っぽくなっちゃっいましたね?」
「そうね、元旦からこれじゃあね。・・・将くん、私、じつはさっきから気になっていた
んだけど」
「なにがです?」
将の問いに、詩織はTVの脇に置いてあったゲーム機を指さした。
「それ、新しいソフトだよね?」
「え?先輩、こういうの興味あるんですか?」
「どうして、みんな、私がそういうのが面白いって言うと、そういう言い方するのか
な?」
「え、・・・いや、なんか、意外だなって・・・」
詩織は、わざとらしいため息をついてから、こう言った。
「元はと言えば、将くんと領家君のせいなんだよ」
「え?そりゃ、また、どういう事で?」
「ほら、去年の春休み、みゆきさんを入れた4人で、ゲームセンターに行った事があっ
たじゃない?」
それは将もよく憶えている。和人の独壇場となった日だ。
「あの時から、”こういうのもなかなか面白いな”と思って、いろいろ買っちゃったん
だよ」
「そうなんですか・・・いいですよ。やりますか?」
「うん」
晴れ着姿の詩織と、元旦からTVゲームをするという、なんともおかしな正月を迎え
たわけだが、将にとって、それは決して不快なものではなかった。
ときめく時の中で(129)
このときめきは忘れない(9)
新年早々、写真屋の主人にお願いして(脅して?)写真のプリントをした美里が、
自宅に帰ってきた。車を所定の位置に入れ、2階に上がる階段に向かう。
「なかなか、綺麗に撮れていたな。早く将に見せて上げなきゃ」
プリントの封筒を口元に当てて、美里はそんな事を言いながら、階段を上がり、ドア
に手をかけた。
(まあ、あの子に、二人きりになったからって、どうこう出来る度胸はないし。
少しでもあれば、かえって、救いもあるだろうけど・・・)
自分の息子に対して、あんまりと言えばあんまりなことを考えた美里だったが、よせ
ばいいのに、”中で何をしてるかな?”などと考えたのがいけなかった。
美里はドアに耳を当てた。その時、こんな会話が聞こえてきた。
「もう、将くん!後ろからなんてずるいわよ」
「先輩が、隙を見せるからいけないんですよ」
「こんな事して、ただで済むと思ってるの?」
「どうなるんですか?」
「ああん、将くんが、そんな人だとは知らなかったな」
詩織の声が、悲鳴に近い物になっていたのには、さしもの美里も、顎がすとんと落
ち、顔色が変わる。
ドアを勢いよく開け、部屋に入り、美里は叫んだ。
「あなたたち!」
そして美里が見た物は・・・、差し向かいで、格闘TVゲームに興じる、将と詩織の姿
だった。
膝から力が抜け、四つん這いになった美里が、弱々しく聞いた。
「・・・何してんの?」
「何って・・・TVゲーム・・・だけど」
せんべいを口にしながら、首だけ後ろを振り向いた将が答える。
美里は心の中で涙を流しながら、思わずにはいられなかった。
(自分で自分が情けない・・・)
美里の勘違いはともかく、将と詩織は楽しい時をすごしていた。
「あら、藤崎さんもこの娘使ってるの?」
画面を見ながら美里が詩織に聞いた。
「ええ、ヘアバンドに親近感が沸いちゃって、・・・も、と言うことはお母さまも、この娘
いえ、このゲームなさるんですか?」
「まあね、将にせがまれ、しかたがないからやることがあるのよ」
(嘘言うな、俺よりむきになるくせに)
などと将は思ったが、口に出すことは避けた。
「母さん、詩織先輩、強いよ。俺、負けるもん」
「へー、なんだか、藤崎さんがこういうのをやるのって、すごく意外だね」
美里の声に、詩織は恥ずかしそうに言った。
「やっぱり、おかしいですか?」
「そんな事はないわよ。そんな事言ったら私だって、ちょっと変わってる事になるから
ね」
美里はウインクをしながら、詩織に答える。
(息子相手にTVゲームにむきになるというのは、”そうとう”変わってるぞ)
将はそう思ったが、やはり口にはしなかった。
「藤崎さん、ゲームはそのぐらいにして、写真、見る?」
美里の問いに、詩織が答える。
「はい、見せてください」
こうして三人は、昨年の年末からの写真を見る事になった。
将のタキシードの姿は、将にとって、精神的な拷問以外の何物でもなかったが、
詩織の晴れ着姿の写真は、本人と比べてみても綺麗に撮れていた。
「・・・将、将?」
「え?」
美里の声に、将は我にかえる。
「全く、・・・いくら綺麗に撮れてるからって、本人を前にして、写真に見とれるんじゃ
ないよ」
「あ、いや、その・・・、はい、その通りです」
詩織と美里に向き直って、将がそう言うと、二人は声をそろえて笑った。
「それじゃ、私は藤崎さんを送っていくから、留守番を頼むよ」
「はいはい」
最初、詩織は遠慮したのだが、結局押し切られ、美里が車で送るという事になった。
「ゴメンね、小さい車で」
「いえ、構いませんよ」
軽自動車でミッドシップ、しかもオープンというレイアウトでは、キャビンは相当犠
牲になる。
美里は詩織にその事を謝ったのである。
「だから、普通のセダンにしろって言ったのに・・・」
(年甲斐もなく)
と言う言葉を飲み込んだ将に、美里も意地になった様な言い方をする。
「私はこれが良いの!それじゃ、行きましょ、藤崎さん」
「はい。・・・将くん、今年もよろしくね」
助手席の窓を開け、詩織がそう言った。
「はい、こちらこそ」
そうして、美里の車は夕闇の中を走り去っていった。
それを見送り将は部屋に戻る。
美里は2枚づつプリントしてきたため、詩織に渡した以外にも、晴れ着の写真が残っ
ていた。
将はその内の1枚を手に取り、無言で見つめていた。
アパートの前という、さして見栄えのするシチュエーションではないが、将にとって
は、被写体が全てだった。
しかも、この写真は、将しか知らない詩織の写真だった。
そう思うと、将はなんだか心が暖まるような気がして、その内、でれっとした、なん
とも絞まりのない笑いを浮かべた。
「フォトスタンド、買ってこなくっちゃ」
「どうもありがとうございました」
「いいえ、このぐらいお安いご用よ。また、遊びに来てね」
「はい」
詩織の家の前で、美里と詩織の二人は挨拶を交わした。
美里の車が去っていき、詩織が家に入るまでの様子を見ていた人間がいた。
隣の家の自室にいた君本である。
「詩織も出かけてたのか、・・・ところで、あの女の人、誰だっけ?」
美里の顔は、見たことあるにはあったが、それが将の母親だとは、すぐには思い出せ
ない君本だった。
その時、君本の自室のドアがノックされた。
「どうぞ」
君本の声にドアが開き、入って来たのは中年の男性、すなわち、君本の父親だった。
「人思?」
「なんだい、父さん?お年玉、またくれるの?」
「バカを言うんじゃない・・・あのな」
父親はためらいながら、君本に聞いた。
「あの話、どうするつもりなんだ?」
君本は一旦うつむいてから、顔をあげる。
「まだ、はっきりと決めたわけじゃないけど、恐らく、そのつもりだよ」
父親が深いため息と共に、納得のいったような表情になる。
「そうか、そうするか・・・」
「うん、せっかくのチャンスだし」
父親は遠くを見つめるような目になった。
「イギリスか・・・、遠いな・・・」
ときめく時の中で(130)
このときめきは忘れない(10)
連尺が思いがけない訪問を受けたのは、冬休みも明け、通常日程となった昼休みの事
だった。
母親が作ってくれた弁当を開けようとした時、クラスメートの男子生徒が声をかけて
きたのだ。
「連尺に3年生の人が面会に来てるぜ」
「え?」
誰だろうと上げた視線の先に、古式がいた。
「ゆかり先輩?」
男子生徒に礼を述べ、連尺は古式の所へ駆け寄る。
「どうしたんですか?・・・ご用なら、私の方から伺いますが?」
そう言った連尺に、古式はにこやかに笑いながら答える。
もっともそれは、答えになってはいなかったのだが・・・。
「みゆきさんは、お昼ご飯、まだ、済んで、いませんよね?」
「あ、はい」
「それでは、私と一緒に、食べませんか?」
一瞬、ためらった連尺だったが、すぐに答える。
「判りました。
・・・それでは、部室でどうでしょうか?」
「はい、よろしいですよ」
古式がそう答え、二人はテニス部の部室へと歩いていった。
その頃、将は教室で四本松と昼食をとりながら、テニス部の部活の事について話し合
っていた。
テニス部の事なので、優美と和人は席を外し、別のところで食事をしている。
「それじゃあ、四本松は松島とミックスを組むって言うの?」
「私は悪くないアイデアだと思ってるんだけど?」
四本松の意見に将は肯く。
「確かにね。・・・だけど、四本松はそれでいいのか?シングルスと2本立てだけど?」
四本松は肯きながら答える。
「それは将くんだって、去年やったじゃない」
「そりゃそうだけど、俺は今年、ダブルスのリザーブにも入ってないじゃないか」
「男子ダブルスには、江ノ島くん、福島くんのペアがいるし、選手層は厚いんだよ。
将くんにはシングルスで頑張ってもらわなくっちゃ。
目指すは、全国制覇よ!」
その言葉に、将は机に突っ伏す。
「あれ?どうしたの将くん?」
「・・・それ、連尺にも言われた」
将の言葉に、四本松は意外そうな声を出す。
「へー、みゆきさんがね、そんな事を・・・」
「本気なのかなあ?」
将の言葉に、四本松は、ピッと将を指さし、こう言った。
「当たり前でしょ。本気も本気よ。私だってそう思うもの。
第一、私をここまでテニスにのめり込ませたのは、将くんなんだからね。責任は取っ
てもらうわよ」
将は首を傾げる。
「ちょっと待てよ。俺がテニス部に入った時、四本松テニス部にいただろ?」
「確かにいたけど、いただけよ。ここまでのめり込んだのは、将くんがいたからよ」
「なんで、俺がいたからなんだ?」
「それは・・・」
「それは?」
「・・・教えて上げないわよ」
「ああ、ずるいなあ」
将の不満そうな表情を、四本松は無視して話を続けようとする。
「ともかく、新メンバーを決めなくちゃ、みゆきさんに怒られちゃうわよ」
「ああ、そうだな」
「でも、彼女すごいわね」
「連尺が?」
将の言葉に四本松は肯く。
「だって、新メンバーの編成をする時、『私はプレーに関しては素人だから』と言って
私達に任せたじゃない」
「ああ、そうだったね」
「すごい事だよ。自分の得手不得手を正確に掴んでるんだよね。
その上で、今どうすれば一番いいのか、すぐに結論を出すんだもん。私には出来ない
わ。
全てを人に任せる訳じゃなくて、自分に出来ることはきっちりやるんだもん」
「元城前キャプテンの、目の確かさかな?」
「そうね。ただ、最近、厳しくなってきたのがちょっと気になるけど」
四本松の言葉に、将は少なからず動揺した。
元旦の日、連尺から、その事を聞いていたからだ。
「連尺が、厳しい?」
「うん。一年生の気が弱い娘のなかには、怖いってこぼす娘もいるぐらいなんだ」
「・・・そうか」
将は頭の後ろで手を合わせ、そう言った。
「もう、そんな事になってるのか・・・」
「え?」
ぽつりと漏らした将の言葉に、四本松が聞いた。
「いや、独り言だよ。・・・さあ、決めちゃおう」
「ええ、そうね」
そんな、二人と離れたところで、優美と和人は食事を終え、雑談をしていた。
「和人、あの噂知ってる?」
「早乙女がそう言った時に、俺が知ってた事ないだろ?
なんだよ?」
「そうか、和人知らないのか、・・・あのね、今年の卒業生の中で、海外の大学へ留学す
る人がいるらしいの」
和人は、ふと不思議そうな顔になる。
「へー、そんな話があるんだ。・・・で、誰なんだ、それ?」
「それが判らないのよ。
お兄ちゃんは知ってるみたいなんだけど、教えてくれないんだ。
誰なのかなあ?」
「なんで、そんな事が気になるんだ?」
「え?ううーーん。ごめん、それは聞かないで」
真面目な優美の表情に、和人もそれ以上は聞かなかった。
「まあ、俺には、海外留学なんて、全く関係ないことだからなあ」
「そうよねぇ」
しみじみと言った優美に、和人は拳を固めて見せる。
「なんだか引っかかる言い方だな」
「そう、気のせいじゃない」
優美の表情には、気のせいとは思えない物が浮かんでた。
「くっ!」
和人は負け惜しみになりそうだったので、それ以上は何も言わなかった。
その頃、テニス部の部室では、連尺が声もなく立ちつくしていた。
「みゆきさん」
「・・・は、はい」
古式に促され、連尺は椅子に座り直した。
半信半疑、いや”七分信三分疑”といった表情で古式に聞いた。
「それが、ゆかり先輩の出した結論ですか?」
「はい、あくまでも、仮定、ですが」
連尺は考え込み、やがて顔をあげる。
「それで、これから、どうされるんですか?」
「詩織さんに、直接、聞いてみます。もっとも、それが、あっていたとしても、きっ
と、詩織さん自身、気が付いてないとは、思いますが」
古式の表情は、彼女にしては厳しい物になっていた。
ときめく時の中で(131)
このときめきは忘れない(11)
寒風が吹きすさぶ、1月のとある日曜日、古式は詩織の自宅を訪ねた。
「いらっしゃい、ゆかり。寒かったでしょ?
部屋を暖めてあるから、早く上がって」
出迎えた詩織が、古式を2階の自室に招く。
「はい、それでは、おじゃまいたします」
昨夜、「相談したい事がある」と、電話で伝えた古式の声に、いつもと違うものを
詩織は感じた。
卒業まで、後わずか2カ月弱、そう言った事から、何か悩みがあるのかと、詩織は
思った。
(ゆかりが悩むなんて、相当なことなんでしょうね)
考えようによっては、ずいぶんと酷いことを考えた詩織だった。と言うより、古式
という人間から、相談を持ちかけられるとは思いもよらなかったのである。
テニス部内でも、下級生から相談を持ちかけられるのは、詩織より、圧倒的に古式
の方が多い。
古式にはそう言った雰囲気がある事は、詩織にも分かった。
その古式が、相談を持ちかけてきたことに、詩織は意外性を感じたのである。
だが、それは、詩織にとって、その直後大きな衝撃になることになる。
「ゆかりは紅茶だったね」
「はい」
ティーポットから上がる豊かな香りが室内に満たされ、詩織の手により、二つの
ティーカップに琥珀色の液体がそそがれた。
その香りに包まれながら、二人はカーペットに腰を下ろして、カップに口をつける。
「美味しいですねえ」
「うん、私も好きなのよ。これ」
古式の感想にそう答え、詩織は続けた。
「ところで、どうしたの?話って何?」
詩織の質問に古式は答えない。窓の外を見つめ、実感を込めた口調で言った。
「ここから、君本さんの、お宅が、見えるのですね」
「え?・・・ええ、そうね」
古式の意外な言葉に、詩織は首を傾げる。
「それが、どうしたの?」
「いえ、それはそれで、置いておきましょう」
にこやかにそう言って、古式は再びカップに口をつける。
(ゆかり、どうしたのかしら?)
古式の言動に戸惑い、詩織はそう思った。古式の様子を伺いながら、同じくカップに
口をつける。詩織がそうしていると、古式が言った。
「今日、こうして、参りましたのは、詩織さんに、お伺いしたいことが、あったもので
すから、失礼かとは、思いますが、お聞かせ願えないでしょうか?」
「ええ、私に答えられることなら、なるべく答えるけど、何かしら?」
詩織の言葉に、古式は一度肯いてから、意を決したように切り出した。
「詩織さんは、将くんの事が、本当に、好きですか?」
詩織の動揺は相当なものだった。慌てて、手にしたティーカップを落としそうになっ
たほどである。
「ど、どうして、そんな事聞くのよ!」
自分がどういう表情をすればいいか判らないため、詩織は笑いながらそう言ったが、
それとは対照的に、古式の表情には真剣さが増していた。
「どうして? なのかは、追々、お判りいただけるかと、思いますけれども、それには、
まず、私と、将くんとの、関係について、お話ししなければ、いけませんねぇ」
「?」
詩織には、古式の言おうとすることが、全く予想できなかったので、古式のこの言葉
を理解するのに、たっぷりと”3瞬”はかかった。
「私と、将くんは、本当の、姉、弟なんですよ」
詩織は、それがどういう事なのか考えてみたが、答えは出なかった。
「ど、どういう事?・・・それは?」
「私の、お父さまは、将くんの、お父さまでもあるのですよ」
(・・・異母姉弟・・・)
詩織の脳が、それに当てはまる単語を導き出した時、彼女はほとんど無意識の内に、
古式に向かって言った。
「ゆかりはその事を、いつから知っていたの?・・・将くんは知っているの?」
「私は、昨年の、私の、お誕生日に、聞き及びました。
将くんは、ずっと前から、知っていたそうです」
「そ、そんな・・・」
詩織は、思わぬ事態に言葉を無くした。将に父親がいないことは、吉野親子から直接
聞いて知っていた。
だが、その父親が古式の父親だとは、どうして想像できようか。
茫然とする詩織に、古式が続ける。
「ですから、将くんに関わる事は、私にとっても、無関係では、ないのです」
古式の言葉に、詩織は我にかえる。
「私では、将くんに似合わないと?」
なぜそんな言い方をしたのか?詩織自身にも判らない。それは、彼女にはおよそ似合
わない卑屈な物の言いようだった。
「そんな事は、ありません。詩織さんは、とても、素敵な方です。
ただ、それが、将くんにとっても、詩織さんにとっても、必ずしも、いい結果を、
もたらすとは限らない、と私は思うのです」
「一体、どういう事?ゆかり、何を言いたいの?」
詩織は古式が言わんとすることが、全く判らない。そのため、この時点で、彼女の語
気は、かなり荒くなっていた。
それに対し、古式の口調は冷静さを(少なくとも表面上は)装っていた。
「それでは、君本さんを、どう思っていらっしゃいますか?」
「え?・・・どうして、ここにトシくんが出てくるの?」
古式がそれに答える。
「詩織さんは、一時期、君本さんと、お噂になったことが、ありましたね?」
「え?・・・ええ、お隣どうしの幼馴染みって事でね。もう一年以上も前の、どこにでも
あるような、ただの噂じゃない。それがどうしたの?」
「その後ぐらいですね。君本さんが、がぜん校内の注目を浴び、詩織さんが選手をやめ
て、コーチに専念したのは」
「ええ」
古式は一旦、間を置いた。
「私の調子が落ちた時、心配した将くんに、ほんの少し冷たい言い方をした事がありま
したね。
『じゃあ、将くんのしたいようにしなさい』
というような、言い方を、しましたね?」
「それは、私も反省してるのよ。嫌な言い方しちゃったなって」
「その時、君本さんには、あまりよくない、お噂が流れていましたね」
「・・・・」
「さらに、秋口には・・・」
だが、古式は言葉を続けられなかった。とても、普段の詩織から想像できないような
荒々しい口調で彼女が叫んだからだ。
「いいかげんにして!ゆかり!!いったい、何が言いたいの!!」
二人の間に沈黙が流れる。
その沈黙を古式が破る。
「・・・詩織さん、どうして、視線をそらすんですか?」
「え?・・・だ、だって、ゆかりが何を言ってるのか判らないんだもん!」
古式は目を閉じ、深呼吸をしてから言った。
「では、お伺いします。
詩織さんにとって、君本さんとは、どういう存在なのですか?」
詩織はそらしていた視線を、古式に向ける。その表情は、なにか虚ろに見えるような
笑顔だった。
「ト、トシくんは、ただの幼馴染みよ。それ以上でも、それ以下でもないわ」
「いいえ、それは違います。詩織さんは、それに気づいていないだけです」
この時、古式の口調は普段から想像できない、厳しいものになっていた。
「気付いてないってどういう事?
私はトシくんの事を、ただの幼馴染みって思っているわよ。
第一、トシくん、高校に入ってから変わっちゃって、急にもてはじめたから、
私の事なんて、全然、・・・・・・全然・・・?」
ピシッ!
この時、詩織の心の奥底の何かが、音を立ててひび割れた。
ときめく時の中で(132)
このときめきは忘れない(12)
「そ、そんな・・・、そんな事って・・・」
詩織は呆然と何もない空間を見つめていた。
古式も、何も言わず、詩織の次の言葉を待っていた。
それまでそれは、詩織の心の奥深くで、歪みを見せながらも凍結されていた。
だが、古式の問いかけと、詩織自身の言葉により、その封印がとかれ、詩織の心を
熱く、それでいて寒いもので満たしていった。
「そんな事ない!そんな事ないわ!!
私、本当に将くんのことが好きよ。み、身代わりとか、逃げなんかじゃないわ!」
話の組み立てもなく、詩織は反論だけを古式に対してして見せた。
古式はそれに対して、冷静に答える。
「そうです。詩織さんの、将くんに対する想いは、その通りだと思います。
ですが、それと同時に・・・」
「やめて!・・・それ以上言わないで!」
両手に顔を埋め、詩織が叫ぶ。
肩を震わせながら、詩織は震える声で小さく言った。
「どうして、・・・どうして、気が付かせたの?気付かずにいられたら、私は将くんの胸
に飛び込めたのに・・・、どうして?」
古式は苦しげな表情で、詩織に囁きかける。
「そうかも知れません。ですが、・・・」
「ええ、そうね。いつか、それに気が付く時がある。ゆかりは、それを心配してくれた
のよね?」
「・・・はい」
口元を両手で覆いながら、詩織はゆっくりと顔を上げる。
その瞳からは大粒の涙が、溢れ出していた。
「そう、ゆかりの言う通りよ。私は、・・・」
ほんの少し間をおいて、詩織は意を決したように、言った。
「・・・私は、将くんとトシくん、二人を同時に好きなのよ」
「・・・詩織さん・・・」
自分がそれを言わせたのだ、と知っている古式の表情も、悲しげな物になっていた。
高校に入る前、君本に対しての詩織の想いは、単なる幼馴染みというだけのもので
はなかった。それは、異性として意識した、初めての相手でもあった
同じきらめき高校に君本が入学したことは、詩織にとっても喜ぶべきことだった。
なんとなく、照れくさく、そっけない態度を取ったこともあったが、彼に対して、た
だの幼馴染み、ただの友達以上の感情は、すでに持っていた。
ただし、それが、恋愛感情にまでなっていたかというと、そこまでには至っていなか
ったのかも知れない。
だが、高校に入ってからの、君本の成長、変化は、詩織の想いをはるかに上回ってい
た。
気が付けば、君本のまわりには、女生徒たちの好意的な視線が集まり、君本もそれに
答えていた。
高校に入る前には、たびたび二人で出かけていたのに、そうなってからは二人の間は
疎遠になっていった。
詩織はその寂しさを、頭では理解していた。
(いつまでも、昔にままではいられないのね)
と。たとえ、それが心の中とは裏腹であっても。
そこに現れたのが将だった。
詩織にとって将という存在は、最初は、テニスの素質がありそうな、ただの下級生に
過ぎなかった。
それが、前キャプテンの中沢によって、将の担当をする事になり、何事に対しても、
真剣に取り組み一途な将は、ただの下級生から、かわいい後輩になっていった。
その間に、君本の校内での人気は上昇するばかりだった。
しかし、それもある日、臨界点に達した。あまりにも多くの女子達と、付き合ったた
め、女子の間に悪い噂が流れてしまったのである。
その噂を耳にした詩織は、直接、君本に真相を聞いた。君本も上に”バカ”がつくほ
ど正直に、噂が真実だと言ったため、詩織の君本に対する気持ちが、一気に冷めてしま
ったのである。
実は、それが彼に対する想いの裏返しである事に、詩織自身は気が付いてはいなかっ
た。
それが、全ての始まりだったのである。
その間にも、詩織の中で将という存在は、日に日に大きくなっていった。
詩織の誕生のお祝いに、バラの花束を抱えてやって来た将。パーティーで自分の事
を話した将。
詩織に対する一途な想いは、誰の目から見ても明らかであったし、詩織自身にも、そ
れは判っていた。
そして、柔道部の一部の部員との件で、将は詩織にとって特別な存在になった。
ただの後輩などではなく、一人の男性として、愛情を感じる人間として、詩織の心の
大きな部分を占めるようになっていた。
しかし、その間、君本の存在も、実は大きくなっていたのでる。正確に言うなら、冷
めた心が元に戻ってきたと言うべきなのだろうか?
あの後君本は、詩織に対して、デートに誘ったり、電話をしたり、と様々な形でフォ
ローをした。
詩織も、そういった君本に
「しょうがないわね」
と言いながら、機嫌を直してきた。
(いつまでも、気まずいままじゃ、やだもんね)
詩織はそう思っていた。
それと同時に、異性としての君本の存在自体が、大きくなっていったのである。
だが、その事に詩織自身、気付いてはいなかった。
将の事が好きだと気付いた詩織の心は、彼女自身が知らない内に、君本への想いを、
心の奥底に閉じ込めていたのである。
そこには、心のバランスを失わないためにとった、緊急避難的な意味があるだろう。
それを心の弱さと言うのはたやすい。
だからと言って、それを責めることが出来るだろうか?詩織自身も気が付いていない
のに。
そして、親友の美樹原である。
君本が好きだという彼女の言葉に、詩織の心は、君本に対する想いをさらに奥深くに
封じ込める。
それは、対照的に将に対する想いを表面化させる事になる。
「私は将くんが好きなんだ」と。
それが詩織の出した(表面上の)結論だったのである。
もちろん、そのまま時の流れと共に、君本への想いが風化してしまうことも有り得る
だろう。だが、そうならなかった時、その苦痛は今の比ではないだろう。
そう感じた古式は、たとえ詩織に憎まれても、それを気付かせなければならないと
思った。
詩織は同じ部の大切な友人であり、そして将も、古式にとって大きな存在である。
その大事な二人が不幸になる事は、古式にとっても避けなければならない事態だっ
た。
「私、これから、二人にどう接していいのか判らないわ」
詩織が言った振り絞るような声に、古式は顔を上げた。
詩織の思考は、思いもよらなかった事態に、普段からは想像できないほど混乱してい
る事は明白だった。
「メグ、・・・私の親友、美樹原愛さんも、トシくんの事が好きなの。
私、彼女を裏切ることは出来ない」
詩織は首を激しく振る。
まだ、詩織は、君本が美樹原の想いを拒否した事を知らない。
「ううん。こんな気持ちのままでは、私は誰とも結ばれない。
私にはその資格がないもの。
私は・・・、私は・・・」
詩織は再び両手に顔を埋める。
「・・・私は、これからどうすればいいの?」
「・・・詩織さん・・・」
古式はすっと立ち上がり、詩織の横に座り込み、そのまま詩織の頭を抱き抱える。
「?!・・・ゆかり・・・?」
「詩織さん、あまり、ご自分を責めないでください。そして、お一人で、背負わないで
ください。
私に出来ることは、なんでもいたします。
詩織さんも、将くんも、私にとって、大切な方達です。
私も、一緒に、考えます。どうすれば一番良いのかを。
ですから、急がず、慌てずに、考えていきましょう」
優しく静かに、諭すような口調の古式の声に、詩織は肯く。
「うん、うん。お願い、私一人では支えきれそうにないから・・・」
「・・・はい・・・」
「ゆかり」
「はい、なんでしょう?」
「ありがとう」
それが、何に対しての礼なのか?古式には判らなかった。
ときめく時の中で(133)
このときめきは忘れない(13)
「将くん、ちょっといい?」
連尺が将を呼び出したのは、食事も終えた昼休みの事だった。
「あ?いいけど、何?」
「うん、ちょっと部室まで来てくれる? お話があるの」
将はキョトンとした顔で、それに答える。
「ここじゃ、まずいの?」
連尺は将の側にいた、四本松、和人、そして優美達をちらりと見てから、ほんの少
しだけ困ったような表情になって言った。
「まずい訳じゃないんだけど、ゆかり先輩が待ってるから」
「姉さ、・・・古式先輩が?
・・・うん。じゃあ、行こうか」
古式が現役を引退した後、将は古式の事を、公の場では「姉さん」ではなく、
「古式先輩」と呼ぶようになっていた。
それはけじめのようなものだが、今のように、つい「姉さん」と呼んでしまうこと
がある将だった。
それはともかく、将と連尺は教室を後にしていった。
その後ろ姿を見送りながら、四本松は優美に聞いた。
「みゆきさん、何の用なのかなあ?」
「テニス部の事でしょ?優ちゃんが判らないのに、優美じゃ、もっと判らないよ」
「うん、そうだよね・・・」
そんな四本松に、優美は和人に聞かれないような小声で言った。
「気になる?」
「え? な、何のこと?」
明らかな動揺を見せる四本松に、優美は少しばかり意地の悪い笑みを浮かべながら、
こう言った。
「またまた、とぼけちゃってぇ。優美には判ってるんだからぁ。
優ちゃんの事は」
冷やかすような優美の声に、四本松の顔が真っ赤に染まる。
「な、な、何を言ってるのよ。優美ちゃんたら」
言葉は否定しているが、表情は全くその逆だった。
「ああ、そう。ふーーん。まあ、そういう事にしておこうね」
なぜだか、余裕の表情で言った優美の言葉に、四本松はすねたような顔で視線を
プイっと横に向けるのだった。
その姿を見て、優美は声も出さずにクスクスと笑った。
その間、和人と言えばなんの反応もしなかった。
優美が聞こえないように小声で話したといっても、さすがになんの話かは漏れ聞こ
えてくるので、聞こえないふりをしていたのである。
内心は、
(早乙女、お前の方こそどうなんだ?)
と思っていたのだが、決して会話には加わろうとはしなかった。
将がテニス部の部室に入った時、古式の雰囲気がいつもと違うことに気が付いた。
「どうしたんですか?古式先輩?」
勧められた椅子に腰を下ろしながらの将の問いかけに、少なくとも表面上は、いつ
もと変わらぬ笑みを浮かべながら、古式が答える。
「先輩・・・ですか。他人行儀ですねえ」
「え?・・・だって」
将は戸惑いながら、背後の入り口の所に立つ連尺に、ちらりと視線を向ける。
その視線に気付いた古式が、納得したように言った。
「そんな、心配はしなくても、みゆきさんは、私達のこと、すでに、ご存じですよ」
「!?」
驚き、立ち上がる将に、平然とした口調で古式は続ける。
「私が、お話しいたしました」
「・・・姉さん」
「ですから、今からお話しすることは、姉から弟に対しての言葉です。聞いていただ
けますね?」
将はゆっくりと椅子に座り直し、静かにうなずいた。それを見て古式が続ける。
「お話とは、詩織さんのことです」
「・・・? ・・・先輩の?」
「はい。
詩織さんは、今、ある悩みを抱えております」
将の表情が曇る。
「悩み? なんですそれは?」
将の疑問はもっともなのだが、古式はそれには答えない。
「その悩みは、私の口から、申し上げるわけにはまいりません」
将の左肩が、ズルッと落ちる。
「ね、姉さん。それじゃ何だかわかんないですよ」
将は苦笑いを浮かべていたが、古式の表情は真剣なものになっていた。
「詩織さんが、将くんに、言うのならともかく、私の口から、言うべきものではない
のです」
その言葉に、将は振り向き、連尺に視線を向ける。
連尺がその視線に答え、無言で肯くと、将も表情を引き締める。
「それで、どういう事なんです?」
「今、詩織さんは、その事で、苦しい思いをしているかと思います。
ですが、それは、詩織さん自身が、結論を出さねば、ならないことなんです」
「手助けは、無用だと?」
「はい。 手を差し伸べても、詩織さん自身が拒絶するでしょう。そればかりでなく、
かえってその苦しみが、増す事になるかも、知れないのです。
将くんにはつらい事かもしれませんが、見守るだけにしておいてください」
実のところ、将には古式が何を言おうとしているのか、少々理解に苦しんでいたの
だが、古式や連尺が、なんの根拠もなく、こんな事を言うとは思えなかった。
「それが先輩のためなんですね?」
「はい、そうです。
そうしてくださいますか?」
将は少し考え込んだが、古式に向き直り答えた。
「判りました。姉さんの言う通りにします」
古式が肯きながら言う。
「私からは、以上ですが。みゆきさん?」
将の肩ごしに、古式が連尺に視線を向けた。
その視線に連尺が答える。
「将くん」
「なに?」
「忘れないでね。将くんの後ろには、私達がいることを。
将くんは一人じゃないの。 将くん一人で抱え込まないでね。
・・・私からは、それだけよ」
将は3回肯いてから言った。
「つまり、俺にも関係があるって事ですね?」
古式と連尺が同時にうなずく。
「判りました。何かあったら、二人には必ず話します。それでいいでしょ?」
古式と連尺は再び同時にうなずいた。
その日の夕刻、掃除当番で教室を清掃し、後片付けをしていた詩織の所へ、早乙女
好雄がやって来た。
「藤崎さん、トシ、どこに行ったか知らない?」
「え? トシくん? 先に帰ったんじゃないかしら?
少なくとも、私は知らないわよ」
そう言う詩織に、好雄は首を横に振る。
「あの野郎、俺に話があるんじゃなかったのか?
先に帰っただぁ?」
顔をしかめながらそう言う好雄に、詩織が続ける。
「私が知らないだけで、校内にいるかも知れないわよ。私はトシくんのマネージャー
じゃないんだからね」
「そりゃそうだ。・・・ところで藤崎さん、その後、聞いてる」
「え? 何を?
「何って、トシのイギリス留学のことだよ」
「え? ・・・な、なにそれ!?」
「な、なにそれって、・・・」
詩織も好雄も絶句してしまった。それを打ち破ったのは好雄の方だった。
「聞いてないの?」
詩織は言葉もなく首を振る。
「わ、私、聞いてない。そんな事、私、聞いてないわ!!」
「あ、藤崎さん」
止めようとする好雄を振りきり、自分の手荷物を慌ててまとめ、詩織は教室を飛び
出していった。
後に残された好雄は、それを見送り茫然としながら独り言を言った。
「あのバカ、言ってなかったのかよ。
まずかったなあ・・・」
ときめく時の中で(134)
このときめきは忘れない(14)
「まだ靴はあったから、校内にいるのよね」
自分にそう言いながら、詩織は君本の姿を校内に求めていた。
君本は、どのクラブにも属さない無所属だから、部活に行くという線はない。
それが、かえって行く当てが、ぼかされる事となってしまうのだが、詩織には、
一ヶ所、ここではないかと思うところがあった。
(きっと、あそこね)
詩織が目処をつけたのは図書館だった。君本はこの3年間で、急激に学力が上がった
が、中でも特筆される伸びを示したのが文系だった。
ちょっとした時間があったり、試験勉強をする時など、君本はよく、図書館で勉強や
読書をしていた。
大きな窓のすぐ脇が君本の指定席であり、少しだけ視力が落ちた君本は、この時だけ
黒い縁のメガネをかけていた。
それが、彼にはよく似合っていて、中にはその姿を見たいが為に、図書館に顔を出す
女子がいると言う噂まであるほどである。
それほど、その姿はかなり有名なことだった。
詩織もその事は知ったから、図書館に目星をつけたのである。
果たして、詩織は図書館に君本の姿を見つけた。
メガネをかけ、静かにペンをノートに走らせる君本の姿を認めた時、詩織は思わず
名前を呼んでしまうところだった。
ここは図書館だと思いとどまった詩織は、静かに図書館の中に歩を進めた。その詩織
の姿に、館内に無言のざわめきが広がる。
それを、感じているのかいないのか不明のまま、詩織は君本の前に静かに座った。
詩織は、君本の前にある数冊の本が、全てイギリス関係のものである事に気付く。
(トシくん、・・・本当なの?)
詩織の心の声が聞こえたかのように、君本が顔を上げる。
思い詰めたような詩織の表情に、君本は詩織が何を言いたいのかを察した。
「ここじゃ、ほかの人に迷惑だから、出て、一緒に帰ろうか?」
小声で言った君本に、詩織は黙って肯く。
君本は2冊ほど本を借りるため、貸出カードを係に渡して手続きをした。詩織は何も
言わずにその背中を見つめていた。
後になって、この場にいた人間が口を揃えて言った事は、この時、二人の間には、何
か得体の知れない、緊張感のような物が流れていたという事だった。
詩織はその時、君本の背中を見つめながら、ほとんど無意識の内に、様々なことに思
いを巡らしていた。
(今までどうして気が付かなかったんだろう? トシくんの背中って、こんなにたく
ましかったのね)
それは身近にいすぎたため、気がつかなかった事かも知れない。詩織はそんな事を
考えて、
(もし、トシくんが本当にイギリスに行っちゃったら、こうして当たり前のように帰
る事もなくなるのね)
二人の間に、今、大きな転機が訪れているのだと、考えずにはいられなかった。
その光景を見ていた人間の中に、如月がいた。
彼女が君本と知り合ったのは、この場所だった。それ以来、この図書館で、君本と
如月はよく顔をあわせるようになっていた。
場所が場所だけに、話し込むというわけにはいかないが、それだけでも、如月には
嬉しいことだった。
しかし、詩織と君本の姿を見た時、それが、いつまでも続くものではないと悟った
のである。
如月は本を抱き締めるようにしてうつむきながら、自分自身に向かって小さくつぶ
やいた。
(いずれこういう時が来る事は判っていたではありませんか)
彼女にも転機は訪れていたのである。
詩織と君本は一緒に下校した。そして、近所の公園で、耐えきれなかったかのように
詩織が切り出した。
「トシくん、・・・あの話、・・・」
その詩織を、君本が右手を上げて制した。
「・・・好雄から聞いたのか?」
「・・・うん」
「・・・そうか、好雄に ”詩織に言ってない”とは、言わなかったからな。
まあ、しょうがないか」
あきらめたような口調で君本がそう言うと、詩織が真剣な表情でこう言った。
「・・・本当なのね?」
「ああ、・・・」
そう言いながら、君本は肯く
「話があったのは、去年の秋だよ」
君本は所在なげにブランコに近付き、鎖を両手で持ち、右足だけを板に乗せて、言葉
を続けた。
「成績上位の10人が内密に呼ばれてね。
詩織がいなかったのが不思議だったんだけど・・・」
「うん、私、成績落ちちゃったし・・・」
詩織は苦い表情を浮かべる。
さしもの詩織も、3年の秋以降になってのクラブとの両立には、そうとう厳しいもの
があり、わずかではあるが、その成績は落ちていた。
君本は、一旦間を置いてから続ける。
「そこで、イギリス留学の話が出てね。
イギリスのケンフォード大学に、パイプが出来たらしいんだ。
それで、今年度の卒業生から、留学する生徒を送り出したいそうなんだ」
「どうして、そういう事になったの?」
「ん?」
詩織の質問に、君本は笑みを浮かべて答える。
「きらめき高校も私立だからね。これからの生徒数減少時代に向けて、海外留学という
箔をつけたいんじゃないのかな?」
君本の笑みに対して、詩織の表情は固い。
「それで、どうしてトシくんが行かなければならないの?」
「別に強制されて行く訳じゃないさ。
前から経済学は勉強したいと思っていたし、そこには実力が知られたアナリストも
いる。
せっかくのチャンスなんだし、自分を試したいと思ってね」
「だ、だって、勉強だったら日本でも出来るでしょ?」
「そりゃ出来るさ。出来るけどね、なんて言ってもあそこにはシティがあるからね。
そういった空気に触れてみたいというのもあるんだよ。
経済というのは日本だけじゃすまないからね。外国との関係というのは大きく影響
してくるから、一度、日本を離れてみた方がいいと思ったんだ」
君本の言葉は、すでに決定したことだと言っていた。
「もう、決めちゃったの?」
詩織の問いかけに君本は肯く。
「ああ、先生には正式に返事をするよ。行きますって」
その瞬間、詩織の表情が凍りついた。
「どうして?」
「え?」
「どうして、なんにも言ってくれなかったの? どうして、私には何も言ってくれな
かったの!?」
「・・・詩織?」
「そんな大事なこと、・・・そんな大事なことを、どうして私に言ってくれなかったの?
好雄くんには話していたのに!!」
「詩織には関係のないことだろ!」
荒い語気でそういった後、君本はしまった、と思った。
口元を両手で押さえ、詩織が小刻みに震え出していたからだ。
「ひ、酷い」
小声で言った詩織の声に、君本は慌てる。
「ご、ごめん。そんなつもりじゃなかったんだ。
今のは言いすぎだった。」
だが、君本の訂正も、詩織の耳に届いていないようだった。
「酷いよ、トシくん。そんな言い方」
詩織は後ずさり、そのまま駆け出そうかという時、君本は詩織の右の手首を掴む。
「離して!」
「待ってくれ、詩織!今のは謝る!だから話を聞いてくれ!」
「トシくん?」
詩織に立ち去る意思がなくなったことを見計らって、君本は詩織の手を放す。
「詩織に何も言わなかったことは、悪いと思ってるよ。
だけど、これは自分で決めたかったんだ。
好雄には俺から言ったわけじゃなくて、どこからか聞いてきたんだよ。
それは信じて欲しい」
「・・・好雄くん、そういう情報も早いもんね・・・」
「・・・ああ」
君本は肯いてから、さらに続ける。
「詩織に話したら、きっと決心が鈍ると思ったんだ。
だから、自分で決めた」
「どうして、決心が鈍るの?」
「それは、・・・」
君本の表情が固くなる。
「それは?」
詩織の問いかけに、意を決したように君本は答える。
「俺は、詩織が好きなんだ」
ときめく時の中で(135)
このときめきは忘れない(15)
「俺は、詩織が好きなんだ」
君本の言葉に、詩織の心が叫ぶ。
(私もよ!)
しかし、それは決して、詩織の口から漏れることのない叫びだった。
どうしてそれを口に出せようか?
今、それを受け入れるということは、もう一人の詩織自身を否定する事になるから
である。
比較すること自体意味のない、将への想いを打ち消すことなど、今の詩織には到底
不可能なことだった。
心を引き裂かれるような思いに、詩織はその瞳を閉じ、天を仰ぐ。
そんな詩織の姿を見た君本は、自分の言葉が詩織を困らせていると察した。ただし、
その理由を、正確には洞察は出来ないでいたのだが・・・。
「いや、あの、詩織を困らせるつもりはなかったんだ。
だけど、この事は、いつか言わなければいけない。言わなければきっと後悔する。
そう思っていたんだ。
正直言って、留学した後のことは判らない。日本に帰ってくるのか、それとも、現
地に就職するのか?
そもそも、無事に大学を卒業できるのかも判らない」
自分の気持ちを正直に口にした君本に対して、詩織は首を横に振る。
「ト、トシくんだったら大丈夫よ。
今までの3年間のトシくんの頑張りは、一番近くで見ていた私が、一番良く知って
いるんだから」
詩織の言葉に、君本は笑みを浮かべる。だが、その笑みには、心なしか影が刺して
いたようにも見えた。
「それは詩織がいたからだよ」
詩織の胸が締めつけられる。
「詩織が側にいたから、目標とする詩織が側にいたから、俺はここまでやってこれた。
・・・情けない話だろうけど、俺が今こうしているのは詩織がいたからだよ。
詩織がいなければ、俺は冴えない男のままだっただろう」
(そんな事ない、そんな事ないわよ。トシくんなら、大丈夫よ)
もはや詩織は声を発することさえできず、心の中で思うだけだった。
(それに私は、トシくんに、そんなに想いを寄せてもらえるような、女の子じゃない
わ)
詩織にとって、君本の想いは、嬉しくないと言えば嘘になる。 だが、それは同時
に、全く同等の苦しみも生み出す事になっていた。
それは全て、自らが原因だと詩織は思っている。それを決して、他の物に責任転嫁
しない事は、恐らく、詩織本来の心の強さから、なのだろう。
しかし、君本の告白は、そんな詩織をも、苦しませることになっていた。
君本自身は、その事に気が付いてはいない。それはむしろ、止むを得ない。
詩織は、自らの苦しみ悩みを、表に出さないように努めてきたし、その事で人に当
たるようなこともなかった。
多くの者から見れば、詩織は今まで通りの詩織であって、詩織の内面を洞察する事
の方が、通常は、はるかに困難なのだから。
君本は続ける。
「まあ、今だって、そんなにたいした人間になっているとは、思えないけどね。
こんな俺でも、・・・」
君本はそう言いかけて、何か、思い出したような表情になって言った。
「・・・うん、詩織には言っておかなけりゃならないよな」
君本は、一旦息を吸い、呼吸を整える。
そして、
「美樹原さんには、ちゃんと断ったよ」
「メグに?」
この時の詩織の驚きも、相当なものとなった。
美樹原は、詩織に対して今まで通りの接し方をしてきた。
昨年末、長期欠席をした時『何かあった』とは思ったが、その後の美樹原を見て、
その『何か』は解決したのだと思っていた。
美樹原の心情を思うと、詩織はいたたまれない。同時に、知らぬ間に美樹原が、精
神的に、ずいぶん強くなっていると思うのだった。
「・・・そうなの。 メグが・・・。」
詩織の言葉を聞きながら、君本は顔を横に向ける。
「ああ。美樹原さん自身がどうこうじゃないんだ。
俺は詩織が好きだから、他の女の娘とは、もう付き合えない、そういう事なんだ」
君本の決心が固いことは、顔を横に向けているとは言え、その表情を見れば明らか
だ。
「・・・トシくん・・・」
詩織は、その横顔を見ながら、無意識にそう言うだけだった。
北風が駆け抜けて行き、木の葉を螺旋状に舞い上げる様を見ながら、君本が詩織に
向き直る。
「詩織」
「な、何?」
「情けない奴だと、笑ってくれてもいい。
だけど、本当の事を言えば、不安でたまらないんだ。
それに、詩織と離れ離れになる事に、どう対処していいか、判らないところがある
んだ。
今まで、側にいることが当たり前のように思っていたから、これからどうなるの
か、どうするのか?
自分でも判らない」
君本は、まるで自分の言葉に傷ついたかのように、ゆっくりと頭を下げ、うなだれ
た。
詩織も、声もなくその姿を見つめていた。
やがて、髪をかき上げながら、君本が顔を上げる。
「だから、はっきりさせておきたいんだ。けじめをつけるためにも。
・・・詩織が他に好きな人がいるのなら、それでいい。
だけど、俺にも、まだ、チャンスがあるなら、・・・」
そこまで言った君本は、悲しげな笑顔で首を振る。
「俺には、詩織に、付いて来てくれなんて言えないし、待っていてくれとも、とうて
い言えない。
だけど、日本を離れる前に・・・」
前髪を右手でくしゃくしゃにしながら、君本はうなだれる。だが、怖いと思えるほ
どの真剣な表情になり、その顔を上げた。
そして、詩織に向かって叫ぶ。
「日本を離れるその前に、聞かせて欲しい!
詩織がどう思っているのか!?
詩織の本心を聞かせて欲しいんだ!!」
それは、詩織の心に突きつけられた、君本の最後通牒だった。
急激な話の進展に、詩織の思考は混乱し、戸惑いを隠せなかったが、これだけは判
っていた。
(来るべき時が来た)
と。
「いつ、行くの?」
絞り出すように言った詩織の問いかけに、君本は答える。
「卒業式が終わったら、向こうへ持っていく物を整理して、3月の中旬には行かなけ
りゃならない」
「そ、そんなに早く?」
「向こうに早く慣れないといけないし、英会話もちゃんとしておきたい。
なにしろ、英語ができないことには何もできないからね」
苦笑いを浮かべる君本にたいして、詩織の表情は真剣な物となっていた。
「・・・なんか、急すぎて、上手く考えがまとまらないの。
考えさせて。・・・考える時間をちょうだい。
・・・お願い」
最後の言葉は、俯きながらのものになっていた。
君本は、俯いた詩織の頭を見ながら、静かに言った。
「判ってるよ。すぐには結論がでないと言う事は。
・・・だけど・・・」
「・・・?・・・」
「悩むということは、俺にもまだ、望みがあると受け取っていいんだね?」
「!・・・そ、それは、・・・」
困惑の表情を浮かべる詩織に、君本は首を振る。
「いや、これは、余計な事だね。
・・・さあ、あんまり長居をして、風邪でもひいたら大変だ。
そろそろ帰ろう」
ブランコから足を降ろし、そう言った君本に、再び俯きながら詩織は答える。
「ごめんなさい。先に帰ってくれる?
私、もう少しここにいるから」
「そうか、・・・じゃあ、俺、先に行くから」
「うん」
正直なところ、君本は後ろ髪ひかれる思いだったのだが、詩織の言う通り、公園を
後にし、帰路についた。
その姿を見送り、君本が掴んでいたブランコの鎖に触れる。
そこには、まだ、君本のぬくもりが残っていた。
「・・・トシくんが、・・・イギリスに・・・」
独り言をつぶやく詩織だった。
その二人の姿は、きらめき高校の複数の人間に目撃された。
卒業まで、約2カ月を残し、きらめき高校に新たな波紋が広がる。
ときめく時の中で(136)
このときめきは忘れない(16)
詩織と君本が、公園で話し込んでいたという光景は、多くの者の目に止まっていた。
話の内容が聞こえないとは言え、その通常ならざる雰囲気は、誰の目にもはっきりと
判った。
その前の図書館内での二人の雰囲気、翌日からの二人の間に流れる緊張感、それらは
様々な憶測を呼び、生徒たちの想像力をかきたてた。
そして、君本を含めた5人が、イギリスに留学すると言う旨のコメントが、学校から
正式にリリースされるに至って、その噂は校内を駆け巡っていた。
「君本 人思が好きなのは、やはり藤崎 詩織」
「君本はイギリスに、藤崎を連れて行きたいと思っている」
後者は、先走りすぎた噂だったが、前者は見事に真理の一面をついたものだった。
もともと、詩織と君本は、お隣同士の幼馴染みということで、噂になったこともあ
る。
が、それはあくまでも噂の域を出てはいなかった。
有り体に言って、一年生の頃の二人は、第三者から見れば、少々釣り合いというもの
が欠けていたように見えたからだ。
だが、その後の君本の急成長などから、これに現実味が帯びてきたのである。
この二人のラインができるということは、他の人間関係に、大きな影響が出る事にな
る。
同時に、多くの生徒たちは、ある生徒の存在に頭を悩ませることとなる。
将のことだ。
認めたくない者は多かったが、それでも、詩織の一番そばにいると思われていたの
は、将だという事は、大方の意見だった。
将は詩織の一学年下だが、いまさらそれが問題になると思っていた者は、少数派に属
していた。
将自身、公の場で口に出すことは決してなかったが、詩織に対する想いは、誰の目か
ら見ても明らかだったし、詩織にしても、それを迷惑だと思っていない事は彼女自身が
明言していることだった。
何より、二人が一緒にいる構図には、不自然な所はまるでなく、ごく自然な雰囲気が
醸し出されていたので、生徒の中一部では、将と詩織という組み合わせを、すでに既成
の事実と認識していたぐらいなのだ。
それが、君本の件で大きな変化を強いられてきたのだ。
「きら高のスーパーマン、奇跡の人。君本 人思」
VS
「ハイパーポテンシャル、テニス部のエース。吉野 将」
「学校のアイドル、藤崎 詩織」を巡る争い。
そんなプロレスの見出しのような構図を思い浮かべて、生徒たちは口々に言った。
「こいつはすごいぜ」
と。
そんな噂の波が打ち寄せていたのは、テニス部とて例外ではなかった。
いや、むしろ、当事者が二人もいるのだ。渦中と言うべきなのかも知れない。
練習中のテニスコートのあちらこちらで、秘かに小声で話し合う部員たちの話題は、
その噂一色だったと言っても良いだろう。
その中で、一年生の女子が小さな輪を作っていた。
「ねえ、聞いた? 例の噂?」
「聞いたに決まってるでしょ! 驚いちゃったわよ!」
「詩織先輩、最近、部活に顔を出さなくなったでしょ? やっぱり、将先輩と顔をあわ
せるのが辛いからなのかな?」
「それはどうか知らないけど、相手が、”あの人”でしょ?
さしもの将先輩も、詩織先輩がここにいないなんて、心中穏やかじゃないと思うよ」
一面を隔てたコートで練習をする将の姿を見ながら、一人が言った。
「将先輩、かわいそう。
詩織先輩のために、あんなに一所懸命、頑張ってきたのに」
「まだ、将先輩がふられると限ったわけじゃないでしょ!?」
「そ、それはそうだけど・・・」
それは、将のことを心配しての会話だったのかも知れないが、それを端で聞いた本郷
にとっては、気分が悪くなる性質の物だった。
途中までは、なんとか我慢していた本郷だったが、その我慢が音を立てて切れ、そん
な会話をしていたグループに、怒鳴り込もうとした時、凛とした別の声がコート中に響
き渡った。
「あなた達、やる気がないのなら、コートから出なさい!!」
その声に気押されしたのは、そのグループの者だけではない。 腕まくりをしていた
本郷も、その声に動きを止められたのである。
「・・・連尺キャプテン」
各自の口から、その固有名詞が漏れる。
視線が集中した先、コートの出入口に、連尺が立っていた。
「ここはテニスの練習をするところです。
おしゃべりが、不必要なものとは言いません。しかし、今は練習時間です。
そういう、くだらない噂話をするなら、コートの外でしなさい!!
みんなの迷惑になり、邪魔です!!」
コートの外を指さし、怒鳴る連尺に、コート中から音が消える。
連尺は、決して大きな身体ではない。しかし、こういう時の連尺は、普段から想像で
きないほど大きく見える。
言われた一年生達は、震え上がってしまい、声も出せない。
そこに助け船を出したのは四本松だった。
「すいません、キャプテン。この娘達は私の班です。
私の責任です。許してください」
「優先輩?」
「ほら、こういう時なんて言うの?」
四本松に言われて、その一年生達は、全員揃って頭を下げた。
「すいませんでした。以後気をつけます」
「キャプテン、そのぐらいで許してやれよ。もう充分反省したよ。な?」
将も駆け寄ってきた。将の問いかけに一年生達はそれぞれがうなずく。
「はい、将先輩」
「すいませんでした。キャプテン」
そんな声に、連尺が答える。
「判りました。 練習に戻りなさい」
「はい」
練習に戻る一年生達を見て、本郷は茫然としてしまった。
いわゆる”上げた拳の降ろし所がない”状態なのだ。
そんな本郷の脇に、連尺が立つ。
「キ、キャプテン」
「練習に戻りなさい、南さん」
「は、ハイ」
そう答えて駆け出そうとする本郷を、連尺が呼び止める。
「南さん」
「はい?」
そうして連尺は、本郷の耳元で小さく言った。
「こう言う役目は私の仕事です、あなたが憎まれ役をかって出ることはないんですよ」
それだけ言うと、連尺は何事もなかったように、自分の仕事に戻っていった。
その後ろ姿を見て、本郷は思った。
(まったく、調子狂っちゃうな。怒られるよりきついよ、・・・これは)
おかしな話なのだが、将自身は、君本と詩織の噂を知らなかった。
気を使ったのかどうかは知らないが、誰一人として、この話を将には聞かせなかった
のだ。
将がそういう噂を、好きになれないというのもあっただろう。
さすがに、君本のイギリス留学の話は聞いていたし、詩織の様子が違うことは、いか
に将とて判っていた。
周りの様子が違うことも、なんとなくではあるが判っていた。
将は、自分のラケットのガットを直しながら思った。
(周りがどうあれ、俺は俺だ)
と。
それは余裕などではなく、そう思わなければ、自分がひどく惨めで、見苦しい人間に
なってしまうのではないかと恐れる、将の本能が、そうさせていたのかも知れない。
だが、その噂が将の耳に入るのは。時間の問題だった。
ときめく時の中で(137)
このときめきは忘れない(17)
「どうする?」
「どうするって言われてもなあ・・・」
次の授業が体育なので、教室で着替えをしながら、将と和人は、彼等らしくもなく、
出口のない悩み方をしていた。
ウェアを着ながら和人が言った。
「だいたい、そう言うのは、四本松が適任じゃないのか?」
将が答える。
「だからあ、四本松にも話してくれないから、俺に四本松が言ってきたんだよ。
早乙女の様子が変だって・・・」
「様子がおかしいのは判っていたけどなあ・・・」
ここ数日、優美の様子がいつもと違うという事は、将と和人も判っていた。
何か心配事や悩みを抱え込んでいるようなのだ。 暗く塞ぎ込んでいるという訳では
ないが、努めて明るく振る舞っている、そんな無理な部分を感じるのだ。
「なあ、将」
「ん?」
「お前、さりげなく早乙女に聞いてみろ」
「な、なんで俺が?
第一、俺に、その”さりげなく”と言うのができると思うか?」
確かに、そういう事に不得手だというのは、将自身、自覚していた。
和人に言わせれば、それでも大きな前進だという事になるのだが・・・。
「それはそうだが、俺よりはましだろう。
俺だと喧嘩になりかねん・・・」
「おいおい」
将は苦笑いを浮かべて、うなずく。
「判ったよ。聞いてみるよ」
「まあ、期待はしてないから、無理せずやれや」
「お、お前ねえ」
力なく抗議を試みた将を無視して、時計を見ながら和人が言った。
「おっと、そろそろ行こうぜ。遅れちゃうぞ」
「・・・はいはい」
二人は、体育の授業を受けるため、教室の外に出ていった。
昼休みになった。
(和人には、ああ言ったものの、さて、どうするか?)
と、思案にくれていた将だったが、意外にも優美の方からアプローチがあった。
いつものように、机をあわせ、4人で昼食をしようとした時、優美が机に座っていた
将に言った。
「将くん、ちょっといい?」
「な、なんだ?早乙女?」
横に立つ優美を見上げながら、将は聞いた。
「優美とお弁当食べない?」
「え? それはいつもの事だろ?」
「うん、だから、たまには別の場所で食べない?って事だよ」
「えー? なんで・・・いってーー!!」
将はそう叫んで机に突っ伏した。 と言うのも、和人と四本松がほとんど同時に、
将の両足を思いっ切り踏ん付けたのだ。
「な、なに・・・」
(何をする?)と聞こうとした将だったが、和人と四本松に睨まれる。その目は、
(鈍い!)と言ってるようだった。
将もそれは判ったので、観念したようにうなずいた。
「判ったよ、早乙女。行くよ。・・・でも、どこに?」
「それは優美に任せてよ」
そう言って、優美は軽く自分の胸をたたいた。
「そうか、任せるよ」
「それじゃ行こう」
将と優美は連れだって、教室を出て行った。
後に残された和人と四本松は、静かに食事を取る。そして、和人が言った。
「まあ、将に任せようや」
「そうね。そうしましょ」
四本松が答える。
結局、食事中に二人がした会話はそれだけだった。
「へーー、こんなとこがあったのか」
「うん。優美もこの前まで知らなかったんだ」
二人がやって来たのは、体育館の二階観客席の外だった。
バルコニーのような造りのそこは、ちょうど風を遮り、日の光が上手くあたるため、
冬とは思えないほど、温かな場所だった。
「練習が終わって、掃除中にたまたま見つけた、言うなら穴場なんだよ」
「なるほどね。じゃあ、食べようか?」
「うん」
二人はハンカチをひき、コンクリートの床に座り込み食事をした。
しばらくは、取り留めもない雑談に終始していたが、ふと、優美が自分のおかずを、
箸で持ち上げながら、将に言った。
「このお弁当、優美が作ったんだよ。これでも、昔に比べれば、ずいぶんましになった
と思うんだけど、将くん、どう思う?」
「いや、本当に上手くなったと思うよ。
まあ、俺も、人の料理にとやかく言えるほどの腕は持っちゃいないけどね」
「そんな事ないよ。将くんにそう言われると、優美自身持っちゃうなぁ。
なんて言ったって、将くんは優美のお弁当の先生だもん」
嬉しそうに笑う優美につられて、将も苦笑いになる。
「そう言えばそうだよな。早乙女が俺の所に、弁当の作り方を教えてくれって、頼みに
来てから、もう一年ぐらいか・・・」
「早いよねぇ。優美、一所懸命練習したんだよ。お世辞なんかじゃなくて、本当に美味
しいって言われたくて、・・・でも・・・」
優美の声がそこで止まった。
「?」
将は優美の姿を横目で見た。優美の視線の先は、3年生の教室がある校舎があった。
「早乙女?」
「・・・一所懸命やったんだよ。優美は、まだまだ子供だけれど、いろんな事、一所懸命
やったんだ。
・・・でも、駄目だったみたい。
相手が、あの藤崎さんだもんね。優美じゃかなわないよ・・・」
「早乙女・・・、君本さんの事か?」
「うん」
優美はコクリとうなずいた。
「優美、人思さんが好きだったんだ。
でも、人思さんは藤崎さんが好きだ。って噂を聞いた時、優美、もう、目の前が
真っ暗になっちゃたの。
噂は噂だって思っても、不安で不安でしょうがないんだ。
みんな、こんな優美を心配してくれて、本当に嬉しいんだけど、駄目なの。
もう胸が痛くって、時々泣きたくなるの!」
優美の、心の叫びのような声に、将は戸惑う。
「早乙女、・・・うかつには言えないんだけど、元気出してよ。
まだ、そうと決まったわけじゃないんだし」
「・・・どうして?」
「え?」
優美の声に、突然、力強い物が加わったため、将は戸惑った。
その力強さに、優美にはとても似つかわしくない、悪意のような物を感じたからだ。
「どうして将くんは平気でいられるの!?
藤崎さんだよ!藤崎さんの事なんだよ!!
将くんの好きな藤崎さんに関係したことなんだよ!
怖くないの!?
嫌じゃないの!?
藤崎さんが、他の男の人から思われていて、将くん不安じゃないの!?
どうしてそんなに平気でいられるの!?
優美、わかんないよ!!
優美、将くんのように強くないから、将くんにそう言われたって元気なんか出せない
よ!」
優美にはまだ、言いたい事があった。
上手くは言えないが、まだ言いたい事があった。だが、それは俯きながらの将の言葉
に中断された。
「不安に決まってるだろ!!」
優美はビクッと身体を強ばらせる。
「不安に決まってるだろ。 ・・・俺だって、怖いんだよ」
「し、将くん?」
それは優美が初めて見る、将の弱い部分だったのかもしれない。
「俺だって、怖いんだよ」
繰り返しそう言って、将は自分の顔を、自分の両手の中に埋めた。
ときめく時の中で(138)
このときめきは忘れない(18)
「俺だって怖いんだよ」
「将くん・・・」
自らの顔を自分自身の両手に埋め、肩を震わせる将に、優美は、なす術を知らなかっ
た。
やがて、将は顔を上げ、前方の空間を見つめる。
「早乙女、初恋っていつだった?」
「えっ?」
将の突拍子もない(と思える)質問に、優美は慌てる。
「ゆ、優美の初恋?」
「そう」
優美はしばらく、ためらう素振りを見せたが、照れくさそうに口を開いた。
「小学校4年の時、同じクラスの男の子だったよ」
「そうか・・・早いんだな」
「えーーっ!? 普通だよ。このぐらい」
「・・・俺は、藤崎先輩が初恋なんだよ」
「へ?」
優美の将を見る目が変わったことに、将も気付いた。
「な、何だよその目は?」
「だって、だって、なんかそれって・・・」
将は、多少、すねたように言った。
「しょうがないだろ。今まで、そんな事、思いもしなかったし、女の人に興味なかった
んだから」
「それで、いきなり、藤崎さん?」
「わ、悪いか?」
思いっ切り顔を赤らめ照れまくる将に、優美の心に、何か安心感のようなものが生ま
れた。
「将くんも、普通の男の子なんだね」
「どういう意味だよ、それ?」
「だって、将くんって、いつもマイペースって言うか、動じないって言うか、すごく、
大人っぽいときがあるんだもん。
優美、将くんにそういう面があるの知らなかったから、ホッとしちゃったの」
「だから、怖いんだよ」
「え?」
「俺、こんなに人を好きになったこと初めてだから、これからどうすればいいのか判ら
ないんだよ」
将は遠い空間を見つめていた。それは自分の高校生活を思い出している目だった。
「俺、藤崎先輩がいたから、ここまでやってこれたような気がする。
それは、先輩にすがり付くという事じゃなくて、先輩に見合う男になりたい、そう思
ってきたんだ。
成績や、結果から見れば、自分でもよくやってこれたと思うよ。
でも、そこに、先輩がいなくっちゃ意味がないんだ」
無意識の内に、将は左の拳を固めていた。
「想像するだけで怖いんだよ。
先輩が、藤崎先輩がそばにいなくなったら、俺、どうなっちゃうんだろう?
そんな事を考える時があるんだ」
「・・・将くん・・・」
固めた拳を、額に当てて将は続ける。
「先輩を誰にも渡したくない。ずっとそばにいて欲しい。そのためなら手段は選ばな
い、そんな事を考える俺がいるんだよ。
・・・俺、自分が恐ろしい。
先輩が他の人の恋人になる事も恐ろしいけど、自分にそんな醜い部分があるかと思う
と、自分が怖いんだよ。
いくら頑張ってきたとしても、こんな汚い俺じゃ、先輩には似合わない。
そんな風に思えて仕方がなくて、・・・
俺、早乙女が言うように大人でもなけりゃ、強くもないよ!!」
優美から視線をそらし、そう言った将の口調には、普段の明るいものがなかった。
しばらくの間、二人は黙ったまま、食事を進めるでもなく、まるで動きのある彫刻の
ように時間を浪費してしまった。
やがて、優美が口を開いた。
「苦しいのは、優美だけじゃないんだね。みんな、そうやって苦しみながら成長してい
くんだよね。
ありがとう、それと、ゴメンね。将くん」
「なにが?」
「優美ね、今日、将くんに八つ当たりしちゃうところだったの。
”優美はこんなに苦しい思いをしてるのに、どうして将くんは平気な顔をしてるんだ
ろう? 藤崎さんを好きなのに”
そう思ったら、何だか悔しくって・・・」
「本当に八つ当たりだな、それ」
「だから、ゴメンって。本当にごめんなさい」
頭をぺこりと下げた優美に、将は微笑みながら答えた。
「いいよ。そう言う気持ち、俺も判るし、そうやって素直に言ってくれるところが、
早乙女の良い所なんだし、言わなけりゃ判らなかった事なんだから」
「そう言ってくれると、優美嬉しいなあ。
・・・ねえ、将くん?」
「ん?」
「結果がどうなろうと、後悔しないように、精一杯頑張ろうね」
「いや、絶対に後悔する」
「え?」
「俺の親が言うんだよ。そう言う夢のない事を。
どんな選択をしても、必ず後になって、”ああすればよかった””こうすればよかっ
た”って思うって。
自分が望んでいない結果に終わればなおさらだ。って」
将の表情は、明るい物に戻っていた。ただし、それには、悪戯っぽい物が含まれてい
たので、優美は頬を膨らませて、反論した。
「もーー、どうして、そういう意地悪な事言うのよーーー?!」
「八つ当たりにされそうになった、お返しだよ」
「あーー!酷い!許してくれないんだ!」
「プッ!」
将が吹き出し笑い出すと、それにつられるように優美も笑い始める。
「この話には続きがあってね」
笑いを納めた後、将が続ける。
「後悔はするけど、それで、納得がいくのなら上出来だって言うのさ。俺の親は」
「あのお母さんだね」
「ああ。だから、納得のいくようにしたい。
いちいち、噂になんか惑わせれていちゃ、たまらないからね」
優美はコクリとうなずく。
「そうだよね。噂なんかで焦っちゃ駄目なんだよね」
「そう思わなけりゃ、身体が持たないよ」
そうして二人は昼食を終えた。お互い、内心思っていたことを喋ったためか、ずいぶ
んと、気が楽になっていたことを自覚していた。
ちょうどその頃、詩織の教室に、美樹原がやって来た。
「あら、メグ、どうしたの?」
正直なところを言えば、詩織は美樹原に顔をあわせる事がつらい。
君本と美樹原の経緯を知ってしまった以上、今までと全く同じように接するには、苦
痛とは言わないものの、多少の労力を必要としたからだ。
しかし、美樹原は自分より、もっとつらい思いをしたのかも知れない。
それでもなお、今まで通り、親友として接してくれる美樹原。それを思えば、そんな
労力など、ささいな物でしかなかった。
「詩織ちゃん、今度の土日、空いてる?」
「え? ・・・ええ、空いてるわよ。どうかしたの?」
「久しぶりに、私の家に遊びに来ない? お母さんも、また連れてきてねって言ってる
の。・・・どうかな?」
心配するような目で美樹原に見つめられながら、詩織は少し考えてから答える。
「うん。いいわよ。でも、遊びに行くんじゃなくて、勉強しに行くんだからね。
間違えちゃ駄目よ」
「はいはい、それじゃあ、待っているからね」
それだけ言って帰っていく、美樹原の背中を見送って詩織は思った。
(メグのようないいお友達は、大切にしなくっちゃいけないよね)
ときめく時の中で(139)
このときめきは忘れない(19)
週末、土曜日の夜、詩織は美樹原の家にいた。
応接間のソファに腰を下ろし、テーブルの上には教科書類やノートが広がっていた。
別室の客間には、来客用、つまり詩織用の布団が用意されていた。
言うなれば泊まり込みでの勉強会なのだが、どうしてもお喋りをしてしまうのは、
いたしかたない。
詩織と美樹原がこうしてすごすのは、昨年の秋以来である。それは、二人にとって、
楽しみな行事であった。
だが、この日、二人の間に流れる違和感と緊張感を伴う雰囲気を、二人とも感じずに
はいられなかった。
勉強が一段落して、美樹原の母親が差し入れてくれた紅茶を飲み、休憩している時、
二人はためらいながら、口にした。
「あ、あのね・・・」
「えっと・・・」
ただ、それがほとんど同時だったため、会話が続かなくなる。
詩織が右手で促しながら言った。
「メグからどうぞ」
「ううん。詩織ちゃんからどうぞ」
「・・・」
「・・・」
互いに遠慮をする様子が妙に可笑しくて、二人はクスクスと笑い始めた。
その笑いが収まり、詩織が言った。
「メグが、私をお家に呼んだのは、何か話があったからでしょ?
聞かせてくれるわよね?」
しばらく、ためらった素振りを見せた美樹原だったが、静かにうなずく。
「うん」
それは、どちらかと言うと暗黙の了解のような物だったのかも知れない。
互いに腫れ物に触るように気を使い、含みを持たせたような会話と、その雰囲気を、
二人とも判っていたし、なんとかしたいと思っていた。
今、それを切り出す役目を美樹原はおったのだ。
「こうして詩織ちゃんとお話しするのって、去年の秋以来だよね」
「そうね」
「あの時、詩織ちゃん言ってくれたよね。
吉野くんが好きだって」
「・・・ええ」
「そして私は、人思くんが好きだって打ち明けた」
「・・・」
「でも、私、人思くんにふられちゃった」
美樹原は微笑んだが、それが詩織にはかえって痛々しく感じられた。 そして、それ
が、自分に深く関わっていると言う事を知っているが為に、ひどく心が痛んだ。
美樹原の言葉は続く。
「人思くんには、好きな娘がいるのよね。これは噂なんかじゃなくて、人思くん本人か
ら聞いた事なの。
その好きな人は、私の大好きな友達だった」
「メグ・・・」
「人思くんから言われた? 詩織ちゃんの事が好きだって事」
詩織は言葉にはせずに、静かにうなずいた。
「そう、やっぱり、そうだったのね」
納得したような、すでに判っていたことを確認したような表情で、美樹原はうなずい
た。
詩織はその姿を見て、深く頭を下げる。
「ごめんね、メグ。ごめんね」
その姿を見た時の美樹原の表情は、どちらかと言うと驚いたような表情になってい
た。
「ちょ、ちょっとやめてよ、詩織ちゃん。
どうして、詩織ちゃんが謝るの? 詩織ちゃんは何も悪くないじゃない」
「だ、だって・・・」
詩織は俯きながらそう言った。
美樹原は静かに微笑みながら、詩織の手を取る。
「顔を上げてよ、詩織ちゃん。私、詩織ちゃんに謝ってもらいたくないわ。
だって、詩織ちゃんは悪い事なんてしてないんだもの・・・。なんて、今だから言える
んだけどね」
ペロッと舌を出し、おどけてみせた美樹原だった。
「メグ?」
「正直言うとね、詩織ちゃんを恨んだこともあったわ。
詩織ちゃんは悪くないと、頭では判っていても、どうしても心が納得できなくて、誰
かを恨まなくてはいられなかったの。
謝るのは私の方よ」
「ううん。判るわ、メグの気持ち。だから気にしないで」
「ありがとう、詩織ちゃん。
それでね。私がそう言う風に塞ぎ込んでいた時、ある人が私に言ってくれたの」
美樹原の言う「ある人」と言うのが、和人の事ではないかと、詩織にはある程度想像
できた。
昨年末、長く学校を休んだ美樹原の身を案じて、将を通して和人に様子をみてもらう
ように頼んだのは、他でもない詩織自身なのだから。
だが詩織はあえてその事の確認をすることは避け、美樹原の言葉を聞いていた。
「その人にも、好きな人がいたの。でも、その好きな人は、また別の人が好きなんです
って。 しかも、それが自分の友達だって言うの。まるで私の状況と同じだったわ。
その人も悩んだそうよ。
でも、その相手が好きな人の為に、何か手助け出来ることはないか? それを考えた
たそうよ。
それが、好きな女の人のためになるなら、それをしようとしたんですって」
美樹原の言葉は、抽象的だったが、それには力強い物があり、何を言いたいか、詩織
は判った。
「私のような想いをしている人が他にもいる。その人が出来ることなら、私もそうした
い。
私が好きな人、人思くんが詩織ちゃんを好きなら、私は詩織ちゃんの力になりたい
の。
それが、私に出来ること。そう思うの。
それ以上に詩織ちゃんは私の大切なお友達だもん」
「メグ・・・」
詩織は驚かずにはいられなかった。この美樹原の強さはなんだろうと。
異性の前ではおどおどしてしまい、言いたい事も言えないほど内気な面のある美樹原
が、これ程精神的に強くなった事に、詩織は驚きと共に、うらやましさすら憶える。
そんな詩織に美樹原は続ける。
「だからね、私の事は気にしないでね」
美樹原の言葉に、詩織は首を振る。
「違うのよ」
「え? 何が?」
やや、語気の荒くなった詩織の声に、美樹原は戸惑う。
「私、メグにそんな風に思ってもらえるほどの人間じゃないわ!」
「ど、どうしたの詩織ちゃん?」
「私、私・・・あ・・・」
”それ”を、美樹原に打ち明けようと、そこまで言った詩織だったが、美樹原の顔を
見つめ直した時、決心が鈍った。
美樹原の強い面を見せられ、これ程自分のことを思ってくれている親友を、自分自身
によって失う事になるかもしれないかと思うと、口にすることが恐ろしくなったのだ。
だが、”それ”を隠すことが、結局、美樹原を裏切る行為になると思い、詩織は決心
した。
呼吸を整えて、打ち明け始めた。
「今から言う事で、メグに嫌われても、軽蔑されても決してメグを恨んだりしない。
悪いのは全部私なんだもの」
「詩織ちゃん、一体何を言いたいの?」
「メグ、・・・私ね・・・」
その赤い瞳を固く閉じ、詩織は振り絞るような声で、それを口にする。
「私は、トシくんと将くん、二人を同時に好きなの」
ときめく時の中で(140)
このときめきは忘れない(20)
将と君本、二人を同時に好きだと言った詩織の言葉に、さすがに美樹原は驚きを隠せ
なかった。
「・・・詩織ちゃん・・・」
ぽつりとそれだけ言った美樹原に対して、詩織は言葉もなく、ただ俯くだけだった。
そんな詩織の右肩に手を置き、美樹原が言った。
「詩織ちゃんも、辛いんだよね」
「?・・・メグ?」
詩織は、美樹原の言葉の意味を、表情から確認するかのように顔を上げる。
美樹原が静かに微笑む。
「詩織ちゃんの事だもの、きっと、真剣に二人を好きなんでしょ?
そして、その事で苦しんでるんでしょ? 違う?」
沈黙をもってして、肯定の答えとした詩織だった。
うなずきながら、美樹原が続ける。
「人思くんに、吉野くん。二人とも素敵な男の子だもんね。
でも、詩織ちゃんは一人しかいない。
詩織ちゃん、その事で悩んでいるのね」
今度は詩織は声に出して答える。
「そうよ。こんな私が、自分自身で許せないの。こんな私は、誰とも結ばれない。
二人から想いを寄せられる資格なんてないし、ましてや、どちらかを選ぶなんて絶対
に出来ない。
メグにも、そんなに思ってもらえるような女の子じゃないわ!」
美樹原も詩織も、続くべき言葉を見つけられず、沈黙が流れる。
その沈黙を破ったのは美樹原だった。
ためらうように、言葉を選ぶように、慎重に美樹原は言葉を紡ぎ出す。
「詩織ちゃん、・・・上手く言えないんだけど、・・・なんか、おかしいよ。それ」
「え? どういう事?」
「うん、つまり、ええと、・・・」
思案をめぐらせているのだろう。栗色の瞳を閉じ、美樹原は頭を軽く振りながら、
言葉を続ける。
「詩織ちゃんが悩むのは判るわよ。 でも、それで、誰が幸せになるの?
詩織ちゃんが結論を出せないほど、難しいことだとは思うけど、今、その答えを出さ
なかったら、誰が幸せになれるの?」
「・・・幸せ?」
「人思くんはイギリスに行ってしまうでしょ?
そして、私達は卒業して、将くんは学校に残る。私達は、離れ離れになってしまうの
よ。
そうなってから、詩織ちゃんの結論が出たとして、その時には遅い、という事にもな
るのよ。
そうしたら、誰が幸せになれるの? お互いが好き合っているのに、結ばれないなん
て、絶対どこかおかしいよ」
美樹原の言葉に、詩織は動揺を隠せない。
「だ、だって、そんな事言ったって、自分自身がどうして良いのか判らないのに、結論
なんて出しようが、ないじゃない」
「甘えないで詩織ちゃん!」
「メ、メグ?」
詩織が驚き、戸惑ったのも無理はない。美樹原の声は、とても普段の彼女から想像で
きない、厳しい口調だった。
「詩織ちゃんが自分を責めるのは、詩織ちゃんらしいし、とても大事だとは思うわ。
でも、この事に関してはそれじゃ駄目だと思うの。
詩織ちゃんが結論を出さなかったら、人思くんはどうなるの? 宙ぶらりんな気持ち
のまま、イギリスでの生活を始めなければならない。
吉野くんだってそうよ。詩織ちゃんが卒業したら、吉野くんはどうすればいいの?」
美樹原の突きつけた問いに、詩織は答えることが出来ない。
それは、頭では判っていた事だった。しかし、こうして突きつけられて初めて、詩織
は、今、自分が大きな選択をしなければならない時を迎えている事を、実感せざるを得
なかった。
そんな詩織の気持ちを見透かしたように、美樹原は続ける。
「しっかりしてよ、詩織ちゃん。
今、詩織ちゃんが結論を先送りするような事があれば、人思くん、吉野くんの二人も
苦しむ事になるのよ!
そんな事、いくら詩織ちゃんでも許さない。
そんな、はっきりしない詩織ちゃんに、人思くんが苦しむ事になるんなら、私があん
なに悲しくて、辛い思いをしたのは何のためだったの!?
そんな詩織ちゃんに、人思くんは渡せられないわ!
吉野くんだってかわいそうよ!」
「・・・」
詩織は答えようがなかった。今、詩織の目の前にいる人物が、美樹原だと思えないほ
どだった。
それほど彼女には、鬼気迫る物があったのだ。
美樹原の語気は荒い。そして、高ぶった感情が、彼女の瞳を涙で潤ませていた。
その、潤んだ瞳に手を当てて、美樹原は一回大きく息を吸った。声を落ち着かせてか
ら、美樹原は続ける。
「ご、ごめんね。なんだか私、怒りっぽくなっちゃって・・・。 詩織ちゃんだって、そ
のぐらいは判っているのにね。 それで悩んでるんだもん。
ほんとにごめんね」
詩織は首を振る。
「ううん。メグの言う通りよ。メグにはそう言える権利があるわ。
私がしっかりしなければいけないのよね」
「そう、人を好きになったり、好かれたりしていくうちには、想いが報われず、悲しい
思いをする誰かがきっと出てしまう。
だけど、それは仕方がないことだと思うの。それを恐れていたら、人を好きになる事
なんか出来ない。だから、想いが実った人達は、その人達が納得できるように努力しな
くちゃいけない。
私はそう思うの」
「トシくん、将くん、どちらかを傷つけることになっても?」
「・・・そして詩織ちゃん自身もよ」
「私自身も?」
自分の胸に手を当てそう言った詩織に対して、うなずきながら美樹原が答える。
「そうよ。今、詩織ちゃんの中には、二人の詩織ちゃんがいるようなものだと思うの。
二人のどちらを選んでも、詩織ちゃん自身も傷つく事になるのよ」
「でも、それは私自身の責任よ。辛いとは思うけど、覚悟しなければいけないこと。
でも、こんな私のせいで、二人のうちの一人を傷つけていいの?
私にそんな権利があるのかしら?」
美樹原はそんな詩織の手を取り、静かに言った。
「あの二人なら大丈夫。どんな結論が出ようと、それを正面から、しっかりと受け止め
てくれるわよ」
「どうしてそんな事が言えるの?」
「だって、トシくんは私が好きになった男の子だよ。
そのぐらい大きな人でなければ、私が困っちゃうもん」
美樹原の答えは、充分に詩織の意表を突いたものだった。しばらく呆気に取られてい
た詩織だったが、困ったような顔になって、聞き返した。
「あの、それって・・・」
その表情を見て美樹原が吹き出す。
「やだぁ、詩織ちゃん。そんな困ったような顔をしないでよ。せっかく、緊張をやわら
げようとしたのに・・・」
「もお! メグったら、人が真剣に考えてる時に!!」
頬を膨らませながらも笑う詩織に、美樹原もまた、笑いながら謝る。
「ごめんね。 でも、このままだと、どんどん暗くなってしまいそうだったから、つい
言っちゃったの」
「私が知ってるメグは、そんな事を言う娘じゃなかったのになあ。誰の影響なのかな
あ?」
少し意地悪そうな視線を美樹原に向け、詩織がそう言うと、美樹原も答える。
「な、何よ、詩織ちゃん、その目は?」
「別に、なんでもないわよ」
詩織はそう言って、わざとらしく話題を変える。
「ところで、話を元の戻すけど、トシくんが大丈夫なのは、そう言う理由だからだとし
て、将くんが大丈夫だと、どうして言えるの?」
「それはね。吉野くんは、和人くんが一目置いてる男の子なの。だから、きっと大丈夫
よ」
「ふーん。”将くん自体が”、じゃなくて、”領家くんが”、なのか」
そう言った詩織の笑いを浮かべた表情は、先程までの意地悪そうなものだった
それに気付いた美樹原は、ほんの少しだが、しかし、はっきりと慌てた。
「や、やめてよ。詩織ちゃん。別に深い意味はないのよ。
和人くんには、他に好きな人がいるんだし、私もそんなつもりはないわよ!」
「私、何も言ってないんだけどなあ」
「!?・・・ もう、詩織ちゃんの意地悪!」
そう言ったきり、美樹原はふいと顔を横に向ける。詩織は右手を顔の前に立ててか
ら、それに答える。
「ごめんね。ちょっと、意地悪がすぎちゃったね」
そこまで言って、詩織の表情が、再び真剣な物になる。
「でも、そうやって、みんな支えあっていくのね」
美樹原も笑いを消して答える。
「・・・そうだよ、今、詩織ちゃんがどんな結論を出したとしても、あの二人なら、想い
が報われなくても、支えてくれる人がいるわ。
詩織ちゃんが、何もかも抱え込むことはないんだよ」
「うん。そうだね」
詩織はうなずき、窓の外を見ながら言った。
「卒業まで、あと、一か月ちょっと・・・」
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