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ときめく時の中で総集編 第8集


   ときめく時の中で(102)

   絡み合う想い( 1 )



 「柔道部壊滅事件」から早くも1週間が過ぎた。
 各関係機関への学校の粘り強い説得と努力によって、将は今までと変わらない生活を
送れるようになっていた。

 そんなある日の放課後。
 部活の練習に出ていた本郷は、テニスコートの周りに集まっていた女子達に
業を煮やしていた。
「練習の邪魔なのよ。ピーチクパーチクとうるさい!水でもかけちゃろか」
と、声を震わせながら小さくつぶやいた。
 呆れたことに、実際にホースを持ちだそうとした本郷を、コートの外から呼び止める
声がした。
「本郷さん」
 本郷が振り向くとそこに一人の男子生徒がいた。本郷には見覚えがない顔である。
 心なしかまわりの女生徒達が引いたような感じである。
(誰よ?何だか気障ったらしいなあ。・・・確かに見てくれはいいけど)
 そんな事を思いながら本郷は聞いた。
「どなたですか?それにどうして私の名前を?」
 その男子生徒は答えず、本郷の胸のあたりを指差した。そこには本郷の名前が書いて
あった。
(なるほどね。・・・でもいちいち名前で呼ぶかあ?)
「ところで何のご用でしょうか?」
「詩織、いや藤崎さんに届け物があるんだ。中に入るよ」
「それなら私が・・・」
「いや、手渡ししたいんだ。入るよ」
 そう言うと、その男子生徒は金網のドアを開けてコートの中に入って来た。
「ちょ、ちょっと待って下さい」
「ままま、すぐ出るからさ」
 制止しようとする本郷の声を軽くいなす。
(ちょっとなによ!?あれは!)
 本郷は右手の中指を突き立てて、ハッとしてそれを左手で抑える。
(いけない、いけない。やめろって将先輩に言われてたっけ。
 ・・・それにしても、なんなのよ?)


 そのころ、その将と詩織は練習メニューについて話し合っていた。
「それじゃあ、筋力トレーニングを増やすということでいいわね?」
「ええ、良いですよ。また西島君に目の敵にされてしまうでしょうけどね」
「うふふ、お手柔らか・・・・」
 詩織の声が途切れる。
「先輩?」
 将の問いかけに詩織は答えない。そして小さくこう言った。
「・・・トシくん?・・・どうしてここに?」
 将は振り返る。そしてそこに一人の男子生徒の姿を認めた。
(あの人だ)
 直接の面識はない。しかし将にはそれが誰なのか判っていた。
 きらめき高校の生きた伝説、容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能、
あまつさえ一部ではスーパーマンとさえ言われる人物。
 そして今、将の隣にいる詩織の幼馴染・・・。
 詩織が「トシくん」と呼ぶその人物の名前を、将は心の中で叫んだ。
(「あの人」君本人思さんだ!)

「ト、トシくん。ど、どうしたの?」
 詩織の声に答え、彼はYシャツの胸ポケットから、1枚のフロッピーディスクを
取り出した。
「詩織、今日、これを家に忘れてきたって言ってただろ?」
「わざわざ、持って来てくれたの?ありがとう。・・・ところで、
私の部屋に入ったの?」
「まさか、おばさんに取って来てもらったに決まってるじゃないか」
「そう?よかった。今、お部屋散らかってるから。・・・あ、紹介するね」
 将に視線を向け、そう言いかけた詩織を、君本はさえぎる。
「紹介はいらないよ。
 今やきらめき高校の期待の星、飛ぶ鳥を落とす勢いのテニス部のエース、
吉野将君の事を俺が知らない訳がないだろ」
 さわやかに笑う君本に、将の心にざらっとした感覚が走る。
「こちらの方こそ知らない訳がありません。
 君本、人思さんですね。はじめまして、吉野将です」
「なるほど、もうチェック済みと言う訳か」
「そんな、チェックだなんて・・・」
 将の言葉そのものは控え目な物だったが、視線は相手からそらしてはいなかった。
「まあ、いつも詩織がお世話になってるね、これからもよろしく」
「いえ、こちらの方こそ」
 そうして二人は握手を交わす。
 その時コートの内外を問わず同じような会話が、あちこちでかわされた。
「なんか、今、火花散らなかった?」
「散った散った。こうバチバチっと」

「クックック」
突然、君本が笑い始める。
「?」
将と詩織が呆気に取られている中、君本は本格的に笑い始める。
「ワーーーッ、ハッハッハッハ」
君本は笑いながら、フロッピーディスクを持った左手で、
将の右肩をバンバンと叩く。
「???」
「まあ、そう、しゃっちょこばんなよ、おい!
同じ高校生じゃねえかよ」
「なんだ君本、何しに来た?」
 そこに元城がやって来た。
「なんだとはなんだ?人がせっかくこれを持って来てやったのに、
 今日これ欲しかったんだろ?」
 詩織にフロッピーディスクを渡しながら、君本は元城に言った。
「それには感謝するが、わざわざ入って来る事はあるまい」
「まあ、手渡ししたかったんでね」
「ふーーん、まあそういう事にしておこうか」
「じゃあ、俺は帰るから。じゃあな詩織」
「うん」
「じゃあ、吉野君、これからもよろしく」
「ええ、こちらこそ」
 そうして君本は右手をあげながらコートを出ていった。
「宣戦布告か」
 その後ろ姿を見ながら元城はつぶやいた。
「え?なんです?」
 将が尋ねる。
「いや、なんでもないよ。さあ、練習再開だ」
「はい」
 将が再び練習を始めると、元城は頭を掻いて小さくこう言った。
「君本、お前には悪いが、俺は将の方につくからな」

 
   ときめく時の中で(103)

   絡み合う想い(2)


 将達は修学旅行で北海道へ来ていた。初日の夕方、宿に着いてそれぞれがくつろいで
いた。宿舎では、将と和人はツインルームの同部屋になった。
 考えてみればわかるが、旅先に出てじっとしていられるはずもなく、他の生徒達は
外出したり、ロビーでたむろしていたりして、それなりに高校生らしい行動をして
いたのだが、将は部屋で机に向かっていた。
「絵葉書書いてるのか?」
 和人の声に、机に向かったまま将が答える。
「う、うん、まあね」
「・・・藤崎さんに・・・か?」
「・・・藤崎先輩にも・・・だよ」
「・・・まあ、そういう事にしておこうか。ところでさあ、どこにも行かないのか?
 せっかく北海道に来たっていうのに」
 将は苦笑いで答える。
「うーーん、俺は執行猶予の身だからなあ」
「・・・そういう卑屈な言い方はお前には似合わないぞ」
「いや、卑屈になってる訳じゃないんだけどな。でもなあ、なんで俺って
ああなっちゃうのかなあ?」
 将の顔が曇る。
「自分が抑えられなくなるんだよ。そのせいで周りの人に迷惑をかけて・・・
 なのに俺は今までのままで・・・俺このままでいいのか?そう思うんだ」
 和人が首を横に振る。
「だから、お前はやるべき事をしたんだって。
 まあ、少しばかりやりすぎな所があったけど、それは端から見ればの話であって、
あの時はそれしかなかったんだよ」
 座っていたベッドから立ち上がり、和人は軽く背伸びをする。
「お前にそう言う未完成な部分がなかったら、近寄りがたくなっちまうぜ。
 完璧すぎちゃってな」
「おだてるなよ」
「おだててなんかいないさ。
 それに、あの時お前がやってなかったら、つまり、袋叩きにあっていたら、だけど、
その時は俺がやってたよ。
ま、俺がやってたら、あんなもんじゃすまなかったけどな」
 ニヤリと笑う和人に、将もつられて笑う。
「・・・まったく、お前が言うと冗談に聞こえないからなあ」
「あれ?俺、冗談で言ったつもりは全くないぜ」
「はあ」
 将が呆気に取られたと言うか、あきれたと言うべきか、そんなため息を付いた時、
ドアをノックする者がいた。
「ん?誰だろう?」
 和人がドアを開けるとそこには優美と四本松がいた。
「あーー、思ったとおり、和人ったらこんな所にいるしー」
「何だ?早乙女。何の用?」
 それに答えたのは四本松だった。
「将君もいるんでしょ?中に入ってもいい?」
「なんだ?早乙女だけじゃないのか。・・・いいよ、入っても」
 椅子から振り返り将が答える。
「おじゃましまーーす」
 そう言った優美と四本松が中に入ると、和人はドアを開けっ放しにしていた。
「和人、そんな心配しなくても良いんだよ。まあ、和人しかいなかったら、
多少不安かもしれないけどね」
「そりゃどういう意味だ?早乙女?」
 いぶかしげな表情の和人に、優美はどういう訳か自慢げな表情で答える。
「だって、将君がいるんだもん。安心してるもん」
「・・・ああそうかい、そうかい。どうせそんな事だろうと思ったよ」
 和人は大袈裟にすねたような言い方をした。それを見て将と四本松は、
顔を見合わせて笑った。
「ところで、どうしたの?二人して」
 将の質問に四本松が答える。
「あ、みんなが捜しているのよ」
「誰を?」
「誰をって・・・んもう!将君に決まっているじゃない!」
「なんで?」
 そこに優美が割り込む。
「どういう訳か知らないんだけど、312号室に15人ぐらい集まっていたんだよ。
 そのうちに、誰かがいない?あ!将君だ!って事になったんだ。
 それで優美達捜しに来たの」
「それはいいけど、312もこことたいして広さ変わらないだろ」
「だからね」
 そう言って優美は天井を指差す。
「屋上に行けるんだよ。ここ」
 将と和人は顔を見合わせる。
「なるほどね、じゃあ行こうか?和人」
「ああ、そうしようか」
 立ち上がった将は、やや視線を落としてこう言った。
「ありがとうな、早乙女、四本松」
 そう言われた二人は、顔を将に向けたまま視線だけを見合わせる。
「何言ってるの?そんな沈んだの、将君らしくないぞ!」
「優美ちゃんの言う通りよ。そんなに気を使わないでいいんだからね。
 私達友達でしょ?」
 将は嬉しかった。そして自分が恵まれた環境にいる事が幸せだった。
 こうして、将と和人は優美達に連れられ、ホテルの屋上でクラスメイト達との雑談に
加わることとなる。
 そして修学旅行は昨年のような熊が出た等と言うアクシデントもなく、順調に予定は
進んでいった。



 将達が北海道の各地をまわっていた頃、きらめき高校の校門では、優美の兄、
早乙女好雄は下校途中の君本人思を捕まえていた。
「よう、トシ!今帰りか?」
「なんだ、好雄か」
 君本はいかにも残念そうと言った表情を浮かべて歩き出す。
 好雄がそれに続く。
「何だとはなんだよ?俺が声をかけたら不満か?」
「当たり前のことを聞くなよ。・・・ところで何の用だ?」
 そう言われて、好雄は嬉しそうに笑いながら答える。
「聞いたぜ。会いに行ったんだってな、例の吉野って奴に」
「・・・相変わらずの情報網だな、もう聞いたのか。一体誰に聞いたんだ?」
「ニュースソースは秘密にしておくもんさ。なにしろ女子の間では有名だぜ。
”テニスコートでの宣戦布告”ってな」
「おいおい。宣戦布告とはそりゃ大袈裟だなあ」
「大袈裟でもないさ、で、どんな感想だ?会ってみた感想は?」
「そうだな、なかなかいい奴みたいだな。詩織とも息が合うみたいだし。
 俺は相当詩織を怒らせたし、あんな奴が身近にいれば詩織だってクラッと来るよな」
 そう言って君本は空を見上げため息をついた。
「まあな、一時期の藤崎のお前に対する評価は最悪だったからなあ」
「それを言うなよ。あの針のむしろの日々は思い出したくない」
 君本は苦虫を噛み潰したような表情になった。

 君本人思。現在、きらめき高校でその名前を知らない者は少数派に属する。
 彼は幼馴染である藤崎詩織を追うようにきらめき高校に入学して来た。
 本来、彼はあまりさえない生徒であったのだが、入学してからの急成長には誰もが
目を見張った。
 2年の終わりのテストではついに学年の1位となり、スポーツもなんでもこなし、
容姿端麗で話題も豊富な彼は、学校中の注目を集めるようになっていた。
 当然と言うべきか、そんな彼の周りには多くの女子が集まるようになっていた。
 そう言った訳で、彼に関していろいろな噂が走った事もあり、詩織との仲が気まずい
物になった事もあったのだ。
 もっともそれは、今年の夏休みに入る前の必死のフォローにより、なんとかなった
のであるが、それはあくまでも幼馴染と言う範疇を出ていない物であった。
「なあ、トシ、一つ聞きたいんだけどなあ?」
「なんだよ?」
「お前、実際のところ、誰が1番好きなんだ?
 藤崎か?如月か?それとも虹野、清川、美樹原、朝日奈、鏡、・・・おい、
まさか優美だなんて言うんじゃあるまいな!?」
「まさか、冗談だろ」
「お前、優美に魅力がないとでも言いたいのか!?」
「どっちなんだよ早乙女は!?」
 君本は頭を抱える。
「だいたいさあ、そう女の子の名前ポンポン出すなよ。それじゃまるで俺がひどい奴
みたいじゃないか?!」
「そりゃ自分の胸に聞いて見るんだな」
 好雄にあっさりとそう言われて、君本はうなだれた。
「あーーあ、まいっちゃうなあ」
 独り言を言ったのであるが、それははっきりと好雄にも聞こえた。
(やれやれ)
 好雄は内心でそう思いながら、肩をすくめた。


 
   ときめく時の中で(104)

   絡み合う想い(3)



 将が修学旅行に行っている間には、一日祝日が入っている。
 その祝日の前の晩から、詩織の家に美樹原が泊まり込みで遊びに来ていた。
 名目上は詩織に勉強を手伝ってもらうと言う物だったのだが、当然それだけで終わる
訳がない。(勉強ももちろんするのであるが)
 いろいろな事をお喋りしている内に夜も更けていった。
 ふと、美樹原が黙り込み、考え込んだような顔になったので、詩織が首を傾げる。
「どうしたの、メグ?」
 美樹原はしばらく躊躇するかのように視線を移動させながら黙り込んでいたが、
やがて、ためらいがちに口を開く。
「あ、あのね、詩織ちゃん」
「ん?なあに?」
「あのね、・・・私ね、あの・・・」
 詩織は、口ごもってしまった美樹原の右肩に手を置いて聞いた。
「もう、メグったら、どうしたの?」
 美樹原は2度ほど頷いたあと、その栗色の瞳を詩織に向ける。
「私、これだけは詩織ちゃんには聞いてもらいたいの」
「何を?」
「私ね、・・・君本くんのことが好きなの!」
 やっとの思いでそれだけ言うと、美樹原は顔を真っ赤に染めてうつむいてしまった。
 それを聞いた詩織は、美樹原の言った事を理解するのに暫くの時間を要した。
 そして、その意味が理解できると、はっきりとそうと判る驚きの表情を浮かべた。
「・・・メグ・・・」
「あーーん!言わないで詩織ちゃん!」
 美樹原は顔を両手に埋めながら、首を激しく横に振った。
「私なんかじゃ、君本くんに似合わないのは判ってるのよ!」
 詩織は笑いながら再び美樹原の肩に手を置いた。
「バカねえ、メグったら。私がそんな事思う訳無いじゃないの!
 ちょっと意外だったから驚いただけよ。メグだったら大丈夫よ。私が保証するわ」
「詩織ちゃん?」
 美樹原は顔を上げた。
「そっかあ、メグはトシくんの事が好きなんだ。ふーーん、そうなんだ」
 満面に笑みを浮かべ、本当に嬉しそうな表情の詩織に、美樹原は再び顔を赤く染めて
うつむく。
「それで、どうするの?いつ告白するの?」
 美樹原は詩織の質問には答えず、逆に問い返す。
「詩織ちゃん、いいの?」
「何を?」
「だって、・・・詩織ちゃん・・・」
 美樹原の言わんとした事を察した詩織は、笑いながら首を振る。
「もう、前にも言ったじゃない、トシくんとはただの幼馴染だって。メグが気にする事
なんて何もないのよ」
「本当に?」
「もう、メグに嘘ついてもしょうがないでしょ?
 それに私、今、いいなって思ってる男の子いるし・・・」
「吉野くん?」
 美樹原にズバリと固有名詞を出されて詩織は戸惑ったが、やがて首を縦に振る。
「そうよ、私ね、将くんの事が好きになったみたいなの」
 先程までの美樹原と同じように、詩織は顔を朱で染めた。
「詩織ちゃん」
「でもね、メグ。私、正直言って自信はないの」
「どうして?」
「だって、彼人気あるでしょ?それに私、年上だし、将くんだってやりにくいわ、
きっと」
「そんなことないわ!それこそ、そんなことないわよ詩織ちゃん!」
「メグ?」
「私から見たら、詩織ちゃんと吉野くんってすごくお似合いだよ。
 私、うらやましいもの」
「そ、そうかな?」
「そうよ」
 すると美樹原は、手にマイクを握るような格好をしてから、口調を変える。
「えーー、それでは藤崎詩織さんに聞いてみましょう。藤崎さん?吉野将君のどんな
ところにひかれたんですか?」
 見えないマイクを持った右手を差し出す美樹原を、詩織は一瞬睨みつけたかと思うと
そのまま軽くタックルをかけた。
「もう!メグの意地悪!」
「キャ!」
 二人はもつれながら、美樹原用にひいてあった布団の上になだれ込む。
「あーーん、詩織ちゃん、くすぐったいよお」
「あん、もうだめだめ!許さないんだから」
 しばらく小犬のようにじゃれあっていた二人だったが、詩織が上半身を起こす。
「メグがトシくんの事が好きだって言うから、私も言ったんだよ。
 どうしてそんな言い方するのかな?」
 仰向けになりながら、美樹原が両手を顔の前であわせて答える。
「ごめんね、じゃあ私も言うから詩織ちゃんも教えて、ね?」
「約束だよ?」
「うん」
 美樹原がそう言うと、詩織は起き上がり、勉強机の椅子に座る。美樹原も布団の上に
膝を崩して座った。
 机の引出を開け、詩織は1枚の絵葉書を美樹原に手渡す。
「北海道?・・・ああ、修学旅行。吉野くんからなのね」
「うん」
「読んでいいの?」
「うん」
 手首を翻し、美樹原は文面を読む。
「『こんにちは、お元気ですか?こちらは元気でやってます。
 おみやげ買って帰ります。お元気で』
 ・・・え?これだけ?」
「そう、それだけ」
「なんとなく、吉野くんらしいね」
「メグもそう思う?」
「うん」
 詩織は美樹原から返された絵葉書を引出にしまいながら言った。
「私ね、将君なら私だけを見てくれると思うの。そして、私を守ってくれる。
そう思うのよ」
「やっぱり、あの事件の時?」
「うん」
 あの事件とは、もちろん『柔道部壊滅事件』のことである。
「あの時、私、不思議と恐さは感じなかったわ。むしろ将君の戦う姿に胸が高鳴った
ぐらいなの。
 『今、私は将君に守られているんだ』ってそう思ったの。
 不謹慎だとは思うんだけどね」
 しばらく沈黙が流れる。
「でも」
 詩織の短い言葉に美樹原が聞き返す。
「でも?」
「やっぱり、全部かな?」
 そう言って詩織は照れたように頬を染めて笑った。
「さ、次はメグの番よ」
「え?」
「え?じゃないの。約束したんだからね」
「うん、えーーとねえ、・・・やっぱり私も全部かな?」
「あー!!ずるいなあ、私はちゃんと言ったわよ」
 詩織はそう言うと、再び美樹原に飛び掛かろうかという素振りを見せた。
 美樹原は両腕を抱え込んで身を丸くする。
「やーーーん。だって、だってえ、そうなんだもん。許して詩織ちゃん!」
 そう言って美樹原は詩織に背中を向ける。詩織はその背中から両腕をまわす。
「詩織ちゃん?」
「そうだよね、好きになるのは理屈じゃないもんね?」
 美樹原がコクリと頷く。
「メグ、お互いがんばりましょうね」
「うん」


 
   ときめく時の中で(105)

   絡み合う想い(4)



 秋の新人戦を控えて、テニス部では出場する選手を決める選考会が行われた。
 例年になく新入部員が多く、全員を出すと言う訳にはとてもいかないのである。
 また、実力があるものが多く、その選考は非常に困難で、公平を期すために、
希望者間で総当たりの試合をおこなって決めたのである。
 その中で本郷は、1勝7敗という成績で終り、その選考から漏れた。
 その選考会が終わり、すべての練習が終わった後、本郷は校庭の土手に腰を落として
所在なげに校庭を眺めていた。
 日も傾き、夕闇が訪れているその中、その本郷の背中に詩織が声をかける。
「南ちゃん」
「詩織先輩?」
 詩織の言葉に本郷が答える。
「隣、座ってもいい?」
「・・・ええ、いいですよ」
 セーラー服のスカートの裾を抑え、詩織が本郷の右側に腰を降ろす。
 そのまま詩織は何も言わずに本郷の横で、校庭を眺めていた。
「何のご用ですか?」
 たとえ顔見知りとは言え、クラブの先輩が横で黙って座られれば、居心地が悪い
とまでは言わなくても心理的な重圧は少なからずある。
「特に用はないの。ただなんとなく・・・ね」
「・・・そんなに心配してくれなくても大丈夫ですよ、先輩。ただ、
悔しいだけで・・・」
 そのまま唇を噛む。
「泣いたっていいんだよ」
「・・・そんな風に見えます?」
 詩織は首を横に振った。
「そういう訳じゃないの。ただ南ちゃんって、我慢強いと言うか、頑張りすぎてるって
言うか、そんな感じがするの。
 もう少し楽にしてもいいんじゃないかな?そう思うの」
「だって、頑張らなきゃテニス部に置いてもらえなくなっちゃいます」
 そう言って本郷は詩織を見返す。
「キャプテンに半年待って下さいなんて言っておきながら、全然上手になれなくて。
 自分で自分が情けないです」
「そんなことないよ。南ちゃんが頑張ってることはみんな知ってるよ。
 元城キャプテンだって、米津君だって、他の人達だってね。
 みんな思ってるんだよ。南ちゃん上手くなってるって。
 今日の事だって、たまたまそういう結果になっただけで、ちょっとした事で、
勝ち負けの数字が入れ代わっていたかも知れないんだよ。
 それにテニスを初めて半年ぐらいで、今日ぐらい出来る方がすごい事なんだよ。
 自信を持って。ね?」
 首を傾げ詩織が本郷に向かってそう言うと、本郷は顔をそむけて答える。
「だって、将先輩は去年ベスト16に入ったんでしょ?
 私より短い間で」
 詩織は少し驚いたような顔になり、しばらくしてクスっと笑った。
「何がおかしいんですか?」
 むっとした表情で本郷が聞き返す。
「ごめんなさい。だって、将君の基準で言ったら、どんな人だって不合格よ」
 そう言った詩織は真剣な表情になる。
「将君は特別よ。・・・軽々しく言ってはいけないのかも知れないけど、天才よ。
 ・・・あっ、こんな事、南ちゃんはずっと前から知っていてるんだよね。
 私より将君のことを見て来たんだよね」
 本郷は詩織の方を見もしないで言った。
「私が好きになった時の将先輩は、今ほど注目を集めてはいませんでした。
 私はそんな将先輩が好きになったんです。そりゃ今の先輩も素敵ですよ。でも、
なんだか遠くなって行ってしまいそうで、不安になっちゃうんです。だから、せめて、
同じ部活にいたいんです。
 こういうのおかしいですか?変ですか?」
 詩織は首を横に振る。
「ううん、そんな事はないわ。ただ一緒にいたいだけじゃなくて、そのために一所懸命
努力してるんだもん」
 詩織の方を向き、本郷は恐る恐るといった風に聞いた。
「私、テニス部にいて良いんですか?」
「当たり前でしょ。頑張ってね」
「・・・はい」
 元気よく答えた本郷だったが、やがてポツリと独り言をこぼす。
「先輩がいっそ、いやな人だったら良かったのに」
「え?なあに?」
「いえ、何でもありません」
「そう?
 日も暮れて冷えて来たし、体調を崩したら大変よ。そろそろ帰りましょ」
「あ、どうぞお先に。私もすぐに行きますから」
「・・・それじゃあ、先に行くからね」
「はい」
そう言って立ち去る詩織の後ろ姿に、本郷はため息と共に小さく声をかける。
「でも、あきらめた訳じゃありませんからね。勝負はこれからなんですから」

 一方、本郷の聞こえぬ声に語りかけられた詩織は、帰宅するため、とぼとぼと校門に
向って歩いていた。
 歩きながら視線を落とし、詩織は自分にしか聞こえないような声で言った。
「南ちゃんたら、一途で素直で、なんだかうらやましいな」
 その詩織の視界に、一人の男子生徒の足が入った。
「先輩」
 視線を上げ、その声の主を確認する。
「将君、どうしたの?」
「いえ、本郷を元気付けていただいたお礼を言おうと思って。
 ありがとうございました」
「見てたの?」
「あいつ落ち込んでいたでしょ?元気付けてやりたいと思ったんですけど、先輩が
行ってくれたから見てるしかないじゃありませんか」
「そうね、誰かさんのせいで落ち込んでいたのかもね」
「え?」
「ううん、何でもないの。それじゃあ帰りましょ」
「は、はい」
 そうして二人は下校していった。



 それより少し前、テニス部の部室では元城と連尺が机をはさんで向かい合っていた。
 部室にいるのはこの二人だけである。
「私が、次期キャプテン?」
 連尺の質問に、元城は2度ほど頷いてから答える。
「正式な引き継ぎは文化祭が終わってからとなるな。・・・俺はさあ、何の前触れもな
く中沢さんから指名されて慌てふためいたから、前もって伝えておこうかと思ってな。
 で、どうだ?やってくれるかな?
 いや、ぜひやって欲しい」
「私はマネージャーですよ」
「言われるまでもない」
 ごく当然といった風に元城が答えた。
 連尺はしばらく考え込んでいるようだったが、やがて顔を上げる。
「将君は?」
「将はサブキャプテンに、と思ってる」
「・・・キャプテンでないのは、将君の負担を減らす為ですか?」
「正直言えばそうだ。連尺には悪いが貧乏くじを引いてもらわにゃならん。
 つらい役目になるのは判ってるんだけどな」
 連尺は深いため息を一つついた後、前髪をかき上げる。
「わかりました。全力を尽くします」


 
   ときめく時の中で(106)

   絡み合う想い(5)



 文化祭も近づいた秋のある1日、廊下を歩いていた君本は、一人の女子生徒とぶつか
った。いや、もっと正確に言うなら追突されたと言うべきかもしれない。
「いてえ」
「あっ、ごめんなさい」
 君本にはその女子に見覚えがあった。その特徴のある髪型を忘れる方がむしろ難しい
だろう。
「おいおい、これで3度目だぜ」
「え?そうだっけ?忘れちゃった。それじゃ」
 慌てて立ち去る彼女の背中を見ながら、君本は思った。
(名前ぐらい教えてくれてもいいのに)
 そして首を傾げる。
(あれ?あの娘、後ろから来たんだよな。そっちへ行ったら逆じゃないのか?)
 しばし考え込んでいたが、やがて歩きはじめる。
「まあ、いいか」



 そのころ、君本にぶつかった女子生徒、館林見晴は廊下を曲がった階段の入り口で息
を整えていた。走って来たからと言うだけでなく、緊張していたのが大きかった。
 そんな彼女に声をかけた者がいた。
「義姉さん、何してるの?」
「・・・和人君!?・・・見てたの?」
「偶然通りがかってね。見るつもりはなかったんだけど、見ちゃったよ」
 冷やかすような和人の表情に、館林は恥ずかしそうに頬を染める。
「えへっ。見られちゃったのか」
「それにしても、義姉さん。あれじゃあ、ショルダータックルだよ。
やられた方は相当痛いぜ。まあ、いやでも顔は覚えられると思うけどね」
 和人はそう言って軽くウインクをした。それを見た館林は更に頬を染める
「え?そ、そうかな」
「・・・でもなあ、なにもあんな事しなくても、何なら紹介しようか?
 紹介の紹介のそのまた紹介になるけどね」
 指を折りながら和人が言う。内心では
(美樹原さんのライバル増やしちゃう事になるけどな)
などと考えていたのだが、義理の姉にあたる館林を放っておくのも気がひける。
 将から詩織、そして君本と言うつながりを考えれば、知らない訳ではない。
 随分と遠回りにはなるが。
「だめ!それは駄目よ!だってあの人は私のこと知らないんだもん」
「だからこそじゃない」
「でも、・・・だって・・・」
 しどろもどろになる館林に和人は両手を広げる。
「はいはい。判りました。でもその時には力になるよ、義姉さん」
「うん、よろしくね。和人君」
 そうして、二人は横に並んで歩き出す。
「ところで、和人君」
「何?」
「やっぱり、まだ、私の家には来にくい?」
「ええ?そんな事はないよ。お義父さん、お義母さんも良くしてくれるし、居心地はい
いね」
「だったら、なんで来てくれないのかな?
 お父さん、お母さんもいつでも良いって言ってるよ」
 まっすぐに和人を見つめる、館林の緑色が入った瞳に和人はたじろぐ。
(そうなんだよな、義姉さんのこういう一途なところが、うらやましくてかえって苦手
なんだよな)
 和人は頭を掻きながら答える。
「うん、気持ちはありがたいよ。お義父さん、お義母さん、それにお義姉さんにもよろ
しく言っておいてよ。いつも兄貴がお世話になっていますってね。
 それに、遠慮してる訳じゃないんだけど、俺は結構、今の状態が気に入ってるんだ」
 和人はそう言ってニヤリと笑った。
 それは感情のこもっていない、ひどく乾いた笑いだった。
「そう?うん、・・・わかった」
 館林もこれ以上の交渉は意味がないと悟る。会話が続かないまま、二人は左右に別れ
る。
「じゃあね、和人君」
「ああ、それじゃ」
 和人は右手を上げて答える。
(結局、素直じゃないんだよな。俺)
 和人は頭を振った。



 テニス部の部室では話し合いがもたれていた。とは言っても、それほど重大な用件で
はない。文化祭での方針を話し合っていたのである。
 その中で西島は顔面蒼白で立ち尽くしていた。
「なんですか、そりゃあ?」
 その傍らでは詩織と古式が笑っていた。
「西島君なら、今年も、テニス部は、いいところに、いけそうですねえ」
「将君では、ちょっと、たくましくなっちゃったものね」
 その脇で将は心底ほっとした表情になっていた。
 そして元城の手には1枚の企画書のコピーがあった。
 昨年に引き続き、「男子ミスきらめき高校コンテスト」が開かれる事になったのであ
る。
 今年の犠牲者は西島と言う訳である。
「先輩、嬉しそうですね?」
 小声で聞いた将に、詩織は本当に嬉しそうに答える。
「私も3年生になって、去年の琴魅先輩達の気持ちが判るようになって来たのよ。
 こう言うのって楽しい物ね」
(西島君もかわいそうに)
 昨年の犠牲者である将は、心の底から西島に同情した。
「なんでそんなのがあるんですか?」
「なんでと言われても、あるもんはしょうがなかろう。テニス部はディフェンシング
チャンピオンだからな。逃げる訳にはいかんよ」
 西島の問いに元城が答える。
「お、俺は嫌ですよ!そんなの!」
 西島の必死の抵抗も、詩織の言葉に打ち砕かれる。
「そう?残念ね。将君は喜んでやってくれたんだけどな」
(喜んではやっていませんよ)
 内心だけで将は苦笑いを浮かべた。だが、西島は真剣な表情になった。
「判りました。やります!」
 それを見て本郷は、笑いながら頭を抱える。
(単純な奴ーーー!)
 だが、本郷が他人事と思っていられたのもそこまでだった。
「キャプテーーン。ところで”女子ミスター”はどうするんです?」
 という部員の質問に元城が答える。
「ああ、もちろんそっちも出るよ。・・・・いいな?本郷」
「え?ええーーーーっ!?」
 本郷には反論する気力も無かった。


 
   ときめく時の中で(107)

   絡み合う想い(6)



「なんだかなあ」
 文化祭当日、松島は3年生の教室の前で立ち尽くしていた。
それはクラス展示なのだが、松島にとっては衝撃的な企画であった。
「さすがに高校ともなると、こういうのも有りなのか?」
彼がそう思うのも無理はない。彼の前の教室は喫茶店となっていた。ただの喫茶店で
はない。そこには

”セーラー服喫茶、きらめき”

という、いかにも手書きと言った看板が掲げられていたのである
(よく許可出たよなあ)
などと思いながら、松島は頭を抱えた。

「いらしゃいませえ」
元気な複数の声に迎えられ、松島は中に入った。
一応、奥の方は調理するように仕切られ(といってもそれほど本格的な料理が作れる
訳ではないのであるが)、そこにいた一人の女子生徒が声をあげた。
「あれ?松島君、来てくれたんだね」
「虹野さん、僕にこの券売ったじゃありませんか」
松島は右手で1枚の券を虹野に見せる。
2学期になって虹野と松島は委員会で一緒になるようになっていた。選挙管理委員だ
った為、1学期中は会う機会が無かったのである。
 夏休みの合宿で会って以来なのであるが、妙に息が合い、文化祭のクラスの出し物の
前売りチケット(つまり食券)を松島に買ってもらったのである。
「売りつけた訳じゃないのよ」
とは虹野本人の弁である。実際、彼女から食券を買った者、またその希望者は多く、
彼女の売った数は相当なものだった。

「で、何にする?」
 席に着いた松島は虹野に聞かれた。
「一応、その券は”きらめきセット”だけど、今なら変更も出来るよ」
「他には何があるんですか?」
「えっとお、”ときめきセット”に”どきどきセット”・・・」
「・・・きらめきセットでいいです」
 松島は机に突っ伏して答えた。
「はーい、かしこまりました。少々お待ちくださいね」
 元気よく答えて調理をはじめた虹野を、頬杖をつきながら松島は見つめていた。
 彼女を見つめるその黒い瞳は、静かな雰囲気を漂わせていた。虹野を見ていると、
心が休まるのである。
(何だろうなあ?この感覚は)
 本人にも、それが何故なのか良く判っていなかった。
 だがその理由を、うすうす感じている者たちがいた。そのうちの二人、江ノ島と福島
が、その教室の外から松島の様子を身を隠すように眺めていた。
「マツの奴、どうも何かこそこそしてると思ったら、こういう事だったんだな」
 ニヤリと笑いながら言った江ノ島に、福島がその巨体を屈めて答える.
「なんだか、朝からそわそわしてたもんね」
「それにしてもマツの年上好きは、いよいよ本物だなあ」
「・・・やっぱり、あれかな?」
「うーーん。あれからもう6年か。そりゃあなあ」
 その時二人の背後から、四本松が声をかけた。その横には優美が立っている。
「二人とも何してるのこんなところで?」
「うわ!優先輩!?」
 慌てふためく二人にかまわず、四本松は教室の中を覗きこむ。
「あれ?マツくんじゃない?どうしたのかな?一人で」
 四本松の横から覗きこんだ優美が続ける。
「あれは、虹野さんだ」
「優美ちゃん知ってる人?」
「う、うん。まあいろいろあって」
 優美は何事か照れ臭そうに笑った。
 だが、入り口のところに4人もいれば、目立つ事受け合いである。3年生の一人が
すぐそばに来て言った。
「あれ?お客さんかな?」
「あ!い、いえ、その、失礼しました」
 四本松がそれだけ言って、4人はその場を走って退散した。
(なんで逃げるようにしなければならないの?)
各自が思っていたが、何故か走ってしまったのである。
 そのころ松島の前には”きらめきセット”があった。とは言っても何も特別なもので
はなく、要するにサンドイッチとジュースのセットである。
「お味はどう?」
 虹野が松島に感想を求める。
「そうですねえ・・・」
 はっきり言ってジュースは市販のものだが、サンドイッチはなかなかのものだった。
「このサンドイッチはいいですね」
「そう?よかったあ。それ私が味付けしたのよ。ソースをちょっと工夫したんだ」
「へえ、そうなんですか。・・・虹野さんっていいお母さんになれますね」
「えっ?」
 虹野の驚いたような表情に、松島は口に入れかけていたサンドイッチを止めて聞い
た。
「どうしたんですか?」
「”いいお母さんになれる”なんて言われたのは初めてだから」
「・・・ああ、いきなりお母さんじゃ失礼ですよね。いいお嫁さんになれますよ。
 訂正しておわびいたします」
「いいのよ。うん、ありがとう」
 そこへ数人が入って来た。
「あ、お客さんだから、ごめんね」
「いえ、いいんですよ。どうぞ」
「ゆっくりしていってね」
「はい」
 松島がそう答えるのを聞いて、虹野は軽く右手を上げてその場を離れる。
 その背中を見ながら松島は思った。
(やっぱり、いいよなあ)



 その頃、四本松、優美、江ノ島、福島の4人は階段の踊り場で輪になって話し込んで
いた。
「すると何?松島君って虹野さんが好きな訳?」
 すっとんきょうな声を上げる四本松に、江ノ島は慌てて修正を加える。
「いや、別にそうと決まった訳じゃないんですけど・・・」
「でも、江ノ島君達から見るとそう見えるんでしょ?」
 四本松の追求に江ノ島と福島は顔を見合わせる。
「ええ、まあ」
 何ともしまらない表情で福島が答える。
 四本松はと言えば、これまた意外と言った表情であった。
「そうなの。でも大変ね、虹野さんと言えばサッカー部のアイドルって言われてる人で
しょ?前途多難かもね」
 それに答えたのはそれまで黙って聞いていた優美だった。
「でも、可能性がない訳じゃないよね。その松島くんに頑張るように言ってよ!」
 突然の優美の言葉に、四本松が驚く。
「ど、どうしちゃったの、優美ちゃん!?突然に?」
「え?えへへ。べ、別に何でもないよ」
(本当に優美ちゃんって嘘がつけないわね)
 どう見ても何でもないとは思えない優美の慌てぶりに、四本松はそう思った。
(後で問い詰めちゃおうっと)
 実際、優美はその後で、四本松の鋭い追求を受ける事になるのであった。


 
   ときめく時の中で(108)

   絡み合う想い(7)



「はい、これで、いいですよ」
 テニス部の部室、慣れた手つきで古式は西島の顔にメイクをほどこした。
「なかなか、お似合い、ですよ」
 にこやかに笑う古式とは対照的に、西島は浮かない表情であった。
 なにしろ女子用のテニスウエアを着せられ、女性用のメイクをさせられていたのであ
る。
 一旦は了解して引き受けた「男子ミスきらめき高校コンテスト」への出場だったが、
いざ自分の姿を見てみると、なんとも言えない気分となってしまうのである。
「よく似合ってるじゃない」
「うるせえな!」
 そしてその場にはもう一人の人物がいた。「女子ミスターきらめき高校コンテスト」
に出場する本郷である。
 からかう口調の本郷に対して、西島は口をとがらせる。
「本郷はいいよなあ。普段と変わらないんだからな」
「それどういう意味よ!?」
「そういう意味だよ」
「なによ!」
「まあ、まあ、二人とも、これから、コンテストが、あるんですよ。ケンカなどしてい
ては、いけませんよ。
 もっとも、ケンカするほど、仲がいい、とも、言いますからねえ」
 仲裁に入った古式の言葉に、西島も本郷も同時に反応する。
「どうしてこんなのと!」
 スピードもそうだが、一文字一句違わぬ事を同時に言った。二人は顔を見合わせ、プ
イと顔をそれぞれの反対方向に向ける。そのタイミングまで同時だった。
 それを見て古式はさらににこやかに微笑む。
 その笑顔に西島と本郷は視線を合わせる。一時休戦というところであろうか?
 しばらくの沈黙の後、西島が本郷に言った。
「なあ、本郷」
「何よ?」
「お前さあ・・・」
「・・・だから何よ?」
「お前本当に将先輩のこと好きなのか?」
 本郷はしばらく声が出せなかった。顔を赤らめ黙り込んでいたが、やがて烈火のごと
く怒り出した。
「あ、あんたバカ!?」
「バ、バカとはなんだよ!?」
「よりにもよってゆかり先輩の前で、そんなこと聞くことないじゃないの!
 この無神経!」
「無神経だぁ?」
「そうじゃないよ。そうでなければ鈍感じゃないの!?」
「わ、悪かったなあ!」
 だが、その口げんかは長く続かなかった。にこやかに古式に見つめられ、二人は恥ず
かしそうにうつむいてしまった。
「南さん」
「は、はい!」
 古式に言われて本郷がすっとんきょうな声を上げた。
「南さんは、本当に、将君が、好きなんですね?」
「え?」
 呆然としてしまった本郷に変わって、古式に答えたのは西島であった。
「好きもなにも、もう見え見えじゃないです・・・ぐふぅ!」
 西島の答えは最後まで聞くことはできなかった。本郷の右肘が西島のみぞおちを直撃
したからである。
「あんたは黙ってて!
 ゆかり先輩、どうしたんです?突然そんな事を言うなんて。ゆかり先輩も将先輩の事
が好きなんじゃないんですか?」
 実のところ、本郷は内心「しまった」と思っていた。
 なにもこんなときに聞くべき質問ではないのではないか?
 彼女はそう思ったのである。
 ただでさえ、女装(と言っても女子用のウエアを着ているだけなのだが)している西
島と、男装している本郷なのである。場が締まらないことおびただしい。
(まったく。西島が悪いのよ)
 苦々しい表情を浮かべる本郷に対して、古式はにこやかに、そしてあっさりと答え
る。
「はい、私も、将君のことが、好きですよ」
「え?」
「は?」
 本郷も西島も呆気に取られてしまった。そんな二人にかかわらず、古式は彼女らしい
と言えばらしいマイペースを保ちながら続ける。
「でも南さんが、気にすることは、何もないんですよ。私は、南さんの、恋敵には、な
りませんよ」
 ずいぶんと古い言い回しで、古式は本郷が心配している事に対して、いともあっさり
と簡単に答える。
「私と、将君、と言うのは、考えなくても、いいんですよ」
「・・・それは、振られちゃったという事ですか?」
「おい」
 本郷を西島が止めようとする。だが、古式はその笑顔を変えることなく続ける。
「そうですねぇ。そういう事に、なりますかねぇ」
 古式に一体何があったのか?本郷と西島には、その真相を洞察するだけの情報も経験
も足りなかった。
 黙り込んでしまった本郷と西島を見て、古式はゆっくりと立ち上がる。
「それでは、そろそろ、時間ですよね。今、様子を、見てきますから、ここで待ってい
て、くさいね」
 そう言って古式は部室を出て行った。
 後に残された本郷と西島は茫然と立ちつくしていた。
「怒っちゃったのかな?」
「本郷が余計なことを言いすぎるんだよ」
「・・・何よ、もとはと言えば、あんたがおかしな事言い出すからじゃない!?」
「そりゃそうだけど・・・でもさあ、なんで古式先輩の前で聞いたらいけなかったんだ
よ?」
 本郷は頭を抱える。
「あのねぇ、あんたもいいかげん鈍いわねぇ。ゆかり先輩も将先輩が好きだって事、気
が付かなかったの?」
「・・・そりゃ、うすうすとはね」
「ゆかり先輩みたいな人を敵に回すのが、一番厄介なのよ」
「・・・そう言うもんなのかなあ」
「そう言うもんなのよ」
 正直言って西島はそういう事には疎かったのだが、本郷に言われると(そう言うもん
なのか)と納得してしまうのであった。もっともそう言ったことが本郷に言わせると、
「単純」と言うことなのであるが。

 とにもかくにも、多少のどたばたがあたものの、文化祭は無事終了した。
 西島と本郷の結果がどうだったか?というのは「言わぬが花」というところである。
 西島は
「別にこんな事ぐらい、結果は関係ないだろう」
と言い、これについては本郷も何も言わず同意見であった。そう言う結果だったのだ。



 そして、テニス部は新体制へと移行していった。

キャプテン、連尺みゆき
サブキャプテン、吉野将

という新体制は、最初、意外だというような表情で迎えられた。
 将が新キャプテンだと思っていた者は多かった。サブキャプテンというのは、まだ
わかる。
 が、キャプテンが連尺というのに驚かされた者は、どう少なく見ても過半数を下らな
かっただろう。
 マネージャーがキャプテンというのは、あまり聞いたことがなかったからだ。
「別にマネージャーがキャプテンをしてはいけないという規則があるわけではないし、
過去に例がなかったわけではあるまい」
 などという元城等の発言によって「新キャプテン連尺」は受け入れられた。もっとも
、これからが真に認められるかどうか?の勝負時なのだが、まずは第一段階はクリアで
きたわけである。
 こうして新体制への移行はスムーズに行われていったのであるが、一つ例年と違う事
があった。
「これからもできるだけ部活には来るからね」
と詩織が宣言したのである。
(まだ引退はしないという訳か)
と、各自が思った。

 
   ときめく時の中で(109)

   絡み合う想い(8)



 秋の日曜日、その1年生の女子テニス部員は、テニスコートで3回違う呼び方をし
た。
 まず、
「サブC!」
 と呼んだが反応がないので、
「サブキャプテン!」
 と言い直し、それでも反応がないので、とうとう名前を呼んだのである。
「吉野先輩!」
「は?・・・ああ、サブCって俺の事か」
 将はそう言ってようやく振り返った。
「しっかりしてくださいよ、先輩」
 その1年生の笑いながらの言葉に、将は照れくさそうに笑った。
「ごめん、ごめん。どうもまだ、その言われ方になれてなくてな。
 ところで、何の用?」
「あ、北校に行ってるキャプテンからの電話がありまして、帰って来るのが遅れるそう
なので、練習を予定通り続け、その監督をサブCの吉野先輩がするようにとの事です」
「ふーーん、練習試合の話し合い、押しちゃったのかな?
 それとも電車がもろ混みで?」
「さあ、そこまでは・・・」
 苦笑いしながら1年生が答える。
「あ、そう」
 なんとなく間が抜けた声で将は答えたのだが、その1年生が立ち去らないので、首を
傾げて聞く。
「どうしたの?」
「いえ、あのお、最近、藤崎先輩、練習に来ないことが多いですよね?」
 その1年生が何を言いたいのか将にはよく分からなかったが、とりあえず、差し障り
のない答えをする。
「そりゃ、まだ、引退していないとは言え、受験勉強やらいろいろあるだろう。
 それでなくても、ここのところ少し成績が落ちているって言うし」
「・・・・」
 1年生が何か言いたげに口ごもるので、将は笑って聞く。
「どうしたの?なんか気になるなあ」
「その、藤崎先輩、最近デートで休んでるんだそうです。今日もそうみたいで、その相
手と言うのが・・・」
 だが、1年生は最後まで続けられなかった。将が右手を上げ、それを制したからだ。
「どう言うつもりなのかは知らないけど、そう言う噂話は、俺、あんまり好きになれな
いな」
 表情は優しいものだったが、その口調そのものはかなり厳しい物になっていた。
「あ、あの・・・すみません」
 1年生が慌てて謝る。
「いや、わかってもらえればいいんだ。これから気をつけてもらえればいいよ」
「はい」
「じゃあ、練習に戻って」
「はい」
 そう答えて立ち去る1年生を見送って、将は独り言をこぼした。
「しょうがないだろ。先輩にだって事情があるんだから」
 だが、その言葉とは裏腹に、将の表情には暗雲がたれこめていた。



 ちょうどその頃、その詩織はコンサート会場から出てきていた。この会場ではクラシックコンサートが開催されていた。そして詩織は一人ではなく、二人で来ていた。
 その相手、君本人思が言った。
「今日のコンサート、よかったね」
「うん、すっごくよかったね。私こういうの大好き」
 詩織がにこやかに答える。
「よかったよ、喜んでもらえたみたいで」
「それじゃ、一緒に帰りましょ」
「そうだね」
 二人はそう言って、同じ帰り道を歩いていこうとした。だが、コンサートから流れ出
た人々は相当なもので、二人は進路を変え、小さな公園で休んでいくことにした。
 たわいもない世間話をしながら、時間をつぶしていたのだが、ふと、詩織が言った。
「そう言えば、トシくんとこうして遊びに来たのもずいぶん久しぶりよね」
「そんなあ、詩織、何度誘っても、なかなか出てきてくれなかったじゃないか?」
「あれ?そうだったかしら?」
「そうだよ。今日のコンサートにしたって、チケット取るのに苦労したんだぜ」
「そうなの?」
「電話かけまくってさ、やっと取ったんだぜ」
「そうなんだ。ありがとう」
 屈託のない詩織の笑顔に、君本は少し照れたように頭をかいた。
 そんな君本に、詩織が尋ねる。
「話は変わるんだけど、その後、メグとはどう?」
「メグって、・・・美樹原さんの事?」
「うん」
「どうって、どう言うこと?」
「どう言うことって。デートとかしているのかな?って思ったの」
 詩織の笑顔は変わらなかったが、君本の表情は微妙に変化し始めた。
「それ、どういう意味だよ?」
 本人も意識しないうちに、口調が険しい物になりつつあった。
「なんで詩織がそんな事を聞くんだよ?」
 その変化は詩織にもはっきりとわかった。だが、彼女としてはこう言うしかなかった
のである。
「なんでって、メグは私の大切な友達よ。私が紹介したんだし、気になるのは当然でし
ょ?」
 だが、君本にはそれは満足のいく回答ではなかった。
「そうじゃなくって!どうしてこんな時に詩織がそう言うのか、それがわからないんだ
よ!」
 二人の間に沈黙の川が流れる。
 寒さを含み始めた風が、二人の体温をほんの少しだけ下げて走り去っていった。
 ひらひらと木の葉が舞い、二人の視線を一瞬だけ遮る。
 詩織は自分の唇が、まるで鉛のように重く感じられた。
「だ、だって、メグはトシくんの事を、・・・」
 そう言って詩織は首を振り、一息入れ、笑顔を浮かべる。だがその笑顔は明らかに不
自然なものであった。
「ねえ、トシくん?トシくん解ってないでしょ?トシくんがどんなにすてきな男の子で
女の子の注目を集めているか。メグだってその・・・」
「・・・織の方じゃないか」
 君本の言葉に、詩織の言葉は中断された。
「え?何、トシくん?何か言った?」
「解ってないのは詩織の方じゃないか!?」
 君本は叫んだ。「大きな声」ですむような声量でも語気でもなかった。
「・・・トシくん?」
「解ってないのは詩織の方だよ。俺がなんのために、きらめき高校に来たと思ってるん
だよ?」
 詩織は答えなかった。いや、答えられなかったのである。
 幼なじみである彼の言わんとしたことが、詩織には想像できたからである。だが、そ
れは、決して詩織にとって喜ぶべき物ではなかった。
 そんな詩織の内心を、君本も察することができた。だが、いったん高ぶった感情は、
それを押し流し、まるで本人の意思を無視するかのように言葉を紡ぎ出していった。
「なんのために死に物狂いで勉強してきたと思ってるんだ!?なんのために苦しい思い
で体を鍛えてきたと思ってるんだ!?
 全て、全て詩織に」
「やめて!」
 うつむいた詩織が叫ぶ。
「詩織?」
 聞きなれぬ詩織の声に、君本は戸惑う。
「どうして・・・」
「?」
「どうして今になってそんな事を言うの?」
「詩織?」
 君本は詩織の名を繰り返し口にするだけだった。
 詩織は肩を震わして言った。
「トシくんの事、ただの幼なじみだと思おうとした。・・・ううん、現にそう思ってい
た!
 どうして今になってそんな事を・・・」
 詩織は顔を上げようとはしなかった。ただ、頭をさげうつむきながら、肩を震わすだ
けであった。
 だが、その震えが納まった時、詩織は顔を上げる。とはいえ、それは水平より上を向
いたものではない。
「ごめんなさい、今日は一緒に帰れないわ」
 そう言うと詩織は駆け出していった。
「ちょ、ちょっと待てよ詩織!」
 君本の声に反応したのか、詩織は振り返る。
「詩織?」
 呼び止めたものの、君本は言葉を続けられなかった。
 ほんの少しの間を置いて、詩織は言った。
「メグはとってもいい娘よ。大切にしてあげてね」
 そして再び駆け出していった。君本はそれを見送るだけで何もできなかった。
 それは詩織の言葉のせいではない。
 詩織の頬をつたわる一すじの水滴が、君本の足を止めたのであった。
「な、なんで泣くんだよ!?」
 君本は普段から、親友である早乙女好雄から「鈍感」だの「ニブチン」だの、さんざ
ん言われる。が、今回に関して解らないのは彼のせいではない。
 当の詩織にも、その原因がよく解っていないのだから。



−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−つづく




   ときめく時の中で(110)

   絡み合う想い(9)



「ハッハッ、・・・ハッハッ」
 秋の夜の訪れは早い。その夕闇の中、将は荒い息とともに住宅街を走っていた。
 それはトレーニングとしての走り方ではなく、目的地へ急ぐ走り方であった。
(先輩。どうしたんだ?)
 将が家を飛び出した原因は、一本の電話がきっかけだった。



 君本と言い争ってしまった詩織は、家に戻るなり自分の部屋に飛び込み、ベッドに倒
れ込んだ。自分でも訳が分からない感情が心の中で渦巻いていた。
(どうしちゃったんだろう?私。なんで、・・・なんで涙が出るんだろう?)
 詩織は自分自身の感情を持て余していた。冷静に考えようとして、あれこれ仮説を考
えてみた。
 それは幼なじみが、自分から離れて行く寂しさではないか?
 もう、過去の懐かしい日々には戻れないノスタルジーから来るのではないか?
 さまざまな考えが浮かんでは消えていったが、考えれば考えるほど思考は混乱してい
った。
 混乱した思考の中、詩織はコードレスホンを手にし、そしてダイヤルする。
 それは、今まで何度となく押しながら最後まで押すことのできなかったダイヤルだっ
た。
 呼び出し音が3回鳴ったあと、相手が出る。詩織は精一杯、落ち着いた声を出そうと
した。
「もしもし、吉野さんのお宅ですか?」


 将はその時、夕飯の支度をしていた。
 フライパンを右手で持ちながら、電子音を鳴らす電話を左手で取る。
「はい」
『・・・将君?』
 電話の向こうから聞こえてきた声に、正直言って将は戸惑った。
「・・・藤崎先輩?どうしたんですか?」


 一方、詩織は詩織で電話を持ちながら、言葉につまっていた。
(わ、私、将君に電話してどうしようっていうの?)
 将の声を聞いたとたん、詩織はどうしていいのか、また、どうしたかったのかも、わ
からなくなっていた。
「あ、・・・ううん。特に用って訳じゃないの。ただ、なんとなく、元気にしてるか
な?って思っただけ」
『なんですか、それは?』
 電話の向こうで将が笑うのがわかる。
「本当に、そ、それだけなのよ」
(いけない、声が震えてる)
 詩織が自覚した声の震えは、将にも伝わっていた。
『先輩?・・・どうかしたんですか?』
 受話器から心配そうな声が詩織の耳に滑り込む。
(だ、だめ。将君に心配をかけちゃ。もうすぐ秋の公式戦なのにこんなことで心配かけ
ちゃだめ!)
 必死で声を抑え、詩織は答える。
「本当になんでもないの。ごめんね。なんか、突然電話なんかしちゃって」
『いや、それはいいんですけど・・・』
「そ、それじゃあね」
『せ、先輩、今どこにいるんです!?』
「・・・ああ、変な心配はしなくてもいいよ。ちゃんと家からかけてます」
 明るい声で詩織は答える。それには相当の努力が必要だった。
「じゃあ、おやすみ。またあした学校でね」
『・・・はい』
 そう将が答えると、詩織は受話器のスイッチを切った。
(ばかばかばか、何してるのよ私は!将君に心配かけてどうするの!?)
 コードレスホンを元の位置に戻し、詩織は両膝を抱える。大きくため息をつきながら
自分に言いきかせる。
(明日は、いつものようにしなきゃいけないね。心配かけちゃいけないもの)
 だが、その時点で、もはや将は行動をおこしていたのである。


 なんでもないと言われても、将の心に差した影は、そうそう簡単には晴れなかった。
(先輩・・・どうしたんだろう?・・・泣いてた?まさか?)
 そして将は慌てて身支度を整え、部屋を飛び出していた。ほとんど衝動的な行動だっ
た。
 そのわりに、ガスの元栓をちゃんと閉めて行くあたりのところは、彼らしいと言えば
彼らしい。



 思い通りにはならないとは知りつつも、将は荒れた息を必死で整えようとしていた。
 そこは詩織の家の前である。
 ここまで来てみたものの、この先どうするべきなのか、考え込んでしまう将である。
 息を整えるのは、その時間かせぎの役目も果たしていた。
(ここまで来たんだ。先輩の顔を見て行ったっていいだろう。なんでもないならそれで
いいし、後で笑い話にされればいいんだ)
 考えをまとめた(と言うより覚悟を決めた)将は藤崎家のチャイムを鳴らした。
「はい、どちら様でしょうか?」
 玄関が開かれる。将を出迎えたのは母親だった。
「あら?あなたは、先日の?」
「はい、吉野です。突然こんな時間にすいません」
「いいんですよ。・・・詩織にご用ですか?」
「はい、いらっしゃいますか?」
「ええ、今は自分の部屋にいますから、呼んできますね」
「お願いします」
 母親が階段をのぼっていくのを将は見ていたが、その奥の部屋から来る鋭い視線に気
づいた。
(先輩のお父さんか)
 新聞を見ながらも、盗み見るように、ちらちらと玄関にいる将の方へ視線を向けてい
たのである。
 将が頭を下げると、父親は新聞を下ろしお辞儀をしたが、すぐに新聞を広げる。
 正直言って居心地がいいとはいえないが、今はそうも言っていられない。
 そうこうしているうちに、首を傾げながら母親が階段を下りてきた。
「ごめんなさい。なんだか詩織、具合が悪いそうなので伏せってるの」
(今、電話してきたばかりなのに!?)
 あまりにも不自然な状況に、将は戸惑う。それがストレートに表情に出たためか、母
親が言った。
「そうね。せっかく来ていただいたのに、それではあまりに失礼よねえ。
 いいわ。私が後で詩織に怒られるから、上がっていってちょうだい」
「え?いいんですか?」
「ただし、部屋の前までにしておいてね。それ以上許したら詩織に口をきいてもらえな
くなるからね」
 にっこりと微笑みながら言った母親に将が答える。
「はい。ありがとうございます」

 詩織の部屋は、階段を上がってすぐの部屋だった。母親に案内され、将はそのドアの
前に立つ。
「先輩」
 ドアの向こうから声が聞こえてくる。
「・・・将君」
「すみません。突然、押しかけて」
「・・・・」
 今度は無言の声が返ってきた。
 母親が気をきかせるように階段を下りていくのを横目で見ながら、将はドアに向かっ
て語りかける。
「あの、そのままでいいから聞いてください。
 今まで俺、先輩に心配や苦労ばかりさせてきたような気がしてならないんです。
 だから、・・・ああ、なんて言ったらいいのかな」
 将はじれったそうに左拳を右手で包みながら、天井を見上げる。
 大きく息を吐いてから、将は言った。
「たまには、俺にも心配させてください。
 うまく言えないけど、言いたいことはそれだけです。それじゃあ、明日、学校で」
 返事を待っていた将だったが、それもなさそうだと思い、階段を下りようとした。
 その時返事があった。
「将君」
 将は振り返る。
「はい」
 一瞬、ドアが開かれることを期待した将だったが、そのドアが開くことはなかった。
 ただ、声だけがそのドアの向こうから聞こえてきただけだった。
「・・・ありがとう」
 だが、将には将にはその一言で十分だった。
「はい」
 そう答え、将は階段を下りていった。



「どうもお邪魔しました」
 将はそうあいさつをして、藤崎家の玄関を出る。
 そして視線を上げ、詩織の部屋にひかれていたピンクのカーテンを見上げる。
 ひょっとしたら、そのカーテンが開けられるのを期待していたのかもしれなかった。
 が、カーテンはピクリともしなかった。
 小さくため息をついて将は視線を下ろし、そのまま道路へと向けようとした。
 だが、その視線が途中の隣の家の玄関で止まる。正確に言うと、その玄関に立ってい
た人物に視線が足止めされたのであった。
「・・・君本さん」


 
   ときめく時の中で(111)

   絡み合う想い(10)



 君本と将は、まるで二人の間だけ時間が止まってるかのように、身動き一つしなかっ
た。
 両方向から放たれ1本になった視線は、睨み付けるでもなく、また、茫然としている
わけでもない。お互いに、言葉も無く、ただ相手を見つめているだけだった。
 秋の夜の静かな時間が、二人を包み込んでいた。
 長いようで短く、短いようで長い時間を経て、口を開いたのは君本だった。
「・・・詩織が・・・」
 君本はまるで言葉が宙に浮いているかのように、何もない空間にその視線をさまよわ
せていた。が、ようやく言葉を見つけることができたのか、視線を再び将の方に向け、
静かな落ち着いた口調で語りかける。
「詩織の様子に、何か変わった事があったのかい?」
 将はなんと答えようか迷った。視線をやや下げ、黙り込む将の姿は無言のうちに、そ
れがその通りであるということを物語っていた。
「・・・そうか」
 まるで将のまねをするかのように、君本も視線をやや下げる。
 そして、その視線を下げたまま、まるで自分自身に話しかけるような口調で言った。
「詩織の様子がおかしいのなら、それは俺のせいだよ」
 将は視線を上げる。その先には、普段、学校で誰もが見ることのできる、明るく、自
信に満ちた君本の姿は無かった。
 それは、何かを悔やむ、苦々しい表情の少年がいるだけであった。
「吉野くん」
「・・・なんでしょうか?」
「・・・詩織の事を、よろしく頼むよ」
「?」
 将にとって、それは予想もつかない言葉だった。
「それは、どういう事ですか?」
 君本は大きくため息をつき、一呼吸おいて将の疑問に答える。
「俺は詩織に嫌われちゃってるみたいでさ、今日もせっかく機嫌を直していたみたいな
のに、ちょっとしたことで口喧嘩になっちゃったのさ。
 もっとも、こうなったのも元はと言えば、俺自身に原因があったんだけどな。
 こうなると幼なじみってやつは、お互いのことを知っているだけに、余計始末が悪く
って、処置なしなんだよな」
 君本は笑った。それは苦く、力のない笑いだった。
「詩織は君のことを高く評価、・・・いや、信頼してるようだし、お互いの息も合うよ
うだね。
 君なら、詩織の事を任せても安心だよ」
 そして、将に向き直る。
「詩織の事を頼んだよ」
 将にはその言葉に、例えようも無いほど重い物が込められているように感じた。
「君本さん」
 将はそれ以上何も言えなかった。聞きたいことはあったのだが、それを聞いてしまえ
ば、何か決定的なことが待っているような気がして、将らしくもなくためらってしまっ
たのである。
 夜の闇に冷やされた風が、駆け足で二人の傍らを通り抜けていく。
 その風をやり過ごし、君本が将に言う。
「もう、帰った方がいいだろう。これで体調を崩したら詩織に余計な心配をかけてしま
うことになるからね」
「・・・はい」
 将はそう答えその場を離れようと歩き始めた。だが、3歩ほど歩いたところで立ち止
まり、振り返る。
「・・・君本さん」
 家に入ろうと玄関のノブに手をかけていた君本が、その声に振り返る。
「なんだい?」
 将は先程まで言うべきかどうか悩んでいたことを、ついに口にした。
 だが、やはり、ためらいが足かせとなり、その口調は歯切れが悪い物になっていた。
「君本さん。・・・君本さんは、その、先輩、・・・・いや、詩織さんを、・・・・」
 君本にも将の言いたいことはわかった。が、君本も黙り込んだまま、視線を下げる。
 それが君本の肯定の証だった。
 再び沈黙が訪れる。だが、今度は短いものになった。
 将が自分に向かうように言った。
「そうですか」
「吉野くんはどうなんだい?」
 君本の問いに、将は視線を君本に向けたまま、力強く、静かにうなずいた。
「そうか、・・・いや、そうだよな。
 ・・・吉野くん」
「はい?」
「試合、がんばれよ。詩織のためにも」
「・・・俺が詩織さんのために出来る事は、そう多くありません。
 せめて、恩返しはしたいですから」
 そう答えた後、一瞬の間を置いて将は続ける。
「勝ちます。俺は負けませんよ」
 そう言うと将はきびすを返し、夜の住宅街を駆け出していった。
 それを見送った君本は、玄関のドアを開け家に入った。そして、首を横に振る。
「勝ちます。負けない・・・か。誰に、なんに対して言った言葉なのかな?」
 将の知らないうちに彼の言葉は、君本の心の中の消えそうになっていた炎に、再び火
をつけることになっていた。



 翌日、将は朝練に出ていた。
 将は家の事情があって(早い話が家事をするために)どちらかというと、練習を多く
する方ではない。
 特に朝はそれが顕著で、滅多に朝練に出たことなどない。
 だが、今日は違った。神経が高ぶってなかなか寝つけず、寝ても眠りが浅く、しかも
全く眠くないのである。
 まるで、身体中がため込んだエネルギーを発散させたがっているかのような感覚を覚
え、将は日もまだ明けきらないうちに、きらめき高校のテニスコートにいた。
 小鳥のさえずりが響き、澄んだ空気と朝もやの中、将はただ一人、柔軟体操をして、
体の固さを解きほぐしていた。
 呼吸数と脈拍が適度に上がり、体が暖まり、ラケットを取り出そうとバッグに手をか
けた時、テニスコートにいた数羽の小鳥が飛び立った。
 その方向に顔を向けた将の表情が、驚きを含ませながらも優しい物へと変化し始めて
いった。
 朝もやに多少霞んだ将の視線の先には、やはり将と同じ性質の表情を浮かべた女子生
徒が立っていた。
 さらっとした柔らかな赤い髪、愛らしい瞳、唇。どれをとっても将には愛しい。
 たった1日会っていないだけなのに、ずいぶんと会ってないような気がしてしまう。
 その存在がとても貴重だと感じられるほどだった。
 将はいつものように、明るい笑顔と共に言った。
「おはようございます。藤崎先輩」
「おはよう。今日は早いんだね将君」
 詩織もいつもと変わらない笑顔で答える。
「受けてもらえますか?」
 将はボールとラケットを掲げて詩織に聞いた。
「ええ、いいわよ。準備運動するから待っててね」
「はい」
詩織がストレッチをする姿を眺めながら将は思った。
(これほど、誰かのために勝ちたいと思ったことは初めてだ)
 それは、将にとって生まれて初めての経験だった。



 数日後。
「なんだか鬼気迫るものがあったよね」
「吉野先輩の気迫、すごかったもんな」
 テニス部の1年生が口々にささやきあった。
 秋の公式戦、将は圧倒的な力を発揮して男子シングルスで優勝を決めてしまった。
 その試合の観戦に来たスタンドでのことである。

 ネット越しに将は決勝戦の対戦相手、高林と握手を交わした。
「全く、完敗だぜ。今日の君は絶好調、と言うより、気迫で負けちまったよ」
 高林の言葉に将は無言で笑った。
「だが、つぎはこうはいかないぜ」
 高林の言葉に将は答える。
「望むところさ」
 二人は手を上げて別れる。
 将は道具をバッグに詰め、コートを離れる。そこで将の足が止まった。
 詩織がいた。正確にはテニス部の面々がいたのだが、誰もが将と詩織の妨げになろう
とは思わなかった。
 二人は静かに寄り添い、そして静かに抱き合った。
 もはや、言葉は不必要だった。


 
   ときめく時の中で(112)

   絡み合う想い(11)


 確かにけたたましくはないが、それなりの自己主張を持った電子音に、和人は夢の世
界から現実の世界へと引き戻された。
(ちくしょう、もう朝か?)
 心の中で毒づきながら和人は目覚まし時計にベッドの中から右手を伸ばす。
 朝夕はめっきり寒くなった空気が、和人の右腕から体温と共に、眠気を奪い取ってい
く。
 やっとの思いで目覚まし時計をつかんだものの、それが電子音の発生元ではない事が
わかると、和人の動きが止まる。
「なんでえ、今日は日曜日じゃねえか!」
 上半身を起こし、寝ぼけ眼であたりを見回し、鳴ってるのは電話だと和人は知った。
「誰だよ。こんな朝っぱらから?・・・・」
(実のところ、すでに時計の針は午前11時を回っており、「朝っぱら」とは言えない
時間なのだが、そこまで考えられるほど和人の脳は活動していなかった。
「はい、領家です」
 受話器を上げ、自分でも不機嫌な声だと思いつつも、和人は答える。
『・・・あの、美樹原と申しますけど、・・・あの、和人さんはいらっしゃいますでし
ょうか?』
 和人の声に気押されしたのか、受話器の向こうから遠慮がちな声が聞こえてきた。
 和人の目が急に覚める。
「美樹原さん?どうしたのこんなに早く?」
『和人くん?』
「ええ、そうですけど」
『ああ、びっくりしちゃった。なんだか怖い声の人が出るんだもん』
「いやあ、すみません。朝はどうも苦手で」
『もう11時よ。朝じゃないわよ』
 そう言われて、和人は初めて壁にかけてある時計を見上げた。
「ありゃあ、もうこんな時間なのか」
『和人くんたら、お寝坊さんね』
「あはははは」
 力なく和人は笑って美樹原に答える。
「ところで、なんの用です?」
『あっ、和人くん、今日、お暇?』
「そりゃあ、こんな時間まで寝てられるぐらいだから暇だけど、・・・それが?」
『あのね、映画の招待券が2枚あるんだけど、和人くん一緒に行かない?』
「・・・美樹原さんと?」
『・・・私とじゃ、いや?』
 電話の声が不安そうな声になったので、和人は笑って答える。
 それは将が聞いたら「信じられない」と言うのではないかと思えるほど、和人には
珍しいほどの優しい声だった。
「そんな事あるわけないでしょ。俺でよければご一緒しますよ」
『ああ、よかった。・・・それじゃあ、どうしようか?』
「上映は何時のがあるの?」
『うんとねえ。・・・1時15分のがあるのかな?』
 和人は時計を見上げながら答える。
「・・・それじゃあ、1時に映画館の前でどうかな?」
『うん。それでいいわ。・・・遅れないでね』
「はいはい、それじゃ」
『うん』
 受話器を切り和人は身仕度を始める。和人の家から待ち合わせの場所までは、それほ
ど時間的に余裕はないのである。
「それにしても、美樹原さんが誘ってくるなんて、珍しい事もあるもんだなあ」



「そんなに笑わなくたっていいじゃないですか」
 映画館のロビーで、困ったような顔の和人は、椅子に座った美樹原に言った。
「クスクス。だってえ」
 周りにいるお客には笑っている人は少ない。むしろ青ざめている人がいるぐらいで、
笑いが止まらないと言った感じの美樹原は、はっきり言って浮いていた。
 それでも美樹原は笑いを押し殺すことができない。
「だって、和人くんが、怖いの苦手だなんて・・・思わなかったんだもん」

 和人は映画館の前に来て
(しまった)
と思った。
 上映されている映画が、今評判になっているホラーだと知ったからである。
 何が上映されているか調べなかった、もしくは聞かなかったのは、いくら起き抜けと
は言え、うかつとしか言いようがない。
 誰もがその事を知っても「意外だ」と言うのだが、和人はこの手の映画が駄目なの
だ。
 計算された恐怖と言うのが本当に駄目なのである。
 しかし、ここまで来て引き返すわけにも行かない。なんとかごまかそうと思ったのだ
が、それは無駄なあがきだった。
 美樹原は「キャッ」とか「いや!」とか言ってはいるものの、その実、楽しんでいる
のは明々白々だった。和人と言えば、黙って見ていたのだが、それは平気なのではなく
声も出せなかったのである。
 しかし、クライマックスを終え、このまま終わりかと思ったその時、ショッキングな
シーンが画面に展開された時に、和人は思いっ切り声を出してしまった。
 それはある意味、古典的な演出なのだが、和人はまんまとしてやられたのである。

「それにしても、和人くんのあんな怖がった顔見たの初めてよ」
 両手で顔を抑える美樹原に、和人はなす術もないと言った風である。
「・・・もう、なんとでも言ってください」
 見ようによっては、すねたような和人の口ぶりに、美樹原は半ば涙目になりながら、
慌てて言う。
「ご、ごめんね。だって、なんか嬉しくって」
「嬉しい?」
「うん。和人くんにも苦手な物があるんだな、って思ったら、なんだか嬉しくなっちゃ
ったの。
 和人くん、苦手な物なんてなさそうだから」
「ひどいなあ。俺にだって苦手な物ぐらいありますよ」
「そう?それじゃ他には?」
「他には?・・・そうですねえ。・・・内緒」
「ああーー!ずるーーい!」
「なんで、ずるいになるの?」
 和人は首を傾げた。



 美樹原と和人は、その後ハンバーガーショップの二階で軽く食事を取っていた。
 日も傾き、風も冷たくなった町中を行き交う人々を見下ろす、窓際の席である。
「それにしても意外だったな。美樹原さんが誘ってくれるなんて」
 コーヒーを飲み、和人が言った。
「そうかな?」
「そうですよ。それも当日になって突然だからなあ。・・・待てよ」
 そこまで言って和人は口に右手を当てて考え込む。
「ひょっとして、今日、本当は、違う人を誘うつもりじゃなかったのかな?」
 和人の疑問は美樹原の動きをとめた。鋭い所を突いたのである。
「やっぱりね」
 和人は天井を見上げてそう言った。
「・・・ごめんね。気分悪いよね」
「いや、なんにしても誘われるってのは嬉しいから、気にしないでいいよ」
「そ、そう?」
「そのかわり教えてよ。本当は誰を誘うつもりだったの?」
 和人の質問に美樹原はしどろもどろになってしまった。
「え?あ、あの、それはね・・・」
 美樹原の返答を待たず、和人は答えを言った。それは初めから、聞くまでもない事な
のであるから。
「”あの人”でしょ?」
 美樹原は黙ってうなずく。
「なかなか誘えなかったんでしょ?」
 再び無言でうなずく美樹原である。
「結局最後まで誘いきれなかった訳だ」
 和人は両手を頭の後ろで組んで言った。
 美樹原が誘おうとして、誘いきれなかったことは、容易に想像がつく。
「まあ、美樹原さん、そういう事もある・・・・」
 和人はそれ以上続けることができなかった。
 窓の外を向いた美樹原が、まるで凍りついたように動かなくなったからである。
 そして、美樹原の唇が震えた声で、ある固有名詞を送り出した。
「詩織ちゃん・・・人思くん・・・」
 和人は美樹原の視線を追った。その先のスクランブル交差点の信号待ちをしている人
々の中に、間違うことのない、詩織と君本の姿があった。



−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−つづく

   ときめく時の中で(113)

   絡み合う想い(12)



「詩織ちゃん、・・・人思くん・・・・」
 ハンバーガーショップの2階で、詩織と君本を目撃してしまった美樹原は、無意識の
内に、テーブルの上で和人の左袖を両手でつかんでいた。
「人思くんの予定って、この事だったの?」
 それは和人に聞いた質問ではない。また、自分自身にでもない質問を、空に向かって
投げかけて、美樹原は和人の袖をつかんだ手に力をこめる。
 その手が小刻みに震えている事に和人は気が付いた。
「美樹原さん」
 だが、和人の問いかけに美樹原は答えない。
 和人は袖をつかんでいる美樹原の両腕に右手を添え、やや、強い口調で言った。
「美樹原さん!」
「え!?あっ、何?和人くん」
 慌てて美樹原は和人に向き直る。その姿は平静を保とうとしてはいるが、動揺してい
ることは明らかだった。
「美樹原さん」
「・・・何?」
「美樹原さん、また何か良くない事を考えているでしょう?」
「・・・どういう事、和人くん?」
 美樹原は笑いを浮かべているが、とても自然とは言えないものになっていた。
「あのねえ美樹原さん、今、俺たちの状態を藤崎さんが見たらどう思いますかね?」
「え?」
 美樹原の疑問に、和人は直接には答えない。両手をあわせ、やや視線を上の方に向け
て、およそ彼には似合わない裏声でこう言った。
「まあ、メグったら、トシくんの事が好きだと言っておきながら、他の男の子とデート
するなんて」
 そこまで言って、和人は声を元に戻す。
「きっと藤崎さんはこう思うでしょうね」
「?!」
 詩織が美樹原のことをメグ、君本のことをトシくんと呼んでいることを、和人は美樹
原から聞いていた。
 どうやらそれが詩織のまねだったらしい、と気が付いた美樹原は吹き出した。
「もう、和人くん、全然似てないよーー」
「別に似せようとは思ってませんよ」
 和人は演技で不機嫌な声を出した。美樹原が笑ってくれることで初期の目的は達成で
きたのである。
「そうだよね」
 美樹原がポツリと言った。
「考えてみれば、お隣どうしの幼馴染みなんだもんね、どこかへお出かけする事だって
あるよね?」
「そうそう」
 和人は笑って美樹原にそう言ったが、内心は穏やかではなかった。
(おい将!お前、藤崎さんの事、しっかり捕まえておけよ)
 美樹原にはそんな風に言ったものの、和人自身の不安は相当なものであった。
 美樹原とて、その不安は同様であった。



 君本にとっても、詩織の行動は理解に苦しむものだった。
 元々、今日の事を言い出したのは詩織の方である。
 その週の月曜日、君本は廊下で詩織に呼び止められた。前回のデート以来、なんとな
く顔を合わせることが気まずくなっていたため、君本は戸惑った。
「ねえ、今度の日曜日空いてる?」
「え?・・・ああ、開いてるけど、何?」
「あのね、一緒にお買い物に付き合ってほしいんだけど」
 断る理由はなかった。
「ああ、いいよ」
 君本はそう答えたのだが、内心は複雑な思いだった。
 詩織がどういうつもりでそんな事を言ったのか、全く読めないのである。
 幼馴染みとしての長いつきあいの中でも、こんな事は今までなかった。
 そんな事があってのこの日となったのだが、詩織の振る舞いは今までと変わる所はな
かった。
 君本はこの前の事を聞きたい、はっきりさせたいと思っていたのだが、いざ目の前に
詩織がいるという状況になってみると、それを問いただすことは出来なかった。
 その内に、
(まあ、機嫌も直ったみたいだし、無理に聞き出すこともないな。これからも、今まで
通りでいけそうなんだから)
と思うようになった。
 うやむやになってしまうようだが、今までもこういう事がなかったわけではない。お
互いの間で秘密もあったし、はっきりさせてないことだって多々ある。
 今回もそういった物になるのだろうと思っていたのである。
 ともかく、詩織とのデートの一日は何事もなく過ぎていき、君本としてはまず満足す
べき1日となった。
 ただ、詩織が買った男物のシャツ(しかもプレゼント用に包装された)が誰の物なの
か、それが気にならないと言えば嘘になるだろう。
 癪な事に、その行方がある程度想像できることが、面白くなかった。
 しかし、それを言って、また詩織の機嫌を損ねては元も子もないと思い、何も言えな
いのであった。
「あのなあ、詩織。ひょっとして、俺を誘ったのは荷物運びのためか?」
 両手に荷物を持った君本は、詩織に聞いた。
「あら?持ってくれるって言ったのはトシくんでしょ?」
 クスッっと笑い詩織は答える。
「そりゃ言ったけどさあ」
 確かに君本は詩織の買い物袋を持ってあげると言った。だが、それぞれ2つのショッ
ピングバッグを両手に持つと、いかにも荷物運びといった姿になる。
「ごめんね。それじゃ、私も持つわ」
「いいよ。別に重いわけじゃないし、このぐらいなんでもないよ」
「そう?ウフ、ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして」
(やっぱり、これだよなあ。この雰囲気は壊したくないよなあ)
 君本はそんな詩織との会話で、この前の事は忘れていいのではないか?と思うように
なっていた。



 そんな風にして、二人が自宅に帰って来たのは日も落ちた夕闇の中のことであった。
 詩織の買い物袋を、詩織の家の玄関まで届けた君本は、詩織に見送られ自宅に帰ろう
とした。その時だった。
「トシくん」
 詩織の呼ぶ声に君本は振り返る。
「なんだい、詩織?」
「今日は、ありがとう」
「このぐらいおやすいご用さ。・・・なんだよ?あらたまって」
「うん、・・・あのね」
「・・・なに?」
「この前はごめんね。私、どうかしてたのね、きっと」
 詩織の言う”この前”が何の事か、さすがの君本にもわかる。
「いいんだよ、そんな事」
「トシくんはとっても大切な幼馴染みだから、こんな事で気まずくなるのがいやだった
の。だから、今日誘ったの。・・・これからもよろしくね」
「・・・・」
 君本は何も言えない。言葉が出なかったのだ。
「それじゃあ、おやすみね」
 君本の沈黙を了解と受け取ったのか、詩織はそれだけ言うと玄関に入っていった。
 後に残された君本は茫然としていた。
(・・・何?・・・・ちょっと待ってよ。・・・・それって、いいお友達でいましょう
ねって事か?・・・・おいーー詩織ぃーーーー)
 君本は内心で滝のような涙をこぼしていた。
 その頃、詩織は玄関で自分自身に問いかけていた。
「これで良かったんだよね。詩織?」


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−つづく

   ときめく時の中で(114)

   絡み合う想い(13)



 それは秋もすっかり深まった、将の誕生日の朝のHR前のことだった。
 将は優美からきれいに包装された包みを渡された。
「はい、これ優美からのプレゼントだよ」
「え?プレゼントって、誕生日の?」
「あったり前でしょ、今日は将君の誕生日じゃないの」
「・・・ありがとう、早乙女。早乙女にもらえるとは思わなかったな」
「えへっ、将君優美の誕生日ちゃんと覚えてくれてたもんね。・・・ところで、今日は
将君大変だぞ」
「なんで?」
「なんでって、プレゼントの山に埋もれっちゃうからじゃない」
 優美にそう言われても、将にはその辺りの自覚は全くない。
「そうかなあ?」
「んもう。そうだよ」
 優美は少しばかり呆れたような表情なった。
「優美ちゃん、将君。おはよう」
 そこにやって来たのは四本松だった。
「おはよう優ちゃん」
「おはよう、四本松」
「あれ?優美ちゃん、もうプレゼントあげたの?」
 将が手にした包みを見た四本松は、驚いたような声をあげた。
「四本松、なんでこれが早乙女のからだってわかるんだ?」
 将の疑問に優美が答える。
「優美と優ちゃん、一緒にプレゼントを買いに行ったの。実はそれ、優ちゃんに選んで
もらったんだ」
「・・・そうだったのか」
「あーーあ、優美ちゃんに先を越されちゃったな。はい、これ、私から」
 四本松はカバンを開けて将へのプレゼントを取り出した。
「ありがとう」
 将はそう言って四本松からのプレゼントを受けとる。
「オッス。将、早乙女、、四本松」
 そこへやって来た和人は、将が持っている2つの包みを見て言った。
「おお、将、今日は大変だなあ」
「それは早乙女にも言われた。ま、どうなるかわからないけどね」
 将はそういう風に言ったのだが、その後から、それを思い知らされることになる。
 クラスメイト等から、プレゼントをもらったのである。昨年と違って、女性用のアク
セサリー類はない。
 さらに3時限目が終わった後、クラス担任から、昼休みに職員室の隣にある事務室に
来るようにいわれたのである。
 実際に行ってみて将は驚いた。
「なんですか、これは?」
 そこには、将宛の郵便物が積まれていたのである。
 言ってしまえば、学校以外の、見ず知らずの人からのプレゼントなのだ。
 実は、将の事はテニス雑誌に、記事として何度か載ったことがある。
 インターハイに出場し、地区大会で優勝したとはいえ、所詮は高校生なのでそれほど
大きく扱われたわけではない。しかし、「次世代を担うホープ達」と銘打たれた、ある
雑誌の特集記事では、他の学校の選手に混じり、将のことが紹介された。
 1ページ単位で、各選手の写真、プロフィール、簡単なインタビューで構成されたそ
れは、見ようによってはアイドル雑誌のような構成で、発売された時は将の周りでも話
題になったものだ。
 実際、編集部経由、学校経由でファンレターなども来ていた。
 それらの事があって、大げさではなく、全国から将宛にプレゼントが送られてきたの
である。
「どうするね、これ?」
 教師に言われた将は、困り果てた顔で言った。
「数日に分けて持って帰りたいんですけど、しばらく置いといてもらえませんか?」
「そうだな、とても1度に持っては帰れない量だからな。いいだろう」
「ありがとうございます」
 将としても肩をすくめるしかないのであるが、まだ終わったわけではないのである。



 テニス部の部活動でも、将は同じ状況になった。
「はいはい、そういうのは練習が終わった後にしてね。将君もサブCなんだから、少し
は考えてよね」
 連尺にそう言われて、将も下級生達に優しく言った。
「キャプテンの言う通りだよ。まずは練習しなくっちゃな」
 受け取る側の将にそう言われたら、引き下がるしかない。
 残念そうな表情で下級生達がコートに向かい、後に残った連尺は将に言った。
「なんだか、大変そうだね。将君?」
「なんだ?なんか引っかかる言い方だなあ」
「べ、別に深い意味はないんだけどね。
 そうそう、冬休みまでの練習スケジュール、今日までに完成させといてね。私、備品
を買いに行かなくちゃいけないから」
「俺一人で?」
「委員会が終わったら、詩織先輩が来てくれるはずだから、詩織先輩とでお願い。
 できたら、あの引き出しにいれておいてね。明日、私が提出しておくから」
「いいけどさ、備品、一人でいいのか?」
「うん、米津先輩が行ってくれるって言うから、お願いしたわ」
「そ、そうか。わかったよ」
「お願いね」
(誕生日でも、こういう仕事は関係なくやってくるか・・・しかたないけど、連尺も人
使いが荒いなあ)
 そんな事を思う将だった。


「エーー?将先輩、残って仕事するんですか?」
「そんなあ、帰りにみんなで、どこかによって行こうって話になってるのにぃ」
 将が残るという事を聞いて、女子部員達の口に不満が漏れる。
「先輩、私も手伝いますから、一緒に帰りましょう?」
「駄目だよ。こういうのは俺の役目なんだし、それに、手伝ってもらって、能率が上が
るものでもないしね。藤崎先輩の力を借りて、なんとかやってみるさ。
 またの機会にお願いするよ」
「はーーい」
 と、答えてはみたが、不平がつい口に出てしまう。
「キャプテンも、よりによってこんな日に仕事をさせなくたっていいのにね」
「みゆき先輩、キャプテンになってすごく厳しくなったね」
「言ってることが正しいだけに、何も言い返せないし・・・」
 将が手をたたいて、そんな会話を制した。
「ほら、無駄話はそこまで、練習、練習」
「はーーい」
 将に言われて複数の声が答える。



「しかし、不器用と言うか、お人好しと言うか、連尺も損な性格してるなあ」
 米事の言葉に、連尺は顔を上げた。
 備品を買いに行くために乗った、バスの中のことである。
「どういう事ですか?」
「吉野と藤崎のために、わざわざ連尺がセッティングしてやることもあるまい」
 米津は片目をつむり、にやりと笑った。
 その表情に、連尺はしばらく鳩が豆鉄砲をくらったような顔になったが、すぐに顔を
引き締める。
「何の事ですか?」
「とぼけるなよ。どんな状況であれ、あの二人を、二人だけにさせたいんだろ?」
 連尺は、あきらめたような表情になる。
「米津先輩には勝てませんね」
 連尺は笑った。
「でも、連尺はそれでいいのか?」
 米津の表情に真剣味が増す。
「だって、しょうがないじゃありませんか。将君は詩織先輩が・・・。
 それで、将君が駄目になるようなら、絶対に妨害、って言うのも変ですけど、こんな
事はしません。けど、将君、詩織先輩がいてくれたらもっと伸びます。力がつきます。
 私、その邪魔をしたくありませんから」
「・・・連尺の気持ちはわかるけどなぁ。だけど、ここまでしてやらなくてもいいんじ
ゃないのか?藤崎だってそのあたりは解ってるだろうし」
「米津先輩?」
「ん?」
「私思うんです」
「何を?」
「はたから見ていて思うんです。将君はまっすぐ詩織先輩を見ています。でも詩織先輩
は、・・・・いえ、これはきっと私の思い過ごしですから」
 連尺は顔を背け、車窓の外の流れる景色に顔を向ける。
 米津はしばらくの間、その顔を何も言えずに見つめるだけであった。


 
   ときめく時の中で(115)

   絡み合う想い(14)



「詩織先輩も、公の立場を離れたらなんだか積極的になったみたいね」
「そりゃねえ、今まではサブCという立場があったから、将先輩に掛りっきりになる訳
には行かなかったからね」
「それにしても、・・・」
「うらやましいわあ」
 練習を終え、先に帰宅したテニス部の1年生たちは、帰り道、口々にそんな事を言い
合っていた。
 連尺から言われた仕事を、将は詩織と片付けていた。それだけなら別に対したことで
はないのだが、その様子が、まあ、なんともはや、と言うべきものだったのである。
「あん、だめ。そんなところに記録しちゃ。ちゃんと将君専用のディレクトリを作って
そこに記録しなきゃ駄目よ」
「え?」
 コンピューターのマウスを操作していた将の手の上に、詩織が手を添え、そう言った
ので、将は慌てた。
 モニター、マウス、そして詩織の顔の3ヶ所の間を、目まぐるしく視線を移動させる
将にかまわず、詩織はモニターを指さす。
「ここにね、ディレクトリを新しく作るの。それでね・・・」
 はっきり言って将の耳に詩織の説明は届いていない。手の甲に感じる詩織の体温に心
を奪われ、とてもそれどころではなかったのである。
「・・・くん。将くん」
「え?」
 詩織の声に我に帰った将が見たのは、腰に左手をあてた詩織の姿だった。
「もう、聞いてるの?元城くんが調達したこのパソコンを使うのは、実質的には将くん
達なんだよ。ちゃんと覚えてね」
「すみません」
「じゃあ、続けるね」
「はい」
 引退した元城は、電脳部から型落ちしたパソコンを(どうやってかは不明なのだが)
入手し、テニス部の備品として部室においた。
 連尺に言われた仕事を、そのパソコンを使ってしようと詩織が言った。
 それと同時に、将にその操作を教えていたのである。
「そう、そう。それでね」
「これですね?」
「そうよ。よくわかったわね。将くん飲み込みが早いなあ。私なんか、なかなか判らな
かったんだよ」
「そうですか?」
「そうだよ。・・・それでね」
「はい?」
「忘れないうちに言っておおくけど、これが終わったら、将くんに誕生日のプレゼント
があるからね。待っててね」
「・・・藤崎先輩。くれるんですか?」
「当たり前でしょ?それとも、いろんな人からもらって、私のプレゼントなんていらな
いのかな?」
「そんな意地悪言わないでくださいよ。欲しいに決まってるじゃないですか」
「そう?それじゃ、頑張って終わっちゃお。ね?」
「はい!」
 将はそう答えたが、心に引っかかるものがあった。
 それはここ数日の詩織の変化であった。
 それが何か?までは判らない。だが、何かが将の胸に、しこりのようなものを残して
いた。



 詩織の変化に、引っかかるものを感じている人物は、将だけではなかった。
 その人物は、その週の週末、古式の家を訪ねていた。
 その日、古式ゆかりは自室で編み物をしていた。それはセーターだった。そして、贈
る相手は将である。
 本当なら、それは誕生日に贈るはずの物だったのだが、完成が遅れに遅れ、その日に
間に合わなかったのだ。
 古式はその日、将に、手書きの「プレゼント引換券」というのを渡した。
「私の、編む、スピードでは、X'masになって、しまいそう、なんですけれども」
 そう言った古式に、将は答える。
「姉さんの手編みの物なの?」
「それは、その日、までの、秘密です」
(今、編んでるって言ったのになあ)
 将はそう思ったのだが、口には出さなかった。
 そんなわけで、古式は編み物に専念していたのだが、自室のドアをノックする音に我
に帰る。
「あら、お母さま」
「あなたに、お客様、ですよ」
「私に、ですか?」
「テニス部の、連尺さん、という、お方です。通して、いいですか?」
「まあ、みゆきさんが?・・・はい、お願いいたします」

「あの、お構いなく。
 すみません、突然お邪魔して」
 部屋に通された連尺は、座卓にお茶などを差し出した古式の母に、おじぎをしながら
そう言った。
「いえ、いえ、いいんですよ。
 あなたが、連尺さんでしたか。ゆかりが、いつも、言っているんですよ。連尺さんに
任せておけば、テニス部は、安心だと」
「そんな、私なんか、皆さんのお力添えがあればこそです」
「そんな事はないでしょう。・・・ともかく、ごゆっくり、していって、下さいね」
「はい」
 連尺は深々と頭を下げる。
 母親が立ち去った後、連尺の右斜め前に座った古式が微笑みながら言った。
「それで、今日は、どうしたんですか?」
「今日は、ゆかり先輩にお願いがあってやって来ました。
 お引き受け願えませんか?」
「はい、私に出来ることなら、なんなりと」
 あっさりと古式はそう答えたのだが、連尺は少しためらっていた。
「それで、お願い事と言うのは、なんなのでしょうか?」
 古式にそう言われた連尺は、意を決して古式に向き直った。
「実は、詩織先輩と将くんの事なんです」
「詩織さんと将くんの?」
「はい」
 古式の瞳に驚きのような物が走ったことを、連尺は見逃さなかった。だが、それを無
視して、連尺は続ける。
「こんな事、他にお願いできる人がいないんです。基本的には、プライベートな事で、
私には口を挟む権利はありません。でも、それによって、将くんに悪影響が出るような
ら、放っておくわけにもいきません。
 私はテニス部のキャプテンという立場ですから、将くんに掛りっきりになる訳にもい
かないんです。
 お願いします。どうかお力を貸してください!」
 連尺は畳に頭をつけるかと思うほど、深々と頭を下げる。
 その様子を見て、古式が言った。
「顔を上げて下さい、みゆきさん。・・・それは判りましたが、なぜ、私、なのですか?」
「・・・それは、ゆかり先輩と将くんの間柄です」
 さしものマイペースの古式でも、この連尺の言葉に、心臓が跳ね上がる。
「そ、それは、どういう事でしょうか?」
 古式の質問に、連尺は答える。
「これは、あくまでも私の目で見た範囲で、私が感じたことですから、間違っていると
は思いますが」
 そこで連尺は一呼吸おいた。
「私、ゆかり先輩と将くんの間に、何か、特別なものがあるように思えてならないんで
す。
 それが何かは判らないんですが、恋人とか、単なるテニスのパートナーなどと言った
以外に、何か結び付きがあるように思えてならないんです。
 違いますか?」
「みゆきさん?」
 古式は彼女にしては珍しく、戸惑いをはっきりと表情に表していた。
「どうして、そうだと、判るんですか?」
 古式の問いに連尺が答える。
「あくまでも、私がそう思うだけす。ただ、コートを離れてみんなを見ていると、ある
時、とんでもないことに気が付く時があるんです。
 ゆかり先輩と、将くんのことは、この際、無視しますが・・・」
「詩織さんと将くんとの事は、無視できない?」
「・・・はい」
 連尺の固い決意を見てとり、古式も覚悟を決めた。
「判りました。では、聞かせてもらえますね。何が気になるのか?」
「・・・はい」
 連尺は大きく息を吸い込んで、古式に言った。
「私、思うんです。詩織先輩は、本当に将くんの事が好きなのかなって?」


 
   ときめく時の中で(116)

   絡み合う想い(15)



 古式が眉をひそめる。それは滅多に見ることが出来ない表情だ。連尺の言ったこと
は、古式にとって聞き捨てならないものなのた。
「みゆきさんが、そう言うからには、根拠が、あるのですね?」
 連尺は、静かにうなずく。両手を顔の前で合わせて、口元に持ってくる。
「好きじゃない、と言うのは言い過ぎかもしれません。
私がそう感じたのはここ数日の間です。それまでは、なんの疑問もなく、詩織先輩が
将くんのことを見ていると思っていました。でも、ここ数日、詩織先輩が変なんです」
「変?」
「はい。確かに、表面では先輩として振る舞ってます。でも、実際は、まるで将くんに
甘えているようなんです。私には信じられませんでした。あの詩織先輩がそんなになっ
てしまうなんて、と。違和感を感じたんです。
 その時、気付いたんです。その違和感が初めてではないことに・・・。
 ゆかり先輩?」
 連尺は古式に向き直り、そう言った。
「はい」
「ゆかり先輩が、春の大会で不調になったことがありますよね?」
「はい」
「あの時、詩織先輩、ひどく不機嫌になったことがあったんです。その時の違和感に似
ているんです。
 遡って、新学年の時、選手を引退してコーチになると言った時も、そうでした。
 私、その時には、それほど詩織先輩が将くんのことを想ってるんだなって、思ったん
です。最初のころはただ単に、選手としての素質に対してだったとしても・・・。
 でも、今、思い返してみて、この3つの事に関して、共通のファクターがある事に、
初めて気が付いたんです」
「君本さんですね?」
 ぽつりと言った古式の言葉に、連尺は驚きを隠せない。
「ご存じでしたか?」
「はい。お噂などは、かねがね」
 連尺は少しうつむいて、自分の推測を述べた。
「冬から春にかけて、これは君本さんが、急激に校内の注目を浴びたころです。
 春の大会のころ、この時は君本さんに関して良くない噂が流れたころです。
 そして、最近・・・」
「受験を理由に、君本さんは、女の方との、デートを、断るようになった、と言う、お
噂ですね?」
「そうです。・・・これが単なる偶然だとは思えなかったんです。
 君本さんについての噂が流れる時、詩織先輩の将くんに対する接し方が変わる。これ
が偶然だとは、私にはどうしても思えないんです」
「身代わり?」
「いえ、そうではないんです。詩織先輩の、将くんに寄せる想いは本当です。
 でも、・・・ここからが判らないんです。
 詩織先輩にとって、君本さんというのはどういう存在なのか?同時に、将くんはどう
なのか?それが判らないんです」
 そう言って連尺は黙り込んでしまった。
「みゆきさん」
「はい?」
「確かに、みゆきさんが言うことには、根拠があります。でも、だとすれば、それは、
詩織さん自身にも、判っていること、なのではないでしょうか?」
 連尺はうつむいたまま、首を振る。
「私もそう思っていました。でも、誰もが、思い違いをしているのかもしれないと、思
うようになってきたんです」
「思い違い?」
「はい、私も、ゆかり先輩も、元城先輩、米津先輩、将くん、テニス部員、学校の生徒
先生、そして恐らく詩織先輩自身も・・・」
 連尺は黙り込んだ。古式も連尺が続けて言わんとすることを、息を飲んで待った。
「私達はいつのまにか、ある完璧な理想像を、詩織先輩に重ねていたのではないでしょ
うか?
 考えてみてください。詩織先輩は私達と同じ、ただの高校生です。
 確かに、勉強も、運動もできて、性格も良く、誰からも好かれています。
 でも、目に見えない部分で弱点、弱い部分がないとどうして言えるでしょう?」
「例えば、心に?」
「・・・はい」
 古式の問いを、連尺は肯定した。
「これは、私も自信がないのですが、将くんに対する想いは、ひょっとしたら、その弱
い心の裏返しから来るのかもしれない、と思うほどなんです」
 古式はしばらく黙っていたが、やがて口を開く。
「それで、みゆきさんは、どうするべきだと?」
「判らないんです!!」
 連尺は激しく首を横に振った。
「判らないんです。どうすることが将くんにとって、一番いいことなのか?私には判ら
ないんです。
 このままでいいのか、悪いのか?そもそも、私の考えは的を得ているのか、いないの
か?
 お願いです。力を貸してください」
 再び、連尺は頭を下げた。
 古式は小さくため息をついて、連尺の肩に手を置いた。
「みゆきさんは、将くんのことが、好きなんですね?」
「・・・はい。きっと、初めて出会った時から」
「もし、詩織さんの想いが、本当だった時、・・・それでも、良いのですか?」
「・・・はい。それが将くんにとって、一番いいことなら」
「それが、みゆきさんの、愛し方、なんですか?」
 びくっとして、連尺は顔を上げる。
「そ、そんな、愛し方だなんて・・・」
「そうなんですね?」
 古式はにこやかな表情だったのだが、そこには有無を言わさないものがあった。
「・・・はい」
 連尺は、また、うつむき、静かな口調で言った。悲しいのではなく、激しているわけ
でもない、それは事実だけを述べるような淡々とした口調だった。
「私には、こんな事しか出来ません。詩織先輩には詩織先輩の、ゆかり先輩にはゆかり
先輩の、優さんには優さんの、そして南ちゃんには南ちゃんの接し方があるように、
私は私にしか出来ない事をするだけです。
 私、将くんの為になる事だったらなんでもします。でも、駄目にしてしまうような事
は、全力でこれを排除します。それがエゴだと判っていても!」
「たとえ、それが、詩織さんでも?」
「はい、たとえ、全世界を敵に回しても・・・」
 古式は、連尺から殺気に似たようなものを感じ、背筋に冷たい汗を流す。
 古式は目を閉じ、先ほどよりやや大きいため息をつく。
「詩織さんの、事について、方法は、私に、一任して、くださいますか?それならば、
お受け、できるのですが」
「はい、それでかまいません!お願いします!」
 連尺は三たび、頭を下げる。
「でも、すみません。こんな事をお願いしてしまって・・・」
「いいんですよ。将くんの事なら、私も、無関心では、いられませんから」
 古式の返事に、連尺は表情に疑問の成分を含ませる。それを感じた古式は、微笑みな
がら言った。
「私と将くんは、本当の、姉弟、なんですよ」
 それは、まるでごく当然なこと、「太陽が東から昇る」と言うような口ぶりだった。
 だが、連尺の驚きは相当なものだった。
「そ、それは?」
「はい、お父さまも、昔は、いろいろあったのですね。私も、最初は、驚いてしまった
のですけれど、そのおかげで、将くんのような、素敵な、弟ができて、今では、感謝、
しているのですよ」
(この、心の広さはなんだろう)
 連尺は思った。古式は単なるマイペースだけなのではなく、相手に対する度量が広い
のである、と。
(ゆかり先輩に、お任せして大丈夫)
 連尺はそう思って、言った。
「お願いします」
「はい」
 古式も答えた。


   ときめく時の中で(117)

   絡み合う想い(16)



早乙女好雄が、君本の家を訪ねたのは、二学期の定期テストが終わってすぐの、日曜日
の午後の事だった。
「なんだよ、好雄。何の用だ?」
 いぶかしげに尋ねた君本に、好雄は真剣な表情で答える。
「俺、今日は真面目な話があって来た」
「なんだよ、それ?」
 君本は笑って答えたのだが、好雄の表情が、滅多に見ることが出来ないほどの、真剣
さだったので、笑いを納める。
「上がっていくか?」
 好雄は黙ってうなずいた。


 二人は、君本の自室で、カーペットに座布団を敷いて、向かい合って座り込んだ。
 君本の母親がお茶とお菓子を置いて、部屋を出て行くと、好雄は両手であぐらをかい
た両膝をつかみながら、君本に言った。
「あのな、トシ?・・・」
「なんだよ?」
「お前がどう思おうと、俺はトシの事を親友だと思ってる」
「おいおい、なんだってんだよ。やぶから棒に?」
 君本は笑いながらうなだれるが、好雄の表情は変わらない。
「真面目な話なんだよ!」
 そう言われて、君本も顔を上げる。
「だうしたんだ?何を言いたい?」
「いやな、俺聞いたんだよ。例の噂」
「・・・ああ、それか、・・・好雄にしては、情報の入手が遅かったな。今ごろ、そんな事を
言ってくるなんて」
「噂は前から聞いていたさ。それ自体はいいんだよ。俺が聞きたいのは、お前が何を考
えているか?なんだよ」
 好雄は君本の母親が置いていったお茶に、一口つけてから続けた。
「女の子達に、受験だからもう会えない、と言ってるそうだけど、・・・本当の理由って、
なんだ?」
「・・・本当の理由って、・・・その通りだよ」
「トシ!」
 好雄が叫んだ。親友の意外な一面に、君本の動きが止まる。
「なあ、トシ。俺にだけは聞かせてくれ。その理由を」
「・・・理由って言っても・・・」
 歯切れが悪い君本の答えに、好雄がしびれを切らした。
「じゃあ、俺が言おう!藤崎だろ、藤崎が原因なんだろ!」
 まっすぐ君本を見つめる好雄に、君本は視線をそらす。
「そ、そうだよ。俺は、詩織が・・・詩織が好きだ!」
 とうとう言ってしまったと、君本は思った。
 とうとう言わせてしまったと、好雄は思った。
「こんな気持ちのままで、他の娘と付き合うなんて、これ以上出来ないよ。それで、冷
たいとかいう、悪い噂が流れるならしかたがない。
 俺は詩織だけが好きなんだ」
 好雄はそれを聞いて、少しばかり肩を落とす。
「そうだろうな、やっぱり。そんなとこだと思っていたさ。だがなトシ。残酷なようだ
が藤崎は・・・」
「知ってるさ。吉野くんだろ、二年の」
 苦しい表情で君本は言った。
「知ってても、なお・・・か?」
「ああ。俺も最初は、二年生なんかに詩織をとられてたまるか、と思っていた。
 俺が今まで努力してきたのは詩織のためだ。努力して、ようやく詩織に見合う男にな
ったのは、なんだったのか!
 そう考えたら、負けてたまるかと思ったさ。
 だが、実際に会ってみると、あいつはいい奴だし、詩織も本気みたいだ。
 詩織がそれを望むのなら、俺は、それでもいいと思っていた。
 それで詩織が幸せなら、それでいいと思っていたんだ。負け惜しみなんかじゃなく、
本当にそう思っていたんだ!」
 好雄はうなずく。
「判ってるさ、トシはそう言う男だって」
「でも、この前、詩織に『大切な幼馴染み』だって言われた時、俺の中で何かが叫んだ
んだ。それでいいのか?それで、お前は本当にいいのかって」
 君本は首を横に振る。
「やっぱりいやなんだよ!
 詩織が他の男に取られるなんて!
 俺は幼馴染みのままで、離ればなれになって、どこか見知らぬ場所で、詩織が誰か別
の男を好きで居るなんて、耐えられないんだよ!」
「お前!それは究極のわがままだぞ!!」
「判ってるさ!そんな事!」
 君本はうなだれ、右手で髪をかきむしる。
「判ってるんだよ。判ってるんだけど、気持ちだけはどうしようもない。
 ・・・あいつが言ったんだ」
「あいつ?吉野か?」
「ああ、俺に言ったんだ『誰にも負けないって』な。詩織のために負けないと言ったん
だ。俺は、その時から胸に引っかかっていた。あいつに比べて俺はなんだ?と。
 戦う前から、詩織を失うことを恐れて、白旗を上げて・・・自分で自分が情けなかった
よ。それに気づいた時は。
 そして、詩織に言われて思ったんだ。例え、幼馴染みと言うつながりがなくなっても
構わない。
 最後の最後まであきらめない、と、決めたんだ。
 だから、他の娘には、もう会えない。会う資格がないんだ」
 二人は何も言えず、ただ、黙り込んでしまった。
 お茶を飲んで、口を湿らせてから、好雄が言った。
「結構、つらいぞ」
「判ってるよ。戦況は全く不利だ。絶対勝てると言う自信はない。だけど、方法はある
はずだ。逆転のトライを決める方法が必ずあるはずだ。
 たとえ、それが見つからなくても、後悔はしないよ。絶対に」
「そうか、そこまで決めてるんなら、これ以上何も言わないよ」
 好雄のホッとしたような表情に、君本は首を傾げる。
「なんだよ早乙女?その安心したような顔は?」
「え?べ、別になんでもないよ」
「なんでもないことあるか!あからさまに顔が変わったぞ!
 ・・・ハハーーン。そういう事か」
「な、なんだよ?その含み笑いは!?」
「どうもおかしいと思ったんだ。好雄がそんな事を、わざわざ家にまで聞きに来るなん
てな。・・・早乙女好雄!」
「な、なんだよ、怖い声出して?」
 好雄は明らかに、普段とは様子が違った。その原因が君本にも、薄々判ってきたので
ある。
「あ、さ、ひ、な、さ、ん・・・だろ?」
「ばばばっばば、馬鹿野郎!何を言い出すんだよ!突然!」
「とーぼけるな、とぼけるな!気になるんだろうが、朝日奈夕子さんが!ん?ん?」
 右手人指し指で、好雄を指さす君本に、好雄も観念したようだ。
「そうだよ。俺は朝日奈が好きなんだ。だけど、あいつは、俺と会っていても、トシの
事ばかり話すんだ。悔しかったよ。でも、お前がそうなら、俺、本格的に、あいつにア
タックしようと思うんだ。
 今日来たのは、正直言って、そういう事もあったんだ」
「なんだ。好雄って、意外と律義なんだなあ」
「意外とはなんだよ。意外とは!」
「怒るなって。いいこと教えるからさ」
「?」
「朝日奈さんなあ」
「朝日奈がどうした?」
「朝日奈さん、俺と会っていても、好雄の話、よくしてたぜ」
 君本は右目をつぶる。好雄の表情が変化した。
「え?・・・それって?」
「そ、可能性はあるさ」
「そうか、そうなのか。よーーし!」
 張り切る好雄に、君本が親指を立てた右拳を突き出す。
「頑張ろうぜ!」
 好雄も答える。
「ああ、お互いにな!」

 
   ときめく時の中で(118)

   絡み合う想い(17)



(急がなくっちゃ、急がなくっちゃ。せっかく、人思くんがお誘いしてくれたのに、
遅れたら、申し訳ないわ)
 年もおしせまる師走の一日、慌ただしく行き交う人々の波の中を、美樹原は走ってい
た。
 美樹原が、思いもよらぬ君本からの電話に胸躍らせたのは、先週の日曜日のことであ
った。
 受験を理由に、君本が女の子達とデートをしなくなったという噂は、美樹原の耳にも
届いていた。それ故、「プラネタリウムに行かないか?」という君本の誘いに、美樹原
は二つ返事で答えたのであった。
 朝からそわそわしてしまい、何を着ていこうか悩みに悩んだ。ようやく決まったもの
の、出掛ける間際になって、ちょっとしたアクシデントがあったのである。
(でも、ムクったら、一体どうしたのかしら?)
 美樹原の家のヨークシャーテリアが、まるで美樹原の外出を咎めるようにスカートの
裾を噛み、なかなか放してくれなかったのである。
(いつもは、あんなに聞き分けのない子じゃないのに・・・)
 美樹原はそんな事を考えながら、プラネタリウムに向かう歩道橋を(彼女なりのスピ
ードで)駆け登っていた。
 その歩道橋の上から、プラネタリウムへの入り口が見えた。
 そこには、決して見違えることのない、君本が立っていた。
(あ、人思くん)
「ひ・・・」
 声をかけようとした美樹原の喉が、そう言ったきり、動きを止めた。
 その姿は美樹原が、今まであこがれ、見守り続けてきた君本の姿である。しかし、そ
の雰囲気は全く別の人間のものだった。
 いつもは熱い息吹を感じるその黒い瞳からは、今はまるで生気を感じることが出来な
かった。その瞳はこの場にある物を見てはいない。どこか遠くにある、見えない物を見
つめているようであった。
 遠く離れているのに、美樹原はそう感じたのであった。
 襲いかかる不安を振り払うように、美樹原は首を振り、再び君本の元へと駆け出す。
「ご、ごめんなさい。・・・ちょっと手間取ってしまって」
 謝る美樹原に、君本は笑って答える。
「いいよ、俺も、今来たところだから」
 だが、やはり美樹原は、その瞳から生気を感じることが出来なかった。
「それじゃ、中に入ろう」
「は、はい。そうですね」
 君本と美樹原は連れだってプラネタリウムに入っていった。
(人思くん、どうしたのかしら?なんだか元気がないみたい)
 人口の夜空を彩る星々の海を見上げながら、美樹原はそんな事を考えていた。
 いや、それは正確な表現ではないだろう。美樹原の心の奥には、不安という影が潜ん
でいた。それを認めたくないが為、そう考えていたのだ。
 美しい声の女性が、冬の夜空を説明するが、その説明は美樹原の耳を素通りしていっ
た。
 自分自身認めたくはないが、確かに心の奥底にあるその不安は、遠慮会釈なく、美樹
原の心にやすりをかけていたのである。
(いや、いや!)
 美樹原はついに認めざるを得なかった。今日のデートが、君本との最後のデートにな
るかも知れないという不安が、心の奥に潜んでいることを。



 プログラムが終わり、二人は喫茶店に入った。レモンティーとコーヒーのカップを間
にはさみ、二人は向かい合った。
 美樹原は、プラネタリウムを出て以来、ずっと、うつむいたままだった。
 それについて、君本も何も言わなかった。
 コーヒーカップにいったん口をつけた後、君本が静かに言った。
「美樹原さん」
 美樹原はビクッと身体を強ばらせたかと思うと、震える自分の声を自覚しながら、答
える。
「な、なんでしょうか?」
「俺達も、もうすぐ卒業だね。年が明ければ、すぐ入試があって、あっと言う間だろう
ね」
(・・・・・・)
 美樹原は、君本がこれから言おうとすることが判った。それを止めたいと思ったが、
出来ずにいた。普段から君本の前ではあがってしまい、うまくしゃべることが出来ない
のに、こんな場面ではなおさらうまく喋ることが出来なかったのである。
 そんな美樹原に、君本は向き直る。
「俺、これから受験体勢に入るから、もう、美樹原さんと一緒に出かけられないと思う
んだ。それを言っておかなくちゃと思ってね。今日誘ったんだ」
 美樹原にとって、それは決定的な言葉だった。落ち着こうと思い、ティーカップを取
り上げたが、カップは美樹原の意に反し、受け皿とのフレンチキスを繰り返し、カタカ
タという音で、美樹原の動揺を表に出してしまった。
「美樹原さん?」
 君本はそれを聞いて、美樹原の心情を察した。いや察してしまった。
「・・・あの」
「何?」
「・・・では、卒業してからなら、どうですか?」
 たったそれだけの事を口に出すことに、美樹原がどれだけの勇気を振り絞ったであろ
うか?
 だが、君本は何も答えない。それが否定を表す沈黙である事は、美樹原の目から見て
も明白だった。
「・・・詩織ちゃん・・・ですか?」
「!」
 あまりにも意表を突いた美樹原の言葉に、君本の表情が凍りつく。
「な、何を言い出すの?詩織は関係ない・・・」
「ごまかさないでください!」
「・・・み、美樹原さん」
 普段からは、とても想像できない美樹原の強い口調に、君本はたじろいだ。
「私、・・・見たんです。人思くんと詩織ちゃんが、・・・楽しそうに歩いているとこ。
 ・・・人思くん、とっても楽しそうだった」
 君本は背中に冷たい汗を感じた。
「人思くん、・・・人思くんは、詩織ちゃんが・・・」
 美樹原はそれ以上続けられなかった。これ以上聞くのが恐ろしかったのだ。
 君本が目を閉じ、意を決したかのように答える。
「そうだよ。俺は、詩織が好きなんだ。だから、もう、美樹原さんとは会えない。
 ゴメン」
 君本はテーブルの上に頭を下げる。その後頭部を美樹原は、しばらくの間、ただ見つ
めているだけだったが、やがて苦しげに口を開く。
「ど、どうして?」
「え?」
 頭をあげ、美樹原に向けた君本の視界の中で、美樹原は目に涙をこぼれんばかりに浮
かべていた。
「詩織ちゃんは、吉野くんのことを・・・」
「知っているよ」
「?!・・・それでも?」
「美樹原さん。だからと言って、すぐ他の人へ、だなんて出来ないよ。俺は詩織が、詩
織だけが好きなんだ」
 顔を背け、君本がそう言うと、美樹原はうなだれてしまった。
 そして、顔をあげたかと思うと、ポーチから財布を取り出し、自分のレモンティー代
をテーブルの上に置いた。
「あの、わ、私、帰ります」
 やっとそれだけ言うと、椅子から立ち上がり、出口に向かって走り出す。
 君本はそれを黙って見送った。追いかけることが、今回の最悪の選択だと知っていた
からである。



 家に帰った美樹原は、自室で愛犬にすがりついて泣いた。
「!!」
 抱きつかれた小型犬は、不思議そうな表情を浮かべながらも、ご主人様を元気付けよ
うとするかのように美樹原の頬をペロッとなめた。
 美樹原は、そのまま泣き疲れたかのように深い眠りについていった。
 街に流れるジングルベルは、今の彼女には届かない。


 
   ときめく時の中で(119)

   絡み合う想い(18)



 和人が将からそれを聞いたのは、クリスマスも迫った頃の、学校の昼休み、場所は教
室の前の廊下でのことだった。
「美樹原さんが?」
「ああ、ここ数日、学校を休んでるそうだ」
「風邪か?」
「一応、家の人は、そう言ってきたらしい」
「ふーーん。・・・あれ?」
 和人は顔をあげ、考え事をしていたが、ふと、何事か思いついたように将に聞いた。
「ところで、なんで、俺に聞くわけ?」
「いやぁ、何か聞いてないかな?と思って」
「なんで俺が?」
 苦笑いを浮かべ、少しおどけた表情の和人に対して、将は真剣な表情をした。それに
気づき、和人も顔を引き締め、将に問い返す。
「美樹原さん、女の人の友達なら多いだろ。誰も聞いてないのか?」
 将はうなずいた後、あたりを見てから、少し小声になって言った。何か人に聞かれて
は、いけないような気がしたのである。
「俺も藤崎先輩から聞いて初めて知ったんだ。先輩、心配しててさぁ、和人なら何か聞
いていないか?と、思ったらしいんだ。本当に何も聞いてないのか?」
「いや、聞いてない・・・とは言えないんだよ」
「は?」
 将は首を傾げる。そんな将に和人は言った。
「一昨日の晩に電話があったんだよ」
「なにー?」
 将が驚くのも無理もない。美樹原が和人に電話をするという事態は、想像しやすくは
なかったのである。
 美樹原が、和人に対して委縮せずに応対できることは知っていたし、それなりにいい
雰囲気なのも知っていた。だが、美樹原の方から積極的に、和人に連絡を取るという事
は想像に難かったのである。
 おまけに、休んでると言うのに和人に電話をしたというのだ。驚くというより、意表
をつかれた、と言うべきなのかも知れない。
「それで、それでなんだって?」
 将は思わず、和人の両肩を掴み前後に揺らしながら問い詰めていた。
「知らねえよ!そんな事、一言も言わなかったし、声自体も・・・、今思えば、少し元気
がなかったような気もするけど、でも、普通だったぜ!」
「何、話してた?」
「何って、別に取り留めもない世間話だよ」
 和人と世間話という取り合わせに、将はほんのわずかなめまいを感じたが、今はそれ
どころではない。事態の経過を整理しようと将は考え込んでしまったが、それも和人に
中断される。
「藤崎さんはなんて言ってるんだ?
 あの二人、仲いいんだろ?」
 和人の質問に将は首を横に振る。
「それがなぁ・・・、」
 将が口ごもるために、和人も少し、いらついて来た。
「それが何だよ?」
「会ってないそうだ」
「会ってない?」
「ああ、電話も取り次いでもらえないし、訪ねて行っても、伏せっていて会えなかった
そうだ」
「藤崎さんが?」
「他の誰が行っても、そうらしい」
 和人は腕を組み考え込んでしまった。
「おかしいなあ、あの時は普通だったぜ、絶対」
 考え込む和人に、将は顔を近づける。
「あのさ、和人?」
「何だよ?」
「悪いんだけど、一度行って、様子を見て来てもらえないか?
 電話をかけてきたというからには、和人には会ってくれる可能性は高いんじゃないか
な?」
「・・・ああ、それは構わないんだが、本当に、藤崎さんが行っても会えなかったんだ
な?」
「そうだけど・・・、何か、思い当たる節でもあるのか?」
 将の質問に、和人は答える。
「あるにはあるが、あくまでも憶測だから今は言えない。ともかく確認してからだか
らな」
 和人は普段、こう言うようなプライベートな事に、あまり口を出したがらない。だ
が、今回の彼の珍しく真剣な表情に、将も和人に任せるしかなさそうだと悟る。
「頼むぜ」
「・・・最善は尽くすよ」
 そうは答えてみたものの、和人の表情は硬かった。



 和人が美樹原の家の玄関のチャイムを鳴らしたのは、その日の夕方だった。
「あら、あなたは?」
 出迎えたのは、小柄なやや小太りの、メガネをかけた少し年配の女性だった。
 和人は、その女性を知っていた。だが、和人を知っているかのような口ぶりで、そう
言った口と栗色の瞳から、彼女が美樹原の母親である事は、誰に目にも明らかだろう。
 和人は1回頭を下げて、彼女に聞いた。
「領家です。あの、愛さん、いらっしゃいますか?」
「・・・愛ですか?」
 母親は心配そうな視線を、家の奥の方に向ける。廊下の突き当たりに、ドアが見え
る。それが、美樹原愛のいる部屋だと、和人は直感した。
「風邪で、お熱があるそうで・・・」
 だが、和人は、彼女の言うことを全面的には、信じていなかった。
「すみません、失礼します」
 和人はそう言うと母親の制止を振り切り、ずかずかと上がり込んだ。
 一旦は制止を試みた母親だったが、まるで和人に託すかのように、後方に下がってい
く。
 廊下を歩く和人の前に、1匹のヨークシャーテリアが和人の行方を遮るように立ち、
けたたましく吠えた。
 だが、和人は怯まない。
「どけ、ムク!ご主人様をこのままにしておくつもりか!」
 和人の気迫に気押されしたのか、いや、そうではない。
 その犬、ムクも、納得したように退いた。
 和人はドアの前に立つ。ドアにかけられたネームプレートに「MEGUMI」と書い
てある。
 そのドアに向かって和人は言った。
「美樹原さん、いるんでしょ?俺だよ。和人だよ。ドアを開けて」
 しばしの間の後、返事が返ってくる。
「・・・和人くん?」
「ああ」
「・・・ご、ごめんなさい。帰って下さい。今は、会えないの。誰とも」
「美樹原さん、みんな心配してるんだよ。もちろん俺だって」
「・・・」
「美樹原さん?」
「・・・お願い、帰って!今は一人にしておいて!!」
 それは美樹原と言うキャラクターからは、イメージしづらい、厳しい声だった。
 だが、和人にとって、それは大したことではなかった。
「いつまで?
 卒業までかい?
 それまで、みんなに心配をかける気か?
 ガキの使いじゃないんだ!帰れと言われて、ハイそうですかと帰れるか!
 あいにくと俺はカウンセラーじゃないんで、相手に会わせるって事が出来ないんだ」
 和人はそこまで言った後、大きく息を吸い込んだ。その息を一気に吐き出すような大
声で、こう言った。
「開けろ!めぐみーーっ!!開けないとこのドアぶち破るぞ!!」
 和人が、美樹原のことを、愛と呼んだのはこれが初めてのことである。
 しかし、それ以上に、後半の言葉は乱暴だった。
 実際にそんな事をするとは、普通は思わないだろう。だが、将がこの場にいれば、
「和人なら本当にやる」と言う。それを判っている者がこの場にもいた。
 その人物、つまり美樹原が、恐る恐るドアを開けた。
「・・・怖い言い方しないで、和人くん」
 うつむきながら美樹原は言った。
「ゴメン。でも、こうでも言わなきゃ、愛、開けてくれないだろ・・・」
 和人はそれ以上言葉を続けられなかった。
 うつむいたまま、美樹原がその肩をわなわなと震わし始めたからだ。
「め、愛?」
「和人くーーん!」
 そう叫んだかと思うと、美樹原は和人の厚い胸板に飛び込んでいた。
「和人くん!和人くん!和人くん!」
 繰り返し、和人の名前を叫ぶ美樹原に、和人はなす術もなかった。


 
   ときめく時の中で(120)

   絡み合う想い(19)



 自分の胸で泣きじゃくる美樹原に、和人はなす術もなく立ちつくすだけだった。
 何も出来ない無力感と共に、素直に感情をぶつける少女に、和人は動揺する自分を抑
えられないでいる。中学の頃、将と二人だけで、数十人の暴走族と対峙した時でさえ、これ程、動揺はしなかった。
 ドアの外で、ムクが首を傾げ、その様子を見ていたが、しばらくして、その場を離れ
ていく。
 一気に感情を吐き出したためか、美樹原も落ち着いてきたようで、しゃくり上げなが
らも、その呼吸も平常のものになってきた。
 和人は恐る恐る、美樹原の細い線で型どられた顎に手を添える。
「ほら、顔をあげて」
 ゆっくりと顔を上げた美樹原の泣きはらした瞳に、和人の胸が痛む。
「あーあぁ、かわいい顔がこんなになっちゃって、・・・落ち着いた?」
「・・・うん。ごめんなさい。和人くん」
「いいんだってば、このぐらい」
 和人はそう言って、美樹原をベッドに腰掛けさせ、自分もその右側に座り込んだ。
 誤解を招くかもしれないが、こういう時、隣に座るのが精神的に落ち着く事を、和人
は本能的に知っていたのだ。
「・・・ハンカチとか、ないの?」
 和人には失礼かもしれないが、それは、彼にしてみれば、満点以上の気遣いだった。
「うん、ここにあるから」
「ああ、そうか。そうだよね」
 和人はそう言って、目頭を押さえる美樹原の姿を見ていたが、ころあいを見計らい、
精一杯の優しい声で美樹原に言った。
「それより、みんな心配してるよ。将から聞いたんだ。藤崎さんが特に心配してるっ
て。連絡も取れないって」
 詩織の名前が出たとき、美樹原の身体がビクッと反応したのを、和人は見逃さなかっ
た。
「・・・君本さんの事・・・?」
 和人は思い当たる事を口にした。そして、それは的を得ていた。
 美樹原は無言でうなずく。そして、か細い声で言った。
「風邪をひいちゃったのは本当よ。・・・でもね、一人でベッドに寝ていると、どんどん、
怖い想像をしていっちゃったの。
 それで、学校にいくのが怖くなっちゃったの。
 ・・・私、人思くんに言われちゃったの。人思くん、・・・」
 美樹原は次の言葉を言い出せなかった。和人にはその後の言葉が想像できたが、黙っ
て美樹原の言葉を待った。
「人思くん、詩織ちゃんが好きなんだって」
 美樹原は、笑いを浮かべた。それは、無理をしている事は明白な笑いだったが、それ
でも大きな前進であり、美樹原の心の中に強いものがあるという証だった。
 今のところは、それが現れるか現れないかという境界のところにあり、まだまだ不安
定ではあるが、一筋の光明にはなっていた。
「私、失恋しちゃった。エヘッ」
 美樹原は、わざと舌を出しておどけてみせた。それがかえって、和人には痛々しかっ
たが、敢えて、少し厳しい口調で言った。
「だけど、このままじゃ、冬休みになっちゃうよ。一度学校に行こ?」
「うん、判ってるの。でもね、駄目なの」
「どうして?・・・藤崎さんや君本さんに会い辛い?
 だえど、悪い事をした訳じゃないんだし・・・」
「ううん。詩織ちゃんも人思くんも悪くないの。いけないのは私なの」
「どうして?愛は何も悪くないだろ?」
「ううん。私は悪い女の子よ。さっき言った怖い想像って言うのはね、・・・私、自分が
怖いの。
 知らず知らずの内に、詩織ちゃんを恨んでいる自分がいるの!
『どうして、あんな娘がいるんだろう。どうしてなんでも出来て、誰からも好かれて、
私の好きな男の子まで取っていくんだろう』
 そんな自分がいるの」
「・・・愛?」
「判っているの、それが逆恨みだって事は。でも、自分で自分が抑えられないの!」
 美樹原は和人の左腕に抱きつく。
「助けて、和人くん!
 私、私、このままじゃ、どんどん嫌な女の子になっていっちゃうよ!
 和人くん、助けて!お願い!・・・」
 和人の左腕を抱えたその細い両腕は、小刻みに震えていたが、それが悲しみから来る
ものではなく、恐れから来るものだと和人には判った。
 その腕に右手を添え、和人は優しく言った。
「愛」
 一度、小さく息を吐き、和人は続ける。
「前に言った、俺の好きな人も、別に好きな人がいるよ」
 意外な話の方向に、美樹原は頭を上げる。
「え?」
「元々、俺なんかに向いてくれるような女性じゃないんだけど、それでも俺は、その人
が好きだった。
 ある時、その人が好きな人が、俺の親友だという事に意気が付いたんだ。面と向かっ
て言われたわけじゃないけれど、雰囲気でね」
「・・・まさか、吉野くん?」
「当り」
 そう言って和人はウインクをした。
「もう、気が狂いそうだったよ。俺、中学の頃は悪くってさ、ようやく立ち直った頃
に、それだろ?また、戻りかけたんだけど
『それじゃ、その人を悲しませることになる。あの人に立ち直らせてもらったんじゃな
いのか?それで、彼女が喜ぶと思うか?』
と、思いとどまったんだ。
『彼女が将を想っているなら、俺はその将を命懸けで守ろう』
そう思ったんだよ。自分でも歪な愛情だとは思うけど・・・」
 美樹原が首を横に振って答える。
「ううん。そんな事ないよ。すごいね、和人くん、強いんだね?」
「違うよ、弱いんだよ。だから、離れられないんだ。でも、人間なんて弱いもんじゃな
いのかな?」
「私に、出来るかな?」
「それは、判らないし、俺のようにしろ、とも言わない。恨んでもしかたがない事だろ
うとは思うけど、愛にはそんな風には、なって欲しくないな」
 和人にそう言われ、美樹原は声をなくした。
 二人はしばらく無言のまま、ベッドに腰を下ろしていた。
 やがて、美樹原が立ち上がる。
「決めた!」
 「え?」と言うような表情の和人に、美樹原が言った。
「私、明日から学校に行くね」
「ああ」
「でも・・・」
「でも?」
「正直言って、まだ、詩織ちゃんや人思くんといきなり顔を会わせるのは辛いの」
「・・・そうだろうね」
「だから、和人くんにお願いがあるんだ」
「なに?」
 和人はこの時、嫌な予感がしたのだが、それを口に出すことは出来なかった。しか
も、それは的中した。
「だから、明日、一緒に登校してくれない?」
「ああーー」
 和人は天を仰いだ。
「いや?」
「断れるわけないじゃない」
 和人は笑顔で答えた。



 翌日、学校へ行く道を、和人と美樹原は並んで歩いていた。
 和人にとって、こんな登校は生まれて初めてのことである。
「よう、和人」
 将の声に和人の心臓が跳ね上がる。
(将にだけは見られたくなかったのに)
 和人は内心で涙をこぼした。そんな和人を見透かしたように、将が小声で言った。
「さすがはナイト様だな。お姫様を救い出したか?」
「やめろって、そういう言い方は!」
 和人も小声で言い返す。
「二人とも、何を内緒話しているの?」
 美樹原の問いかけに、将が答える。
「なんでもないですよ。それより、美樹原さん、お体はもういいんですか?」
「ええ、心配かけて、ごめなさい」
「いいんですよ、元気になったんだから」
 そんな会話の途中、前方に一人の女子生徒の姿に気づき、美樹原は立ち止まった。
 ほとんど同時に気が付いた和人が、その美樹原の背中を軽くポンとたたく。
 美樹原もそれにうなずき、精一杯元気な声を出す。

「おはよう、詩織ちゃん」



−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−絡み合う想い−−終わり


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