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ときめく時の中で総集編 第6集
ときめく時の中で
封印が解かれる刻( 1 )
きらめき高校のある地区のテニス大会には、大きく言って3つの大会がある。
まずは夏のインターハイ、その出場権を賭けた地区予選大会。
そして、地区レベルでの公式戦が、春と秋にある。
その春の大会でのきらめき高校の成績は、期待通りのものとなった。
将は、男子シングルスで、決勝で惜しくも高林に破れたものの、
準優勝となったのである。
テニスを始めてから、実質1年にもならないと言うのに、
この成績というのは、各関係者に注目されるには十分の材料であった。
他にも四本松が、初めての公式戦だというのにベスト16に入り、
団体戦では優勝するなどの好成績を収めた。
だが、その中にあって混合ダブルス、すなわち将と古式のペアの不調ぶりは、
他の好調さがあるだけに、逆に目立ってしまった。
あれほど息の合った二人のコンビネーションが、
見るも無残なほど乱れてしまったのである。
同じ高校生であるのだから、絶対的な差がある訳はないのだが、
それでも、順当にいけば勝てるであろう相手に敗戦を喫し、
トーナメント2回戦で早くも姿を消してしまったのである。
不調の原因は誰の目にも明らかだった。
「古式だよな」
元城がボソッと言った。
春の地区公式戦が終わって次の日曜日、
テニス部は反省会を兼ねた練習日を向かえていた。
練習が終わった後、詩織、元城、米津、連尺の幹部会のメンバーは、
部室で対策について話し合っていた。
混合ダブルスが一番の問題である。
そして、その原因である古式に話は及んでいた。
とにかく古式は調子が悪かった。
体調が云々より、どうもメンタルな部分でその実力を出せないようであった。
元城が続ける。
「古式はなあ、あまり積極的に話す方じゃないから。
なあ、藤崎はどうしたら良いと思う?」
それに対する詩織の答えは、何とも彼女には似合わないものになった。
「そうねえ、ともかく、将君が何とかすると言ったんだから、
とりあえず任せてみましょう」
いかにも消極的なプランであり、口調にも刺がある。
「藤崎、まあ、そう不機嫌にならんでも良いじゃないか」
米津にそう言われて、詩織は反論する。
「べ、別に不機嫌になんてなってないわよ」
だが、そう言う口調には、その反論を打ち消して余りあるものがある。
(どう見ても不機嫌になってる)
元城、米津、連尺の3人は同様の感想を抱く。
詩織自身は気付いていないのだが、確かに上機嫌とは言えない。
その理由はいろいろある。
一つ一つは些細なもので、それほどの物ではないのだが、
それらが複雑に絡み合い詩織の気分を害していた。
まず、きっかけとなったのは、将の言葉だった。
2日前、古式の不調を何とかしたいと思った詩織は、練習が終わった後、
テニスコートで古式を呼び止めた。
だが、それでも、古式は詩織に、核心を打ち明けようとはしなかった。
時間が無意味に過ぎる中、将が恐る恐ると言った風情で、
二人の会話の間に割って入って来た。
そして、こう言ったのである。
「藤崎先輩、ダブルスの不調は二人の責任です。
姉さんだけが悪い訳じゃなく、俺にも同様の責任があります。
先輩がご心配するのは判りますが、今は俺達二人で何とかしたいと思うのです。
その上で、どうしようも無くなった時にはお願いしたいと思うのです。
ですから、ここは俺に任してもらえませんか?」
それは正論であり、将の言い方も決して思いあがった物ではない。
だが、詩織としては疎外された気分はぬぐい切れない。
おまけに今日、将は練習を休んだ。
全員参加の練習日ではないので、休んでも別に良いのだが、
将が休むのは珍しい事である。
しかも、その理由は古式とのデートと言うものであった。
パートナーとして互いの息を合わせるため、プライベートで一緒に過ごす、
それはある意味、有効な手段の内の1つではある。
だが、詩織としては
(何もこんな時に)
と言う思いがあった。
なぜ、そう思うのか?
詩織自身も意識していないのだが、将が詩織をデートに誘ったのは、
冬のスケート場に1回だけである。
それ以来、1度もプライベートに誘われた事はない。
深い潜在意識の底で、
(やっぱり、パートナーの方が大切なのね)
と言う思いがある。
ここ最近、将は自分自身で様々な事を決めるようになって来ている。
それは本来なら喜ばしい事なのだが、自分の手から将が離れて行くような気がして、
詩織としては、多少複雑である。
さらに先週、将は四本松に、誕生日のプレゼントを渡した。
その数日前、「何か欲しいのある?」と将が四本松に尋ねていたのを、
詩織は聞いていた。
(どうして、優さんには聞いたのかしら?
私の誕生日だってもうすぐなのに、将君、私の誕生日、知らないのかしら?
そうだとしたら、何だか寂しいな)
その時、詩織はこう思っていた。
実は全く意外なことなのだが、昨年の将の誕生日、
将にプレゼントをした女性の中で、一番最初に誕生日が来たのが四本松なのである。
将にしてみればお返しなのだが、そういう事が判らない詩織にしてみれば、
寂しい思いがある。
さらには本郷南である。
将に対する好意を、あまりにも素直に表現する彼女の存在は、
詩織にとっては戸惑いを覚えるほどである。
それらの事が詩織自身も気が付かない内に、彼女を不機嫌にさせていた。
そして詩織の発するその空気は、今やテニス部の部室を満たしていた。
その空気があまりにも重い元城は、連尺に苦笑混じりに小声でこう言った。
「連尺、何か武器になりそうなものはしまっておけよ」
「武器?」
首を傾け悩む連尺に、元城は冗談めかして続けた。
「例えば、何であるのか知らないんだが、あのハリセンとかだよ」
元城が言うハリセンは、確かに何故か昔から、部室の隅にある。
連尺は、それを詩織が振り回す姿を想像して、思わず吹き出しそうになった。
意外に似合いそうだったからである。
封印が解かれる刻( 2 )
5月の日曜日、将は古式と遊園地に来ていた。
最近、スランプに陥っていた古式の気分転換になればと思い、将が誘ったのである。
将の誘いに、古式は本当に嬉しそうにOKした。
スランプの原因がメンタルなものであるのは明かなので、古式が喜んでくれれば、
将としても嬉しい。
実際、遊園地での古式は、普段からは想像しがたいほど楽しさを表現していた。
ポップコーンを頬張りながら歩き、キャラクターのぬいぐるみに抱きつき、
ゴーストハウスでは将の腕を抱え込む。
かえって将の方が振り回されている感じさえあるのである。
あまりに意外な古式に将は戸惑う。
大観覧車にのった時、向かいに座り、外の景色を眺めている古式を、
将は見つめていた。
(いったい、何を悩んでいるのだろう?それが判らないと対処の仕様がない)
正直なところ、将はそう思わずにはいられない。
”古式をスランプに陥れた原因が何なのか?”
それはテニスのパートナーだけとしての疑問だけではなく、
身近にいる女性に対する心配から来るものである。
だが、それを無理に聞き出すのも気がひける。
将としては、古式から言い出してくるのを待つしかない。
それが非常にもどかしいのである。
「私の顔に、何か、ついていますか?」
将の視線に気付いた古式が問いかける。
「そういう訳じゃないんですよ。
楽しんでもらえているかな?
そう思ったんです」
「はい、とても、楽しんで、いますよ」
「良かった。そう言ってくれると誘ったかいがありますよ」
将の言葉を聞いて、古式の表情がやや曇る。
「?」
疑問を表情で現わした将に、古式は答える。
「すいませんでした。将君に、心配させてしまいましたね。
将君に、迷惑を、かけたのは、私なのに・・・」
そこまで言い、うつむき黙り込んでしまった古式に、将は慌てる。
「迷惑なんて思ってませんよ。
好不調の波は誰にでもあるし、それをカバーできないのは、
俺の実力が足りないからです。
姉さん一人のせいじゃありませんよ」
将の言葉に、古式は視線を下に向けて答える。
「将君は、やはり、優しいですね。
・・・ありがとうございます。
そう言ってくれると、少しは、気が、楽になります」
ゴンドラが地上に降りて、二人は大観覧車を後にした。
次のアトラクションに向かう途中で、将は思いきってたずねた。
今なら聞けそうな気がしたからである。
「もし、何か悩みごとがあるようなら、そして俺で良かったら聞かせてくださいよ。
姉さんの助けになれないのはつらいですよ。
俺では頼りにならないかもしれませんけど」
古式は穏やかに微笑むが、その微笑みにもほんの少しの影が差していた。
「将君は、とても、頼りになりますし、私にとっても、大切な人です。
でも、それだからこそ、お話できない事も、あるんですよ」
「・・・それはどういう意味です?」
将にはその意味を推し量る事は難しかった。
古式はそんな将に、笑って言った。
「それは、その内、お話、いたします。
今日は、楽しみましょう」
そうして古式は将の腕を取る。
「あ、はい」
将としても、これ以上聞くのは無理だと思い、頭を切り替え、
今日は楽しもうと決めた。
遊園地に夕暮れが訪れ、家族連れなどが帰りはじめるころ、
将と古式は園内をゆっくりと並んで歩いていた。
フリーパスを買ったので、まだ何かに乗れるのだが、
お互いそんな気にならなかったのである。
もう十分に楽しんだし、それに少しばかり疲れた。
そろそろ帰ろうか?
暗黙の了解が二人の間にできた時、将は古式に言った。
「あの、姉さん」
「はい、何でしょう?」
「さっきの話ですけど、俺からは無理には聞きませんが、
話したくなったらいつでも言ってください。
正直、ふさぎ込んだ姉さんを見るのはつらいんです」
「申し訳ありません」
「いや、そんな事は良いんです。
ただ、俺に出来る事があれば何でもするつもりです。
それで、少しでも姉さんが元気になるなら、どんどん言ってください」
将の言葉に、古式は立ち止まる。
それに気付いた将が振り返り、二人は向かい合う。
「それでは、一つ、お願いがあります」
「はい、何なりと」
「肩を、貸して、下さいませんか?」
「肩を?」
「はい」
将にはそれがどういう事か理解できなかったが、拒否する気はなかった。
「・・・ええ、いいですよ」
「そうですか。
それはありがとうございます」
古式はそう言うと、両手を背中で組み、将の右肩にちょこんと額を乗せた。
「姉さん?」
戸惑う将に、古式はそのままの姿勢で言葉をつないだ。
「将君」
「はい、なんでしょうか?」
「今でも、ちゃんと、詩織さんの、事が、好きですよね?」
将は少し考えてから答える。
「はい、好きです」
「そうですか、それを聞いて、安心しました」
「え?」
古式はスっと頭を上げて、将を見つめる。
「詩織さんの、お誕生日は、知っていますよね」
将は少し視線をそらして答えた。
「ええ、一応調べましたんで」
「ちゃんと、お祝い、してあげて下さいね」
「・・・?・・・はい」
将の返事を聞いて、古式はにこやかに微笑む。
「私からのお願いはそれだけです」
「それだけって・・・姉さん?」
「本日は、とても楽しくすごせました。
また、お誘い下さいね」
将の疑問に古式は答えず、二人は遊園地を後にした。
封印が解かれる刻( 3 )
詩織は誕生日を迎えた。
クラスメイトやその他の多くの者からプレゼントを受け、
それは、彼女がいかに周りから慕われているかの証明になった。
その中にあって、将はいつもと変わりがない様に見える。
もっとも、和人からすれば、浮き足立っている部分が見えるので、
将に悪いとは思いつつ、内心では笑いを抑えきれない。
「なあ、将はどうするつもりなんだよ?」
「ど、どうするって、何を?」
昼休みの教室。
昼食も食べ終えたのに、全く動きのない将に対し和人が言った台詞に、
将はそう言って答えた。
もっとも、そう答えてみたものの動揺は隠せない。
「とぼけるんじゃないよ。藤崎さんにプレゼントするんだろ、誕生日のを」
和人は本当に、将の弱い所や本音の部分をズバッと突いて来るので、
将としてもこういう時には非常にやりにくい。
「あのなあ、そう、いじめないでくれよ。
俺だっていろいろ考えてるんだから」
「考えている内に、藤崎さんの誕生日終わっちゃうぞ」
「判ってるって。
だけどしょうがないだろ、渡すだけでは意味がないプレゼントなんだから」
詩織に対する将のプレゼントは、一枚の封筒である。
その中身をこの日の朝、将から明かされた時の和人の感想は、
「また、えらくややこしい物を選んだもんだなあ。
もっと単純なものにすれば良かったのに」
と言うもので、それはその後二人の付き合いを知らないものが聞いていたら、
まるで口ゲンカに聞こえるようなやり取りになったのである。
「ともかくさあ、俺が何もできないで今日1日を無駄にすごしたって言うんなら、
何を言われてもしょうがないけど、まだ終わってないんだから、
そうガンガン言わないでくれよ」
将の言葉に、和人は顎に手をやり興味深そうに静かな笑いを浮かべた。
「まあ、そう言うんなら、これ以上は何も言うまい。
ただし、みっともない真似だけはすんなよ。
バシッと行け、バシッと」
和人としては元気付けているつもりなのだが、将は困ったような表情になる。
「あのさあ、なんとなく言いたい事は判るけど、そういう抽象的な表現、
時々困るんだぜ」
「え?そうか?それはいかんなあ」
「まあ、礼は言っておくよ。
実のところ、いろいろ考えているのは事実なんだけど、
考えすぎてこれという案はないんだよ」
「そうだろうな、ま、頑張るこった」
「ありがとうよ」
将は肩をすくめ、苦笑いである。
「案ずるより産むが易し」
そんな言葉を将は実感していた。
部活へと向かう廊下で、将は本当に偶然に詩織とばったり出くわした。
しかも、手には詩織に渡すプレゼントをしっかりと持っている。
「藤崎先輩!」
「あ、将君。
ど、どうしたの?」
「先輩、今日、誕生日ですよね」
「え?・・・ええ、そうよ。
将君、知っててくれたの?」
将は少し胸を張りながら答える。
「当たり前じゃないですか、先輩の誕生日を忘れる訳ありませんよ。
お誕生日おめでとうございます」
「うれしいな、どうもありがとう」
詩織は、ほんのりと朱に染まった満面の笑みを浮かべ、
将に礼を言うのと同時に首を少し横に傾ける。
「それでですね、先輩、今度の土曜日、夕方からお時間ありますか?」
「え?・・・えーーと、うん、いいわよ。
時間取れるわ、・・・でも、それがどうしたの?」
詩織の返事に、将はほっとした表情を浮かべた。
「よかった。それなら無駄にならないかな」
実感のこもった将の言葉に、詩織は首を傾ける。もちろん先程とは意味が違う。
「どうしたの?」
詩織の疑問に答えるべく、将は手にしていた白い封筒を詩織に手渡した。
「これ、プレゼントです」
それはかなり質のいい紙で作られたものであった。
「これは?」
「今度の土曜日に、ちょっとしたパーティーがありまして、その招待状です。
もしよろしかったら、ご一緒して下さいませんか?
絶対後悔はさせませんから」
詩織はその封筒をしばらく見つめていたが、やがて将に向き直る。
「うん、判ったわ。今度の土曜日ね。
喜んで参加するわ。
将君、エスコートお願いね」
「はい、もちろんそのつもりですよ」
将が言ったその言葉に、詩織は大きく頷いた。
「それじゃあ、どこで待ちあわせしようか?」
「それなんですけど、先輩、フォーマルなドレスお持ちですよね。
それほど正式な物でなくていいんですが」
詩織は記憶の中のクローゼットを開けて、数着のドレスを確認する。
「・・・ええ、あるけど?」
「その招待状にも書いてあるんですが、一応フォーマルな服で、
というようになってますから、車を用意しますのでお迎えに行きます
ドレスで出歩くのは大変でしょ?」
「それはそうだけど、いいの?
車を用意するって言っても、将君が運転する訳じゃないでしょ?」
将は笑いながら答える。
「当たり前ですよ。
そのあたりは、つてがあるんです。
それでいいですよね?」
「ええ、お願いするわ」
「それじゃあ、今度の土曜日という事でいいですね」
「うん、いいわよ」
まぶしいほどの詩織の笑顔に、将は内心だけでガッツポーズをとった。
封印が解かれる刻( 4 )
「あっ、胸がきつくなってる」
将からデートに誘われた詩織であったが、約束の土曜日、
学校から帰り、服を選ぶ段になって、実のところ少々困った事となっていた。
将から「フォーマルなドレスで」と指定を受けたのだが、
春物のフォーマルは1年生の時の物しかなかった。
そしてそれは、2年の間にサイズ(特にバスト)が小さめの物になっていた。
無論、服が縮んだ訳ではない。
将に返事した時は、フォーマルドレスはあるものだと思っていたのだが、
自分の成長を考慮に入れていなかったのはうかつとしか言い様がない。
約束ではそろそろ将が迎えに来る頃である。
今となってはどうしようもない、ともかく今日はある物でやり過ごすしかない。
不本意ではあるが、一昨年のドレスに身を包んだ。
「まったくもう、将君たら突然言うんだもん。
フォーマルドレスなんて、そうそう準備できないんだぞ」
その言葉の内容は将を責める物なのだが、その内容に対する口調と表情のギャップは
正に天と地ほどの開きがあった。
「ウフッ。それにしても、将君からパーティーのお誘いなんて意外だったな」
将から受け取った招待状を手に取り、詩織は淡いピンクのルージュで彩られた唇に
右手の人差し指と中指を当ててクスリと笑った。
その時コードレスホンの子機が軽やかな電子音を上げた。
「将君かな?」
そう言って受話器のスイッチを入れた詩織だったが、相手の声を確認したと同時に
その口調ががらりと変わる。
それは、将が聞けば精神的には10歩、肉体的にも1歩は後ずさりさせるであろう
冷たい響きを持つものになっていた。
「あら、何の御用?」
電話の相手が2、3言葉を発し、詩織が答える。
「ふーーん、そうなんだ」
詩織の口調は変わらない。
さらに相手が言葉を続ける。
「ごめんなさい、その日は別の用事があるの。
また今度誘ってね」
受話器のスイッチを切った詩織の表情は、複雑な物になっていた。
いや、あまりにいろいろな感情が複雑に混じりあっているせいか、
むしろ無表情とも言える程である。
そんな時、来客を告げるチャイムが鳴った。
「!」
スっと詩織の頬に紅がさす。
言うまでもなく、将が来た事を察したからである。
「詩織ーー。お客様よー!」
階下からの母親の声にすぐさま反応する。
「はーーい。今行きまーーす」
そう答え、手荷物を持ち階段を素早く降りて行く。
1階の廊下で母親が、詩織とすれ違いざま興味深そうな笑いを浮かべたので、
詩織としても気になる。
「なあに?」
「いえいえ、何でもありませんよ」
何もない訳はないのだが、そう言って母親は台所に引きこもってしまい、
何やら戸棚をひっかき回している様である。
「変なおかあさん」
詩織は首を傾げたのだが、その理由はすぐに判った。
玄関に将がいた。
「え!?」
そう言って詩織は言葉に詰まった。
そんな詩織に対して将は微笑みながら言った。
「お迎えにあがりました。藤崎先輩」
「将君?・・・将君だよね」
「え?・・・ひどいなあ。確かに馬子にも衣装かもしれませんが、
一応それなりに考えてきたんですよ。
将は苦笑いを浮かべるが、詩織がそう言うのもある意味やむを得ない。
その姿は、とても普段の将からは想像できないほどの物になっていたからだ。
将は見慣れた学生服等ではなく、黒に見えるほど深い紺色のタキシードに身を包み、
一抱えもある真紅のバラの花束を両手で抱えていたのである。
さらに髪型もオールバックにまとめてあり、雰囲気は全く別人になっていた。
「遅れて申し訳ないのですが、これプレゼントです」
そう言って、将はバラの花束を詩織に差し出す。
「・・・・!?私に・・・ありがとう」
「この花束持って登下校するのは大変ですから、
直接ご自宅にお持ちしようと今日まで遅れてしまいました。どうも申し訳ありません」
「ううん、いいのよ。ありがとう、うれしいな」
詩織は花束を受け取り満面の笑みを浮かべる。
「あ、これ置いてくるから待っててね」
「はい、いいですよ」
ややきつく花束を抱きしめながら詩織が奥へ行くと、すでに母親が花瓶を用意して
待っていた。
その表情は、多少冷やかす成分が含まれている笑顔だった。
「その花は私が生けといてあげるから、詩織は行きなさいな。
王子様がお待ちでしょ」
「・・・もう」
頬を朱色に染めるだけで何の反論もできないまま、花束を母親に渡し、
詩織は踵を返した。
(もう、さっきの笑いはこういう事だったのね)
詩織は苦笑いを浮かべるしかない。
「お待たせ」
「では行きましょうか?」
二人が玄関を出ると家の前には1台の白いセダンが止まっており、
将がその後部ドアを開ける。
「どうぞ」
一瞬、動きの止まった詩織だったが、優雅な身のこなしで後部シートに滑り込む。
将は後部シートにではなく助手席に座り、ドライバーの男に言った。
「じゃあ、福塚さん、お願いします」
「はい、お安い御用で」
その声と共に、車は静かに発車した。
日も暮れ星が瞬きはじめた頃、車が着いたのはある高級ホテルの正門だった。
将が素早く降り、詩織の乗った後部ドアを開ける。
詩織が車から降りると、将が前に立ち案内する。
「こちらです」
「・・ええ」
今は将がエスコートしてくれるので良いのだが、
普段ならばさすがの詩織でも気後れしそうな程のグレードのホテルである。
その中を、将は何気なく詩織を案内していく。
そして二人はエスカレーターに乗り3階のフロアにやって来た。
20ほどのソファが設置されたロビーがあり、その奥の開けられたドアのむこうに
パーティー会場があった。
すでに30名ほどの招待客などが来ており、賑やかくなりはじめた所である。
「あら、やっとお出まし?」
その声に将と詩織は振り返った。
声の主は赤のドレスに身を包んだ女性だった。詩織には面識がない。
赤い髪を短くまとめ、かなり派手なイヤリングやネックレスなどを身に着けているが
決して嫌味には見えない。
ほっそりとした顔の輪郭、透き通るような白い肌、そして黒い瞳を持つ大きめの目、
印象としては20台前半と思える、美しくもあり可愛ささえ残した女性である。
(どなたかしら?)
そんな詩織の内心に気がついた訳でもないのだが、将が言った。
「藤崎先輩、紹介します。こちらが俺の母親です。
お母さん、こちらが藤崎さん」
「え!?お母様!?」
詩織は声を上げて驚いてしまった。
封印が解かれる刻(5)
「そんな、お母様、なんてかしこまった言い方しなくてもいいわよ」
詩織に”お母様”と言う単語を使われ、美里は照れ臭そうな笑みを浮かべながら、
詩織に答えた。
「え?でも・・・」
そう言う詩織に将が言った。
「そうですよ、藤崎先輩。この人はおばさんでいいんですから」
「誰がおばさんよ!首を絞めるわよ!この子は!」
「絞めてから言わないで欲しいんだけど!」
将が言うように、その時点で美里の両手は将の首を絞めていたのである。
「うふふ」
まるで漫才のような二人に、詩織は笑い出してしまった。
「ほら、先輩に笑われちゃったじゃないかよ」
将にそう言われ、美里は手を離す。
「ありゃ!?これは、みっともない所見せちゃったね」
「いえ、なんかお母さんと言うより、仲のいいお姉さんって感じで、
いいなあって思ったんです」
「聞いたかい?まだ、お姉さんで通じるって!」
嬉しそうに将に言った美里だったが、将の返事はつれない。
「本気にするなって。お世辞に決まってるだろ」
「将、お前最近、言うようになったね」
「客観的事実を言ってるまでだよ」
「ふふーーん」
頬をひくつかせる美里に、詩織が言う。
「いえ、本当にそう思ったんです。私にもこんなきれいなお姉さんがいればなあ、
ってそう思ったんですよ」
「ありがとうね。あなたのように可愛いお嬢さんにそう言われたら、私も嬉しいわ」
「・・・そんな、・・・可愛いだなんて」
詩織は、どう言っていいのか判らずに、少しうつむいてしまった。
「将が鬼より恐い、なんて言うから、正直どんな娘なんだろうって思ってたのよ」
「・・・!まあ、将君、そんな事言ってたの!?」
それは美里の猛烈な反撃であった。
頬を膨らませ(演技なのだろうが)将を問い詰める詩織に、
先程までの優勢はどこに行ったのか、将は慌てふためく。
「いっ、言ってませんよ!そんな事!
言ってないだろ!そんな事!」
前半は詩織に向かって、後半は美里に向かっての言葉であった。
「なら、そんなに慌てなくてもいいじゃない?」
「ぐ・・・」
完全に形勢逆転である。美里は余裕の表情で詩織に向き直る。
「藤崎さん。この通り手のかかる子だけど、これからもよろしくお願いしますね」
「こちらこそ、将君にはお世話になってます」
「びしびし鍛えてやってね」
「はい。もう鬼より恐いなんて言われてますからね、遠慮はしませんよ」
(だから、そんな事言ってませんって)
将はそう言いたかったが、無駄だと思いあきらめた。
美里と詩織はまるで本当に姉妹ではないかと思えるほど息が合い、
将は完全に孤立してしまったのである。
「もういいだろ。パーティーの主催者がこんな所で油売ってていいの?
お客さん来てるでしょう?」
将にそう言われ、美里は辺りを見回す。
「ありゃ、それもそうだね。じゃあ行くわ」
「はいはい」
「藤崎さんも楽しんでいってね」
「はい」
美里が立ち去ると詩織が将に言った。
「きれいなお母様ね。それに面白くて楽しい方」
「ええ、本人の前では照れ臭くて言えませんが、自慢できる母親だと思います」
すでに遠くにある美里の背中を見ながら、将はそう答えた。
「そうよね、素敵な人だわ」
将が意外そうな表情を浮かべたので詩織が尋ねる。
「どうしたの?」
「いえ、こういうのって変じゃありませんか?
和人に言わせるとマザコンって事になるんです」
「そんな事ある訳ないわ。大切なお母様なんですもの尊敬して当然よ」
詩織にそう言われ、将は少し安心したような表情になった。
「今日のパーティー、母が主催者なんです」
「そうみたいね。お店の10周年記念パーティーって書いてあったね」
「母の店なんです」
「・・・」
詩織は声に詰まった。将の表情が厳しい物に変わったからである。
「すごい事ですよ。あの若さで店を持ち、俺を育てたんです。
女手一つでここまでやるなんて、並み大抵の苦労じゃないはずなのに、
俺にそれを押し付けるような事は一度もありませんでした。
すごい人なんですよ。あの人は」
「将君?」
「・・・藤崎先輩」
「なあに?」
「俺はいわゆる妾の子です」
「・・・」
詩織が驚かなかったと言えば正直嘘になる。
将の口からその様な言葉が出るなどとは想像の域に入っていなかったのである。
そんな詩織に構わず将は続けた。
「父親は当時でも妻子ある人でした。
母のした事は、決していい事ではない事かもしれません。
でも、少なくとも俺にとっては感謝すべき事です。
この世に生まれる事ができたんですから。
俺は生まれていた事に関して、恥ずべき事だと思ってませんし、
隠すつもりもありません。
もちろん、聞かれもしていないのに喋りはしませんが、
先輩には言っておこうと思ったんです。
それで軽蔑されたら、仕方がないと思ってます」
「どうして?」
詩織の質問に将は詩織に顔を向ける。
詩織はごく自然に笑いながらこう言った。
「どうして私がそうなると思うの?
たとえ将君がどんな生まれであったとしても、将君は将君でしょ?
それで何か変わるの?変わらないでしょ。今までと何も変わらないわ」
「先輩」
「それに、あんな素敵な人が将君をよろしくって言ってくれて、約束したんだもの。
約束は守らなくっちゃ」
「・・・ありがとうございます」
「あら、お礼を言うのはどうかな?
本当に鬼より恐いって言わせるかもしれないぞ」
「あれえ、それは困ったなあ、お手柔らかにお願いしますよ」
「どうしようかなあ」
詩織がそう言った後、二人は笑い出した。
暫くの間があき、将は詩織に言った。
「先輩、お腹空きません?」
「え?そうね。そう言われれば」
「じゃあ行きましょう。
立食形式だから、もう料理、並んでるはずですから」
「そうね、じゃあ行きましょ」
「はい、案内しますよ」
詩織を案内しながら将は思った。
(この人を好きになって良かった)
心が充たされるものを感じながらそう思った。
封印が解かれる刻( 6 )
将に招待された美里の店の10周年パーティーの雰囲気は、
詩織にとって初めて経験するものであった。
パーティーそのものの華やかさ等は、伊集院家で毎年開かれるクリスマスパーティー
の方が明らかに上である。
だが、このパーティーの落ち着いた雰囲気には別の魅力があった。
詩織はクラシックが趣味なのだが、生演奏されるジャズやフュージョン等は
うっとりするほど素晴らしい物であったし、名前は聞いた事はなくとも実力がある
女性シャンソン歌手の歌声には聞き入ってしまった。
また、招待客の中にはTVでしか見たことのないような有名人等が何人かいて、
美里の交流関係の広さを物語っていた。
料理も手を抜いた所が無く、上等な素材に一流の技術が加えられている事は
容易に想像できた。
招待客も紳士淑女然とした人が多く、悪酔いするような人間もいない。
さすがに未成年の為、アルコールを口にする事は出来ないのだが、
その雰囲気だけで充分酔えそうな感じである。
「よう将君!」
詩織と話していた将に語りかけた人物がいた。
ロマンスグレーの髪が良く似合う、50歳前後の紳士であった。
その人物に詩織には見覚えがあったのだが、すぐに名前が浮かんで来なかった。
将が答える。
「こんばんわ、森田先生。お元気ですか?」
「おかげ様でね、まあ、憎まれっ子世にはばかるってやつだ」
「またまた」
将は気軽に話しているようなのだが、その名前を思い起こして詩織は少しばかり
緊張してしまった。
地元出身の衆議院議員で大臣にも何度かなった事もある人物だったのである。
「大きくなったなあ。今年、高校?」
「何言ってるんですか?今2年生ですよ」
将がそう言うと、その森田という人物は驚いたような顔になった。
「いやあ、年を取る訳だ。早いものだなあ。
・・・それで将君、高校卒業したら私の事務所に来ないか?真面目な話」
「もう、母が目当てなんでしょう?」
「なんだ?随分手強くなったなあ」
「そういう事言ってると、また写真週刊誌に叩かれますよ」
将にそう言われ、森田という人物は照れ臭そうに片目をつぶった。
「一応、私も独身なんだがね」
「それがいけないって言うんです。いい加減先生も落ち着いたらどうですか?」
「その相手が吉野さんじゃまずいのかな?」
「・・・あのねえ、先生」
詩織はその会話を聞いてはらはらしてしまった。
将があまりに無遠慮に見えたからである
だが、よくよく見ると、森田は将との会話を楽しんでいるようである。
(将君って、時々底が知れない時あるわね)
詩織がそんな事を考えていると
「ところで、こちらのお嬢さんは?将君の恋人かな?」
森田が将にたずねた。
詩織の心臓がそのピッチを速める。
「いやあ、それならどんなに嬉しい事ですか」
将の言葉に詩織は頬を赤らめるが、将はその変化に全く気付いていない。
「クラブの先輩でして、藤崎詩織さんです。
藤崎先輩、こちらは衆議院議員の森田大二郎さんです。
御存じですよね?」
「はい。良く存じ上げています」
「そうですか。あなたのようなお嬢さんにも顔が知られてるようなら、
次の選挙も何とかなりそうです」
そんな事を言いながら、森田はさり気なく詩織の右手を取り、両手で握手をする。
将がわざとらしく咳払いをする。
「先生」
「・・・あいさつだよ、将君」
「はいはい」
「それでは失礼するよ」
しばらく話し込んだ後、森田は二人と離れる。その間際、森田は将に真顔で言った。
「さっきの話だがね。私は本気だよ。吉野さんを抜きにしてね。
良かったら事務所まで遊びに来なさい」
「・・・はい」
「それでは、またな」
森田の背中を見送りながら、詩織は将に聞いた。
「意外な方と顔見知りなのね?」
「いやあ、母の店の常連さんなんです。別に俺個人の知り合いじゃありませんよ」
「事務所に来ないかなんて言ってたけど?」
「あれですか。いやあ、あの方もどこまで本気なんですかね?」
将は全く本気にしてない風に笑ったが、詩織は少々複雑な心境だった。
それは将の今まで知らなかった部分を知ったからであろうか?
詩織自身にも不明であった。
パーティーの雰囲気が落ち着いた頃、美里が将と詩織の所へ再びやって来た。
「なに?」
「あのね、また、アレ、やって欲しいんだ」
「ええ!?アレを?何で?」
「梶さんがみたいって言うの。この前見逃したからって。
今、手が空いてるの将だけなんだ。お願い」
そう言って片目をつむって両手を顔の前であわせて将に頼み込む。
「えーーと、でも」
将が詩織を気にしている事に、詩織自身も気がついた。
「あら、私のことはお構いなく。何をしなければいけないのかは知らないけど、
お母様の頼みなんだもん、お手伝いしてあげて」
「・・・はい。判りました」
「本当?ありがとう。ちょっと待っててね」
言うが速いか美里は早足で近づいてバンドに何やら話し掛けた。
「何をするの?」
「見ていれば判りますよ」
「意地悪」
「そうじゃないんですよ。良く練習相手をさせられていて、覚えちゃったんですよ」
「何を?」
詩織がそう聞いた時、バンドの演奏が変わりタンゴが流れはじめた。
「それじゃあ、ここで待ってて下さいね」
詩織を残し将は美里に近寄る。そして息のあったタンゴを踊りはじめる。
「おおー」
ため息が会場中から漏れる。
美里と将のペアは、その踊り以上に輝き目立つものを持っていた。
詩織もその二人に見とれてしまった中の一人だった。
「・・・将君」
「はい?」
「今日は・・・ありがとう。とても楽しかったわ」
パーティーからの帰りも車でに家の前まで送ってもらった詩織は、その別れ際、
将にそう言った。
「そう言ってもらえると嬉しいですね。気に入ってもらえるか不安だったんです」
「うん。とっても素敵なパーティーだったよ。
お母様にもよろしく言っておいてね」
「はい」
「それじゃあ、おやすみ」
「はい。おやすみなさい」
将が助手席に乗った走り去って行く車を見送った後、詩織は玄関をくぐる。
「玄関に飾られた赤いバラを見て言った。
「・・・ありがとう、将君」
封印が解かれる刻(7)
きらめき高校は体育祭を迎えていた。
始まる前は冷めていた生徒でも、当日を迎えると熱くなってしまう者も少なくない。
「おい藤崎」
「あら元城君」
プログラム前、グラウンド脇の観客席のスペースで、詩織は元城に呼び止められた。
「あのな、吉野に少しは手を抜くように言っておけよ。
「えっ?!・・・」
それを聞いた詩織は少しばかり呆れたような表情になった。
「将君にそんな事ができるなら、普段でもかえって楽ができるわ。
元城君だってそう思ってるくせに」
「そうなんだけどなあ。やっぱり白組で注意すべきは吉野だからなあ」
そうなのだ。昨年まではクラス対抗だったのだが、
今年から紅白対抗になったのである。
クラスマッチだと点数がばらけて、昨年の将のように一人が活躍しただけで、
クラス優勝が決まってしてしまう事を考慮に入れて、今年からこうなったのである。
言うならば将一人が体育祭の内容を変えてしまった訳で、
将は当然マークされる事となった。
「おーい、詩織。元城」
「あら、どうしたの?」
「なんだよ?」
そんなところに一人の男子生徒がやって来た。
「藤崎に用か?」
元城の少しばかり意地悪そうな表情とセットになった質問に、
その男子生徒は少しむっとした表情をしながら答えた。
「何を言ってる?好雄がお前を捜してるんだよ」
「早乙女が?」
「何か聞きたい事があるんだとさ」
「え?何だろう?・・・。で?早乙女はどこ?」
「いや、俺も行くから一緒に行こうぜ」
「ああ、そうか。・・・じゃあな、藤崎」
「うん、また後でね。元城君」
詩織と離れ、元城はその男子生徒に言った。
「なんだよ、お前達。けんかでもしたのか?」
「そんなんじゃねえよ」
彼はそう言うが、その表情には苦いものがあった。
(気の毒すぎて、からかう気にもなれん)
元城は内心でそう思いながら首を振った。
同じ頃、教室から椅子を運んでいた将に語りかけて来た者がいた。
「あれ?そこにいるのは白組のポイントゲッターじゃないか?」
「・・・連尺と清川さん」
振り向いた将の先には、赤組を示すはちまきをしめた連尺と清川がいた。
「清川さんも赤組でしたっけ?」
「そうだよ。吉野君が白組ってのは本当に残念だよ」
(特に連尺がさ)
清川は最後の言葉を飲み込んだが、視線だけ連尺に向けた。
連尺はその視線を意識的に無視して将に言った。
「そういう訳なのよ。お手柔らかにね」
「別に俺一人じゃ、たいした得点にはならないよ」
「いくつの競技に出るの?」
清川の質問に将は指を折りながら答える。
「100、200、400、走り幅跳び、400メートルリレーに
スウェーデンリレー・・・かな?」
清川も連尺も半分呆れ、半分驚いた表情を浮かべる。
「大丈夫なの?そんなに出て」
心配そうな連尺の表情に将は平気な顔で答える。
「スウェーデンの400は、和人がやってくれるから大丈夫でしょ」
(そういう問題じゃないでしょう)
共通の感想を抱いて、清川と連尺は顔を見合わせる。
「で、今年も全部勝つつもり?」
「やめて下さいよ清川さん。そんな上手い事いく訳ないでしょう?
適当に力を抜きますって。あまりからかわないで下さいよ。
・・・それじゃあ、そろそろ」
「ああ」
「うん。またクラブでね」
将の背中を見送りながら、清川と連尺は毒気抜かれたといった感じの会話を交わす。
「彼が力抜くと思うか?」
「・・・まさか」
「て事は、吉野君、また目立ってしまうぞ。どうする?ライバルが増えるかもよ」
清川の表情は心配というのもあるが、興味深いといった部分が大きかった。
「別に良いんですよ。そのぐらい」
「お。余裕だな?」
「そんなんじゃありませんよ。ただ、どんなことがあっても、
私は将君の手助けをしたいんです。
それならライバルが何人出て来ても関係ないでしょ?」
そう言って連尺はごく自然ににこやかに笑った。
清川にはその微笑みが自信満々と言っているような気がした。
紅白対抗と言っても、競技への参加はクラス単位となっている。
将のクラス2−Bのスウェーデンリレーのメンバーは、四本松、早乙女優美、和人、
そして将である。
100を優美、200を将、300を四本松がそれぞれ走り、
最後の400を和人が走る。
「400かあ、しんどいなあ」
和人はぼやく事しきりである。
「何言ってるの!?和人なんて出るのこれ一つじゃない」
「そうよ、そうよ。しゃきっとしなさいよ」
優美と四本松、二人に攻めたてられて和人はたじたじである。
「おいおい。二人がかりとはひどいじゃないか」
「だってえ、和人相手にか弱い女の子じゃ二人でもつらいわよねえ、優ちゃん」
「そうよねえーー優美ちゃん」
新しく同じクラスになってから約2ヶ月。
この二人の息は恐ろしいぐらいあっていた。
(何が、か弱い女の子なんだよ)
和人はそう思ったのだが、身の安全を考えてあえて口には出さなかった。
「あのなあ。俺ってそんなに恐そうに見えるか?」
和人の質問に優美と四本松は顔を見合わせる。
「こう言っては何だけど、最初和人君と会った時は、正直恐かったもん」
四本松の言葉に優美が続ける。
「なんか、殺気が漂うって感じだったよねえ」
「そうそう。優しいって感じは少なくともしないよね」
四本松が優美に頷きながら同意すると、和人は天を仰ぎながら力のない声で言った。
「ひでえなあ。少しは否定したっていいじゃないか?
これでも”そんな事はないよ”って言ってくれる人はいるんだぜ」
和人は一言多かった。それを優美は聞き逃さない。
「ちょーーッと待った!!誰にそんな事言われたのーー?」
「あっ!?そうなんだ和人君」
(しまった)
慌てた和人は言わずもがなのことを口走る。
「言っておくがなあ。美樹原さんとは別になんでもないぜ」
「そう、美樹原さんって言うの」
「あっ」
処置なしである。
「どんな人、どんな人?」
「どんな人って、四本松は去年の夏祭りの時、会ってるはずだろ?」
「あっ・・・あの人ね。でもあの人、おとなしくて目立たない人よね」
「四本松だってあの頃はそうだっただろ?
それが今じゃ、朱に交わればなんとやらで」
「それってどういう意味よ?」
「朱に交わればってどういう意味だったっけ?」
質問の意味が四本松と優美の間では違う。
「・・・早乙女」
「・・・優美ちゃん」
「早乙女、お前、テスト範囲以外のことも少しは覚えろよな」
「ぶーー!いいもん。そんな事言うなら、しばらくは美樹原さんって人の事で、
和人いじめてやるもんね」
「でも早乙女、お前美樹原さん知らないだろ」
「私にはお兄ちゃんと言う強い味方がいるんだもんねえ!」
「げっ!」
実際、この後しばらくの間、和人はこの件で優美と四本松に攻め立てられる事となる。
「まいったなあ」
和人のぼやきの原因に新たな事が加わってしまった訳である。
(それにしても)と和人は思う。
(早乙女はともかく、四本松、最近ずいぶん変わって来たよなあ。
最初の頃はおとなしいって感じの娘だったのに、活発になって来たものなあ)
ともかく将を含めたこの4人は、この後B−SQUARE、
もしくはB−4と呼ばれることとなる。
そのきっかけとなったのは、今日この日のスウェーデンリレーからである。
封印が解かれる刻( 8 )
体育祭での将の活躍は、予想されていた事とはいえ、すごいものになっていた。
さすがに走り幅跳びは慣れていなかったので3位に終わったのだが、その他は、
リレーを含むすべての競技で決勝へと進出していた。
予選はタイム制で上位8人が決勝へと進むのであるが、
将のタイムは1位か2位であった。
もちろん陸上部の人間は参加していないのであるが、
それでもそうとうなものである。
その中で、偶然3種目の予選の同じレースで将に負けたものがいた。
テニス部の1年生、西島である。タイム的に良いので2種目決勝には進めるのだが、
やっぱり面白くない。
グランド脇の自分のクラスの席に座り、西島は横に座る松島にうそぶく。
「へん、別に足の速さでテニスする訳じゃねえだろう」
どう譲っても負け惜しみである。
それに対して反応したのは松島ではなく、傍で聞いていた本郷南である。
彼女は西島の方に向きもせずにぼそっと言った。
「そのテニスでも負けてるんじゃないの」
「ぐっ!!」
西島は右の拳を固めるのだが、事実であるだけに何も言い返せない。
「マツーーーッ!どうして俺はあいつと同じクラスなんだよーー?!!」
「僕に聞くなよ」
松島は苦笑いするしかなかった。
プログラムは順調に進み、午後の決勝レースでも将は強かった。
そして将がアンカーを努める400メートルリレーでも勝ち、
5種目を制する事となった。
その姿は昨年の将を知らない、なんの予備知識も持たない1年生や、
新任の教師達の目にも止まる事となる。
昨年を知る者にはなおさらである。
ざわめくその声の中に朝日奈夕子と、古式ゆかりがいた。
「やっぱ、超スゴーって、感じだよねえ」
二人とも赤組なのだが、将は古式のテニスのパートナーであり、
それを知る朝日奈にとっても、将は親近感が湧いてしまう存在である。
「でもさあ、複雑な心境でしょ。彼が注目を集めるのってさ」
「え?それは、どういう、ことでしょうか?」
「またまたあー、とぼけちゃってえーー」
朝日奈は嬉しそうに笑いながら古式の耳元に顔を近づけ、小声で言った。
「好きなんしょ?彼の事」
古式の表情に変化はなかった。いや遅れて変化し始めた。
戸惑いに恥じらいを含ませた表情に変化し始めたのである。
それは親友である朝日奈でさえ、見たことのない表情である。
(ほーーら、やっぱ、思った通りじゃん)
「ど、どうして、それを?」
「どうしてって、もう、もろバレじゃん。ゆかりんがたまーーに一気喋りする時って、
大体彼の事っしょ。判るって」
「そうでしたか」
「で?どうなの?」
「どうなの、と申されましても」
「ああーんもう、ゆかりんの事だからあ、彼に好きな人がいるとか、
年下だとかで悩んでるんしょ?」
「・・・どうして、判るんですか?」
朝日奈の体がカクンと傾く。
「全部ゆかりんが言ったんじゃない。
私の相談に乗ってもらう時、”私と、同じ、ですねえ”って言ったし、
”殿方は、年上の、女性、と言うのを、気にする、ものなのでしょうか?”
なんて言ってたっしょ。判るわよ」
古式の口まねを交えながら言う朝日奈に、古式は答える。
「そうでしたか。判りますか」
「まあ、ゆかりんの性格から言って、”人を押しのけて”というのが出来るとは、
とうてい思えないけど、望みがない訳じゃないんだしい、頑張るっきゃないってね」
ウインクしながら朝日奈はさらに続ける。
「それに彼の方だってうすうす気がついてるんでしょ?ゆかりんの気持ちに」
それに対して、古式はゆったりといつもの調子で答える。
「さあ、どうでしょう。将君は、そういう事に、関しては、本当に、不器用、
ですからねえ。
先日も、大事な、テニスの、パートナーだって、はっきり、言われましたから。
きっと、手のかかる、お姉さん、ぐらいに、思っているのでしょうね」
目を細めて古式は微笑むのだが、朝日奈にとっては笑い事ではない。
「ちょ、ちょっち待って。全然気が付いていないのお!?」
「はい」
「はいって・・・・信じらんなーい。ちょダサー。
そこまで鈍いのってもう犯罪だよーー」
「でも、そう言う、将君だから、私も、救われて、いるんですよ」
朝日奈は首を振る。
「それにしたってそりゃひどいよーー!
もう私、彼に一言言わなきゃ気が済まないよ」
今すぐにでも駆け出しそうなほどの勢いで朝日奈は立ち上がった。
その時、普段からはとても信じられないような素早さで、
古式は朝日奈の右手をつかむ。
「ひなさん」
たった一言そう言った。
言葉遣いは丁寧だし、表情も穏やかな物だが、
その目には有無を言わせない物があった。
「ゆかりん・・・」
朝日奈は不満な物を残しながらも、椅子に座りなおした。
「もう知らないからね」
「はい」
古式の笑顔は変わらなかった。
体育祭は将の活躍にもかかわらず、赤組の勝利となった。
「残念だなあ」
体育祭が終わり後片付けをして教室に戻ってから、将、和人、四本松、優美の4人は
教室で椅子に座り、話し込んでいた。
優美の言葉に和人が答える。
「まあいいじゃないか。お遊び、お遊び」
「何言ってるの?スウェーデンリレーの時の和人君、目茶苦茶マジだったじゃない」
四本松の追求に、和人は苦笑いを浮かべながら答える。
「あ、あれはなあ、3人がトップ守ってたから、抜かれる訳にはいかないだろ」
優美が続ける。
「私達はまだしも、将君が可哀想だよ、・・・将君?」
優美の疑問に、和人と四本松は将に視線を向けた。
将は椅子に座り、腕を組んだ姿勢で眠っていた。
「将」
起こそうとした和人を優美が無言で止める。
四本松が静かに言った。
「お疲れ様。将君」
その日の夜、古式の家では古式夫妻が話し合っていた。
「判っている。ゆかりが18歳になる日。その時、話すつもりだ」
父親は短くそれだけ言った。
母親も無言で頷いた。
封印が解かれる刻( 9 )
「そろそろ梅雨入りか。布団を干しておかないとなあ」
朝、自宅の部屋の窓を開け、晴れた空を仰ぎながら将はつぶやいた。
将自身は気が付いてはいないが、それと似たような事を昨年の今日もしていた。
今日は古式ゆかりの誕生日である。そしてそれは何の因果か、
1年前、将が初めて彼女を目にした日でもあるのだ。
「そうか、あれから一年経つんだなあ」
背伸びをしながら将はそう言った。
「過ぎてしまえばあっという間だったけど、いろんな事があったよなあ」
もちろん高校に入ったという事はあるのだが、それ以上の激変があった、
そう将には思えるのである。
部活に入り、様々な人と知り合い、公式戦でも優勝などと言う経験までした。
そして藤崎詩織と言う女性との出会い・・・。
それもこれも、昨年の今日が始まりだったとも考えられる。
将の手には、古式への誕生日プレゼントがある。将は奇妙な感覚を覚える。
昨年の今日までは、古式の存在は知っていた。が、それは知っていると言うだけで
身近な存在ではなかった。
それがこの1年の間で、古式は将にとって欠かせない人々の一人になっていた。
「さて、行くか」
学生鞄を取り玄関に向かう将を、美里が送り出す。
「いってらしゃい」
「行って来ます。・・・ところでさあ」
「なに?」
「今日、明日と休みでしょ?」
「そうだけど」
「じゃあ、今日お好み焼きやらない?ホットプレートで」
「うーーん、いいわね。そうしましょ」
「それなら俺、帰りに材料買ってくるから」
「はいはい」
「それじゃ」
そう言って、将は今ではすっかり通いなれた道で学校へと向かった。
「おい、将」
「何だ?和人」
「ちょっと来いよ」
「なんだよ」
「いいから来いって」
腕を取り、半ば強制的に将を連れ去っていく和人を、
優美と四本松は唖然として見ていた。
いつの頃からか、将、和人、優美、四本松の4人は、昼休みの時、
食事を一緒に食べるようになっていた。
今日も教室で机を並び変えて食事をし、いつものように雑談をしていたのだが、
突然和人がそういった行動に出たので優美と四本松は顔を見合わせる。
「どうしちゃったんだろ、和人。優ちゃん心当たりある?」
「ううん、全然」
「何なんだろう?」
「何なんでしょう?」
和人は将を廊下に連れ出した。
「いったいどうしたんだよ?恐い顔して・・・まあ、恐い顔は前からか」
「茶化すなよ!」
(どうも、冗談を言える雰囲気じゃあないな)
将はそう思った。
「お前、本当に古式さんに誕生日プレゼントするつもりなのか?」
「・・・ああ、なるほど」
和人に言われて将は納得した。
和人が将を連れ出す直前、四本松が将に古式への誕生日プレゼントをどうするか
聞いたのである。
それに対する将の答えに和人が反応したのだ。
「和人の言いたい事は判るよ。”あまり、姉さんに近づくな”だろ?」
「そこまで判っていて・・・古式さんはお前との事知らないんだぞ!!」
「声がでかいよ、和人」
「ああ、すまん。でもな、近くにいたらどんな形で知れるか判らないんだぞ」
声量こそ小さいが、その声には気迫のような物がこもっていた。
「じゃあ、どうしろって言うんだ?姉さんにだけ違う接し方をしろって言うのか?
それこそ不自然だし、危険じゃないのか?」
「そうなんだけどな。でもな・・・」
言葉を続けようとする和人を、将は右手で制した。
「和人が心配する気持ちは判るし、感謝しているけど、俺の考える通りにしたいんだ。
頼む。そうしたいんだ」
頭を下げられては和人も続けられない。
「判った。お前の考えに任せるよ」
「すまない。それとありがとな」
将はそう言って席に戻る。
その背中を追いながら和人は思った。
(まったく、こいつの鈍さは天然記念物もんだよ)
その日の夕方、将からのプレゼントを受け取り古式ゆかりは上機嫌で帰宅した。
将からもらった物は編み物用の道具で、さして珍しい物ではないし、
実のところ、すでに持っていた物であった。
それでも古式にとっては嬉しい事に変わりはなく、編み物の用品が並ぶコーナーで
将があれこれ悩む姿を想像すると、いつもの笑み以上に微笑ましい気分になる。
(将君、どんな顔をして、これを、買ったのでしょうねえ?)
そんな事を考えながら、玄関をくぐる。
「お嬢様、お帰りなさいませ」
「お帰りなさいませ」
「はい、ただいま、帰りました」
複数の迎えの声に答えながら古式が玄関に来ると、そこには父親が待っていた。
「あら?お父様。お早いお帰りですね」
「うむ。お帰り、ゆかり」
「はい・・・?」
何か言いたげな父親の表情に古式はたずねた。
「どう、なさいましたか?お父様?」
「あ。いや、その、着替えたら奥の間に来なさい」
「はい」
古式はそう答えたものの、いつもは優しい父親の表情が厳しいものだったため、
首を傾げるのであった。
「あ、雨?」
美里の声に将は答える。
「そうみたいだね。・・・もう焼けてるでしょ」
将はホットプレートの上のお好み焼きを、慣れた手つきでひっくり返した。
朝の約束通り、将と美里はテーブルをはさんでお好み焼きを焼いていた。
ソースの香ばしい香りが部屋に満ちた時、電話が電子音を鳴らした。
「はぐぅ、でで」
先程焼きあがっていたのを、すでに頬張っていた美里が言った聞き取り不能な言語に
将は的確に答える。
「はいはい。出ますよ。マヨネーズ乗せてよね」
「ばび」
その声に苦笑いしながら将は受話器を上げる。
「はい、吉野です」
電話の向こうの相手はしばらく黙っていたが、やがてこう言った。
『将君かね?』
その声に将は思わず美里の方を向き答える。
「古式さん?」
「?!」
美里もマヨネーズの容器を持ったまま動きが止まる。
「どうしたんです?」
『実は・・・』
しばらく聞いていた将だったが、やがて声を荒立てて言った。
「姉さんがいなくなった!?」
封印が解かれる刻(10)
将の表情は険しいものとなっていた。
「話したんですね?」
『そうなんだ』
受話器の向こうの声も厳しいものだった。
『あの娘は今日18になった。
それで、美里と将君の事を話したのだ』
「その時の様子は?」
『様子?・・・ああ、そうだな。
あの娘は普段からあまり感情をすぐには表わさない方だから、
私の話を落ち着いて聞いていた。いや私にはそう思えたのだ。
話が終わり、夕食まで部屋にいるからと言うので、そっとしておこうと思い、
部屋のそばから人を遠ざけたのだ。
だが、気が付いた時、部屋からいなくなっていたのだ』
「家の中にはいないんですね?」
『もちろんだ。近所も部下に捜してもらっているのだが・・・。
ゆかりも成長してそういった事も受け止められると思っていたのだが、今思えば、
それが失敗だったのだ。ああ、何と言う事だ』
「古式さん」
将はそう言ったが、古式の父親には聞こえていないようである。
『あれの心を読み違えるとは、私は父親失格だ』
将は声量を大きくした。
「お父さん!しっかりして下さい!!」
『!?』
”お父さん”将の口から出たこの単語に、古式の父親は我に返った。
「落ち着いて下さい。
姉さん、ゆかりさんはしっかりした人です。滅多な事はしません!!」
『将君?』
「こちらでも心当たりを捜して見ます。お父さんは家にいて下さい」
『いや、しかし』
「ゆかりさんが家に帰った時、お父さんが家にいないでどうするんですか!?
どっかり座って待っていて下さい。いいですね!」
『将君?』
「連絡しますからね。電話切りますよ」
そう言って静かに受話器を置くと、将は美里に言った。
「聞いての通り、古式の姉さんがいなくなったって」
「私達のことを知ったから?」
「そうらしい、けど」
「けど?」
「姉さんならそういった事でも受け止められる。俺も思うんだ。
姿を消すなんて考えられないよ」
「で。どうするつもり?」
美里の質問に将は答える。
「ともかくこのあたりを捜して見るよ。
お母さんはここにいて、古式の家から連絡があったら受けといて。
その時、古式のお父さんが慌ててるようだったら、一喝してでも落ち着かせてよね」
「判ったわ」
「それにしても、女の子の父親ってのはああなっちゃうのかなあ?
あの人があんなに取り乱すとは」
「・・・それで、学校のお友達とかにも連絡するの?」
「うーーん」
将は少し考え込んだ。
「いや、やめておこう。あまり大事にしたらまずいよ」
「そうね」
「でも、和人には連絡しておいて。あいつならいざという時、何とかしてくれるから」
「はい」
「ともかく行って来るから、後は頼むね」
「気を付けてね」
「ああ」
靴箱から傘を取り出し将が玄関を出て行くと、美里は軽くため息をついた。
「いつの間にかあの子も、ずいぶん頼りがいがあるようになって来たねえ」
独り言を言いながら、椅子に腰掛けるのだった。
日もすっかり暮れた雨の降る街並みを将は歩いていた。
心当たりと言っても、それほど多くの場所がある訳ではない。学校やその付近の店等
ぐらいである。
それでも将は捜さない訳にはいかない。そうでもしなければ気が済まない。
「ん?!」
近所の公園に来た時、将は足を止めた。
普段なら気が付かないだろう。
しかし、今の将の研ぎ澄まされた感覚はそれを見逃さなかった。
誰かがブランコに乗っていた。
「この雨の中を!?」
将が駆け出すにはそれで充分だった。
降りしきる雨の中、ブランコに乗った古式は小さく体を揺らしていた。
白いブラウスが雨に濡れ、遠くにある水銀灯のほのかな明かりでも判るほど、
下着が透けて見えていた。
「姉さん」
その背中に小さく将はそう言ったが、古式に反応はなかった。
将は傘を出し古式を雨から防ごうと思った。ブランコのチェーンに傘があたる音と、
雨が傘を叩く音に古式が気が付いた。
古式は振り返り、将の姿を認めた。
「将君?どうして、ここに?」
「風邪を引きますよ。俺の家の方が近いから、行きましょう」
古式はすぐに反応しない。しばらく間を置いて、古式の口から言葉が紡ぎ出される。
「・・・覚えていますか?将君?
去年の、クリスマス、ここで、将君が、詩織さんへの、思いを、私に、打ち明けて、
くれた事を・・・」
「・・・ええ、もちろんですよ」
「本当はね、あの時から、私・・・」
そこまで言って古式は黙り込んでしまった。
「姉さん」
将はそう言って古式の肩を抱く。
「行きましょう、姉さん」
「・・・はい」
「お母さん、お風呂入れて着替えを用意して」
アパートに帰るなり将は美里に指示を出す。
古式の身体は見るからに冷えきっていた。普段なら薄い桜色をした愛らしい唇が、
青く小刻みに震えていた。
「お風呂は入っているわ」
状況を素早く察知し、バスタオルで古式の身体を拭きながら美里が答える。
「なら、入れてやって。さすがに俺は付いてやれないから」
将は古式の身体を美里に委ねる。
「古式の家には俺が連絡するから、姉さんを頼むね」
「ええ」
美里が古式を風呂に連れていくのを見送ってから、将は電話を取る。
呼び出し音が鳴ると同時に向こうの受話器が上がった。
『ゆかりか!?』
不謹慎だとは知りつつも将は苦笑いを浮かべてしまう。
「吉野です」
『・・・将君か!ゆかりは?見つかったのかね!?』
「はい、今こちらにいます」
『そうか!ありがとう!今すぐ行く!』
「いえ、待って下さい」
それを将は慌てて制する。
「ゆかりさんはこちらで責任を持ってお預かりしています。彼女が落ち着いたら、
必ずそちらにお送りしますから、待っていて下さい。お願いします」
力強い将の言葉に、父親も反論できない。
「・・・そうか、そうだな。将君がそう言うのならその方がいいだろう。
娘、いやお姉さんをお願いするよ。将君」
「はい。判りました」
電話を切り、将は天井を仰いだ。
「お姉さん・・・か」
封印が解かれる刻(11)
古式の前のティーカップが暖かそうな湯気を立てていた。
「姉さん。ココアです。体が暖まりますよ」
将の勧めに古式は声もなく頷いた。
風呂から上がった古式は、美里に勧められダイニングの座卓についた。
ダイニングと言っても、そこは台所兼、居間兼、将の部屋兼寝室、という部屋なので
座卓が置かれるという訳である。
その座卓にしても、冬になればこたつとして使用する物である。
先程まで使っていたホットプレートやお好み焼きの具等はとりあえず片付けられ、
座卓の上には3個のカップがあるだけである。
ココアに口をつける古式を、美里と将は何も言わずに見つめていた。
座卓は幅の広い長方形をしていて、その長辺に古式が座り、古式の正面に美里、
古式の左側の一辺に将が腰を下ろしていた。
ココアを飲み干し、落ち着いた古式が口を開く。
「この度は、大変、ご迷惑を、おかけ、いたしました。
申し訳ございません」
美里と将は顔を見合わせ無言の会話をかわす。
会話の結果、将が古式に答える役となった。
将は先程までの穏やかな表情に少し厳しい成分を含ませ、古式に答えた。
「そんな事はいいんです。でもね姉さん。お父さん本当に心配していましたよ。
そのあたり気を付けなきゃいけませんね」
将の言葉に、古式はビクッと反応したかと思うと、静かに口を開いた。
「お父様は、将君の、お父様でも、あるんですね」
「・・・」
「・・・」
答えようがない将と美里に、古式は更に続ける。
「将君にとって、私は、本当に、お姉さんだったのですね」
「・・・姉さん・・・」
「知っていらしたのでしょう?ずっと、前から」
「・・・はい」
重苦しく将が答えると、古式は両手で顔を押さえた。
「私、そんな事とは、つゆ知らずにいました。将君が、どんな思いで、私に、
接していたか、そんな事すら、考えてもみませんでした。
お父様から、将君と、将君のお母様のことを聞いた時、私、これから、
どうしていいのか、どうすればいいのか、まったく、判らなくなって、
気が付いたら、あの公園にいたのです」
将と美里は何も言えないまま、古式の言葉を受け止めていた。
「将君?」
「はい」
「教えていただけませんか?私、これから、どうやって、将君に、接していけば、
良いんでしょうか?」
声の最後の方はかすれ、肩が小刻みに震えていた。
将が答える。
「いいんです!姉さんがそんな事を気にしなくっても。
俺達親子は今までこうして暮らして来たんだし、姉さんは今まで通りで良いんです」
力強く言った将だったが、古式の様子は変わらない。いや、むしろ肩の震えは、
先程より大きくなっていた。
「そうではないんです!そうではないんです!」
普段の古式からは想像できない荒立った声に、将は動揺する。
「姉さん、何が違うんです?」
「そうではないんです」
同じ答えをする古式に、将はなす術もない。
その時、美里が動いた。傍らに脱いであったスリッパを右手に持つと、
思いっきり振り上げ、将の後頭部めがけて降り下ろす。
「この大バカ息子がーーーーーー!!」
美里の絶叫と共に、乾いた硬質的な打撃音が室内に鳴り響く。
「いてーー!!何するんだよ!!」
「何するじゃないわよ!ここまで来てまだ判んないの!?」
「何を判れって言うんだよ!」
美里は頭を抱える。
「私のお乳あれだけ飲んでおきながら、なんでこの子はこういう事に鈍いのかしら!
神様と言うのがいるなら聞いてみたいわ!!」
「どういう意味だよ!?」
もはや美里は将を相手にしなかった。
「ゆかりさん?」
「はい」
静かに語りかける美里の声に、両手に顔を埋めながら古式は答えた。
「ゆかりさん、・・・あなた、将の事、好きになってしまったんでしょ?」
将の驚いた表情に美里は呆れたが、それは無視した。今は古式の答えを聞く方が、
はるかに大事だと思ったからである。
古式は先程までの肩の震えが止まり、静かに、だが力強く頷いた。
そして顔を上げ、美里に向き直って言った。
「はい。私は、一人の、殿方として、将君の事を、お慕いしております」
将はもう何も言う事ができず、古式を見つめるだけであった。
古式の瞳は涙で潤んではいたが、決してその涙は頬には流れていない。
わずかな沈黙が流れた後、突然、美里がけたたましく笑い始めた。
「何が可笑しいんだよ!」
とがめる将の声に、美里は必死に笑いを噛み殺す。
「だって、可笑しいんだもん。しょうがないじゃない」
「姉さんが悩んでるのがそんなに可笑しいのかよ!?」
「その悩みに気が付かなかった唐変木が偉そうに言うんじゃないの!」
「ぐっ」
将は反論できない。将の反撃を封じておいて美里は古式に向き直る。
「ゆかりさん。同じ女として、あなたの気持ちは判るつもりよ。
好きになった男が、全くの鈍感でこっちの気持ちに気付いてくれないし、
それどころか他の女の子が好きだし、挙げ句の果てが実の姉弟。
なんて事になれば姿を消したくなっても無理ないわよ」
美里はカップに口をつける。中身はココアではなくコーヒーである。
一息入れて美里は続ける。
「あなたみたいな人を見る目がある素敵な女の子なら、将を好きになって当然だよ。
なにせ将ほどのいい男はそうそういないからね」
(そりゃ、親馬鹿ってもんだよ)
将はそう思ったが口には出さなかった、いや出せなかったと言う方が正しい。
「今、親馬鹿だと思ったでしょ?」
美里の言葉に将はギクリとしたが、それは将に向けられた問いではなかった。
その相手である古式の答えが出ない内に、美里は否定した。
「親馬鹿じゃないんだよね。だって、惚れてるんだもん、将に」
将と古式は驚いて美里の顔を見つめた。
その表情は冗談や軽いものではなく、真剣で、頬をほんのり染める有り様は、
純真な少女の物となんら変わりがない。
「私だって変だと思うよ。自分の息子に惚れるなんてね。でも、これだけいい男、
少なくともその素質を持った男がこんなに身近にいると、他の男なんて、
まったく目に入らなくなるもんね。
そうでなければ、この私が独身でいる訳ないじゃないの。言い寄ってくる男なんて
星の数ほどいるんだから」
美里は上半身を古式の方へ乗り出し、にこやかに笑いながら古式の両手を取る。
「だからね。ゆかりさんも一人の女として、ずっと将の事を好きでいて下さい。
私にできたんだもの、ゆかりさんにだって出来るわ」
「女として?」
古式の質問に美里は答える。
「そう、女として。姉とか母とかの前に将の事を好きでいましょ」
(なんてことを言い出すんだ)
将はそう思ったのだが、それに対する古式の答えで更にのけぞってしまうのだった。
「そうですね。別に、好きでいても、いいんですよね」
明るい表情で古式はそう言ったのである。
封印が解かれる刻(12)
「ゆかりさん」
「はい」
「将の事、ずっと好きでいてあげてね。この子はこの通り鈍感な所もあるけど、
なかなか良い物を持ってるんだから」
美里がそう言うと、古式は首を横に振った。
「え?」
「それは、違います。私が、お慕いさせて、いただくのですから。
美里はしばらく古式の顔を見つめるだけだったが、やがて右手を額に押し当てて
笑いはじめた。
「こりゃ参った。一本取られたって、かな?さすがあの人の娘さんだね」
美里は楽しくてしょうがないと言った感じである。
「そのかわり、他の人を好きになった時はこんなニブチン、
さっさと捨てちゃいなさいよ」
ウインクしながらそう言う美里に、古式は首を傾ける。
「ずいぶん、先程と、おっしゃる事が、違いませんか?」
「だって、ゆかりさんみたいなお嬢さんなら、これからもっと素敵な人があらわれるん
だから、将なんかにかまってたら勿体ないじゃない」
「いえ、そうではなくて、将君の事、上げたり、下げたり、してませんか?」
「あ、あれ?あっ、そうかな?まあ、いいじゃないの。ね」
(何がいいんだよ)
蚊帳の外に置かれていた将は、一人そんな事を考えていた。
夕食を食べて来なかった古式は、お好み焼きを将達と一緒に食べた。
「お口にあうか判らないんだけどね」
と、将と美里は気にしたのだが、古式は喜んで食べ、2枚目まで頼んだ程である。
食事が済み、将が後片付けをしてる間、古式と美里はアルバムを開いていた。
無論、将のアルバムである。美里の説明に、古式は時に笑い、時に真面目な顔で、
アルバムをめくっていった。
写真が高校に入ってからの物になると、今度は古式が話すようになった。
そして、文化祭の時の、将がスコート姿になった写真のページを開いた時、
古式はにこやかに笑いながら美里に言った。
「この時、クラブの、お友達等から、私と、将君が、似ていると言うお話が、
あったのですよ」
「ええ、聞いてるわよ」
「あの時は、他人の空似、と言う事に、なったのですけれども、当然だったのですね。
姉弟なのですから」
「ずばり聞くけど、ゆかりさんが将の事、気にしだしたのって、この頃でしょ?」
将はそれを聞いて、洗っていた皿を流しにガチャガチャとぶちまけたのだが、
美里はいっさい無視した。古式は、と言うと、気付いているのかいないのか、
まったく動じない。
「どうして、判るのですか?」
「それはねえ、この写真を見ればなんとなく判るわよ」
美里は1枚の写真を指差した。
それは、昨年の秋のテニスの公式戦で優勝をした時の写真だった。
将を真ん中に、左右に詩織と古式が写っていた。
「ゆかりさん、嬉しいんだけど、寂しそうな表情をしてるでしょ?
それは将の視線が藤崎さんに向いているから、じゃない?」
古式は微笑んだ。
「お母様には、かないませんねえ」
「泊まっていけば?」
美里はそう言ったのだが、
「お父様、お母様に、これ以上、ご心配を、おかけする訳には、まいりませんので」
と断り、古式は帰宅する事になった。
夜も遅いし歩いて帰るには少々距離があるので、タクシーを呼んだ。
そして将が一緒に乗って送って行く事になった。古式がそう望んだのだ。
だが、帰りの車中は静かだった。
二人とも無言で、流れて行く夜の街並みを眺めていた。
「ここで構いません」
古式はそう言ってタクシーを止める。
「まだ、少しありますよ」
と言う将に、古式は答えた。
「雨も、上がった、ようですし、少し、歩きませんか?」
古式の家に向かう上り坂、それまで二人は無言が続いたのだが、家の門が見える頃、
古式が口を開いた。
「将君」
「はい?」
「一つ、お願いが、あるのですが」
「何でしょう?」
「・・・一度だけ、一度だけでいいです。私を、抱きしめて、下さいませんか?
お姉さん、ではなく、一人の、女の子として・・・」
その時、将は取るべき行動を間違えなかった。古式の言葉を最後まで待たず、
古式の首に手を回し、優しく引き寄せた。
「・・・ありがとうございます。明日から、明日からは、お姉さんになりますから、
今だけ、もう少し、このままで、いさせてください」
肩を震わせながら古式は将の背中に両腕を回し、その腕に力を込めた。
「はい、ゆかりさん」
最初で最後、将はそう言った。
その光景を遠くで見ていた複数の影があった。
”お嬢さんはもうじき帰ります”という美里の連絡に、待ちきれず門の所まで出迎えた
父とその部下達である。
「親分!」
「社長と言え」
「はっ、申し訳ありません。しかし、よろしいのですか?あのような狼藉?
一言言っていただければ、どのようにもいたしますが」
「良いのだ」
「は?」
「良いのだ。あの少年ならば良いのだ。黙っておれ」
「・・・へい」
「はい。だ!」
「・・・はい」
父親はいぶかしげな部下に一瞥もせず、遠くに浮かぶ一つになった二人の影を、
腕を組み見つめていた。
「将君」
「何?」
「インターハイに、行きましょう」
「はい」
雲の切れ目に星が一筋流れた。
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鈴鹿8時間(HQI01420@niftyserve.or.jp)
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