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ときめく時の中で総集編 第4集
ときめく時の中で(42)
別離と旅立ち、そして・・・( 1 )
1月1日、新しい年をむかえた将のアパートには、
例年と同じように和人が来ていた。
大晦日から泊まり込み、年越しそばを食べぐだぐだと朝を迎えると言うのが、
ここ数年のパターンなのである。
母の美里は、1度寝付いたらなかなか起きない方なので、二人はかなり騒がしい。
新年特番がつまらないと言うことで、朝も早くから格闘ゲームに熱くなっている。
(新年早々、何をしとるんだか)
二人ともそう思っていたのだが、口に出すのはやめていた。
「うぎゃー!!やられたー!!!」
将の使うキャラクターが、和人の使う女性キャラクターに関節技を決められた時、
思わず叫び仰向けに倒れ込んでしまう将だった。
「なんであの技が使えるー?
俺、2P対戦で相手立たせたままでも出せないぜ」
それに対して和人は勝ち誇ったように答える。
「フフフフ、修行の差だね」
「くそー、このハードの持ち主は俺なのにー!!」
将は起き上がり和人の腕をとる。
「現実の方が簡単だぞ。こう手首をとって・・」
「わーーーー!!!やめんか馬鹿者!!
将のはシャレにならん!!!」
そんな風に二人が騒いでいると、来客を告げるチャイムがなった。
「誰かな?ハイ、今出まーーす」
そうして将が出迎えたのは連尺だった。
「お、あけましておめでとう、連尺。今年もよろしくな」
「おめでとうございます。こちらこそよろしくね、将君」
「ところでどうしたの?新年早々」
「うーーーんとね、よかったら、一緒に初詣に行かない?」
ほんの少しのためらいのあと連尺は、おそらく用意して来たのだと思われる
台詞を口にした。
「うーーん、それもいいね。でも、今和人がいるんだ。
置いてく訳にはいかないんで、一緒でいいだろ?」
「領家君もいるの?・・・もちろん良いわよ」
「俺の事は構わずに行ってくれば?」
奥から和人が顔を出す。2DKの間取りでは、玄関の声はどうしたって、
部屋の奥まで聞こえてしまう。
「あっ、領家君、あけましておめでとう」
「おめでとうございます連尺さん。外は寒いからとりあえず中に入れば?
今、将に仕度させるから、ちょっと待っててね」
「領家君も一緒に行こうよ」
「そうだよ和人、一人で残ってどうするつもりだ?」
二人に誘われた格好の和人は、少しの間考えてから首を振る。
「いや、やっぱり寒いのは苦手だし、ここにいるよ。
それに今度は、立逆脇から裏閂まで持ってく練習するから」
その意味がわかる将は苦笑いするのだが、さっぱり意味のわからない連尺は、
きょとんとしている。
「わかったよ、和人。それじゃあ今仕度してくるからここで待っててくれよ。連尺」
「うん、いいわよ」
そうして将が仕度をしていると、今度は電話が電子音を鳴らした。
「何だか忙しいな」
そう言いながら受話器を取ると、そこから聞こえて来たのは元城の声だった。
「おおっと、吉野いたか?」
「元城キャプテンですか?あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします」
「あけましておめでとう。こっちこそよろしく。
ところでなあ、今、テニス部の連中と初詣に行こうって話が出てるんだが、
吉野、お前今行けるか?」
「ええ、こっちも今連尺が来てて、出かけようかと言うところです」
「なんだ連尺、そっちに居るのか、つかまらない訳だ」
そう言って元城は、受話器の向こう側でなにやら会話を交わしている。
公衆電話なのだろう、背後の雑音に紛れて会話の内容まではわからない。
「じゃあ、お前の家まで行くから待っててくれあと一人来るから、
20分ぐらいしたらそっちへ行けると思う」
「えっ、こちらから行きますよ?」
「いいよ、そっちはほとんど通り道なんだから、待っててくれれば」
「そうですか、・・・わかりました。お待ちしています」
そうして静かに受話器を置き、玄関にいる連尺を見る。
将が自分の方へ向いたので連尺は聞いた。
「元城キャプテンだったの?」
「そう、今からこっちへ来るそうだ。連尺知ってた?」
「ううん、知らないわ」
「そうか、突然決まったんだな・・・まあ、いいや。
連尺、時間はいい?ここで待つ?」
将にそう言われて、連尺は一応、自分の腕時計を見る。
実は、そのあとにこれと言った予定はないのだが、考える振りをしてしまった。
なぜなのか?それは本人にもよくわからない。
「・・・えーーと、ええ、良いわよ。ここで待つわ」
「それじゃあ、きたない所だけど上がって待っててよ。
今、何か飲むもの入れるから」
「いいのよ、お構いなく」
「連尺さん、この家に来たら、遠慮は通用しないよ。
”夕食は食べて来ました”と言っても、”じゃあ、明日の朝食分食べなさい”
なんて言われるんだから」
和人の言葉に、連尺が受けて笑い出すと、ふたたび玄関でチャイムが鳴る。
「おいおい、20分なんて経ってないぞ」
将はこの時元城達が来たものと思い込んでいたため、玄関を開け、
意外な人物を認めて思わず声を上げる。
ほとんど面識はない。同じ学校の2年生なのだが、校内で出会った記憶はない。
和人の兄の結婚披露宴で1度会っているだけなのだが、その特徴のある髪型で、
よく覚えているのだ。
「館林さん、・・・でしたよね」
「ハイ、あけましておめでとうございます」
「あっと、あけましておめでとうございます。ところで、どうしてここに?」
「ハイ、お義兄さんに聞いたら、和人さんはこちらだろうと言われまして」
「和人に用?」
「ハイ」
「じゃあ、ともかく中に入ってください」
「ハイ」
館林を招き入れ、将は、
(なんだか、本当に新年早々忙しいなあ)
と、心底思っていた。
ときめく時の中で(43)
別離と旅立ち、そして・・・( 2 )
将のアパートの前は、車が6台置ける駐車場になっている。
普段は車があるのだが、きっと正月という事で出かけてるのだろう、
今は一台もない。
その場所に、将達は集まっていた。
集まったのは、ほとんどがテニス部がらみである。
元城、米津、芳川、古式、連尺、四本松、意外と言えばその四本松と一緒に、
如月が来ていた事だろうか。
館林が来たので和人も行く事になったため、将を含めると結構な人数である。
「キャプテン、いったいどうしたんですか?
新年早々こんなに集まって」
「・・・・・おお、キャプテンてのは俺のことか。
頭ボーッとしてて判らなかったぜ」
「・・・・・・・・・・・・・・・キャプテーン」
「やあ、すまんすまん」
将の質問に、全く抜けた反応をしてから元城は答える。
「いやあ、それがすごい偶然でさ。まず二年参りで米津に会って、それで、
初日の出見ようかって事になったんだ。
ファミレスで朝まで時間潰したりして、海に行ったら四本松がいるじゃないか」
「如月さんとですか?」
その会話に四本松と如月も加わる。
「ええ、毎年のように、未緒ち・・如月さんと初日の出を見に行くんです」
「二人とも元気な時に限られるんですけど、・・・今年はいい年でありますように、
ってお願いするんです。ね、優ちゃん」
「ええ、そうなんです」
そう言って、四本松と如月はにこりと笑う。
将にはその笑いの意味が判らなかったが、とりあえず話を進めようと
元城に向き直った。
「で、どうしたんです?それから?」
「そうそう、で、これはすごい、このまま初詣に行こうって事になって、どうせなら、
あと何人集まるか試してみようと思って電話した訳。
まあ、結局連絡取れたのは、古式と芳川だけなんだが」
「元気ですねー、眠くありません?」
「はっきり言って眠いが、大丈夫。帰ってから寝るさ」
その言葉で、珍しく米津が声を上げて笑った。彼もハイになっているようだ。
「すまんな吉野、藤崎が捕まらなかったよ」
笑いを収めた後、米津が将に向かって言った。
「あっ、そう言えば先輩がいませんね」
将の言葉に米津は将に近づき小声で答える。
「とぼけるなよ、出迎えて全員を見回した後、いきなり残念そうな表情していたぞ。
藤崎がいなかったから、だろ」
「違いますよ」
「・・・・まあ、そういう事にしておこう」
「しておこうじゃなくて、そうなんです!」
将が少しむきになったので、かえって答えがはっきりしてしまったのだが、あえて、
米津はそれ以上は追求せずに会話の方向を変えた。
「なんでも、朝早く電話があって、出かけたらしいんだ」
「誰からなんですか?」
「さあ、そこまでは」
ニヤリと笑って答える米津に、将は(やられた)と思った。まんまと、
誘導尋問に引っ掛かってしまったようだ。
将の内心そのままの表情に再び声を上げて笑う米津であった。
ともかく一行は、神社に向かって行った。
これだけの人数となると、会話の相手も内容も、ばらばらになりがちである。
そんな中、和人と館林は終始二人で会話をしていた。
「兄貴は元気にやってる?」
「ええ、元気ですよ。先日も新しく買ったビデオを一所懸命つけてましたよ」
「兄貴の事だから気を使ってるんだろうな、そちらの家の人には」
「はい、私もよくしてもらってます。
そんなに気を使わなくても良いのに、って思うことがあるくらいですよ」
和人は静かに笑ってうなずく。
「兄貴らしいなあ。・・・ところで今日はどうしたんです?
ひょっとして、兄貴に何か頼まれたりした?」
「えっ!どうしてわかったんですか?
・・・・あっ、いけない、内緒にしておくように頼まれていたのに」
館林は、和人に核心を突かれていともあっさり口を割ってしまった。
「兄貴の事だから、俺に見晴さんを館林の家まで送らせるつもりなんだろう。
全く、手が見え透いてるぜ」
館林はあわてて、義理の兄である之信を弁護する。
「お義兄さんは和人さんが心配なんですよ。新年ぐらい顔を見せろって言ってました」
「・・・・しょうがないなあ、わかりました。
見晴さんの顔を立てて、兄貴の策に乗りますよ」
「わー、良かったあ、”任せてください”って言ったものの不安だったんだ。
じゃあ帰り、送ってくださいね」
「はいはい、わかりましたよ」
はっきり言って、和人はこの館林が苦手である。
なぜかと言われると答えに窮するのだが、その点を、いつも兄、之信に突かれるのだ。
二人がそんな会話を交わしている内に、一行は神社に着いた。
さすがに新年の一日、境内はかなりの人ごみであった。
将達は、人の流れに任せて進んで行く。
「姉さんは何をお願いするんですか?」
ちょうど横並びになった古式に将が尋ねる。
「そうですねえ、やはり、今年も、無事に、すごせますように、ですかねえ」
いつの間にか、この会話のスピードにもすっかり慣れた将である。
ところが今日は少し違った、突然少し背伸びをして将の耳元に顔を近づけ、
小声で話したのだった。
「将君と、詩織さんが、うまく、いきますように、とも、お願いしようと、思って、
いるのですよ」
最後まで将は聞けなかった。顔を真っ赤にして慌てて顔を離す。
「もう!姉さん勘弁してくださいよ!」
将はそう抗議したのだが古式の反応は全くなかった。
全然別の方に意識が向いているようだったのだ。
「どうしたんです?姉さん?」
「あれは、その、詩織さんでは、ありませんか?」
古式の指差す先、お参りを済ませ帰る人波の中に晴れ着姿の詩織がいた。
「藤崎先輩!」
声を上げた将に詩織も気がついた。
「あら将君、それにみんなもどうしたの?」
「藤崎こそ、どうしたんだ着物なんか着て」
元城の言葉に連尺が続く。
「詩織先輩、奇麗」
「あら、ありがとう。お正月ぐらい着ないと機会がないからね」
「一人なのか?」
米津の言葉に詩織は思い出した様に答える。
「お友達と来たんだけど、はぐれちゃって。
もしはぐれたら、鳥居のところで待ち合わせする事になってるの。
まさか本当にはぐれるなんて思わなかったな。そういう訳なの、ごめんなさい。
先に行くわね」
そう言い残し行こうとした詩織だったが、すぐにふり返る。
「あけましておめでとう、今年もよろしくね」
それぞれがそれに答えると、詩織はその場を離れた。
実はこの間、将は詩織の晴れ着姿に見とれボーッとしてしまい、
一言も話せなかったのである。
ときめく時の中で(44)
別離と旅立ち、そして・・・( 3 )
3学期が始まって三日目の放課後、キャプテンという言葉に、
ようやく慣れてきた元城が、別名”冷蔵庫”と呼ばれる電脳部のドアをくぐっていた。
「おお、紐緒、俺のノートパソコンどうなった?
年末、パーツを大量に仕入れたらしいけど」
元城の声に、デスクに座りモニターを見つめていた白衣の女生徒、紐緒がふり返る。
前髪を長くのばしているためその瞳の片方を見る事はできないが、見るからに、
理知的な印象を受ける人物である。
「どうなった?じゃないわよ。冬休みの間、私の所へ預けっぱなしで、
何の連絡もよこさないなんて、いったいどういうつもり?」
やや、けだるそうにも聞こえるその声には、非難と言う名のスパイスが、
たっぷりとかけられていたが元城は意に介さない。
「いやー、すまんすまん、いろいろとあってな。
だけど、しばらく預けて行けと言ったのは紐緒の方だろう。
”こんなマシンを持ってくるなんて、私への挑戦?”とか言ってさ」
「何を当たり前の事言ってるの、あなたの持って来た貧弱なパワーのマシンで、
この私の作るプログラムが使いこなせると思うの?」
「全くその通りだと思ったから、お任せしたんじゃないか。
こと理系に関して右に出る者のない紐緒様に預けておけば、安心だしな」
「あなたにしては賢明な判断だったわね。・・・ま、許してあげるわ」
紐緒はそう言って椅子から立ち上がり、電脳部室の一番奥にあるスチール製の
ロッカーを開け、1台のノートパソコンを取り出す。
「はい、これよ」
それを受け取り、元城は感想を疑問の形にして口にする。
「なんか、以前より軽いような気がするけど?」
「あなたねえ、もう少し勉強した方が良いわよ。
誰からもらったのかは知らないけど、体よく捨てられたも一緒よ。
ある程度使えるようにするためには、少し前の型落ちのマシンが買えるぐらい、
予算がかかるところだったのよ」
「ええ!そうだったの?いくらぐらいかかったのかな?」
元城の質問に、紐緒は少し暗算してから答える。
「まあ、その十分の一と言う所ね」
「すげーなあ、ちゃんと明細出してくれよ、金は払うからな」
「そんなものはいいわ、これはこれでいい研究材料になったから」
「そう言う訳にはいかんよ、こちらから頼み込んだんだから」
「私に命令するつもり?」
「そういう問題じゃないだろう」
「・・・・・」
「・・・・・」
お互い黙り込んでしまった。どうも会話の焦点がずれているようなのだ。
「その話は後にしましょう」
そう言ったのは紐緒の方であった。どうやらこうしていても時間の無駄だと、
判断したらしい。
「そもそもの頼み、テニス部の練習スケジュール管理を効果的にするプログラムの事
だけど、これでどうかしら?」
元城の手から素早くノートパソコンを取り上げ、立ち上げる。
「全くの初心者でも使える、と言うのが一番難しかったわ。
使うキーを制限して手順を画面に表示させたから、ほとんど電卓を使う感覚で
使えるはずよ」
キーを叩きながら説明する紐緒の後ろから、元城は黙って見ていたが、
思わず声を出してしまう。
「これ、本当にお前が作ったのか?」
「この程度のプログラムが作れないようでは、私の野望は到底不可能な物になるわ」
「だからよー、その野望ってのはなんなんだ?」
「それはいずれ判る事よ」
「・・・・・はい、はい」
元城は、以前から紐緒の言う、野望と言うのが、いったい何なのか、
知りたがっていたのだが、なかなかガードが固くいまだに知り得ないでいる。
そんな訳で、紐緒が少しばかり高圧的な態度で接しても、事ある毎に、
電脳部に顔を出すようになっていた。
最初の頃は、”なれなれしい”とまで言われたものだが、
いつの間にか言われなくなり、プログラムを頼めるようになっていた。
「ちょっと待て、この”時間の経過における酪酸濃度の上昇率変化”てのはなんだ?」
液晶モニターに見慣れない(聞き慣れない?)項目を見つけ元城はたずねる。
「人間が疲労してくると、これが血液中に増えるのよ」
「だからそれをどうやって調べる?」
「装置ないの?」
「だーーーーー!!あったりまえだろうが!!たかが高校のクラブだぞ!
そんなたいそうな物あるか!!」
「そうか、ハードウェアが間に合わないと言う事もあるのね」
何事か考え込む紐緒に、元城は少々呆れた様に言った。
「紐緒、お前ももう少し世情の事を勉強しろよ」
元城のこの言葉に、紐緒は少し驚いたような表情を浮かべる。
「この私にそんな口をきく人間は、なかなかいないわよ」
「将来はどうか知らんが、今は同じ高校2年生じゃねえか、何を威張ってる?」
「・・・・・」
その言葉に紐緒は答えず、ただキーを叩いていた。
「だーーー!なんだこれはーーー!!」
その後しばらくの間、元城のそんな声が時折電脳部の部室から聞こえてきた、
と言うことである。
その頃将は、学校の帰り道にある大型書店の料理書コーナーにいた。
新しい料理の本を物色中なのである。
家にもいろいろ揃えてはあるのだが、レパートリーと言うものは、
無限と思えるほど広がるようで、いくら買ってもきりがない。
もっとも、それが料理の楽しみと言ってしまえば、確かにそうなのだが。
「もうバレンタインか」
そんな事を口にした将の前の棚には、バレンタイン用の本が並べられていた。
「手作りチョコレート」
「チョコレートケーキの作り方」
といった題名の、カラフルな本が並べられているのを見て、
将は先日早乙女優美が言っていた事を思い出した。
(あの時はクリスマスだったが、こうして思うと、女の子はこの時期、
お菓子ばっかり作っているみたいだなあ)
などと考えて、その内の1冊を手に取って中を見てみた。
(なるほどねえ、お菓子ってのも面白いかもな)
将自身は気にしていないが、学生服の生徒がバレンタイン用の本を、
立ち読みしているというのはなかなかみられない構図である。
そんな将に声をかけたものがいた。
「吉野君って、そう言うの作るの?」
その声の持ち主に将は見覚えがあった。
将の所に初めてクラブの勧誘に来たサッカー部の2年のマネージャー。
名前は。
「・・・虹野さんでしたよね」
「あら、覚えていてくれたの?」
「そりゃあもう・・・」
ここまで言いかけて、将は思い出したように手にしていた本を慌ててもとに戻す。
「ええっと、これはですねえ・・・」
顔を赤くしている将に、虹野は笑いかける。
「そんなに恥ずかしがらなくてもいいわよ。
吉野君が料理の上手な事、人から聞いて知っているのよ。
お菓子作ろうかと思ったんでしょ?私もお料理好きだから判るわよ」
そう言って片目をつぶる虹野に、将は頭をかいて答えるのみだった。
ときめく時の中で(45)
別離と旅立ち、そして・・・( 4 )
学校帰りの書店で、将はサッカー部のマネージャー虹野沙希と偶然出会った。
昨年の6月、複数の運動部が将を勧誘したとき、
1番初めに来たのがサッカー部の彼女だったのである。
「テニス部でがんばってる様だね。活躍は聞いてるわよ。
・・・でも本当に残念だなあ。吉野君がいてくれたら、
今年のお正月は国立競技場にいたかも知れないのに」
つまり、全国大会に行けたと、虹野は言っているのだ。
サッカー部は残念ながら地区予選で敗退していたのである。
「とんでもない、それは買いかぶり過ぎですよ。
俺はたまたま、運が良かっただけです」
「あれ?テニスって、運だけで勝ち抜けるものなのかな?」
彼女を知る人間ならば、きっと意外だと思うだろう。
彼女にしては少々意地悪な言い方に将は戸惑った。
「・・・いえ、そんな甘いものじゃありませんよ」
「そうでしょ。やっぱり、吉野君はすごいのよ。自信を持たなきゃ、ね!」
「・・・はい」
虹野の言葉に、将は照れたように笑いながら返事をした。
そして今度は逆に、将が虹野へ質問した。
「ところで、虹野さんも料理するんですか?」
「うん、お料理するのは好きよ。それに、美味しいって言われるのは嬉しいし、
お弁当作ったりする時なんか、すごい早起きしたりするんだ」
「そうですよね。美味しいって言われると、”ああ、苦労して作って良かったなあ”
なんて思いますよね」
「そうそう、面白いよね。吉野君、判ってるね」
将にしてみれば料理は必要に迫られてやっていたものだが、気がつけば、
確かに虹野が言う通り、面白い物でもある。
「そうすると、虹野さん、2月14日はやっぱり手作りですか?」
「え?・・・うん、一応手作りだよ。去年なんか、朝までかかっちゃって、
目が赤くなってしまったのよ」
「で、義理チョコはみんな同じ形だったりして」
「ええっ?どうして判るの?」
「やっぱり、そうですか。それで本命だけは力入れて作るんでしょ。
ありがちな事ですよ」
「うーーん、他の人に渡す物も、もう少し考えないといけないのね」
将の言葉が虹野へのアドバイスになったようで、彼女は少し考え込んでしまった。
話もここ辺りで切りだろうと将が思っていると、虹野が声を上げる。
「そう言えば、テニス部に有玉さんっているでしょ?」
思いがけない質問に驚きながらも、将は答える。
「ええ、いますよ。・・・・それが何か?」
「良かったらでいいんだけど、その人について教えてくれないかな?」
その質問の意味を考えていた将だったが、ふと一つの仮説にたどりついた。
「ひょっとして、虹野さんの本命ですか?」
そんな質問が来るとは思ってなかったのだろう、思いっきり慌てて虹野は否定した。
「ううん、そうじゃないの。私の友達の話なの。私には、別に、あっ!」
そこまで言って、虹野は右手で口元を抑える。
慌てたので、つい、言わなくてもいい事まで言ってしまった。そんな感じである。
その反応に将は笑いながらも、少しばかり真面目な顔になった。
「事情はわかりましたけど、先輩の私生活なんかはよく知りませんよ。
それに知っていたとしても、こういう形ではお話できませんね」
将の言葉に,虹野もうなずく。
「そうよね。こういう事、あまり当人の知らないとこで話すのって、やっぱり、
マナーに反する事だよね」
反省した様子の虹野に、かえって将の方が罪悪感を覚えた。
「そんな大袈裟にとらないでください。
俺だってそんなに偉そうに言えたものじゃないんですから」
「でも,やっぱり私が間違ってたわ」
そう言われると将の方も考えてしまう。
考え抜いて、このぐらいならいいだろうと思われる情報を口にした。
「少なくとも、先輩が誰かと付き合ってるという話、俺は知りませんよ」
「え?」
虹野は、きょとんとした顔になってしまった。
「だから、知ってたとしても話せないって言ったでしょ。
だから、知らない事は話せます。
でも間違ってるかもしれません、なにせ知らない事ですから」
将の言葉の意味を時間をかけて理解した虹野は、納得したというか、
呆れたというか、どちらともとれる表情になった。
「吉野君て、意外と詭弁家なんだ」
「そんな言い方は、ないんじゃないんですか?」
少しすねたような将に、虹野は軽く笑った。
「ごめんね、でも吉野君の理屈、あまりにも見事だったんだもん。
ありがとう。友達にはそう言っておくわ」
そうして二人は会話を切り上げ、それぞれ1冊づつ料理の本を買って、
帰ったのである。
家に帰ると、ここ数年では珍しい事が将を待っていた。
「はい、これ」
出かける間際、美里が将に手渡した2枚のチケットはスケート場の招待券だった。
「なにこれ?」
「なにこれって、見ての通り、スケート場の招待券じゃないの」
「誰が、そんなボケかませって言ったんだよ。
どこから手に入れたのかって聞いてるの」
「お店のお客さんにもらったの、そこの関係者の方がいてね」
「で、これを、俺にどうしろって言うの?」
将の答えに、美里は靴を履きかけた姿のままで2瞬ほど硬直してしまった。
その硬直を解き、腰に手をあてて将に向き直る。
「あーーーっ!、もうじれったいね!
誰かさんを誘って行くに決まってるんじゃないの!
念のために言うけどそれは和人くんじゃないよ!!
いくら何でもそこまで鈍感じゃないでしょ」
将は精神的に後退した。
「そ、そ、それはどういう意味かな?」
「殴るよ、ほんとに。
まあ、無駄にはしないでよ。それでもって・・・・が ん ば れ よ。
じゃあ行って来ます」
そう言ってからウインクを残して、美里は玄関を出ていった。
残された将は、右人差し指で右の頬を3回ほどかいた。
そして・・・。
将は、しばらく電話の前で思案にくれていたが、
「よしっ」
と一言言ってから、受話器を上げる。
アドレスをめくりダイヤルする。
呼び出し音が3回鳴り、そして4回目で中断される。
心臓が跳ねるのを自覚しながら精一杯声を落ち着かせる。
「藤崎さんのお宅ですか?」
ときめく時の中で(46)
別離と旅立ち、そして・・・( 5 )
「よしよし、お前にしては上出来だ!
なんにしろ、あの藤崎さんをデートに誘えたんだからな。
よくやった、よくやった」
昼休み、教室移動のため、化学教室へ向かう途中の廊下で、
まるで自分のことのように喜びながら、和人は将の背中を何度も叩いた。
かなり手荒な祝福ではある。
3日前、美里からもらったスケート場の招待券を利用して、
将はデートに誘うべく、詩織の家に電話を入れた。
「藤崎さんのお宅ですか?」
「はい、藤崎です」
電話に出たのは詩織本人だった。
家の人がでたらどうしようか?などと考えていた将は、
いきなり軌道修正を強いられた。
「あっ、藤崎先輩ですか?吉野です。こんばんわ」
「あら、将君?こんばんわ。どうしたの?」
いろいろ切り出し方を考えていた将だったが、詩織本人が出たことで、
全部吹き飛んでしまった。
「あのですね、今度の日曜日、スケート場に行きませんか?」
そのため、ここまでの過程を全て飛ばして、いきなり結論に入ってしまった。
(あ、これはまずい)と気がついた将は、詩織が返事をする前に、
ここまでの説明をした。
「実はですね、家の母がスケート場の招待券を2枚持って来まして、
・・・それでですね・・・ええと、日頃お世話になっている先輩に、
せめてもの恩返しをしようと思った訳です。
よろしかったらでいいのですが、・・・・どうでしょうか?」
どたばたしながらも、何とか将は、状況の説明ができた。
「えーーとねえ、うん、いいわよ」
「本当ですか?」
駄目で元々、と思っていた将は思わずそんな返事をしてしまった。
「もちろんよ」
「それじゃあ、今度の日曜日、スケート場の前という事で、いいですか?」
「わかったわ、忘れないで来てね」
「忘れる訳ありませんよ、それではおやすみなさい」
「はい、おやすみ将君」
電話を切った途端、傍らにあった何の罪もないクッションに、
将は右ストレートを3発叩き込んでいた。
和人がその事を知ったのが、3日後の今、と言う訳である。
「正直言って断られると思ったのになあ、未だに信じられないよ」
和人の手荒い祝福に、将は背中を手で押さえながら素直な感想で答える。
確かにそうであろう。
電話の翌日からの練習でも、詩織の将に対する態度が変わる訳でもないので、
将としては実感がわかないのである。
もっとも、それを意識されたとしたら、それはそれで、
将にとっては困った事になるだろう。
「でも思うんだけど、藤崎先輩は俺の事、特に意識してないのかな?
和人はどう思う?」
しばらく将の質問の意味を考えてから、和人が答える。
「意識というのが、どういう意味なのかが判らん。もう少し判りやすく説明してくれ」
「うーーーん、つまりさあ、先輩にとって俺ってのは、手のかかる弟程度にしか、
思われてないのかな?
だから、簡単にいいと言ってくれたんじゃないかな?ということ」
「そうだなあ」
和人はしばらく考え込んでいたが、すぐに答える。
「それは十分に有り得るな。なにしろお前、藤崎さんに甘えてるからなあ」
「・・・・ずいぶんはっきり言うな」
「どうでもいい奴なら、当たり障りのない事で済ますさ。
でも、これは将自身感じている事じゃないのか?」
「・・・・」
正に図星と言うもので、将は返す言葉がなかった。
その姿を見て和人はさらに追い討ちをかける。
「将は基本的に、マザコンなんだよ。
ま、お前のおふくろさんのように奇麗な人なら、仕方がないって気がするけど、
藤崎さんは、おかあさんじゃないって事だ」
「判ってるさ、そんな事は!」
「でも、人から言われるとこたえるだろ」
「う・・・・」
またもや将は声を失ってしまった。
「あれこれ想像する事はできるけど,結局は藤崎さん自身に聞いてみなけりゃ、
わからない事だし、なるようにしかならないよ」
「他人事だと思って」
「まあな。でも、少なくとも悪い印象は持たれてないと思うぜ。
頑張るこった」
「なんか、激励されてる気がしないけど、気休めにはなるよ」
そんな事を話している内に化学教室に着いた。
グループが同じなので同じ実験テーブルの席に腰を下ろし、和人が話題を変える。
「とりあえずは、藤崎さんとのデートの方が大事だが、
将、お前一度連尺さんを誘った方がいいぜ」
「何で?」
「何でって、お前バカか?」
「なんだよ」
「バカ」などと言われれば、さすがにムッとしてしまう。
「元旦の時、家に来てくれただろうが。
あれは、どう考えても、お前を誘いに来たんだぜ。
せっかく俺が気を利かせて二人で行かせてやろうと思ったのに、結局、
テニス部ツアーになっただろ。きっとがっかりしてるぜ」
「そう言うもんなのかな?」
「絶対そうとは言えないけど、一応フォローしておいた方がいいんじゃないか?
と言うことだな」
「連尺って、あまりそういう事気にしない様にも思えるけど」
「そうかも知れん、でも、違うかも知れないぜ」
将は考え込んでしまった、和人の言うことに一理あるような気がしたからだ。
しかし、
「フォローって言ったって、具体的にどうすりゃいいんだ?」
「まあ、俺が探りを入れておくよ、待っててくれ」
将の疑問に答える和人に、将はさらに質問しようとした。
(なにをする気だ?)
しかし、これは授業開始のチャイムに中断されて、言葉にはならなかった。
ときめく時の中で(47)
別離と旅立ち、そして・・・( 6 )
「将君、スケートはどのくらいできるの?」
「スケートなら、俺に任せて下さい、と言いたいんですけど、小学校以来ですから。
どこまで出来ますかね?」
将は、詩織と初めて二人だけでスケート場に来ていた。
将にとって、女性とデートをする事自体、生まれて初めての事であり、
朝からいつもと違う自分を自覚していた。
実の所、昨夜は緊張感と期待感が見事なタッグを組んで、
安眠と睡魔をリングの外に追い出したため、よく眠れなかったのである。
加えて、スケートは小学校以来でうまくできるか不安であった。
詩織の問いかけに対する将の答えは、全く嘘偽りのない本心から生まれたものだ。
が、実際に滑り出すとそれはいらぬ心配だったようだ。
一応、滑る事は体が覚えているらしく無難にこなす事ができ、ともすると、
詩織をリードする事さえ出来た。
「将君、スケートも上手なんだね」
詩織のそんな感想に将は照れながら答える。
「何とか滑れると言う程度ですよ。すぐにメッキがはげますよ」
「ふーん、そうは思えないけどな。それじゃあ、メッキがはげるその前に、
一休みしようか?」
「そうですね、そうしましょうか」
そうして二人は、リンクサイトのベンチに腰掛け、ジュースを飲みながら、
しばらく休む事になった。
日曜日と言うこともあって、リンクの中は多くの家族連れや、
若い男女のグループなどで賑わっていた。
その光景を眺めながら詩織が口を開いた。
「ねえ、将君」
「なんですか?」
「私達って、周りからはどう見られるのかな?」
「え?」
それはその時、将自身も考えていた事だった。
できる事なら恋人同士に見られたい、と思っていたが、
現実的に考えて結論を出していた。
その結論をそのまま詩織への答えとした。
「そうですねえ、やっぱり仲のいい姉と弟、と言う所じゃないですかね」
ほとんど間髪を入れずに詩織が返す。
「あら?それは、私が老けて見えるって事かしら?」
少々意地の悪い言い方に将は慌てて反論する。
「とんでもない!藤崎先輩は、俺が言うのもなんですが可愛いし、素敵ですよ。
ただ、俺の方に問題があると言うことで・・・」
「可愛いなんて、将君に言われると何だか照れちゃうけど、とっても嬉しいな。
ありがとう」
「そんな、本当にそう思っただけです・・・すいません生意気言っちゃって」
「ううん、いいのよ。
それに将君に問題があるって言ってたけど、それこそ、そんな事ないわよ、
将君も素敵だよ」
「そ、そうですか?」
詩織から予想外の単語が飛び出たため、将は戸惑ってしまった。
そのために、詩織の次の言葉を聞き逃すことになる。
「・・・・に見られるかもね」
「え?なんですって?」
「ううん、なんでもないの、さあ、また滑りましょう」
「?・・・はい」
そうして二人は再びリンクに出た。
冬の日は短い、午後4時を過ぎれば、早くも夕闇の気配が訪れる。
将と詩織は、スケート場を出た後、喫茶店で一休みしたり、
ウィンドウショッピングなどをしていたが、そろそろ潮時となった。
「今日はとっても楽しかった、また今度誘ってね」
詩織の言葉に、将は正直言って驚いた。
「え?いいんですか?」
「もちろんよ、楽しみにしてるわ」
たとえ社交辞令がその大部分だったとしても、将にとって、
これ以上の言葉はなかった。
「それじゃあ、途中まで一緒に帰りましょう。将君」
「はい」
将にとっての今日は、まずは、合格点の与えられる一日として終わっていった。
しかし、別の場所、別の人物にとって、今日という一日は、
また違った物となっていた。
話は前日へとさかのぼる。
「ハロー、こんにちは有玉先輩」
廊下で片桐の元気な声に呼び止められ、有玉はふり返る
「ん?ああ片桐か。元気でやってるか?」
「アイムファイン、元気でやってるわ。ところで、例の絵のことなんですけど」
「あれか、出来たのかい?」
「ええ、それでお渡ししたいのですけど、受験勉強とか大変でしょうけど、
いつかお休みとれませんか?」
学校で渡すという選択肢がない事実が、彼女にとって重要な事であると
有玉にはこの時点で判った。
「・・・それじゃあ、急で悪いんだけど、明日はどうかな?
片桐も早い方がいいだろ」
「ok、いいわよ。場所はどこにしましょうか?」
「ショッピング街の入り口の喫茶店、知ってるか?」
「ええ」
「それじゃあそこにしよう」
そうして、その翌日の今日である。
先に来ていた有玉、後から来た片桐、それぞれがその姿を認めた時、
お互いに胸の動悸が高鳴った。
・・・その意味は違った物ではあったが。
ときめく時の中で(48)
別離と旅立ち、そして・・・( 7 )
片桐の頬は上気し、朱に染まっている。
それは時間に遅れそうになったため走って来たから、だけではない。
その事は、今、正面に座っている有玉にも判る。
ウェイトレスが有玉にコーヒーを、片桐にレモンティーを運んでくるまで、
二人は取り留めもない話をしていた。
二つのカップがテーブルの上で、それぞれ違う湯気を立てるなかで、
片桐が、約束の絵を有玉に渡す。
「中、見てもいいかな?」
有玉の問いかけに片桐は黙ってうなずく。
その絵は画材店の包装紙に包まれていた。
そっけない包みだが、片桐なりにいろいろ考えた結果の事である。
あまりプレゼントという事を意識しすぎた包装では有玉がいやがるだろう、
それは簡単に想像できた。
かといって、余りにみすぼらしくては彼女のプライドと美的感覚が、
それを許すはずがない。
という理由から、結局、当たり障りのない画材店の包装紙で包むこととなった。
彼女にとっては妥協と思案を重ねたぎりぎりの選択であったのだが、
有玉はそこまで察する事はできなかった。
第一、これほどしっかりした絵をもらう事自体、有玉には初めての事であり、
(こういうものなんだな)と思う程度のことであった。
「へえ、うまいもんだなあ。
・・・・でも、ちょっとばかり照れ臭いかな?
いや、ありがとう、嬉しいよ」
その包装紙を丁寧に開けた有玉の第一声である。
絵は、やはりと言うべきか、有玉がモデルであった。
夕暮れのコートの中に立つ、ラケットを手にしたテニスウェアの一人の男子、
それが有玉である事は、一目瞭然であった。
そしてそれは、ラケットの形までしっかりと観察されたものであった。
「リアリイ、本当に、そう言ってくれると嬉しいわ」
「ああ、大事にするよ。飾る所を考えないとな。
でも、これがNGになったものだなんて信じられないよ」
その言葉に反応した片桐が、ほんの少し肩をすくめたのを有玉は見過ごさなかった。
「・・・ひょっとして、新しく描いたとか?」
コクリとうなずく片桐に、有玉は微笑む。
「そうか・・・」
「ソーリイ、ごめんなさい。どうしても描き直しでは駄目だったの」
「いや、いいんだ、ありがとう」
そうして、その絵を描いている時の話やお互いの近況などを、
しばらくの間話した後、
「そろそろ出ようか?」
と言う事になった。ほとんど、暗黙の了解と言うべきものであった。
しばらくの後、二人は近所の公園にいた。
そして、片桐はここで足を止めた。
やや斜め後方にいた有玉にふり返る。
用意していたのであろう言葉を、その形のよい唇から絞り出す。
「私、その絵が完成したら、有玉さんに言おうと思ってたことがあるんです」
有玉を見つめようとするのだが、その視線を定める事が出来ないまま、
片桐は精一杯の勇気と共に、その”思っていたこと”を言葉にした。
「私、有玉さんが好きです。
ずっとその姿を追いかけているうちに、自分でもどうしようもないほど、
好きになってしまったんです。
良かったら、・・・私と付き合ってくれませんか?」
あまりにストレートな表現は見事に彼女らしいものであった。
(ついに言った)
片桐は思った。
(ついに言われた)
有玉は思った。
思い出したように、ふいに冷たい北風が吹き二人の間を駆け抜けて行く。
その風を見送る時間をおき有玉が答える。
「・・・ありがとう。片桐のような魅力的な女の子に言われたのだから、
とっても嬉しいよ。
この絵を見れば、きみがいかに僕の事を見ていてくれたかよく判る。
・・・・ありがとう・・・・でも・・・」
「新橋さんですか?」
「・・・!?」
片桐の思いがけない言葉が有玉を驚かせる。
「どうしてそう思える?」
「絵は、まず、よく見る事から始まるんですよ。
最初は判らなかったんですけど、その内有玉さんと新橋さんが、よくアイコンタクト、
目と目で合図していることに気付いたんです。
もしかしてとは思っていたんですけど、・・・コレクトアンサー、正解でしたね」
笑顔を絶やしてはいないが、片桐のその表情には影がつきまとっていた。
「わずかな可能性にかけたんだけど、・・・」
「すまない」
片桐は一瞬目を伏せてから、その答えの意味を噛み締めた。
そしてふたたび顔を上げた時には、それまでの笑顔と変わらないものとなっていた。
「うーーーん、残念、残念、でもその絵は受け取ってくださいね。
モデルになってくれたお礼なんですから」
「ああ」
「新橋さんと仲良くしてくださいね」
「もちろんだよ」
「・・・それじゃ」
そう言い残し走り去ろうとした片桐を、思わず有玉は呼び止めてしまった。
「片桐!」
振り向く片桐にかける言葉はなかった。
本来呼び止めるべきではなかったのかもしれない。
それでも有玉は声をかけずにいられなかった、そして、ごくありきたりの言葉を、
いろいろな感情を込めたつもりで口にした。
「・・・ありがとう・・・」
その言葉に、片桐は無言で力強くうなずいてからその場を立ち去った。
2月14日に向け、虹野沙希はチョコレートのレパートリーを広げるべく、
自宅で本と格闘していた。
「やっぱり、「義理」でも考えなきゃ」
と言う訳である。
その時、来客を告げるチャイムが鳴り、虹野は一時その手を休め玄関に向かう。
「はーーーい、どなた?」
ドアを開けると、そこには見慣れた笑顔の片桐が立っていた。
「ハーーーイ、サッキー、グッドイーブニン!」
「あら、彩ちゃん、・・・どうしたの?」
実はこの時、虹野にはすでに大体の予想がついていた。
前日の夜、電話で今日告白すると聞かされていたからだ。
いい結果が出たのなら、今この時間にここに彼女が来るはずがない。
それでも、こう聞かねばならない事は虹野にとってもつらかった。
「えーーー本日、片桐彩子は・・・」
ここまで言った後、彼女の笑顔は凍り付き小さく一度顎をしゃくる。
そして、そのまま虹野に抱きついた。
「彩ちゃん」
普段明るい片桐は、本当に悲しい時、春の雨のように静かに涙を落とす。
まさしく今がそうであった。
それを知る虹野は、今自分にできる事、”片桐を静かに抱きしめる事”に
全神経を集中させていた。
ときめく時の中で(49)
別離と旅立ち、そして・・・( 8 )
ここ数日、如月が不機嫌な訳を、四本松は知り得ないでいた。
”不機嫌”と言うのも正確ではない。
少なくとも四本松の前では、そんな素振りを見せるような事はしなかったし、
その言動も変わる所などない様に見える。
しかし、長い間付き合って来た四本松には、
ほんの微妙な違いが感覚的に判るようになっていた。
ただ、あくまでも”感覚的に”判るだけであって、それを論理立てて、
如月に聞くことが出来ないのである。
聞いてみた事はあった。
それは次のような感じである。
「最近、未緒ちゃん、元気ないよね?」
「そうですか?最近は身体の調子、ずいぶん良いと思っているけど、
優ちゃんにはそう見えるのかしら?」
「・・・・。そうじゃなくて、何か悩んでいるように見えるのよ」
「それは、・・・そうね。いろいろ考えている事はあるわよ。
でも、悩んでいると言うには及ばない事ばかりよ」
「私には力になれない事?」
「そういう事ではなくて、まず自分で答えを見つけなければいけないの、
そうでなければ、何もかも、人任せになってしまうから、自分の答えを見つけたいの。
どうしてもそれが出来ない時には、真っ先に優ちゃんに相談するわ」
一見、か弱そうに見える如月だが、実は芯の強いものを持っている。
そのことを知っている四本松だけにこう言われては何も言い返せない。
もちろん、如月がそう言うのである。そっと見守るべきなのであろう。
過去にも、そういったことがなかった訳ではない。しかし、今回の如月の様子は、
黙って見ていられない何かがあった。
それが、何か、が判らないため、四本松は対処に困るのである。
ともかく四本松は、信頼できると思う人物に話を聞いてもらう事にした。
もっとも、信頼される方はそう思ってはいなかったのだが。
テニス部の練習が終わり、将と四本松は一緒に下校した。
「聞きたい事があるから」
と四本松から言ったのである。
そして、その途中で如月の事を相談したのである。
だが、将にとってそれは理解に苦しむものであった。
「なんで俺なんだよ?」
頭を抱え、将は四本松に聞いた。
「だって、他に相談できる人いないんだもの」
「だからって・・・」
「だって聞いたよ、みゆきさんから」
「へっ?」
それは、連尺の心と体、双方の傷の悩みを将は知りながら、
その秘密を、決して人には明かさなかった事を四本松は言っていた。
「みゆきさんね、とても感謝してたよ。
”すごく助けられた”って」
「あれは連尺が自分で立ち直ったんであって、俺は何もできなかったぞ」
「でも、将君が知っていると言うことだけで、みゆきさんには励みになってたんだよ。
それは自覚してね」
「・・・つまり、その役目を今回もしろ、と言う訳か」
「ピンポン、当たり」
「四本松・・・お前、性格変わって来たなあ」
「え?そう?」
とは言え、結局その役目を負う事になるんだろうと将は思った。
大体、将は如月に関してほとんど知識がない。学年も違うし委員会も違う。
実際問題、なにも出来ないと言っていい。
しかし、それでもなお、将は四本松に聞かずにはおれない。
「それにしたって、
”何だか判らないけど、何かで悩んでいるみたい”
だけで、俺にどうしろって言うの?」
もはや、苦笑い抜きには口にできない事であった。
和人は、将の意表をよく突く。
「そりゃ、如月さんって人の話しだろ」
「何で判るんだよ」
「・・・・何でって、四本松さんと仲のいい人て言ったら、如月さんしか知らんから、
言ってみたの。たまたま当たっただけなんだから、そんなに驚くなよ」
要するに将は和人に引っ掛けられたのである。
翌日、朝のホームルームの前の事である。
将は将で、信頼にたる人物、和人に事のしだいを話した。
もっとも、如月の名前を出さないように、四本松の友人として話したのであるが、
いともあっさり、和人に見抜かれてしまったのである。
将らしい失敗ではある。
「しかし本当に”何だか判らないけど、何かで悩んでる”ではどうしようもないよな」
「そうだろ?」
二人は、我慢しようとしたのだが、我慢しきれず苦笑いをしてしまった。
ところが、その笑いがひきつる事態が直後にやって来た。
「如月さんて人が、どう悩んでるんだって?」
二人の会話に、早乙女優美が割り込んで来たのだ。
しかも、聞かれてはいけない事まで聞かれて。
「さ、早乙女え、お前、いつから?」
動揺しきった将の声に対して、平然と優美は答える。
「いつからって、ほとんど最初からだよ」
その明るい声に絶望的な物を感じながらも、
それでも将は言わずにはいられなかった。
「早乙女、判っていると思うが、絶対に人には言うなよ。約束してくれ」
「あーー、将君たら、優美のこと信用してないんだ。
優美、そんなに口は軽く有りませんよーーーだ」
「でも、好雄さんとかに話すんじゃないだろうな?」
「え?・・・えへへ、そんな事しませんよーー」
その声は将にとって、
(こりゃー、四本松に、信用なくされるな)
と思わせるには十分なものだった。
ところが数日後、首を傾げながら四本松が将に言った事は、
まさしく、不可解この上ない物だった。
「未緒ちゃん、機嫌が直ってるの」
「何で?」
「私も聞いてみたの、”何があったの?”って、
そうしたら、私が将君に話した事が、結果的に間接的な解決だったって言うの」
「はあ?何それ?」
「全然判りません」
それ以後も、二人はただ首を傾げるだけであった。
ときめく時の中で(50)
別離と旅立ち、そして・・・( 9 )
2月も10日をすぎると、きらめき高校内が、にわかにざわめき始める。
言わずと知れたバレンタインデーが近づいて来たからである。
作戦を練る者、手作りにかかる者、買い込む者、
期待する者、あきらめている者、無関心な者など、様々ではあるが、
一種のお祭り、一大イベントであることは間違いない。
そんな中、和人は美樹原に一風変った事を相談されていた。
放課後、和人が帰ろうとしている所へ美樹原がやって来て、
近所の公園に寄り道をしたのであった
美樹原の方が学年は上なのに、どういう訳か二人の間では、
和人の方が上のような感じになっていた。
美樹原から今日の様に和人に相談を持ち掛ける事もよくある事である。
和人は将に言われた事がある。
「最近、和人、美樹原さんといい雰囲気じゃないの?
どんな感じなんだ?良かったら聞かせてくれよ」
それに対して、和人は、半ば呆れたような苦笑いを浮かべて答えた。
「言っておくがなあ、特別な感情は全くないぜ。
見かけもそうだけどなんかあの人、年上って感じ全然しないんだよな」
それには将もうなずいてしまった。
さらに和人は続ける。
「よく相談を持ち掛けられたりするけど、期待されるような事は何もないよ。
変な話だけど、まあ、妹ってとこだな」
そう言って和人は、片目をつぶりにやりと笑った。
変った相談と言うより、それは意味がよく判らないと言うものであった。
美樹原には、一人、気になる男子生徒がいると言うのである。
「藤崎さんがその人を紹介してくれるって言うんでしょ。
ご好意に甘えればいいんじゃないの」
話を聞いても和人には、美樹原がなにを気にしているのかよく判らないのだ。
「別に、2月14日を特別に捕えなくたっていいんじゃないの?
あくまでも、知り合うきっかけとすればいいでしょ」
「ええ、・・・」
「俺は、今のお祭り騒ぎみたいなのは好きになれないんだけど、
美樹原さんのようなおとなしい女の子にとっては、
充分意味のある日だと思ってるけどね、違う?」
「いえ、私もそう思います」
「わっかんねえなあ。じゃあ何が気になるの?」
美樹原はしばらく黙っていたが、やがて口を開く。
「あの・・・、その人、・・・・」
「うん、慌てなくていいからそのまま続けて」
和人は、優しくうなずき続きを促す。
もう、今ではすっかり美樹原のペースに慣れていた和人である。
「・・・その人、詩織ちゃんの、・・・幼馴染なんです」
それを聞いて、なんとなく和人にも美樹原が何を気にしているのか判って来た。
「つまり、”あの人”って事か」
「知ってるんですか?」
「お噂はかねがね」
その人物の最初の通り名、それは、”あの藤崎詩織の幼馴染”であった。
その内、”あの”が取れ、”あの人が藤崎詩織の・・・”になり、ついには、
”あの人”で通るようになった。
きらめき高校の生きた伝説、いや、生きた伝説になりつつある人物である。
入学当時は成績も運動も容姿も目立たない、はっきり言えば冴えない、
単なる一生徒であったのだが、それはこの2年足らずの間で一変した。
多少、精神的に弱い部分があるようだが、成績優秀、容姿端麗、スポーツ万能、
性格温厚、話題豊富、と言った単語を勲章にして歩けるようになっていた。
今、話題になっているのはこの学年末テストで首位をとれるかどうか、
そういった賭けが一部では成立しているらしいと言うことである。
ただ、それだけになると女性関係がかなり派手になっているらしい。
良くない噂も時々出たりする。
「美樹原さんが気にしてるのって、そういう事でしょ?」
「・・・確かに・・・それもあるんですが、・・・・」
「まだ、何かあるんですか?」
「詩織ちゃんは、・・・あの人のことを、・・・どう思ってるのか、
・・・・それが判らないの」
「!?」
和人は言葉を失った。
それは彼らしくない事だったが、そんな最初に思いついていいはずの事が、
思い付けなかったのだ。
明らかに動揺する気持ちを、力任せに強引にねじ伏せ冷静になろうと努めたが、
それは易しい事ではなかった。
「それで、藤崎さんは、何て言ってるの?」
なんとか落ち着きを取り戻せた和人は、美樹原に聞いた。
「詩織ちゃんは、”ただの幼馴染よ”って言うんだけど・・・」
「・・・」
美樹原だけではなく、和人まで黙り込んでしまった。
和人は一つ身震いをした。
それが気温によるものなのか精神的なものから来たのか、
和人自身には判断のつかない事であった。
目まぐるしく回転する思考を整理し和人は美樹原に言った。
「冷えてきたね、そろそろ帰らないと風邪ひいちゃうね」
明らかに結論を避けたものだが美樹原もそれに同意した。
「こればかりは、藤崎さんの心を覗いてみなければ判らない事だし、
今ここで悩んでもどうしようもないよ。
それより問題は美樹原さんがどうしたいか?でしょ」
「・・・ええ、・・・」
「俺にできる事があればなんでもするから」
確かにそうなのだが、この言葉には説得力がない事おびただしい。
それでも二人は、結論のでないもどかしさと共にそれぞれの帰路についた。
だが、確信した事もあった。
ただしそれは、和人にとってあまり愉快な事ではなかった。
(将よ。こりゃあ、ひょっとすると、とんでもない強敵が現れたのかもしれないぞ。
幼馴染には、年月の積み重ねって言う味方がいるからな)
すでに暗くなった空を見上げ、和人はそう思った。
ときめく時の中で(51)
別離と旅立ち、そして・・・(10)
バレンタインオムニバス その1/4
2月14日の朝、将の枕許には一つのカラフルな包みがあった。
例年の事になるのだが、母、美里からのものである。
こういう行事のある日はどうしても仕事が忙しくなり、すれ違いが多いため、
いつからかこういう形になっていた。
将は、苦笑いと共に毎年同じ感想を口にするのであった。
「ったく、サンタクロースじゃないんだからさ」
とは言え、包みを両手に持ち、体の正面で少し上げて目を閉じ頭を下げる。
そういった少々おどけた仕草で、感謝の意を表わす所が彼らしいと言えば彼らしい。
その包みに入っていたチョコレートをこれまた例年のように朝食代わりにして、
身仕度を整え登校した。
そういう先入観があるためか、学校自体が浮かれているようにも見える。
3年生はこの時期、自主登校になるのだが、
「なぜかこの日は、出席率が高い」
と先生が苦笑する日でもある。
その3年生の内の一人、テニス部の前キャプテン中沢は、朝のホームルーム前、
自分の机で参考書を広げていた。
入試も近づいて、とりあえずやれる事はやっておこうと思った彼は、
ちょっとした時間があれば参考書を手にするようになっていた。
(気休めと言ってしまえば、それまでなのだが)
その中沢の机の上に、小さな軽い激突音と共にデパートの紙袋が置かれた。
「なんだ?」
独り言のようにつぶやいて中沢が見上げると、そこにはその紙袋を持って来た
佐鳴の姿があった。
「おはよう、中沢くん」
「やあ、佐鳴、おはよう。
・・・・ところで、これ、なんなの?」
「どうせ、あなたの事だから、チョコレートたくさんもらうんでしょ。
それを持って帰る時困るでしょう。だからこれを持って来たのよ」
「たくさんもらえるかどうかは知らないけど、変に気がつくな。
ありがとう。いただいとくよ。
ところで、佐鳴の方こそ、もらうんじゃないのか?チョコレート」
少し意地の悪い笑いを浮かべる中沢に、佐鳴もそれに似た物を浮かべ答える。
「そうかもね、まいっちゃうわ。
まあ、と言うことで、私は教室に戻るわ。
・・・それと私からのは、その袋に入ってるからね!」
本当は、最後のこの一言を言いたかったのかもしれない。
それだけ言うと、さっさと教室を後にした佐鳴だった。
後に残された中沢は、隣の席の男子生徒に冷やかされていた。
「早くも1個目か?」
その声に中沢は答えない。一人、心で思うだけである。
(これがもらえれば、他には別にいいなあ)と。
一方その頃、将は自分の机の上にチョコレートを並べていた。
まだもらえないでいる他の者に対するいやみではない。そうしないと、
机の中に教科書類さえ入れられないのだ。
その光景にはさすがの和人も呆れる。
「おいおい、こりゃまた凄いな」
「いつの間に入れるんだろうな?驚いちゃったよ」
「そりゃ、こっちの台詞だ。どうするつもり?それ」
「どうするったってなあ、手紙なりが添えられてれば、返事も書けるけど、
そうでないのもあるしなあ。
こんな事経験した事ないから、・・・本当、どうしよう?」
二人がそんな会話をしていると、教室の後ろから早乙女優美がやって来た。
「おはよう、将君、和人君」
「ああ、おはよう」
「おはよう、早乙女」
「わあ、すごいねえ、それ全部将君の?」
机の上にあるチョコレートの包みを見て、優美は声を上げる。
「贈り主が間違えてなければ、どうやらその様だね」
「ふーーん、これじゃあ将君、優美の貰ってくれないかな?」
「なんだ、早乙女、俺にくれるの?」
「もちろんだよ」
「俺には?」
横から和人が口をはさむ。
「はいはい、和人くんのもありますよ」
そう言って優美は、手にしていたスポーツバッグの中から、
2つのチョコレートを取り出した。
「はい、こっちが将君ので、こっちが和人くんのだよ」
それぞれ受け取った二人は、お互いのを見比べ同時に感想を言った。
「ずいぶん、違うね、これ」
一目瞭然と言うもので、明らかに将の方がグレードが高い。
「将君にはお世話になったもん、お礼も兼ねてね」
「すると、俺のは義理、と言うことだな」
「・・・・ううーーーん、はっきり言えば、そうなるかな?」
「はっきり言わなくてもそうだよ。でも、ありがとな」
多少すねたような演技をして和人が優美にお礼を言うと、将もつづく。
「あ、俺もお礼を言わなくちゃな、ありがとう」
「いいんだ、将君にはこれからも、いろいろお願いする事になると思うし、
本当に感謝してるんだから、このぐらいしないとね。
それに、・・・あ、後がつかえてるようだから、優美自分の席に行くね」
優美がそう言ったのには訳があった。
優美が手渡しするのを見て、きっかけになったのだろう、同じクラスの女子が数人、
将の所へやって来たのだ。
誰か最初に口火を切ると後に続く者はずっと楽である。
それはこういった事も例外ではないようだ。
女子にチョコレートを次々と手渡される将に、和人はウインクした。
それは、無言で、
(すごいことになって来たな、この人気者)
と言ったであった。
それに対して将は、困ったような照れたような笑いを浮かべるだけだった。
(まあ、将がこうなるのはある意味当然だよ。
周りが気が付くのが遅いんだけなんだから)
心底、和人はそう思っていたが彼はまだ知らないのである。
将にはかなわないにしても、この時点で和人の机の中には、
かなりのチョコレートが入っていたのである。
2月14日はまだ始まったばかりであった。
ときめく時の中で(52)
別離と旅立ち、そして・・・(11)
バレンタインオムニバス その2/4
2月14日も昼休みとなっていた。
校内は、目的の人物を求めてさまよい歩く女子生徒や、
当ても無くふらつく男子生徒などで、一種の無秩序状態となっていた。
そんな中、米津は校舎屋上へと向かっていた。
彼の場合、意味や目的も無く行動する事は希なので、今回のことももちろん、
目的あってのことであった。
しかし、相反する事だが、これから何があるのか彼には判らないでいた。
どういう事かと言うと、実はこの日の朝、隣に住む鏡 魅羅から、
昼休みに屋上へ来るようにとメモを渡されていたのである。
今日と言う日を考えれば「チョコレート」を考えてもいいのであろうが、
彼にそんな結論は出ていなかった。
なぜなら米津は、鏡の好みを嫌と言うほど知っているし、その好みから自分が、
大きく外れている事も充分承知しているからである。
(どういうつもりなんだろう?
学校ではあまり話しかけないように、とまで言う鏡がわざわざ呼び出すなんて。
第一、用件なら家に電話すれば済むだろうに。
時々、何を考えてるのか判らない時があるよな、鏡には)
ゆえに、屋上の人目のつかない所で鏡からチョコレートを渡された時、
米津の動揺は普段からはとても想像できないものになっていた。
「ここここ、これはどういうことか?いや、素直になるべきか、いや、ちょっと待て」
と、言うように一人で支離滅裂な事を口走るのみであった。
普段冷静で論理的な人間ほど計算が狂うと脆い、その代表例のようである。
「そんなに驚かなくてもいいじゃない、日頃弟達がお世話になってるお礼よ」
くすくすと笑いながら鏡が説明すると米津も納得したようである。
「ああ、そういう事か、それならいいんだ。
・・・でも、それなら、家に帰ってからでもいいんじゃないか?
鏡のファンクラブの人間に見つかったら、お互い大変だぜ」
米津の心配に鏡は直接的には答えない。
「実は、お願いがあるの。家ではお話できなくて」
「家のことで何かあるのか?」
「ええ、そうなの。
・・・実は、明が、来年ここを受けたいって言うの」
「明君が?・・・きらめき高校を?」
「ええ」
米津は、鏡の弟達の家庭教師をしている。とは言っても正式なものではなく、
時間がある時に見るという、言ってみればボランティアである。
その弟達の1番上、現在中学2年生、この春より3年となるのが、
明と言う訳である。
姉の魅羅に似たところがある美少年で、学校での人気もあるらしい。
米津は明の成績を思い出していた。
「明君の成績なら、絶対とは言えないけどなんとかなるんじゃないの?
この1年のふんばりしだいだけどね」
そうは言ったものの、米津には別の心配事があった。
「それはともかく、他人の俺が言うのも変なんだが、その、家計の方は大丈夫なのか?
鏡をここに通わせるのだってかなり無理をしたんだろ」
「それは大丈夫よ、私、卒業したら働くつもりだから。
ううん、学校の許可が出れば、アルバイトとしてでもやるつもりよ」
「あの話、受けるつもりなのか?」
「私にできる事と言ったらこのぐらいしかないもの」
「そうか」
米津はしばらく空を見上げ考え込んでいた。
階下から人の足音が聞こえて来たのを機に、米津は静かに笑いながら結論を出す。
「随分と高いチョコレートになりそうだけど、機会がある毎に明君の勉強を見るよ、
人が来るから俺は行くぞ。じゃあな」
そう言って立ち去る米津に、鏡は手を振って答えた。
「夕子さん、何だか、眠そうですね」
「うん、渡すもの渡したら、気が抜けちゃってね。超眠くなっちゃったわ」
古式と朝日奈は、中庭で北側校舎の壁際にある木製のベンチに腰掛け、
ひなたぼっこをしていた。
校内に数ヶ所、こういった陽が当たり風も来ないポイントがあり、
この場所は二人のお気に入りの場所であった。
昼休みに入ると、速効でどこぞに出ていった朝日奈を、
古式はこの場所で待っていたのである。
「ちゃあんと、渡せた、ようですね」
何を渡したのかは説明するまでもなかろう。
「うん、並んで買ったかいがあったわ」
まだ、顔に火照りが残っている朝日奈を、古式はにこやかに見つめる。
そんな古式に気付いた朝日奈は、今度は質問者と言う逆の立場になった。
「ところでえ、ゆかりんはどうするの?
チョコレート作って来たんでしょ、いつ渡すの?」
「そうですね、放課後の、クラブの、時にでも、渡そうか、と、思って、おります」
「ふーーーん、例の1年生の子?」
「ええ、そうですよ」
「もう、頑張るっきゃないよね」
「そうですね」
そう答えた古式であったが、その様子がいつもと違うようだと朝日奈には思えた。
「・・・どうしたの?」
「いえ、なんでもありませんよ」
「・・・そう?それならいいんだけどね」
納得した訳ではなかったが、朝日奈としてもそれ以上聞くつもりはなかった。
虹野と片桐は階段を降りていた。
この寒い中にあって、虹野はうっすらと汗を浮かべている。
その理由を知っている片桐はにっこりと微笑む。
「よかったね、受け取ってもらえて」
「うん、ありがとう」
片桐の祝福に虹野は笑って受け答えたが、片桐の事を考えると、
それ以上どう言ったらいいのか上手い言葉が浮かばなかった。
あれ以来、片桐は明るさを取り戻してはいた。
いや、努めて明るく振る舞っていると言うべきだろう。
それが判っているだけに、虹野は自分の事が上手く行ったからといって、
彼女の性格からして手放しでは喜べなかった。
(彩ちゃん、早く元気になってくれるといいな)
常にそう気遣う彼女だった。
そんな時、階段の上から声がかけられた。
「おーい、片桐。ちょっと待ってくれないか」
その声に答え、片桐と虹野が階段を見上げる。
そこにいた人物を認めて思わず片桐が声を上げる。
「有玉さん」
ときめく時の中で(53)
別離と旅立ち、そして・・・(12)
バレンタインオムニバスその3/4
片桐の胸が、せつないような痛みと共に小さな悲鳴を上げる。
想いが遂げられなかったとしても、有玉に対する気持ちが消え去った訳ではない。
いや、遂げられなかったからこそ、それはさらに深いものに変わってさえいた。
(どうして?)
片桐は思わずにはいられない。
片桐と虹野の前に現れた有玉は、ほんの少し肩で息をしていた。
テニスラケットを持った右手で前髪を掻き上げる。
「いや、捜したよ、教室に行ったら、いないから」
「ど、どうしたんですか?」
「うん、ちょっと用があって」
二人のいきさつを知る虹野が気を利かす。
「あの、私、先に行きますから・・・」
「いや、いいよ。すぐに済むから」
有玉は虹野にそう答え、片桐の前にラケットを差し出した。
「良かったらでいいんだが、絵のお返しとして、これ、受け取ってもらえないか?
高校で使っていたものなんだが、俺にはこのぐらいしか思い付かなくて」
「そんな大事な物を?WHY?どうして私に?」
「片桐の絵には、それだけのものがあったと思ったからなんだが。駄目か?」
「・・・・・、NO、いいえ。ありがとうございます、とても嬉しいです」
そう言って片桐は有玉からラケットを受け取る。
「よかったよ、・・・、それじゃあ、元気でな」
「はい、有玉さんも」
「虹野さんだよね」
「あ、はい?!」
突然、自分の所に会話が振られて来たので虹野は慌てた。
「片桐をよろしく頼むね」
「・・・はい」
虹野の力強い返事に有玉は安心したようにうなずき、階段を駆け上っていった。
その姿を見送り、片桐はぽつりと言った。
「That's not fair、ずるいわ、有玉さん」
「どうして?」
「だって、これでは有玉さんのこと忘れられないじゃない」
それが本心からのものでないと、虹野にはすぐに判った。
「忘れる事はないわよ、彩ちゃん。
有玉さんを忘れると言うことは、有玉さんを好きでいた彩ちゃんまで、
忘れる事になるんだもの。
そのラケットは、そういう彩ちゃんが確かに存在したと言う証明よ。
そう言った意味を込めて、有玉さんはそのラケットをくれたんだと思うな、
彩ちゃんだってそう思ってるんでしょ?」
暫くの間をおいて片桐はうなずいた。
ラケットを両手で抱きしめたその姿に、虹野は静かに語りかける。
「・・・・・、いい恋をしたね」
再び片桐はうなずいた。今度は間髪を入れずに。
階段を駆け上がった有玉に、新橋はチョコレートを突き出した。
「はい、これ!」
という言い方も突き放したような印象を与える。
有玉は怪訝そうな表情を浮かべる。
「なんか、怒ってる?」
聞くまでもなく新橋の表情はそれを表わしていた。
「あんなに大事にしていたラケットあげちゃうんだね」
「見てたのか?」
「私だって栄を捜してたんだからね」
二人の間を沈黙が駆け抜けて行く。
先に口を開いたのは有玉だった。
「彼女にあげられるには、残酷だけど俺の過去だけだからね。
俺の現在から未来は、違う人間とすごす事になるんだから、
もうラケットは必要ないんだ」
「本当に、テニスやめちゃうの?」
「趣味としてはやるさ。でも、医者になるための勉強と両立できると思うほど、
俺は自分を過大評価してないぜ」
その言葉に新橋の表情が変わる。
「そ、それじゃあ」
「今まですまなかったな、隠れるように付き合わせてしまって。でも、今日までだ。
親父にはちゃんと話して、これからは堂々としよう」
「・・・栄 」
「その代わり忘れるなよ、俺が医者、お前が薬剤師になると言う約束を」
有玉は新橋にしか見せない笑顔を浮かべる。
だが、新橋にはそれがよく見えなかった、視界が霞んでしまったからだ。
「栄!!」
その視界の中でぼんやりと浮かぶ有玉に、人目もはばからず新橋は抱きついた。
「ばっ、馬鹿!いくらなんでも学校の中だぞ!!」
有玉の注意も今の新橋には全く届かない。
「栄・・・、栄・・・」
そう繰り返すだけの新橋を、有玉は無理にひきはがそうとはしなかった。
逆に、彼女をこんなに取り乱させるほど今まで我慢をさせていたのかと思った。
(すまなかった。自分に自信がないからといって無理をさせたな)
その思いを言葉にするかわりに、新橋の髪を優しく撫でた。
その光景は、午後の授業の予鈴がなるまで展開された。
もっともこれはさすがに問題となり、中沢はその収拾に飛び回る事になるのだが、
それはまた別の話となるのである。
同じ頃、その予鈴を別の場所で聞いていた人物は悩んでいた。
場所は電脳部の部室、人物は紐緒である。
悩みの発端は、彼女が手にしていた小さな包みである。
彼女がこれ程悩むのは珍しい。いや、こういった事で悩むこと自体に、
彼女は慣れていなかった。
やがて、すっくと立ち上がる。
「やめたわ、こんな事で悩むなんて私らしくはないわ」
そう言って、その包みをスチール製のロッカーに放り込み、
白衣を脱ぎ午後の授業へと向かった。
これ以後、彼女にとっての今年の2月14日は特別の日ではなくなった。
ときめく時の中で(54)
別離と旅立ち、そして・・・(13)
バレンタインオムニバスその4/4
2月14日も放課後となった。
将はテニス部の部室に向かう途中の廊下で、四本松とばったりと会った。
いや、その表現は正しくない。そう思ったのは実のところ将だけであって、
将が部室に向かうルートを想定して四本松は待っていたのである。
もっとも、将がそう感じたのなら、それはそれで四本松の思惑通り、
と言うところではある。
さらに、本来の目的でさえ、いかにも今思い出したかのように切り出した。
「そうそう、これを渡さないと」
と、鞄の中からチョコレートの包みを取り出した。
しかし、彼女の演技はそれ程上手いものではないため、さすがの将も、
これには気が付いたがあえて何も言わなかった。
「はい、将君。これ」
「ありがとう、・・・これ、ラッピング自分でしたみたいだけど、
・・・ひょっとして、手作り?」
将の質問に、四本松は苦笑いを浮かべる。
「え?・・・うーーーん、最初はそのつもりだったんだけど断念したの。
せめてラッピングぐらいは、と思って」
「ふーーん、いや、ありがとう。ありがたくいただきます」
「・・・実は、挑戦はしたんだけど、ちょっと失敗しちゃってね」
「別に良かったのに、少しぐらい見た目が悪くたって。
手作りって言うのは、そういうのだっていい物なんだから。
いや、むしろ、その方がいいかな?」
「・・・ちょっとじゃないかな?・・・」
うつむき、ぽつりとそう言った四本松に、将は微笑み、彼女の肩を2回軽く叩いた。
「俺の料理だって最初は失敗続きだったし、今だって悲惨な時があるぜ。
挑戦してくれた事自体が嬉しいよ」
「・・・んーーーーん」
そう言って黙り込んでしまった四本松に、将は首を傾けたずねる。
「何?どうしたの?」
「どうして将君て、そういう風に上手くフォローしてくれるのかな?」
「・・・そんな事言われてもなあ、意識してる訳じゃないよ」
「・・・・・」
再び黙ってしまう四本松に、将は苦笑いである。
「何で黙り込む?」
「だってえ、」
「だって、なんだよ」
二人がそんな会話をしている所に詩織がやって来た。
「二人共何してるの?」
「あっ、藤崎先輩」
「こんにちは詩織先輩」
「こんにちは、・・・二人共これからクラブ?」
詩織のその質問に答えたのは将だった。
「そうですけど、・・・藤崎先輩は?」
「うん、ちょっと用事があって、今日はお休みするの。
キャプテンには言ってあるからね」
「そうですか」
将は、正直なところ、内心がっかりした部分もあったのだが、
そんなそぶりは見せなかった。
「それでね」
そんな将を知ってか知らずか、詩織は鞄から包みを取り出す。
「将君、はい、チョコレート」
「あ、ありがとうございます」
「よかった、渡せて・・・それじゃあね、さよなら」
「はい、さようなら」
「さようなら、詩織先輩」
そう言って詩織を見送った将と四本松は、テニス部部室に向かった。
「よかったね、詩織先輩からもらえて」
四本松の言葉に、将は困ったように笑う。
「所詮は義理だろうけどね」
将の言葉も四本松には額面通り受け止められなかった。
なぜなら、用事があって帰ると言うのに、この場所に来るというのは、
詩織にとってかなり遠回りになる。
(まさか、詩織先輩も、私と同じ事を・・・?)
そう思わずにいられないのだった。
「え?それはどういう意味で?」
クラブでも、将はいくつかのチョコレートを渡されたのだが、
そんな事より気になったのは、古式の事だった。
チョコレートを渡された時のいつもと違う古式の様子の事を、
練習の後、将は古式に聞いた。
その時の古式の答えは、将にとって意外な物だった。
「自分の好きな人が、別の人を好きだったらどうするか」
と言うもので、古式がそんな事を言うのは予想できなかった。
将は考え込んでしまう。
果たして自分に何が言えるか、古式がそう言う背景にはどんな事情があるのか?
とは言え、結局のところ、自分の思うままを答える事しかない、
そういう結論になる。
「どうなんでしょう?現実にならないとどうなるか判りませんねえ。
第一、この手の問題って、昔からあるくせに決定的な答えがないという
代表みたいなものじゃないですか、俺には荷が勝ち過ぎてますよ、ねえさん」
いかにもお手上げと言った感じの将に、古式はつい笑ってしまう。
「そうですよねえ、難しいですよねえ」
「何かあるんですか?」
「私の、知ってる方が、そういう事になっているらしいのです。
それで、何か、お力添えを、と、思ったのですが、本当に、難しいですねえ」
結局のところケースバイケースであって、これと言う答えが出るはずはない。
それでも古式は、将に話した事で多少楽になったのか、
普段の様子に近くなっていた。
買い物などがあって、将がアパートに帰宅したのは、
少しばかり遅い時間になってしまった。
チョコレートも数が揃うと結構な重さになり、買い物もあわせると、
簡単に重労働の部類に入ってしまう。
「いやーー、帰り道が長かったなあ、残るは階段か、あともう少しで・・・」
そんな将の独り言が途中で止まる。
アパートの階段の所に連尺がいた。冷えきっている様子が一目で判る
「おかえりなさい、将君」
そんなことなど無視するかのように、いつもの口調で連尺は言った。
「おかえりなさいって・・・どうしたんだ連尺?こんなに寒いところで!?」
それに対して、将の声は怒っているようにも聞こえるほどであった。
「うん、これを渡したかったから」
そう言って連尺は、チョコレートの包みを将に差し出す。
「学校で渡せなくって、ここで待ってたの、ごめんね」
将は、手にした荷物をいったん下ろして、その包みを受け取る。
「謝らなくっていいよ、そんな事より、部屋に入って暖まって行きなよ。
寒かったろう」
「ううん、いいの、もう帰らないといけないし、将君に迷惑かけちゃうから。
ただどうしても今日中に渡したかったの。
でもそれは、私のわがままだし、将君が気にする事ないの。
それじゃ、おやすみね」
そう言って連尺は駆け出した。
その後ろ姿に将は声をかける。
「連尺、ちょっと待って!!」
振り向いた連尺に、将は自分でも思ってもみなかった事を言った。
「ありがとう、それからさ、・・・・春になったら、どこか行かないか?」
その言葉に連尺は、満面に笑みを浮かべる。
「うん」
という返事と共に、力強くうなずいてから走っていった。
その後ろ姿が見えなくなってもなお、将はしばらく立ち尽くしていた。
長いような短いような2月14日はこうして終えていった。
バレンタインオムニバス−−終
ときめく時の中で(55)
別離と旅立ち、そして・・・(14)
卒業式を間近に控え、きらめき高校には、感傷的な空気が漏れ出していた。
そんな中、ある日突然、何の前触れもなく、その噂はきらめき高校内を駆け巡った。
「中沢って、テニス部の前キャプテンの中沢だろ」
「その中沢と伊集院が兄弟だって言うのか?」
「て、事は中沢、理事長の孫になる訳?」
論理が多少おかしかろうと、たとえ根拠、証拠がなかろうと、
こういった話題が広がるスピードはそうとうなものである。
理事長の孫の伊集院レイと言えば、なにしろ話題には事欠かない
伊集院財閥の後継者と目されている事を初めとして、その長い金髪をなびかせ、
一人だけ専用の制服を着て校内を歩く姿は必要以上に目立つ事。
男子と女子の評価が極端に違う事。
その男子の中でさえ、
「あいつがもし女だったとしたら、鑑賞用としては最高の部類になるだろうな」
と感想を言う者がいるほどの美形な事。
等など、挙げていけば本当にきりがない。
その伊集院に兄弟がいたとなれば、話題となるのもある意味当然ではある。
そしてそのスピードを保ったまま、あっという間に当の本人、中沢の耳にも届いた。
事の真偽を尋ねたいクラスメイトを前に、
中沢は普段と変わらない平然とした口調で答えた。
「ああ、その話しの事か。どこから流れた話しかは知らんが、
まあ、半分正解半分間違いってところかな?」
余りにも平然と淡々と答える中沢に対し、聞いた方は正にあっけにとられている、
と言った感じである。
「つまり、ええーーーと」
事態がよく理解できないクラスメイトに、中沢は笑って説明する。
「要するに、俺の母親が理事長の娘、と言う事。レイとはいとこ同士になる訳だよな」
ようやく事態が飲み込めると今度は大声を上げる。
「なんでそんな事を黙ってたんだ!!!」
「だって、誰も聞かなかったじゃないか」
「普通、聞かないよ。こんな突拍子もない事」
「まあ、そだろうな」
笑ってそう言った中沢だったが、その笑顔にはいつもの物とは違う、
別の成分が含まれていた。
もっともそのことに気がつく者はいなかったのだが。
その日の放課後、話題の当事者、伊集院と中沢は校内の中庭にいた。
「とうとう、ばれてしまいましたね」
「ああ、せっかくここまで来たのになあ、あともう少しで卒業だってのに。
・・・まあ、よくぞここまでもった、と言う考え方もあるかな?」
中沢は伊集院に向かって、笑いながらそう言った。
その笑いには、苦いものも少々含まれてはいた。
「そうですね」
それに答えるように、伊集院もくすりと言う感じで笑う。
「思い出しますよ、健太さんがこの高校に入学するときのことを」
「何を思い出すんだ?」
「健太さん、おじい様に詰め寄ったじゃないですか、
”高校の3年間、俺は伊集院家とは関係のない、ただの一生徒だ。
特別扱いなどしないでくれ”って」
「・・・そうだったな、あの頃俺も若かったからなあ」
髪をくしゃくしゃと掻き中沢は苦笑いを浮かべる。
「あれから、健太さんはすごい人だなって思うようになったんです。
伊集院家の力など当てにせず、自分の力で勝負する人なんだなあって」
「よせよ」
中沢は首を横に振って否定した。
「俺はただ、等身大の自分でいたかっただけだ。
俺にはお前の方がすごいと思うぞ。
伊集院家と言う名前だけでもかなりのプレッシャーだろうに、その上、
あんな家訓まで守らされて、よくやってると思うよ。
もっとも、やりすぎな所もあるがな」
「すいません」
「謝ることなんかないって言うの」
暫く黙り込んでしまった後、先に口を開いたのは伊集院であった。
「変わりましたか?まわりの目」
「ああ、変ったね。それがいやだったんだけど、今となったら不思議な物で
まあいいか、って感じになってるな」
「そうですか」
伊集院がそう答えた時、新たな人物がやって来た。佐鳴である。
その姿を見つけた伊集院は、すぐさまその場を離れようとした。
「それじゃ、僕はこれで」
それを中沢が呼び止める。
「俺はばれちまったが、お前はばれないように気を付けろよ」
「はい」
そう答えて立ち去る伊集院と入れ替わるように、佐鳴が中沢の前に立つが、
何を言う訳ではない。
いや、言うべき言葉が見つからないのかもしれない。
「その様子だと、聞いたな?例の話」
中沢の言葉に、佐鳴は無言のままうなずいて答えた。
「すまなかったな、いずれは話そうとは思ってたんだが、
なかなか言い出せなくってさ。
伊集院家が絡むと、どうしても俺を俺として見てくれなくなる。
何をやっても、上手くいけば伊集院家の人間だからと言い、
駄目なら伊集院家の人間なのにと言われる。
俺と言う個人を見てくれないんだ。それが悔しくてな。
佐鳴だって、俺を見る目が変わってしまっただろ?」
「見てないのは中沢くんも一緒よ!」
そう言った佐鳴の口調は、いつになく荒いものだった。
「さ、佐鳴?」
「そんな事で中沢くんを見る目が変わる。
中沢くんには私がそんな風に見えているの?」
「佐鳴、・・・、少し落ち着けよ」
「無理よ!中沢くん判ってないんだもん。
そんな事関係なく、私は中沢くんの事が好きなのに!!」
そう言って佐鳴は顔を真っ赤に染め上げる。
「佐鳴・・・・」
「そんな情けない事言わないでよ。
少なくても私は、中沢くん自身を好きになったのよ。
・・・私だって女の子なのよ、卒業式の日に伝説の木の下で告白したかったわ。
でも、中沢くんにそんな風に言われたら、とても悲しいじゃない!!」
すでに佐鳴の目にはこぼれんばかりの涙が浮かんでいた。
その涙に中沢の胸も締め上げられる。
「佐鳴・・・、何と言うか、すまないと言うしかないんだが、
一つこれだけは言えるんだ」
その言葉に佐鳴は顔を上げる。
「なあに?」
「例の永遠になれるって伝説だけどさ、他に新しい伝説って生まれないのかな?
例えば、俺達がこの中庭の伝説の第1号になるなんて言うようなのが」
中沢は上手く表現できなかったが、その意味は充分通じた。
うまく答えをすり替えられたのだが、佐鳴にとってそんな事はどうでもよかった。
彼女の涙の供給はさらに続いていたが、その成分は先程までのものとは、
全く違った物となっていた。
そして夕陽の中で長く伸びた二人の影は、やがて一つとなっていった。
ときめく時の中で(56)
別離と旅立ち、そして・・・(15)
2月28日、各クラブでは3年生の送別会が開かれる。
無論、中には、送別会のない部もあるのだが、
テニス部はその例外には入らなかった。
その内容というのは、運動部にはよくある、3年生対1・2年生の試合である。
いくつか試合が組まれていたが、その中で最大の注目カードはなんと言っても、
有玉 対 将のシングルスマッチであろう。
この組み合わせは、原則として3年生が対戦したい相手を指名して、
それを基本として組み合わされる。
現キャプテンの元城が対戦相手の希望を聞きに行った時、有玉はすかさず、
将を指名して来た。
この事自体は、元城にも充分予想が出来たのだが、
その後のことは全く予想もしていなかった。
有玉は本当に嬉しそうな表情で元城にこう言ったのであった。
「なあ、元城は去年の夏の合宿の時の事を覚えているかな?
2ヶ月後はともかく、半年後、俺が吉野に勝てるかどうか判らない。
俺がそう言った事を」
「ええ、もちろんですよ。その2ヶ月後って俺が言ったんですから」
「それから約半年経ったんだな。早いもんだ」
「そうですね」
「・・・組み合わせの事、よろしく頼む。
将来、日本のテニス界を代表するかも知れないプレイヤーとの対戦が、
俺の高校での最後の試合なんてのは、考えただけでもわくわくする話じゃないか。
そう思わないか?元城?」
「・・・そうですね有玉先輩」
元城は頷くしかなかった。
有玉の洞察が正しいのかどうかは判らない、不確定要素が多すぎるからだ。
実は不確定要素なんていう単語を元城が使うのには訳があった。
その数日後、元城は自分のノートパソコンの事を聞きに紐緒の所に行った時、
将の可能性について紐緒に尋ねたのだ。
その時の紐緒の答えにその単語が入っていた。
それ以来、元城はそれを気に入ってよく使うのである。
そしてなぜかその紐緒が、今、テニスコートのフェンスの所にいた。
「どういう風の吹き回しだ?紐緒がこんな所へ来るなんて?」
元城の問いかけに紐緒は平然と答えた。
「あなたの言う、吉野君の可能性をこの目で見たくてね」
それを聞いた元城はにこりと微笑む。
「そういう事ならそんな所にいないで、中で見ればいいだろう」
「部外者の私が入っていいの?」
「練習管理のプログラムを作ってくれて、さらにボランティアで、
バージョンアップまでしてくれている人を、もはや部外者とは言えないだろう。
遠慮なく中に入ってその目で吉野を見てやってくれ」
元城にそう言われ紐緒が答える。
「そう、それじゃあお言葉に甘えようかしらね」
そう言った訳で、3年生の送別試合はテニス部以外のギャラリーも見守る中、
順調に進められていった。
そして、有玉対将のシングルスマッチが行われる事となった。
試合は6ゲーム先取の1セットマッチ。
最初のサーブ権は有玉にあった。
フォルトにはなったが、しばらくのブランクがあったとは思えないほどのサービス
がコートに突き刺さる。
一歩も動かない将を見て、中沢が詩織に耳打ちをする。
「相変わらず、吉野は最初のサービスを見送るな」
「・・・そう言われてみればそうですね、気が付きませんでした」
「あれってくせなのかなあ?」
「さあ、どうなんでしょうか?今度聞いてみます」
「うん、そうしてみてくれ。・・・吉野の事を藤崎に任せたのは俺だからな。
これでもいろいろ気にしてたんだぜ」
「一応判ってるつもりですよ。ありがとうございます」
そう言って二人は静かに笑う。
二人のそんな会話を有玉のセカンドサービスが中断する。
今度は将も反応した。
鋭いダッシュでボールに追い付き、そして打ち返す。
有玉も負けじと反撃する。
二人の試合は、見ていたテニス部員から思わず、
「すげえ・・・」
と、声が漏れるほど激しいものとなっていった。
そして将が勝った。
ゲームカウントこそ6−2であったが、その全てのゲームで、
ブレイクポイントまでもつれ込むという大接戦であった。
「有玉先輩が・・・負けた」
「いくらブランクがあると言ったって、地区大会準優勝の有玉先輩が」
「恐ろしいほどだな、吉野は」
ある程度こんな結果は予想してたとは言え、目の当たりにしてみると、
将の成長に誰もが驚かずにはいられなかった。
有玉にしてもその想いは同じである。
確かに、体は思うようには動かなかった。しかしそれでも、
まだまだ将には互角以上の試合が出来ると思っていた。
だが、実際に互角以上なのは将の方だった。
(完敗だな)
有玉は、本当に今自分のテニスが終わった事を実感した。
こうして3年生の送別会は終わった。
片付けをした後詩織は将に言った。
「将君、これからは私達が頑張らないといけないのね」
それに対する将の答えは短いが力強いものだった。
「はい、藤崎先輩」
その答えに詩織も力強く頷くのだった。
ときめく時の中で(57)
別離と旅立ち、そして・・・(16)
春まだ浅い3月1日、蛍の光りと共にきらめき高校の卒業式が行われた。
すべての生徒にとって、長くもあり短くもある3年間であっただろう。
感極まり泣き出す女生徒もいれば、実感が湧かず今までと同じように、
何事もないような顔の男子生徒もいる。
ただ一つ確かな事は、各々がどう思っているかは関係なく、今日と言う日を最後に、
彼らはそれぞれの場所へ旅立って行くと言うことである。
それは送り出す側にとっても似たような意味となる。
卒業して行く生徒とは、もう学校内で今までと同じ関係で会う事はないのである。
これが区切り、節目と言うものなのだろう。
それが、3月1日の今日である。
そして、3年生を送り出した側の1・2年生にとっても、今までとは違う、
また新しい日々の始まりとなるのである。
卒業式を終えてから最初の日曜日、将のアパートを訪ねた和人が、
彼には珍しい驚いた声を上げた。
「なんだ、なんだ、この散らかり様は!?」
和人が驚くのも彼にとっては無理からぬ事だった。
いつもならきちんと整理されているはずの室内が、まるで引っ越し前のような、
あるいは、空き巣にでも入られたかのような、そんな状態になっていたのである。
座卓に向かって座っていた将がふり返る。
「ああ、和人か。そこらへん適当に空けて座ってよ」
「適当にって言ったって、足の踏み場もないとはこの事じゃないか」
「うん、バレンタインのお返しの事をいろいろ考えてて、手紙を読んだり、
返事を書いたりしてたらこんなになってしまったんだ」
やや、疲れたようにも見える笑いを浮かべる将の返事に、
和人は改めて辺りを見渡す。
散らかっているのは、色とりどりの包装紙や紙やプラスティックのケース、
また、その中身のチョコレートそのものだったりした。
他にも、お菓子の作り方の本や書きかけで丸められた便せんなどもあった。
和人は腰に両手を当て、呆れたように笑いながら首を横に振る。
「お前、いったい何をするつもりなんだ?」
「俺にも判らないんだよ」
「なんだよそりゃ?」
「だって、こんなに貰ったの初めてだから、どうしていいのやら。
みんなにお返ししたらとても予算が足りないんだ。
とりあえず、手紙をくれた人や名前が書いてある人には返事を書いてるんだけど、
それすらどう書いていいのか、難しいんだよなあ」
額に左手を当てて将はうつむく。
その姿を見て和人は声を上げて笑う。
「何がおかしいんだよ!」
「・・・、だったら、ほっとけばいいじゃないか」
「そう言う訳にはいかないよ、せっかくくれたのに。
なあ、和人はどうするつもりなんだ?」
「俺、何もしないよ」
「へ?」
和人の答えは将にとっては充分意外なもので、そう言ったきり固まってしまった。
ともかく気を取り直して聞き直す。
「なに、それ?」
「別に頼んだ訳でもないのに勝手に送って来てさ。
何でそんなもんにいちいちお返しせにゃならんのだ。
第一、俺が3月14日って嫌いなのはお前も知ってるだろ」
「確かにそうだけど・・・、和人、そりゃいくらなんでもまずいぞ」
「かまうもんか、そんな事。
それより、将の方こそ八方美人は最終的には損するぜ」
「・・・、そんなつもりはないけど」
和人にそう言われると将としても考え込んでしまう。
そんな将を見て和人は笑いながら将の向かいに座る。
「そんな事は気にするなって。
俺が何を言ったって将は将のやり方でやるんだろ、それがお前らしい所なんだから」
「・・・まあ、そうなんだけど」
将の考える事は和人に想像できるし、和人の感覚は将には理解しやすい。
最初は意外だと思っても、こういった会話は二人にとって意見の交換と言うより、
確認と言った方がいいかもしれない。
「ところでさあ、連尺さんとの約束、どうするつもりなんだ?」
座卓の上を片付けながら和人は将に聞いた。
「うーーん、予想外の出費があったからなあ。
約束はしたものの、どうしたものか」
乱雑に広げられたプレゼント類を視線で指し示しながら、
将は困惑した表情を浮かべた。
「しかし、意外だったなあ、お前の方から彼女を誘うとは。
俺の出番は必要なかった訳だ」
「・・・、自分自身でも意外だったよ。
どうしてあんな事、さらっと言えたのかな?」
「俺がお前に、連尺さんに埋め合わせしろって言ったのもあるだろうし、
寒い中ずっと待ってた彼女の姿を見れば、言わずにはいられなかったんだろう。
お前のことだから充分想像できるよ」
和人の言うことは、将にとっても納得のできるものだった。
しかし、そうならそうで将には不安なものがある。
天井を見上げ、将はぽつりと言った。
「俺って、本当は、こういう事にだらしない男なのかな?」
「どういう事にだらしないんだ?」
怪訝そうな顔の和人の質問に、将は答える。
「だって、俺は・・・・」
「藤崎先輩が好きなのに、他の女の子をデートに誘ったりして・・・、か?」
さすがに言いにくいため、途中で口ごもってしまった将に代わって、
和人が後を続けた。
それは正に将が言おうとしていた事だった。
将はうなずいた。内心では、
(お互い、何でもお見通しってのは、時としていやなもんだ)
などと思いながら。
そんな将を知っているのかいないのか、
和人は顔を横に振って半ば呆れたように笑う。
「おいおい、たかがデートだ、そんなに深く考えなくてもいいだろう。
彼女だって、そんな大袈裟には考えていないはずだぜ」
「そうかなあ?」
「そうさ」
将は左手を口に当てて少し考えていたが、やがて顔を上げて言った。
「ま、なるようにしかならないか。ともかく当面の問題から片付けるしかないな。
何しろ明日から、期末テストがあるんだから」
「ああ!そうだ!!」
和人が突然大声を上げたので、将はさすがに驚いた。
「なんだよ?いったい?」
「今日、ここに来たのはその事だったんだ。将、ノート見せてくれ」
「・・・、和人、お前なあ、いまさら慌ててどうする?」
「ちょっと、今回は怪しい所があるんだ、やらないよりはましだろう」
「そりゃそうだが・・・」
肩をすくめて将は続ける。
「判ったよ、切りにして勉強するか」
こうして二人は、とりあえず当面の最大の問題に取り掛かる事になった。
「それにしても将、お前余裕だな?」
「いや、年度末のテスト範囲が、この1年全部だと聞いた時点であきらめてるの」
「そうかい、そうかい」
ときめく時の中で(58)
別離と旅立ち、そして・・・(17)
年度末テストが終了した。
いい結果悪い結果それぞれだが、とにもかくにも学年最後の、各々の頭を悩ます、
最大のイベントは終わった。
将の成績は78位、将自身は「まあまあだな」などと言うものの、前回のテストが、
106位だったのだから大きなジャンプアップと言えるだろう。
苦手だった理系がある程度ではあるが伸びて来たのが原因と言えるだろう。
「この裏切り者」
「なんだよ、その言い方は?」
将の成績を知った和人が、教室で将に詰め寄ったのを受け、将も答える。
「だってそうじゃないか、”このテストは諦めた”なんて言っといて、
なんだよその順位は?」
「成績を上げて、文句を言われるってのも珍しいなあ」
「お前の成績が上がって俺との差が開くと、また美里さんに言われちゃうじゃないか、
”和人くん、将に負けないように頑張らないと駄目だよ”って。
あれが本っ当にこたえるんだ」
実感がこもった和人の言い方に将は笑いを隠しきれない。
「俺の親も珍しいよな、自分の息子を負かすようにけしかけるんだから」
「要するに、俺が頑張って将を抜けば、
今度は将をけしかけて成績を上げさせようとする。
なんだかんだと言ったって、美里さんは将の事を考えているのさ」
「和人はどうだったんだ?」
「194位」
「・・・・落ちたな」
「・・・少しな、まあ、赤はもらわなかったし、いいんじゃないの?」
「和人らしいや」
二人がそんな会話をしている所に、早乙女優美が加わってきた。
「やっほー、どうだった?年度末テストは?」
「良くなったけどね、まだ、早乙女には負けてるよ」
将は自分の成績の記載された用紙を、何のためらいもなく優美に見せた。
和人は、と言うと白々しく知らん顔を決め込んでいる。
「これは優美、驚いちゃうよ。将君、すごい伸びだね。
優美、今回ちょっと下がって75位だから、次には抜かれちゃうかなあ?」
優美の成績は安定していて、常に70位前後をキープしていた。
将の伸びを見せられてそう思わずにいられない。
「次って言ってもなあ、クラス替えがあるからこうやって3人でいられるかな?」
将の言葉に、優美は右手を軽く握り口元にやった。
「優美、女子のお友達ともそうだけど、将君と和人君とは同じクラスになりたいなあ」
「そりゃ、どういう意味だよ」
それまで知らん顔をしていた和人が優美に聞いた。
「だって、優美、男の子のお友達って今までいなかったんだ。
これだけ仲良くなったのって二人が初めてなんだもん」
「そりゃ、意外だなあ」
和人の言葉に将も賛成する。
「早乙女、人気あるんじゃないの?俺にはそう思えるけど」
「えへっ、そう言われると優美、嬉しいんだけど、
みんな優美のこと子供扱いするんだ。
優美、そんなに子供っぽく見えるのかな?
でも、二人はちゃんと対等に見てくれるでしょ。本当はそれが一番嬉しいんだ」
将と和人は照れたような笑いを浮かべ、顔を見合わせる。
「まあ、たとえクラスが違っても友達でいような」
「うん」
将の言葉に優美はうなずく。
「ところで、早乙女、なんで俺の成績は聞かん?」
そう言う和人に、優美は腕を組んで自慢げに答える。
「優美、死者に鞭打つような事しませんよーーーだ」
「くっそーーー!!何も言い返せないのがつらい」
そんな会話に将はたまらず声を出して笑った。
実を言うと、将の成績はテニス部1年男子のトップになる。
ちなみに、テニス部女子のトップは四本松の58位が最高だった。
そして連尺が66位である。
連尺にいたっては、前回の順位が124位であり、将以上の伸びである。
「四本松さんは相変わらずいい成績だし、それに加えて連尺さんと将君、
今回すごく頑張ったね」
テニス部の部室で、それぞれの成績を知った詩織はその3人にそう言った。
それに対して、一番最初に反論したのは四本松だった。
「そんな、詩織先輩に比べたら私なんてまだまだです」
「そうですよ、詩織先輩。ずーーっと10位以内をキープしてて、
今回のテストも7位じゃないですか。すごすぎます」
そう言って連尺も続く。
それで将はと言うと、自分よりいい成績の二人が自分の言いたい事を
全部言ってしまったので、手を頭の後ろに組んで黙ってしまっている。
二人の反論に詩織はさらに答える。
「それはそうだけど、みんな頑張ったのは事実でしょ。
素直に感心したんだけど、それも駄目なのかな?」
小首を傾げそう言う詩織に、四本松も連尺も言葉をなくす。
それを見て将が言った。
「そうですね、ありがとうございます。次も頑張ります」
「はい、私も頑張ります」
「私も」
将の言葉が助け船となったのか、二人はそう言って続いた。
それを受けて詩織は嬉しそうに笑って言った。
「うん、期待してるわよ。それじゃあ、練習しましょうか」
「はい」
と、3人そろって答えた。
練習が終わってから、将は連尺に小声で聞いた。
「連尺って、桜、好きな方?」
「え?どうして」
「いや、きらめき中央公園って桜が奇麗だって言うだろ。
良かったら一緒に行かないか?」
それは、将が彼なりにあれこれ考えたプランであった。
連尺はほんの一瞬考えたようだがすぐに答えた。
「うん、いいわよ。行きましょう。
将君、今、資金難だろうからちょうど良いかな?」
いたずらっぽく笑う連尺に将は素直に答える。
「連尺、痛い所突くなあ」
二人は笑いながらそうして春休みの約束を交わした。
ときめく時の中で(59)
別離と旅立ち、そして・・・(18)
将にとって大問題の3月14日がやって来た。
(誰だよ、こんな日を考え出したのは?)
将がそう思ってしまうのも無理はない。
とにかく、目が回る忙しさとでも言うのだろうか、
朝早くから各教室の間を忙しく飛び回っていたのだ。
朝だけでは間に合わないため、各休み時間や昼休みまで使わなければならない。
もっとも、そうなってしまうのには、
将らしからぬ手際の悪さが大きな原因となっていた。
何しろ、こんな事には慣れてないから段取りが悪い事おびただしい。
加えて、これはいかにも将らしいのだが、お返しをすべての人に対して、
手渡しをしようとしたため、捜す手間もそれに加わるからである。
さて、そのお返しだが手紙などを書く場合、それにあわせて返事を書いたが、
お返しそのものは一人を除いて全てハンカチ、
しかも同一デザインのものにしてしまった。
相手に対して、ランク付けをするような事がいやだったからだ。
一人を除いてと言う相手はここで言うまでもないだろう。
この姿を見ていた和人は、呆れたような表情を浮かべて、
(よう、やるわ)
と思った。
和人は知っているのだが、今回の事で将は自分の貯金をくずしてしまったのだ。
「そこまでしなくたって」
和人がそう言っても、将は、
「うーーん、そうかも知れないけど今年はこうしてみるよ」
と言って方針を変えようとはしなかった。
(まあ、将らしいと言えばらしいけど、この様子だと来年は、
さらに大変な事になりかねんぞ)
和人は頭をかいて苦笑いを浮かべた。
将がお返しをしていく先々では、いろいろな事があった。
まるでTVゲームのRPGのように、次々とその居場所を変える相手を捜して、
将が必死であっちこっち走りまわった事。
相手が双子で、渡す相手を間違えそうになった事などあったのだが、
大騒ぎになったのは、四本松に渡す時だった。
本来ならクラブの時に渡せばいいのだろうが、なるべく早く渡し終えたかったし、
何よりクラブで渡す様子を、ある人物、要するに詩織に見られる事に対して、
将自身に抵抗があったからだ。
それが失敗だったと将は後になって思うことになる。
「えーーと、四本松いるかな?」
四本松のクラス、1−Gの教室の入り口付近に立って話をしていた3人ほどの
男子生徒に将がそう聞くと、その内の一人が将の名札を見て答える。
「君、1−Bの吉野君?」
「・・・そうだけど」
「ああ、ちょっと待っててよ」
そう言って戸を開けて大声で叫ぶ。
「おーーい!四本松!
吉野君が面会に来たぜ!!」
一瞬の沈黙の後、将と四本松の間を何本もの視線が行きかう。
そして、教室中に歓声が沸き起こる。
(な、なんだこりゃ?)
将はあっけにとられて入り口に立ち尽くす。
その歓声の中、頬を桜色に染めた四本松が立ち上がる。
「将君?」
そう言った後、まわりのクラスメイトに自制を求める。
「もう、みんな、やめてよーー」
そんな言葉に、まわりは、
「はい、はい、判った判った」
等と言うのだがぜんぜん判ってはいない。
四本松は小走りで将に駆け寄り、将の右手をつかむ。
「ここじゃ、なんだから、屋上へ行きましょ」
「・・・ああ、いいけど」
背後に歓声を聞きながら二人は屋上に向かった。
結局、将は屋上で四本松にお返しをしたのだが、時間がない事もあって、
さきほどの事がどういう事態だったのか聞きそびれてしまった。
もっとも、時間があったとしても四本松の口から事態が明らかになる事は、
まず、ないであろう。
実はこの時点で四本松は、1−Gのマスコットと言うべきか、
アイドル的な存在になっていた。
最初の内は影が薄い存在であったのだが、その愛くるしい顔立ちと、
控え目な性格から、男子、女子を問わずクラス中の人気を集めていたのである。
その四本松の意中の人物が将だと言うことは、
すでに1−Gでは公然の秘密となっていたのである。
そんな中へ将が行ったものだから、あの騒ぎとなってしまうのも無理もない。
そんな事とは知らない将は、疑問を抱えながら自分の教室へ戻って行った。
「え?これを私に?」
その次の休み時間、将からのお返しを受け取った連尺はそう言った。
「迷惑だったかな?」
「ううん、そんな訳ないわ。ありがとう。
お花見に誘ってくれたから、今日はもらえないと思ってたから」
「あれはあれ、これはこれだよ」
「そう、本当にありがとう、うれしいな。お花見、楽しみにしてるからね」
「ああ」
そう言って将は笑った。
「和人!今日の掃除当番代わってくれ!」
放課後、顔の前で両手を合わせ将は和人に頼み込む。
その将に和人は笑いながら答える。
「別に良いけど、ただじゃなあ」
(うう、人の足元見やがって)
将はそう思ったのだが背に腹はかえられない。
「弁当1週間分」
「よし、乗った!!・・・てのは冗談さ。
早く行けよ、・・・藤崎さんの所へ」
親指を立てて拳を突き出し、和人はにやりと笑った。
「ありがとう、恩に着るよ」
そう言って、将は荷物を慌ただしくまとめ教室を後にした。
その背中に和人は独り言のように声をかける。
「頑張れよ」
ときめく時の中で(60)
別離と旅立ち、そして・・・(19)
将は、詩織の教室2−Aとテニス部部室を結ぶ最短ルートにある、
1階の階段の入り口に立っていた。
上級生のクラスへはさすがに行きにくいし、かと言って、
部室で待っていると言うのは将の性格では無理がある。
確実にこの場所を詩織が通るという自信はなかったが、
確率的には高いと将はふんだのである。
そして、将の計算は正解だった。
ただし、計算すらしていなかった事があった。
詩織はクラスメイトであろう複数の人間と階段を降りて来たのである。
全くうかつな事なのだが、詩織のように人気があれば今回のように、
彼女の周りに人が集まってくるのはある意味当然で、
将は自分の甘さを呪った。
「あら、将君、こんにちは」
「あ、こんにちは、藤崎先輩」
挨拶を交わしたものの、この先なんと続ければいいのか、
将は次の言葉を選びかねていた。
そんな将を察してか、詩織はそばにいた友人たちにさり気なく言った。
「それじゃ、私、クラブに行くからね」
その友人たちもさすがに事態が飲み込めたようで、
「うん、じゃあね」
「バイバイ、また明日ね」
などと別れの挨拶を詩織に言って立ち去った。
もっとも、その場を離れる前に将に興味深そうな視線を投げかけて行ったのだが、
それに気がつく余裕は今の将には望むべきもなかった。
それでも、なんとか初期の予定通りにはなったので将は手にしたバッグから、
リボンの付いたカラフルな包みを取り出した。
「えーーと、これ2月14日のお礼です。
気に入っていただけるかどうかは判りませんが、よかったら受け取ってください」
「・・・まあ、私に?うれしいわ、ありがとう」
詩織はそう言って将が差し出した包みを両手で受け取った。
「ねえ、開けてもいい?」
「・・・、ええ、かまいません。
でも、中身を見てがっかりしちゃうかもしれませんよ」
「そんな事はないと思うな、将君が選んだものならね」
詩織の言葉に、将は背筋がかゆくなる思いだった。
詩織の事だから裏に意味がある訳はないのだが、自分のセンスに自信のない将は、
そんな風に言われ、照れ臭いやら恥ずかしいやら、なのである。
「わーーー、かわいい、素敵ね」
それは、パステルカラーを一部で使ったマグカップだった。
将は、プレゼントを選んでいる時雑貨屋で偶然それを見つけた。
それまでいろいろ悩んでいたのだが、それを見た時直感的に
「これだ」
と、思ったのだった。
そこには何の根拠もなかったのだが、将は自分の直感を信じる事にした。
何のためらいもなくそれを手に取りレジへと向かっていた。
「ありがとう、大事にするね」
「そう言ってもらえると、嬉しいです」
「でも・・・」
詩織のその言葉に、将の思考に暗雲が広がる。
「何か、気に入りませんか?」
「ううん、そうじゃないの。ただ、これのペアってないのかな?って思っただけ」
「え?」
将は、その時の状況を思い出した。
確かにいろいろな種類が並んではいたが、
記憶が正しければペアはなかったはずである。
「いや、確かなかったはずですが・・・、それがなにか?」
「ううん何でもないの。それじゃ行きましょう、将君」
「は、はい」
将はそう答えたものの、釈然としたものが残ってしまうのはどうしようもなかった。
練習が終わった後、将はこの日最後のお返しを古式に渡した。
嬉しそうに受け取った古式は、将に今日の首尾を聞いて来たのだ。
詩織にお返しを渡せた事を知って、
古式は目を細めにっこりと微笑みながら将に言った。
「そうですか、それは、よかった、ですねえ」
「ええ、なんかほっとしました」
「でも、なんだか、詩織さんと、差を、付けられてしまった様で、少々、
残念ですねえ」
将は古式の言った事に、どんな意味があるのか考えたのだが、
答えがすぐに出るとは思えなかった。
そんな将を尻目に古式は続ける。
「でも、将君の、思ってる方が、詩織さん、なのですから、当然ですよね」
そう言って再び目を細めにっこりと笑う古式に将は、
「冗談のつもりだったのかな?」
と、思うのみであった。
将の母、美里に対するお返しはここ数年決まって来ている。
将特製のビーフシチューである。
もっともこれは今日に限った事ではなく、けんかをした後、将の方が折れる時や
何か特別の日によく作られるものである。
いつの頃からか美里の大好物になり、美里の機嫌が悪い時などでも、
将がこれを作れば何とか気を取り直すほどである。
しかし、
「うう、食べ物で機嫌が良くなるなんて、私は子供かーーー!!」
と毎回言うので、将はそのたび困ったように笑うのである。
もちろん、今日は美里はそんな事は言わずに美味しそうにお代わりまでした。
「お母さんのように好みが判ってれば、今日だってずっと楽だったろうな。
あーーーーあ、なんか今日は、無茶苦茶疲れた。
来年、またこんなだったらどうしよう?
いやだなあ」
等と言う贅沢な(公言すれば、多くの同性からの反発は必至の)感想で、
将は今日と言う日を締めくくった。
ときめく時の中で(61)
別離と旅立ち、そして・・・(20)
まもなく4月になろうという3月の日曜日、そろそろ挨拶が「おはよう」ではなく、
「こんにちは」になりそうな頃。
薄いピンクのパジャマを着た詩織が、
寝ぼけ眼を擦りながら自宅の階段を降りていた。
寝不足で今ひとつ調子のでない体をしゃきっとさせるため、
シャワーでも浴びようとバスルームへ向かって行った。
いくら休日とは言え、彼女がここまで朝寝坊するのはここ数年珍しい事である。
昨夜、詩織は自分の机の前で数冊の本と深夜まで格闘していた。
しかし、たとえ今年度から受験生になるといっても、
ある日突然生活のパターンを変えるような彼女ではない。
そもそも、その本にしても受験勉強用のものではない。
しかも、ここ数日、詩織は突然考え込んだり調べ物をしたりして、
何か重大な物を抱え込んでいるように見える。
テストも終わり、とりあえずそこまでする必要はなさそうなこの時期に、
いったいどうしたのか?
彼女の両親が心配するには十分な詩織の生活の変化であった。
「おはよう、詩織」
「あ、おはよう、お父さん」
バスルームへ向かう途中、廊下で父親とばったりと出くわした。
「今、お目覚めかい?
昨夜は遅くまで頑張っていたようだが」
「うん、まだ眠いからシャワーでも浴びようと思って」
「そうか・・・」
父親は、しばしためらったような間を置いて詩織に言った。
「話したい事があるから、シャワーを終え着替えてからで良いから、
ダイニングに来なさい」
「・・・はい」
詩織は何も聞かず、すぐさまそう返事をした。
詩織が白いトレーナーとデニム地のスカートに着替えてダイニングへ行くと、
両親がテーブルの向こう側で椅子に腰掛け待っていた。
「まあ、座りなさい」
「はい」
詩織が椅子に座るのを見てから、父親は用意していたはずの言葉を、
躊躇しながら口にし始めた。
「私の口からこんな事を言うのはなんなんだが、詩織は私達には過ぎた娘だ」
横で母親がうなずく。
「性格は良く素直に私達の言うことも聞く。だが、それでいて自分という物を、
しっかり持っているし成績だって文句のつけようがない。
よそさまから見れば何も心配する必要のない、
うらやましいと言われるような娘だと思う」
父親はそう言った後、無意識の内にテーブルの上のたばこの箱から、
1本取り出そうとしたが、母親に手を抑えられた。
「あなた」
「ああ、すまん、すまん」
彼は緊張すると、ついたばこに手を出してしまうようだ。
「だがな、親と言うのは勝手なもので、それならそれでほんのわずかな事が、
気になってしまうのだよ。
詩織は最近何かに集中しているようだが、それがどうにも心配でな。
今までこんな時期にここまで頑張った事はないだろう。
もし、受験のためにと言うのなら、今からこんな具合ではかえって心配なんだよ」
「・・・、ごめんなさい、心配かけて」
「いや、それはいいんだ。
お前のことだからそれぐらいは考えているだろう。
ただ、私達が心配なのは、お前が何か悩みを抱えているのではないか?
と言うことなんだ」
詩織は、明らかに驚いた表情を浮かべた。
自分では、家族のものに心配をかけさせまいとして、
普段通りの生活を意識して来たつもりなのだ。
なのに、両親は自分の事を見抜いていたのだ。
しかしそれは、詩織以外の目から見れば、むしろ滑稽な程である。
彼女が意識したとしても、その変化は一目瞭然のものであったのだから。
「お父さん・・・」
「もちろん、そうだったとしても、無理に聞き出すような事はしないよ。
私達には話しづらい事だってあるだろう。
ただ、もし私達にできる事がある様だったら、遠慮はいらない、
どんどんこき使ってくれないか?
たまには私達に親らしい事をさせてくれ」
優しい笑顔を詩織に見せながらそう言った父親の後を受け、
母親が、少々呆れたような笑いを浮かべて続ける。
「要するに、お父さんは娘離れができてないのよ。
お母さんは詩織に任せなさいって言ってるんだけど」
その言葉で、やや緊張していた詩織の表情が和らいだ。
父親としては、痛い所を突かれて多少面白くないのだが、気を取り直して言った。
「人間、頑張る事は大切だが、時には肩の力を抜いて辺りを見回す事も大切だ。
少なくとも私はそう思う。
成績が多少落ちようとも、構わないよ。
今しか出来ないと思う事があるのならやりなさい。
まわりの目を気にするより、自分が今何をしたいのかそれを考えて欲しい。
・・・私達に言えるのはそれだけだ」
両親には、具体的に詩織が何を悩んでいるのかは判らない。
だが、それは詩織にとって答えを出すための一つの糸口になったのは確かだった。
自分は、両親や周りの人の期待を裏切るかも知れない、
そんな思いは確かにあったのだ。
両親の気遣いが嬉しい。
「ありがとう、お父さん、お母さん」
さらに詩織は、視線のやり場に困ったように天井を見上げて言った。
「でも、お父さん、成績が落ちても良い、なんて言う親はなかなかいないわよ」
そう言って、くすくす笑う詩織に母親もつられて笑う。
父親はと言えば、複雑な表情を浮かべて腕組みをして黙り込んでいる。
その様子がさらなる笑いを誘う。
ちょうどその頃、将は連尺と共にきらめき中央公園にいた。
ベンチに腰掛け、缶ジュースを飲みながら桜並木を左右に見ていた。
「ちょっと早かったかな?」
五分咲きと言った所の桜並木を見た将は、独り言のようにそう言った。
それに連尺は答えた。
「でも、こんな風の日に満開だったら、花が散ってしまって桜の木が可哀想だわ」
その言葉は将の動きを止めた。
「どうしたの?」
そんな将に連尺は首を傾げる。
「いや、木が可哀想って言う感覚がいかにも連尺らしいな。
そう思ったんだ」
「そうかなあ?
だって一年振りに咲けたんだよ、できるだけ長く咲かせてあげたいじゃない」
「そうだね、確かに連尺の言う通りだね」
そんな二人の間を、春のやや肌寒い風が吹き抜けて行った。
連尺の少し固めだが癖のないまっすぐな髪。
肩の所で揃えられたその髪が、風にあおられ後方になびいた。
大きい方になるであろう澄んだ瞳は、そんな風を気にせずに桜並木を見つめていた。
その横顔を横からみる格好の将は、何の計算もなくぽつりと言った。
「なんか、連尺やせたよな」
連尺は将の言葉にすぐには反応できなかった。
実のところ体重そのものはあまり減ってはいない。
だが、両親や二人の姉からもよくそう言われる。
それはきっと、顔が以前に比べほっそりしたせいだろう。
彼女自身は実感してはいないのだが、
それは紛れもなくこの1年の成長の証しである。
「・・・・・・そう見える?
マネージャーのお仕事ってのも結構ハードなのよ。
そのせいかな?」
「そうかもね」
「将君こそすごく変ったよ。
最初に会った時は何だか中学生にだって見られそうだったのに、
ずいぶん大人びて来たもん」
「童顔だからねえ」
少しばかり皮肉っぽい笑みを将は浮かべる。
確かに将は目も大きく、顔の輪郭も柔らかい感じがある。
「でも、すごいな男の子って、1年でどんどん変わっていくんだもん」
「・・・・そうか、もう、1年になるんだなあ」
「そうよ、4月からは2年生になるんだよね」
二人は、何事か考えるかのように桜を見上げた。
そして将は連尺に向き直る。
「ま、今後ともよろしく」
「こちらこそ」
どちらからともなく、二人は握手を交わした。
−−−−−−−−−−−−−−−別離と旅立ち、そして・・・(終)
鈴鹿8時間(HQI01420@niftyserve.or.jp)
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