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ときめく時の中で総集編 第2集
ときめく時の中で(8)
彼女が水着に着替える時は(1)
四本松にとって、学校の仲間と授業以外でプールにいくなどというのは、
数年前なら考えられなかった事だ。
小さい頃から呼吸気系の持病があったため、運動はもちろん、
外出さえ制限される事もしばしばであった。
両親、かかり付けの医者、そして何より本人の、粘り強い長く苦しい治療により、
ようやく普通の人と変わらない生活が営めるまでになってきたのだ。
普通に生活ができるようになっても、それまでの事を知っている人からは、
なかなか、活動的な事には、誘ってもらえなかった。
それがようやく、高校に入って、そういう先入観のない人から、
ごく普通に誘ってもらえる。
こんなことが、今の彼女にはたまらない喜びだったのだ。
(藤崎先輩には、感謝しなきゃ)
そんなことを考えながら、待ち合わせ場所に向かう道で、
長いやわらかそうな髪を左右リボンで束ねた、知っている顔を見付け呼びとめた。
「未緒ちゃん!」
「あら、優ちゃん」
呼びかけておいて、四本松は思い出したように前言を撤回する。
「やっぱり、先輩に向かってこんな言い方はいけませんよね」
「いいのよ、わたしも、優ちゃんに、如月さん、なんて言われたら、
戸惑ってしまいますよ」
そう言う二人は、クスリと笑った。
小さい頃、同じ病院に通院して、気が付いたら仲の良い友達になっていた二人。
ただ、如月の方が2月生まれと言う事で、学年が一つ上になってしまった。
実際には、3ヶ月しか違いはないのに。
「あら?
その荷物からすると、泳ぎに行くの?」
四本松が持っている、一目でそれと判る荷物を見て、如月がたずねた。
「うん、クラブの先輩に誘われたの」
「そうですか、それはいいね」
声が、ほんの少し悲しげな理由を知っている四本松は、
「でも、全然、泳げないから、ちょっと心配なの」
と、慌てるように付け足した。
「良いのよ、そんなことで気を使わなくても、私はまだ身体が弱いけど、
優ちゃんがその分元気でいてくれるから、私も頑張れるのよ」
そう言われて、気が少し楽になる四本松だった。
その後、良くある話題となり、
「未緒ちゃん、全然その後どうなっているのか
教えてくれないんだもんなあ、片思いの人の話」
「そんな、話す事がないんだもん、一緒に下校したのだって、
前にお話してからは無いの」
「うーん、・・・未緒ちゃんの事だから判るけど、もっと、積極的にならないと、
顔も覚えてもらえないよ]
(でも、それが出来れば苦労しないか、未緒ちゃんの場合)
「ところで、優ちゃんの方こそどうなの?
気になる人、いないの?」
「えっ?」
いつもと違うその反応に、如月は言葉を続ける。
「・・・そうですか。良かったら、どんな人か教えてもらえないかしら?」
「かなわないなあ未緒ちゃんには。
でも、まだ全然お話もできないでいるの。
せっかく先輩に誘われて、一緒のお買い物ができたのに」
「どんな人ですか?」
「前から、気にはなってたの。
それが同じテニス部に入ってくれるんだもの、なんか、どきどきしちゃって」
「ふーん、テニス部の人なんですね」
「あっ」
つい、言ってしまった事に如月に反応されて、四本松は頭をかいた。
「でも、ほんとに同じクラブ、て言うだけなんだ」
「優ちゃん」
「なあに」
「優ちゃんも、人の事言えませんよ」
「!、そっか、そだよね、」
二人は顔を見合わせ笑った。
将は時間前に着いたが、もう全員集まっていた。
「それにしても、今日は暑いね」
と言う詩織の呼び掛けで集まったのは、総勢8人。
将のほかに男子部員が二人、2年生の元城、練習で顔だけは知っている。
同じく2年生の米津 義昭。
あとは、詩織、連尺、四本松、芳川、そして、テニス部以外の女子が一人。
直接は知らないが、超高校級スイマーと言われている2年の清川。
「なーんか、私だけ部が違うけど、連尺に連れられて来たんだ。よろしくな」
と言いつつ、連尺の背中を軽くたたき自己紹介をする。
「それじゃ、中には入りましょう」
詩織の言葉で、全員中に入って行った。
プールではしゃぐ人々、その中で二人だけ、プールサイドでベンチに座り、
その様子を眺めている。
連尺、清川の二人だ。
「すいません、清川先輩。お付き合いさせちゃって」
「いや、いいんだ、今日学校のプール掃除で使えないから、ちょうど良かったよ」
「だったら、私に構わず泳いできて下さい」
「それじゃあ、私がここへ来た意味が無いんだろ」
「・・・」
黙り込む連尺に、笑って清川が続ける。
「いいんだってば。それにしても泳がないのに、なんで来たんだ?」
「えっ、そ、それは」
「連尺は、今日泳がないの?」
そこへ将が割り込んで来た。
「ごめんなさい、私、ちょっと今日は・・・」
「別に謝ることないさ、でも残念だな、連尺の水着姿見たかったのにな」
「そ、そんな」
水着の上にTシャツ、その水着もスカート付きの物なので
ぱっと見は、水着姿に見えない連尺は、顔を赤らめる。
「清川さん、良かったら、俺がここにいますから、泳いで来て下さい」
「えっ?あ、いや、いいんだ、学校でいやになるほど泳いでるんだ。
たまにはゆっくりするさ」
内心と違う事を言って、申し出を断った。
「そうですか。でも、いつでも構いませんから言って下さいね、替わりますよ」
そう言って立ち去る将の背中を見ながら清川が言った。
「ふーん、そう言う事か」
「別に、将君とは関係ないですよ」
「私、別にそんな事言ってないよ」
と、にこりと笑う清川に、連尺は顔を更に赤らめた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−続く
ときめく時の中で(9)
彼女が水着に着替える時は(2)
「さっき、彼が変ろうか、って言った時、変ったほうが良かったかな?」
知らず知らずの内に、将の姿をさがしている連尺を見透かしたように、
清川が言った。
その言葉に、彼女は自分でも信じられないほど胸の鼓動が高まっていった。
「・・・判らないんです。
だって、知り合って1ヶ月程なのに、まだ、よく将君のこと知らないのに、
・・・こんなの、変ですよ」
「私もそう言うのよく判らないけど、その彼を見るだけのために来たんだろ?
長いこと来れなかったプールに」
そこまで言われたところで、連尺は顔を伏せた。
その理由を知っている清川は、それ以上言うのをやめた。
「なかなか、優しそうな、いいやつみたいじゃないか」
御機嫌を取る、というわけではないが、場の雰囲気に耐えられなくなった清川は、
なんとか話題を変えようとしたが、結局こんな事しか言えないのだった。
「でも、怒るとすごく恐いんですよ」
これがどういう意味なのか、判断つかないまま清川は連尺の後頭部を見つめていた。 連尺が顔を上げ、にこりと笑うのを見て、
(なーんだ、誉めてんのか)
と、多少呆れてしまうのと同時に
(あいつなら、何とかしてくれるかもしれない)
とも、思っていた。
(何しろ、みゆきをプールに来させたんだから)
そのころ将は、四本松に付きっきりだった。
「泳ぎを、教えて」
それは、なけなしの勇気を振り絞って四本松の口から出た言葉だった。
ここへ来る時にそんな会話を如月としなかったら、きっと出なかったであろう。
(笑われるかな、呆れられちゃうかな)
そんな、不安と2人3脚をしている四本松に、将はごく自然に答えた。
「俺でよかったらね」
それは、四本松にとって最高の返事だった。
教えると言っても、将のそれはかなりそっけないやり方だ。
足のつくところで、四本松の泳ぎ(以前?)を見ているだけで
四本松が何か聞かない限り、何もアドバイスなどしない。
四本松はやがて、一度は突き放した不安と手に手を取って将にたずねた。
それに対する将の答えは、こうだった。
「何でも自分で考えなきゃ、泳ぐのは俺じゃなくて四本松なんだから」
正論なのかもしれないが、何だか冷たい気がした四本松だったが
「今日、できなかったら、またの機会に手伝うからさ。
ともかく、今日は水に慣れればいいんだよ」
と言う言葉に一変した。
つまり、次があると言うことになる。
そのことに気がついた途端に元気になって、出入りの激しい不安を、
今度は念入りに吹き飛ばしたのだった。
「いやー、ほのぼのとしていいねー」
そんな二人を見つめる4人の2年生、詩織、元城、芳川、米津。
その内の元城が言った。
その言葉を次いで芳川が続ける。
「将くんて,何でも器用にこなすほうだね」
「確かにね,彼の順応能力には,驚かされる時があるよ」
そう言ったのは,米津だった。
そして,今度は詩織に向かって言う。
「藤崎に聞きたいんだが,君は彼をどう評価してるんだい?」
米津は一応マネージャーなのだが,作戦参謀のような立場にある。
そのためなのか,もともとの性格なのか、論理的なものの言い方をよくする。
実は,詩織,芳川,元城の内,米津の満足できる答え方ができるのは
詩織だけなのである。
「そうね,米津君。私のファーストサービスを吉野君は初めてのゲームで打ち返した
の。“ホームラン”だったけどね」
ここで、一同を見回してから続ける。
「でも、これってすごい事でしょ?
ボールに対する反射神経、動態視力、ゲームに対する読み,そして基礎体力、
これらを既に持っているのよ」
「じゃあ,藤崎はそれらを見越して吉野をテストしたのか?」
元城が,信じられない,と言った風な口ぶりで尋ねる。
「うわさで聞いてた時には、これほどまでとは思ってなかったけどね」
「なるほど,藤崎のお眼鏡に適う逸材、と言う訳だ」
そう言って米津は考えこんでしまった。
こうなると,放っておくしかない事を知っているほかの3人は,
それぞれ,プールに散っていった。
夏の日差しに十分肌を焼かれ,8人はそれぞれの帰路につく。
その別れ際,将は清川に小声で言われた。
「あのさ,近い内に話したい事があるんだけど、時間とれるかな?」
「ええ,俺も,清川さんにお聞きしたい事がありましたから」
お互い知らない事だが,この時二人にはある共通の認識があった。
今度の月曜日がおたがいのクラブの練習日なので、その日に、と言う事となった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−続く
ときめく時の中で(10)
彼女が水着に着替える時は(3)
テニスコートのすぐ外でスケッチブックを広げるその女生徒に、
部員達が気がつくのにそれ程時間はかからなかった。
やや、無機質な印象さえ与えるほど、すっきりした顔立ちの少女が、
熱心にスケッチブックに向かうその姿は、
男子部員の関心を集めずにはいられなかった。
「誰を描いているのかなあ?」
「少なくともお前じゃねえよ」
「これで4日目だろ」
そんな会話が,ちらほら交わされる中、
”きら校テニス部のエース”と称される有玉は、誰に話す訳でもなく、
ぽつりと言った。
「意外に,頑張り屋だな」
話は,夏休み前にさかのぼる。
「アッオウ、ジャストモーメン、ちょっと待ってください」
廊下を歩いていた時、その声で呼び止められた時の有玉の感想は正直言って、
(やれやれ、またか)
という物だった。
2年の、片桐 彩子、それがその声の持ち主だった。
有玉は ここ数日、彼女から絵のモデルになるように頼まれていたのだったが
そんなことに慣れてはいない有玉は、断り続けていた。
だが、片桐もあきらめが悪いほうらしく、粘りに粘っている。
「もっと、他にもモデルになる人間ならいるだろう」
「ノノノノノオ、違うんだなあ、有玉さんのテニスをしている姿を見た時に
こう、なんていうのか、創作意欲が湧いてきちゃったんだよねー」
腰に両手をあてて、有玉は、思わずため息をつく。
「判ったよ、俺の負けだ、承知しよう」
「ワーオォ、リアリイ!本当にい
グラッド、とってもうれしいわ!!」
「ただし、俺がテニスしている時だけだ。それ以外は勘弁してくれよ」
「ウーン、ナイスサジェッチョン、いい提案ね、それでいいわ」
「夏休みのクラブ当番のコピー、後で俺の教室に取りにこいよ」
「セーンキュー、ありがとう。それじゃあ、また行きますね」
そう言い残し立ち去る後ろ姿に
(やれやれ、にぎやかな子だな)
という感想を抱いていた。
実は有玉にとって、この手の事はさして珍しくはない。
ただ、それらの多くが、有玉に近づく口実であったりしたので、
少々、いぶかしく思うようになってしまうのだった。
クールに見えると言われる顔立ち、183cmの身長、
そしてテニス部の主力という事実などから、彼の校内での人気は高いのである。
が、片桐は、今日も熱心にスケッチに来ている。
(正確には、クロッキーか)
しかも、それだけで、有玉個人に近づくような事はしていなかった。
(どうやら、最初の印象を変更する必要がありそうだな)
夏休みの間、テニス部には最低一人は、
定期的なギャラリーができる事になりそうである。
そのころ将はというと、そんなことにお構いなく、
先日買ったばかりのラケットで素振りの真っ最中だった。
まだまだ、実戦形式の練習はさせてもらえず、ひたすら、
基礎トレーニングと基本のくり返しである。
スタートが遅い将にとって、それはごく当然のことと判ってはいるのだが
やはり、早くコートに出てみたいと思うのは事実である。
(しかしまあ、みんなそう思ってるんだから、そゃあ甘い考えだ。
それより、今、できる事をしなくっちゃ)
将にとって、今日はこの後、清川に会う事のほうが重要だったのだ。
それが、中沢の一言で一変する。
「吉野、基礎トレ済んだか?」
「はい」
「そうか、じゃあ、2番に入れ」
「えっ?」
「サービス、打ってみろ」
「え、ええーーっ!!」
その思いは将の物だけでなく、コートに、ざわめきが広がる。
その数日前、ずっと規模は小さいが、同質のざわめきが広がっていた。
場所はテニス部の部室、そこの机に座り、居合わせていたのは、
中沢、有玉、米津、元城、佐鳴、新橋の6人。
いわゆる、テニス部最高幹部会である。
「吉野を新人戦に出す?!
本気ですか?キャプテン!」
本来、元城は特別な役はおってはいない。
だが、意思決定の時にこういう常識的な事をあえて言い、
話し合いの方向性を決定付ける役割をするので、キャプテンの中沢が同席させている。
今回もその役目を引き受けた格好になっていた。
「不満か?」
「不満も何も、吉野はまだラケットを握ったばかりのど素人ですよ!
そんなのを、新人戦とは言え公式戦に出したりしたら、
きら校はそんなに選手層が薄いのかと、他校の笑いものになりますよ。」
「ほかのみんなも、同じ意見なのかな?」
その質問に、最初に答えたのはサブキャプテンの佐鳴だった。
「まだ、決定じゃあないんでしょ?」
「もちろんだ、エントリーの締め切りまでには2ヶ月ある。
それまで様子を見てからだな。」
「じゃあ、いいじゃない元城君。
それまで様子見、と言うことで」
「しかし、佐鳴さん」
「私も質問」
そう言って小さく手を上げたのは新橋だった。
「新橋は反対か?」
「いえ、中沢君がそう考えたのならそれで良いけど、もう少し、その根拠、
と言うのを聞かせてもらえるかしら?」
小さくため息をつき、背もたれに体重をのせ両手を頭の後ろで組み、
中沢は別の人間に質問をする。
「米津も同じ意見か?」
「そうですね。おそらく有玉さんと決められたのだとは思いますが、
少々衝撃的で戸惑いますね」
「だ、そうだ、栄」
そう中沢に言われ、有玉は小さなうなずきを3回、繰り返した。
そして、人差し指を立て中沢は続ける。
「詳しい事はいろいろあるが、あえて一つだけ言うとしたら、
俺達は、あいつが初心者だと言うことを知っている。
だが、2ヶ月後、それを知らない人間があいつを見たらどう思うか、
そう考えると面白くないか?」
「別人になるって言うこと?」
右手の人差し指を鼻にあて、興味深げに笑いながら問いただす佐鳴に、
中沢も同様の笑いを浮かべ
「可能性の、問題だけどね」
と答える。
これにより、事実上の決定となった。
そんな事情など知らない将は、ボールをラケットの上で小さくバウンドさせながら
(これって、ひょっとして、えらいことになってるんじゃないのか?)
と、考えていた。
「自己流で良いから、思い切って打ってみろ」
「はい」
中沢に、そう答えてみたもの
(とは言っても、本で見たぐらいしかないんだけどなあ)
と、内心では思わずにいられない。
「では!」
短く声を出し、見よう見まねのトスを上げる。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−続く
ときめく時の中で(11)
彼女が水着に着替える時は(4)
「全く、吉野には驚かされるな」
「何なんですか、あいつは!!
どうしていきなりあんなサービスが打てるんだ!!」
”テニス部最高幹部会”のメンバーは、部室の机に座り、
テニスコートで先程見た光景を整理しようと努力していた。
だが、それは、その時受けた衝撃の強さを完全に打ち消す事にはならなかった。
まず驚かされた事は、サービスのフォームだった。
「本当に、素人か?」
普段、滅多にそんな事を口にしない有玉が、思わず口にしたほど、
基本にかなったフォームだったのだ。
もっとも、その打球は、そのフォームからは想像できないものだったが。
将の打った第一球は、まるで地面に水平に打ち出されたかのような軌道を描き、
反対側の金網に突き刺さった。
そう、突き刺さるという表現があてはまる物だったことに、次の衝撃がやってきた。
しかもそれは、次の衝撃のための触媒だったのだ。
「なるほど、1番楽に打つとあそこに行くのか」
何気なくそう独り言を言う将に、中沢は背筋に冷たい物さえ感じていた。
(軌道を修正しようと言うのか)
普通初心者は、コートの中へ入れようとしてちじこまったフォームになる。
それとて結局入らないから、ますますフォームが小さくなり、
全体のバランスを欠き混乱してしまう。
(吉野は、まず自分のスタンダードを決めてから、それを修正していくつもりなのか、なんてセンスだ)
結局、10本打って1本もインとはならなかったのだが、
後半の5本はどれもラインズマンが必要な物ばかりだった。
「もういいぞ」
と中沢に言われた時、将は、
(期待されてたのなら、失望されたかな)
と内心思っていた。
これは、将が本当に初心者である事の表れであるのだが、
将以外の人間の感想はまた異なる。
それは、外で見ていた片桐についても同じで、彼女にいたっては、
(あの1年生すごいじゃない、ひょっとしたらテニス部の秘密兵器かしら?
ンーン、ファンタスティック、素晴らしいわ、いいもの見ちゃった!)
と、思ってしまったほどなのだ。
「基礎体力と、反射神経か」
「米津、何か言ったか?」
独り言を言ったつもりなのだが、彼の言葉は停滞していた空気を再び動かしていた。
しばらくためらった後、彼は自分なりの結論を口にした。
「はい、キャプテン。彼は戦力になる、僕はそう考えます。
無論、今すぐという訳にはいきませんが」
「ちょっと待てよ、米津。テニスはサービスだけじゃないんだぞ」
「当たり前な事を言うなよ、元城 。今すぐじゃあないと、言ってるだろ」
「たった2ヶ月で戦力か、テニスもなめられたもんだな」
「現実を見ろと言っているつもりなのだがな」
「だからと言って、納得できるか!」
「納得するかどうかは、元城の問題だ」
「なんだと!」
「やめないか、二人とも!!」
二人の口ゲンカのドアをノックしている議論を、中沢が止めた。
「ともかく、大事なのは、これからだ。
素性のいい娘を一人前のレディにするというのは、源氏物語以来の男のロマンだぞ」
「コホン」
「あ、」
内容を勘違いしておぼえている中沢のたとえを、
わざとらしい咳払いで佐鳴が抑えた。
その時、ドアをノックして入ってきた者がいた。
詩織である。
「お呼びですか?キャプテン」
「おおっと、来たか。まあ座れ」
いすを反対にして、詩織の向かいに座り、中沢が切り出す。
「まったく、お前は・・・また、とんでもないものを引きずり込んだもんだな」
答えに窮する詩織に、中沢は続ける。
「まあ、見てた通りだ。それでな、秋の新人戦に吉野を出す事を考えている」
一呼吸置いてから、結論にはいる。
「藤崎、お前の責任だ。
あいつを任せる」
「はい、キャプテン」
将の知らぬところで、事態は正に急転直下で変化していた。
その頃将は、きらめき高校の近所の公園にいた。
汗をかいたポカリスウェットを飲み干した時に、
待ち合わせをしていた清川がやってきた。
「ごめーん、ちょっと、手間取っちゃって」
「いえ、俺も今来たところですから」
「やっぱり、水泳は夏が本番だからね、いろいろ、めんどくさい事が多くてまいるよ」
「・・・ところで、用件なのですが」
「ああ、そうだったな、それはさ」
その時、将と清川が話をしている光景を、遠くで見ていた生徒がいた。
考えてみれば、学校の近く、しかもクラブ帰りの時間とくれば、
目撃される可能性は極めて高い。
もちろん、やましい事など何もないのだから構わないのだが、
この場合、見ている側に問題があった。
「将君と、清川さん?
どうして、あの二人が?」
若い時の経験とは、勘違いと思い込みの積み重ね。
誰の言葉かは知らないが、今それを実践しようとしているのは、
いっしょに下校しようと、将を探していた四本松である。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−続く
ときめく時の中で(12)
彼女が水着に着替える時は(5)
どこの学校にも、7不思議のような話があるもの。
ただ、それはほとんどが、あるはずのない階段とか、夜中になり出すピアノとか、
と言った、ごく当たり前のまゆつばな物、と言うのが定説なのだが、
きらめく高校には、現実に、ある不思議な物があった。
生きたブラウン運動 。
光より早く情報をつかむ女。
3倍速再生しかしないビデオ。
などと言われる、朝日奈 夕子。
違う時間で動いている。
明治時代の超特急。
体温の下がった爬虫類。
などと散々な言われ方の古式ゆかり。
この二人が仲のいい友達だという事だ。
「どうやって、コミュニケーションしてるんだ?」
それが、この二人を知る者の共通の疑問だ。
他人がどう言おうと、二人の仲がよい事は事実であって、今日も二人は、
ショッピング街で、買い物なのである。
「うーん、こっちより、やっぱりこっちだよな。
待った待った、こっちのほうが、ゆかりんには似合うんじゃないか?
あー!、やっぱり、さっきのほうが良かったかな」
まるで、店の品物を全部見てしまうような勢いで、朝日奈が飛び回る光景を、
古式は、にこにこしながら見ている。
元々は、テニス部の合宿を翌週に控え、
古式のナイトウェアを買いにきたのであるが、熱心なのは、どう考えても、
朝日奈のように見える。
「ひなさん、いいんですよ、私はどれでも」
そう言い終わるまでに、10点ぐらい見比べてから、朝日奈は否定する。
「駄目、駄目、駄目、駄目、駄目、駄目、駄目」
まるで機関銃である。
「ゆかりんのことだからあ、きっとお母さんが作ってくれたもの持っていくと思うんだ
それはそれで良いんだけど、一着ぐらいは、違うの持ってたって良いんだからさ。
今ソッコーで、ゆかりんにバッチ合うのを選んであげるからね」
そう言いながら、再び店中を飛び回る朝日奈を、古式はニコニコと見ていた。
その夜、将の家では、将が合宿のことを美里に話していた。
「合宿?いいじゃない、行ってきなさいよ」
三面鏡に向かいメイクをしながら美里は言った。
「いいの?、ほんとに」
「当たり前じゃない、合宿、うーん、いいねえ、いい響きだ」
「あのねえ、遊びじゃないんだよ」
「何言ってるの、練習ばかりだって、後になれば、いい思い出になるんじゃないか」
「年寄りくさいセリフ」
「あー!言ったなあ!」
言葉と一緒に、軽く投げられたヘアピンをよけながら、
「本当に良いんだね、行っても」
と聞いた将に、美里は答える。
「くどい、母に二言はない」
すこし間を置き、将は別のことを聞いた。
「もし、俺ぐらいの年の女の子が、体に傷が残るようなけがをしたら、
やっぱり、ショックだろうね」
その質問は、美里を振り向かせた。
そして、鏡に向き直り、それに答える。
「そうねえ、その子の性格とか、回りの環境だとか、いろいろな事が絡むから、
一概には言えないけど、私だったらやっぱりショック大きいだろうね」
それだけ言ってメイクを再開した。
「・・・何も聴かないんだね」
「将が話したければ聞くけどね」
「・・・」
この親にしてこの子である。
同じ頃、米津は、合宿の準備に追われていた。
マネージャーという立場の彼にとって、合宿というのはある意味、
選手以上に過酷な物だ。
もっとも彼の場合、マネージャーという仕事の他に、
参謀役のような役目も負っているので、苦労はそれ以上である。
米津はその性格や、人物像がそのまま外見に表れている方である。
銀色のメタルフレームの眼鏡をかけ、理知的な雰囲気を漂わせる顔立ちは、
同時にやや神経質そうな印象を与える。
なんとなく、和服で将棋盤の前に正座するのが似合いそうな感じである。
理論派といわれる彼も、実際の手仕事となると、少々不器用なところがあって、
準備にはかなり手間取っていた。
そんな時に、母親が電話が入っていることを、親機から告げてきた。
「誰?」
「隣の鏡さんからよ」
「判ったよ、こっちで出る」
と言ってスイッチを入れた途端、受話器の向こうから、
けたたましい声が聞こえてきた。
続いて、それにかぶるように女性の声
「明 鏡!静かにしなさい!
あっ、ごめんなさい、義昭君」
「魅羅か、相変わらずタカビーしてるか?」
「もう、それはなしにしてよ」
「この時間に電話してくるって事は、また勉強を見て欲しいのか」
「そうなの、やっていただけるかしら」
「義昭兄ちゃん、また勉強教えてよ。お姉ちゃんじゃ、頼りにならなくって」
「もう!、机に向かいなさい!」
その声を受話器で聞きながら、米津は苦笑いをする。
そして、自分の部屋の惨状を見て、
(完全に煮詰まったから、気分転換にいいか)
そう考えていた。
「判った、すこし待っててくれよ」
それぞれが、それぞれの時をすごす、祭りの前のような気分であった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−続く
ときめく時の中で(13)
彼女が水着に着替える時は(6)
きらめき高校の敷地のすぐ北側に、
”光輝寮”
という建物がある。
2段ベッドを含め、ベッド数120、六畳個室、8部屋、大部屋6、
60人収容可能の食堂、シャワールーム、浴場、ミーティングルーム、
などを兼ね備えた、なかなかの建物で、
きらめき高校の、各種のイベントに利用するためにつくられた物だ。
春、夏、冬の各休みにはクラブ合宿に、その他の時でも、クラス研修、
教員研修などに1年中使われている。
今は、テニス部とサッカー部が、1週間の予定で合宿に利用している。
テニス部合宿の1日目、部員達は、すさまじい物を目撃する事となり、
練習中だというのに、そのことで言葉を交わさずにはいられなかった。
「俺は最初、吉野の奴上手くやりやがって、と思ったんだが」
「ああ、藤崎がマンツーマンで教えると聞いた時には、俺もそう思った」
「その考えは撤回するよ」
「同じく」
「吉野くん、大丈夫かな」
「詩織の事だから、それは考えているよ」
「だって、朝からあの調子だよ。吉野くん、壊されちゃうよ」
「・・・だけど、吉野君一言も弱音を吐いてないよ」
会話を交わす部員達の視線の先は1番端の3番コートである。
将は、ほかの部員達とは別メニューで練習をこなしていた。
練習?
その言葉が通用する物なのか、悩むところである。
今に時代にはそぐわないような、それはほとんど死語に近い、
しごき、
というべき物だろう。
基本的なステップワークから、サービス、ボレー、ストローク、レシーブ
と言うような基本のテクニック。
それらを、詩織が付きっきりで、将に叩き込んでいるのだった。
「もう限界?
この辺にしておこうかしら?
残念だけど」
「・・・、・・・、まだまだあ!」
息も絶え絶えに叫ぶ将の先にいる詩織は、誰もが知っている詩織ではなかった。
悪魔でさえたじろぐような冷徹な表情。髪をぬらす吹き出す汗と上気した顔が、
人間味を残してはいるが、元々の顔立ちが余計に迫力を増す事になっていた。
それに対する将とて、もはや将ではなかった。
鬼神のような表情と嵐のような迫力で、詩織に真正面から対抗していた。
もちろん、詩織には詩織を手伝う者がいるが、もはや詩織と将の学年を越えた
1対1の戦いであるかのようだった。
一瞬たりとも気の抜けない、静と動、ブリザードとサンドストーム、水と炎
それらの戦い。
誰もがそんな印象を抱かずにはいられない。
太陽がその存在意義をもっとも発揮する時刻、12時から2時半まで、
練習が中休みになるその時まで二人の戦いは続いた。
「ここまで、後は、午後からよ」
「ありがとう・・・ございました」
それだけ言って、将はその場に倒れこんだ。
「将君!」
誰もが不安と衝撃を抱いたその時、真っ先に駆け寄ったのは四本松だった。
おそらく、連尺がこの場にいれば同じ行動を起こしたろう。
だが、昼食の準備にこの場を離れていた彼女が、この事を知るのは後の事となる。
「将君!大丈夫!?
しっかりして!将君!」
呼び掛けに弱々しく答える。
「ああ、四本松か、・・・大丈夫さ、少し、眠らせてくれ・・・」
「将君」
「2時になったら、起こしてくれ」
それだけ言うと、静かに目を閉じた。
「将君!将君?」
「大丈夫、落ち着きなさい、四本松さん」
「でも。サブC!」
駆け寄っていた佐鳴が、四本松をなだめる。
そして、将の様子を見てから中沢に言った。
「キャプテン・・・、本当に寝てます」
「・・・、そうか。
ともかく、念のため保健室につれて、いや、運んでいく、だな」
その指示に従い男子部員が将に駆け寄る様子を横目で見ながら詩織に歩み寄る。
「藤崎の知らない一面を見た思いだな・・・?
藤崎?
まだ意識がこっちへ戻ってこないか?」
その言葉に、詩織の意識が詩織自身の物となって戻ってきた。
「彼は、吉野君は、・・・まだまだ、その力を・・・
伸ばしますよ、キャプテン・・・」
そう言って、詩織もまたその場に倒れこむ。
詩織を受け止めた中沢は半ば呆れた。
「こっちも寝てやがる」
それだけでも十分ほかの部員たちには衝撃的だったのに、午後の練習に、
何事もなかったかのように詩織と将が出て来るに至っては、
もう、それを表現する気力さえなかった。
「じゃあ、始めよっか」
「そうしましょうか、藤崎さん」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−続く
ときめく時の中で(14)
彼女が水着に着替える時は(7)
テニス部に限らず、合宿には勉強会と言うのがあるものだ。
学生は勉強が本分、という訳である。
合宿1日目夕食のおわった後、男子女子、それぞれの大部屋に別れ、
多少くつろぎながらテキスト類を広げる。
「何だ、吉野。お前もう課題が終わってるじゃないか!」
「いや、まだ3割がた解らないところあるし、倫理社会と現国の小論文がまだ」
他の1年生部員が、なにげなく将のノート類を借りたとこから、
この会話は始まった。
「っんなの、もう終わったも一緒じゃん」
「まじかよー」
「8月入ったばかりだぞ」
集まる視線に、たまらず答える。
「俺、こういうの残しておけない性格なんだ」
「吉野ーっ。ノート見せてくれー!!」
「先輩、学年違うじゃないですか!」
大部屋が笑いに埋もれる。
その笑いが一段落したところで、中沢が将に向かって言った。
「吉野。今日はもういいから、休んでこい」
「休んでこいって言っても、ベッドここですよ」
「ああ、そうか」
中沢は、照れ臭そうに頭をかいた。
「ともかく、課題を済ましたのがいると、そいつを当てにしちまうのがいるからな。
ノートを持って散歩するなり風に当たるなりしてこい」
「でも、キャプテン」
「俺が許すから」
そう言われたらここには居ずらくなる
「・・・判りました。少し風に当たってきます」
そう言い残して将は部屋を出ていった。
その足音が遠ざかるのを確認して中沢は口を開く。
「みんなに一つ言っておく。
そんな馬鹿はいないと思ってはいるが、吉野に対して、
万一悪意を持つような事があったら俺に言え。
吉野個人に対して何かする事は絶対に許さん。
今回のことは俺に責任がある。文句があったら俺に言え」
静まる室内の空気。その空気を、軽く手を上げた2年生が変える。
「何だ、篠原?」
「失礼ですが、キャプテンは勘違いをしています。
この期におよんで、吉野の実力が解らないような馬鹿は、
僕が知る限り一人もいません」
「そうだよなあ」
その言葉を腕組みしながら元城が受ける。
「自慢じゃないけど、俺があいつと明日試合をしたら楽に勝てます。
あさってやっても同じでしょう。
でも、この合宿が終わるころにはきっと苦労します。
1ヶ月後は・・・考えるのが恐いですよ」
「そりゃ、確かに自慢じゃない」
その言葉にまた笑いがおこる。
「なんでえ、そんなに面白いかよ」
「俺には笑えないな」
大袈裟にふてくされたそぶりの元城に、静かに有玉が言った。
「半年後を考えると俺は元城のことを笑えない」
その言葉に全員言葉をなくす。
静かになった中、米津が自分の意見を言う。
「ただし、吉野がうぬぼれたり、自分を見失う事になれば、それまでです。
それまでの才能です」
その意見に対しては複数の声が上がった。
「確かに米津の言う通りだけど、
俺、なんかあいつにはそんな心配いらないような気がする。根拠は全然ないけど」
「僕もそう思います。吉野ってなんか、いい奴ですよね」
「軽々しく口にしたくないけど、天賦の才能・・・か?」
共通の認識が、この場にいるすべての人間の意識にすべりこんだ時、
中沢が締めくくる。
「今度は、みんなにお願いする。吉野の力になってくれ」
拒否をするものは一人もいなかった。
その頃将は、校庭にある大木の根元に座り込み、ガスで少しすすけてはいるが、
満天に広がる星空を見ていた。
その時、
「あら、将君、どうしたの?ひょっとしてさぼりかな?」
と、声をかけてきたものがいた。
「連尺こそどうしたんだよ」
連尺が将の脇に立っていた。
「ただいま、休憩時間」
「やっぱり、さぼりじゃないか」
「違うったら!」
「そんなにまじめにならなくても、連尺がそんな子じゃないのは、知ってるつもりさ」
その言葉に連尺は、今が夜で良かったと思っていた。
なぜなら、今、自分が赤面している事が自分で判るからだ。
「昼間、倒れたんだって?大丈夫なの?」
「そんなに心配する事じゃないよ、緊張が解けて爆睡しただけ。
多少疲れてはいるけど一晩寝ればきっと大丈夫だよ」
「あまり無理はしないでね」
「うーん、藤崎さんしだいだなあ」
「・・・・・」
黙り込む連尺に将がたずねる。
「本当のところ、連尺はどうしてここに来たの?」
「この木を見に来たの」
「この木を?」
意外な表情をする将に連尺は思わず疑問を口にした。
「まさか将君、伝説のこと知らないとか?」
「伝説?何それ?」
その答えに連尺はため息をつき、かえって納得をしていた。
「そうだよね、将君ってそういう感じだもの。この木の伝説って言うのはね・・・」
このとき、一筋の流れ星がながれた。
その空の下、連尺はきらめき高校に伝わる伝説を将に語り始めた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−続く
ときめく時の中で(15)
彼女が水着に着替える時は(8)
きらめき高校の校庭にある一本の大木。
その下で語らう将と連尺を見ているのは、空の星達だけであった。
「卒業式の日にこの木の下で、女の子から告白して結ばれたカップルは、
永遠に幸せになれる、か」
連尺から聞いた話をまとめて将は口にした。
木の幹に背中を当てて立っている連尺が、空を見ながら自分の感想を言う。
「なんか素敵な話だよね」
木の根元に座り込み、頭をかきながら将は答える。
「連尺、好きそうだものなあ、そう言うの」
「将君は、嫌い?こういう話」
「というより、俺だったら卒業式までなんて待てないだろう、って言うこと」
クスリと連尺が笑う。
「将君ならそうかもね」
そこまで言って、くるりと木の方に向き直り話し続ける。
「でも、私にはできないもん、私みたいな意気地なしには、将君や、
ここで告白した人のような勇気なんてないもの」
「そんな風に決め付けるもんじゃないよ、連尺だって怒ると恐いからな」
「ひどーい」
と怒った素振りを一瞬だけ見せてすぐに戻る。
「将君て、優しいね、本当に」
「だからなんだよ、それは」
「だって聞いたんでしょ。清川先輩から私の傷の話」
「・・・ああ」
長い沈黙の後、ようやくそう答える
「清川さんから聞いた。ごめんな、影でこそこそするようなまねをして」
「ううん、いいの。清川先輩も、将君が聞いてきたのは心配した上のことで、
興味本意なんかじゃないって言ってたもの」
「清川さん、話しちゃったんだ。
俺には、連尺にも誰にも話すなと言ってたのになあ」
「だって、先輩はすぐに態度に出るし嘘がつけない人だもん」
そう言って、連尺はクスリと笑った。
それは将が、初めてサービスを打った日のこと。
クラブ練習の帰り、近所の公園で清川にまず言われたのは、
「今から話す事を他人に漏らしたら、一生軽蔑するからな」
と言うことだった。
「もし、俺がそういう人間に見えるなら、この話はここまでにしましょう。
でも、できる事なら信じてもらいたいし、清川さんに軽蔑されたいとも
思っていません。
信じてもらうしかないってのが、悲しいんですけど」
将がそこまで言うと、清川も腹をくくったようだ。
「そうだよな、よし、本題に入ろう。まず、吉野君の聞きたいって事は何だい?」
「あっと、それはですね」
将は少しためらった。なんと切り出そうか、上手い言葉が見つからない。
散々悩んだあげく突拍子もないことを言った。
「連尺って、水泳やってませんでしたか?」
「えっ!?」
清川は驚いた。それは質問が突拍子もない事でなかったからだ。
「どうして知ってるの、その事?」
「やっぱり」
そう言って将は、左の手にしていたスポーツドリンクの空き缶を、
10メートルほど離れたところにある、ごみ箱に向かって投げた。
きれいな放物線を描き、缶はごみ箱に飛び込んでいった。
「誰かに聞いた訳じゃありません。
ほら、連尺って少しぽっちゃりしてるでしょ?
でも、それは、何かスポーツをしていての事ですよ。それもかなり本格的に。
そして、ああいう肉の付き方をするのは、水泳ぐらいしか思いつかなかったし、
清川さんと知り合いだということで、もしやと思ったんですよ」
「すっごーい、シャーロック、ホームズみたい」
清川ははっきり言ってそれ程読書をするほうではないが、それでも、
ドイルの名作の主人公の名前ぐらいは知っている。
将は、そんな風に言われるとかえって照れ臭くなるのだが、とりあえず続ける。
「それが今はしていない、もしそこに何かあるようなら、周りが気をつけないと、
連尺を傷つける事になりかねません。
もしよかったら教えてくれませんか?連尺に何があったのか」
将にそう言われて、清川は思った事を素直に口に出した。
「君ってよく気がついて、その上優しいところあるんだなあ」
(なるほど、連尺の気持ちがよく判るよ)
これは口にはしなかったが。
「よしてください、そんな事言われても何も出ませんよ」
「そりゃ、そうだけどさ」
そう言って清川は連尺の事を話し始めた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−続く
ときめく時の中で(16)
彼女が水着に着替える時は(9)
将の意識と記憶は、清川から連尺の話を聞いた時にまで遡っていた。
連尺は子供の頃からスイミングスクールに通い、突出してはいないが、
なかなかの素質を持っていたという。
清川とは同じ中学の先輩、後輩になる。
中学でも水泳部に所属し、一所懸命に練習する子だったという。
それが、どうして今は水泳をやめたのか?
「交通事故?」
将は、意外な単語に思わず聞き返す。
「うん、連尺が中2の時に4WD車にはねられたんだ。
命は助かったんだけど、背中から左の脇腹にかけて傷が残ってしまったんだ」
少し考え込んでいた将が声を上げる。
「あっ、それじゃあ、水着!」
「そうなんだ。見えてしまうんだよ」
「・・・・・・・」
黙り込む将に清川は続ける。
「間違わないでくれよ。確かにそれは根本の原因だけど、それだけじゃないんだ」
「?」
「連尺は水着を着るたび、それを気にする自分を、弱い自分を、
自分自身が許せなくなってしまったんだ。
泳ぐどころか、プールにも行くことができなくなり、
最後にはふさぎ込んでしまったんだ」
「・・・・・・ノイローゼ、ですか?」
将がそう言うと、清川は呆れたような困ったような、何とも表現のできない
表情になった。
「言葉にするとたいした事じゃないように思えるけど、あの時は、
精神科のカウンセリングを受けたり、長期欠席したりと、
現実に身近におこってみると、そりゃ大変な事さ」
その言葉を聞いて将は赤面した。
自分は結局第三者であって、清川や連尺の苦しみや悲しみを、何一つ、
現実の物として受け止めてはいないのだ。
自分の今している事が、ひどく生意気で小賢しい物だという思いに、
とらわれたのだった。
そんな将を見てあわてて清川が言葉を加える。
「君がそんな風に気にしなくても良いんだ、大事なのは、
これからどうするのかなんだから」
「これから?
清川さんは、連尺はまた水泳をした方がいいと?」
「そうじゃないんだ。ただ、今はだいぶ良くなってるけど、
きっとまだ完全にふっきれた訳じゃないんだ。時間がかかると思う」
「じゃあ、俺は今までと変わらずにいれば良いんですね」
「え?」
今度の清川は意外だと、はっきり判る表情になった。
「俺は、人の生き方に影響を与えられるような、たいしたものじゃ有りません。
連尺をどうにかしてあげようなんて、そんな生意気な事は考えません。
今まで通り接して行きます。それで良いんですよね?」
「・・・ああ、そうだね。それで連尺が、助けを求めてきたら、
出来る限りのことをしてあげて欲しいんだ。
今日私が言いたかった事も、そういった事なんだ。お願いできるかな?」
「何も出来ないかも知れませんが、清川さんに軽蔑されるような事だけはしません」
将は、ここで少し間をおいて聞いた。
「でも、なぜこの事を、俺に?」
「そ、それは自分で考えてくれよ、・・・じゃあな!」
そう言って身をひるがえし立ち去る清川を、将は?マークを3個ぐらい
頭の上にのせながら見送った。
将は知らないのだ。
詩織からプールに誘われた時、連尺が行こうと決心した理由は、
詩織から将も行くと聞かされたから、だという事を。
「どうしたの?将君?」
連尺の問いかけに、将はあわてて記憶と意識の日めくりカレンダーを
10枚ほどめくって、今日の日付に戻した。
「ああ、ごめん。少し考え事してた」
「将君にまで心配をかけちゃったんだね、私」
「何言ってんだ、俺が勝手に心配して、こそこそやっただけじゃないか。
連尺が気にしなきゃいけない事なんて何もないよ。
それに、俺は連尺の何の力にもなれない。無力なもんさ」
「ううん、そんな事ないよ、・・・だって、あっ、もう行かないと」
「俺は、もう少しここにいるよ」
「・・・そう、夏とは言っても夜だから、かぜなんかひかないでね」
そう言って連尺は、寮の方へと歩き出した。
「ああ、ありがとう、気をつけるよ」
その言葉に連尺が答え、振り返りながら立ち去るのを見送って、
将は独り言を言った。
「なんて俺は無力なんだ」
その言葉を聞いていたのは、やはり星達だけだった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−続く
ときめく時の中で(17)
彼女が水着に着替える時は(10)
テニス部の合宿も4日目に入っていた。
この日の夕食時に、ほんのささやかな事件がおこった。
食事の用意は基本的には専用の者が雇われているのだが、合宿の場合、
そのうち何日かクラブで用意する取り決めになっている。
要するに自炊である。
それ専用のキッチンまで用意されている。
体育系のノリと言うべきか、それを用意するのはマネージャーと1年生
と言うことになる。
通常女子が主になって、男子が手伝う形となる。
だが、女子=料理と言うのは、それはある意味逆差別となる。
この日、将は詩織との特別メニューの練習に慣れてきてはいたが、
やはり疲労が蓄積していた。
だが、こういうことで特別扱いされたらたまらないので、手伝っていた。
そして、数量的によってなのか、それとも根本的によってなのか、
てこずる、はっきり言って不手際な料理にたまらず、
「あのー、少し俺にやらせてもらえないかな?
もう少し楽させてあげられると思うんだけど」
と、口にしてしまった。
その様子を、その場にいた者の証言によって表わすと以下の様になる。
「なんかあの時は、吉野君が魔法使いのように思えてきちゃった」
で、あったり、
「料理の鉄人、ナマで見たような気がした」
で、あったりした。
そして、部員達がテーブルで見た物は、おかずが二品、炒め物と揚げ物、
コンソメで味付けされたスープ。
そして、更に調達を間違えて多く仕入れてしまったニンジンをすりおろし、
砂糖などで甘く味付けをしたシャーベット状のデザートまで、出されていたのである。
「これ、吉野が作ったのか?」
異口同音に、あちこちから声が上がる。
「こんな大人数作ったの初めてだから、味のほうは保証できませんが、
何とか食べられるはずですよ」
中沢が思い出したように言った。
「だいたい自炊の日は、カレーとかチャーハンとか、それなりの物になるんだよなあ。
去年もそうだったし、なあ!芳川?」
「キャプテン!そこで、私の名前出しますかあ?」
2、3年がウケる。
昨年の自炊の係だったマネージャーの芳川、かなりの物を出したらしい。
料理はおおむね好評で、将はほっとした。
おおむねと言うのは、
「吉野君にこれだけの物を作られると、私自信なくなっちゃうな」
というのがあった訳で、そこまで将は関知できない。
1年生は、やはり1年生どうしで固まってしまうようで、
将のとなりに座っていた四本松が、心底感心した風に将に言った。
「将君に、お料理教えてもらわなくっちゃいけないね」
「その前に、泳げるようにならなくちゃな」
小声で将にそう言われ四本松は恥ずかしそうにうつむく。
将の答えが聞こえなかった連尺が、
「私も、お願いしようかな」
と言ったのには、
「連尺は教えがいが有りすぎるからなあ」
とわざと大袈裟な演技をして答えた。
「もう、意地悪なんだから」
と、連尺がやはりすねた演技をしたので、その場が盛り上がった。
実は四本松もほとんど同時に同じことを言ったのだが、それは、
まさに蚊の鳴くような声だったので、誰の耳にも入ってなかった。
「なあ、健太」
盛り上がっている様子を見ながらスープを飲んでいた中沢は、隣の有玉にそう呼びか
けられてぎくりとした。
有玉とは親友だが、部活をしている時、彼は中沢のことを、普通、キャプテンもしく
は中沢と呼ぶ。
ファーストネームで呼ぶ時は何か重要な時に限られていたからだ。
「なんだ?栄?」
「俺は、吉野に重大な欠点があると思う」
「欠点?」
中沢はしばらく考えていたが答えは出なかった。
「そりゃ、いったい何だ」
真剣な表情でたずねる。
「あいつは、自分自身にどんなにすごいポテンシャルがあるのか知らないんだ。
それが最大の欠点さ」
そう言ってにやりと笑う有玉に、中沢は横目で将を見ながら、
「それは言えたなあ」
と答えた。
2年生がかたまっているテーブルでは、ニンジンのシャーベットに関心が集まってい
た。
「うーん、もう少しないのか」
「少ないぐらいがちょうどいいの、太るよ」
「うう、それはこたえる」
そんな会話の中、やはり古式はニコニコしていた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−続く
ときめく時の中で(18)
彼女が水着に着替える時は(11)
テニス部の合宿もいよいよ最終日となった。
将と詩織の特別メニューでの練習も佳境に入ってきた。
実戦形式の練習では、実のところ将は詩織の相手にならなかった。
だが、それ以上に大事なのは一応のゲームになっていると言うことだ。
そして、時折、本当に時折なのだが、鋭い打球を見せる。
そういった事が中沢には重要だった。
この合宿中、有玉に言ったものだ。
「もともと新人戦なんて物は、試合経験のないものどうし、
場数を増やすのが目的なんだ。
勝敗なんてのは二の次三の次なんだよ。だから、吉野を出そうと思った。
負けを覚悟でいい経験になれば良い、その程度だったんだ、最初の内はな。
ところがどうだ、最近、俺は期待しちまってるあいつにな、これって変か?」
それに対して有玉は、いや、そんな事はないさ、という意味を込めて、
首を横に振るのだった。
各自クールダウンに入った。
どの顔も充実した表情を浮かべている。将はこの時、疲労のピークだった。
初日に倒れたのは、精神的な物だったが、今は蓄積された疲労が、
彼の運動能力の限界を極端に下げていた。
そのことに気付いていた人間が3人いた。
まず、その直接の原因である詩織。
二人目は、ある意味では当然だがそれを命令した中沢。
残る一人は、意外なところにいた。コートの外にいた片桐である。
彼女は、この合宿中、ほとんど毎日顔を出していた。
彼女のいるところに一番近い3番コートで、連日別メニューをこなす将に
目が行かない訳がない。
たとえ、競技そのものを知らなくとも、よく観察すればわかる物があるのだ。
「ベリータイヤード、とても疲れているのね」
そして、最後の礼を済ました瞬間、将は力尽きるようにその場に座り込んだ。
顔を伏せ地面しか見えない形で膝を抱える。
「・・・疲れたー」
自分自身でさえよく聞こえないような声で、そう漏らすと、
何かが上から押さえつけてるのではないか、そう思えるような重い頭を上げた。
目の前に信じられない光景が広がっていた。
詩織が、今にもこぼれんばかりの涙を目に浮かべ、顔を近づけていたのだった。
「よく頑張ったね」
そう言うと、両手を左右から将の首にまわし、引き寄せもう一度、
「よく頑張ったね」
と、だけ言った。
詩織のやわらかい髪を、右の耳で感じながら将は、
「先輩のおかげです」
とだけ答えた。
”きっと今、自分は汗くさいだろうな”
将はそんな事も考えていた。
詩織とてそうであろうが、将は余り気にならなかった。
その光景を、他の部員は正に硬直して見ていた。
中には、手にしていたラケットを落とした者も何人かいた。
四本松もそのうちの一人である
合宿終了日には打ち上げがある。
各自荷物をまとめて、食堂でのパーティー形式の物である。
後片付けなどがあるので、菓子類やジュースなどだけの簡単な物だが、
それで十分なのだ。
将は正直言って、立つのもつらいほど疲れていたので、壁の花よろしく食堂の隅で、
椅子に座りこんでいた。
だが、のちのちにまで
”吉野パニック”
と呼ばれ、語り草になるほどの活躍をした今回の合宿の主役の将を、
会場がほうってはおかなかった。
料理のこと、私生活の事、など質問攻めにあっていた将を助けたのは、
詩織であった。
「将君は疲れてるんです。・・・そうしたのは私なんですけど」
そう言ってクスっと笑う。
「ともかく、今はそっとしといてあげてください」
そう言われては、他の者は引き下がざるを得ない。
「それじゃ、またの機会にね」
というような言葉を残しながら、おのおの散っていく。
「さっきはごめんなさい、何だか将君の姿を見たら、感極まっちゃって」
「そんな、俺はうれしかったですよ」
「!・・・・まあ」
そう言って二人は笑った。
「これからも練習で、将君につらくあたると思うけど、この合宿を乗り切れたんだもの
将君なら出来るわ」
「こちらこそ、よろしくお願いします、それと・・・」
「なあに?」
「いえ、何でもないです」
「おかしな将君」
将君。
詩織が将のことをそう呼ぶ事を聞きたかったのだが、やめたのである。
そして将は右手を出して握手を求め、詩織もそれに答えた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−続く
ときめく時の中で(19)
彼女が水着に着替える時は(12)
テニス部の合宿が終わり、久しぶりに各自帰宅した。
四本松は自宅のドアを開けるなり、大きな荷物を玄関のところに無造作に置く。
それをとがめる母親の声も無視して、自室に駆け込み、
コードレスホンの短縮ダイアルを入れる。
呼び出し音がもどかしい。
「あっ、如月さんのお宅・・・、あっ未緒ちゃん?私、うん!」
その後は、涙こそないものの完全に泣き声になっていった。
女の子同士はやはり長電話になりやすい。
四本松は合宿であった事を如月に話すことで、徐々に落ち着いてきた。
「そう、そんな事があったのね」
話が将を詩織が抱きしめた事におよんだ時、如月はそう言った。
「なんか、二人が私と違う所にいる感じがしたの。
私じゃ将君の力になれないし、将君が遠い所に行ってしまいそうで、
ショックだったの」
受話器のむこうで如月がなだめる。
「優ちゃん、今からだって充分取り返せるわ。だからがんばりましょう、ね」
「うん、そうなんだけど、藤崎先輩だよ。
憧れていた藤崎先輩が相手なんだよ。
なんか、かなわないなあって・・・思っちゃうんだ」
「水泳部の清川さんとの話だって、その後何もないんでしょ?
決め付けちゃだめよ。もっと前向きに考えましょう」
「そうだよね、それは解っているんだけど・・・・」
こういう時、四本松がなかなか立ち直れない事を知っているだけに
如月もなにを言ったらいいのか悩み、無言電話の応酬になってしまった。
こういう時は気分転換しかない。
如月は翌日の夏祭りの縁日に優を誘う事で、事態の打開をはかった。
その考えは的中し、二人は翌日の約束を交わしてそれぞれの床のついた。
翌日、太陽がアスファルトを容赦なく焦がす午後。
「あ、暑い」
将はうつぶせの状態で目を覚ました。そのままの状態で時計を見る。
時計の針が、12をはさんでVサインをしている。
「・・・・・・・・・・、爆睡だったなあ」
感想がこれである。
将はベッドがどうも好きになれない。
腕や足が床から出ると、空間、というのがいやなのだ。
合宿でもよく寝たと思っていたのだが、やはり、家の布団で寝るというのは、
落ち着くようだ。
寝ぼけ眼をこすりながら、ごそごそと起きだす。
母親の美里はまだ寝てるので、静かに合宿に持って行った物を片付けたり、
洗濯したりした。
さすがに昨日は疲れていたらしく、
布団をひいたらそのまま沈没してしまったのだった。
日も傾き気休め程度にはすごしやすくなった頃、美里が起きてきた。
「あの暑い中、よく寝ていられるなあ」
「修行の差だね」
「何の修行なんだよ?」
そんな会話を交わしていると、来客を告げるチャイムが鳴った。
「あら、和人君。いらっしゃい」
「美里さん、相変わらずお奇麗ですね」
出迎えた美里は、和人にそう言われまんざらでもないのだが
「和人君も、相変わらず口が達者だね。
でも、心にもない事言うと信用なくすぞ」
と、たしなめる口調になった。
「いや、これはほんとにそう思ったんですから」
「わかった、わかった」
むきになった和人を、将はそう言って部屋に招き入れる。
「で、どうしたんだ今日は?」
「おお、そうそう。今から縁日行かないか?」
「縁日ねえ、いいけど、俺今日は疲れが残ってるんだ」
「俺は暇してるんだ」
「・・・・・・・うーん、判ったよ、行くよ」
せっかく誘ってくれてる事だし、それに縁日は一年に一回だけだ、
将は和人の誘いを受けた。
「実は、遊園地の割引券もあったんだが、
どうせ合宿でへろへろになってるだろうと思って、この時間に来たんだぜ。
遊園地は次でもいいからな」
「遊ぶ事ばかり考えてないか?」
将は聞いた。
「こんだけ時間があると、さすがにする事がなくなるよ。
そりゃ、将はクラブがあるだろうけどな」
「お前も何かクラブに入れば?」
「俺が、あの、先輩後輩の世界にいられると思うか?」
そう言われて、将は腕を組んだ。
「うーーーーん、そう言われると、一言もない」
「おいー、少しは、否定しろよ。
それじゃ、まるで俺が協調性のない奴みたいじゃないか!」
「あるつもりでいたのか?」
「お前ねー」
その会話を聞いていた美里が大笑いしたところで、会話を打ち切り、
二人は出かけていった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−続く
ときめく時の中で(20)
彼女が水着に着替える時は(13)
縁日の賑わいは、そうとうな物だった。
将と和人が、神社の鳥居にさしかかった時、
「ん?どうした和人?」
足を止めた和人に、将はそう聞いた。
「ああいうのは、どこにでもいるんだなあ」
将の質問に直接答えない和人の視線の先に、その”ああいうの”は、いた。
浴衣姿の一人の少女に、二人の男が言い寄っているのだ。
少女は本当に困った様子なのだが、男達はかなりしつこいようだった。
「穏便に頼むぜ」
これからなにをするか解っている将の頼みに、
「俺はいつもそのつもりなんだがな、どうも相手に恵まれないらしい」
と和人は答えた。
「心配するなって、将に迷惑はかけないよ」
「迷惑だと思った事は1度もないが」
「そりゃ、すまんな」
(やれやれ)
将は内心で思った。
「あの、・・・すいません、本当に待ち合わせを・・・」
「だからあ、その人が来るまで、お話しするだけだってば」
「・・・・、あの・・・・」
「もう、その辺にしといてやりなよ、困ってるじゃないの」
背後から和人に突然そう言われ、二人は振り返った。
「声を掛けたのはこっちが先・・・」
そこまで言いかけた男が、和人と目が合った時、双方に反応がおきた。
「なんだ、中島じゃないか。あんまり軟派な事してるもんで気がつかなかったぜ」
不敵に笑う和人に対し、相手の中島という男は明らかに動揺していた。
「り、領家!」
「久しぶりだな。どうやら、鼻はまっすぐくっついたらしいな」
「・・・・・」
黙り込む相手に、さらに続ける。しかも顔を近づけて。
「なんなら、もう一度ためしてみるか?」
「・・・判ったよ。お前とやる気はねえよ」
それだけ言ってすばやく立ち去っていった。
「お前、まだなんかあるのか?」
「いやあ、俺もまだまだ青いからなあ」
呆れたように聞いた将に、和人はそう答えた。
それを聞いて本当に呆れる将を無視して、和人は残った少女に話し掛ける。
「お嬢さんのようにかわいい子が、こんな所に一人で来れば、
あんな連中にすぐまとわりつかれるぜ。
今度からは、待ち合わせ場所を考えるんだな」
「あの・・・、どうも、ありがとう・・・」
「ちょっと待った。俺達がさっきの連中よりたちが悪かったらどうする気?
すぐに信用しちゃだめだよ」
偉ぶってそう和人が言ってると、背後から声がした。
「その子に何かご用ですか?」
一応の言葉遣いはしているが、毅然としたその声に将は聞き覚えがある。
「藤崎先輩?」
振り向いた将の先には浴衣を着た詩織がいた。
詩織も将に気がついた。
「・・・あら、将君。それに、あなたは領家君だったわね」
「はい、顔を覚えててくれましたか、・・・ところでこちらの方とは?」
「メグ、・・・愛がどうかしましたか?」
少し疑うような詩織の視線に、和人はどう説明したものか悩んだ。
「詩織ちゃん、・・・この二人、私を助けてくれたの」
か細い声で少女がそう言い事情を説明すると、詩織は納得したようにうなずいた。
「そうだったの、どうも、ありがとう。
あっ、紹介するわね。この子は美樹原 愛、私の親友よ。
で、こちらが前に話した、吉野将君と、そのお友達の、領家・・・」
「和人です」
「そう、和人君。
ごめんね、メグ遅くなっちゃって」
「ううん、」
二人の会話を聞きながら、和人は小声で横に立つ将に言った。
「て、事は、あの子、俺より上?」
少し困ったような顔になっている。
「そうみたいね」
こちらは苦笑いを浮かべている。
「まいったなー、俺中学生くらいだと思ってた」
「実は、俺も・・・」
「ところで将君、私今日一日はゆっくり休むよう言わなかったかしら?」
「あ!いやあ、その・・・」
突然詩織にそう言われ、しどろもどろになる将を見て和人はにやりと笑った。
将がこの様になるのは、和人の記憶では珍しかったのだ。
それに気付いた将が責めるような口調で和人に反撃する。
「大体、お前が誘ってきたんだろ」
「いやあ、結構、即断で返事が返ってきたと思ったけどなあ」
心理的に優位に立ったような表情で和人がそう答えると、
「お、おい」
それだけ言って、将は言葉に詰まってしまった。
その様子を見て、詩織がくすくす笑う。
「いいわ、メグを助けてくれたんだもの、許してあげる」
その言葉を聞いて、心底ほっとした将の姿に、
事情を知らない美樹原を除いた二人は声を上げて笑った。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−続く
ときめく時の中で(21)
彼女が水着に着替える時は(14)
年に一度の縁日で偶然、将と和人は、詩織と、その友人の美樹原愛という少女と
出会った。
詩織が待ち合わせに遅れたため、一人でいた美樹原に男達が絡み、
それから助けたのが和人だった。
そして、せっかくだからと4人は一緒に境内をまわる事になった。
「意外だったな。将君って何でも器用にこなすのに、金魚すくいが駄目だなんて」
詩織がうちわで口元を隠してそう言った。
うちわで見えないが、その口は笑っているのが判る。
「何でも器用にこなすかどうかは別にして、こういうのは昔から和人の独壇場ですよ」
将と和人はどういったわけか、一緒に金魚すくいをする事になった。
和人はあれよあれよという間に7匹もすくったのだが、
将はいきなり紙を破ってしまったのだ。
「何で、あんなに薄い紙で何匹もすくえるんだ?」
ほとんど独り言のつもりで将がいった言葉を、和人は聞き逃さなかった。
「将は、素直すぎるんだよ。もっとこういい加減にやらなきゃ」
「お前が言うと、説得力あるなあ」
「そうだろ、そうだろ・・・ところでこの金魚、どうしようか?
美樹原さんの家ってこういうの飼える?」
突然に自分の所に話題が来たせいか、美樹原は慌てたようだった。
「えっ・・・、あの、・・・・私、・・・その・・・」
プチッ。
和人の頭の中で何かが切れた。
先程から話を振るたびにこういう感じなので、和人はこの時かなりきていたのだ。
その時将の右ひじが和人の後頭部に入った。
「痛いなー、何すんだ」
後頭部を右手で押さえながら和人が振り向くと、
和人をにらみながら将が首を横に振る。
「・・・・」
将の言おうとする事が判った和人は、少し顔を伏せ目を閉じ、
両手を顔の前まで上げる。
”判ったよ”
という意味である。
その雰囲気を詩織も察し、
「ごめんね、この子、すごい恥ずかしがり屋だから」
とフォローに入る。
その時、美樹原が突然のように
「あの、・・・金魚って犬と一緒に飼えますか?」
と言ったので、将と和人は顔を見合わせた。
「犬?」
「猫は、金魚食っちゃうって話は、聞いた事あるけどな」
「美樹原さん、犬飼ってるの?」
「あ、・・・はい」
「・・・大丈夫なんじゃねえの、なあ将?」
「うーん、そう思うけどな」
「それなら、・・・私、飼います・・・・」
と言ったきり、美樹原が黙り込んだのを見た和人は、
「それなら、あげるよ、大事に飼ってね」
と、まるで年下に向かうような言い方をした。
「は、はい」
そう返事した美樹原に、和人は金魚の入った袋を手渡す。
その様子を見て詩織は将に耳打ちをした。
将は少し胸の鼓動が高鳴っていたのだが、詩織はお構いなしだった。
「メグが初対面の人にあんな風に話すなんて、初めて見るわ」
「そ、そうなんですか?」
「そうよ、これはひょっとして・・・かもね」
「でも、和人って口で言うわりに、浮いた話聞きませんよ」
といった、かなり先走った話を小声で詩織と将がしていると、
「将!なにひそひそ話してるんだ?」
と和人に問われた。
「いやあ、別に・・・」
と言って、わざとらしくずらした視線の先に、見知った顔を見つけ、
将はほとんど無意識に呼び掛けた。
「四本松!四本松じゃないか?」
驚いたのは四本松である。
昨日約束した如月と一緒に縁日に来て、突然将に呼び止められるとは、
とても考えてなかった。
もちろん、こういった所で出会う確率はかなりある。
とは言え、実際にばったり出会ってしまっては驚くのも無理はない。
「将君?」
そして、その傍らに立つ詩織の姿を見つけ、驚きに戸惑いの感情をブレンドした。
「藤崎先輩?」
「あら、四本松さん、こんばんわ」
「あ、はい、こんばんわ」
「何だか今日は偶然に会う日ね。将君達ともさっきばったりあったところなのよ」
達、と言う言葉に視界の領域が広がった。
あと二人の男女の姿を見つけた。
和人とは1度だけ会った事はあるが、もう一人の美樹原とは面識がない。
そのために視界の中に入らなかったのだが、それ以前に、
将と詩織が一緒にいる光景に目を奪われてしまったのだ。
「デートじゃなかったんですか?」
しまった、と四本松は思った。
あまりにも、思った事をそのまま口にしてしまったからだ。
「デート?」
詩織と将は同時に声を出し、同時に笑った。
「いやあ、藤崎先輩とデートするなら、絶対こんな奴つれてこないよ」
と、和人を指差した。
指差されたほうも黙っていない。
「ほう、こんな奴、と来たか」
「こんな奴で十分だろ」
「今日ここへ誘ったのは誰でしたっけえね?」
「そのおかげで、藤崎先輩に怒られたけどな」
そんな風に会話の場所が移っていった時、
事情を察した如月が小声で四本松に言った。
「良かったね、デートなんかじゃなくて」
その言葉に四本松は静かにうなずいた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−続く
ときめく時の中で(22)
彼女が水着に着替える時は(15)
縁日のクライマックスは、何と言っても打ち上げ花火である。
夜空に光の大輪が咲くたびに、歓声が上がる。
将と和人はひょんな事から、詩織、その友達の美樹原と出会い
四本松とその先輩の如月とも、何の偶然か出くわすこととなる。
人数が多い方が楽しい。そう言った理由から6人で花火を見ていた。
花火はひっきりなしで上がる訳ではなく、途中のインターバルでは、
夜空の舞台に替わって、会話の花があちらこちらに咲く事になる。
「確か、四日市さん?」
「四本松です」
「・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
どう言うめぐり合わせか、和人と四本松はちょうど話しやすい位置になったのだが、
和人の切り出し方はこの上なくまずいものになった。
(こ、これは、・・・)
1度だけの面識、といってもこの間違いは致命的である。
和人が次の言葉を紡ぎ出せないままでいると、四本松が笑って言った。
「良いんです。私ってどうも影が薄いみたいだから、
1度では顔と名前がなかなか一致しないみたいなんです。気にしないでください」
「俺、人の顔を覚えるの苦手だから」
と言うフォローを考えていた和人だが、そんな風に言われて、
それは無駄なものになってしまった。
2つほど花火が上がる間、二人の間を沈黙の小川がながれ、
和人がその小川を飛び越えられないでいると、
四本松が危なっかしい足つきで川を渡ってきた。
「領家君は、将君とお付き合いが長いようですね?」
意外といえば意外、当たり前といえば当たり前の質問ではある。
二人の間にある共通の話題といえば、将の事しか今のところないのだから。
「まあ、幼なじみだからね。あいつ引っ越して今は離れたところにいるけど、
ガキの頃はお隣同士でさ、よくつるんでいたもんさ」
「そうなんですか。どんな子供だったんですか将君は?」
四本松の質問に、和人は夜空に向けていた顔をほんの一瞬だけ四本松にむけ、
そのままうつむいた。
その姿勢で、少し横目で四本松を見る。
「これは、俺の勝手な思い込みでもし気にさわったら、独り言なんだと思ってくれ。
あくまでも小声で将には聞こえないように喋るから」
そう言われ四本松は将のほうを見た。
将は、詩織や如月と話していてこちらに注意は向けられていない。
手を伸ばせば届くほど近くだが、周りのざわめきにさえぎられ、
ただでさえ声は聞き取りにくい。
「あいつは見ての通り、結構見てくれはいいし、人当たりもいい、
女の子から見りゃ結構いい線いってるだろうよ。
ところが勝手に言い寄ってきておきながら、将の事が解ってくると手のひら返す。
そんなのが昔いてな。悪気はない、などととぬかしやがって」
和人は淡々と話しているのだが、静かな気迫、そんなものを感じて
四本松は息を飲む。
「あいつはいつも明るく振る舞うから、強い人間だと勘違いしてしまいがちだが、
あいつだって心に傷を負うこともあるし、苦しむ事だって多い。
それを忘れないでくれよな」
「・・・・・・」
四本松は声を出せないでいる。
「ま、あくまでも、独り言だけどね」
その言葉に我に返りあえて聞く。
「将君のなにが解ると、なんですか?」
文法的におかしいのだが、意味は十分すぎるほど通じた。
「それは将に聞くんだな。そこから先の保証はしないが」
その言葉を最後に会話がとだえた。
四本松は、和人からもう何も聞き出せないとわかってしまったのだ。
それと同時に、間接的に聞いてはいけないのだと言うことも。
花火はクライマックスを迎えていた。
夜空を焦がすのではないかとも思える、スターマインが地上をも照らしていた。
花火が終わり、人々が名残を惜しみながら三々五々家路につきだした頃、
将達も解散しようと言うことになった。
「将君、今日はとっても楽しかった。また、どこか行きましょうね」
詩織にそう言われ、将は少し照れて言った。
「そうですね。和人が、遊園地の割引券があるそうですから、
機会があったらまたみんなで行きましょう」
その言葉を聞いて和人は、精神の中だけで右手を額に当てた。
(馬鹿が!、なにもみんなでなくてもいいだろうに)
将が詩織に対して、あこがれだけではない感情をもっている事が
和人にとっては明白であったのだ。
(まあ、こういう事で不器用なのは、今に始まった事じゃないか)
しかし、みんなで遊園地へ行く事も、結局夏休み中にはかなわなかった。
テニス部にとっての最大のイベント。インターハイの地区予選があったからだ。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−続く
ときめく時の中で(23)
彼女が水着に着替える時は(16)
インターハイ地区予選でのきらめき高校テニス部を表現するのならば、
善戦空しく、と言うべきであろう。
個人、団体、各種目で準々決勝にまで駒を進めながら、
結果的にではあるが優勝者に敗れていた。
その中で男子シングルスで有玉が決勝戦へ、あと一つでインターハイ、
と言うところまで来ていた。
部員達の期待が有玉に集まる。
「ともかく、全力を尽くすのみだよ」
部員たちの激励の言葉に、気負うようなところを見せる訳でもなく、
有玉はいつものように答えた。
「有玉先輩ってやっぱりすごいね。全然緊張してないみたいなんだもん」
決勝戦の日(とは言っても、日程の関係から準決勝、決勝と同時に行うのであるが)
決勝の行われるコートを囲む金網のところで、連尺が将に語りかける。
「そうだよな、いつもと変わらないんだから」
「精神的に強いんだよね、先輩は」
「そうなんだろうね」
「・・・私も、先輩のように強くなりたい。
今すぐでなくてもいいの、自分に負けないようになりたい」
両手で顔の前の金網をつかみ、将にと言うより自分に語りかけるように話す連尺。
「なれるさ。簡単にはいかなくても、そう思い続ければ可能性は必ずあるさ」
将はこう答えた。それは慰めなどではなく本心からの言葉である。
「そうだよね、うん」
「代表枠が2つあれば・・・」
テニス部員、その他の関係者たちが見守る中行われた決勝戦は、その名にふさわしい
白熱した戦いとなった。
激しいラリーの応酬。
知力を尽くした駆け引き。
日頃から鍛えた体力のせめぎあい。
拮抗したその戦いは、やがていつ果てるとも知れないタイブレイクへと、
もつれ込んでいった。
そして有玉は敗れた。
パッシングショットの落下地点を見つめる有玉。
そのネットの反対側では歓喜の感情が爆発していた。
その様子を見て有玉は、きっと誰にもまねも表現もできないだろう笑みを浮かべ、
胸を張り、握手をするためにネットへと歩を進めた。
有玉の夏が終わった瞬間である。
そして、高校生活のテニスに対しての終わりの時でもある。
「何もお前達が負けた訳ではないだろう。そう泣くな」
泣きじゃくる1、2年生に、中沢が声をかける。
「でも、キャプテン!こんなのって、こんなのって・・・」
(こういう時、最初に泣いたものの勝ちだって言うのが実感できるよ)
なだめながら中沢はそう思っていた。
その間連尺は、目に涙を浮かべながらも必死にこらえていた。
(泣かないもん、私は泣かないもん)
当事者である有玉といえば、むしろ淡々として自分の帰り支度をしていた。
「有玉先輩」
控え目な声を掛けられ有玉は手を休める。
「藤崎か」
「・・・・・」
詩織とて、このような時上手い言葉がある訳ではない。
声を掛けたものの、次に何を言うべきか判らないまま立ち尽くしてしまった。
その姿を見て、有玉がコートで浮かべた笑みの親戚にあたる表情を浮かべた。
詩織の肩に手を置き、
「藤崎、後を、そして吉野を頼む」
とだけ言って立ち去っていった。
泣きやまぬ部員たちをなだめすかして、まるでお通夜のような電車に乗り、
きらめき高校に戻ってきた時、中沢は精神的にぐったりと疲れていた。
だが中沢にはまだ、やらねばならないことがあった。
「吉野」
「はい」
呼ばれた将が駆け寄っていくと、中沢は将に頼んだ。
「俺は、徒歩組の連中を送っていかねばならない。
で、吉野は有玉についてやってくれ。頼む」
その声に異様なものを感じた将は質問などせずに答えた。
「はい、判りました」
将が有玉の姿を見つけたのは、有玉が部室に入ろうとしたところだった。
「先輩・・・」
将もまた、全く二の句が継げない状態だった。
「藤崎と言い吉野と言い、そんなに俺が心配か?
いや、これは嫌味な言い方だな。すまない」
「いえ、そんな事・・・」
「すまないついでに頼もう。・・・しばらく一人にさせておいてくれ。
30分、いや15分でいい」
「・・・はい」
しばらくして将の耳に飛び込んできたのは、部室の中からの激しい激突音であった。
そして続く、信じ難いほどの嗚咽。
今まで耐えてきたものが堰を切ったように、
有玉の身体中から爆発的に放出されていった。
(キャプテンはこの事を知っていたんだ)
悔しくない訳はない、悲しくない訳はない。
それは有玉とて例外ではなく、将達は有玉を強い人間だと、
ただ単に思い違いしていただけであったのだ。
こんな弱い部分があることを中沢は知っていたのだ。
将はそう思わざるをえない。あの頼みはこのためだったのか。
納得している将の傍らに、いつのまにか連尺が立っていた。
「将君」
「俺、今日言った事が間違いだったと判ったよ」
「うん」
「俺達は、継いでいかなくちゃならないんだ。たとえどんなに弱くても」
「うん」
と言って連尺はついに耐えきれなくなり、太粒の涙を夕日の中で、
地面に落としていった。
その夜連尺は、一本の電話を清川に入れていた。
「今までは、確かに逃げて水泳をやめていました。
たとえ後遺症でそれまでのタイムが出せなくても、
もう一度やり直すことが出来れば自分には勝てる。
それができなくて自分が許せなくて、泳ぐこと自体に引け目を感じて。
でもこれからは自分の意思で競技としての水泳はしません。
先輩には申し訳ないんですが今日はっきりと判ったんです。
私、やりたいことがあるんです」
それはまるで、今までの悩みをすべて吐き出すかのような、そして、
吹っ切るかのような言葉の洪水であった。
「そうか、良かったじゃないか。大事にしろよな、そのやりたいことを。
そして・・・がんばれよ」
「は、はい」
乗り越えなければならないことはまだ多くあるだろう。
だが、連尺はその方向に目を向けていた。
夏休み最後の登校日、将は早乙女優美に詰め寄られていた。
「水泳大会ねえ」
「吉野君がいる限り、勝ったようなもんだけどね」
「俺がどうかは知らないけどね、今回は1−Dが強いよ」
「えー、なんで?」
顔を疑問で埋めている早乙女を見て、将は2日前の練習日のことを思い出していた。
「そうか、そりゃいい知らせだな。連尺の水着姿がみられるんだからな」
「・・・・?!もう!」
顔を赤らめる連尺に、将は微笑み、親指を立てて握った右拳を突き出し
ウインクした。
連尺もそれに答え親指を立てて右の拳を握った。
その表情に迷いはなかった。
−−−−−−−−−−−−−−−−彼女が水着に着替える時は−−−終わり
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−続く
鈴鹿8時間(HQI01420@niftyserve.or.jp)
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