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ときめく時の中で総集編 第一集
:ときめく時の中で
梅雨入り宣言の仕方が変わったからといったって、雨と言う物は、降る時は降る降ら
ない時は降らない。
今日は後者の朝だ。
ごくありふれた住宅街、その一角のこれまた良くある2階建てアパート。その二階の
一番東よりの部屋の窓が開き、一人の少年が顔を出す。
「今日は布団干せそうだなあ」
黒のスラックスに、Yシャツ。それは学生のものなのだが、その上に黄色いエプロン
をしている姿は、実際にはなかなか見られないものだ。
光線の加減か、深い青に見える柔らかそうな髪をやや長くしているが、決してだらし
なくは感じさせてない。
黒の瞳を持つ目は大きめで、そのせいか少々童顔に見える。
「ったく、よく降ったからなあ、
今日干さないと次はいつになるか判らんぞ」
ぼやく少年の後ろから声がかかる
「将、お母さんが干しとくからあなたは、学校行く準備しなさいな」
声の主は30歳を少し越えたような、かなりの美人にである。その姿が少し変わって
見えるのは、やや濃い目のメイクと、多少派手な服のせいだろう。
「じゃあ、お母さんはおれの布団で寝て、おきたらいつものようにしといてよ」
「はいはい、ほらほら、そろそろ時間でしょ」
「うーん、少し早いけど、行くとするか」
エプロンを取りながら、学生鞄を手にとり玄関に向かう少年に母親が問い掛ける。
「今日のお弁当、おかずは何にしたの?」
「・・・ちょっと楽して玉子焼きだけ」
照れくさそうに笑いながら答えた。
「じゃあ、行ってきます」
少年が通う私立きらめき高校は、徒歩で約20分のところにある。通い始めて2ヶ月
ほど、決まった道はまだないが、それなりに慣れて来ている。
ただ、今日はいつもと明らかに違うものがある。
普通に走っても前後の車間距離があくような銀色のベンツが、路肩に止まっているの
だ。
(すげえ、ベンツ)
脇を通りながらそう思った彼を、その車の後部座席の人物は黒いフィルムごしに見て
いた。
その人物の手元で携帯電話が電子音を響かせる。
「私だ、うん、・・・そこは第一不動産が虫食いにした所か・・・、わかった、すぐ戻
る」
携帯電話をたたみながら、ため息ともつかず独り言をこぼした。
「元気でやっているようだな」
ドイツ車独特のエンジン音を残し車はその場を離れた。
「よう、将、おはよう」
下駄箱に履物を入れていると、背中から声をかけられ振り向いた。
やや黄色がかった髪を、短めに揃えた生徒が立っていた。
背は彼の方が少し高い。170cm前後か。
目と顎が鋭い印象を与えるが、なかなか整った顔立ちである。
「ああ、和人か、おはようさん」
「今日は早いなあ、おふくろさん帰り早かったのか?」
「いや、いつもどうりさ、なんとなく早くなっただけ」
「ふーん、まあいいか、教室に行こうぜ」
そうして、二人が同じ教室に入ると、一人の女生徒が猛烈な勢いで走ってきた。
「吉野君!!吉野 将君!!」
その勢いに押され、少しのけぞりながら、少年、将は自分を指差した。
「お、俺?」
「そうだよ、吉野君」
「将、お前、人気出て来たなあ」
完全にからかう口調で、横から和人がのぞきこむ。
「茶化すなよ、和人。で、何の用かな?えーと、早乙女さんだっけ」
「えー、酷いなあ、同じクラスなんだから顔おぼえてよねー。
まあ、それはいいや。ねえ、吉野君は無所属だったよね」
それを聞いて、将は合点がいった顔になった。
「ひょっとして、クラブの勧誘?」
「えーっ、なんでわかったの?」
将は、どうしてわからないと思えるんだと思ったが、それは口に出さなかった。
「いや、昨日も、サッカー部のマネージャーの2年の人が来たんだ」
「それじゃ、サッカー部も狙ってるんだ」
「狙ってるなんて、大層なもんじゃないさ」
「早乙女さんはどこだっけ?」
「バスケだよ、先輩に誘ってこいといわれたんだー。
この前の体育祭での活躍、すごかったもんねー、うん、うん」
「そう言ってくれるのは嬉しいんだけどね・・・」
「なら、バスケット部、考えてくれる?」
困った顔の将を見て、さっきまでからかっていた和人がさり気なく助け船を出す。
「そうこいつ、ちょっと事情があって、クラブは出れないんだ」
「えー、どうして?」
「ちょっとした事情は、ちょっとした事情」
明るいが、毅然と答える和人と、困惑しきった将の顔に、早乙女という女生徒もあき
らめてきたようすだ。
「うーん、それならしょうが無いけど、気が向いたらいつでも来てよね」
そう言いのこし、自分の席に戻って行く。
それを見送り、二人は顔を見合わせ、苦笑いが半分混じったほっとした表情を交わし
た。
その日の昼休み、昼食の後、将と和人の二人は、中庭の芝生に座り込んでいた。
「将、おまえとも長い付き合いになるけど、こんなに注目を集めたのは、久し振りだな
あ」
「そうだなあ」
「・・・」
「・・・」
「中1の時だったな、こんな感じ」
「ああ」
「ところが、おふくろさんの仕事がどういうのか判った途端」
「・・・和人だけだったからなあ、変わらなかったのは」
「だって、きれいだったもの、お前のおふくろさん」
その途端、二人とも笑いながらうつむいてしまった。
しばらくして、真顔で顔をあげた和人は、視線をやや下にむけながら言った。
「高校生だからな、あんな事はさすがにないだろうけど、中には、ばかもいるからな」
「大丈夫さ、中3の時には、もう、なんともなかったじゃないか」
「将」
「ん?」
「おまえ、よくもまあ、素直に育ったもんだなあ」
「友達がよかったのさ」
二人同時に吹き出し、二人同時に
「なんだかなー」
と言ったのをきっかけにして、中庭に二人の笑い声が駆け抜けて行った。
放課後、将の足を止めたのはなんだったんだろう。
将はあたりを見回した。
風景じゃない、じゃあ、音?そう音だ。
それは、きっとなんでもない学校の風景だろう、
少し赤みのかかった髪の女生徒が他の女生徒を呼び止める、そんな当たり前の風景。
足を止めたのは、その固有名詞だ。
「古式さーん」
珍しい名前に入るだろう、が、将が気にとめたのはそれ以上の重大なものだった。
思わず二人の会話に聞き入ってしまったのだった。
「まあ、朝日奈さん、どうか、いたしましたか?」
「何を言っておる、今日は、古式ゆかりの誕生日ではないか・・・まさか、忘れていた
とか」
「はい、すっかり」
「うっ、まあ、そんな気してたんだ、はい、これ、プレゼント」
「まあ、あけてもよろしいですか?」
「いいよ」
「・・・まあ、これは結構なものを、我が家の家宝とさせて頂きます」
そんな二人の会話を聞き、無意識につぶやいていた。
「そうか、あの人なのか」
雲が低くなり、翌日の雨の予告編のような夕闇があたりを包み始めていた。
母子は、テーブルをはさみ食事をとっていた、ただ母にとっては”朝食”であり、息
子にとっては夕食の食事である。
「将の作るロールキャベツも、一級品のレベルになりつつあるなあ」
「何だよ、気持ち悪いな、そんな事言うなんて。あっ、まさか、また何かやったんじゃ
ないだろうな?!」
「違うって、本当にそう思ったんだってば!!」
「ほんとかあ」
「ほんとだよ」
「判った、信じよう」
会話がとぎれ、暫くの後、将が口を開いた。
「お母さん、俺、・・・、今日、姉さんに会ったよ。
いや、見かけた、が正しいのかな?」
「将?!・・・」
「あの人なんだろ、古式家のお嬢さんって」
母親は暫く言葉を無くしたが、こいう会話ができるようになった息子が嬉しいよう
な、事態の複雑さが悲しいような、そんな表情で問いかけた。
「で、感想は?」
我ながらおかしな質問だとは思うが、他に浮かばないのだった。
「うーん、穏やかに笑う人だね」
ピントがずれた答だと、自分でも思う。
ふたたび、沈黙が食事のBGMとなった。
「そろそろ、時間だよ」
「あー、もう、こんな時間なのー」
「あとは任せて行きなさいって!」
「それじゃ、あと、よろしくね、」
慌ただしく送り出し、あとかたずけをしていると、翌日の開幕ベルを待ちきれなかっ
たのか、決して上等とは言えない屋根を、雨がたたき始めた。
「雨か・・・ん、なんだこれ」
窓際を見ると、紙袋が隠すように置いてあった。
好奇心が、それを開けさせる。
「あー!やっぱり!!」
中身は、粉々になった、ちょっと奮発して買った皿だった。
笑いながら口に出てしまう。
「全く、あの人はー」
本格的に振り出した雨が、街の汚れと、時間を流して行くように感じながら、
将の一日が終わっていく。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−続く
ときめく時の中で(2)
この時分、日の光はすでに夏のものになっていたが、北の高気圧が居座っているため
に、本格的な夏到来には多少の猶予があった。
汗ばむ気候には違いはないが、外にいる事自体は、それほど苦痛ではない。
土曜日の昼下り、何とか泣き出さないでくれている空の下、将はグランドを見下ろす
校庭の土手に座り込んでいた。
平日なら急いで家に帰るところだが、今日は時間が余ってしまう。
最初の内は夕食の献立など考えていたが、そのうち、何も考えずにぼーっとしてい
た。
「まったくいい若いもんが、なにをしとるんだか・・・。
和人が、先に帰ってしまったら校内に親しい人がいない、これは問題ですぞー」
独り言をつぶやきながら、こうしていても仕方が無いと、根が生えてしまいそうだっ
た重い腰を上げようとしたところへ、背中から声がかけられた。
「吉野君? あなた、吉野君でしょ?」
声に振り向くと体繰服姿の女生徒が立っていた。
すらりと延びた素足がまぶしい。
服のラインの色から2年生である事が知れた。
きれいなラインのふくらみを持つ胸にある名札を読み、思わず声を出してしまった。
「藤崎・・・さん? あの、2−Aの藤崎詩織さんですか?」
「あら、私の事知っててくれてるの?嬉しいな」
(きらめき高校で知らん人は、もぐりだと思うけど)
もっとも、将もほんの数日前までは、そのもぐりにされてしまうところだったのだ
が。
「きらめき高校のマドンナあ、なにそれ?」
「将、おまえもうちょっと、校内の情報仕入れておけよな」
昼休み、ふとした事で将と和人は、男同志の気安さで、ちょっとばかり下品なことも
交えながら、校内の情報交換となった。
もっとも、ほとんどが和人から将への一方通行だったが。
「ともかくすごいらしいんだ、その藤崎さんって人は、頭脳明晰、容姿端麗、性格温
厚、スポーツ万能、男女共に人気があって、誰からにも好かれている人なんだってさ」
「ふーん、そんな人、実際いるんだ」
「ともかく、一回お目にかかりに行こうぜ。将の都合のいい時でいいからさ」
「和人お、おまえ、ほんっとうに、こういうの好きだよなあ」
「俺が美人に弱いのはおまえもよーく知ってるだろが」
「そのくせ、浮いた話しは一向に聞かないけどな」
「俺は理想が高いんだよ」
「よく言うよ」
その時まで、その人は話の種でしかなかったのだが、今、その本人が目の前にいる、
妙な気分だった。
「あの、何の御用でしょうか?」
「うん、さっきから気になってたの、随分暇そうにしてたから」
「あー、今日は予定があいてまして、確かに暇してます。
ほら、俺って、友達少ないから」
(あー、俺は何を口走っているんだあ)
はっきり言って緊張している将に詩織が、微笑みながら返す。
「それじゃあ、良かったら、テニス、してみない?」
「は? テニス?・・・藤崎さんテニス部でしたね・・・」
その表情に、思い当たる事があって詩織は言葉をつなげた。
「大丈夫よ、勧誘なんかじゃないから、不沈艦の吉野って言ったら、今、運動部じゃ有
名なんだよ」
(えっ、そうなのか、知らなかったなあ)
「暇潰しだと思って、少しラケット振ってみない?」
「でもいいんですか?部外者が」
「それは、肯定と受け取っていいのかな?」
「・・・わかりました、俺の負けです。でもあくまでも暇潰しですよ。
第一、みなさん、買いかぶりすぎですよ、俺の事」
「じゃ、ちょっと待っててね。今、キャプテンに話をしてくるから」
(やれやれ妙なことになったなあ)
なんでこんな事になったのか?
暇なことは確かにそうだが、声をかけたのが詩織でなかったらどうだったか?
(確かにきれいな人だよな)
そう思った途端、慌てて首を振る。
(和人のこと言えないぞ)
「うーん、藤崎は何を考えてるんだ、ど素人をいきなり」
制服はともかく、皮の靴ではまずかろうと、靴と靴下を脱ぐ将を、遠目で見ながら、
三人の男子部員が話し合っていた。一人が2年、二人が3年だ。
「まあ、元城、そう言うな。藤崎の事だ何か考えがあるんだろう」
「しかし、中沢キャプテン」
主に喋っているのは2年生の元城、3年生のキャプテン、中沢であり、もう一人は静
かにコートを見ていた。
「有玉先輩はどう思います?」
その問いに黙っていた有玉は静かにあごでコートを示した。
始まるようだ。
「私がサービスするから、あなたが返す。簡単でしょ?」
「まあ、口で言うのはそうですが、ま、お手柔らかに」
「じゃあ、はじめるね」
いきなり、強烈なフラットサービスが将のコートにつき刺さり、将は一歩も動けな
かった。
「おいおい、藤崎もいい性格してるなあ。あんなの素人にゃ無理だって」
頭をかきながら言う元城に、中沢は釘を差した。
「元城、気付いてないのか」
「動いてはいないが、反応していた」
有玉の言葉に元城は反論した。
「でも、藤崎のファーストサービスの強烈さは、教えた先輩方が一番知ってるじゃない
ですか!?」
「確かにそうだが、セカンドサービスならどうかな?
今は、・・・」
「フォルトですよね、今の?」
振り向いて将が問いかけて来た。
「!?」
「見えてるのか?あいつ」
「確かにフォルトだな。藤崎、セカンドだ」
「はい」
鋭い打撃音と共に、将のコートにボールが飛び込んで来た。
将は、サービスに反応して追い付いた!
ただ、追い付いただけだった。
「あっ!ラケット振るの忘れた!」
将以外、全員ひっくり返った。
「そうか、追い付くことばっか考えてて、・・・ラケット振らなきゃ」
ぶつぶつとつぶやきながらコートに着く将に、元城は困惑した。
「あいつどこまで、本気なんだ」
「だが、こいつは、なあ、有玉」
「ああ、面白いことになりそうだ」
「15−0ですね?」
「ルールも知っているようだ」
次のサービスが来た時、初めて将のラケットはひるがえり、そして、空を切った。
「くそー、曲げてくるんだもんなあ」
キャプテンの中沢は、額に汗さえ浮かべていた。
「普通こういう時、手加減しろとか言うもんだ。あいつ、むしろ楽しんでるぞ」
もう一度、将のラケットが空を切り40−0。
「タイミングが合って来ている」
中沢の感想に、元城が言う。
「でも、藤崎、同じところばかりに打ってますよ」
「そうか」
一呼吸おいて中沢が声を上げる。
「藤崎!!」
その声にうなずく詩織、そしてサービス。
そのサービスは今までとはまったく逆、将のバックハンドの方向のものだった。
「!!」
ありえないと思える光景が出現した。そのボールの方向に、将はすでにダッシュして
いて、あろうことかラケットを左手に持ち変えているのだ。
そして、テニスの教科書から抜け出たようなフォームで打ち返す。
そのボールは、
詩織後方のネットを遥かに越えてグランドに飛び出していた。
「はりゃー」
「今日はどうもありがとうございました、いい経験しました 」
「本当に、入る気ないの?」
「藤崎さんそう言われると心が動くけど、実際、部活休みがちになりますから、皆さん
に迷惑おかけしますので」
「・・・でも、いつでも歓迎するから、考えておいてね」
「えーと、はい、わかりました、それじゃあ失礼し・・・ 」
「ちょっと待って、」
帰ろうとする将を、中沢が呼び止めた。
「最後のサービスなんだが、君は読んでいたのかい?」
少し考えてから将は答えた。
「まー、そうなりますかね。
藤崎さんの名前を呼んだ時、何かあるなと思ってやまをはったんです」
「ラケットを持ち換えたね」
「あー、元々俺、左利きだったんです。
今はどっちも使えるんで、切り札としてとっておいたんです。
結局、切り札になりませんでしたけど」
「・・・はっ、こいつはやられたな。
吉野君、俺からも頼む。是非入部してくれないか?」
「ちょ、ちょっと待ってください」
慌てて、答えを捜す将に思わぬ事態が待っていた。
「どうも、遅くなりまして、委員会が、長引いて、しまったものですから」
その声の主を見つけ、将は思わず言葉にしてしまった。
「こ、古式・・・さん」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−続く
ときめく時の中で(3)
「吉野君!優美の誘いは断ったのに、テニス部に入るって、本当?」
「なっ、なんだよそれ!俺、そんな話知らないぞ!」
朝のホームルームまでの少しの間、自分の席で和人と雑談をしていたところに、飛び
込んで来た優美の言葉に、将は思わず声を荒立ててしまった。
「だって、先週の土曜日、入部テストに受かったって話を優美聞いたんだもん」
その言葉に、しばらく声を失っていたが、ひとつの仮定に行き着いたとき、机に手を
つき、立ち上がってしまった。
「やられた!そんな手があったのか!!」
驚いて、将を見上げた和人と優美にした説明はおおよそ以下のようなものである。
あの日、詩織とのゲームは、学校内のテニスコートという公の場所でしたものだ。
当然、第三者の目にとまる。
それが、入部テストを受けたという噂になるのに、時間も、プロセスも、それほど必
要とはしない。
テニス部員が情報を、それとなく流せばさらに短縮される。
そうなれば、他の運動部にたいする決定的な牽制となる。
実は、この3人の知らないところでは、
<不沈艦決戦は、藤崎の勝利>
だとか、
<期待の新星も、詩織銀河に飲み込まれる>
などと言うのまであったのだ。
「故意か、偶然か?故意だとしたら、藤崎さんってのは、信じられねえ戦略家だなあ」
和人は完全に感心しきっている。
「あくまでも仮定さ。
なんで、俺みたいなのにそんなに大騒ぎしなくちゃならないんだ」
「気づいてないのか、将」
「気づいてないの、将君」
前半は和人と優美のきれいな合唱となった。
顔を見合わせ、和人が続ける。
「あの体育祭の400mリレー、アンカーのお前がゴボウ抜きして行った2、3年は、
陸上部こそいないものの、誰もが運動部で鍛えてるんだぜ」
すかさず優美が続く。
「それが、無所属の、しかも1年生に抜かれてったんだよ、
物凄いインパクトだったんだから!」
「将は知らないだろうが、あの日の異様な雰囲気、口じゃ説明できねえよ」
「将君の5種目制覇、このクラスの逆転優勝がかかってるその中で、あの走りだもん、
運動部がほっとくわけないじゃん」
二人掛りでまくしたてられ、声を失ってると、担任の先生が来た。
「今はここまでだ、でも将は部活入らないんだろ?故意でも偶然でも、影響ない事さ」
そう言い残し、立ち去る背中に将は、頭の中で反論した。
(ところが、そうでもないんだよ、和人)
まさに昨夜の事なのだ。
「将は、部活とかしないのかい?」
母親、美里のだしぬけの質問にはいつも驚かされる。
なんの脈略もなく、ある時突然に核心部分を突く時があるのだ。
もっとも、こういう事には根拠があって、長く一緒に生活すれば、どこでも起こりう
るものである。
「私が、お前をきらめき高校に入れたのは、和人君が行くからだけじゃないよ。
あそこは、伝統がありながら、自由な校風を持ってて、子供の可能性を伸ばすところ
だよ」
「でもさ、お母さん」
反論しかける将の目の前に手を広げ、それを制する。
「結局、ありふれた言葉になってしまうんだけど、3年しかないんだよ・・・
まあ、留年すれば別だけど」
埴輪顔になる将を横目で見ながら、やや冷めたコーヒーを一口飲んでから続ける。
「自分の可能性を無駄にしちゃ駄目よ。
人に迷惑をかけなきゃ何をしてもいいってのが我が家の家訓よ。
お母さんの事は気にしないでいいの、やりたいようにしなさい。」
「お母さん」
「ほら、私は、高校、最後まで行けなかったじゃない。
・・・あっ、私はいいの、将がいるからね。
でも、将には、そんな思いさせたくないな。
友達いっぱい作って、素敵な恋をして、楽しい思い出を山ほど残して欲しいんだ」
将には答えがなかった。
身体を動かすのは、好きだ。いや、文化部だっていい。
今まで、ごく当たり前に諦めていたものが、視界にあるのだ。
意識が、揺れ動くのが自分でもわかる。
「でも、なんで、突然そんな事言い出すんだよ?ここ数日、少しばかり気にはなって
た事なんだ」
「さあ、なんでかしら、私にもわかんないよ。親子だからかな?
・・・じゃあ、そろそろ、仕事にいくね」
「お母さん、ひとつ、心配があるんだ」
「なあに?」
「俺がいなくても、起きて仕事に行ける?」
「・・・もー!!
なんで自分の子供に、子供みたいなこと言われなきゃなんないのよー!!」
昼休み、将は早足で2-A、すなわち詩織のクラスに向かっていた。
「確かめないと」
そんな思いが、その動力源だった。
もし、この事態が故意によるものなら、意地でもテニス部には入らないつもりだ。
(何しろ姑息だ、やり方が!)
この時、将は感情的になっていた。
テニスは面白そうだと思っていたのに裏切られたような気がしたのだ。
それ故に、二の腕を捕まれるまで、後ろから呼び止められる声に、全く気が付かなか
ったのだ。
「なに?」
「はあ、はあ、もう吉野君たら、どんどん行っちゃうんだもん」
肩で息をする小柄な女生徒に、将は覚えがなかった。
「誰?」
ふーと、一息ついた女生徒が答える。
「わたし、1−Dの、連尺みゆき、テニス部のマネージャーやってます」
「それなら、ちょうどいい、俺も藤崎さんに用があったんだ」
声が不機嫌になっている将を敏感に察知した連尺は、
「ひょっとして、例の噂、耳に入った?」
と、上目でたずねた。
「ああ、だから、それを確かめようと思ってな!」
今度は完全に怒気がこもっていたために、連尺は少し肩をすくめた。
「だから、藤崎先輩はあなたを探してるの」
「えっ」
「謝りたいって。
あのことで、吉野君を束縛するような事になってしまったって、先輩悔やんでるの」
「じゃあ、なんで本人が来ない!」
将の声は、もう廊下をいきかう生徒を振り向かせるぐらいになっていた。
「行ったんだよ、1−Bに。そうしたらもう、いなくって・・・、私、捜すのを、・・
手伝っていたの・・・それで、・・・」
最後の方が涙声になってるのが判った時、将は一気に冷静になった。
「ごめん!、これはやつあたりだ、本当にごめん」
これがかえって逆効果になったのか、
連尺は本格的に大粒の涙を流し始めてしまい、将はただただ慌てるだけだった。
「昼休み、終わっちゃうね」
「ああ」
中庭の渡り廊下の陰になったところで落ち着くまでいたら、あっという間に時間が過
ぎてしまった。
「ごめんね、私、涙もろくって」
「いや、これは俺が悪い。謝ることないさ」
「先輩も、謝りたがってるの。許してあげてね」
「・・・藤崎さんて、人望あるんだな」
「うん。すごく、素敵な人だよ」
昼休みの終わりを告げるチャイムが流れる。
「一度、部室のほうにあいさつに行くと、伝えておいてくれないか?
2、3日の内に、正式に返事をするからって」
「うん、わかった」
将が気にしていたのは、もう一つあった。
古式ゆかりの事だ。
母、美里によると、古式ゆかりは吉野の家の事は知らされていないと言うことなの
だ。
美里は昔、古式の家を壊したくないと身を引いたのだそうだ。
結果的には、古式の家には知られてしまったのだが、それが母の意志なら、自分もそ
れに従おう、そう決めていたのだ。
それが、同じ部活に入ってしまったりして大丈夫か?
そうは、思ってみたものの、
「まあ、なるようになるか」
となってしまうのっだった。
2、3日、の予定は、約半分以下になり、その日の放課後、将はテニス部のドアを訪
ねていた。
母と娘が食卓をはさみ、その家の主がその横に座る。
ごく当たり前の、夕食風景、ただ違うのは、
「何か、良い事でもあったの?、ゆかり、何か、楽しそうね」
「はい、お母様」
そこだけ時間の流れが違うような会話である。
「今日、とても、有望な1年生が、入部して来たのですよ」
「それは、ようございましたねえ」
「それはもう、すごいかたなのですよ。
お名前は、確か、そう、吉野 将というお方です」
その会話の途中で、主は手にしていた茶碗を落とし、母はその箸を止めた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−続く
ときめく時の中で(4)
「よう、連尺!」
昼休み、次の教室に移動するため、北校舎の階段を降りている時、連尺はその呼ぶ声
に振り向いた。
「清川先輩!」
光の加減で、緑色にみえる髪を、思いきり短くしたその女生徒は、
連尺にとって尊敬すべき人物だった。
「ひさしぶりだな、元気だったか?」
「ええ、なんとか、」
「・・・テニス部に入ったんだってな」
「・・・すいません」
「何も謝る事はないよ。しょうがないさ」
しばらく歩きながら、とりとめのない話をしていたが、
清川がどうしたものかと顔に書いてある表情で、連尺に言った
「例の1年生、テニス部に入ったんだろ」
「はい、・・・それが、なにか?」
「いや、あくまでも噂なんだけど、なんだか3年の中でその子の事、よく思ってないの
がいるらしいんだ」
「?!、そんな、なんで!」
思わず立ち止まり声を強める連尺に、清川は慌てた。
「あくまでも噂なんだって。たとえ事実としたって、理由なんてないさ、ただ単に気に
入らない、ってのが理由だろうな」
「そんな、・・・それで、気を付けろ、と?」
「噂だから、何も無いって事もあるし、そのほうが良いけど」
暫くの間、うつむきかげんでいた連尺だったが、すっと顔を清川にむける。
「わかりました、キャプテンに相談してみます」
「それがいいな、中沢さんなら顔が広いから、何とかできるかもしれない」
それが2日前の金曜日の事だった。
連尺には、結局だれにもそれを相談できなかった事が悔やまれてならなかった。
今日は月に一度の全員参加練習日で、連尺は将と”見物に来た”という和人に、校門
で偶然に会い部室に向かったのだ。
が、裏庭の人目の無いところで、3人の男子生徒に行方をさえぎられたのだった。
「どう見ても歓迎、と言う感じじゃあないなあ。和人」
「むさい男に歓迎されても、そう嬉しくないがな」
二人に、余裕があるように見えた連尺ではあったが、事態が好転するとも思えなかっ
た。
「どうも、最近いい気になってる1年生がいるようなんで、忠告に来てやったんだ。
よく聞いておけよ」
連尺にとって、最悪のシナリオになっているのだが、将と和人にとっては違うようだ
った。
「やっぱり」
「こいつらひまだなー」
聞き取るのに苦労する小声は相手に対するものでなかったために、3人の内の一人が
得意げに続けた。
要は、おとなしくしていろだの、生意気だのと言う、あきれるほど次元の低い内容
で、どんな名演説家でも、人に感銘を与える事は難しかろう。
話が一区切り付いたところで、将はいかにももういいだろうと言う口調で言った。
「私としては、その様な気は全くありませんでしたが、先輩方の目にそのように写って
いたのでしたのならば、私の不徳のいたるところでして、この場をお借りしてお詫び申
し上げます。
以後は、諸先輩方のご忠告、御指導を参考にして行く所存であります。
本日は、誠にありがとうございました。
部活がありますので失礼致します」
まるで用意していた原稿を読み上げるように一気にしゃべり、
「さあ、連尺さん行こうか」
と、連尺の手を取り部室に向かおうとした。
しかし、三人は当然そんなことは許せなかった。
何しろ、口調や内容は完璧なのだが、その使い方そのものは完全に相手を馬鹿にする
ものなのだから。
知らないと言う事は、時に人を蛮勇にさせる。
三人の内の一人が、最も触れてはいけない情報を攻撃材料としてしまった。
「待てよ、お前の母親ってのは、夜の仕事してるんだってな
”おミズ様”ってわけだ」
調子にのって、ほかの二人が白々しくはやし立てる。
「へー、そうなんだ」
「大変ですなあ」
将の瞳に凍て付くような炎、和人の瞳に焼け付く氷の刃がそれぞれ浮かんだ時、残る
最も意外な人物が怒りを爆発させた。
「恥ずかしいのは、あなたがたです!!
何ですか、たまの日曜日、そんな下らない事を言うために、わざわざ来たんですか!
他にすることないんですか!」
それまで靜かだった連尺が、言葉の濁流を3人にぶつけたのだった。
「お、おい」
あまりの展開に、将も和人も抑えに回ろうとしてしまった。
「将くんの家庭がどうであろうと、それは将くんの問題であって、あなた方には関係あ
りません!
そんなことの前に、今自分がどんなに情けない事をしてるか、考えてみたらどうで
す!」
「連尺!もういい!」
「良くないわ!こういう人達には、言わなきゃ判んないのよ!」
「いいんだったら!」
半ば強引に連尺の手を取り、その場を将は立ち去ろうとした。
それをさらに追う3人を和人が制した。
「まままま、先輩方あ、あのように将も反省してる事ですし、ここらあたりでご勘弁く
ださいよ。ね?」
満面に笑みを浮かべる、和人に三人はまくしたてる。
「どけ!もう許せん」
(最初から、その気はないだろうに)
と思いながら和人は答えた。
「先輩、間違っちゃいけません。今日皆さんは運が良かったんですよ。
間違ってさっきみたいな事、おふくろさんがいる前で言ってたら大変でしたよ」
「うるさいんだよお前は!」
一人が振り上げた拳の手首を、何気なく和人がつかんだその瞬間。
「いてー!」
その生徒は情けない声をだし、手首を捕まれたまましゃがみ込んでしまった。
特に力を入れてるわけではない、手首の関節を極めているのだ。
「俺はね、先輩方のためを思って言ってるんです。
あいつを怒らせる前に、こういう事は今回限りにした方がいいですよ」
「な、何だよお前は?関係無いだろう」
「関係?
判ってないなあ、俺はね、将と将のおふくろさんには、一生かけても返せないほどの
恩があるんですよ」
その時、3人はあたりの気温が2、3度下がったような気がした。
さきほどの笑みからとても想像のできない殺気が、和人から立ち上がったのだ。
「もし、またあの親子に、侮辱するような事をしてみやがれ。
てめえら、ただじゃおかねえぞ」
「いっ、」
いきがるんじゃねえと言おうとして失敗した。
「おれは、1−Bの、領家ってもんだ、いつでも相手になるぜ」
手首を放し仁王立ちする和人に、3人は、上級生とか3対1とかいうのが、全く役に
立たず、自分達がヘビににらまれた蛙である事が判っていた。
「痛い!痛いよー、将君!」
その頃、将は連尺の手を引っ張り、テニスコートのそばまで来ていた。
そしてその手を放した後、
「ばかっ!!」
が、第一声だった。
「そ、そんな言い方しなくたっていいじゃない!」
反論してみたが、将には通じない。
「目を付けられてるのは、俺だぞ。
あんな言い方したら、今度は連尺が目を付けられるかもしれないじゃないか!」
「あっ、」
意外な言葉に、連尺は言葉を無くした。
「かばってくれたんだ」
「・・・」
「ふーん」
右人差し指をあごに当てて、連尺は横目で将を見た。
「なに?」
「時々怖いけど、将君ってすごく優しいんだね」
「何だよそりゃ」
照れた将は、全然違うところを見ながら
「遅れない内に、部活へ行くぞ」
「こんなことがあって、平気なの?」
「まあ、なれてるからな、それに今日、参加しないと退部させられるんだろ?
全員に挨拶もしないうちに退部じゃあ、シャレにならんよ。
ところで、さっきはありがとう、ああ言ってくれたから救われたよ。
ばか、は悪かった。言い過ぎたよ」
「ううん、いいのよ、そんなことは。ところで和人君は?」
「あいつなら大丈夫なんじゃない」
「確かに大丈夫だったけどね」
右手の手のひらで顔を扇ぎながら、遠くでそんな二人を眺めていた和人だったが、
「イヤー、損な役回りだなー、今日は」
と、ぐちの一つもこぼしたくのなるのだった。
将にとって、この日の部活は初めての事ばかりだった。
何しろ、人数が多い。いや多くなったような気がする。普段、10人ぐらいが普通な
のに、総勢24名の部員が集まったのだ。
普段は、自主性に任せ、そのかわり月に一度だけ強制的に集まる。
余程の理由のない限り欠席したら退部。
(飴と鞭だなー)
ボール拾いをしながら将は思った。
毎年、地区大会で、ベスト8には必ず残る実力を持つこの学校の、意外な一面を見て
しまったような気がした。
練習そのものは、実質3時間ほどで終わった。
サーキットトレーニング、素振り、ストローク、サービスなどの練習、ゲームなど、
中身は、なかなか充実したものだ。
午前9時の集合で、結局午後1時まで。
「結構ついていけたな」
命令された訳ではないが、コートの整備などしながら、将がそんな風に考えている
と、
「吉野君!早く着替えて来なさいよ」
と、詩織が声をかけて来た。
「まだ、何かあるんですか?」
「何言ってるの?あなたの歓迎会をするんじゃないの」
「そんなのあるんですか?」
「とは言っても、駅前のハンバーガーショップ行くだけなんだけど、勿論行けるわ
よね?」
「はい、行けます」
と将が答えると、詩織はくるりと振り向き声を上げる。
「みんなー、行けるってー!」
声の先には、10人ほどの女子部員が手を振っていた。
そう女子部員だけが・・・。
「?・・・あのー、ほかの男子部員は?」
「帰ったわよ」
「帰ったって」
にこりと笑って詩織は答える。
「喜びなさい。きらめき高校テニス部伝統、歓迎ハーレムにご招待!
こういうの好きでしょ?
そのかわり、ジュース代だけもつんだよ」
それを聞いて将は、声を上げて笑った。
「なにが、おかしいの?」
「いやー、高校生活だなーって思って」
じつは、この日これからさらに、ちょっとした事件が起こる事を、
将はまだ知らない。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−続く
ときめく時の中で(5)
「それでは、吉野 将君のこれからの活躍と、きら高テニス部の更なる発展を願って、
乾杯!」
「かんぱーい」
紙コップなので硬質音はなく、静かにコップ同志がキスをする。
(め、目立ちすぎとる)
”きらめき高校テニス部名物、新入部員歓迎ハーレム”に誘われた将だったが、自分
のおかれた立場に戸惑うばかりである。
駅前のハンバーガーショップは2階建で、2階フロアが客席というタイプのもので、
その一角を、12人の女子校生と男一人が占めるというのは、確かに異様な光景では
ある。
「それでは、わたくし典型的幽霊部員、三方 春枝が、この会を仕切らせていただきま
す。みなさんよろしいですね」
人懐っこい丸顔をした生徒が、わざわざ立ち上がりそう言うと
「それはいいけど、反省してないでしょう」
というつっこみに、笑いがおこる。
「サブC、いいではないですか、私がこの2年間、幽霊部員に徹したおかげで
きら高テニス部の間口が広がったのですぞ」
「自分で言うかなあ」
ほとんど将を無視して広げられる空間、突然それがいっきに将にむけられる。
「本日の主役、吉野君に聞きましょう
まず、このテニス部に、入部した動機から、聞いてみましょう」
注がれる12対の視線に、経験の無い緊張感を強いられつつ答える。
「えー、それはやはり、藤崎先輩に目が眩んだからでしょう」
「なるほどー」
「やっぱりー」
変にみな納得してしまったために、将の左に座っている詩織が慌てた。
「吉野君!やめてよー、みんなも、納得しないで」
「でも、それは言えたな」
将の右前の席から声が来た。
やや赤みのかかった髪をポニーテールにしている人である。
座ってはいるが、女性としては大柄な方である事が判る。
「はじめまして、吉野君。サブキャプテンの佐鳴 琴魅です。
部活では、略してサブCって呼ばれてます」
「どうして、サブCがはじめましてなんだ」
「さぼりだな」
「春枝が言うな」
さすがにこれだけ人数がいると、話がすぐ脇道にそれる。
「どこまで話したっけ?ああ、そうそう、吉野君は知らないだろうけど、
今年の春は、詩織目当ての入部希望者で大変だったんだから」
「そうだったよねー」
そう言う佐鳴の向かって右の人に、将は見覚えがある。
三回ほど行けた平日の練習日にすでに1回会っている。
黒い髪をショートヘアでまとめている。
そばかすが残っているが涼しそうな目許が印象的な人だ。
「新橋さん・・・でしたね」
「当り、良く覚えててくれたね。新橋 淳子、3年は私と琴魅だけです
よろしくね」
「淳子先輩は忘れられないよ。にっぱしと読むんだもん」
「あなたこそ、ほうがわなんて変わった読み方するんじゃないの」
そう言われたのは将の斜め左に座る眼鏡をした2年生だ。
「芳川 舞です、マネージャーしてます、
今年から、連尺さんが来てくれて助かってます」
何だか自己紹介のようになってしまったが、
将は、気になっていることを聞こうと思い、
「新橋先輩。どう、この春はすごかったんですか?」
と尋ねた。
「えっ?ああ、入部希望者が何と40人。この内男子が35人。
さすがにこれはまずいんで入部テストをすることになった訳」
「・・・ひょっとして、藤崎先輩と俺がやった、あれのように?」
「そうだよ、・・・よくわかったね」
将は、あのテニス部入部の噂が流れた理由が判る気がした。
「結局、藤崎先輩は、俺をテストしてみたかったんだ」
「ごめんなさい、確かにその通りなんだけど、あんな噂になるなんて思わなかったの」
「まーいいですけどね、済んだことですし」
結果的に、詩織にうまく乗せられたと言う気がしないでもないが、
悪意があった訳じゃないので、文字どおり済んだことに思える。
その後、歓迎会は自己紹介などを交え、午後3時頃に終わった。
その間、古式ゆかりは、ずっと、にこにこしていたのだった。
「二次会、ひさしぶりに、行こうか?」
「いいね、どうかな、ゆかり?」
「ええ、いつでもかまいませんよ」
この間、精神的にたたらを踏んでいた将だったが、
「でも俺、もう、金無いですよ」
と、言った。
だが、
「大丈夫、ついてくれば判るわよ」
と、詩織に言われ、素直について行く事にした。
そして、そこは活字にすれば、きっと
「ばん!」
とか
「でん!」
と表されるだろう和風の豪邸の前に、途中で帰った6人を除いたテニス部一行はいた。
その玄関には、でかでかと、
「古式」
と書かれた表札が、掲げられていた。
将は、今、きっと自分の背中で、鯉の滝上りができるぐらいの汗が出てると思って
いた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−続く
ときめく時の中で(6)
テニス部キャプテン中沢健太にとって、この数日は目まぐるしいものとなっていた。
新入部員の勧誘合戦があったとき、獲得した部のキャプテンは、
その他の部にあいさつ回りをするという、昔からの習慣に忙殺されていたのだ。
将の場合、その数が多かったので、よけいにだった。
もっとも彼にとって、こういった活動はそれほどの苦痛ではない。
162cmと小柄ながら、自分以外の事でもこまめに世話をする彼は、
同級生からは信頼と人気が、下級生からは人望と尊敬を集めていた。
砂色のさらっとした髪をさっぱりとまとめ、さわやかな印象を与えているが、
にきび跡のある顔とやや大きめの目は悪戯っぽい印象も与える。
「中沢さん」
「おっ、伊集院か」
その帰り、長い髪を後ろで束ねた男子生徒に呼び止められたのだ。
「大変みたいですね、あいさつ回り」
実のところ、彼がこのような喋り方をするのは、校内でもごく小人数に限られる。
中沢は、そのごく少数の人間の内の一人、ということになる。
「ああ、競争率の高い彼女を持つと恋愛も一苦労、て訳だ」
「相変わらずですね、表現が」
「そうか?
しかし、気を付けていた連中の動きが静かになってるんだな、
・・・お前、なんかしたか?」
「どうして、僕がそんなことしなきゃならないんです」
「まあ、そりゃそうだ、だがな」
少し小声になって、
「事情は判るが、わざわざ敵を作るようなこと、あんまりするんじゃないぞ」
と言う中沢に、素直に答える。
「はい、気を付けます」
「それと、じいさんには、よろしく言っといてくれよ」
と言って、右手を少しあげ背中をむける中沢に本格的な夏の日差しが降り注いでいた。 期末テストも終わり、いよいよ夏休み、と、校内が浮かれ始めた頃の事である。
その頃、中沢が苦労させられている原因の将はというと、テニスコートの中を、
前後左右、いいように走り回されていた。
詩織がネットをはさんで、将のコートに数を数えながらボールを投げ込んでいる。
そのボールを追いかけ、手で捕まえると言う練習のようだ。
「98、99、100・・・はい、よくできました」
その100個目のボールを捕まえると、そのまま前につんのめり、
倒れこんでしまった。
「すごいよ、吉野君!
これをいきなりクリアする人なんて、なかなかいないんだから」
肩どころか全身で息をする将、息も絶え絶えに答える。
「そ、・・・そう・・・なんですか・・・」
「そうよ、私も、これには泣かされたもん、すごいことなのよ。
四本松さん、悪いんだけど、ボール集めてくれる?
多分、吉野君、足にきてるから動けないと思うの」
はい、と答え1年生の女子部員が、ボールを拾う。
先日の歓迎会ですでに会っているが、少しばかり印象の薄い子だ。
顔立ちもなかなか可愛いいし、肩まである細く柔らかそうな髪も、
本来なら魅力的に見えるはずなのに、何故か影が薄い感じである。
『性格的な問題なんだろうな』
そんなことを考えていた将だが、詩織の言う通り、
足が自分の物とは思えない重さになっていた。
「あ、あれっ?」
「だめよ!無理して動かすと痙攣するわよ」
詩織はそう言い、将の両足首をそっと取りゆっくりとマッサージを始めた。
詩織にとっては何気ないことなのだが、
将は、自分の顔が運動した以上に熱くなっていることがわかった。
「去年の1年生で、これを1回でクリアした人が一人だけいたの。
上級生がすごく驚いていたほどなんだから」
「藤崎さんじゃないんですか?」
「誰だと思う?」
「?」
「意外な人物よ」
「・・・?」
そう言われてもやはり判らない。
「ゆかりよ」
「えっ!!」
「ほら、やっぱり意外な顔になった」
そう言うが、それは無理からぬ事だろう。
「彼女のプレイスタイルは、あの頃から決まっていたのね。
とにかく拾って拾いまくる、っていう。
・・・はい、これでいいはずよ」
確かに、足が楽になっていた。
「吉野君、今度の日曜日、予定あいてる?」
「えっ、えーと、午後からなら何とか」
「それじゃ、私とショッピング街に行かない?」
「えっ」
「吉野君、自分のラケット持ったほうがいいよ。
よかったら、私がアドバイスできると思うの。どう?」
(それは、まがりなりにも、デートというものでは)
将に断る理由はない。
「はい、喜んで」
「良かった。
四本松さん、ラケット買いに行く時、吉野君も一緒でいいでしょ?」
「は、はい、かまいませんよ」
(なーんだ、先約があったのか)
そうは言っても、嬉しい事に違いはない。
(今度の日曜日か、忘れないようにしなくっちゃ)
待望のその日がきた、誰の願いか知らないが見事な日本晴れである。
将は、朝からフル回転でたまっていた家事をかたずけていた。
帰りの遅かった美里は、寝る前の歯磨きをしながらそれを見ていた。
「ずいぶん、頑張ってるねー」
「俺、午後から出るから、それまで、少しうるさいけど我慢してよ」
「デートかい?」
「うっ」
動きが止まる。
「そ、そんなんじゃないよ!
ラケット買うって、お金もらっただろ」
その言葉に、美里は笑って答える。
「そうかそうか、健全な青少年なら、ごく当然な事だ。まあ、頑張ってくれたまえ。
じゃあ、おやすみ」
「まったくもう、かなわないなあ」
隣の部屋に入る寸前、駄目押しとばかりに美里はからかう。
「ちゃんと紹介しなよ」
「もう、早く寝ろって!」
「はいはい」
家事の手を休め、ふと思った。
「和人、連れて行ったほうが良いかなあ?」
「お前も、やるときはやるなー」
「そんなんじゃないって言ってるだろ」
二つ返事でついて来た和人は、何度もそう言い、何度も将は答えた。
「ま、なんにしても、憧れの藤崎さんと同じ時間をすごせるんだ
贅沢は言えんわな」
そんなことを言いながら、待ち合わせ場所に着くと、詩織と四本松がもう来ていた。
それだけではなく、他のテニス部員、ゆかり、芳川、連尺までいた。
詩織が、笑いながら説明する。
「何だか、みんなお買い物があって、大人数になっちゃったね」
「将、これ、デートって言うか?」
「ちがうって言っただろ」
「古式さん、先日はすいませんでした」
それぞれ、買い物が終わり、喫茶店で一休みしてた時、
将はゆかりに切り出した。
「いーえー、お父様も、お母様も、お友達は大事にしなさい、と、おっしゃいます。
いつでも、つれて来るように、とも、言われておりますから」
その言葉の間、将はコーヒーを2口飲めた。
「いつからか、ゆかりの家によく行くようになったの、広いし、近いから」
詩織の説明に、芳川が続く。
「でも、男子には怖いところみたいね」
「言える、言える」
父親の事をいうのだろう、だが将にとってはいささか異なる。
それはそうだ、予告もなしに実の父親との対面なのだから。
(だが、待てよ、)
思い出してみて思った。自分が名乗る前に父親は自分の事を知っている風だった。
(俺の事を、知ってたのか?)
将が考えこんでいると、詩織が声を掛けてきた。
「どうしたの、吉野君?」
「ああ、別に何でもありません」
それならそれでいいか、と思い会話に加わった。
夕方になり、それぞれの方向へ帰り、将も和人と別れ家のそばに来た時だった。
「あれ、またあのベンツだ」
いつか見た、銀色のベンツが止まっていた。
その脇を通ると、後部ドアの黒い窓が開き始めた。
そこには、
「やあ、申し訳無いが、今、時間はあるかね?
・・・吉野君?」
それは、忘れる事のない人物。
「ゆかりさんの、お父さん」
今日はそれほど、将の背中は汗をかいてないようだった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−続く
ときめく時の中で(7)
「未成年だから、酒はだめだな。
大将、生きのいいとこ、どんどん持って来てくれ。
育ち盛りだからな、いくらでもはいるぞ」
「まいどどうも」
将が連れて来られたのは、落ち着いたかなり高級な寿司屋の奥座敷である。
ダークスーツの中年紳士と、カジュアルウェアの少年。
どこから見ても、親子が食事に来た風景だろう。
(まあ、親子には、違いないんだろうけど)
と、将は考えていた。
「膝を、崩し楽にしなさい」
ひとしきり料理が運ばれた後、そう言われ将はあぐらをかく。
ところが、相手の顔の位置が変わらない。
正座したままの相手は、机に両手をつき、深々と頭を下げた。
「今まで、本当にすまない事をしたと思っている。
この通りだ、許してはくれないか」
あまりの事に、両手を前にだし、やめさせようとした将であった。
「ちょっと、止めて下さい、古式さん。
俺、僕は、そんな風には思っていませんから、どうか顔をあげて下さい」
「私を、恨んでいないのか?」
「・・・それは、確かに小さい頃は、何故父親がいないのか、
母に問い詰めた事もあります。
でも今は、いろいろな事情が判るようになって来ました。恨んでなどいません」
「・・・そうか、あれは、いい育て方をしたのだな」
そして改めて、頭を下げる。
「勝手なのは判っている。
だが、ゆかり、娘、ゆかりにはこの事情は黙っていてはもらえないか?
この親バカはあの子を、大事に育てすぎた。
ゆかりはまだ純粋で、君のように強くない。
事情を知ればきっと悩んでしまうだろう。
一生隠すつもりはない、だが、今しばらく待ってもらいたい」
その姿に、将は、失礼だと思いつつも苦笑いをしてしまった。
「古式さん、僕の母は、古式の家を壊したくないと身を引いたそうですね。
母が、そう思うのなら、僕はそれに倣います。
僕の口から、彼女に話すような事はいたしません。ご心配は無用です」
「おお、そうか、そうか、ありがとう、ありがとう。
ささ、どんどん食べてくれ、親子の間遠慮などはなしだ」
次々出される料理は、たしかに上等な物ばかりだった。
将が違うのは、こんなときでも料理の仕方を考えてしまう事だろうか?
(うーん、このダシは、やっぱり追いダシをしてるのかなあ、
ダシを取った方が美味しいよなあ、でも、あくを取るのが大変なんだよなあ)
「先日は驚いた、
なんの予告もなしにやってくるのだからうろたえてしまったよ」
と、言う問いかけにはっと我に帰る。
(いけない、いけない、なんちゅう緊張感のないやつなんだ、俺は)
「それは、僕も同じですよ。部活の先輩に、訳も判らず連れられていったのですから」
「そうだろう。そうでなければ、私のところに来ようとは思わないだろうからな。
だが、私は君達親子を忘れた事はなかった。
隠れるように姿を見に行った事も、1度や2度ではない」
(どこが隠れるように、なんだ)
銀色のベンツを思い浮かべ、将は内心で吹き出してしまう。
「だが、やはり実の息子、1度でも会い言葉を交えれば、
次はもっととなってしまう。ハハハ、親馬鹿ここに極まれり、だな」
将は、内心嬉しくもあった。
ここにいるのは、紛れもなく父親である。
一緒に暮らした事もなければ、思い出もない。
だが、ここにいるのは、紛れもなく実の父親なのだ。
「将君、何か困るような事が有れば、いつでも言ってくれ、
私にできる事ならば、何でもしよう」
「はい、わかりました。その時は、お言葉に甘えます」
「うむ、約束したぞ」
「ただ古式さん、一つだけ言っておきます。
昔はどうあれ、僕は今、自分が不幸だなどと思ってはいません。
その点、誤解も心配もなさらないで下さい」
その台詞を聞いて浮かんだ表情は、まさに息子の成長を喜ぶ父親の物だった。
日曜日の夜は、美里も休みである。
アルコールも少し入り、上機嫌の美里に、将は語りかける。
「お母さん、俺って結構、幸せ者だよな」
少し驚いて少し小首を傾げ、やや間をおいて答える。
「なーに当たり前の事言ってるのよ」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−続く
鈴鹿8時間(HQI01420@niftyserve.or.jp)
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