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ときめく時の中で外伝(4)


    将 誕生 第一話開始以前


「美里。何だか具合悪そうだけど、大丈夫?」
 クラスメイトの問いかけに、美里は笑って答えるが、その表情には明らかに元気がな
かった。
「うん。なんだか食当たりしちゃったみたい」
「つぎの体育どうする?」
「・・・うーーん。やっぱり早引けするわ」
「そう?うん、その方がいいわね。
 先生には私が言っておくわ」
「ありがとう、それじゃお願いね。
 それじゃ、バイバイ」
「うん、お大事にね。バイバイ」
 鞄を持ち、教室を後にした美里だったが、この日何度目かの猛烈な吐き気を覚え、ト
イレに駆け込む。
 だが、吐き出せる物など、もう何もない。それでも吐き気は止まらない。
 食当たりというのは、はっきり言えば嘘である。
 美里には思い当たる所があった。
 しかしそれを認めるにはあまりにも事が重大過ぎた。
「まさか・・・、そんな」
 口ではまだ確信していないようではあるが、内心ではすでに、あきらめにも似たよう
な物があった。
(もう、このきらめき高校にも長くいられないかな)
 そう思わずにはいられなかった。



 学校を早引けした美里は、いったん自宅に戻り私服に着替える。
 そして、電車に乗り、隣町の女性が院長を努める、産婦人科病院のドアをくぐった。
 美里にとって幸運だったのは、その病院のスタッフが親切であった事であろう。
 事情を察知した病院側は、別室を用意して美里に対する好奇心の目から、彼女を守っ
てくれた。
 だが、そうであろうとも現実が厳しい事には変わりがなかった。
「吉野さん、気を落ち着けて聞いてね。
 あなたのお腹にはすでに3ヶ月の赤ちゃんがいるわ」
「・・・・」
 初老に近い女性医師にそう言われ、美里は声を失う。
 覚悟はしていたとは言え、美里にショックは隠せない。
「聞きづらい事だと思うけど、あなたも子供じゃないのだから、決めなくてはいけない
わ。
 産むのか、・・・それとも」
「あ、あの」
「判ってるわ、いえ、判っているつもりよ。
 そんなに簡単に答えが出る物じゃない事は。でも時間は限られているの。
 本来なら堕胎すべきではないのよ。若い体に対する悪影響が大きすぎるのだから。
 でも、無理をして親子双方が不幸になるのでは意味がないの。
 どちらがいいのかは、私達には決められないの。
 言い出しにくい事かもしれないけど、相手の方やご家族の方とよく相談して、よく考
えて結論を出してくださいね」
「・・・はい」


 病院を出た美里は、気がついたらマンションの5階の自宅に戻り、座卓の前に座り込
んでいた。
 どこをどう帰って来たのかも覚えていない。
「どうしたらいいの?」
 記憶がないだけで、それは何度も自問自答した質問であった。
「古式さんに・・・いえ、駄目よ、ご迷惑をおかけするわ」
 彼女には相談すべき家族はいない。
 母親とは幼い頃に死別し、小学校4年生の時、暴力団同士の抗争に巻き込まれ、たっ
た一人の肉親である父親も失ってしまったのである。
 その時、彼女を救ったのは古式組の組長であった。
 元々は、その抗争とは無関係だったのだが、まだ若いとは言え、古くから任侠の道に
生きてきた古式は、美里を不憫に思い、彼女を引き取ったのである。
 だが、美里が子供から女へ、という成長の階段を登るにつれ、古式と美里の関係が、
男と女の関係になるのにさほどの時間はかからなかった。
 美里は愛らしい少女であったし、古式もその素質に磨きをかけるのに、金に糸目はつ
けなかった。

 美里は後悔していなかった、いや、それをむしろ当然のことのように思っていた。
 古式のおかげで、彼女は何の不自由もなく暮らすことができ、高校にまで入れたので
あるのだから。
 女性の人権を守る立場からすれば、それは決して前向きの考えではないのだろうが、
美里はそう思っていた。
 彼女自身の考えがどうあれ、ただの男と女であれば、それは個人の考えによって立つ
事なのである。
 多少年が離れていようとも、それは個人の自由であろう。
 だが、古式にはすでに妻がいた。
 さらに昨年には、ゆかりと言う可愛い女の子が生まれている。
 美里の存在は、決して日の当たるものではなかったのである。
「・・・堕すしかないわ。古式さんに迷惑はかけられないもの。
 貯金を下ろせば、費用はなんとかなるわ」
 そう言って立ち上がった途端、美里は自分のお腹を押さえた。
「!」
 それはただ精神的に思っただけなのかもしれない。
 生物学的には考えられないかもしれない。
 だが、美里は実感したのである。
 自分のからだの中にいる小さな命を。
 お腹を手で押さえたまま彼女はうずくまる。
「・・・美里、あなたはこの小さな命を殺すつもりなの?
 この先できるかどうか判らない、肉親の命を奪うつもりなの?
 そんな事、できるの?」
 悲しいのではなく、怒りに近い涙が彼女の頬を濡らしていた。


「そうか。産むか」
 美里は古式に事情を説明した。
 産むと決めた以上、書類上とはいえ父親は必要である。
 「書類上」すなわち、美里は古式の世話になるつもりはなかった。
 古式の家を壊すつもりはなかったからである。
 古式は反対したのであるが美里の決心は変わらなかった。
 それならばと差し出した、古式の小切手も拒否した。
「これではまるで手切れ金みたいじゃありませんか?
 私はもう十分お世話していただいたと思っていますし、これ以上ご迷惑をおかけする
わけにはいきません。
 それに、・・・私はあなたを愛していました。いえ、今も愛しています」
 ややためらいながら言った美里の言葉に、さしもの古式も声を失った。
「古式さんから見れば、私はまだまだ子供でしょうけど、私は私なりにお慕いしていま
した。
 それをお金で片付けるような事は、お願いですからしないでください」
 そこまでいわれ、古式は小切手を収めた。
 彼には決してその様なつもりはなく、これからの美里の身を案じての行為なのだが、
そう取られても仕方がないことを悟る。
「これからどうするつもりなのだ?」
 美里は手でお腹を押さえて言った。
「この子と二人で生きていきます。
 苦しい事やつらい事が待ち受けているのは判っています。
 でも、あなたの分身であるこの子がいれば、私は生きていけます」
「美里」
 そう言った古式に、美里は深々と頭を下げる。
「本当にお世話になりました。このご恩は一生忘れません」



 決断した後の美里の行動力はすさまじかった。
 再考を促す教師やクラスメイトを振り切り、退学届けを提出すると、1年と少しの時
間を過ごしたきらめき高校を後にした。
 身の回りの物を整理し、いらない物などは売ったりしてどんどん処分していった。
 だが、本当に大変なのはここからだった。
 17歳の少女にそれ程簡単に職や住まいが見つかる訳がない。
 ましてや、彼女は身ごもっているのである。
(早く見つけて、あの部屋を古式さんにお返ししないと。
 仕事だって見つけなけりゃ)
 そんなあせりが彼女を追い詰めていた。
 彼女が部屋に戻ってくると、玄関に和服姿の女性が待っていた。
「奥さま!」
 美里は声を上げた。
 まさしくその女性は古式の妻その人であった。



 ほとんど何もない和室に、座布団だけをひいて二人は向かい合っていた。
 彼女の視線はまるで氷のように冷たく、針で刺されるように痛かったが、美里には耐
えるしかなかった。
「古式に、事情は、聞きました。
 あなたの、おっしゃる事は、わかりましたが、これだけは、受け取って、もらいま
す」
 そう言って差し出された封筒の中には、先日、古式が出した小切手が入っていた。
「これは!?」
「嫌でも、受け取って、もらいます。今、お金は、必要な、はずですから」
 この言い方にはさすがに美里もカチンと来た。
「そのおしゃりようでは、なおさら受け取れません。
 私にも意地が・・・」
 その言葉が終わらない内に、美里は火に焼かれたような痛みと、首をねじられるよう
な衝撃を感じて左の頬を押さえる。
 それが、相手の平手打ちによって引き起こされたということに、美里が気がついたと
き、古式の妻は猛然とタンカをきった。
「生意気を言うんじゃないよ!!
 17.8の小娘一人で、子供を産んで育てるなんてことができるほど、世間は甘いも
んじゃないよ!!」
 さすがに一つの組の姐さんを努めるだけあって、恐ろしいほどの迫力である。
 美里は答える事ができなかった。
 迫力に押された事もあったが、それは今、美里が嫌というほど思い知らされている事
だったからである。
「別に私は、あんたがどこで野たれ死にしようと知った事じゃないよ。
 でも、生まれてくる子供には、なんの罪も責任もないんだよ!
 あんたのつまらない意地のために子供を不幸にするつもりかい!?」
「奥さま・・・」
「施しを受けるのが嫌だと言うのなら、貸したことにしようじゃないの。
 それなら受け取れるだろ?」
「・・・はい、判りました。お返しいたします、たとえ何年かかろうとも必ず!」
 美里は封筒を受け取り、相手を睨み返す。
「いい目だねえ。
 それじゃあこれも渡しておこうかい」
 そう言ってもう一枚の封筒を差し出した。
「?」
「うちの若い衆が堅気になってだした店への紹介状だよ。
 世間様には堂々と顔見せ出来ないような仕事だけど、れっきとした堅気の店だ。
 住み込めるし、何より事情は説明しておいたから、肩身のせまい思いはしないはず
さ」
「奥さま」
「勘違いするんじゃないよ!
 私はあんたを許した訳じゃないんだからね!
 でも、その子はあの人の血を半分受けついでいるんだからね。
 不幸にさせる訳にはいかないんだよ」
 そう言って立ち上がる姿に、美里は畳に手を付き頭を下げる。
「ありがとうございます」
 相手はそんな美里に目も向けず、部屋を出ていこうとしたが、肩越しに頭だけを美里
に向けて言った。
「いい子に育てるんだよ」
「はい、必ず」
 美里は頭を下げたまま答えた。



「あなたに似た、可愛い男の子よ」
 最初の受診をうけた病院で、数ヶ月後、美里は無事に出産した。
 ベッドに寝ていた美里の元へ、一人の看護婦が、白い毛布に包まれた赤ちゃんを抱い
てやって来た。
 看護婦の腕の中の赤ちゃんは、まぎれもなく美里の血を受け継いだ、彼女の子供であ
った。
「名前を考えないといけませんね」
 看護婦の言葉に美里は答える。
「名前はもう考えてあるんです」
「あら、何と言う名前?」
「女の子だったら、天翔ける、の翔子。
 男の子だったら・・・。」
「男の子だったら?」
「将軍の将の字一文字で、将」
「・・・将君か、いいお名前ですね」
「ありがとうございます」
 そう答えて、美里は右手を差し出し赤ちゃんの頬に触れる。
「吉野将、それがあなたの名前よ」
 将と名付けられたその小さな命は、母となった美里の想いに答えるかのように、その
小さな手で美里の小指を握った。



−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−終わり



−−−−−−−−−−−−−−−−−後書き−−−−−−−−−−−

 泣きました。←(バカ)
 馬鹿なのは判っていますが、これ書きながら目頭が熱くなって来ちゃって、
自分でもなんだかなあ、と思いました。
 結構、思い込みが激しいっすね、私。
 いやあ、この外伝の世界はどこまで行くのか判らなくなりましたよ。
 段々、何でもあり、みたいになって来てます。
 

 よろしければ、ご感想、批評などお聞かせください。


 それでは。

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