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女豹の逃亡 <2>



 
 
 フイン・レム・ラウは、イルが所属していた組織、PRAの一員である。数多い下級
幹部の一人に過ぎず、さして特別なポジションを得ていると言う事でもない。
 小さいころより、格闘技で鍛えたたくましい身体と、人並みの知性、そしてそれらを
はるかに凌駕する、若さゆえの向上心と野心の持ち主だった。
 彼は数少ない部下と2台の地上車で、ヴァルハナの宇宙港から海へと向かう道を南下
していた。
 「タンニャの女豹」が組織を裏切ったという情報は、末端まで行き渡っていた。
 そしてその「逮捕命令」が出た事も同じだった。
 なぜそんな事になったのか? と言う疑問を掲げる者は少なくなかったが、フインに
とってはどうでもいい事だった。
 彼にとって、なにより重要なのは、イルの身柄を確保すれば自分への評価が上がると
言う事だった。評価が上がれば、当然、地位も上がる。
 身柄の確保には「生死は問わない」と言う条文があった。そう言う荒っぽい仕事は、
彼の得意分野と言って良かった。
 「タンニャの女豹」イルの実績を知っている者の中には、尻込みをする人間がいた
が、引退して3年もたった人間に、フインは恐れを感じなかった。彼は野心と同じぐら
い、腕っぷしには自信があった。
 そんな彼に命令が下ったのは、つい2時間ほど前だった。事の起こりは真偽の定かで
はない密告だった。
 イルが監視の厳しい国際宇宙港を避け、地上を移動して地方空港から、この星を脱出
する。と言う情報が通信網を通じて、匿名文書で送られてきたのだ。
 すでに不確かな情報が数多く入り乱れており、首脳部としては、その数ある情報の真
偽をとりあえず確かめなければならない。フインに下った命令もその一つに過ぎず、出
した方にしてみれば、重要性はどれもほとんど大差ない。
 フインに命令したのも、たまたま彼が情報の確認に一番近いところにいた。と言うだ
けである。
 だが、フインはチャンスだと受け取った。
 命令は選べないが、今回、元となった情報には、逃走ルートや車種までが記載されて
おり、信憑性が高いように思われたのだ。
 こういうのは運が左右することがある。無駄骨だったらしかたがないが、運が味方す
れば、のし上がる足掛かりができる。
 彼はそう考えていた。
 
 彼らが乗った2台の車は、海岸沿いのSAS(セーフティ・アシスト・システム)の
ない、アスファルトで舗装された道路を走行していた。
 道の海岸側は崖で、その間には”ガードレール”が設置されているだけだった。
「まるで遺跡のような道だな」
 先頭を走る車両の助手席で、フインは半ば独り言のように、そう言った。
「自然保護と観光地政策とやらで、この辺りにシステムハイウェイを通せない。って事
ですからね」
 運転席の部下がそれに答えた。ここから宇宙港の向こう側に、リゾート地を設定した
ために、そこから見える景色を規制しているのである。
 この道路も、考え様によっては観光道路となるのであるが、さまざまな規制のせい
で、観光地や産業など何もないため、それほど人が来ない。
 さらに、山をはさんだ内陸部に幹線道路が通っており、シーズンオフと言うこともあ
って、皆無とは言わないが交通量は極端に少ない。
「裏切り者が逃げる時、心理的に選んでしまうような道。と言うわけだ」
 フインは自分に言い聞かせるように、声を漏らした。
 最終的には運なのだろうが、少しでも前向きに考えたいという心理がそこにはあった
が、それが現実に思える声が、ドライバーから届いた。
「フインさん。あれ!」
 指差した先、ちょっとした入り江の反対側に、シルバーのクーペが止まっていた。
 国産車ではないデザインで、すぐに密告にあった車だと判る。
 『これは!?』
 フインだけではなく、行動を共にしていた部下達も色めき立った。
 情報が正しいとなれば、これは千載一遇のチャンスだ。フインの出世は、彼だけのも
のではなく、自分たちにも影響してくるのだから。
「俺達が前を押さえる。そちらは後ろを押さえろ。合図まで、普通に走れ」
 フインがハンディホンで、後続車に手短かに指示を与える。
 期待と緊張感が徐々に高まり、いくつかのカーブを経て、目的の車のテールランプが
見える位置にまで近づいた。
『故障でもしたのか? なんでこんな所に・・・』
 フインが疑問に思い、警戒心が芽生えかけたその時、突然、クーペが急発進した。
 まるで、彼らが近づいて来たから、慌てて動いた。という挙動のように思えた。
 実際、部下の一人が「追っ手だと感付いた?」と漏らし、現役を退いたとは言えタン
ニャの女豹なら、そういう勘が働く事も充分有り得ることだと納得も出来る。
 だが、確証はない。スモークガラスに遮られ、車内の様子がうかがい知れない以上、
偶然の産物である可能性は否定できないのだ。
 フインの乗った先頭車が加速し、クーペを追い越そうとした。追越しざまに中の様子
を見ようとしたのだ。
 しかし、相手の車から、何か黒いものがぽとりと道路に落ち、それが爆発して黒煙が
上がったため、それはならなかった。
 もっとも、彼らにとって、それで目的は果たしたも同然だった。
「奴だ! タレ込みは間違ってなかったぜ!!」
 フインがそう叫ぶと、車内に歓声が上がった。
 密告の内容、そしてこちらへの攻撃。これだけ条件が揃えば充分である。獲物を目前
にしたハンターの高揚感を、彼らは味わっていた。
 3台の地上車が海岸沿いのワインディングロードを、猛スピードで駆け抜けていく。
 フイン達は、ハンドガンなどを撃つ。それに対する反撃は、先程の煙幕弾と、催涙弾
が、それぞれ一回づつ、落とされた事だった。
「あっちに飛び道具はないようだ!」
 フインがそう叫んだ。
 しかも、爆発物としては、ほとんど破壊力、殺傷力のない、催涙弾や煙幕弾しかなさ
そうである。
「頭を押さえろっ! ぶつけるんだよ!!」
 好機と見たフインは、強引な手に出た。向こうに武器がないのなら、必要以上に恐れ
ることはない。
 その瞬間、大音響と閃光と共に、クーペが爆発した。
「な!?」
 ガラスが吹き飛び、そこから炎が吹き出した。爆発による火災がおきても、駆動関係
が半分生きているため、クーペは速度を落とさないまま、コーナーにさしかかる。
 コーナリングの意思を、全く感じさせないまま直進したクーペは、ガードレールを突
き破り、海へと落ちていった。
 一瞬の出来事だった。
 爆発の衝撃を逃れ、路肩に停車した2台の車から、フインと部下達が恐る恐る道路に
降り、ガードレール越しに海を見下ろした。
 直径が200メートルほどの水紋が波に洗われ、その中心部には黒いオイルと細かな
部品がいくつか浮いていた。
「爆弾のセットをミスったんスかね?」
 部下の一人が今起こった出来事を、説明しようと試みた。
 別の部下が反論した。
「タンニャの女豹がか? 引退して、勘が鈍ったとしても・・・」
「じゃあ、自爆? 逃げ切れないと悟って・・・」
 いずれにしても推測だが、討論の種は尽きなかった。
 それをフインが打ち切る。
「いずれにしたって、ここにいても、らちが開かん。
 船を手配して確認をしなきゃな。とにかく車に戻れ。
 それから、本部にはこう連絡しておけ。タンニャの女豹は爆死の可能性大とな」
 踵を返しフインは思った。
『あっけないもんだな・・・』
 
 
 
「すごいなあ、さすがプロ。見事な爆発だ」
 などと言いながら、ペンライトのような望遠鏡をビリーはのぞき込んでいた。
 レンズの中には、距離や方向などを示す数値と共に、現場を立ち去ろうとする追っ手
達が映っていた。
「あなたこそ、催涙弾を車のボディに軽く貼り付けておくなんてアイデア。素人じゃな
いでしょ?」
 茂みの影にうつ伏せになったビリーのさらに後方で、低い体勢のイルが、半分茶化す
ような口調で言った。
「ああしておけば、振動で落ちる事になる。
 理屈ではオートドライブで動いているかもと判っていても、攻撃されば中に人がいる
と思ってしまう。
 私に任せたけど、あのぐらいの爆発、あなたにも仕掛けられるでしょ?」
「SASがない道で、オートドライブを設定するのは面倒だし、プロがいるなら任せた
ほうが確実だろ?」
 望遠鏡から目を離さず、ビリーが答えた。
 二人がいるのは、道路から少し内陸部の、小高い山の頂上付近である。
 道路自体は曲がりくねっているため、全部は無理だが、ビリーの仕組んだカーチェイ
スの一部始終を見て取れる、絶好のポイントだった。
 自らガセの情報を流した後、ビリーはこの海岸道路でマップを呼び出し、オートドラ
イブを設定してから、イルと共に車を離れた。
 追っ手かどうかは、乗っている人間の挙動で判るので、ハンディフォンで車に合図の
信号を送れば、後はコンピューターがやってくれる。
 そして、様子を見ながら爆弾に信号を送って爆発させる。
 これがビリーの立てたプランだった。
 うまく催涙弾や煙幕弾が落ちるかが、多少不安だったが、どうやら上手くいった。
「これで君が死んだと思ってくれれば、上出来だが、最低でも相当時間は稼げる。
 その間に、トンズラ決め込もうぜ」
 望遠鏡をスペースジャケットの胸のポケットにしまい込み、身を起こしながらビリー
が言った。
 青いウインドブレイカーは、動くのに邪魔だからと、すでに脱いでいた。
 その下のスペースジャケットは、灰色がかかった白いもので、それ自体はさして特徴
があるものではない。
 だが、イルはその機能に驚いていた。
 そのジャケットから、火薬類やそのコード類。はてはナイフやら照明弾やらが取り出
されたのだ。
「トライアローの中には、スペースジャケットをカスタムメイドしてる人がいるとは聞
いていたけど、目にしたのは初めてだわ」
「役に立ったろ? 他にも便利な装備があるんだけど、企業秘密でね」
 そう言ってビリーはウインクした。
 なんとなく毒気を抜かれた気になったイルは、今度は意識して皮肉っぽい口調になっ
た。
「でも、退路を確保してないのは減点材料ね。徒歩で移動するつもり?」
 それに対して、ビリーは答えない。左手首のリストヴィジョンに指を触れ、誰かを呼
び出した。
「ノービス。そろそろいいぞ。降りて来てくれ」
「ホイホイ」
 通信画面の向こう側から、ふざけたような声が返ってきた。
 ビリーはイルに向き直り、静かに言った。
「ここから標高で50メートル上。距離にして約500メートル先に、ちょっと開けた
場所がある。そこがピッキングポイントさ」
 どうしてそんなバックアップがあるのか、イルは不思議だったが、今は信じるしかな
い。
 ビリーが前になって移動を開始した。
 かなり早い移動をしたにもかかわらず、二人とも息が乱れない。それは二人が相当に
鍛えられている事を物語っていた。
 二人がついた場所。そこは低い草で覆われた、なだらかな緩斜面だった。
「ここ?」
「ああ」
 ビリーは答えたが、そこには誰もいなかった。
 不安が芽生え始めたその時、推進音が上空から降りてきた。イルが見上げると、小さ
な鳥のようなシルエットが、青空に浮かんでいた。
 見る見るうちにその影が大きくなると共に、推進音が、あっと言う間に轟音へと変わ
った。
 それは先尾翼の航空機を思わせるシルエットの、外宇宙航行船だった。
 シルバーグレイの機体にオレンジ色の三本矢をデザインしたマーク。まちがいなくト
ライアロー、運び屋の宇宙船である。
「これが俺の船、プロパリアーさ。
 始めからこうしても良かったんだが、あんまり派手にしてもなんだから、相棒のコン
ピューター、ノービスに上空待機させてたのさ」
 黒髪を強風に乱されながら、誇らしげにビリーは言った。
 
 
 
 30分後、ビリー達を乗せた「プロパリアー」 は、早くも惑星ケリザンに向けた巡行
コースに入っていた。
「推進機関異常なし。船内環境維持確認。 システムオールグリーン」
 コンピューター「ノービス」の声がコクピット内に流れる。
 プロパリアーのコクピットは、通常二人が定員で、他に予備シートが二つあるだけの
決して広いとは言えないスペースである。
 スイッチ類を天井にまで配置した構造で、その位置も低く、余計に狭苦しい感覚を与
える。 もっとも、必要充分なスペースはあると言えば、ある。
 余計なスペースはコスト面から省略されているのだ。
 正面に直視スクリーンがあり、左右にシートがならんでいた。進行方向に向かった左
側のシートにビリーは座っていた。
 直視スクリーンの上部中央に、後付けされたモニターが二つ並び、その画面に浮かぶ
図形やグラフは絶えず変化していた。
 その変化と合わせるような声が、スピーカーから流れた。
「ここまで来れば、一安心ってところだな」
 安堵の感情を織り込んでさえいるその声に、チェックリストに記入しながらビリーは
答える。
「安心するのは、無事に着いてから」
 ビリーとて、正直言えばホッとしているのだが、自らを戒める意味もあり、厳しい見
方をしてみた。 もっとも、相手のコンピューター「ノービス」にしてみれば、ビリー
の内心は手に取るように読めているのだが・・・。
 あえて、それは口(?)にせず、ノービスは別の心配をした。
「だけど、元は取れないねえ。今度の依頼は・・・。
 金銭的なものはともかく、あのクーペ、気に入ってたんだろ? 苦労して探したの
に、犠牲は大きかったな?」
 ビリーは苦笑いを浮かべて首を振る。
「ま、人の命には換えられないさ。強引な手を使って、ケガするよりはいいだろ?」
 彼がそう答えると、コクピットの右後方にあるドアから声がした。
「私もそれが聞きたいわ」
 そこには先程客室に案内したイルが立っていた。彼女はすでに開いていたドアをノッ
クしてから、中に入って来た。
「確かに報酬は払うと言ったけど、そんなに大事な愛車を、簡単に犠牲にして良かった
の?」
 肩ごしに振り向きながら、ビリーが返事をする。
「君が銃を使いたがらなかったからな」
「え?」
「君ほどの過去があれば、銃の腕だって相当なものだろう。反撃する機会だってあっ
た。だが抜かなかった。
 それは、もう人を傷つけたくないと思っているからだろ?」
 ビリーの推理は、イルの心理を見事に言い当てていた。最初、驚いたような表情をし
たイルは、やがて悲しそうな成分を含んだ笑みを浮かべる。
「そうよ。今更、私がそんな事を言っても許されないでしょうけど、もう、人間同士が
傷つけ会うのは嫌なのよ。
 自分の子供が亡くなった時、復讐心や悲しみより、虚しさが大きかった。
 だから、もう、人を傷つけたくなかったのよ」
 重い空気がコクピットの中に流れ込んだ。ビリーは一息入れてから答える。
「やり直す気があるのなら、遅すぎることはないさ。それに司法が取引に応じるなら、
罪も償う事になる訳だし。
 そんな人間が頼ってきて受けた依頼なら、どんな手を使っても、安全に目的地まで運
ぶ。
 それが運び屋さ」
 そう言って自信に満ちた笑顔をビリーは浮かべた。それにつられたようにイルも、穏
やかな表情へと変わる。
 ジャケットの前から手を左の脇に入れようとしたが、ふとその手を止め、ビリーに尋
ねた。
「銃を出してもいいかしら?」
 ビリーが無言で頷き了解すると、イルはゆっくりと銃と取り出す。馴れた手付きでグ
リップを前に持ち直し、ビリーに差し出した。
「お守り代わりに持っていたけど、私には、もう必要のない物みたいね。
 あなたなら、私より上手に使ってくれそうだし、謝礼もかねて、受け取ってもらえる
かしら?」
 彼女の言葉を受け、銃を受け取ったビリーだが、それを見た途端、驚きを隠せない声
を上げた。
「バルバロッサのカスタムモデル!?」
「やっぱり判る? 受け取ってもらえるわよね?」
 しばらく呆気にとられた表情をしていたビリーだが、イルの言葉で正気に戻る。
「では、遠慮なく」
 
 
 
 宇宙暦486年。広大な銀河系を舞台にして、条件さえあえば、どこへでもなんでも
運ぶ者達がいた。
 彼らは「運び屋」または、そのシンボルマークから「トライアロー」と呼ばれた。
 
 

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