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女豹の逃亡



   
 宇宙暦486年 恒星系国家「ガルテイド共和国」第二惑星「ネオガナ」。
 その星庁所在都市「ヴァルハナ」。
 郊外の宇宙港に隣接した、17階建てのターミナルビルの6階にあるガーデンテラス
に、ビリー・ロウェルはいた。
 
  
 そこはセルフサービスで、軽食や買い物ができるようになっていた。
 ニュースボックスが目に入り、ビリーはニュースパレットを自分の宇宙船に置いてき
た事を思い出した。軽く舌打ちをして、新しいニュースパレットを購入した。
「これで何枚目だ?」
 などと呟きながら、さほど香りの良くないコーヒーをボックスから取り出した。
 頭の中で、為替レートを計算しつつ、比較的非常口に近い、さして景色は良くないテ
ーブルの席に付いた。
 
 滑走路を渡り抜け、推進剤の匂いをかすかに含んだ風が、ビリーの黒い髪を揺らす。
 標準季より3カ月遅い初春を向かえるこの地域では、まだその風は冷たい。
 防寒着として、膝まである厚手のウインドブレイカーを着ているため、寒さに震える
ことはない。もっとも、その下に着ている特注のスペースジャケットだけでその機能は
果たすのだが・・・。
  
 経済面をパレットの画面に呼び出し、めぼしい項目に目を通す。
 その間にも、数カ所ある出入口の人の出入りを、さりげなく目の隅でとらえていた。
 滑走路や発射台が一望できるかなり広いテラスだが、この気温ではここで過ごす人数
はそう多くない。定員が300名ぐらいのスペースに2、30人ほどいる程度だ。
 残り少なくなったコーヒーが、カップの中で冷えきった頃、一人の人物が彼の神経に
引っ掛かった。
 危険信号まではいかないが、注意喚起という所の視覚信号が、全身にささやかな緊張
をもたらす。
『女・・・だよな?』
 ビリーはそうと判らないようにその女性を観察をした。
 男性のような顔だちだが、骨格や体付きで女性だと判る。だが、その体格も鍛えられ
たものを感じさせ、一見では男性に見間違える事も無理はないと思わせた。
 年齢はビリーと同じぐらい、20台後半といったところか?
 ビリーが引っ掛かったのはその女性の物腰だった。はっきりと確証があるわけではな
いが、軍事教練を積んだ者のように思えたのだ。
 それ以上にはっきりしていたのは、彼女は左脇にハンドガンを携帯しているのだ。
 わずかに上がった肩と外側に浮いた腕がそう物語っていた。
 空港のような場所で、拳銃等を携帯している人物に注意するに越した事はない。自分
の事は棚に上げて、ビリーは常々そう思っていた。
 ところが、その女性は、しばらくテラスを見渡した後、ビリーのいるテーブルに真っ
すぐ歩いてくるではないか。
 ニュースパレットを読む振りをしながらも、ビリーの中で「注意」から「警戒」に神
経の信号が変わった。
 ビリーの側まで来た彼女は、静かに尋ねた。
「失礼ですけれど、トライアローの方ですよね?」
 ややハスキーなだが、柔らかな声だった。
「ええ、そうですけど、何か?」
 緊張をややほぐし、笑顔さえ浮かべてビリーは答えた。
 名前ではなく、トライアローと職業名で彼を呼んだのが、その判断材料だった。
 彼の着ている青いウインドブレイカーには、オレンジ色の3本の矢をデザインした運
び屋、トライアローのシンボルデザインが、背中、左胸、右肩に描かれていて、これを
きっかけにして商談が成立することも珍しくはない。
 今回、そのケースに当てはまる可能性が高いと判断したのだ。
「トライアローの人って、なんでも運んでくれるんでしょ?」
 帰ってきた答えは、その可能性を高める内容のものだった。
「条件さえあえば、ですけどね」
 ビリーの口調は、すでに商談のそれになっていた。席を勧め彼女を座らせる。
「私を、ケリザンのドイトワープまで運んで欲しいの。どうかしら?」 
「はぁ?」
 だが、彼女の切り出した依頼内容は、ビリーの営業用の表情を崩してしまうものだっ
た。
「何か、一緒に運ぶ荷物なんかあるんですか?」
「・・・いいえ。身の回りの物ぐらいですけど?」
「・・・」
 呆れるほど胡散臭い依頼だ。
 ケリザンと言えは、このガルデイド共和国の主星の第3惑星である。さらにドイトワ
ープは首都になる。
 この宇宙港からだって定期航路は何本もあり、ファーストからエコノミーまでよりど
りみどりだ。
 わざわざ高い運び屋に依頼する必要はない。通常は・・・。
 大体、この手の話はやばい物というのがセオリーだ。よっぽど好条件でなければ、乗
る話ではない。
「残念ですが、こちらから提示できる料金では、商売になりません。
 このお話は、お断りさせていただきたいのですが?」
 業界ルールで、一応の料金体系は決まっている。時と場合によるがそれ以上の金額を
提示するとペナルティを科せられる。
 そのルールに従えば、足が出る。人を一人運ぶだけでは効率が悪すぎるのだ。
 もっとも、ちょうど目的地に向かう荷物があれば、ついでと言うことで受ける事も出
来る。だが、今回はそうまでする話ではないように思うビリーだった。
「金なら払うわ。充分元が取れる・・・」
 そこまで言った彼女の視線が、鋭さを伴いテラス入り口に向けられた。
 緊張した空気がビリーにも伝わる。
 彼女の視線の先に、二人組の男達がいた。その物腰はいかにも堅気のものではないと
判るもので、ビリーは「やれやれ、なんかまた巻き込まれたみたいだな」と内心でぼや
いた。
 ところが、事態はぼやいて済むようなものではなかった。
 こちらに視線を向けたその二人組は、驚いたことに脇からハンドガンを取り出したの
だ。
「本当かよ!?」
 小声で叫んだビリーは、テーブルをひっくり返した。アルミ製のペラペラの造りだか
ら、盾になりようもないが、身を隠すにはとりあえず役に立つ。そのまま椅子から横っ
飛びに、非常口の方向へ転がっていった。ほとんど同時に、乾いた金属音と共に、横倒
しになったテーブルに風穴が開く。 
 悲鳴と怒号が飛び交い、テラスは混乱状態に陥っていた。
 非常口のドアに取り付いた時、その横には、さっきまで同じ場所にいた彼女が、低い
姿勢になって付いて来ていた。
 言いたい事、聞きたい事は山ほどあったが、今はそれどころではない。
 銃声が響く中、ドアを開け、中に飛び込んだ。そこには上下階へと繋がる、素っ気な
い階段があった。
 当然のように彼女もそこに飛び込んでくる。ともかくドアを閉めると、叩くような音
と共にドアの表面がこちら側にへこむ。
 金属弾のハンドガンなのだろう。防火耐熱性に優れたドアが意外と堅牢なため、貫通
もままならないようだ。
 だが、いつまでもここにはいられない。彼女は身を翻し階段を降りようとしたが、ビ
リーが壁に隠れながらドアに何事か細工をしているのを見て、思わず叫んだ。
「早く! もたもたしないでっ!!」
 『ひどい言われようだ』
 心の中だけで苦笑いを浮かべつつ、ビリーは手際よく、ドアに手のひらサイズのプラ
スチック状の板を押しつけ、簡単な配線を施した後、素早い動作で彼女に続いた。
「何をしてたの!?」
「ちょっと仕掛けをね」
 きつい口調で聞かれても、ビリーは平然と答える。
 一気に階段をかけ降りていくと、階上で爆発音が響いた。
 女にも聞いてみたい事があるのだろう。驚いたような表情と共にいぶかしげな表情を
浮かべたが、二人はそれきり一切言葉を交わさなかった。
 それどころか、足音さえ抑えるような走り方をとっていた。
 たいして息も乱さず、二人が1階に着いた時、ビリーは手招きでさらに階下に降りる
ように言い、女の前に出た。彼女はそれに頷きながらも、一階のフロアに出るドアを少
しばかり開けてから、それに従った。一階でビルの中に出たように見せ掛けるつもりな
のだ。
 二人が着いたのは地下3階の駐車エリアだった。
 何百台もの車が整然と駐車されていた。
 ビリーが前になり、人の気配をうかがいつつ、車に隠れながら素早く移動した。
「さっきのはただの催涙弾さ」
 辺りに注意を向けながら、ビリーが不意にそう言った。
「殺傷力も破壊力もない、ただの催涙弾さ。だけど、充分、時間は稼げただろうさ」
 相手が素人同然というのも、助かったけどね」
「・・・あなた、何者なの?」
「それはこっちのせりふだよ」
 多少の苦い成分を含ませながら、ビリーは一台のクーペタイプの運転席側のドアを開
けた。シルバーボディのクーペはありふれた廉価版のモデルで、特に特別なものではな
い。 
 その後部座席に女を乗せ、自分は運転席に座り込む。
「俺は、ビリー。ビリー・ロウェル。君は?」
 振り向きそう聞いたビリーに、女はわずかな間を開けてから答える。
「イルム。イルム・ヤン」
「いやいや、偽名はやめてくれ。本名で行こう」
「・・・ 、イル。イル・フィ・ラト」
「OK、イル。 で、聞かせてくれ。さっきの野郎達の目当ては、俺? それともイル
かい?」
 そう言いながら、ビリーは運転席のダッシュボードにあるモニターに触れ、情報を呼
び出していた。
「私よ。間違いないわ」
「だろうね。いきなり襲われるっていう憶えは、この星ではないからなあ」
 途中からは独り言のような口調でビリーはそう言ったのだが、モニターの画面に浮か
び上がった情報に眼が止まった。
「イル・フィ・ラト。”タンニャの女豹”と呼ばれたテロリスト。
 近接戦闘および爆発物のスペシャリスト。・・・なるほどねえ」
 画面の情報を読み上げて、感心したようにビリーはうなずいた。
「驚かないのね?」
 不適な笑みを浮かべながらイルが聞いた。
「ん? まあね、あの動きを見れば、だいたいそんなところだと言う想像はつくさ。
 これによると、3年ほど前に引退。とあるけど、フリーの運び屋に依頼するなんての
は、裏切ったりでもしたのか?」
「そんなところよ。
 でも大したものね。そんな女と判っても、平然と背中を向けるなんて。
 本当に、ただのフリーのトライアローなの?」
 確かに彼女の言う通り、ビリーはモニターを見つめ、無防備に操作をしていた。
「君、抜かなかっただろ?」
「え?」
「テラスで、わきの下のハンドガンで応戦しなかったろ?
 あそこで銃撃戦となれば、ただじゃ済まない。それを避けたんだ。
 君は精神的にはすでにテロリストじゃない、と思ってるからさ。少なくとも利害に関
係のない者に危害を加えるような人間じゃない。だろ?
 それで充分さ」
 ゆっくりとイルはうなずいた。
「聞かせてもらえるよね? どういう事か?」
  
 
 
「なるほどね。テロと言うより、ギャングのシマ争いの派手な奴という感じだな。
 こりゃ」
 イルの話を聞きながら、モニターで情報を集めたビリーは、話が一段落したところで
そう呟いた。
 イルのいたタンニャ地方と言うのは、この星のちょうど裏側辺りである。
 もともと貧弱な土地で、何度も入植が試まれたが、上手くいかなかった。
 土地の所有権などがあいまいなまま、放置されたりした。
 ところが、そこで膨大で有望な、鉄鉱石の埋蔵が確認されてからは一転。所有権をめ
ぐっての激しいやり取りが交わされ、最後には互いに武力での争いとなってしまった。
「やれやれ、たかが鉄とはいいながら、欠かせない重要な資源だからなあ。
 そうなっちまうんだろう」
 ビリーの感想にイルが反応した。
「それだけじゃないのよ」
「へ?」
 間の抜けた声を上げて、ビリーは首だけ振り向いた。
 イルは続けた。
「私達はPRAはパルナチア人。敵対していたのがアドゥラ人なのよ」
 ビリーの表情が厳しくなる。
「まさか・・・、そんな旧世紀の民族対立が!?」
「残っているところもあるのよ」
 やれやれと言う表情でビリーは正面に向き直り、前髪をくしゃくしゃとかき乱した。
「それじゃ、ややこしくなるわけだ。
 で、君はなんで裏切った? なんで追われる身になった?」
「私達のPRAは鉄鉱石の権利をかなり奪われ、劣勢を強いられていたわ。挽回するた
めの資金を確保するために、首脳陣はやってはいけない事に手を出していた。それを知
ってしまったからよ」
「やってはいけない事?」
「麻薬。・・・デリートよ」
「デリート!?」
 ビリーは驚きを隠せなかった。
 ”完全にして最悪の薬物”と言われる麻薬の名である。
 一旦手を付けたら、止める事は出来ない。治療とか精神力などでは治すことが出来な
いのだ。摂取を止めると、急性的な肝機能障害を起こし死に至る。
 摂取を続ければ、徐々に脳および神経組織がぼろぼろになっていく。
 そのくせ摂取した時の快楽は、他のどんな薬物とも比べ物にならない。
 手を染めた時点でその人物は「消去」されたと同じと言う事から「デリート」と言う
名前が着いたほどである。
 どんなに敵対する国同士でも、デリートの摘発には協力しあうとさえ言われ、ビリー
達、運び屋も、故意はもちろん、たとえ、だまされた、知らないでいたとしても、関わ
れば重いペナルティが課せられる程の薬物である。
 
「確かに、良心がとがめるだろう。 デリートに手を出した人間を知れば、あの悲惨さ
は見るに耐えないものがあるから」
 納得したようにビリーは頷いた。
 だが、イルはさらに残酷な過去を話し出した。
「私の子供が死んだの・・・」
「え?」
「私が3年前に引退したのは、子供が出来たからなの。女の子よ。
 それが、3歳の誕生日の1週間前に、銃の乱射事件に巻き込まれて、・・・死んでし
まったの。
 ・・・犯人はデリートの禁断症状で精神錯乱に陥った男で、私達の身内だったのよ。
 その流通経路を探ったら、自分達が流していた事を知ったの」
 しばしの間、二人の間に重い沈黙が流れた。
 だが、二人とも感情を抑える術を学んでいるのか、すぐに続きを始めた。
 今は情報交換が優先する時であって、感傷にふけるのは後でいい。
「それで首脳陣を爆破でもした?」
 無表情で正面を向いたままビリーが聞いた。
「まさか、そんなに馬鹿じゃないわ。
 争いには嫌気がさしていたし、人が死ぬのは、もう嫌なの。
 その代わりに、関係書類やデータを全てコピーして、銀河連邦警察局に通報したの
よ。
 私には実績があったから、証拠を掴むのはそれほど難しくはなかったわ」
 ビリーの口から短い口笛が漏れる。
「おいおい、それはもっと過激だぜ。身内を売ったようなもんじゃねえか。
 命を狙われるわけだ。
 で、これからどする?」
「司法取引をしたのよ。証拠を提出する代わりに、罪の軽減と身柄の安全を保証させた
わけ」
「証言したら、名前を変え、他の星へ移住か。入国管理の甘い国なんてのは、いくらも
あるからなあ」
「実態は軟禁状態よ。勢力圏を離れれば、私は単なるテロリストだから」
「まあ、命の保証があるなら、それでいいんじゃない?」
 実感のこもった声でビリーはそう言うと、再びモニターを操作し始めた。
 操作をしながら、質問を続けた。
「で、なんでドイトワープまで行かなきゃならんの?
 警察局がここまで迎えに来ればいいじゃねえか」
「高度な政治的判断というやつよ。この星自体、お互いの勢力圏内みたいなものだか
ら、どんなに隠密行動をとっても、どうしともアシがついてしまう。
 そうなると内政干渉とか、いろいろ連邦にとっては都合が悪いのよ」
「その点、首都なら各国の大使館やらあって、行動し易いってわけだ。なるほどね」
 彼女の言葉を聞き進めて、大体話が見えてきたビリーだった。 さらに定期便ではど
うしても行動が制約させる。下手をすれば他の乗客が巻き込まれる可能性さえある。
 彼女の現在の心境を考えれば、それは避けたいだろう。
 自分のところに来た理由も、それで説明がつく。
 再びモニターを操作しながら、ビリーは言った。
「話は大体飲み込めた。こちらとしては、その話受けたいと思うのだけど、一つ聞かせ
てもらえるかな?」
「え?」
「俺に依頼していいのかい? 事が事だけに、下手をするわけにはいかないだろ?」
 しばらくその意味が判らなかったイルだが、ビリーの言わんとする事を理解してな笑
みを浮かべて答えた。
「最初にあなたに声をかけたのは偶然だけど、テラスでの身のこなしを見れば、ただ者
じゃないことは判るつもりよ。ぜひお願いしたいわ」
「了解」
 短くそう言って、ビリーは振り向いた。
「そのかわり、高くつくぜ」
 不敵な笑顔でそう言った。
 
 
 
「まったく、いつもながら捕まらない奴だ。どこにいやがる」
 悪態をつきながら、ビリーはモニターを操作していた。
 画面には人物の顔や情報、はたまた突拍子もない建物や風景が表れたりしていた。だ
が、彼の求める相手はなかなか表れない。
 不思議そうな表情でイルが聞いた。
「いったい、誰を呼び出しているの?」
「電子データのなんでも屋さ。通称、カイン。本名じゃないんだろうがね」
 手を休める事無く、ビリーは答える。
「本名はおろか、顔や性別だって判りゃしない怪しげな奴だ。
 おまけに扱ってる物が物だけに、アドレスポイントさえコロコロ変わって、毎回
苦労するのさ。
 ・・・お、これか?」
 どうやら、目指す人物にぶつかったらしい。ビリーは軽くこぶしを固めた。
 モニターに、どこか不自然な人物が表れた。性別も判りづらく、年齢も20代にも4
0代にも見える。どこに相違点があるとは言えないが、人間の繊細な感覚で、それがコ
ンピューターによる映像だと判る。
 おまけにどこかの回線に潜り込んで通信網に接続しているらしく、動きやデータ速度
がひどく鈍い。
『いったい、どんな経路で通信してるんだか・・・?』
 やれやれと言った感じで、ビリーは正直そう思った。
「おお、これは、・・・ビリーじゃないか? 今日はなんの用かな?」
 映像と同じく、どこか不自然な声がスピーカーから流れる。
 妙な間は、発信元のコードを読み込んでデータを呼び出す時間らしい。いちいちこち
らの顔を憶えている訳はない。「そちらの顔を憶えているぞ」と言う心理的なプロテク
トをかけているのだ。
 ビリーもそれを知っているが、理屈では判っていても感覚的に名前で呼ばれると、一
種独特の信頼感のようなものが生まれるのも、また事実だった。
「ガルデイド共和国。ネオガナからケリザンへの、渡航用パスコードを貸してくれない
か?」
「期間は?」
 あいさつもなく、用件のみで会話が進んでいく様を、イルは見ているだけだった。
「3日間」
「性別は?」
「女」
「・・・いいでしょう。名前はどうする?
 パトリシア。カリン。ナオミ。ラウデンズ・・・」
「カリンで行こう」
「毎度有難うございます。
 コードを送りますから、確認の後、料金をお支払いください」
 と言う声と共に、映像がバーグラフに変わり、データ転送が始まった。
 会話だけでも、今の事は判るイルは、ビリーに冷やかすような視線と口調で言った。
「トライアローは違法な事はしないんじゃなかったの?」
 ビリーは動じない。
「違法行為なんかじゃないさ」
「え?」
「・・・超法規的措置って言うのさ」
「!? ・・・あきれた・・・。
 で、今の信用できるの?」
「と言うより信用するしかない。所詮イリーガルなものだが、それを言ってもしょうが
ない。
 こういうのには、無いようで、ルールはあるんだ。
 それに渡航用パスコードで、君の足がついたら意味が無いだろ?」
 そう言われると、イルは何も言い返せない。パスコードのようなオフィシャルのデー
タ類を盗み見るような事は、そうそう出来ないが、万が一ハッキングされたりでもした
ら、足取りは隠しようもない。
 ごく単純に万全を期すなら、否定できない。
 やがてバーグラフに色が完全に変わった。ビリーはモニターでデータを確認して、自
分のバンクコードを入力した。これで取引は完了したことになる。
 ふと、モニターに入力する手を休め、ビリーは言った。
「ところで、どう思う? 発着場とか渡航ゲートに張っていると思う?」
 間髪を入れず、イルが答える。
「まず、いるわね。
 さっき私達を襲ったのも、経験の無い若い者が先走ったからでしょう。 それほどの
人数を動員しているという事でしょうね」
「同感だねぇ。うーーん、困ったな」
 ビリーは髪をかき上げながら、感情のこもってない声で、唸るようにそう言った。
 確かにそうなれば、船での行動が制限される。この星を脱出したいビリー達にとっ
て、状況は厳しい。
 だが、ビリーには口で言うほど、困った様子がない。
 再び、モニターを操作し始め、画面に地図を呼び出す。イルには、なぜ、そんな画面
を呼び出したのか理解できなかったが、口にはしなかった。
 彼に任せた方が、生き残る可能性が高い。と判断したのだ。
「うん。ここが良さそうだ。なんとかなりそうかな?」

 独り言を言いながら、次の相手を呼び出した。
「何してる? ちょっと休むだけのはずが、いつまで出歩いてる?」
 いきなり怒鳴りつけるような声が返ってきた。
 今度は人物が写らない。幾何学模様のようなグラフが画面に表れ、声と共にその数値
が変化した。
 専門家ではないイルにも、それがSPC(船内コンピューター)の画面だと判った。
「まあ、仕事の依頼があってな」
 ビリーがそう言うと、しばらく間があいてから、疑うような声が響いた。
「仕事ぉ? やっかい事じゃないのか?」
 『するどい』
 これはビリーとイル、双方の感想だった。
「あのなあ、ノービス。やっかい事とはなんだ? お客さんがここにいるんだぞ!?」
 ビリーはそう言ったが、一応、体裁を整えるために言っただけで、否定はしなかっ
た。
「ああ、そうかい。で? どうしたの?」
 それは承知の上らしく、素っ気ない返事があった。内心、ビリーは面白くないが、今
はそれどころではない。
「後で渡航用のパスコードを送るから、離陸許可をもらって、飛び立ってくれ。
 フライトプランは適当でいい。どうせその通り飛ばないんだから」
「やっぱりやっかい事かい」
「うるさいよ。・・で、データを送るから・・・な?」
 ビリーが送ったデータで、ノービスと呼ばれた相手は、用件を理解したようだった。
「なるほど。了解した。ともかく必要なデータ類を送ってくれ。今から管制室に連絡を
取るから、許可が出しだい飛ぶぞ」
「ああ、それでいい」
 短くビリーが言い、データを送る。
「いいの? 船を飛ばしてしまって。足はどうするの?」
 やや責めるような口調のイルに、モニターを見つめたまま、ビリーは平然と答える。
「どうせ発着場が押さえられてちゃ、船に固執するとかえって危ないよ。
 身軽の方がいい時もあるものさ」
 データが無事に送られた事を確認してから、ビリーは振り向く。
「時に、君の組織では、密告を奨励してたかい?」
 突然の話の展開に、イルはついていけなかった。自分なりに推理を展開してから、ビ
リーの質問に答えた。
「密告で偽の情報を流して、混乱させるつもりね?」
「まあ、・・・そんなとこかな?」
「残念だけど、相手も馬鹿じゃないわ。
 確認ぐらいはするでしょうけど、末端に近い者が動くくらいで、それほど状況は変え
られないと思うわ」
 ビリーの見通しが甘いように感じられ、最後には厳しい口調になったが、ビリーはう
れしそう笑いながら言った。
「いや、逆にその方が都合がいいんだよね」

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