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SSときめく時の中で。外伝(9)388-Line
ときめく時の中で。外伝(9) (物語以前)
光、求める魂
希望や夢などはとっくに見失っていた。それどころか、絶望や悲しみという負の感情
でさえ、彼にはなく、心の中には空虚な暗闇だけが広がっていた。
「なんて可愛いげのない子供だろう」
何度そんな事を言われてきたか、普通の人間ならば数えるのも嫌になるほどだろう。
だが、彼にはそんな感情さえなかった。
領家和人、小学校五年生の冬だった。
この日、担任の教師が、和人の実家に来ていた。だが、前もって連絡を入れていたに
もかかわらず、両親双方とも不在であり、家には家政婦と高校生の兄がいるばかりで、
全く要領を得ない。
「ともかく学校には来なさい」
と言う教師の言葉に和人は平然と答えた。
「出席日数が足りなくなったら行くよ」
それはとても小学生の口調とは思えないもので、その内容も同様だった。
結局、打開策の見えないまま、教師が家を後にし、兄、之信の心配そうな声にも素っ
気なく答える。
「学校なんて行ったって、意味がないよ」
「和人・・・ 」
兄の心配をよそに、和人は自分の部屋に引きこもった。
実際に、和人には学校に行く理由が見当たらなかった。それは学力が追い付かないと
言うような理由ではない。むしろ逆である。
和人には教師の(和人にとって)のんびりしたペースでの授業の相手をする気には全
くなれなかった。
(なぜ教科書があるのに、あんな退屈な時間を過ごさねばならないのか?
本を読めば判るだろうに)
自分が他の人間と次元が違っていると言う自覚がなく、真面目に授業を受けると言う
感覚が全く理解できなかったのである。
例えば国語や社会などは、教科書に答えが書いてあり、覚えるだけという部分が多
い。算数などはそもそも考えれば判る。
さすがに理科は、実験をしなければ判らない物もあるが、それ以外の部分はなんとか
なる。
確かに理屈ではそうなのかもしれないが、実際にそれは、そう簡単には出来ないこと
である。
だが、和人には、逆に判らないと言うことの方が理解できなかった。それほど和人の
基礎学力というものは異質だった。
なので、テストを受けたとしても、充分及第点を取ってしまうのである。
また、必要に迫られて学校に行っても、孤立してしまうのが判りきっているのも嫌だ
った。
そういう事を気にしないたちではあるが、居心地が良い訳は、もちろんない。
いじめられていると言う訳ではなく、これもまた、逆に畏怖の対象であった。
それは5年生になってすぐの事だった。
もともと和人は目立つ存在だった。
同じ年代の子供からみれば成長が早く、この時点で身長が 160cmになろうとしてい
た。
なにより、薄い茶色、いや、光の加減ではまったくの金色に輝くその髪は、やや彫り
が深いとは言え、日本的な顔つきには異質な物に見えた。
和人の母親方の祖父は、どうやら在日米軍兵だったらしい。らしいと言うのは詳しい
事を聞く時間もなく、別居してしまったからである。
そう言った事情を知らない者から見れば、和人の存在そのものが違和感を伴って迎え
られてしまうのである。
精神的に成長すれば、そう言った度量も備わるのであろうが、まだまだ未熟な同年代
の子供たちは、それをあからさまにはやしたてた。
和人自身はそれを軽くあしらっていた。本当に物心つく前から言われ続けてきたこと
だったし、親からでさえ”本当に自分の子供か?”と正面から言われた事から比べれ
ば、幼稚なものの言いようなど耳にも留らなかった。
だが、和人への言葉の攻撃を制しようとした一人の女子がいた。
それがクラス委員としての責務からなのか、和人への個人的な感情からなのかは不明
だったが、結果的に、その攻撃対象がその女子に移ってしまった。
和人が激高したのはその時だった。相手は10人ほどのグループだったのだが、武術
を習っていた和人には、全く相手にならなかった。
暴力を振るってしまったが、その経過がクラス全員の言から明らかになると、和人へ
の処罰はごく軽いものとなった。
しかし、収まらないのがその相手のボス格の男子児童だった。
その男子は兄である中学生に、その仕返しを頼んだ。
軽い気持ちで引き受けたその兄だったが、逆に和人に返り討ちにあってしまった。
和人から見れば、腕力だけでケンカをして来た相手など、武術の師匠や、同じくその
門下生の同級生の動きに比べれば、まるでスローモーションのようで、まさしく赤子の
手をひねるようなものだった。が、その兄にすればメンツは丸潰れである。
その兄は高校生の兄貴格の男子に話を持っていった。最初は馬鹿馬鹿しく思っていた
その高校生、実はその地域で名の通った者だった。
和人はその高校生相手にも、苦戦をしつつも勝ってしまった。
そうなっては、和人の名前がその筋の人間に知れ渡るのも、無理からぬ事であった。
いくら和人がしかけられた側とは言え、そうなっては当然、警察関係の手をわずらわ
せる事となる。
その時、和人は、別段慌てるふうでもなく、悪びれた態度もとることも無かったた
め、関係者からは奇異な目で見られるのだった。
そんな小学生がいれば、同じクラスの児童たちが一線を引いてしまうのも、むしろ当
然と言えるものだった。
いや、一人だけ、そんな和人に平気に話しかけてくる者がいた。
同じ武術道場に通い、同じクラスの吉野将という児童だった。
小さい頃からの腐れ縁と言うべきか、いわゆる幼馴染みという存在である。
話しかけてくるから、なんとなくいるだけで、和人には友達とかそう言った感覚はな
かった。
実際、将と和人はあらゆる面で違っていた。
将は学校を休んだことが無く、授業もちゃんと受けていた。
家族関係が複雑で、父親がいないということだったが、そんな事は微塵も感じさせな
い明るい笑顔を、いつも浮かべているような児童だった。
だが、和人の学力についてこれるのも将だけだったし、和人の一般的には異質とも言
える考え方を、同年代で理解できるのも将だけだった。
和人にとっては、退屈な授業を受けているより、将と教科書を広げ、意見を交換して
いる時の方が、はるかに有意義だった。
いつの間にか、和人にとって将という少年は、一目をおくべき存在となっていた。
和人は学校に出る事となった。出席日数が足りなくなる事を心配した将に、登校する
ことを勧められたのである。
「退屈だったら寝てりゃいいんだから。和人にはつまんない内容なんだから」
将にそう言われると、不思議に和人には反論できない。
しぶしぶ言いながらも、和人は学校に出てくるのだった。
そんなある日、将と和人は一緒に下校した。
「なんで将は、僕なんかと帰るんだよ?」
今まで思っていた事だったが、この日、和人は初めて聞いた。
将は最初、キョトンとした表情をしていたが、そのうちににっこりと笑いながら答え
た。
「だって、僕に友達と言えば和人しかいないもん。和人が学校に来てくれて嬉しくって
しょうがないんだから」
この時の精神的な衝撃を、和人は後に「まるで鈍器で、後頭部を殴られたような感じ
だった」と言っている。
それほど和人にとって、将の言葉は衝撃的だった。
「なんで、なんで将に友達がいないんだよ?」
「僕だって判んないよ。
でも、いいんだ、和人がいてくれるから、学校に来るのも楽しいからね」
和人は初めて、自分の理解が及ばない人間がいる事を実感した。
なぜ、そんなに明るく笑えるのか? なぜそんなに自分を慕ってくれるのか? 全く
理解できなかった。
ただ一つ言えることは、そう言ってくれる将という存在が、決して不快ではないとい
う事だった。
「将って変わってるな」
そう言うのが精一杯の和人に、将は相変わらずの笑顔を浮かべながら答えた。
「えー? なんでだよう?」
そんな将の言葉に和人は笑った。声をあげて笑った。
自分でも、こんなに笑えるとは思ってもみなかった。それほど笑った。
滑らかな栗色の髪を持つその少女は、同年代の男の子が苦手だった。
きっかけは憶えてもいないほど、ささいな事だった。だが、それをその当事者である
男子に冷やかされたり、からかわれていく内に、その心の傷は深く、複雑に広げられて
いき、自分でもどうしようもないほどの、苦手意識に支配されていた。
その日、その少女はペットのヨークシャーテリアを散歩させていた。
小型犬のため、小学6年生の非力な女の子でも充分抑えることが出来る。それゆえ、
家での重要な”お手伝い”の一つだったのである。
だが、その日、彼女は災難に遭うことになる。
5人ほどの男子児童に、その散歩途中に絡まれることになったのである。
「あ、あの・・・ 」
恐怖と苦手意識のために、上手く言葉の継げない少女を、男子児童達はからかった。
「こいつ、男相手になると全然話せねえんだよ」
「おい、なんとか言ってみろよ」
ヨークシャーテリアがその間に立ち、その少女を守ろうと唸り声をあげるのだが、そ
の男子児童達は全く意に介さない。
「うるせえワン公だなあ」
そう言うのと同時に、一人の男子がその犬を思い切り蹴ろうとした。
だが、その犬は機敏な動きで、それを避けた。
「マック」
ほっとしたような口調で少女がその犬の名を呼ぶと、それがきっかけになったよう
に、男子児童達の攻撃対象が、そのヨークシャーテリアに移った。
「こいつ!」
口々にそう叫ぶ男子児童達。
「やめてください」
その少女はそう言いたかったが、上手く口に出来ない。
その時だった。
「格好悪いことしてんなよな。そんなちっちゃい犬相手にさ」
その声の主に少女は顔を向けた。
そこには二人の少年が立っていた。
それは下校途中、その場に出くわした和人と将の二人だった。
「なんだよ? お前ら? 関係ないだろうが?」
そんな声に、和人は平然と将に向かって言った。
「将は手を出さなくていいからな。俺一人でやるから」
「何言ってんだよ? 放っておけるわけないじゃないか!?」
「将の手は、こんな事に使っちゃ駄目なんだよ」
そう言った後、和人は少女の前にいた男子生徒にむかって口を開いた。
それは、とても小学校5年生の子供が言うようには思えない、表記不可能な言葉の連
続だった。
言われた方の男子たちは、頭に血が上ったまま、一斉に和人に襲いかかった。
だが、和人はそれを軽くかわしていく。
その脇にいた将が、内心
(こりゃ、何百人いたってかなわないよ)
と思うほど、レベルが違った。
その少女は、金色にさえ見える薄い茶色の髪を持つ、名も知らぬこの少年、和人の事
を見つめていた。
そして記憶に刻みつける事となる。いや、正確に言うならば、深層心理が記憶してい
たと言うべきだろうか?
後になって、少女はこの時の事を(恐怖心からなのか)ほとんど忘れてしまってしま
うのだが、自分を守ってくれた存在として、和人の事は本人も気付かないまま、記憶す
る事となる。
やがて、運命の糸にたぐり寄せられるかのように、この少女と和人は再び出会う事と
なるのだが、それには、まだ、数年の時間を要する。
(また君か?)
その目はそう言ってるように和人には見えたし、事実そうだった。
和人の乱闘は通りがかった大人の目に止まり、警察署に補導されることとなった。
少年課の中年刑事の、自分を汚い物でも見るような視線には、和人はすでに慣れてい
た。いや、それ以前から、それを気にするような感情という物はなくなっていた。
だが、今回はまずかったと思った。
将を巻き込んでしまった事は、全く予定外のことだった。
「だから、和人はいじめられていた女の子を助けようとしたんですよ」
中年の刑事の肩ごし、女性の警官に必死で説明する将の姿に、和人はすまないと思っ
ていた。
和人は大体仕掛けられる側で、さらに相手のほうが多人数だったりしたので、それほ
ど大きな罰則等を受けるようなことはなかった。
だが、「常連」でありながら、保護者たる両親は捕まらないことが多く、身元引受人
として呼び出すのが、武術道場の老師範であったり、高校生の兄と言うのでは、手が掛
かることおびただしかった。
今日も両親は捕まらず、兄の居場所もつかめないとあって、年端もいかない子供相手
とは思えない口調で、警察官は和人に話しかけていた。
和人は感情をなくしてしまったかのような表情で、それを聞いていたが、それに答え
るような気はなかった。
呆れたような表情と素振りで警察官が立ち上がった時、若い女性の声が少年課の室内
に響きわたった。
「将!」
「あ、お母さん」
その女性は和人も知っていた。家族以外、いや、下手をすると兄以外の家族以上に
話した事もあるかも知れない、将の母親、吉野美里だった。
「全く、何をしてんだかね、この子は?」
「なんだよ、それは? 僕は悪いことしてないってば。和人だってそうさ、和人は女の
子助けようとしたんだ。 ・・・そりゃ、怪我させちゃったのは、やり過ぎかも知れないけ
ど・・・・・・」
最後は消え入りそうになった将の声に、美里は将の頭を「ぽん」と軽くたたいた後、
警察官に促され、必要な書類に記入を始めた。
和人はその美里の姿を、ぼんやりと見ていた。
若い母親である。年齢は20代後半だと言うが、実年齢より若く見える。もっとも、
和人から見れば、充分すぎるほどの大人だった。
美里は必要な書類に記入をすると、和人のそんな視線に気が付いた。
自分に近づいてくる美里に、和人は今まで散々聞いた言葉を、記憶の奥から無感動に
取り出した。
「家の子に近づかないでちょうだい」
「家の子は、あなたのような子と、お付き合いするような子ではありません」
口調や言葉は違うが、言われることは大体そんなものだった。
和人はそんな言葉が来ることを予想していたのだが、実際に美里の口から出た言葉は
全く違っていた。
「守れたの?」
和人は声もなく、美里の緋色の瞳を見つめ返すだけだった。
美里はにっこりと微笑んだ。
「女の子は守り通せたのかな?」
予想外の質問に、和人はほとんど本能的にうなずいた。
美里も満足そうにうなすき、さらに聞いた。
「どうして帰らないの? お父さんお母さんは?」
「両方とも行き先不明、身元引受人ってのがいないから帰れないの」
とても小学校5年生の口から出たものとは思えない口調で、和人は答えたのだが、美
里は平然と、微笑みながら答えた。
「やっと喋ってくれた。話聞いてくれないかと思っちゃった」
それもまた、和人の予想外の反応だった。
「それじゃ、私がその身元引受人になるわ。一緒に帰りましょ?」
「え?」
和人の言葉の前に、美里は行動に移っていた。
和人に対する書類を請求し、手続きを終えてしまったのだった。
その最中の美里の言葉を和人は忘れることはなかった。
「あの子は、私の息子が信じている友達で、私は息子を信じている。
だから、私はあの子、領家君を信用しています」
それは和人にとって、初めての感情、感覚を呼び覚ます言葉だった。
だからなのだろうか?
「それじゃ、帰りましょう」
と言った美里の声に、和人は「はい」と元気よく答えてしまった。
「お腹が空いたでしょ?」
帰り道、美里は将と和人の二人に聞いた。
日もとっぷりと落ち、夕食を取っていない二人の表情が、すでに、それを肯定してい
た。
「私はこれからお店に行かなきゃならないから、お店で何か食べていきなさい」
美里の言葉は、強い口調と言うものではなかったが、そこには有無を言わさないもの
があった。
将と和人は、そのまま美里の店へと向かって行った。
店の休憩室はそれほど広いものではなく、こたつを囲んで、4人も入れば、一杯と言
う感じのものだった。
その中で、将と和人はお茶漬けを食べていた。
そこに美里が、トレイにおかずを載せてやってきた。
「余りものぐらいしかないけど、いいわよね」
「そりゃいいけど、お母さんのほう、仕事はいいの?」
「いいのよ。まだ暇だし、それにこんな時ぐらい、将とお話したいでしょ?」
「何言ってんだかなあ?」
明るく会話を交わす、将と美里を和人は見つめていた。
うらやましい。和人の心理を言葉にすれば、そうなるのかも知れない。
だが、和人にはそういう心理状態になった事自体が少ないのか、その感情を上手く整
理することが出来なかった。
美里は今日の事を、一切聞かなかった。ただ、いつものように話しかけてくるだけだ
った。
それが和人の心に新鮮に写った。
そして同時に、安らぎのようなものが生まれていた。
だが、その感情がふと途切れた。美里と将の表情に、いつの間にか負の感情が現れて
いたからである。
「?」
不思議そうな表情の和人に、ためらいながら将が言った。
「あのね、和人。実は、僕んち、今度、引っ越すんだ。
・・・それで転校するんだ」
和人は最初、将が何を言っているのか判らなかった。
(引っ越す? 転校? なんだよ、それ? そんなの聞いてないよ)
そんな思考が頭の中を巡るだけで、上手く言葉を紡ぎ出す事が出来ない和人に、美里
が優しい声で続けた。
「せっかく領家君と仲良くなれたのに、とても残念なんだけど、今、住んでるアパート
が取り壊されることになってね。
それで春休みに引っ越すの。
小学校は別のところになってしまうけど、そんなに離れているわけじゃないから、ま
た遊びに来てね」
だが、和人は何も答えず、ただうつむくだけだった。
「和人、どうしたの?」
将の問いかけに、和人は普段から想像も出来ないか細い声で言った。
「嘘でしょ?」
「領家君?」
異変に気が付いたのは美里が先だった。
うつむいた和人の顔の下あたりに、数滴のしずくが落ちたのだ。
「和人? どうしたんだよ? 和人?」
将も気が付いて、和人の肩を揺らした。
和人が顔を上げて言った。
「いやだよ、将がいなくなったら、俺、 ・・・独りぼっちになっちゃうじゃないか」
和人の明晰な頭脳は、ほんのわずかの間に、その事態がどういう事か理解できた。そ
して同時に、明確な実感となって和人に襲いかかった。
和人は決して感情を失っていたわけではなかった。和人の家庭の異常な状態は、まだ
年端もいかない和人に、あまりにも大きくのしかかっていた。
和人はそれを感じないように、自らの感情を封印してしまったのだった。それによっ
て、和人自身をさらに追い込める事になるのだが、そうでもしなければ、あまりに悲し
かったからだ。
だが、和人一人ではそんな状態を、とても支えきれるものではない。
偶然と言うべきか、それを支えていたのが、美里と将の母子であった。
和人はそうとは意識していなかった。だが、現実にはそれは確固たる事実だったので
ある。
その二人を失うとなった今、それまでとは全く違う素顔を、和人は見せていた。
それは年相応とも、弱々しいとも言えるものだった。
「いやだ、・・・ 一人は、いやだよ」
ただひたすら、泣きじゃくる和人。そんな姿を初めて目にする将は、なす術もなく見
つめるだけだった。
そしてしばらくの時間が流れ、ゆっくりとした口調で美里が言った。
「よかったわ」
「?」
美里の口にした意外な単語に、和人と将は思わず美里の顔を見返した。
泣きじゃくる和人を正面に見据えながら、美里はゆっくりと続けた。
「実はね。将も引っ越しのことを聞いた時、わんわん泣いたのよ。
和人くんと離れたくないってね」
「お母さん!」
恥ずかしそうな表情を浮かべて、そう言った将を右手で制して、美里はにっこりと微
笑んだ。
和人は、泣きはらし赤くなった瞳で将を見た。
「和人くんは、自分の事を友達だと思ってくれていないかも知れないけど、自分にとっ
ては大切な友達だ。その和人くんと離れ離れなんて嫌だって、泣くのよ」
ウインクをしながら美里が言うと、将は照れくさそうに顔を伏せ、和人の涙が止ま
る。
美里が和人に微笑みながら、優しく語りかける。
「和人くん」
「はい?」
「和人くんも、将の事をお友達と思ってくれてるのね?」
和人は声もなくうなずいた。
美里も安心したようにうなずいてから、和人に微笑む。
「将のお友達になってくれてありがとう。
実はね。中学だと学区が一緒なの。1年待ってくれたら、また将と同じ学校に行くよ
うになれるんだけど、将が心配したの、和人くんの事を。
ちゃんと学校に言って欲しいって。中学で会いたいって、言ってね」
和人は将の方に視線を向け、思った。
(学校に行くように言ったのはそういう事か)
と。
将は和人の思っている事が判ったかのように、照れくさそうな表情になった。
美里はそんな二人を見て、和人に言った。
「学校、行くよね?」
ほんのわずかな間が空いたが、和人が力強くうなずきながら、はっきりと答える。
「はい!」
「その時には、また将のお友達になってくれるかしら?」
和人は、再び将の顔を見つめた後、美里に向かって大きくうなずいた。
美里は満足げな笑みを浮かべながら、和人に顔を近づけた。
満面に笑みを浮かべた美里は、和人と将に元気をつける意味からか、声のトーンを明
るくして、こう言った
「それを聞いて安心したな。
さあ、ご飯食べちゃおう! じゃんじゃんおかわりしてね」
「はい!」
和人は、やや震えが残る声ではあったが、精一杯、元気よく答えた。
和人はこの時の光景を、一生忘れないだろうと思った。
実際、後になっても、和人はこの時の事を克明に憶えていた。
食べていたお茶漬けが、妙にしょっぱかった事さえも・・・ 。
---------------------------------------------------------------おわり
後書き
他の話とはうって変わって、この話は暗いですね。
この話というのは、和人と将親子との間に、一体何があったのか?
という事と、めぐめぐが和人を怖がらないのはなんで?
という、疑問にお答えしたものです。(と言うつもりなんですけどね)
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