王女とトライアロー(13)
星間連絡船は全長100メートルを下回ると言う、プロパリアーより下のクラスの、
やや小型の客船だった。もっとも、全翼機のように横に広がるフォルムを持っており、
さらに空力を考慮しないデザインをしているので、容積はプロパリアーを上回る。
全長、全幅、全長の内の最大寸法で税金が決められるため、こう言った逆転現象が
起きる。 理屈を言えば、立方体や球体の船体にすれば、一番効率が言いのだろうが、
”見た目”も客船には大切なので、デザインも様々なものになる。
カイザルジュニアに向かう、このチャーター船に乗船しているのは、乗員25名と
グレイススリックの一行31名のみ。
定員の約1割程度なので、経済的な運行とは言えないのだが、保安を考えてのチャ
ーターという事だ。
一時、護衛艦まで付けるかどうか? という話にまでなったのだが、過剰な警備はい
たずらに不安を増幅させる恐れがあるとして、そこまでには至っていない。
もっとも、その護衛艦自体が、本当に”護衛”をするかどうかも判らない状況では、
その方がかえって気が楽だと、ビリーなどは思うのだった。
航行自体は順調に進んだ。公式行事があるわけではないのだが、グレイススリック達
はなにかと忙しく動いていた。
『休む暇もないな』ビリーの正直な感想だった。
そんな中でも、睡眠時間はさすがに休むことになる。静けさが広がる船内、グレイス
スリック達のスイートルーム、一番ドア寄りの部屋にビリーはいた。
ソファに腰を下ろし、正面の壁面に埋め込まれた横長の映像画面に様々な情報を映出
していた。
ふと、手元の操作盤を操作する指が止まった。
奥の部屋から、人の気配を感じたからだった。
「まだ、お休みになられてないのですか?」
そこにはナイトガウンを身に着けた、グレイススリックが立っていた。
「俺なりに、確かめたいことがあったんでね」
親しげな口調ながらも、一応の敬意を払ってビリーはそう言いながら、ソファから
立ち上がった。
それをグレイススリックが右手で制した。
「どうぞそのままで」
と言いながら、ビリーの右前のソファに腰を下ろす。それを見てビリーも座り直し
た。
「何をお調べになっているのですか?」
映像画面に目を向けながら、グレイススリックが尋ねる。
「地理とか、行程先の情報とか、ま、そんなもんだな」
操作盤に指をかけながら、ビリーは答えた。
「公共通信より詳しい情報を情報部が持っていますが?」
ビリーに視線を移し、グレイススリックが言った。
「いや、これはこれで使えるもんだよ」
「そういうものですか・・・」
と言って、グレイススリックは口を閉じた。ビリーのやり方に口を出すべきではない
と感じたからだ。
逆にビリーの方から、言葉を続けた。
「気にせずに、先に休んでいいよ。こっちのことは気にしないで」
「ビリーさんの方こそ、休める時に休む。それが鉄則ではなかったのでは?」
まっすぐにビリーに視線を向け、多少の皮肉を込めた口調でグレイススリックが言っ
た。
「確かに。なるべく早く睡眠を取るよ」
ビリーはそう答えたものの、今度はグレイススリックの事が気になった。
「そういうグレイスこそ、寝なくていいのかい?
働きづめなんだから、休めるときには休んだほうがいい」
聡明なグレイススリックの事だから、すぐに返事が返ってくるだろうと思っていたビ
リーだった。が、視線を落とした彼女の表情が曇ったことに、怪訝そうな表情を浮かべ
た。
確かに、グレイススリックが笑顔ばかりではない、ごく普通の少女だという事は、
ビリーとて承知していた事だが、はじめて見る表情だった事が彼を戸惑わせた。
かと言って、「どうした?」と聞くのもためらってしまう。
そんなビリーの心境を察したのかどうか、グレイススリックが口を開いた。
「眠れないんですよね。
体は疲れているのに、気分が高まったというか、落ち着かないというか…」
それはビリーが知る限り、初めて聞くような、はっきりとしない物の言い方だった。
対応に困ってしまった彼は、意味もなく手元のコントローラーを操作し、その度に画
面がめまぐるしく変化した。
一応、画面は見ているのだが、その画像はほとんど理解できてなかった。
『さて、どうしたものか…』
固まった空気にたまりかね、ビリーがそんな事を思った矢先、彼女らしくないため息
とともにグレイススックが口を開いた。
彼女にしても、自分が生み出したこの空気をどうしようかと、思考をめぐらしていた
のだった。
そして、今まで口に出す事をためらっていた言葉を口にした。 カークやナビヤなど
側近にも言えないで来た言葉だった
「…私たちの行ってきた政治は正しかったのでしょうか?」
「は?」
突拍子もない、少なくともビリーにはそう感じられたグレイススリックの言葉に、ビ
リーはこれ以上はないというような間の抜けた声を発していた。
そんなビリーを気にする風でもなく、グレイススリックは言葉を続けた。
なかなか口に出せない言葉の第一声を発した後は、さして苦慮する事もなかった。
「歴史を習い、長年、父の政策を見てきた私です。それは真摯なものであったと私自身
は思っています。ですが、その政策そのものが正しいものであったのかどうか、その中
にいる身では客観的に判断できないのです。
それで国が安定しているのなら、安心も出来るのでしょう」
一旦、言葉を切り、天井を見上げながら続けた。それはややもすると自嘲的な口調で
あり、全く彼女には似合わないとビリーは思った。
「それがこの現状です。なんだか、気が滅入ってしまうんです」
そして視線を落とし、ビリーに顔を向ける。
「私たちのやって来たことは正しかったのでしょうか?
ビリーさんはどう思われますか?」
『・・・参ったな』
正直なところ、ビリーはそう思わずにはいられない。
とどのつまり、グレイススリックの感じ方は、この世代、思春期の少女が当たり前の
ように感じる悩み方と、その種類が変わるものではない。
ただ、その対象のスケールが尋常でないという事だ。
ノービスがこの場にいれば「そんな繊細で重要な問題に答えられるほど、ビリーはご
立派なもんじゃねえよ」と口を挟んでくるのは確実だ。言われるまでもなく、そんな事
はビリー自身の方が良く知っている。
答える立場にないと言ってしまえばそれが一番楽であり、また、彼自身の立場からし
ても一番順当な言葉ではある。
しかし、目の前で一人の少女となっているグレイススリックの不安定な心を、少なか
らずとも立て直すことが、今の自分の役目でもあるとびリーは感じていた。
自分自身への評価から、それには荷が重いと思いつつもそれは表情へは一切出さず、
ビリーは落ち着いた口調で、ゆっくりとグレイススリックに言った。
「一国の体制が70年続けば立派なもんだよ」
「え?」
今度はグレイススリックのほうが、その言葉を突拍子もないことと感じた。
そりゃ、そう感じるだろう。とビリーは思いつつ、その言葉に付け加えていく。
「人の一生が80年だとして、その一生より短い命の国なんてのは、歴史を見渡せば目
次が欲しいくらい山ほどあるぜ。
ドルフィナはそれが70年続いて、国民の生活も豊かだ」
両手の指を交互に合わせ、両肘を両膝の上にそれぞれ置いてビリーはグレイススリッ
クに向き直った。
「為政者としては上出来の部類に入ると思うけどな」
正確に言えば、それはグレイススリックの問いかけに対する答えにはなっていないか
も知れない。グレイススリックの心を完全に晴らすというわけにもなっていないだろ
う。
だが、自らの悩みを口にし、それに対して反応が返ってきたというその事だけで、グ
レイススリックは、心が多少なりとも軽くなったと感じた。
また、そういうビリーの対応がうれしくもあったというのが、素直な彼女の感情だっ
た。
ただ、一つ気になる部分はあったが…。
「また、感情を隠されてますけどね。本当はご迷惑だったでしょ?」
なんとまあ、鋭い娘だ。とビリーは思う。だがそれも表情には出さず、その問い掛け
から筋をそらした回答を用意した。
「契約にないと答えるほど、冷徹になれないのは確かだね」
「ありがとうございます。こんな愚痴みたいなのに付き合ってくださって」
「柄じゃないんだけどね」
苦笑いを浮かべてビリーは更に続けた。
「それに国の体制が変わったって、人間なんてのは何とかしちゃうもんだよ」
それはかなり危うい内容で、ジョークというには出来が悪かった。
だが、この時点で、グレイススリックにはそれを受け入れるだけの余裕はすでに出来
ていた。ビリーもそう踏んで口に出したのだった。
「ビリーさん、一言多い」
わざとらしく不機嫌そうな表情で、グレイススリックは答えた。