王女とトライアロー(12)
朝、サリー・ホワイトとレオン・タイは戸惑っていた。
サリーとレオンが宿舎にしていたのは、ドルフィナの首都ヘム=リオン市のビジネス
ホテルで、ミアラ インと言う名前だった。
サリーの部屋で、朝食を取りながら報告書に目を通したレオンが、判断つきかねるよ
うな表情でこう言った。
「あんまり、こういうの経験した事が無いんで、よく判らないのですが、…結構、事態
が緊迫してません?」
「そんな経験、私だって無いわよ」
素っ気なくサリーは答えた。
その反応に肩すかしと言うか、ほんのわずかに気分を害したような表情でレオンが続
ける。
「でも、実際の話、どうします?」
「慌ててもしょうがないでしょ。ともかく、本来の調査を続けましょう」
「…まあ、それしかないんでしょうけど…」
レオンの口調は歯切れが悪かった。
サリー達に、複数のルートから複数の情報が届いていた。
まず一つ目は、銀河警察局からの定期連絡で知らされた案件があった。本来の捜査目
的である、エピクロス3事件について、判明した事があった。
犯行グループである宇宙賊、ボイドファミリーは、基本的には犯行を認めていた。
下手に否認したとしても、裁判で不利になるだけで、得な事はない。重大な犯罪行為
ではあるが、優秀な弁護士を雇い、減刑を狙うと言う事だ。
その戦略そのものは、驚くべき事ではないが、それに付随する情報の方が、サリーと
レオンには重く捕らえられた。
そもそもの発端である、グレイススリックの行動の予定が、情報として、ボイドファ
ミリーに売りつけられたと言うのだ。
そして、その情報の純度が、政府、王宮、そして護衛を担当する軍の高官レベルでし
か共有できない情報である事が、ドルフィナ首長国連邦と銀河警察局との協議で判明し
たという。
政府や官僚、軍等の組織の高官に近い人物に内通者がいるという事だ。
そしてその人物も不明のままだ。
その捜査が目的であるサリーとレオンにとって、多少なりとも気が重くなるような、
報告内容だった。
しかも、その朝には、公共映像通信では、さまざまなニュースが飛び交っていた。
まるでそれに呼応するかのように、各都市の交通機関、市街地、都市中枢、さらに複
数の軍事基地や施設で、事故、事件が相次いだと言うものだ。
その内容は、軍事関係者が通う飲食店での明らかな爆破事件もあれば、事故とも見ら
れる列車事故などと言うように様々で、その件数は23件にも上った。
事件性の高いものはもちろん、事故に見られる件も、偶然、同時期に起きたと考える
には楽観的過ぎ、何らかの意図があってのことと捉えられた。
警察組織は当然のごとく、厳戒体制での活動が行われ、軍にいたっても、警戒体制の
命令が発動されたと言う。
ドルフィナ国内での事ゆえ、捜査そのものには、サリー達には手の出しようもない。
が、無論、無視する事も出来ようはずがない。
「何かがきるとして、いったい何が起こるんですかねえ?」
あえて意識したかのような風に、レオンはのんびりとした口調でそう言った。とは言
え、当のレオンも、すでに、起こりうる事態は想像できていた。むろん、サリーも同様
だったが、実感と言うものはまるでなかった。
「ともかく…」
経験した事のない沈黙の後、サリーが口を開いた。
「この国も、一枚岩と言うわけにはいかない、と言う事だけは確かな事ね」
そう言って、サリーは窓の外を眺めた。
高層ビルが立ち並ぶオフィス街は、少なくとも表面上は普段と変わらぬ朝の光景を映
し出していた。
そんな光景に影響されたのか、緊迫感が増しているにも関わらず、サリーはまったく
別の事に思いをめぐらしていた。
『ビリーもこんな時に、大変な依頼を受けたもんだ』
もっとも、そのビリーにしてみれば、そもそも、こう言う事態が起こる可能性がなか
ったら、依頼を受ける事もなかっただろうな。と考えていたのだが。
もちろん、サリーが受け取った情報は、王宮の元へ、各王族のオフィスへも届けられ
ていた。
知るところになったのは、グレイススリック達としても同じだったのだが、エピクロ
ス3の件に関しては、グレイススリックをはじめ、カーク、ナビア、オジカの表情に
は、困惑の色は浮かんではいなかった。
冷静に受け止めている印象があった。少なくとも、ビリーにはそう見えたので、率直
にそれを口にした。
「ある程度、予想がついてた事なのか?」
特に返事は帰ってこなかったが、各自の表情が、それを肯定していた。
代表してグレイススリックが言葉にした。
「今までもこうなのです。動きを見せても、その正体にはたどり着けない…。」
「…決して、尻尾は掴ませないと言うわけか。」
あらかじめ予想されていたせいか、それ自体のショックはない。が、その他のニュー
スがそれを補って余りあり、沈痛な空気がグレイススリックのオフィスを包んでいた。
「東西線の列車事故に、軍の出動がされたと言う事です」
「死者300名以上。消防救急、警察だけではさすがに無理でしょうね」
オジカの事態の報告に、グレイススリックが答えた。
「これが、ハリス空軍基地での、爆破事件の調査報告書…、暫定ですが。
こちらは、レストハウス”ベッキオ”での被害報告書。死傷者21人です。そして、
この青いファイルは、第17衛星観測施設での爆発事故、事故とはなっていますが、事
件性は高いと言う事です。その捜査報告、そしてこれが…」
ビリーの前で、報告が次々とされて行き、ちょっとした書類の山がデスクの上に出来
ていた。
一連の事件で、各地の警察組織、医療機関、流通消費システムなどは、苛烈な負荷を
強いられ、業務に支障をきたし始めていると言う。
『無理もない』
このあたりの事に口をはさめないビリーでも、そう思わずにはいられない。
「軍官僚は、本格的な軍の展開を求めていますが、政府は今のところ拒否しています」
ナビアのこの報告には、カークが補足した。
「戒厳令の前例になりかねません。ファン内閣にしてみれば、当然でしょう。
情報収集に全力を尽くし、状況の推移を見守る。まあ、そんなところですね。
陛下のお言葉があれば、話は別ですが…」
最後の方は、制度的にはおかしな話ではある。
公では、国王と言っても、政治的な関わりあいはない。だが、その経緯から見ても、
その意向は無視できないものとなっている事は、ビリーにも容易に想像がついた。
「ファン総理も、平時には優秀な方ですが、こう言う時には経験不足が否めませんね」
グレイススリックのこの言葉には、ビリーも驚いた。
王室には、選挙権がないと聞く。第一グレイススリックは、まだ、17歳、そんな少
女の言葉とはとても思えなかったのだ。
グレイススリックにオジカがたずねた。
「陛下のご意向は?」
「私も、まだお伺いしておりません。…ナビア、為替市場は?」
「対レートで、1.3ポイント下落しています」
「そのぐらいは仕方がありませんね。むしろ、予想の範疇と言うところでしょう」
そう言って、しばらくグレイススリックは口を閉じ、いくつかの資料に目を通しなが
ら、思案を巡らしている様子だった。
やがて、視線を上げた。
「この段階で、何も指示がないのは、変更がないからだと判断できます。予定通り、カ
イザルジュニアへの渡航準備を進めましょう」
ビリーにとって、グレイススリックの発言の前半は、納得がいった。なんでもかんで
も指示を待つのではなく、ある部分では独自に判断を下すと言う方針なのだろう。その
上でグレイススリックがそう判断したのなら、何も言う事はない。
問題は後半だ。
「こんな状況下に、首都を離れるのは、賛成できかねますね」
精一杯、言葉を選んでビリーはそう言った。
首都が安全だとは言いきれないが、情報の入手は容易であるし、行動にも移しやすい
はずだ。
それまで、発言を抑えてきたが、警護を依頼された以上、こういった事には意見ぐら
いは言えるだろう。いや、言っておかなければと、ビリーは思った。
気分を害した風でもなく、グレイススリックが直接答えた。
「ビリーさんのご懸念はもっともです。
私個人としては、首都圏に留まりたいと思っていますが、危険を分散する意味でも、
首都圏を離れなければなりません」
『王族が一箇所に集まっていてはならない、と言う事か』
ビリーはそう捉えた。非情だが、ある意味では理にかなっている。
「それに…」とグレイススリックが続けた。
「私がカイザルジュニアに行く事は、すでに公表されています。それを変更する事は、
いたずらに不安感を与える事になります」
一理あるな。とビリーも思う。いろいろな捉え方はあるだろうが、上の人間が動揺し
ていては、下が落ち着くはずも無いと言う考え方は、確かにそうだ。
グレイススリックに代わって、オジカが続けた。
「もちろん、現地では王族警備隊が護衛にあたる事になっている。姫の安全に関して
は、首都に留まる時と比べても、遜色はない」
と言っても、ビリーには素直には受け取れない。”危険度はさして変わらない”と言
っているようにも聞こえた。
グレイススリックの情報が流れた事と言い、誰が敵やら味方やら判らない状態で、王
族警備隊にしても万全の信頼をおけないのだ。だからこそ、ビリーに護衛の依頼がきた
のだ。
口にこそ出さないものの、同じような事を、この場にいる誰もが考えているようにビ
リーには見えた。
だが、依頼を受けた以上、決定には従う他はない。
「異論はありませんか?」
グレイススリックがそう言ったが、それに答える者はいなかった。
翌日、宇宙港、ヘイワード=グッデン総合空港にグレイススリック一行はいた。無
論、カイザルジュニアへの視察旅行のためである。
王族警備隊も含め、約30名の一行だが、ただ、その中に、オジカは入っていない。
情報収集と、連絡役のために、首都、ヘム=リオン市に残る事になっていた。
「留守をお願いいたします」
見送る形のオジカに、グレイススリックが声を掛けた。
グレイススリックの言葉にオジカは答えた。
「かしこまりました。姫も、お気をつけて」
今生の別れと言うわけではないが、恒星系内とは言え、宇宙旅行と言うのは、まだま
だ敷居は高い。それにこの状況下である。心配するなと言う方が無理がある。
チャーターされた大気圏離脱シャトルに乗り込み、宇宙ステーション、ヘイゼルオア
シスで乗り換える。同じくチャーターされた宇宙航行専用の星間連絡船でカイザルジュ
ニアまで行き、船内に収容された着陸船で、宇宙港に着陸。
そこから小型ジェットでの移動。目的地まで、標準時3日の行程である。
『プロパリアーで行けば、すぐなんだけどなあ』
とビリーは内心でぼやくのだが、まさか王族の公式行事に使えるとは、自分でも思っ
ていない。
プロパリアーは、結局この宇宙港に駐機されたままとなる。ビリーが、通信でそれを
伝えた時のノービスの反応と言うのは、少しばかり面白い。
退屈などは知らないはずのノービスだが、こんな時は不満そうな表現をする。それが
このタイプのコンピューターの特徴なのだが、その人間くさい反応に、ビリーも苦笑い
するしかなかったものだ。 ”なだめすかして”ノービスに、留守を任せたビリーだっ
た。
『今回は、プロパリアーの出番はなしか』
ビリーはそんな事を思った。
そして、関係者、および、マスコミ。その他多くの国民の見送りの中、定刻通り、シ
ャトルは宇宙へと飛び立っていった。
全行程、標準時で12日の行程であった。
だが、ビリーには予定通りに行くとは思えなかった。
もちろん、状況が状況であるが故の事であるが、ビリーの勘のようなものが、激しく
警鐘を鳴らしていた。
そして、そのビリーの予感通り、その予定は大幅に狂いを生じる事になる。
それは、予定よりも日数的には短縮となる。
だが、精神的には、もっと長く、厳しいものになるとは、想像できなかった。いや、
したくなかったのかも知れない。