王女とトライアロー(10)
ビリーは 41階のロビーの椅子に腰を降ろしていた。
契約を交わしたとは言え、一旦プロパリアーに戻らなければ、話にならない。
空港の駐機料金もばかにならないので、近くの駐機場に移動させなければならない
し、必要な物も揃えなければならないからだ。
そのため、王室側が手配してくれた、垂直離着陸機の到着を待っているところだっ
た。
『それにしても』
とビリーは思う。
王女の護衛という依頼を受けたものの、詳しい内容を聞き及ぶにいたって、どうにも
妙な依頼だと、感じざるを得なかった。
まず、公のビリーの身分が、政治担当の、臨時私設補佐官という事がある。
確かに、「護衛担当」「ボディガード」と、公表するわけにもいかない、とは理解で
きる。だが、『そんな柄かよ』と思ってしまうのはしょうがない。
さらに奇妙で深刻な事は、王族警備隊という、れっきとした、その名が示す通りの軍
組織があることだった。
私服、軍服にかかわらず、基本的に王族を常にガードする役目を負っている組織だ。
にもかかわらず、ビリーが雇われたと言うのは、その王族警備隊ですら、王族側が信
用していない。と言う、深刻な事態の証だ。
そんな事が明らかになれば、たとえ、「シロ」でも、今後の関係に響く。ビリーの素
性を隠すのも、それが遠因と言えるだろう。
ともかく、オジカの口ぶりや、機密保持の姿勢、さらに契約の内容から見ても、事態
は、予断を許さないところまで来ている可能性がある。
『もっとも、そうでなきゃ、俺なんかが雇われる訳、ねえよなあ』
やや自虐的にそんな事を思った時、彼の視界に見なれた人物が映った。
「よう。今お帰り?」
「よう。じゃないでしょ」
ビリーの問いに、そう答えたのはサリー・ホワイトだった。
傍らに立つ若い男に、ビリーは一瞬、記憶の引出しをまさぐったが、すぐに、サリー
のパートナーのレオンと言う人物だと言う事に、たどり着いた。
「事情聴取、終わり?」
「ええ。姫君にお目通りがかない、お話いただいて、栄誉の極みですわ」
その返事には、相当の毒気が含まれていた。
「何、怒ってるの?」
「姫君に会えば、見方が変わるって?」
「え?」
「ただのお嬢様じゃないような事、言ったでしょ?」
「あ? ああ。 …違った?」
「確かに、ただのお嬢じゃないわよね」
毒気の成分が全く薄まる気配がないサリーの様子に、ビリーは質問の矛先を変える。
「どうしたの?」
それは、隣に立つ、レオンに向けられた言葉だった。
「ええ、まあ、いろいろありまして、捜査の段階ですので、お話できないんですよ」
とレオンは答えたのだが、ビリーとしては額面通りにとれない。
嘘ではないだろうが、それが本当の理由とも思えない。とは言え、これ以上の事は、
聞き出せそうにはなかった。
「じゃあ、また」
無個性の見本のような別れの挨拶をビリーが告げると、サリーは何も言わずに、右手
を上げて答えるだけだった。
『なんだよ、それゃ?』
声には出さず、ビリーは、そう思った。
一方、サリーとしても、決してビリーを邪険にしたい訳ではない。
むしろ、逆に、こう言った感情をあらわにするのは、ビリーが相手だから、だとも言
える。
本来なら、捜査の進捗状況によって、こうまでも態度を変える彼女ではない。
それが、こう言う態度をとらせたのは、捜査の対象であるグレイススリックと、それ
に対するビリーの評価。この二人による、相乗効果とでも言うべきものだった。
その辺りの事情を、サリー以外で、その辺りの事情を知るただ一人の人物、レオン
が、サリーに聞いた。
「ずいぶんと、含みのある受け答えでしたね」
「私の言い方、そんな風に聞こえた?」
「いえ、あのお姫様の事ですよ」
しれっとしてレオンが言うと、サリーの頬が、多少ひきつった。
『言うわね…』
エピクロス3での事を、グレイススリックと、カーク、ナビアの3人から話を聞いた
のは、グレイススリックが用意した執務室だった。もっとも、それは彼女専用というも
のではないようで、ごく普通のオフィスの、小会議室のようなところだった。
過剰な装飾も、豪華なインテリアもなかったのだが、このサリーにとっては問題では
なかった。
問題なのは、その聴取した内容だった、どうにも要領が得ないのだ。
隠し事をしている訳ではないのだろう。証言の内容は整合性が取れているし、つじつ
まが合わないという事もない。
だが、なにか、釈然としないものがあるのだ。
そもそも、事件の概要は、こう明らかになっている。
パナボリス共和国を発った後、船長主催の船内パーティーが催され、その時、武装し
た集団が、乗員乗客を拘束した。それが発端だった。
その内の一人の挙動に不信を抱いたナビアが、事件の直前、グレイススリックを、会
場から出るように進言した。
それをグレイススリックも即座に受け入れ、カークと共に、難を逃れる事が出来た。
もっとも、グレイススリックが目的なので、追跡を受ける事になったが…。
そんな概要と、グレイススリック達の証言は一致し、矛盾点はない。
どこにも矛盾点はないのだが、サリー、レオン、双方に共通したのが、事件の背後関
係を、なんらかの形で知っているのではないか? と言う事だった。
それを聞き正したが、「推測の域を出なくとも、よろしいでしょうか?」と前置きを
されては、それ以上は聞きにくい。
『法律や、捜査手法についても、詳しそうだ』
と感じた二人だった。
そして、その話題が出たのは、一通りの事情聴取が済んだ後だった。
「ビリーが、どうって?」
その時、サリーの応対は、公的な立場でのものではなく、一個人の、素のままの返事
が、口から出ていた。
それほど、意外なグレイススリックの、問いかけだった。
ビリー・ロウエルについて、詳しい事を聞きたい。要約すると、そう言った質問に、
サリーの思考が、私人の物になってしまったのだ。
だが、その言葉の直後、思いとどまったサリーは、その思考を公人のものに変え、グ
レイススリックに抵抗をして見せた。
「なぜ、そんな事を、私に聞くのですか?」
質問に対する答えの前に、サリーは聞き返した。落ち着いた口調で、グレイススリッ
クが答える。
「現在、ロウエル氏と、契約交渉を進めているのですが、ホワイト捜査官とは面識があ
ると言う事を聞き及びました」
「調査のためという事ですか?」
やや、皮肉をこめた口調で、サリーはそう言ったが、グレイススリックは全く動じな
い。
「有り体に言えばそうですね」
笑顔でそう答えた。
サリーは、その脇にいた黒髪の補佐官、カークに、ちらりと目を転じる。
意識して、感情を表面に出さないようにしているのだろうが、その時は、なんとなく
困惑したような表情に見えた。
「残念ですが、公務に関する事は、お話できません。ご了承ください」
ともかく、サリーはそう答えたが、平然とグレイススリックも返した。
「それは、そうですね。
ですが、個人的にご存知な事はどうでしょう?
お話いただけませんか?」
それはサリーにとって、決定打だった。
『この人達は知ってるんだ』
その思いは、サリーの感情を、一気に負の方向に向かわせた。
きっぱりとした口調で、サリーは言った。
「だとしても、それをお話する義務はないと思いますが?」
それは横で聞いていたレオンが、『まずいかも』と懸念したほどの口調だった。
確かに、サリーの言う事は筋が通っている。逆に、グレイススリックの方が、分が悪
いだろう。
だが、それを差し引いても、感情面で、この先、しこりが残りかねないような口調だ
ったのだ。
ところが、意に反して、グレイススリックから聞かれた言葉は、温和なものだった。
「おっしゃる通りですね。
無礼を、お詫びいたします」
この言葉に、レオン、そして、当の本人であるサリーも、肩すかしを食らった心境だ
った。
「考えすぎか」
帰路の垂直離着陸機のなかで、サリーは、ぽつり、とそう言った。
「なんです?」
サリーの隣に座っていたレオンは、当然のようにそう聞いた。
「え? ごめんなさい。独り言」
サリーは事務的な口調で、そう答えた。
サリーが思っていた事は、王宮の考え、突き詰めれば、グレイススリックが何を考え
ているのか? と言う事だった。
『一国の王女が、そう言った私情を公務にはさむと言う事』が「考えすぎ」という言
葉になって出てきたのだった。
ただ、本当に考えすぎだと確信するには、その反対の要素も大きすぎると、サリー自
身は自覚していた。
その心理は、サリーが口に出さずとも、レオンも共にしていた。
『確かに、”宣戦布告”というのは、考えすぎだとは思う。でも、有り得ないとも言え
ないんだよなあ』
彼なりに、そう考え、ひとりでうなずいていた。
サリーとレオンが、どうにも妙な思考をめぐらしていた頃、グレイススリックは、彼
女の執務室のデスクで、横に立つオジカの報告を受けていた。ビリーとの交渉が成立し
たという報告だった。
グレイススリックの本来の執務室は、同時にカーク、ナビア、オジカのオフィスでも
ある。
互いのデスクをパーテーションで仕切っているのだが、その高さは、一メートルほど
であり、閉塞感はない。
今は、カーク、ナビアとも別の職務で出払っており、室内には、グレイススリックと
オジカの二人だけである。
報告を終え、グレイススリックは「ご苦労さまでした」と声をかけたのだが、オジカ
は何か、言い足りない様子だった。
グレイススリックもそれに気づいた。
「何ですか?」
「彼、ロウエル氏を、信頼してよいものかという気持ちが、私には消せません。
私は、エピクロス3の現場には居合わせてはいないので、彼に対する判断材料が不足
しています。
姫様のご判断には従いますが、あえて進言させていただきます」
それに対して、グレイススリックは気分を害した風でもなく、笑顔で答える。
「よかった。誰もそれを言ってくれないから、かえって不安になっていました」
「それでは、姫様ご自身でも、彼を信頼しきってはいないと?」
その質問には、多少、グレイススリックは困ったような表情を浮かべて、こう言っ
た。
「信頼している、いないで言えば、確かに完全に信頼を置くには、いかにも時間があり
ませんね。
ですが、私達に、この点でそれほど選択肢は多くないのです」
「ベストではなく、ベター。と言うわけですね」
グレイススリックの意図を確かめるように、オジカはそう言った。
「そうです。
あなたがたの能力は、私には過ぎるほど優秀なものだと思っていますが、荒っぽい仕
事だけは…、ですよね?」
いたずらっぽい口調で、グレイススリックがそう言うと、苦笑いを浮かべながら、オ
ジカも肯定する。
「確かに、技量、経験、知識とも、不足している事は否めません」
「ですから、その点をビリーさんに補っていただきます。
外部の人間のほうが、まだ、信頼に足りうる。国内の人材を、活用できない。
と言うのは、悲しいし、情けない事ですが」
「エピクロス3でのような事があった以上、やむをえない事です。
現在、直面している問題を解決する事が、我々に課せられた急務であると、私は考え
ております」
「そう言っていただけると、多少なりとも、気が休まります」
グレイススリックは、二度ほど軽くうなずきながら、そう答えた。そして、しばしの
間を置いた後、オジカに言った。
「でも、当面の問題が一つ」
「は? それは?」
「この事を、父上、王に報告しないといけないって事です。
ビリーさんに対する、報酬の件も片付いてないのに…。気が重いわ」
「お察しいたします」
そう言ったオジカの表情は、苦笑いを浮かべているようでいて、慰めるかのような、
優しい笑みでもあった。
この時代、盗聴の可能性を完全に排除することは、事実上不可能だった。
通信手段が複雑になり、それに呼応するかのように盗聴の技術も高度になったため、
どんなメディアで連絡を取り合おうと、危険性は覚悟しなくてはならない。
しかし、それでも連絡取り合う必要があるとすれば、その対策をとる事になる。
現状では、符丁を決めたうえでの暗号通信を使用するのが、もっとも危険性は低い。
結局のところ、昔ながらの暗号文を交わす事になるわけだが、通信事情と、電子機器
が、もう少し即時性のある方法を生み出していた。
通常の文章をコンピューターが暗号化し、通信先で、その暗号を瞬時に解読する。あ
らかじめ暗号化のプログラムを決めて、符丁を決めておけば、ともかく安全性は高ま
る。
遠隔地で互いにモニターを見つめながら、文字をやり取りするだけになるが、ある意
味やむを得ない。
それが人目を避ける類のものなら、なおさらだ…。
モニターに、一旦、ありふれた文章が浮かんだかと思うと、その単語が次々と変わ
り、まったく違う文章へと変化していく。
「…王宮の反応が、思いのほか早い」
その文字の列を見た人物は、わずかな苛立ちと共に、ペン状のスティックで、端末機
付属のプレートに文字を書き込んでいく
それが、モニターに浮かぶ。
「…ボイドファミリーに、情報を漏らしたのは間違いだったのでは?」
このモニターには、こう表示されているが、相手のところには、まったく別の文章と
なって送られているのだろう。
しばらくして、通信が返ってきた。
「…やつらに姫を誘拐させて、注意を引きつけさせる事は出来なかったが、失敗ではな
い。
結果的に捜査と注意の目が逸れた。
それより、覚悟は出来ているのだろうな?」
覚悟と言う単語に、ギクリとしながら、返事を送る。
「…このままでは、王宮の手が及ぶのは時間の問題、先手を打つと言いだしたのは、
こちらだ。
聞くまでもない」
「…だが、身辺警護の備えが進んでいる。その点に留意しろ・・・か?」
「…そうだ」
「…案ずるな。 どちらかと言えば、そちらの方が専門なのでね」
「…では、申し合わせどおりに…」
そのやり取りを最後に、通信は終わった。