王女とトライアロー(6)
プロパリアーは、ドルフィナ首長国連邦、領域への最後のミュードライブに突入して
いた。
人類の銀河系宇宙への進出を可能にした最大の要因は、亜空間航法の完成である。
開発者のミュー・ワライアエン博士の名前から、ミュードライブと呼ばれる。
膨大な反物質エネルギーを利用して、亜空間を利用する画期的な航法であり、その功
績は測り知れない。
だが、当然、短所も存在する。亜空間と現空間との間に、どうしても「ずれ」が生じ
てしまうのだった。
ピンポイントで目的地を設定できない。ミュードライブから離脱する際、時によって
は、億km単位の誤差が出てしまうのだ。
広大な銀河系宇宙からすれば、微々たる数字だが、人間からすると重大で、ミュード
ライブアウトの瞬間、惑星や小惑星等に激突する事も有り得る。
実際に60年ほど前、恒星系内で客船がミュードライブアウトの際、小惑星に激突し
て乗員乗客1568名が死亡する事件があった。それ以後、恒星系内でのミュードライ
ブが法律で禁止された。亜空間に進入は出来るが、脱出する時は恒星系外にしなければ
ならない。
もっとも、恒星系内だろうと外宇宙だろうと、物質の割合は似たようなもので、この
法令は感情的な部分から成り立っている側面が強い。何もない空間の方が比較にならな
いほど多いので、そこで天体等に激突するというのは、正に天文学的な確率である。
「運が悪いとしか言いようがない」
それが、宇宙を生活の場としている者の正直な感想だった。過酷な宇宙では、その程
度のリスクは避けられない。これはある意味「常識」として存在していた。
しかし、立法府を形成する人間の集合体は、そうは考えられず、結局この法律は成立
してしまった。決まった以上、それは守らなければならない。・・・可能な限り。
そんな欠点はあるが、それでも人類には欠かせない技術であることに、間違いはな
い。
プロパリアーは、ドルフィナ首長国連邦の恒星系域から、150万キロメートルと
言う"ギリギリ"のポイントにドライブアウトした。
目的地である、主星、カイザルへも遠くない。
「ドンピシャだったな、おい」
航路計算の結果で、自分の位置を確認した時のビリーの第一声だった。
彼の言う通り、ミュードライブの性格上、これは上出来の部類に入る結果だった。
「珍しいのですか?」
副操縦席に座っていたグレイススリックが聞いた。
「まあ、記憶としては、そう何回もあるもんじゃないね」
「到達地点がずれて、星系内に出ちゃったら、どうなるの?」
そう聞いたのは、グレイススリックの後ろ、補助シートに座っていたカークだった。
グレイススリック、カーク、ナビアの3人は、プロパリアーの中で出来る仕事が、と
りあえず終わってしまい、運航用の客席ではなく、操縦席でミュードライブを迎える事
を望んだ。
本来なら、依頼主の要望とは言え、安全上の観点から断ることも出来るのだが、3人
から重圧を感じるわけではなく、また、人数も限られているので、それを受け入れた。
そう言うわけで、プロパリアーの操縦室は、普段と違う、にぎやかさがあった。
カークの質問に、ビリーではなく、ノービスが答える。グレイススリックと、最初に
会話した時と違い、すっかり打ち解けてしまった様な感がある。
「実際問題として、それが発覚する事は滅多にありません。宇宙は広すぎます。
発覚しても、故意でなければ、立件される事も、まず、ありません。が、航路記録を
提出したり、証言とかしないといけなくなって、まあ、面倒な事にはなりますね」
「だから、最後のミュードライブは、比較的短距離になるのですね?」
納得したと言った口調で、グレイススリックがそう言った。
その言葉に、まるで教師のような口調でビリーが答える。
「そう言う事。
ミュードライブの距離が短ければ、それだけ誤差は少なくなるからね」
グレイススリックの表情が、好奇心が満たされた事を物語り、それをナビアが指摘す
る。
「姫様、なんだか嬉しそうですね」
「ええ。こう言う実務的な事を知る機会というのは、それほど多くありません。
とても興味深いものがありますから」
普段、ビリーは、ノービスと一対一で会話するしかないので、こう言った会話をする
事がない。
それは馴れない物には違いはないが、不快なものではなかった。
そんな、いつもと違う雰囲気を載せ、プロパリアーは、進路を主星、カイザルへと取
った。
「で、ステーションに寄ると言うことだけど、なんでまた? ドタバタして、理由を聞
けなかったんだけど」
その途中、ビリーはそんな質問を投げかけた。
ドルフィナ首長国連邦の出入国管理は、基本的に惑星で行われる事は、下調べで判っ
ている。
ステーションに"寄り道"を指示されたのは、最後のミュードライブに入る前だった。
依頼主の願いであるし、さして不合理な事ではないので拒否はしなかったが、理由ぐ
らいは聞いておきたいと言う心理が、ビリーにはある。
「お迎えがあるんだよ」
質問に答えたのは、カークだった。心なしか口調が皮肉っぽい。
「お迎え? 誰?」
興味がわいたビリーが、グレイススリックに聞いた。だが、それに答えたのは、ナビ
アだった。
「オジカ・ケイジ。私達の同僚の一等補佐官です」
「一等補佐官が、なんでステーションまで、でばってくるわけ?」
どうも事情が飲み込めないビリーに、カークが答える。
「要するに、姫が心配でジッとしてられないって事さ。
本人は、もっともらしい理由をつけて、しれっとした顔してるだろうけどな」
カークの言葉に、グレイススリックとナビアは苦笑いを浮かべる。
その様子にビリーは、グレイススリックに小声で(むろん、カークにも聞こえるだろ
うが)、聞いた。
「仲、悪いの?」
「悪いものですか。二人のコンビは、補佐官の中でも屈指です」
「姫!」
カークはむきになって否定をしてみせた。
だが、グレイススリックもナビアも、真剣には取り合わなかった。
ビリーには、そのあたりの事情が飲み込めないの。そんなビリーに、グレイススリッ
クが小声で言った。
「会えば、きっと判りますよ」
目的地のステーションを、モニターで目視できる距離に、プロパリアーが到達した。
「スペースコロニーじゃねえか」
モニターを見たビリーの感想だった。
しかも、工業用のものと思われるブロックが接続された、特殊な形態のスペースコロ
ニーだ。
「直径6キロ。全長30キロのフル規格のスペースコロニーに、20キロ立方の工業ブ
ロックを接続しています。
ヘイゼルオアシス。と言います」
グレイススリックが、ビリーの感想に答えた。
「コスト的にどうなの? ちょっと大げさじゃない?」
「もちろん、第一の目的は、工業品の生産の為です。無重力でしか生産できない物質
は、数多いですから。
ステーションとしての機能は、その付録です」
「ふーん」
「衛星軌道の反対側に、ヘイゼルオアシス2が完成間近です。ここも、さすがに手狭に
なってきましたので」
「利益は出てるんだ?」
「はい。具体的な数字は伏せておきますが、純利益率1.5%で、健全な経営状態で
す」
『よくもまあ、これだけの事を知っているもんだ』と感心して、グレイススリックの説
明に聞き入ったビリーだった。
そうこうしてる内に、ヘイゼルオアシスが目前に迫る。
さすがに巨大だ。人類史上、最大の建造物と言う評価は、今後も揺るがないだろうと
思わせる。
『でかい』
ビリーの率直な感想である。
「工業ブロックの港口が、ステーション機能を兼ねています。誘導信号が出ているはず
です」
事務的にナビアがそう言うと、ノービスが答える。
「信号を確認。進路このまま、運行は自動でいけるが、どうする? ビリー」
「それで、いいだろう。楽に行こう」
気の抜けた声で、ビリーが言った。
誘導信号に従い、プロパリアーは、何事もなくステーションに収容され、指定の埠頭
に接舷した。
「で、お迎えというのは、どこにいるんだ?」
ビリーとしては当然の疑問だ。
船外カメラで、あたりをうかがうが、そもそも人の往来が激しく、その中から特定の
人間を探し出すのは、困難の一言に尽きる。
「搭乗口から出ましょう。この埠頭に着いたことは、既に知っているはずです」
グレイススリックの提案に、ビリーも素直に従う。
「そうだな。どうせなら、入国審査も受けたほうがいい。
降りるか」
結局、ビリーは、グレイススリック達とプロパリアーを降りることになったのだが、
その後が少々大変だった。
なにしろ港口は、無重量区域なので、移動が大変だ。おまけにグレイススリックとナ
ビアは、スカートを着用していたので動きには気をつけなければならない。
プロパリアーの搭乗口を開けたものの、そこからどうすればいいか、ビリーは思案に
くれた。
そんな時、人影が一つ、ビリー達の所に流れてきた。
「姫!」
短くそう言ったのは、男の声だった。滅多には聞くことのないであろう、甘く、それ
でいて凛とした良い声だった。
「オジカ!」
グレイススリックが小さく叫ぶ。
そう呼ばれたのは、紺色のスーツを着こなした、栗色の髪を持つ男だった。
無重量の中、慣性で流れる身体を、さりげない動作で制御し、搭乗口の壁を右手で掴
み、ビリー達の前に”立つ”。
「グレイススリック様つき、一等補佐官、オジカ・ケイジです。
ビリー・ロウエル氏とお見受けしました。乗船許可をいただきたい」
ビリーから、ほんの50cm離れているだけだが、そこは無重量状態なので、オジカの
身体は、やや傾いて見える。
「乗船許可なんて、たいそうなもんじゃないが、ともかくこちらに来て欲しいな。この
ままじゃ、話しにくい」
「許可、感謝いたします」
そう言って、そのまま身体を前に出すと、プロパリアーの5分の1Gの人工重力が働
き、オジカはスッと床面に降り立った。
無重量状態のせいで膨らみ気味だった髪が、重力の力により収まる。
前髪はやや長めだが、全体的にショートカットの髪は、どちらかと言うと学生のよう
な印象がある。
切れ長の瞳には漆黒の瞳が輝き、筋の通った鼻筋、鋭角的な顎のラインを持ってい
た。年齢はビリーと同じぐらいだろう。
身長はビリーより、多少高い。肩幅もあるが、身長のせいか、やや、痩せて見える。
そのオジカが、グレイススリックに向かって、静かな笑顔を向けた。
「姫。ご無事で何よりです」
「ご苦労様です。オジカ」
そう答えたグレイススリックの表情は、王族という雰囲気を醸し出していた。
「なんだよ、オジカ。わざわざここまで来たのは?
地上で待っていても、さして時間は変らないだろ?」
そう混ぜっ返したのはカークだった。
「そうだね。僕もそう思うよ」
何気ない口調で、そう答えたオジカだったが、ビリーにほんの僅かに視線を向けた。
それにビリーは気がつかない訳ではなかったが、あえて口にはしなかった。
オジカが口を開く。
「理由は、後ほどご説明いたします。
ともかく、入国管理官を待たせています。ロウエル氏とカーク、ナビアは入国審査を
受けていただきます」
「グレイスは?」
とビリーは聞いたが、愚問に違いない。
だが、オジカが穏やかな笑顔で答える。
「もちろん必要ですが、手順が違います。ともかく、入国管理官の乗船許可をいただき
たい」
許可も何も、入国審査を踏まなければ、話にならない。
グレイススリックの存在を知り、緊張した面持ちの数名の入国管理官が乗船し、手続
きが行われた。
さほどの時間も要さず、手続きは完了し、オジカ・ケイジと言う新たな乗客を乗せ、
一路、主星、カイザル本星へと、プロパリアーは進路を取った。
その航行途中、ビリーは、オジカ、およびグレイススリックの要望に、強烈な違和感
を覚えた。
音声や映像などのセンサーのない客室を借りたい。と言うのだ。
基本的に、そんなセンサー類は常設されてなどいない。
「ご自分の客室をご利用ください」
と、ビリーは答えたが、グレイススリック、カーク、ナビア、そしてオジカの4人が、
客室にこもってしまう形となると、操縦室が閑散としてしまう。
本来なら、それは元の状態になっただけなのだが、その変化が急激なため、そんな感
じがしてしまうのだ。
そして、本来の話し相手であるノービスに、さして意味もなく、抑えた声でビリーは
言った。
「あのオジカって補佐官。わざわざ出て来たのは、グレイスが心配だから、と言うだけ
ではなさそうだ」
「どういう事?」
「早急に、直接、グレイスの耳に入れておきたい事があったんだろ」
「早急にねえ。それで、その内容は? 根拠は?」
「根拠は、あのオジカの態度だな。何か隠してるよ。
かと言って、通信では情報が漏れる可能性は否定できない。
だが、プロパリアーの中でなら、盗聴される心配もない、というわけさ。
内容の方は不明だが、少なくとも、本国やステーションでは、口にしづらい類のもの
じゃないの」
顔は伏せ気味だが、視線だけノービスのモニターに向け、ビリーはそう言い、皮肉た
っぷりの笑顔をしてみせた。
「・・・」
その笑顔の意味を察する事が出来るため、ノービスには一言もない。
「なんか、嫌な予感がするよ。これ以上は関わらない方が、身のためかな?」
ビリーはそんな事を口にしたが、その口調は太々しいもので、表情も、なぜか笑顔を
浮かべていた。