王女とトライアロー(1)
漆黒の闇と、弱々しくも鋭い星達の輝きが、広大な空間に広がっていた。
その中を先尾翼の航空機を思わせる、シルバーグレイの機体が、一筋の閃光となって
掛け抜けていく。
頂点を真下にした三角形という独特のレイアウトの、三基の通常推力エンジンが輝き
を放つ。
機首部分のやや後方上部にある操縦室の中、黒髪の男がいた。
横に並んだ二つの操縦席、その進行方向左側のシートに座った彼は、計器のチェック
に神経を集中していた。
漆黒の瞳にモニターの光が反射し、その両手は無駄のない動きで、機体をコントロー
ルしているかのように見える。
だが、その表情には、多少のいらだちのような成分が浮かんでいた。
「おい、ノービス。本当にこのコースでいいんだろうな?」
操縦室には彼一人であり、呼びかけたノービスという人影は、操縦室の中にはいな
い。だが、それに答える声が、室内に流れる。
幾分、金属的な響きはあるが、決して不自然な響きではない。
「おっかしいなあ。そろそろ、信号が届くはずなんだけど」
「届くはずって。あのなあ、お前」
「だから、航路計算なんてのは、俺達のような、船内コンピューターにやらしとけば良
いのに。
下手に新型航路システムなんか、開発しようとするから、こうなる」
そう言う言葉に同調するかのように、席の正面、直視スクリーンの上部に後付けされ
たモニターの中で、幾何学模様が流れていた。
声は、そのモニターが発しているようにも思える。
「まあ、そう言うな。そのお陰で、こうして割のいい仕事を請け負えたんだから」
黒髪の男はそう言ったが、返事はつれない。
「あのな、ビリー。
いくら報酬が良くたって、宇宙のもくずになったら、元も子もないだろうが!」
「そうは言うが、これで、税金が払える・・・」
と言いかけた時、電子音が操縦席に響いた。
「おー、ビーコンだビーコンだ。着いた着いた」
モニターの声は、”嬉しそうな”声でそう言った。
「ようし、ノービス、通信回路開け」
黒髪の男の指示で、直視スクリーンに通信画面が映し出される。
「こちら、SUMLU 211B、プロパリアー。機長のビリー・ロウエルです。
ビーコンをキャッチしました。接舷コースを知らせたし。
どうぞ!」
通信画面に、柔らかなウェーブの髪を持った若い女性が現れた。
「ご苦労様です。
現在まで、すべて予定通りです。
レーザーセンサー誘導を行いますので、接舷手順通りの運行を、お願いいたします。
どうぞ」
「接舷手順、予定通りに。了解」
進行方向の遥か彼方、白い球状の宇宙船が浮かんでいた。
拡大映像画面に浮かんだ船体は、平均の直径が、約700メートル。黒髪の男、ビリ
ー・ロウエルの乗る「プロパリアー」の全長が126メートルなので、その体積比は相
当なものとなる。
宇宙空間では、大気による揺らぎもなく、比較するものもないので、その白い船体の
大きさは実感できない。が、実際に近づいてみると、その大きさたるや、比較する気に
もならないほどだった。
便宜上、「接舷」と言っているが、事実上、「収容」と言う事になる。現実に、この
船は浮きドックとして使われている。
船内に収容されたプロパリアーの、乗降口の部分にドッキングチューブが近づく。収
容されたとは言え、経費の都合で気密されていないのだ。
乗降口の前、気密保持のためのエアロックに、ビリーは来ていた。
ドッキングチューブ内とエアロックの気密が保たれたというサインが、ドアのパネル
に表示されると、二枚あるドアが開いた。
ドアの向こう、ドッキングチューブに一人の若い女性が立っていた。
「お疲れ様でした。
デッキにご案内いたします。どうぞ、こちらに」
「ありがとう」
ビリーはそう言って、その女性の後に従った。
案内されたのは、自分の船、プロパリアーを見下ろす形となる位置にあった。
人口重力エリアなので、微弱な重力が働いていた。
そのおかげで、ビリーは椅子に座り、カップに注がれたコーヒーからの香りを楽しん
でいた。
『プロパリアーじゃ、こんな本格的なのは、期待できないからなあ』
主に味の面で、ビリーはそんな事を考えていた。
テーブルをはさんだ正面に、いかにも管理職という男が座っていた。
彼は手元の資料を整理しながら、ビリーに言った。
「はい、結構です。予定通り、データは整いました」
結果に満足したような表情を浮かべ、ビリーはこう答えた。
「それはなによりです。では、こちらの伝票に、受領のサインをいただけますか?」
それと同時に、ファイルを開き、一通の伝票を差し出す。
相手が、所定の欄にサインを記入すると、ビリーは言った。
「新運行システムに関する、実地データ。確かにお届けにあがりました」
宇宙世紀、486年。
数々の困難と犠牲を乗り越え、人類は銀河系宇宙に爆発的に進出していた。
到達した恒星系、200以上。
恒星系型、惑星系型、大陸型、等、様々な形態からの、74の国と地域が形成され、
なおもその数は増える見通しとなっていた。
必然的に、各国家間に物資の流れ、物流の必要性が高まってきた。
だが、広大な宇宙は、厳しすぎる空間だった。
隕石群、宇宙塵、ブラックホール等の重力圏、そして宇宙賊(宙賊)。
様々な障害が待ち受け、物資の輸送は、各国間の貿易に影響するようになっていた。
そこに現れたのが「運び屋」と呼ばれる者達だった。
彼らは、金さえ出せば、宇宙のどこへでも、何でも運んだ。
そのニーズは多種多様で、その数量も膨大なものであったため、「運び屋」と言う職
種の就労者数は加速度的に増え、一大産業となっていった。
当初、「運び屋」はその仕事の性格上、荒くれ者達の乱暴な職業。というイメージが
つきまとっていた。実際、そういう者が多かったのは事実であり、非合法な仕事を請け
負っていた者も、決して少数ではなかった。
だが、その後、国際法下での整備も進み、結成された業界団体によって業界内のルー
ルが徹底され、またイメージアップが図られた。
それらの効果もありって、「運び屋」と言う存在そのものが、徐々に認められるよう
になっていったのだった。
イメージアップで使われたシンボルデザインが、3本の矢をイメージして描かれた物
だったため、いつの頃からか「運び屋」は「トライアロー」とも呼ばれるようになっ
た。
そして、長い年月の間に、トライアローの仕事も、微妙な変化と細分化と言う過程を
経た。
宇宙を飛び回るだけではなく、地上のみでの仕事も請け負うようになり、物を運ぶと
言う名目が契約にあれば、どんな仕事でもこなすようになっていた。
物を運ぶ、と言う本来の仕事をこなす者でも、自分の船を持つ者、必要時に借りる
者、公共機関を利用する者等、様々な形があり、果ては、ほとんどボディーガード専門
と言う者までいた。また、個人で行動する者もいれば、企業として活動する者達もお
り、その活動形態も様々だった。
彼らに共通するのは、船、服やアクセサリー、名刺等に描かれた、3本の矢のトライ
アローのシンボルマークであり、それは一つの彼らの誇りでもあった。
トライアローは、銀河宇宙と言う広大なフィールドを支える、重要な要素となってい
た。
契約を無事、終え、ビリーの宇宙船「プロパリアー」は浮きドックを後にしていた。
大気圏航行の用途も考慮した水平尾翼を、機体前部に配した航空機のようなシルエッ
トをもったシルバーグレイの機体。
全長は個人所有としては標準的なクラスの126メートル。
鋭く尖った機首より、3次元曲線で膨らんだボディラインは、腹部より後部へと直線
的に続く。
後部のエンジン部分の上部に、やや左右に広がった2枚の垂直尾翼があった。
曲線基調の機首から、直線基調の腹部へと変わる部分の左右に、エアインテイク状の
部分が左右に広がる。
後方に伸びるエアインテイクブロックは、エンジン部分で、さらに左右に広がり、そ
の部分に左右主翼が広がっていた。
通常推進エンジンはV3型と呼ばれる、頂点を下にした三角形にレイアウトされた3
基。
機体の中心付近、やや前方の腹部に、3本のオレンジ色の矢をデザインした、トライ
アローのマークがあり、その下側に、アルファベットで”BILLY'S SHIP PROPALIER”と
描れていた。
垂直尾翼の付け根部分に「SUMLU 211B」という認識番号があり、それ以外
のマーキングはない。
その所有者、ビリー・ロウエルは、コックピットにいた。
年齢28歳。身長179cm 体重74kgのバランス取れた体格。やや長めの黒い
髪を持ち、黒の瞳が大きめなためか、年齢よりは多少若く見える。
ビリーは、操縦席に座り、真剣な表情でノービスと会話をしていた。
ノービスとは、俗にSPC、船内コンピューターと呼ばれる「人格」だった。
「第7世代、第5系統派生型、40番台タイプコンピュータ」
空で暗唱できる人間は滅多にいないが、正式にはそう言う。
簡単に言えば、感情を持ったコンピュータだが、言うほど簡単な物でもない。
技術的なことはともかく、基本的に一人か二人での活動が、基本的な運び屋にとっ
て、航法や進路計算などをしてくれるこう言った、船内コンピューター(SPC)なくし
ては、単純な宇宙空間航行すら困難極まりない。
ただ単に便利と言うことだけではなく、会話やゲームをしたりする、生活上でのパー
トナーの役目まで負っている。
プロパリアーの居住区の、一番奥まった個所に本体が設置されているが、「表情」に
当たるモニター、端末は船内至る所にある。
コクピット内では、直視スクリーンの手前上部に2つのモニターが後付けされおり、
そこに幾何学模様が浮かんでいた。
プロパリアーのコックピットは狭い。2枚の直視スクリーンに正対して2つの操縦席
があり、その後ろに予備シートを設置できる空間があるだけである。
天井も低く、その天井にも、計器やスイッチ類が並び、内装も黒が基調となっている
ため、閉塞感がかなりある。
後付けされたノービスのモニターが、それを増加させるのだが、コストの面から言っ
て、致し方ない。
キーパネルでも、命令を含めたコミュニケートはできるのだが、ビリーはノービスと
「会話」をする方が、性にあっていた。
そんな二人が話していたのは、「税金」の事だった。
「あのね。これ以上は脱税でもしなきゃ、無理だって。
まあ、俺は別に構わんがね、捕まるのはお前だからな」
冷酷な口調でノービスが言うと、不満そうな表情を浮かべながらビリーが答えた。
「やっぱ、この前の足止めが効いたよ。あんな、長引くとは思わなかったからなあ」
「おとなしく税金払いな。義務なんだから」
渋々と言った表情をビリーが浮かべた時、異変が起こった。
アラームと共に、ノービスが叫ぶ。
「救難信号! 通常通信だ! 近いぞ!」
「位置、測定! 急行する。全方位へ信号伝達。
進路変更、経路測定計算急げ!」
矢継ぎ早に指示をして、ビリーは機体操作パネルに取りつく。
太古の昔、人類が海洋に乗り出した頃から、救難信号は、何を置いても再優先事項だ
った。
一歩踏み外せば死地という宇宙空間において、それは法令で定められて、と言うよ
り、そこに従事する者達の共通の認識だった。
信号の発信場所が、意外に近いとノービスが計算した。
「ヤバイかも知れないな」
ビリーはつぶやいた。
理由はいろいろある。最大の問題は、今、ビリーがいるところが、通常航路から、
「はずれた場所」と言う事だった。
こんなところで、救難信号を出すと言うのは、なんらかしらの事件に関わっている可
能性さえある。それは考えすぎだとしても、事故だったとしたら、場所的に救助が難し
い。そういう意味もあった。
なんにしても、現場に急ぐしかない。
やがて、最大望遠で、その対象が映像スクリーンに映し出され頃になって、ようや
く、いくつかの情報が掴めてきた。
「エピクロス3。恒星系間旅客船!?
なんでこんなところに?」
ノービスが示したデータに、ビリーはそんな声を上げてしまった。
航路などの詳しい事までは、すぐに判らないが、一番近い恒星系間航路からでも、
2光年は離れている。
「ただ事じゃないね、こりゃ」
事もなげな口調でノービスが言った。
ノービスがそう言ったのにも、いくつか理由がある。状況だけでも充分なのに、その
他にも異常な点が見受けられたのだ。
まず、救難信号が通常通信のみで、しかも1回だけで、亜空間通信での発信の記録が
ない。さらに、ノービスが呼びかけても返答がない。
加えて、推進動力機関が、全て停止しているのだ。
宇宙空間で、動力がなければ、危険極まりない。最悪「落ちる」事になりかねない。
そのため、旅客船ともなれば、複数の動力機関が安全のために備わっている。その全
部が停止しているというのは、よほどの事態だ。
「接舷できるか?」
ぼそりとビリーが言った。
「本気? なんかヤバめのストライクゾーン、ど真ん中ってかんじだけど?」
「中に入らなきゃ、どうにもならんだろ?」
「そりゃ、そうだけど」
心配そうな口調で、一応、抑えに回ったノービスだが、ビリーの考えが変わるとは思
えない。第一、このプロパリアーの機長はビリーなので、基本的な決定権はノービスに
ない。
「接舷する。接近コースと速度を割り出せ」
「了解」
「各方面への救難連絡は?」
「船名確認時より、現在まで発信中」
「よし、操縦はまかせる。俺は移乗の準備を」
「気をつけろ」
「ああ」
簡潔なやりとりの後、互いに行動を開始した。
ノービスは慣性モーメントを計算しつつ、エピクロス3にプロパリアーを寄せる。ビ
リーは、宇宙用のヘルメットをかぶり、エアロックをかねるハッチに向かった。
普段、彼が着ているのは、そのまま簡易宇宙服になる、特注のスペースジャケットだ
った。
同時に、戦闘寄りのサバイバルキットを携帯する。
サバイバルキットというのは、ビリーが自分で揃えた非常用のパックだ。
一応、非常用と言う事になっているが、その中身には食料や固形燃料などに加えて、
組立式ライフル、爆薬、戦闘用の道具等が揃えられており、どちらかと言うと戦闘道具
一式という方が正しい。
加えて、今回は、戦闘に対する備えを重視したタイプのもので、国によっては、保持
しているだけで、手が後ろに回る事は確実な代物だった。
エアロックが開くと、目前にエピクロス3の船体があった。
「近すぎ」
思わず、ビリーは小さく叫んでしまった。
本当に近い。
エピクロス3は、大気圏、および無重力圏外専用の旅客船なので、全長は400mを
超える巨大な船体を持っていた。その性質上、上下の区別は必要ないのだが、乗員乗客
の心理面を考慮して、上下を意識した外観を持っていた。
その「上面」に覆いかぶさるように、プロパリアーは接近していた。距離にして、1
00mほどしかない。
『意地になってやがんな』
ノービスの心理を読みながら、ビリーはスピーダーにまたがった。
一般的に「スピーダー」と呼ばれるそれは、重力圏ではエアバイクと分類されてい
る。
MFクラフトと呼ばれる浮遊機関により、宙に浮き、移動する「乗り物」となる。
加えて、オプション等の交換をしなくても、宇宙空間での移動にも使えると言うの
が、最大の「セールスポイント」だった。
人間の身体はむき出しなので、宇宙服を必要とするし、機体の全長が5m程もあり、
地上での取り回しが不便などという欠点もあるが、彼にとって欠かすことの出来ない
「生活必需用品」だった。
一般的な用途ではニーズがないが、ビリーのように、宇宙と地上、双方を活動の場と
する者は、好んで使用している。
非重力圏の宇宙なので「またがる」必要は無いのだが、機体の形状から、そうやっ
て操作するしかない。
やがて、エピクロス3のデッキに取り付いた。外側からの操作で、ハッチが開いた。
救難信号を発した時点で、全ての出入り口は、自由に操作できる事になっている。今
は、その通例が通じるようだった。
スピーダーをデッキに乗り入れ、二重ドアの気密エリアを抜けると、そこは小型船舶
が何隻か並ぶ、格納庫だった。
「移動用ランチの格納庫か」
その光景を眺め、ビリーは現状況の把握に勤めた。
ヘルメットのシールド内に浮かぶ映像情報が、この場所が気密を保っていると伝えて
いた。
シールドを上げ、情報端末を捜した。現在、船内がどういう状況かを、把握するため
だった。
その時、物音が格納庫に響いた。それは人の気配を感じさせた。
「誰かいるのか? いるなら返事をしてくれ!
俺はトライアローのビリー・ロウエル。救難信号を受信して来た。
誰かいるのか?」
確かに人の気配がしたのだが、返事はない。
決して望んではいないのだが、用心のため、サバイバルパックから、ライフルを取り
出し、構えた。
『困ったな』
正直なところ、そんな心境だった。
救助活動を取らねばならないのだが、状況がつかめないだけに、対応が難しい。下手
をすれば、自分が犯罪者になりかねない。
とは言っても、「逃げ出すわけにも、いかないよなあ」と、つぶやいてしまうビリー
だった。
返事をしない理由が分からない。おまけに、隠れてるとしたら、その場所にも困らな
いだろう。
「誰か、いないの?」
間の抜けた声が出た。
『気のせいだったか・・・』
そう思った、と言うより思いたかったのだが、そうはいかなかった。
一機の小型艇の中に、動く影を見つけた。
素早く駆け寄り、周囲を警戒しながら、慎重に中に入る。
確かに気配がある。
客室へ歩を進めると、並んだ椅子の陰に身を隠す二つの人影があった。
念のため、ライフルの銃身をそちらに向けながら、ビリーは穏やかな口調で言った。
「頼むから、出て来てくれないかな?
こっちは状況が全然判んないんだ。
妙な動きをされると・・・、撃っちゃうかもよ」
最後の口調だけは、冷酷な口調になっていた。
その声に反応したのか、二対の腕が現われ、それに遅れて、男女二人が顔を見せた。
その姿を見とめた時、ビリーは慌てて銃口を床面と反対に向け、射線を外す。それと
同時に、短い口笛が口元から漏れた。
その主な原因は、その人物にあった。
男が女をかばうように、斜め前に立っていた。
年齢はビリーと同年代だろうか? 黒髪を長めに揃えた、鋭い目つきの男だった。
問題は、その背後にいた女にあった。
10代後半の少女だろう。透き通るような白い肌に、黄金のロングヘアーは、くせの
ない滑らかな直線を描いていた。
つぶらな碧眼は、一種の宝石を思わせ、鼻筋と唇は完璧な印象さえあった。
文句のつけようのない美少女だった。
「俺の名前は、ビリー・ロウエル。トライアローだ。
あんた達は? どうしてここに?
この船は、いったい、何?
どうなってんの、これ?」
質問したい事が、次々と言葉になった。