獅子の嫡子<1>
苦しげな声が、呻くように、低く、暗やみの中に漏れ聞こえていた。
判別はつき難いが、かろうじて女性の声だと判る。それほど、彼女の状態は尋常では
なかった。
その彼女の声にかぶるように、別の声が響く。こちらも低音だが、男の声だった。
「どうやら、本当に何も知らないようだな?」
はたして、それが、その女性に向けてのものなのか、闇の中に向けてのものなのか
は、不明瞭な言い方だったが、女性は答えた。
「・・・そう・・・何度も、・・・そう言った・・・」
途切れ途切れに、ようやくの事で口にしたのは、その女性が嫌になるほど言った言葉
だった。
しばしの沈黙の後、男が重く口を開いた。
「知らないのなら、これ以上聞いても仕方がないな」
女性の表情に安堵の成分が浮かんだが、それも一瞬だった。
目の前に、ハンドガンの銃口が突き付けられていた。
「もう、用はない」
エネルギーガン特有の低い銃声が、闇に響いた。
ケルサバル連衆国の首都、コラムトリトーン。昼下がりの官公庁街を、ビリー・ロウ
エルは歩いていた。
正確に言うと、国家警察局の庁舎から出て来たところだった。市警察ではなく、国家
レベルの警察機関に「お世話」になっていたのは、この前の仕事で、他の国と関係する
ちょっとしたトラブルに巻き込まれたからだ。
実際には事情聴取を受けただけなのだが、あんまり気分のいいものではない。
外気が黒髪を揺らし、それがひどく新鮮なものに感じた。
身長はそれほど高くはなく、180cmにはほんの少し足りない。が、無駄と言うも
のが感じられないその体格を、無光沢の白いスペーススーツに包みこんでいた。
午後の官公庁街を行き交う人の波を、髪と同じ漆黒の瞳に映しながら、思わず大きな
欠伸を漏らした。
「なんにしても、肩がこったぜ」
首を左右に傾けながら、そうつぶやく。
「自業自得でしょ?」
すると、背後から、聞き覚えのある女性の声が彼の耳に届いた。
「これはまたお手厳しい」
振り向きもせず、ビリーは答える。
声の主、サリー・ホワイトがビリーの正面に回り込み、その視界に割り込む。
ライトブラウンのボリュームのある髪がウェーブでセットされ、薄くメークした透き
通るように白い肌が、やや尖った顔の輪郭を形作っていた。
切れ長のブラウンの瞳。すっきりと通った鼻筋。真っ赤なルージュが良く似合う形の
良い唇。
身長は160pほどだが、すらりとした肢体を、髪をイメージさせるブラウンのツー
ピーススーツに包んでいた。
好みはあるだろうが、充分に美人の範疇に入る容姿だった。
「なんにも連絡をよこさないんだもん。いいクスリよ」
刺がある言い方だったが、その中にも甘い成分が含まれる彼女の声だった。しかし、
ビリーの対応は素っ気ない。
「まだ、この国にいたの? 銀河警察局ってのも、案外、暇だねえ」
そのまま、ゆっくりと歩き出すビリーの後を追うように、サリーも歩き始めた。
「良く言うわ。あなたのために事実認定で居残されたのよ。感謝してほしいわ」
「まあ、迷惑かけたね。食事でもおごるよ」
「精神的にお返ししてくれるんじゃなかったの?」
「まあ、それはおいおいね」
一応は真顔になったビリーの返答に、サリーもやんわりとした口調で言った。
「とりあえず、今はそれを信じましょ」
宇宙暦が採用されて、486年。数々の困難と犠牲を乗り越え、人類は銀河系宇宙に
爆発的に進出していた。
到達した恒星系は200以上に及び、恒星系型、惑星系型、大陸型、等、様々な形態
で、74の国と地域が形成され、なおもその数は増える見通しになっていた。
そうなると必然的に、各国家間に物資の流れ、物流が生まれる事となった。
だが、進出したとは言え、広大な宇宙は、人類にはまだまだ厳しすぎる空間だった。
隕石群、宇宙塵、ブラックホール等の重力圏、そして宇宙賊(地方によっては宙賊と
も呼ばれる)。様々な障害が待ち受けており、物資の輸送は、各地域間の貿易に影響す
るようになっていた。
そこに現れたのが「運び屋」と呼ばれる者達だった。
彼らは、金さえ出せば、宇宙のどこへでも、何でも運んだ。そして、そのニーズは多
種多様で、その数量も膨大なものであったため、「運び屋」と言う職種の就労者数は加
速度的に増え、一大産業となっていった。
当初、「運び屋」はその仕事の性格上、荒くれ者達の乱暴な職業。というイメージが
あった。実際、そういう者が多かったのは事実であり、非合法な仕事を請け負っていた
者も、決して少数ではなかった。
だが、その後、国際法下での整備も進み、結成された業界団体によって業界内のルー
ルが徹底され、またイメージアップが図られた。
それらの効果もありって、「運び屋」と言う存在そのものが、徐々に認められるよう
になっていったのだった。
イメージアップで使われたシンボルデザインが、3本の矢をイメージして描かれた物
だったため、いつの頃からか「運び屋」は「トライアロー」と呼ばれるようになり、つ
いには、子供のなりたい職業アンケートの10位前後にランキングされるようにまでな
っていた。
そして、長い年月の間に、トライアローの仕事も、微妙な変化と細分化と言う過程を
経た。
宇宙を飛び回るだけではなく、地上のみでの仕事も請け負うようになり、物を運ぶと
言う名目が契約にあれば、どんな仕事でもこなすようになっていた。
物を運ぶ、と言う本来の仕事をこなす者でも、自分の船を持つ者、必要時に借りる
者、公共機関を利用する者等、様々な形があり、果ては、ほとんどボディーガード専門
と言う者までいた。また、個人で行動する者もいれば、企業として活動する者達もお
り、その活動形態も様々だった。
彼らに共通するのは、船、服やアクセサリー、名刺等に描かれた、3本の矢のトライ
アローのシンボルマークであり、それは一つの彼らの誇りでもあった。
トライアローは、銀河宇宙と言う広大なフィールドを支える重要なファクターとなっ
ていたのである。
ビリーとサリーの二人は、繁華街から少しはずれた通りにある、オープンカフェで休
んでいた。
ビリーがコーヒー、サリーがミルクティーをオーダーし、二人の前では、それぞれの
カップから白い湯気が上がっていた。
「大体、あなたって、トラブルに巻き込まれる事が、ちょっと多いんじゃないの?」
ティーカップを口元に運びながら、サリーがいぶかしげな表情でそう言った。
「まあ、商売柄、どうしても、そうなってしまうわな」
平然とビリーは答えたが、サリーは自分の言わんとしていた事を、もっとストレート
に畳み掛けた。
「私が言いたいのは、あなたの性格よ。
おせっかいと言うか、物好きと言うか、自分から火の中に飛び込んでいくようなとこ
ろ、あるでしょ?」
痛いところをつかれ、旗色の悪さを認めたビリーは反論せず、コーヒーカップに口を
付けた。
サリーの方もあえてそれ以上は攻めず、一言だけ付け加えた。
「だから、程々にしなさいよ」
苦笑いを浮かべ、ビリーは2度、ゆっくりとうなずいた。
一旦会話が途切れ、お互いの飲み物がなくなりかけた頃、サリーが口を開いた。
「ところで、これからどうするの?」
「とりあえず、船に戻る。宇宙港にいけば仕事はあるだろうから、行き先はそこで決
めようと思ってる」
「そっか、それじゃついでに乗せてもらうわけにはいかないか」
「乗るって、どこまで?」
「アースHPまで」
その答えに、ビリーは腕を組み、うーむと唸って、重く口を開いた。
「・・・やっぱり、警察局の本部へ行くのか」
「なんか、都合悪いの?」
「都合が悪いと言うか、税金の申告には、まだ、間があるからなぁ。
俺には、あそこへ行くメリットがないっていうのか?」
「いいじゃない、別に予約はないんで・・・」
サリーの言葉は続かなかった。
彼女自身に、何かあったわけではない。
目の前のビリーの表情に、この場の雰囲気にそぐわない、緊張の成分が見えたからだ
った。
ビリーは、この時、異様な感覚にとらわれていた。それは理屈ではなく、危険を感じ
とる嗅覚とでも言うべきものだろう。
だが、聞こえたような気がしたのだ。危険な音、撃鉄が起こされる音を。
ビリーには、それで充分だった。
「どう・・・」
どうしたの?とサリーが聞こうとした時、隣の空席となっていたテーブルに、男が倒
れこんだ。
正確に言えば、走ってきて、転んだように、テーブルに倒れたのだ。
オープンカフェには、何人かの客がいたのだが、悲鳴は上がらなかった。誰しもが、
何が起きたのか、理解できなかったのだ。
だが、ビリーとサリーは違った。
男が倒れこんできた時、確かに聞いたのだ。一発の銃声を・・・。
ビリーはテーブルをひっくり返し、自分たちの盾にすると同時に、スペーススーツに
隠し持ったハンドガンを取り出し、身を伏せ、辺りの状況をうかがった。
同じく、サリーも、スーツのわきの下の、エネルギーガンのグリップを掴んでいた。
しかし、彼女がビリーと違っていたのは、身を隠しながらも、銃を構えこう言ったこ
とだった。
「動かないで!! そのまま銃を捨てなさい!!」
サリーの照準の先に、男がいた。
外見はごく普通の、町並みにすっかり溶け込む服装だった。
たが、ビジネススーツ姿のその男の右手には、鈍い黒い光りを放つ、ハンドガンが握
られていた。
男は、再び拳銃を構える様な事はせず、そのまま、身を翻し、状況を掴めないでいる
雑踏の中に消えていった。
「待ちなさい!!」
それは職業病とでもいうべきか? ほとんど反射的に、サリーはその男の後を追うよ
うに駆け出していた。
一方、ビリーは『仕事熱心だこと』と内心で思いながら、ビリーの横で倒れている男
に、這うように近づいた。
仰向けに倒れているその男の腹部から、大量の鮮血が溢れ、薄いベージュのジャケッ
トを赤く染めていた。
適切、かつ迅速な治療が施されない限り、致命傷なのは明らかだった。
当然のことながら、そんな施設はここにはなく、ビリーにもそういう技術はなかっ
た。
だからと言って、瀕死の人間を前に座していることは彼には出来ない。
「救急車を!!」
何も出来ず、右往左往する辺りの人間にそう叫びつつ、スペーススーツの内ポケット
から、緊急用の止血テープを取り出した。
男の服を破りつつ脱がすと、男のかよわい声がビリーの耳朶に届いた。
「運び屋か?」
「そうだ! 今はボランティアだがな」
「これを・・・」
と、言った男の声に、ビリーは正確に反応できなかった。
「いいからしゃべるな! 今、もうすぐ救急医療車が来る」
と答え、止血テープを傷口に抑えていた。
男の震える手がその傷口に近づき、ビリーの視界に入って後、ようやくその言葉の意
味が理解できた。
男の手に、一枚の紙片が握られていたのだ。赤い塗装が施されたそれは、各国共通の
簡易郵便書簡、つまり「ハガキ」だった。
一瞬動きを止め、男の顔を見やる。すでに青ざめ、朦朧としているであろう意識の
中、男はつぶやいていた。
「届けて。・・・届けてくれ」
それが何を意味するものか判らないビリーではなかったが、答えはしなかった。まず
は治療に専念することが重要だと思ったのだ。無論、外皮から流れる血を止めたからと
言って、内部の器官を傷付けたままではどうしようもないし、そもそも、市販の止血テ
ープでは出血を止め切れず、ビリーのしていること自体、気休めでしかない。
すでに声を出す事すら、困難になった男が、なおも目だけで懇願する様子に、ビリー
も折れた。
「判った。確かに請け負った。そのかわり、報酬はもらうからな!
だから、頑張れ! 気を張れ!」
ビリーはそう叫んだが、男の瞳から急速に光が失われていくのが、はっきりと見て取
れた。
一方、加害者である男を追ったサリーだったが、人並みと慣れぬ町並みによって、完
全に見失ってしまった。
それでも、しっかりと確認した男の特徴を、リストフォンで市警察に報告しながら、
オープンカフェへと帰ってきた。
騒然とした中、救急医療車が駆け付けたところだった。
その中に、男の胸の辺りに両手を載せ、心臓マッサージをしているビリーの姿があっ
た。車から降りた救急医療師にすぐに交代したが、それまでに相当の時間を費やしてい
たのだろう。額には汗がにじみ、呼吸もやや荒かった。
光沢のない白いグローブが、血糊によって赤黒く変色していた。
歩み寄るサリーに向けて、ビリーがようやく口を開く。
「なあ」
「なあに?」
重苦しい空気を感じたサリーは、なるべく平静を保った声で聞き返した。
「これは俺の性格のせいじゃないよな?」
「・・・ばか」
ふざけているわけではない。二人とも人の死に一般の人間よりは慣れてはいるが、そ
ういう口でもきかなければ、空気の重さを振り払えないように感じたのだ。
ただ、何度経験しても、それが成功した例を、少なくともサリーは知らない。
わずか4時間ほど前に国家警察局から開放されたと思ったら、今度は市警察での事情
聴取を受けるはめになった。これほど短時間に、一つの国の警察機構に別件でかかわる
経験は、さすがにビリーにもなかった。
ただでさえ気が滅入る現場に出くわし、”警察にご厄介”になったのだから、気分の
良いわけはないのだが、それに輪をかけてビリーの気分を沈ませたのが、ビリーの聴取
を担当した刑事だった。
『なんでこいつは、こんなに陰気なんだ』
ビリーは言語化せずに毒づいた。馬が合わない。相性が悪いとか言う以前に、その存
在自体がビリーには馴染めない。
何人も捜査官がいる広い部屋の中にあって、ビリーのいる空間だけ、異様に照明が暗
いような気がしてならなかった。
その担当官はレル・ヲルと名乗った。低い背と明らかに標準体重を越えている体格を
し、顔色の悪い額に汗をかきながら、その彼が、ぼそぼそした声で、事実確認を続け
る。
「それで、なんだね。背中から撃たれ、そのまま倒れこんだが、君が駆け寄った時には
仰向けになっていたんだよね?」
『何回、同じ事を言わせる!?』
そうは思っても、それを口にはせず、精神的に我慢を強いられながら答えていった。
『ああ、早く、空に行きたいぜ』
ビリーの魂だけが、目の前の机に突っ伏して、そう呻いた。
同じ頃、サリーも同じような苦情をもらしていた。ただし、こちらは口に出していた
が・・・。
「一体どういうこと? 報告書は出したでしょ? ここにとどまらなけりゃならない理
由が、なんかあるの?」
相手は市警察の捜査官ではなく、通信用モニターだった。
亜空間通信によって、銀河警察局に呼び出されたサリーは、事件に関わるよう、つま
り現地にとどまるように連絡を受けたのだ。
確かに、人一人が死んだのだ。重大事件ではあるが、警察局の関わるべき事件ではな
いように思える。
元々、国家間にまたがる事件の調整役というのが、銀河警察局の生い立ちである。
国家内の事件に関わるのは、内政干渉になる。通常、そう言った事はしないはずであ
る。
『つまり、国家間に関わること?』
サリーはそう察知したが、それは口にしなかった。
状況によっては、この市警察が”敵側”になるかも知れないからだ。
「状況によって」すなわち、最悪、この通信が傍受されている可能性もある。そう言
った経験と勘は彼女にはあったので、それ以上のやり取りをする事無く、多少の演技力
を動員し、しぶしぶと言った風情で通信を切った。
『どうも、嫌な予感がするわねぇ』
そんな事を思いながら。
犯罪を犯したわけではないのに、精神的な重圧を受けた事情聴取から解放され、ビリ
ーが国際宇宙港に帰ってきたのは、日もどっぷりと落ちてからだった。
「一日つぶれちまったじゃねえか」
行き交う人の波をとかきわけ、苦情を呟きながら、貨物情報カウンターセンターを抜
け、彼の宇宙船、プロパリアーの駐機エリアへ向かう通路へ歩いていくと、そこにサリ
ーが待っていた。
「こんなとこで、何してんの?」
開口一番、ビリーのせりふがこれだった。
「何? それは? ずーと待ってた人に対する言葉?」
「いやあ。もう帰ったって聞いたから、会えるとは思わなかったんだよ」
取り繕う空気を察しながらも、サリーはそれを追及はしなかった。プロパリアーに向
かって、二人は歩き始めた。
「本当は、もう行かないといけないんだけど、顔、見たかったから」
と、サリーが言うと、一瞬、まんざらでもなさそうな表情を浮かべたものの、すぐに
懐疑的な表情に戻っていった。
「かわいいこと言ってくれるじゃない。柄じゃないぜ?」
「悪かったわね。 ・・・ところで今度はどこに行くの?」
「本題はそれか? 残念、アースHPには行けないよ。ロングランドに行くんだ」
サリーには意外な行き先に思え、その意のままの表情になった。
「ロングランド? 隣じゃない?」
「ちょっと訳有りでね」
ビリーはそう言っただけだった。
サリーはその理由を詳しく聞きたいとは思うのだが、それを口にしないのが彼女だっ
た。
「じゃあ、しょうがないか」
それが、昼間の会話の延長にあるものだと理解したビリーは、「悪いな」と言った。
彼は知らない。命令を受け、サリーがまだ、この星に留まることを。
サリーとしても、少なからず演技力を動員しての台詞だった。この星に留まること自
体は隠す必要はないのだが、さりとて、大げさにしていいものではない。捜査の状況を
もらす事は、本来、どんな些細なことであっても、ならない事なのだから。
サリーは、そんな自分の職業を、ほんのわずかではあるが煩わしく思いつつ、ビリー
に聞いた。
「で、いつ発つの?」
「うーん。荷物の発注が明日になるから、明日の夕方ぐらいになるかな?」
「じゃあ、船に泊めてくれない?」
あまりにも、あっさりとサリーは言い、ビリーは気の効いた返答が出来なかった。
「はぁ?」
我ながら間が抜けた声だと思い、改めて、中身の伴った返事を口にした。
「ホテルはどうしたんだ?」
「部屋は今日までしか取ってなかったのよ。すぐに出発するつもりでいたから。
そしたら、あれでしょ? 今から部屋押さえるの、面倒じゃない」
「金は取るぞ」
「え〜、私から、料金取るのぉ? 嘘でしょぉ?」
わざとらしく、涙目をしてサリーがそう言うと、ビリーもわざとらしく、苦り切った
表情を浮かべる。
「せこいなあ、お前は」
もっとも、申し出そのものを断る理由はビリーにはなかった。
漆黒の宇宙空間を、ビリーの宇宙船「プロパリアー」は突き進んでいた。
大気圏航行の用途も考慮して、先尾翼の航空機のようなシルエットをもったシルバー
グレイの機体。全長126メートルと言うのは、個人所有としては標準的なクラスであ
る。
鋭く尖った機首より、3次元曲線で膨らんだボディラインは、腹部より後部へと直線
的に続く。後部のエンジン部分の上部に、ブロック構造のモジュールが加わり、その上
に、やや左右に広がった2枚の垂直尾翼があった。
曲線基調の機首から、直線基調の腹部へと変わる部分の左右にエアインテイク部分が
広がり、その口元に左右の水平尾翼。後方に伸びるエアインテイクブロックは、エンジ
ン部分で、さらに左右に広がり、その部分に左右主翼が広がっていた。
V3型と呼ばれる、頂点を下にした三角形にレイアウトされた3基のエンジンが、主
推進装置である。
機体の中心付近、やや前方の腹部に、3本のオレンジ色の矢をデザインしたトライア
ローのマークがあり、その下側に、アルファベットで”BILLY'S SHIP PROPALIER”と描
かれていた。
垂直尾翼の付け根部分に「SUMLU 211B」という認識番号があり、それ以外
は、特別なマーキングは施されていない。
機首部分の一番膨らんだ部分近くの、機体頭頂部に直視スクリーンがあり、そこから
内部がうかがえた。
ビリーはそこにいた。
サリーを「丁重に」送り出した後、ロングランド連邦行きの貨物を積み込み、国際宇
宙港を飛び立ったのは、サリーとの再会を果たしてから、きっかり25時間後だった。
プロパリアーのコックピットは狭い。2枚の直視スクリーンに正対して2つの操縦席
があり、そのうしろに予備シートを設置できる空間があるだけである。天井も低く、そ
の天井にも、計器やスイッチ類が並び、内装も黒が基調となっているため、閉塞感がか
なりある。
そのコクピットの、音声が流れる。
「ところで、なんでわざわざロングランドなんだ? 理由は聞かせてもらえるんだろう
な?」
ビリーに向けられたその声の主は、室内には見当たらない。だが、ビリーにとって、
それが当たり前だった。
「うーん。依頼を受けたんだ」
彼が返答しているのは人間ではない。
通称SPC、船内コンピューターと呼ばれる「人格」だった。
「第7世代、第5系統派生型、40番台タイプコンピュータ」
正確にはそう表記されるが、それを空で暗唱できる人間はそう多くはいない。
簡単に言えば、感情を持ったコンピュータとなるが、言うほど簡単な物でもない。
技術的なことはともかく、基本的に一人か二人が単位の運び屋にとって、航法や進路
計算などをしてくれる、SPCなくしては、単純な宇宙空間航行すら成り立たない。
ただ単に便利と言うことだけではなく、会話やゲームをしたりする、生活上でのパー
トナーと言っても過言ではないのだ。
プロパリアーの居住区の一番奥まった個所に本体が設置されているが、「表情」に当
たるモニター、端末は船内至る所にあり、コクピット内では、直視スクリーンの手前上
部に2つのモニターが後付けされおり、そこに幾何学模様が浮かんでいた。
名前は「ノービス」とつけられていた。
そのノービスの質問に答えるため、ビリーはポケットから一枚の紙片を取り出した。
それは昨日の事件で殺されて男から、死の直前に手渡されたハガキだった。
血液が付着し、所々黒い染みを作っていた。その様子に、ノービスなりの重い口調で
こう言った。
「いかにも、いわく有りげだねえ」
各惑星間、国家間の通信形態が、亜空間通信を利用した音声や画像でのやりとりや、
デジタルレターが主な手段となった現在でも、紙を利用した通信、つまり郵便も盛んに
使われている。
通信を利用すると機械を使う手間がどうしても必要となるし、結局、「紙と鉛筆」に
勝る記録と伝達の方法を、人類は考え出せていないのだ。
無論、較べようもなく時間はかかるが、手紙を愛用する人間が絶える事はなかった。
実のところ、全ての国家間を統括する機関はない。各国家間の郵便機関同士で提携し
あっているのが現状で、その中には民間の機関があったりして、郵便物に対する基準は
ばらばらであると言っていい。
トライアローも郵便機関に委託されて運ぶ事はあるが、だからと言って、一通単位の
郵便物を運ぶことは滅多にない。
一言で言ってしまえば、「割りがあわない」のだ。
ビリーにとって、今回の仕事はボランティアに近い。死の間際の、見知らぬ男からの
依頼である。形の上では契約になるが、料金はもちろん回収できない。
「ポストに入れてしまえば済んだだろうに」
とノービスは言った。ビリーはもっともらしく、こう反論した。
「こんなに血痕が付いてちゃ、怪しまれるだろ?」
「それなら、警察に証拠として提出するとか」
「”生前に、依頼されたもの”だぜ?」
わざとらしい口調でそう言った後、さらにこう付け加えた。
「提出を要請されたのならともかく、そうでない限り、遺言として守らないと、な?」
端的に言うと、それがビリーの本音だった。
理屈や損得ではなく、命を賭した言葉、約束はできる限り守る。と言う性格なのだ。
「で、行く先がロングランド連邦となるわけか」
ビリーに事情を説明され、納得したようにノービスが言った。
「で、なんと書いてあるんだ?」
「通信の中身を知ってはいけないってのは、通信業務の常識だぜ?」
興味本位のノービスの質問にも、にべもなくビリーは答えたが、そこはノービスも知
ったもので、「よく言うよ」と言って、追及の手は休めない。
「カードの中身なんざ、見放題じゃないか? それに、それは郵便物じゃなくて、法律
上は単なる荷物だろ? 秘密を守れば問題ないじゃないか?」
確かにその通りではある。
それに、ノービスを相手に、生真面目に法律を守ってもしょうがない。渋々と言った
表情でビリーは文面を読み上げた。
はがきは片面に風景写真が描かれ、もう片面に宛名、差出人、そして文面が書かれる
タイプのもので、短い本文が書かれていた。ビリーがそれを読み上げる。
「元気かい。こっちは元気にやっているよ
そう言えば、前、話した、動物園のライオンに、無事、子供が生まれたよ。
男の子だそうだ。
そうそう、部屋の模様替えをした。壁紙を変えてイメージを変えたんだ。
しばらくしたら、そっちへ行けると思う。
それでは、お元気で」
言い終えて、ビリーがはがきから目を離すと、ノービスが多少落胆したような口調で
言った。
「なんだ、それだけ?」
「そう、それだけ。何が書いてあると思ったの?」
「だって、死を目前にした人間が、わざわざ託したんだろ?
訳ありだと思うだろ? 普通」
第三者が聞けば、不謹慎の謗りを免れないような事を、ノービスは口にする。だが、
ビリーも似たようなものなので、それを指摘したりはしない。
「まあ、そりゃそうだが、意外とそんなもんじゃないの? 人間なんて」
この時、ビリーはあえて不安の残る点を無視していた。考えれば犯罪に巻き込まれた
者の依頼に、何も裏がないと考える方が軽率であるし、それ以前に、妙な「匂い」をビ
リーは感じとっていた。それは職業的な勘と言うべきものだが、今回はそれより、男の
「遺言」の方が重要視された。
結果的には、勘を信ずべきであったのだが、今のビリーには知る由もない。
彼はふと、まったく別の、根本的な事を思い出した。
『そう言えば、名前をなんていうんだ?』
男の名前を聞かないでいた事を、ようやく思い出したのだ。
はがきの差出人は、「パウル・シュタインメッツ」となっていたが、それが故人であ
るとは限らない。可能性は限りなく高いが・・・。
『あとで、ニュースを拾ってみるか』
ビリーはそんなことを考えながら、進路の計算をノービスに命じた。
ビリーがケルサバル連衆国を飛び立ち、ロングランド連邦に向かう航路に乗ったこ
ろ、彼を担当したコラムトリトーン市警察の捜査官、レル・ヲルは昼食を取っていた。
彼の好物であるライ麦パンのサンドイッチの最後の一片を口に入れた時、上司である
部長が彼を呼んだ。
のこのこ、と言った足取りでデスクの前に行くと、そこには見ず知らずの二人の男が
立っていた。
二人とも2メートルになろうかと言う身長で、なおかつ、肩幅も人並み以上にある。
要するに鍛えられた巨体だった。だが、ふたりとも表情が無個性で、無表情だった。
ごく普通のダークスーツを着てはいるが、軍関係出身だと言う事が、レルにも判別が
付いた。
そんなレルに上司が憮然とした表情と声で言った。
「そのお二人に、お前が取り調べをした、トライアローの事を報告してやれ」
「はぁ?」
「このシュタインメッツ氏殺人事件は、この度、恐れ多くも国家警察局様が捜査を担当
されることとなって、市警察は全面協力しろと命令がおりたんだ」
「は?」
レルだけではなく、市警察の職員の誰もが同じ感想をもつだろう。
あまりにも唐突ある。市警察レベルの犯罪捜査を、なんの事前協議もなく、国家レベ
ルの捜査が専門である国家警察局が受け持つなど、前代未聞の話だった。
そんな戸惑いを意にもくれず、二人の捜査官が、レルに詰め寄る。
「医療関係者を除き、被害者に最後に接触した人物を、取り調べたそうだね?」
威圧的な声だった。本能的に気押されながらレルは答える。
「は、はい。ビリー・ロウェルと言う、運び屋。トライアローですが。
・・・報告書は、もう提出しましたが?」
「報告書にないものがあるはずなのだが、それについての供述は?」
「は?」
ひどく間接的な言い方に、レルはその真意を掴み兼ねていた。
男たちはそれ以上の説明をしようとはせず、顔を見合わせる。それは「ここは何も知
らない」という意思疎通の確認作業だった。
「では」
と短く言って男たちは捜査課の部屋を出ていった。レルは部長に聞いた。
「なんなんですか?」
「・・・俺が知るか!」
疑問だけが、そこに残った。
サリー・ホワイトは、一人の男性捜査官とコラムトリトーンのダウンタウンを、車で
移動していた。居住街と称されたそこは、この都市に始めから設計されていた地区で、
歴史は比較的古いが、治安はと言うと、スラム街ではない。という程度である。
オーソドックスなセダンの前の左側の席で、男の捜査官が運転していた。
サリーより多少若い。警察局に今年配属されたばかりで、学生というより、子供と見
られてもしょうがないような童顔だった。人は見掛けによらないとは言うが、『やって
行けるのかしら?』というサリーの第一印象も無理もなかった。
彼が本部からの連絡員として、サリーに接触して来たのが昨日の事で、自己紹介を兼
ねての連絡事項の中で、彼はレオン・タイと名乗った。
レオンは捜査資料と共に、一通の指示書をサリーに手渡した。
デジタルレターではなく、緊急の事態でない限り、指示書は紙面の文書で担当者に渡
されるのが、いまだに普通である。
助手席でサリーはその指示書に、目を通していた。昨夜から何度か目を通しており、
別段何かあるわけではない。だが、捜査資料と言っても、被害者の履歴や、わずかな写
真ぐらいしかなく、すぐに読み終えてしまった。
結局、指示書に”逆戻り”するわけなのだが、それとて特別なものではない。むしろ
「あいかわらず、なにも判らない指示書ね」と、サリーに酷評される類のものだった。
書面には、被害者であるシュタインメッツの身元を洗う事、と言う指示の他には、定
時連絡方法、時間、コードネーム等が記されている。後は「極秘裡に」という注意書き
程度しか書かれていない。
捜査の目的であるとか、事件の概要とか全体像などが、一切不明のままなのだ。
実のところ、こういう事は珍しくはない。国家間の微妙な関係を崩さないために、細
心の注意をするのが、銀河警察局と言う組織の性格だった。
高度に政治的な判断が必要とされる事案は、事態が決定的になるまで、事件の全容を
現場の捜査官にさえ秘匿するのである。
そのため、捜査上で「見落とし」をしてしまうと言う欠点もあるのだが、機密最優先
ではいたしかたない。というのが、現在の組織としての心境だった。
つまり、今回の事件も『高度に政治的な事案。というわけね』とサリーが内心でこぼ
す類のものだった。
運転席のレオンも、その点については、すでに教育を受けていたようで、何も聞いた
りはして来なかった。
「間もなく、目的地です」
車内に、中性的な運転補助システムのアナウンスが流れる。
やがて、二人が乗ったセダンが、居住型のビルの前に停車した。
「これは、・・・また」
呆気にとられたような口調で、車を降りながらサリーが言った。
二人の目の前に建っていたのは、「比較的新しい」高層ビルに挟まれた、歴史館のよ
うな風情の、薄汚れたアパートメントだった。性格には「貸し部屋」と言うべきか?
4階建てで、部屋数は単純に見積もって40前後と言うところだろう。
「なんか、いかにも犯罪者の根城って感じがしませんか?」
とレオンが、率直な感想を疑問にして口にしたが、サリーにも否定のしようがない。
苦笑いを浮かべて、玄関に向かった。
驚いたことに、玄関には管理人を兼任するだろう受付係がいた。建設当時、自動警備
システムが割高で、敷設できなかったのだろう。
ちょうどサリーの腰辺りにある狭い窓口から、かなり年老いた男が、怪訝な表情でサ
リー達を覗き上げた。
「お忙しいところ、すいません。
ここにお住まいになっていた、パウル・シュタインメッツさんについて、2、3お伺
いをしたいんですけれど?」
目一杯「営業用」の笑顔を浮かべながら、サリーが銀河警察局の身分証明カードを提
示した。
受付の男は渋い表情を浮かべた。それが何を意味するものか? サリーに判らないは
ずもない。
「またかい? 何度同じ事を聞けば、気が済むのかねえ、警察ってとこは?」
組織が違うんですよ。と言いたいところだが、それで納得はしてくれない事を経験上
知っているサリーは、その質問に答えたりはしなかった。そのかわり、優しい微笑みを
作りながらこう言った。
「みんな、仕事熱心なんですよ。犯人を逮捕するためにね」
ウインクのサービスまでつけると、受付の男の表情に、多少の柔らかさが浮かぶ。
「そうは言っても、4回目だよ?」
男の言葉にサリーの思考が一瞬たたらを踏んだが、それも本当に一瞬だった。気を取
りなおし、サリーは言葉巧みに、男から証言を聞き出していったが、結局のところ、さ
して収穫があったとは言えない。
共通暦で1年ほど前に入居したが、ただでさえ、このアパートメント自体の居住者間
の係わり合いが希薄な上に、シュタインメッツ本人も影が薄い印象があって、ほとんど
印象に残っていないのだと言う。
予想が出来た事とは言え、内心では肩を落とさずにはいられなかった。だが、それよ
りも次の一手に入る方が大切だった。
「ところで、部屋、見せていただけます?」
意識して甘い声でサリーは言った。
「令状、ないんでしょ?」
「だからお願いしてるんですよ?」
困ったような、それでいてまんざらでもないような表情で、受付の男は板状のマスタ
ーキーを差し出した。
「4012号室 20分だけだよ」
「ありがとう。感謝するわ」
そう言って、サリーはレオンと共にエレベーターホールに向かった。
「いいんですか? 違法捜査になりませんか?」
心配そうな表情でレオンが聞いた。
「現場初めて?」
「はい」
「まあ、健全な捜査とは言えないけど、ああ言った人は、ルールさえ守れば・・・」
「守れば?」
「黙っててくれるわよ」
いたずらっぽい笑みを浮かべ、サリーが言った。レオンは多少驚いたような表情を浮
かべながらも、ふむふむとうなずいた。
エレベーターで上がるつもりだった二人だが、階段で階上に上がることになった。
サリーは「なんとなく」と言うのだが、本当は、サリーが運動不足を気にしていると
いうのが、真相に近いのだが。
その階段で、先に階段を上がっていたレオンが聞いた。
「あの管理人さん、妙なこと言ってましたよね」
「え?」
「僕たちで4回目の聞き込みなんて。
そんなに何回も聞き込みしますか?短期間に?」
サリーは心の内で「さすがね」と言った。レオンの捜査官の資質を懸念をしていた
が、無能とは遠い位置にあるらしい事が判る。
「違う組織が、代る代る来たと考えるのが妥当ね」
「そうですよね」
「問題はどこが来たか? と言うことね」
「市警察と国家警察、ここの名前はそのまま国家警察局でしたっけ?
どっちかが2回来たか」
「第3の組織が来たか? ね?」
「ええ」
会話が一段落した時、二人は目的の部屋の前に着いた。
カードキーを差し、部屋に入る。
サリーが部屋に入りながらレオンに言った。
「さっき言ったルールの一つにね」
「はい」
「部屋の中の物は、何一つ持っていかないように。たとえ、メモ一枚でも」
「それじゃ、証拠固めになりませんね」
「何か持っていってしまうと、さっきの管理人も”誰も入っていない”とは言えなくな
っちゃうでしょ?」
「ああ、そう言うことですか」
「証拠にはならないけど、捜査のヒントにする事で我慢しましょ」
部屋に入っての、レオンの第一声は「意外と片づいてますね」だった。
捜査で、何か物はなくなっているかもしれないが、ワンルームの部屋はきちんと
づけられていた。
だが、サリーの感想は違っていた。
「片づいているというより、生活感がないって言うべきじゃないかしら」
生活感が故意に消されている。そう感じられたのだ。
さりげなく窓際に寄ったサリーは、レオンに言った。
「窓の外に一台」
かなりの単語を省略されたその言葉にも、レオンは的確に答えた。
「まだいますか? 男が二人。どう見てもここの張り込みですね。
しかも通常の警察組織なら、事情聴取ですぐに飛んできます。だけど、それがない。
どうやら、背後に何かありそうですね?」
このパートナーは新人だが信頼できる。サリーはそう思った。サリーの言うのは、窓
の外に見える、駐車された一台のクーペの事だった。
サリー達がこのアパートメントに来る前からそこにあり、しかも中の人間がこの窓に
視線を向けていたのだ。
それをレオンも気づいていた。と言う事実が、サリーに安心と信用をもたらした。
サリーは嬉しそうに言った。
「ね? 来て良かったでしょ?
とりあえず、被害者がどんな種類の人間か判ったんですもの」
レオンもうなずいた。