契りシリーズ。片桐彩子編 帰ってくる、帰ってくる。彩子が帰ってくる。 俺は駅の階段を駆け上がる。デスクワークばかりで鈍ったのか、足が思うように動 かない。しっかりしろよ、俺の足。 母校、私立きらめき高校の卒業式の日、俺は彩子の告白された。 「好き」 と。 そして俺達の時は始まった。彩子は絵の勉強をするために、フランスへと旅立ってい ったが、俺達の想いは変わらなかった。 途中、何度か帰国したことがあったが、それはあくまでも一時帰国だった。 だが、今回は違う。帰ってくるんだ。三年ぶりに、日本で生活するために。 列車が来なければ、いくら早く着いたとしても、彩子がいるはずはない。聞いた列 車の到着時刻には、まだ間があった。 だが、走らずにはいられなかったんだ。彩子が改札口で待っているような気がして 仕方がなかったから。 そして、改札口が見えた時、俺は唖然としてしまった。 そこには、高校時代の知り合いや、「友人たち」が集まっていた。 「あちゃーー」 俺は額に手を当てた。 そうなんだ。彩子の高校時代の交友関係は広かったんだ。 フランクで明るい性格は、男子、女子を問わず気軽に付き合うことが出来たんだ。 「遅いわよ。あなたが遅れたら、片桐さん、がっかりしたわよ」 「・・・詩織、来てたのか?」 「当たり前でしょ。片桐さんは、私のお友達でもあるんだから。・・・お久しぶりね」 「ああ、そうだね」 高校を卒業した後、俺は就職して一人暮らしを始めた。それ以来、詩織とは遠くな っていた。会うのは、お盆や正月に実家に俺が帰る時ぐらいだった。 はっきり言って、俺と彩子、そして詩織の間にはいろいろあったが、今はそのわだ かまりもとけている。 もっとも、この場にいる女性の中には、俺と多少なりとも関わり合いを持っていた 人も・・・、まあ、少なくないんだが・・・。 それにしても、彩子の交友関係には驚かされる。親友として聞いていた虹野さんや 朝日奈さん、清川さんなどはもちろんだけど、あの「超」が付くほど真面目な如月さ んまで、とは。・・・いやいや、意外と良い組み合わせかも知れないな。 他にも、名前の知らない彩子の知人と思われる人もいて、改札口の前は、ちょっと した同窓会といった風情だ。 人の流れが、ホームから降りてくる。時間からいって、彩子が乗っているはずの列 車から降りてきた人たちの流れだ。 「あ、彩ちゃんだ」 「ほんとだ」 声が上がった。 「ほら、あそこよ」 詩織が肘で、俺をつつく。 「ああ、判るよ」 そう、判る。どんな人混みの中にいたって、彩子の姿は判るんだ。 荷物は別便で送られるとは言え、とても、フランスから帰ってきたとは思えないよ うな軽装だ。 そんな彩子が俺達を認め、大きく右手を上げる。 「ハーーイ、エブリバディ。みんな、ただいまあ!」 フランスへ行ってたのに、相変わらず、あやしげな(笑)英語か。 苦笑いの俺の背中を、詩織が押す。 「ほら」 「お、おい」 反論を試みた俺だったが、そのまま彩子の前にでる。 「おかえり」 彩子が肯く。 「ただいま」 まわりの目に、多少冷やかす成分が含まれていることは判ったが、気にしなかっ た。 「あーあ、せっかくお出迎えに来たのに、彼がいるんじゃ、私達の出番はないなあ」 そんな声に、彩子が答える。 「ノン、ノン。せっかく来てくれたんだもん。みんなでパーーっと行きましょう。 ね?いいでしょ?」 そう俺にたずねる彩子に、肯いて答える。 「ああ、もちろんだよ。みやげ話をみんなに聞かせて上げなくちゃ」 「OK!それじゃ、カモン、レッツゴー!」 「ちょっと、待ってよ、彩ちゃん。どこに行くの?」 そう言った声に、彩子は答える。 「もちろん、久しぶりの日本の味を味わうのよ」 「日本料理?」 「うーーん、惜しいなあ」 残念そうな表情を浮かべながら、彩子は言った。 「日本酒よ!!」 「わーーー!」 歓声と拍手が上がる。 おいおい、いきなりテンション高いなあ。 「それでは、片桐彩子さんのフランスでの成功と、日本でのこれからのご多幸を願い まして、・・・かんぱーーい!」 朝日奈さんの乾杯の音頭で、グラスがあちらこちらで音を立てた。 20人ほどの集団が居酒屋で、宴会が始まる前から盛り上がっていた。これも彩子 の影響なんだろうか? 日本酒のグラスを一気に飲み干した彩子が、小さなため息と共に、感慨深げに言っ た。 「ナイス、テイスト。日本酒っていいわねえ」 「日本に帰ってきたって感じ?」 そんな声に彩子が答える。 「もちろん、むこうでも飲めないことはないんだけど、高いからねえ。 ほら、やっぱり、むこうじゃ、ワインだから」 (そんなものなのかな?) 俺はそんな事を考えながら、ふと独り言を言った。 「ワインとパンの生活・・・か」 「そうそう、それがね、最近、パンの替わりにシリアル食品が増えてきて、”パンを 食べよう”ってCMが流れるようになったの。 下宿の管理人の人も嘆いていたわ。”時代が変わったって”」 「ああ、それ、TVニュースで見たことあるよ」 虹野さんの声に、彩子は意外そうな声になる。 「OH、こっちじゃ、フランスの話題って早いのね。 むこうでは、日本の話はなかなか聞けないから・・・」 そう言って彩子は、グラスを傾ける。 「ところで、彩ちゃん。これから日本でどうするの?」 朝日奈さんの問いかけに、彩子は答える。 「まあ、一応、フリーとして活動する事になってはいるんだけど、お仕事の都合をつ けてくれる人もいるし、なんとかなるでしょう」 気楽にそう言った彩子は、俺の腕を取る。 「お、おい」 俺の戸惑いを、彩子は全く無視して、たからかに宣言した。 「アンド、この人と結婚しまーーす!!」 「えーーー!!!?」 「ほんとにーー!?」 歓声が沸き上がり、何事かと、居酒屋にいた客の何人かがこちらを向く。 「彩子。それはまだ、親にも言ってない事だろ!?」 俺の反論も彩子は意に介さない。 「いずれ、言う事なんだもん。それとも、親を説得させる自信がないの?」 「いや、それは、任しておけよ」 冷やかしの声が上がる。 「OK、ならいいでしょ。幸せはみんなで分かち合わなきゃ」 相変わらず、意表を突いた理論の彩子だ。 「ねえ、プロポーズはどっらから?」 「オフコース、もちろん、彼の方からよ。国際電話でね・・・」 彩子の、まるで、いや完全に、のろけ話が場を盛り上げる。 照れる俺のグラスに、ビールが横から注がれた。 「詩織?」 詩織が微笑み、ビール瓶を傾けながら言った。 「おめでとう」 「・・・ああ、ありがとう」 俺はグラスを一気に飲み干した。 朝日の中、俺はベッドの中で目を覚ました。自分の部屋だが、何かが違う。それ は、俺が服を着ていない事だった。一応、トランクスははいているけど。 「グッドモーニン、おはよう」 びっくりしたなんてもんじゃない。目を向けた先に、俺のYシャツを着ただけの 彩子がいた。すらりとのびた白い素足がまぶしい。 だが、その直後、俺は愕然とした。 昨夜は、盛り上がった後、2次会、3次会となだれ込み、アルコールのおかげで 気の大きくなっていた俺は、彩子に、 「俺の部屋に泊まらないか?」 と言った。 呆れたことに、彩子はこの日、泊まるところを決めていなかった。 「テイクイットイージー、なんとかなるわよ」 という事だそうで、誰かの家に泊まるつもりだったらしい。 で、俺の提案を受け止めたんだろう。 部屋に通し、冷蔵庫にあったビールを開け、キスして、抱きしめて、・・・その後、 その後は?・・・ ソコカラサキノ、キオクガナイ・・・ 生まれて初めて、血の気が引く音を聞いたような気がした。 「コーヒー、インスタントしかないみたいだけど、入れる?」 「え、ああ、頼むよ・・・」 そんな俺に構わず、彩子はキッチンでコーヒーを入れる。 「フウーン、卵と、食パンだけじゃ、出来るのは限られるわね」 どうやら、朝食を作るつもりのようだけど、俺はそれどころじゃない。 なんとか記憶を取り戻そうとするのだけれど、真っ白になってしまって、全然、 思い出せない。 ともかく、彩子の目を盗むように、Tシャツとパンツをはき、テーブルに付く。 「スクランブルでいい?」 「あ、ああ、いいよ」 声が虚ろなことは、自分でも判る。 良い匂いと共に、食パン、スクランブルエッグ、そしてコーヒーが俺の前に並ぶ。 「プリーズ、どうぞ。口にあうかどうか判らないけど?」 「ああ、いただきます」 俺は、スクランブルエッグを口に入れる。 「うん、なかかなかいけるよ」 「リアリイ、本当に?」 「本当だよ」 それから二人は、たわいもない雑談を交わしながら、朝食をとったんだけど、不意 に彩子が言った。 「私、昨夜の事は、一生忘れないわ」 俺は口にしていたコーヒーを吹き出してしまうとこだった。 「さ、昨夜の事って!?」 動揺する俺に構わず、遠い目をしながら、うっとりした声で彩子が続ける。 「とっても素敵だった。そりゃ、痛くないと言えば嘘になるけど、大切に守ってきた ・・・やだ、恥ずかしいわ」 両頬を両手で押さえながら首を振る彩子に、俺はめまいすら覚える。 こんな時、どうすりゃいいんだろう? 俺は悩んだ。だけど、嘘でごまかしたって、いずればれる。ならば・・・。 「ごめん、彩子!」 俺はテーブルに両手をつけて頭を下げた」 「ホワイ、どうしたの?」 「じ、実は、そ、その。・・・憶えていないんだ。昨夜のこと・・・」 俺は最後まで言葉を続けられなかった。 彩子が、信じられないと言った表情で、俺にまくし立ててきたからだ。 「アンビリーバブ、信じられない!憶えていないですって!? あの熱いキスを?愛してるってささやきを?とけるような愛撫を。 あなたはみんな、忘れたって言うの!?」 「ゴメン!」 再び頭を下げ、謝った俺が、顔を上げたとき見たのは、両手に顔を埋め、肩を震わせ る、彩子の姿だった。 「信じられない、忘れてしまったですって?」 「彩子・・・」 俺は何も言えなかった。 わなわなと肩を震わせ、彩子の嗚咽が大きくなる。 「ウッウッウッ、クックックッ・・・」 ところが、それが途中から笑い声に変わった 「ハハハハ、やだもう!まんまと騙されるんだもん、おかしい!!」 茫然とする俺に彩子が言った。 「あなたったら、有無を言わさず私を抱き上げ、ベッドに押し倒すんだもん。 酔った勢い、て言うのには少し抵抗あったけど、私も入っていたし、まあ、いいか な?と思って覚悟を決めたのに・・・。 自分で服を脱いだと思ったら、そのまま寝ちゃうんだもん。 私、呆れちゃったわ」 本当に、呆れた表情で彩子は言った。 「そ、それじゃあ」 「オフコース、もちろん、それっきりよ。清らかな夜だったわ」 そう言って彩子は再び笑った。 「バット、でも、怖かったのもあったから、脅かしてやれって思ったのよ」 「それでか・・・」 俺はホッとしたような、がっかりしたような感じだった。 「あー!がっかりしてるでしょ?」 「違うよ!・・・いや、そうかな、やっぱり」 俺の言葉に彩子はクスリと笑った。 「私も、ちょっと、がっかりだったかな?」 (え?) 俺は彩子の顔を、改めて見た。 ほんのり頬を染めた彩子に、俺の心臓が跳ね上がる。 (可愛いなあ) そう思った俺の口から、とんでもない台詞が飛び出してしまった。 「続き、しない?」 しまったと後悔してももう遅い。 いかにも信じられないといった表情で、彩子は言った。 「アーユーシュア?本気で言ってるの?こんな朝から?」 「いや、あの、なんて言うか?俺はいつでも本気だけど、今、と言うわけじゃないっ て事で、そりゃ、そうしたいのはやまやまだけど、あくまでそれは、俺の考えであっ て、それを彩子に押しつけるつもりはないし、・・・何を言ってるんだか、俺は?」 しどろもどろになった俺の顔を、彩子は冷やかすように笑いながらまっすぐに見つ め、そして、くすくす笑う。 「時差ぼけなのよね」 「ヘ?」 「・・・だから、ちょっと眠りたいなあ・・・。って思うのよねぇ」 「・・・彩子」 彩子は俺の口に人指し指をあてて、そっと言った。 「部屋を暗くしてくれる?」 「何がおかしいの?」 腕の中で、思い出したように笑う彩子に、俺は聞いた。 「だって、昨夜のあなたったら・・・アハハハ」 「なんだよ?」 「彩子、彩子って、寝言で繰り返し言うんだもん」 「え?本当に?」 「イエス、本当よ。私、照れくさくって」 俺は恥ずかしさで、枕に顔を埋める。 「でも、嬉しかった。他の女の人の名前じゃなかったから」 「当たり前だろ」 「・・・ねえ」 「何?」 「・・・私の事好き?」 「・・・ああ、好きだよ」 「私もよ」 彩子が両腕を俺の首に回し、続けた。 「・・・でも」 「でも?」」 彩子がおでこに自分の右拳を当てて、苦笑いを浮かべる。 「・・・痛かったなあ」 「・・・ごめん」 彩子はクスクスと笑いながら言った。 「責任、とってね」 「ああ」 .........................おわり 後書き 実は片桐編は、最初、考えていた話とは全然違ってしまいました。 結構早く手をつけたのですが、なかなか進まず、その内にこの話になってしまった のです。 最初の話では、もっと、かっこいいというか、トレンディドラマ(老語)のような ノリだったんですけど、こっちの方が気にいってしまったんですよね。 本来なら作中で述べるべき事なんでしょうけど、この二人はこの時までに、いわゆ る「B」まではしています。 その設定を入れようとしたんですが、入れるところもなく、なくてもいいかなと思 ったので省略しました。 また、別の裏設定では、二人とも仕事は続けていくという事になっています。 同じ理由で省略しました。