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獅子の嫡子<6>



 足音も高く、サリーは市警察の階段を駆け上がっていた。
 その後ろにはレオンも続いていた。エレベーターの待時間が惜しく、行動に出てしま
ったサリーを追い掛ける形になった。
『待っていたほうが、結果的には早いのに』
とは、さすがに口には出せなかった。
 目的のフロアに上がると、そのままの勢いで、捜査課のドアを開け、責任者である刑
事部長のデスクに直行した。すりガラスのドアを開け、何事かという表情で、デスクワ
ークに携わっていた男の正面に立つ。
 スーツの内ポケットから一通の書類を取りだし、荒い息のまま、まくしたてるような
口調でこう言った。
「銀河警察局の正式の書類です。シュタインメッツ氏殺害事件について、協力を要請い
たします!」
 刑事部長の名前は「ベルクェル」だと、胸にかかっている身分証明証で、始めてサリ
ーは知った。初対面ではないのだが、その時は、状況から、それほど重要な人物ではな
いと確認しなかった。なにしろ正式な捜査要請はなく、単なる事情聴取を受ける側だっ
たからだ。
 だが、今は違う。この中年のいかにも叩き上げと言う雰囲気を持つ男性は、捜査の上
での大切な人物なのだから。今までは(公然の秘密だとしても)内密の調査をしいたげ
られていたが、正式な命令が下り、調査協力の要請書が発行されたのだ。
 彼は、その重要なパイプとなる。
 サリーの思惑に反して、ベルクェルの反応は熱の冷めたものだった。困ったような様
でいて、それでいて苦笑するような表情で、サリーの差し出した要請書に目を通した。
 ちょうど持っていたペンで、額を軽く掻きながら、ゆっくりとサリーに視線を移す。
「で、どうしろと? 協力をしたいのは山々なんだが、捜査権はもう、うちにはないん
だよ。勝手に動くわけにはいかないんだ」
 それは決して見下したような口調ではなかった。むしろ自嘲気味のそれだった。彼と
て管轄下で起きた事件を、自力で解決できない悔しさがある。実のところ、勝手に捜査
は進めていたが、それも手詰まり状態だったのだ。
「ともかく、こちらの捜査資料を見せていただけますか? 無論、こちらの進展状況も
明らかにします。
 まずは、それからでしょう」
 サリーに代わって、レオンがそう切り出した。
「おおっぴらに動けない者同士で、協力するわけか」
 やや卑屈な声のベルクェルに、サリーがテーブルに両手を乗せ、身を乗り出すように
追い討ちをかけた。
「今もこうしているうちに、無実の人間に危機が迫っているんです。
 時間があるとはいえないんですよ!」
 サリーの表情を凝視したベルクェルは、『娘と同じぐらいの歳だな』等と言う、現状
とは全くかけ離れた事を考えつつ、内線電話のマイクのスイッチを入れた。
「レル、こっちへ来てくれ。君の事件で用がある」
 程なく、一人の捜査官がドアをノックして入ってきた。
 その男はサリーにとっては初対面だが、ここにビリーがいれば、嫌な顔の一つも浮か
べただろう。
 彼、レル・ヲルは、ビリーを取り調べた捜査官で、その陰気な雰囲気はサリーにも直
感的に伝わってきたほどだった。
 ただ、同時に、その目付きが以前のそれとは微妙に違うと、ビリーなら思ったはずで
ある。陰気なだけではなく、その目には鋭い眼光が確かに潜んでいた。
「レル。例のヨンイチマル。こちらの銀河警察局の方と追ってもらう。とりあえず、互
いの資料交換から始めるから、用意してくれ」
 その指示が、うっすらではあるが、レルの表情の明度を増す事となった。
「了解しました。5分お待ちください!」
 と言うが早いか、彼は部屋を飛び出していた。
 少なからず疑問の成分を表情に滲ませるサリーとレオンに、ベルクェルが補足説明を
した。
「あいつは、お世辞にもいい奴とは言えないが、条件が揃えば、腕の立つデカだから、
きっとあなた方の役に立ちますよ。
 もっとも、表立って行動できない現状では、奴一人しか、人員が確保できないのだが
ね」
「条件?」
 サリー、レオンの声が揃った。
「あいつは、自分をバカにしたような事をした相手を忘れないんだよ。
 良く言えば執念深い。悪く言えば根に持つタイプというやつさ」
「・・・」
 言葉のでない二人に、ベルクェルは続ける。
「国家警察の奴に、”重要容疑者をむざむざ帰すとは、とんだ間抜けだ”みたいな無茶
苦茶な事を言われたらしいんだ。それを未だに引きずって、一人で事件を追っていたわ
けだ。
 まあ、人間的にはともかく、デカとしては重要な資質だ。その点だけは保証するよ」
 人間的にはともかく、デカとしては重要な資質だ。その点だけは保証するよ。
 俺達は、スッポンと呼んでいるんだがね」
『なるほどねぇ・・・』
 なんとなく納得できてしまった、サリーだった。
 
 
 
「今なら、まだ間に合いますよ」
 レルがそう言ったのは、サリー達が追っていたミリンダ・ラファエルの件についてだ
った。
 シュタインメッツとミリンダに接点がある事は市警察での捜査でも浮かび上がってい
たのだが、どう言うわけか、国家警察局からは資料提出を求められただけで、遺体に関
しては全く指示がなかったのだ。
「あまり気乗りはしませんが」
 レオンがそう言った。
「気乗りがどうとか言う問題じゃないのよ」
 だが、さらりとサリーに言われては、レオンとしても反論のしようがない。
 そんな会話を交わしながら3人が向かっていたのは、市警察署別館にある死体安置所
だった。
 ミリンダの遺体が、まだ保管されていると言うのは、不謹慎ながらサリーにとっては
朗報だった。これを見逃す事は出来ない。
 所定の手続きをレルが取ると、3人を案内するような形で、一人の職員が先頭を歩い
ていった。
 30歳前後のその男性職員は、半ば独り言のように、それでいて、はっきりとサリー
達に聞こえる声量で、喋りながら歩いていった。
「今回の事件に関しては、面白くないと思っている人間も多くてな。なんだかんだと理
由をつけて、安置期間を伸ばして来たんだが、それも限界でね。
 あなたがたは運がいい」
 道徳的に良いか悪いかは別にして、彼の言っている事は事実だった。
 遺体を自分の目で検分できるかどうかは、効果は別にして、その後の捜査に大きく影
響する事は確実なのだ。
 壁がロッカーのように仕切られた区域に入ると、ひんやりとした空気が辺りを包んで
いた。
 職員がタッチパネルを操作すると、その一角がうっすらとした白い霧と共にせり出し
てきた。金属製のカプセル状の死体安置器と呼ばれているものだ。
 その蓋が横にずれ、中を満たしていた、水よりも若干、粘着力があるように見える液
体が排水されていく。
 そしてそこから若い女性の遺体が現れた。
「ひどいもんだろ?」
 職員が言った。
 サリーとレオンは無言でうなずいた。状態を知っていたレルだけは違ったが・・・。
 遺体には一目見ただけで、無数の傷跡やけがの跡が見て取れた。明らかに拷問による
ものだ。苦痛を与えながらも、死には至らせない、巧妙な暴力だった。
 ただ、額に残るエネルギーガンの痕跡が、彼女の致命傷となった事を物語っていた。
「よく、ここまで耐えたもんですね。特殊な訓練を受けていたか」
 レオンの言葉にレルが答える。
「それとも本当になにも知らなかった。か」
「自白剤は使わなかったようだ。少なくとも検出は出来なかった」
 レルが報告するような口調でサリーに言った。
「自白剤を使えばこれほどまではされなかったのに・・・。 結果は同じでも」
 やや悲しげなレオンに、職員が冷静、むしろ冷酷に言った。
「自白剤を使えば体内に残り、そこから足がつく可能性がある。結果は違うぜ」
「それでも、証拠はこの拷問の跡ね。素人やただのマフィアじゃないわ」
 実際に女性の腕を持ち上げながら、サリーが検分をしていると職員が脈略もなく言っ
た。
「トイレなら、そこを出て、左の廊下の突き当たりだ」
「すいません」
 と言って口元を手で押さえながら駆け出したのはレオンだった。
「まだ、坊やなのかい? 顔が真っ青だったぜ」
 と、落ち着いた口調で職員が言った。レルは、多少冷ややかな目をしただけだった。
「優秀なんだけど、経験だけはね」
 同じような口調で検分を続けながらサリーが答える。
「こういう仕事をしてりゃ、誰でも通る道か・・・。」
 気のせいか感慨のこもった声が職員から漏れる。
 そんな職員に、レルが聞いた。
「その後、他には?」
 答えは横に振られた首の動きだった。
「ありがとう。参考になったわ」
 遺体を元に戻し、サリーがそう言うとレルが皮肉っぽく聞いた。
「彼は?」
「しょうがないわ。報告書で十分。彼にとってもいい経験になったでしょうから」
 と言いつつも、『生理的にこの男に好意は持てないわね』と思うサリーだった。



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