まず、最初に記しておきたい事は、このページを作成しているのが、2004年初頭と言う事であります。
PCエンジン版から考えれば、10年の歳月が流れている中、なぜ、今になって?
と思われる方も多い事でありましょう。
その理由を有り体に言えば、長い年月を経て、再び、はまってる(壊れている)からに他ならないのですが(笑)。
まあ、それを除いても、今、冷静に考えてみて、解ってきて、なおかつそれを表現できるようになったという思いがあります。
ゲームなんだから、今、現実にプレイしている人がおり、その方が情報を求めている可能性も否定できませんから、時を逸しているとしても、まったく意味がないと言う事もないだろうと、自分に言い聞かせていたりします。
さて、では、ときめきメモリアルForever with you(以下、ときメモ)と魅力とは、面白さとはいったい何だろうと、改めて考えるにつけ、やはり、その異常なまでのバランスの良さにある。
散々言い古されたこの言葉に行き着くわけですね。
ただ、そう言ってしまうとそれで終わっちゃうので(笑)、もう少し考えを推し進めていきましょう。
当然ですが、「ときメモなんか、駄目。嫌い」と言うご意見もあります。
「女の子とやたらデートする軽い男に、女の子が魅力を感じるわけない」。
これは特に女性に多い。
男性の場合だと、嫌いではないにしろ「爆弾システムは気に入らない」と言う意見になります。
「女の子の方から告白すると言う設定が、不自然」と言うものや、「女の子の設定がステレオタイプ、いや現実とは乖離している」と言うものもあります。
で、推論していくと、これらの意見は、ときメモがゲームであるという事に端を発しています。
ときメモ発売当時を考え直してみると、当時には、こういったジャンルそのものがありませんでした。 パソコン市場にエロゲー等はありましたが。
(蛇足ながら、僕は「美少女ゲーム」などという言い換えが嫌い。援助交際を思い出すんで)
話を元に戻して・・・。
その雛形を産む過程において、試行錯誤があった事でしょう。
想像するに、制作スタッフには「ゲームとして成立させる」と言う意識が何処かに、あったんだと思います。
ゲームには、その規模、形は異なれど、ほぼ確実に「プレイヤーの思い通りに、ゲームに勝つ、クリアをさせない仕組み」と言う物が備わっています。
ときメモで言えば、提示された目的と言うのは、藤崎詩織(以下敬称略)(笑)に、卒業式の日に告白される事。になります。
そのためには、デートを重ねて親密の度合い(これを「親密度」とします)を高める事と、詩織が要求するパラメーター(これを「魅力」とします)をクリアしなければなりません。
ところが、詩織が要求する「魅力」を高めれE、他のキャラクターが出てくるようになります。詩織が要求するのは、万遍無く高い「魅力」なので、素直にプレイしていると、他の女の子と万遍無く出会う事になります(笑)。
出会うだけなら、現実なら、無視してもいいわけですが、ここでゲームとしての要素が入り込んでくるわけです。
登場した女の子達を無視すれば、その子達から悪い噂を流れ、「親密度」に影響すると言う、「プレイヤーの思い通りにはさせない」”縛り”が生み出されたわけです。これを「風評」とします。
「親密度」を左右する「風評」を悪くしないためには、他の女の子とデートをしなければならない。デートを多くすればするほど、「魅力」を高められない、「親密度」を上げられないと言う、二重、いや三重背反が、生まれます。
おそらく、この”縛り”のバランスに、制作スタッフは相当苦労したはずです。
「親密度」
/ \
「魅力」−「風評」
言ってみれば、こういったトライアングルが出来るわけです。
もちろん、「風評」と言うものを取り外し、「親密度」を増すためには「魅力」を高める時間を削らなければならない。と言う
「親密度」−「魅力」
と言う構図でも、ゲームとしては成り立つとは思いますが、想像するだけでも、これでは単調になるだろうと言う事が分かります。
三重背反という構図を成立させる事による、ゲームそのものとしての資質を、念入りに作り込まれている事が、ここから読み取れます。
例えば、「風評」の所に「資金」という要素を入れ替えると言う考え方があります。
「親密度」を増すためのデートをするには、費用がかかる。その費用を捻出するためにアルバイトをしなければならない。
しかし、バイトをしすぎれば「親密度」も「魅力」上げられない。
「親密度」
/ \
「魅力」−「資金」
と言う構図にするわけです。
これなら、アルバイト先でも出逢いがある。とかになり、バリエーションも出てくるはずですが、そうはしなかった。
ここから先はあくまでも想像なのですが、制作側に確信犯的(本来の意味とは違うが)な目論見があったのだと思います。
ゲームとして成立させるだけではなく、もうひとつの要素、言うなれば、
萌えへの誘導(爆笑)
を狙ったのでしょう。
当時から、萌えと言う概念、言葉はありましたし、エロゲーでもそういう風潮はありました。(言葉としては一般的ではありませんでしたが)
ですから、そういうのを目的に買うユーザーがいると目論んでも、何ら不思議はないわけです。
現在では考えられませんが、PCエンジン版発売当初、ときメモは、本当に、「ひっそり」と発売されました。
広告がバンバンと打たれたわけでもなく、雑誌の紹介コーナーでも、有り体に言えば、「きわもの」扱いでした。
発売元のコナミ自身、これが売れると目論んではいないと見受けられるほどでした。
当時は、攻略法の情報も少なく、プレイヤーは、手探りで「ゲーム」をしなければならなかったとは、想像に難くありません。
まさかパソコン通信と言うクチコミで、販売が伸びるとは想像していなかったでしょう。(期待はしていたかも知れませんが)
そうなると、どうにかして、萌えと言う要素に向かって、ゲームとして成立させながら、プレイヤーを誘導しなくてはなりません。
その為に、
強制的に付き合わせる。
と言うシステムが「風評」という爆弾システム。なのでしょう。
プレイヤーは、詩織をターゲットにすると言う事しか解っていませんから、その他の女の子が出てきても、「邪魔な存在」と思うだけかもしれません。
当時でも、エロゲーでは、いろんなタイプの女の子を出すと言うのは定番になっていましたが、まがりなりにも(笑)、ときメモは一般向けのコンシュマーゲームなのです。
エロゲーの概念をリセットしようという意識はあったはずです。
その上で、強制的に他の女の子と付き合わせ、その仕種やエピソードで、プレイヤーを萌えさせようと言う意識が、コナミ(制作スタッフ)にあったに違いありません。
断定(笑)!
そうなると、必然的に、女の子達は、記号的要素を強くしないと、この目論見は成り立たなくなります。
詩織にむいているプレイヤーの目を、他の女の子達に向けるためには、極端な話、一つのエピソードで、「ハートを鷲掴み(笑)」しなければならないのです。
これを僕は「ずきゅーん!」と命名します(苦笑)。
これは、何かの評論で見た表現なのですが、ときメモで、記号的な女の子のキャラクターは、全部出揃った。というものがありました。
異論もあるでしょうが、確かに言い得て妙だ。と思いました。
これだけキャラクターがいれば、誰かに萌える可能性は高い。
プレイヤーがキャラに萌えたら、しめたもの。プレイヤーはその萌えキャラのために、「必死に」ゲームに取り組む事になるのです。
萌えキャラのエンディングを見たい。つまり、好みのキャラを落としたいと言う欲求は当然出てきますが、ここでも「ゲーム」としての”縛り”が用意されています。
それが「告白される」と掘う設定です。
確かにプレイヤーからのアプローチ、つまり、こちら側から告白したとしても、最終結果は出ます。
が、それは可か不可かという局面だけになり 「告白される」と言う設定から得られる、
「なんで、この娘が!?」
と言う意外性が出せなくなると思うのです。
萌えと言う要素をふんだんに取り入れながらも、「ゲームとして」成立させたい。
と言う思いが、製作者側にあるから、こういう設定になったのだと思います。
僕自身は、ゲームなんだから、こういう設定で「あり」だと思うのですが、許せない人には許せないんでしょうね。
そうした声に配慮してか、サターン版(懐かしいなあ、この名詞)では、こちらから告白できると言う事になりました。
こうした、ゲームソフトとして成り立たせつつも、疑似恋愛も楽しめるというゲームバランスが絶妙だったからこそ、ときメモは、その地位を確立できたのだと思います。
もちろん、いわゆる「ギャルゲー」というジャンルを確立させたと言う功績(罪?)も、大きいと思いますし、当時としては画期的なフルボイスと言う点もありますが・・・。
他にも、豊富なゲームの過程、何度ゲームを繰り返しても、いろいろな発見があると言う奥の深さもあります。
ランダムにイベントが出現4たり、好感度によってセリフが変わったりすると言う要素が、プレイヤーを飽きさせません。
また、狙った笑い、狙った恥かしさみたいなのがあって、そこでニヤリとさせられたりする
「分かっている」
という、制作側、プレイヤー双方の共通認識があったりします。
声優の狙ったとしか思えない下手さ加減とか、ほとんど意味のない番長戦とか、そうとしか思えません(笑)。
結局のところ、総論めいた事は語れませんが、これだけは言える事があります。
当時(今も?)、ときメモははまる、もしくははまり込んだ行為を
「壊れる」「壊れた」
と表現しました。自分に対しても他人に対しても。それも好んで!
みんな、自覚していたんですよね。たかがゲームなのに、現実の女の子じゃないのに、「ハートを鷲掴み(笑)」され、没頭すると言う行為が、どこかおかしい。変だと言う事を。
それが、ひょっとしたら、ときメモの最大の魅力だったのかも知れません。
まあ、今、冷静に考えると、高校生で永遠の愛が決まってしまうなんて、冗談じゃないなんて思ってしまうのは、ひねてしまった証拠なんでしょうね(苦笑)。