彼女の事情 331-Line 藤崎詩織。その名はきらめき高校内で知らないものが少数派に属するほど有名であっ た。 そして、その評価と言うか、印象というものは、決してネガティブなものではなく、 総じて好意的なものが多数を占めていた。 容姿端麗、品行方正、成績優秀、スポーツ万能、性格温厚、等の好意的な単語の列が 続き、およそ欠点というものが見当たらない。 それはある程度、関係者にとっての共通の意見であった。 が! それは彼女のほんの一部分にしかすぎなかったのである!! 「こんな奴なんだもんなあ」 藤崎家の玄関で、詩織の幼馴染みの主人 公は、そう言って大げさに頭を抱えた。 親戚からいただき物をして、そのおすそ分けを藤崎の家に持って行った公は、そこで 詩織に出迎えられた。 その詩織の姿が問題だった。 彼女のチャームポイントとも言えるヘアバンドは、前髪の生え際に位置が変わり、髪 の毛が顔にかからないようにする役目をし、ファッションと言うものではなくなってい た。 そして、コンタクトを外し、フレームレスの眼鏡をした詩織は、一見するとまるで別 人のようだった。 さらに着ていた服が、違和感を増幅する。 それは上下揃いの、赤いジャージだった。しかも、中学の体育の時使っていたもの で、胸には名前さえ書いてある。 普段の学校での彼女からは、とても想像し難い姿だった。 「しょうがないでしょ。これが一番楽なんだから」 大げさな素振りの公に、不満げな表情で詩織が答えた。 「公お兄さんも、いい加減に詩織姉さんのギャップに慣れなさいよ」 そんな二人の後ろから、藤崎家の次女、沙織が会話に割り込んできた。 「そうそう」 その脇に立っていた三女、香織がそう言ってうなずいた。 「大きい姉の、学校にいる時と家にいる時の差、公兄ちゃんは昔から知ってるんだから さ」 「そりゃ、そうなんだけどさ」 公はぶつぶつと、まるで独り言のようにつぶやいた。 そう、藤崎詩織は究極の見栄っ張りなのであった。(大爆笑) 「見栄っ張りだなんて失礼しちゃうわね。 私はただ、人から好意的に見られることが好きなだけよ」 この時に公が”見栄っ張り”と言う単語を口にした事の対する、詩織の答えである。 「私はねえ、そう言うのが好きなだけなの。 同級生の好意的な視線、先生方の信頼の目、下級生たちの尊敬の眼差し。 そう言う中にいる快感は、とても言葉には出来ないわ。 その為にはどんな事だって、苦労なんて、全然思わないのよ!」 本当に嬉しそうにそう言った詩織に、公は呆れたように言った。 「だったら、家でもそうしてればいいだろうに?」 詩織がそれに答える。 「今さら、妹たちの前で、いい顔しようとは思わないわよ」 (そう言うのを見栄っ張りって言うのよ) 沙織、香織の妹たちは同時にそう思った。 「だけど、そんな詩織にも強敵現わる、だろ?」 まるで独り言でも言うかのように、ボソっと言った公の言葉に、詩織の眉毛がピクリ と動いた。 「そう、そうなのよ! 許すまじ! 君本 人思!!」 詩織はそう言ったかと思うと、悔しそうな表情で両の拳を固めたのだった。 君本人思。 詩織、公と同じクラスのその男子生徒を表す形容詞は、ことごとく、詩織のそれと共 通していた。 成績も常に詩織とトップを争い、男女と言う差こそあれ、その人気の高さは校内でも 並び立つほどである。 だが、詩織はそれでは面白くない。 「あの視線は私だけに向けられるものなのよ。それをそれを・・・ 、あーあ! 口惜しい ったらないわ!! この前の試験結果見た? たった2点差よ! たった2点でトップを奪われたのよ。 この悔しさ、次には絶対はらして見せるわ!!」 めらめらと緋色の瞳に炎を燃やす詩織に、公も、沙織、香織の姉妹も慣れているとは 言え、”やれやれ”と言った表情で首を振るのだった。 次の試験にはトップを取ると(限られた範囲で)宣言した詩織は、それから猛勉強を 開始した。だが、それにとらわれず、委員会や部活動などの仕事をも着実にこなすのも また、詩織が詩織たるゆえんでもあった。 「あ、藤崎さん。これ職員室に運ぶんだよね。僕が持つよ」 そんな詩織に声をかけ、プリントの束、いや、小山を軽々と運び上げた者がいた。 誰あろう、君本人思である。 「あ、ありがとう」 「いいよ。こういう力仕事は任せておいて」 「それじゃ、行きましょう。私はこれを持つからね」 詩織はそう答えたものの、内心では(無論、そんな素振りはおくびにも出さなかった が・・・ )”あまり、側にいたくないのよね”と思っていた。 だが、そうも言ってはいられない。なにしろ二人は同じクラス委員なのである。 その途中、二人は和やかに会話を交わした。 君本が思い出したように言った。 「ああ、この前はCDありがとう。あの指揮者の聴きたかったんだ 藤崎さんって、クラシック好きなんだね? チャイコフスキーなんかは好き? 「そうね。よく聴くわよ」 ”本当はスチャダラパーなんかも聴くんだけど” やはり、そんな事は一切表情には出さず、詩織は思っていた。 「今度返すからね。ちょっと待っててよ」 「いつでもどうぞ」 そんな会話をしながら、委員の仕事を終え職員室から教室に入る時、詩織は改めて君 本にお礼を言った。 「ありがとう。君本くん」 「いいんだよ。同じクラス委員なんだから」 そう言って君本は表情を引き締めた。 「憶えておいて、僕は藤崎さんが好きなんだって事」 「へ?」 「えー? お姉ちゃん、告白されたの!?」 家に帰って詩織は得意げに、君本に告白されたことを妹達に話した。これは香織の言 葉だ。 「で、お姉さん、どうしたの?」 沙織の質問に、さも当然といったように詩織は答えた。 「断ったに決まってるじゃない。いいお友達でいましょうね。って言ってね。 いやあ、もう気分良いわあ」 晴れ晴れした気分の詩織だったが、沙織が不思議そうな表情で聞いた。 「でも、お姉さん良いの?」 「何が?」 「気に入らない、負けられないと言うコンプレックスって、あこがれの裏返しでしょ? お姉さん、君本って人に、心の底では憧れていたなんじゃないの?」 その言葉に詩織の表情が激変した。 「ああっ!? そう言われてみればそうかも知れない!!? しまったあ!! 冷静に考えてみれば結構いい男だしぃ!!!」 だが、短い悟ったようなため息と共に、その表情が平静なものに変わる。 「まあ、そうなってしまったんなら、今さら言っても仕方がないわね。 寝ましょ、寝ましょ」 「な、なにい!?」 「そう来るかこの人は!?」 驚く二人をしりめに、詩織はさっさと自分の勉強部屋、兼寝室に引きこもってしまっ た。 「あの人は、根本的にまだ子供なのよ」 「そうよねえ」 などと妹達にいわれながら・・・ 。 定期試験の結果が出た。詩織は猛勉強の甲斐あって、見事首位に返り咲いた。 だが、詩織はなぜか素直に喜べなかった。 それは妹達に言われた言葉がひっかかっていたと言うのもあるが、君本自身に、 「やっぱり、藤崎さんはすごいなぁ」 と言われたことが大きい。そこには嫌味とかネガティブな要素は全くなく、素直な感 想だと言うことは明白だった。 ”あれ? なんか違うぞ?” 詩織はそう思った。 結局対抗意識を燃やしていたのは詩織だけであり、君本のほうは全くの自然体だった のだ。 そんな事があってか、詩織はテスト明けで休みとなった日、朝から家で呆然としてい たのである。 「お姉ちゃん、学校は? ひょっとしてサボリ?」 まだ小学生の香織が、身支度もしていない詩織に冷やかすように聞いた。 詩織はそんな香織を羽交い締めにかける。(無論本気ではないのだが) 「うう! いででで」 「私は今日、学校、お休みなの。小学校とは違うんだから!」 「高校って休みが多いのね 痛い痛い。参ったぁ!」 香織がギブアップすると、詩織は満足そうな表情でうなずいた。 「ほら、早く学校行きなさい。忘れもの無いわね?」 「はいはい」 そう答え、香織は家を出ていった。 両親は早くから仕事に行き、部活があるからと、次女の沙織も登校していたので、こ れで家には詩織一人となってしまった。 詩織が台所に行くと、テーブルの上に香織の連絡票があった。 「ああ、もう、香織ったら、忘れてる。これ、今日持って行くって言ってたのに」 その時、玄関のチャイムが鳴った。 詩織はこの時思い込みがあった。冷静に考えれば鍵を持っているはずの香織が、チャ イムを押すわけないと分かったはずなのだが、忘れ物をして戻って来たと思い込んでし まったのである。 「香織ったら、せっかく私が、忘れ物ないって聞いたのに! お仕置きしちゃうぞ!!」 玄関を開けたと同時に、詩織は飛びヒザ蹴りを放った。 通称「しおりんキック」 妹達の恐怖の対象であった。もっとも、それほど本気でや るわけでなく、妹達もさらりとかわしたりして来たのである。 だが、それは相手にもろに入ってしまった。 「げっ!?」 詩織は後ろに飛びずさった。そこにいた人物。それは・・・ 。 「か、借りていたCD、 ・・・返そうと思って・・・ 」 あまりの出来事に気が動転して、思わず、あいさつなどをすっとばし、今日ここに来 た理由を話してしまう君本の姿がそこにあった。 ”ば、ばれた!?” 頭が真っ白になる詩織だった。 ここ数日、藤崎詩織は落ち着かない日々をおくっていた。 ふとした油断で、自分の素性が君本にばれてから3日が経っていた。 ”明晰な彼のことだから、あれだけですべてを理解したはず” 詩織はそう思っていた。 彼は人に話すだろうか? そうなったらクラスのみんなの態度はどうなるだろうか? そんな事を考えると、ぼんやりと覚悟はして来たこととは言え、落ち着かなくなるの も仕方がない。 だが、今のところ、そう言った変化は見受けられなかった。 ”そうか、きっと君本くんは、プライバシーに関することは、簡単に喋るような人じゃ ないんだ。そういう人じゃないんだ。 ・・・よかったぁ” 学校内の廊下を歩きながら思考を巡らし、そういう結論に達した詩織はほっとして、 無意識のうちに笑みをこぼしていた。 「顔がにやけてるぞ」 突然、そんな声がかけられ、詩織は心臓が弾むような感覚を覚えた。 「*&%$^#”%&!??」 声にならない声を上げ、詩織がむけた視線の先にその声の主、君本人思が立ってい た。 ぱくぱくと口を開閉させるだけの詩織に構わず、君本は数枚のプリントを詩織に差し 出した。 「はい、これ。放課後までにやっておいて」 「 ・・・な、何、これ?」 「委員会の報告書」 「そんな事を聞いてるんじゃないわ! なんで私がこれをしなけりゃいけないの!? こ、これは君本くんの役目でしょ!?」 「だって、ばらされちゃ困るんでしょ?」 そう言って君本は、そこから離れていった。 後に残された詩織は、しばし呆然としていたが、やがて一つの疑問がひとりでに心の 大部分を占めるようになった。 ”・・・・・・今のは誰?・・・・・・” 放課後、やや薄暗くなり始めた頃、君本に言われた報告書を、納得がいかない思いを 抱えつつ詩織が教室で書いていると、そこに当の君本がやって来た。 「あ、やってるやってる」 そんな事を言って報告書に目を通した君本は、感心したようにのんきな口調で続け た。 「もうここまで出来たんだ。さすが藤崎さんだなあ」 そんな声に、詩織はハッと我に帰る。 「ちょっと、待ってよ。なんで私がこんなことをしなけりゃならないのよ!? 一体どうつもり!?」 「それは、藤崎さんの弱みを握ったからには、いっそ利用してやれと・・・ 」 淡々と答える君本に、詩織の中で何かが切れた。 「そ、そんな事は分かってるわよ!! はっきり言わないでよ!! 恥ずかしいと思わないの!?」 「うん」 淡々と、と言うより、むしろ嬉しそうな表情で君本がこくんとうなずくと、詩織は完 全に埴輪顔になった。 「あうあうあうあう・・・ 」 口をぱくぱくさせるだけで、二の句の継げない詩織に対し、余裕たっぷりの態度で君 本が続けた。 「なにしろ僕は忙しいからね。時間がいくらあっても足りないぐらいなんだ。 前から藤崎さんのような手助けをしてくれるような人を捜していたんだ。そこに今回 の事だろ? もっけの幸い、という物だね。 協力、して、くれるよね?」 君本の口調は穏やかで、決してすごんでいるようなものではなかったが、詩織にとっ て、この最後のせりふは脅迫以外の何物でもなかった。 それから詩織にとっての苦難の日々が続いた。 もともと詩織とて、学校内での雑用などの仕事は多い。それに君本の仕事が加わるの である。並の作業量ではない。 それでも詩織は、それらを黙々とこなしていった。ただ、それは君本に強制されてと 言う物だけではなかった。 君本は決して、詩織に全てを押しつけていたわけではなかった。 自分も詩織と共に、放課後などに仕事をしていた。 実際、君本の仕事量も相当なもので、詩織がやったことは言ってしまえば、その手伝 いとも言うべきものだった。 そして、当初は苦難としか表現しようがないものだったが、そのうちにそれだけはな いと、詩織は感じ始めていた。 さすがに校内で人気を集めているだけあって、君本は話題も豊富で話術に長け、その 会話が楽しみと言えるものにさえなっていた。 その為、下手をすると、さして重要な用がなくとも、放課後、学校に残る事さえあっ た。 しかし、同時に詩織は、今一つ釈然としない思いにとらわれていた。 それが何か? 詩織は以前より思いを巡らしていたが、なかなかその答えは見つから なかった。 だが、この日、君本と校門で別れた時、詩織はふと、なんの前触れもなくその答えに 行き当たった。 ”そうか、私、君本くんが好きなんだ・・・ ” だが、自分の本当の姿を知る前と後の、君本の態度の違いを考え、そして、詩織は一 つの決心を固めた。 数日後、詩織は教室で資料の束をそろえていた。 そこに君本が入ってきた。 「あれ? もう終わったの? なんだ、早いなあ」 詩織は無表情でその束を君本に手渡した。 「はい。これ」 「え? あ、ああ」 そのいつもと違う詩織の雰囲気に戸惑いながらも、君本がそれを受け取ると詩織は無 表情のまま言った。 「もう、こういうのこれでやめるわ」 「え?」 「こういうのは、今日限りにするって言ったの」 詩織の言った意味を理解した君本は、ややひきつった笑顔でそれに答えた。 「でも、それだと困るんでしょ? ばれたら困るんでしょ?」 「好きにすれば。もうこんなのやめるの」 そう言い残し、詩織は教室を出て行った。 「あ! ちょ、ちょっと!」 そう言って君本が後を追いかける。 「ついてこないで」 詩織は君本にそう言ったのだが、君本も引き下がらない。 「待ってってば」 「来ないでってば!」 いつしか二人は駆け出していた。 なにしろ運動神経の良い二人の事である。その「駆けっこ」はハイレベルの物になっ た。 窓枠を飛び越え(!?)中庭の茂みを飛び越え、それはもはや障害物競走と化してい た。 だが、詩織が前のめりにつんのめって転倒してしまった。(しかも、顔面から) 「藤崎さん! 大丈夫!?」 心配して駆け寄る君本に、詩織は顔の痛みを忘れて叫んだ。 「ど、どうせ私は変な女ですよ! だからってどうしてそんなに態度が急変するの!? 私は完璧でなけりゃ価値のない女ですか!?」 その剣幕にしばし君本は茫然としていたが、やがて困ったような表情で静かに答え た。 「ごめんよ。そんなに藤崎さんが傷ついてるなんて思わなかった。 ・・・本当の事を言うと、ばらすつもりなんて最初からなかったんだ」 「え?」 「僕はただ、藤崎さんと近づくきっかけが欲しかったんだ。 我ながら卑怯だとは思ったけど、藤崎さんと頻繁に話すことが出来てすごく嬉しかっ たんだ。 だけど、こんなのはいけないよね。 ・・・ごめんね」 そう言って君本は黙り込み、詩織も何も言えずに時間だけが流れた。 それから二人がどうなったかというと、実はあまり変化がなかった。 お互いがお互いの作業を協力すれば能率がいいという事に、気が付いてしまったので ある。 結局、君本は詩織が切れてそんな事を言ったのだと思ってしまったのだが、あえて詩 織はそれを正そうとはしなかった。 適当な時期が来たら、自ら、自分の気持ちを告白しようと思ったのである。 この日も二人は協力して仕事をしながら、雑談を交わしていたのだが、君本のこの言 葉に、詩織の胸は高鳴ったのだった。 「藤崎さんの事を最初に知った時、さすがに驚いたけど、気持ちは変わらなかったな。 ・・・ずっと好きだったな」 -----------------------------------------------------------------終り 解説 後書き LaLaの津田雅美さんの「彼氏彼女の事情」が好きなんですよね(笑)。 で、気が付いたら、「ああ詩織ちゃんてのは、宮沢みたいなもんだよな」と 思ったんです。まあ、こう言うキャラクターは多いんでしょうが。 「彼氏・・・」を御存知ない方には申し訳ありませんが、それでも楽しんで いただければな。と思います。