鉄人:如月SS「梅の香は記憶と共に」 「俺の好きな花は、梅」 彼の言ったその言葉に、部屋中がざわめきました。 それは、秋の日の1日、演劇部の指導の先生が、表現力について話をしていた時の 事です。 『例えば花を表現するにはどうする?』 という話をするために先生は、「自分の好きな花を言ってみなさい」と言ったのです。 部員、一人一人が、それぞれ花の名前を言っていきました。 「カトレア」「バラ」「チューリップ」「デンドロビューム」「ガーベラ」「ゼフィ ランサス」「サイサリス」様々な名前が出ました。 (ガーベラまではともかく、ゼフィランサスやサイサリスなんていう花は、どんな 花なのかも想像できませんでしたけど・・・) ちなみに私は「桜」と答えました。 そして、彼が「梅」と言ったのには、誰もが意外に思ったものです。 彼は私と同じ3年生。その際だつ容姿と、卓越した演技力で、今やこの演劇部には なくてはならない存在となっています。 その彼と「梅」と言う取り合わせに、誰もが違和感を覚えてしまったのです。 こういっては何ですが、梅の花にはひっそりと咲くというような印象があります。 その梅を、舞台の上で輝くような華やかさを持った彼が、好きだという事を想像す るのは難しかったのです。 「ウケを狙ってるでしょ?」 「真面目に答えてる?」 冷やかし半分の声に、彼は真剣な声で答えます。 「俺はあくまで真面目だよ」 と。 部活が終わり、私は校門の所で彼の帰りを待ちました。 私と彼は、恋人同士というわけではありません。 ですけど、私にとって彼は、すでに特別な存在になっていました。 一言で言うなら「片思い」です。 卒業までに、この思いを彼に伝えたい。そう、卒業式の日に、伝説の木の下でこの 想いを告げよう。最近になって、私はそう思うようになってきました。 たとえそれが、かなわなかったとしても、後悔はしません。 「あれ?如月さん?」 そんな考え事をしていた私の名を、彼が呼びます。 「よろしければ一緒に帰りませんか?」 何度目かのお誘いです。彼は優しい方ですから、断られたことがありません。 もっとも、他の方のお誘いも断らないので、その時は少し心が痛みますが・・・。 「そんなに、俺が梅が好きだというのが、意外かな?」 彼の言葉に私も答えます。 「そうですね。そうかも知れませんね」 そう言った私に彼は言います。 「梅はね、とってもいい香りがするんだよ」 「え?」 彼の言っていることが、即座に理解できなかった私でした。 「確かに梅の咲いている写真なんかは、多少地味だよね。だけど、梅林に、一歩足を 踏み入れると、ほのかにいい香りがするんだ。 これは映像では絶対伝えられないよね?」 「そうですね。香りは伝えられませんね」 私がそう答えると、彼は嬉しそうに続けます。 「それに、記録として残せないでしょ? 香りだけは、自分の記憶の中だけに残るんだよ。 梅の咲く時期、その時にしか体験できないんだ」 その言葉に、私は肯きます。 「そして、毎年梅の香りを嗅ぐ度に思うんだよ。 ”もうすぐ春が来るよ”って。 梅の花はね、そう言う事を、俺に思い起こさせてくれるから好きなんだ」 「そうだったんですか。素敵ですね」 「やめてよ、如月さん。照れるだろ」 顔を赤らめ、照れ笑いを浮かべる彼、そんな彼もとても愛しく思えます。 でも、私はふと思いました。 「そんなに毎年、梅見に行くんですか?」 私の質問に、彼は一瞬考え込んだ後、何かを決心したように言いました。 「それは、来年、梅の花が咲く頃、教えよう」 「意地悪ですね」 「そ、そんな言い方しないでよ」 彼は困ったように笑いました。 それを私は忘れていたわけではないのですが、受験勉強やその他のことで、心の奥 にしまい込んでいました。 そう、梅の花の便りが聞こえ出した頃、彼は私に言ったのです。 「今度の日曜日、空いてる?」 と。 私は肯きました。でも、その後の彼の言葉には、少々戸惑ってしまったのも事実で す。 「じゃあ、一度、俺の家に来ない?」 と言うのです。 私は多少躊躇しましたが、彼のお誘いを受けました。 約束の日、私は彼の家を訪ねました。風もなく、穏やかな日です。 「父さん、母さん、こちらは、演劇部の友人で如月未緒さん」 ”友人”と言う言葉に、私の心が少し痛みましたが、今はその通りなのですから仕 方ありません。 「はじめまして」 「いらっしゃい」 「家の息子がいつもお世話になっております」 挨拶を交わした後、私は彼に連れられ、奥の間に入ります。 昼間だというのに、部屋のカーテンは閉められていて、薄暗くなっています。 「じゃあ、ここにいて窓の方を向いていてね」 私は彼の言う通りにしました。 彼はそんな私の姿を確認した後、窓のカーテンを開けました。 そして、そこに広がっていたのは、薄紫、いえ、薄いピンク?ああ、私には表現す ることが出来ません。それほど幻想的に咲き乱れる、梅の巨木だったのです。 私達は窓を開け、縁側に出ました。 「俺はこの木を毎年見て、そしてその香りを嗅いできたからね。 どうしても、この季節になると、この木と香りを思い出すんだ」 私は彼の言うことが実感できました。 この木を見れば、そして、この梅の香を経験すれば、決して忘れることはないでし ょう。 「判ります。あなたが梅が好きだというお気持ちが、よく判ります」 私の言葉に、彼は嬉しそうに微笑みました。 そして、しばらくためらうかのように視線を動かした後、こう言ったのです。 「如月さん」 「はい、何でしょうか?」 「これは、俺の一方的な希望なんだけど、できれば・・・その・・・、来年も、再来年も、 いや、そのずっと先も、・・・この香りの中に如月さんと一緒にいたい。 ああ、上手く言えないんだけど・・・」 その、しどろもどろな言い方は、とても舞台の上で輝いている人と同一とは思えま せんでした。 でも、これほど感激した台詞を、私は今まで聞いたことはありませんでした。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・終わり 解説 梅の香は記憶と共に その昔(^_^;)、NIFTY-Serve のときメモ系のPATIOで「SSの鉄人」と言う 企画と言うか呼びかけがありました。 別に優劣を競うものではなく、女の子に一つのテーマで、各人がSSを書くとい うものでした。 で、如月さんの「SSの鉄人」のテーマは梅でした。 漂うような梅の香りを伝えられたらと思いましたが、ちょっと無理があったか な? でも、短編としては好きな部類に入るSSですので、第1話としてみました。 どんなもんでしょうか? って聞くなよ(笑)