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 第11回 「協力者」
 
 
 
「ひゃー、かっこいいーー、さすが片桐さんですね」
 優美がかん高い声をあげた。
 それに望が同意する。
「うん、これいいね。とても旧式のRZとは思えないよ」
 その場にいた者すべてもそれぞれにうなずく。
 自動車部のメンバーはプレハブの部室の前でRZを囲んでいた。
 そのRZに取りつけられたフルカウルは、白のままだったそれまでの雰囲気をがらり
と変え、カラフルなポップアート調に彩られていた。
「最初、片桐さんがRZのカラーリングをしたいと言って来た時はどうなることかと思
ったけど、任せて良かったよ」
 そんな公の言葉に、紺色の髪を後頭部の上でまとめたやや変わった髪型の女子生徒が
右手人指し指を左右に振りながら答える。
「ライト、当たり前よ。私に任せておけば安心よ」
「あーやったら言ってるわ」
 夕子が呆れたように笑った。
 あーやと呼ばれた生徒、名前は片桐彩子。美術部員である。
 
 彼女がRZの「”お化粧直し”をしたら?」と言ってきた時、自動車部のメンバーは
どう対処していいものかどうか悩んだものだった。
 確かにRZのカウルは白一色の素っ気ないものだった。だが、それにペイントを施す
という発想を、驚いたことに誰も(夕子でさえ(笑))思いつかなかったのだ。
 そのため、彩子の提案は賛成とか反対とかと言ったレベルを通りすぎ、ほとんどなし
くずし的に取り上げられてしまったのである。
 いったんそうなった後、彩子の行動力というのはすごいものがあった。
 デザイン画が自動車部の部室にあふれ返り、画材やデザインステッカーのサンプルを
部員に見せまくったのである。
 そしてやはり、なし崩し的に実際の作業入ってしまい、あれよあれよと言う間に色づ
けしてしまったのである。
 あっけに取られていた公達をしり目に、RZの”化粧直し”は終わってしまったので
ある。
 芝居がかった事に、そのお披露目の時、彩子はRZに白い布をかけていた。
「ハーーイ、お待たせ。RZの再デビューよーー!!」
 それに合わせたように芝居がかった彩子の声と共に、白い布が取り払われるという再
デビューを果たしたのである。
(新車発表会かいな?)
 
 彩子のデザインの評判はよく、不評は上がらなかった(彩子自身は全くそんな心配は
していなかったのだが)。
「ありがとう、片桐さん」
 満足げな表情でうなずく彩子の肩をたたきながら公が言った。
 その台詞に彩子の表情が華やいだものとなった。
「ア、オウ! いいのよ。このぐらいお安いご用よ」
 彩子の頬がほんの少しだけ赤く染まったかと思うと、彼女は公の腕を取り、賑やかに
RZを囲む部員たちから引き離していった。
「ちょ、ちょっと片桐さん、どうしたんだよ?」
 事態の飲み込めない公が彩子に聞いた。だが、彩子はその問いに答えず、逆に質問で
切り返した。
「公くん、あれ、気に入ってくれた?」
「ああ、すごく気に入ったよ。さすが片桐さんだね」
 その声に彩子が微笑む。
「ワーオ、リアリィ! 本当に? とっても嬉しいわ。
 このペイントね。想像力が刺激されたっていうのもあるけど、それだけじゃないの」
 そう言って彩子は公の耳に自分の口を近づける。
「ユー、あなたのためにしたのよ。その辺りの事、忘れないでよ」
「え? それって、どういう事?」
 彩子の吐息を耳元に感じ、公は自分の体温が上がったことを自覚した。
 そんな公を半ばからかうような口調で、彩子が言った。
「ああん、やっぱり判ってないか? まあ、無理もないけどな。
 なんて言っても、藤崎さんや、清川さん、虹野さんなんてそうそうたるのメンバーが
そろってるんだもんね。
 ま、今のところは、私に出来ることはこのぐらいだものね」
 彩子の表情がはにかんでいることが公には不思議だった。
(気付けよ)
 実のところ、彩子にとってもそれに気付かれては少しばかり照れくさいので、さりげ
なく話題を変えようとした。
「バイザウェイ、ところで公くん、最近痩せてきたみたいだけど、ダイエット?」
 話題の展開に少しばかり戸惑ったが、それに肯いた。
「うん。やっぱり、体重差がありすぎるとセッティングが大変だからね」
 
 
 
 それは、2週間ほど前、ある日のトレーニングの後の栗田の言葉から始まった。
「公くんの体重はいくつですか?」
 その場には、公、望、沙希そして愛がいた。
 不思議に思いながらも、それに公が答える。
「ええとぉ、69kgぐらいかな?」
「そうですか」
 そして、傍らの望の方に顔を向ける。
「望さんは・・・」
「わ、私!?」
 そう言ったきり顔を赤らめ、望は黙り込んでしまった。
 それは、とりようによっては彼女らしくない素振りだった。
 さすがに自分の質問が、公の前では答えにくいという類のものだと気付いた栗田は、
その質問を収める。
「まあ、詳しいことは後で聞きましょう。
 私が言いたいのは、二人の体重差のことですよ」
 その言葉の意味を最初に理解したのは望だった。
「ああ、セッティングの事ね?」
「そうです。やはり、ここに来て無視できない物になってきましたからね」
 望は自分の唇に手を当てて考え込む。
 それを見て公も腕を組みながら言った。
「やっぱり、体重が違うと問題ありますか?」
「そうですね、”アタリ”をつけるのが大変ですね。確かに耐久の定めと言えばそうな
のですが、差がありすぎるのはつらいものがありますね」
 公の真似をするわけでもないのだが、同じように腕を組み、栗田が答える。
「あの、・・・」
「何? 美樹原さん?」
 その会話に入って来た愛に、望が答える。
「ご、ごめんなさい。私、こういった事聞いてばかりで・・・」
「ああ、いいのよ。なんでも聞いてよ」
「あの、体重差があると、どうなるんですか?」
「あ、ええと、つまりね」
 もちろん望がその答えを解らないはずはないが、それを説明するのは難しい事だっ
た。
「私が答えましょう」
 それは栗田の声だった。
「耐久レースというのは、一台のマシンを交互に乗るということは、美樹原さんも知っ
ていますよね?」
「はい」
「交代したとたんに車体重量が、・・・仮に20kg増減したしたら・・・」
 栗田がそこで言葉を区切ると、望は恥ずかしそうに顔を赤らめ、うつむいてしまっ
た。
 栗田が苦笑いを浮かべながら言葉を続ける。
「そんな風になったら、どうなるでしょうね?」
「あ!」
 愛でもさすがにそれがどういう事かは、おぼろげながらも解る。
 うなずく愛に、栗田がさらに続ける
「燃費などはもちろん、ブレーキ、サスペンション、タイヤ、ありとあらゆる物に影響
がでます。
 その影響は大きいですよ」
 栗田の声に沙希が問い返す。
「それで、どうするんですか?」
 それに応えたのは栗田ではなく、恐る恐るといった口調の公の声だった。
「やっぱり、・・・減量・・・、ですか?」
 栗田が同情するといった表情で肯く。
「そうなりますね」
「やっぱり」
 ”清川さんが太ってくれれば”
 などと言ってはならない事だと、さすがの公でもわかる。
(当たり前だ!)
 
 だが、その公の減量作戦(笑)はそれほど悲惨なものでもなかった。
「プロボクサーの減量じゃないんだ。まあ、5〜6kgも減れば十分。それ以上に体力を
消耗する事や、成長に与える影響を考える方が重要だよ」
 という京間に栗田も同意したため、それほどの急激な減量とはならない。
 とはいえ、育ち盛りの高校生が食事を制限されるというのはつらい物があるのはいた
しかたない、・・・はずである。
 それを救った(?)のが沙希である。
「それじゃあ、私、公くんのお弁当作ってきてあげる。
 栄養のバランスを考えて、その上カロリーも控えるというお料理、前から興味あった
の。
 公くんがそういう事なら、私、毎日作ってくるわ」
 この時、この場にいた好雄は思った。
『公の奴、上手いことやりやがって』
(笑)と。
 だが、同じくその場にいた優美の言葉に公は慌てふためくこととなる。
「虹野先輩、毎日作るんじゃ大変ではないですか?
 こうしましょう。私と交互に作るというのは?」
「いいっ?!」
「な、なんですか? その”いいっ?!”ってのは?」
 優美に追及されて、公はさらに慌てる。その表情には余裕という物がまるでなく、何
か追い詰められたような感じの物となっていた。
 実は、公はある日、優美の作ってきた弁当を食べた。
 それは塩と砂糖を間違えるという物で(お約束すぎーー!)、その忌まわしい(笑)
過去がよみがえってきたのだ。
 それを察知した優美が涙声になる。
「公先輩、公先輩は虹野先輩のお弁当は食べられても、優美の作った物は食べられない
って言うんです・・・ねぇ」
 最後の方は完全に涙声になっており(ただし、嘘泣き)公としては答える術さえ浮か
ばない。
『ど、どうしよう?』
 内心でそんな自問自答が繰り返されるだけだった。
 その公を助けたのは沙希だった。
「あ、あのね優美ちゃん?」
「なんれすか?」
「こういった特別なメニューを立てるというのは、計画性が必要なのよ。それはわかる
わよね?」
「はいれす」
「それなのに二人が交互に作ったら計画が崩れちゃうでしょ? だから、私がそれを受け
持つの。
 優美ちゃんはマシンのこと覚えてもらうという、もっと大切なお仕事で、公くんを助
けてあげて。ね?」
 優美にとって、沙希の言葉には説得力があった。もっとも、二人で打ち合わせれば計
画性は保てるということを、この際、沙希は無視している。
(賢明だ)
 だが、その事に気付かず、優美は大きくうなずく。
「わかりました。早乙女優美、公先輩のためにマシンあずかります」
 その言葉に公も沙希も、酷いことに実の兄の好雄まで内心でホッとしたのである。
(前回、味見をさせられたらしい)
 
 ともかく、こうして公は特別メニューながらも、沙希のお弁当を毎日食べられるとい
う幸運(?)を手にしたのである。
「やっぱり、虹野さんのお弁当はおいしいなあ。ぜいたくを言えばもう少し食べたいけ
ど、それは本当にぜいたくだからなあ」
「そう? 嬉しい! 明日も工夫して来るから、食べてね?」
「もちろんだよ。こんなおいしいお弁当を毎日食べられるなんて、俺は幸せ者だなあ」
 などと、公はのんきに喜んでいるのだが、二人がよく昼食をする、中庭の樹木の小枝
が何者かの手によって、相当数折られているというのは公然の秘密である(笑)。
 
 減量そのものは公自身、それほど苦痛ではなかったのだが、そのまわりの者達に微妙
な影響を与えていた。
 それは、ある日の部活の時のことだった。
 自動車部の部室の机の上には、なぜかマドレーヌが10個ほど置かれていた。
 それは、その日の調理実習で、公のクラスの女子生徒が作った物(当然、詩織の物も
含まれている)で、差し入れられたものだった。
 だが、おそらく目当てだった公は減量のためそれを食べなかった。
 そして、他の女子部員もそれを口にしなかった。
 異口同音にあげた理由は、
「公くん一人がダイエットしてるのに私だけ食べられない」
 というものだった。
 捨ててしまうのももったいないので、好雄、京間、そして栗田がそれを食べる事にな
ったのだが、京間は内心で思った。
『結局、公にかこつけてダイエットしてるんじゃないのか? みんな?』
 そしてそれは正しかった。
 その夜、女子部員のそれぞれの家では、
「やった、2kg減」
「うっそー、減ってないよーー!」
「予定通り」
 などという台詞がヘルスメーターの上でこぼれていたのだ。
(身の安全のため、それぞれの台詞の発言者の特定は避けます)
 
 
 
 そんな毎日が過ぎていき、それぞれがそれぞれの成績を残した期末テストが終わっ
た。
 そして夏休み最初の日、”古式不動産”と書かれたマイクロバスが、きらめき高校の
駐車場に入って来た。
 
 一応部活としての承認は得たものの、自動車部には学校からの援助はほとんどなかっ
た。悪意があってのことではなく、実際、予算に余裕が無かったのだ。
 仮設の部室を建ててくれただけでも、破格の待遇だったのだ。
 だが、それではサーキットの移動さえままならなかった。
 鈴鹿サーキットでの宿泊は、付近に京間の大学時代の知人がいて食費だけで済むのだ
が、現地に行くまでの交通費だってばかにはならないのだ。
 そんな自動車部に助け船を出したのが、古式ゆかりという女子生徒だった。
「よろしければ、お父さまの、会社の、マイクロバスを、貸していただけるように、頼
んでみましょうか?」
 夕子のつてで、事の次第を知ったゆかりの申し出に、自動車部は迷うことなく飛びつ
いた。
 それどころか、現地での運営資金を少なからず寄付さえしてくれたのだ。
 もともと低予算で運営してきた自動車部には、これで予算面での心配がなくなったほ
どである。
 もっとも、京間に言わせると
「体のいいスポンサードだよ」
 という事になる。
 表立ってのスポンサーとなれば高校生相手に、と言われかねないが、寄付ということ
ならばなんとか形だけは整えられる。
 そして、”自動車部の好意”という事で、カウルに小さいながらも”古式不動産”と
いうステッカーを貼るに至っては、京間の言葉にも説得力が出てくる。
「まあ、いいじゃないですか先生。これで安心してレースに集中できるんですから」
 公の声に完全には納得した様子ではないにしろ、京間もうなずく。
「そうだな、ものは考えようってところか?
 なんにしろ、もう8耐ウィークは目の前なんだからな」
 
 8耐ウィーク。
 国内モータースポーツ最大級のビッグイベントとなった鈴鹿8時間耐久レースは、
一、二日では終わらない。
 サポートレースを含んで、それこそ一週間掛かりであり(本当はそれ以上)、その一
週間を、誰が言い始めたのか8耐ウィークと呼んでいるのだ。
 
 
 それは取りも直さず、公達自動車部の面々にとっての暑い夏を意味した。
 
 
to be continue RZM「12」
 
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  第12回 「そして鈴鹿へ」
 
 
 
「いらっしゃい。ようこそ鈴鹿へ」
「8耐ウイークの間、よろしくお願いします。ほら、みんなも挨拶する」
「あ、はい」
「よろしくお願いしまーーす!」
「お世話になります」
 京間の声に、公達は口々に初老の夫婦に挨拶を交わす。
 
 自動車部の面々は、京間の人脈をたどり、鈴鹿市郊外の一軒の旧家を訪ねていた。
 広がる水田の中にその家はあり、広大な敷地に見合う、木造平屋建ての旧家であり、
自動車部は寝具を持ち込んで、ここで宿泊する事になったのだ。
 鈴鹿、そしてHONDAのお膝下という事で、モータースポーツに理解を示してくれ
る人たちが多いのである。
 そこは京間が大学時代、鈴鹿8時間耐久レースに出場するために、宿泊した家なので
ある。
 全く善意で宿を貸してもらえるので、掃除や洗濯など家事全般は全部自分たちでする
のは当然だし、草刈りや、ちょっとした農作業も手伝うこととなる。
 それでも一週間以上、無料で泊まれるのだからこれ程助かる事はない。
 では、その京間がいた大学は、現在どうなっているのか?
「関工大(関東工技大学)はその後さっぱりだね。
 もう4耐にも来れないようだから、今年、京間さんが若い人達連れてきてくれたから
嬉しいですよ」
 家主の声に、顎に手を当てて京間は答える。
「私達が卒業してから、成績が落ち始めたそうですね?」
「落ち始めたというのは正確じゃないな。8耐でまともにやり合えたのは、京間さん達
の年だけだね。
 沢田、京間の両ライダー、花井、神戸の両メカニックそして粒のそろったメンバー、
あんな面子が揃ったのは、本当に運命のいたずらだったとしか思えないんだよね。
 現に当時のメンバーのほとんどが、今、どこかのワークスの中心メンバーだ」
「そうですね」
「京間さんだけだ」
「は? 何が?」
「あなたはもう走らないのかい?」
 京間は意表を突かれたといった表情になる。
「わ、私ですか? 私はもう限界ですよ。ワークスなんてとてもとても・・・」
「そうですかねえ?」
 納得しかねるような表情で家主が続ける。
「まあ、ともかく今の所は4耐に向けて頑張ってください」
「はい」
 
 京間がそうやって家主に挨拶している間に、自動車部員である公達は、家の中に荷物
を運び終えていた。
「それにしても広い家だよなあ」
 公が感心しきったような声を上げる。
「はっきり言って、この離れだけで俺の家ぐらいあるぜ」
 それに応える好雄の言う通り、男女比率の差から公、好雄、京間、そして栗田の4人
が離れに泊まり、望、詩織、未緒、愛、沙希、優美、夕子、魅羅達が母屋に泊まること
となっていた。
「お風呂がまた別棟なんだもんなぁ。驚いちゃうよ」
 公の声に、栗田が笑いながら答える。
「世が世なら大地主さんだったのでしょうね。今のご時世では、なかなかお目にかかれ
るお宅ではありませんね」
 そんな会話を交わしていると、京間がその離れにやって来た。
「お、もう随分、片付いてるな。お疲れさま」
「先生。公式日程より、一日早く来たのはいいんですけど、明日はどうするんですか?
 勉強会ですか?」
 公の質問に、京間は両手を腰に当てて胸を張る。
「俺が顧問である以上、そんな無粋なことをすると思うか?」
「?」
「とぼけるな、とぼけるな。お前たちだって期待してきたんだろうが。
 ・・・当然」
「当然?」
 
「海に決まっておろうが!」
 
 
 
 千代崎海水浴場。
 伊勢湾を望む白い砂浜。遠浅で波も穏やかなため、家族連れに人気がある。それだけ
ではなく、ここ最近はマリンスポーツも盛んな県内でも有名な海水浴場である。
 翌日、公達はこの千代崎海水浴場に来ていた。
 
 
「なんで女の子の着替えって時間がかかるのかなぁ?」
 自動販売機から缶コーラを取り出しながら、公は独り言をこぼした。
 公と好雄、そして京間の3人は先に水着に着替え、荷物番をしていた。そしてじゃん
けんで負けた公が缶ジュースを買いに来ていたのだ。
 その時だった。
「いて!」
 何者かに背中から追突され、公は危うく缶ジュースを落としそうになった。
「あ、ごめんなさい」
「あ、君は!? 学校でもぶつかってくる人じゃないか!?」
 振り返った公は思わず叫んでしまった。
「え? そ、そうかな? 忘れちゃった。それじゃ」
 そう答えたのは、髪を左右で輪にした、変わった髪型の少女だった。
 その少女はそう言って立ち去っていったのだが、公には人間違いなどとはとても思え
なかった。それほど特徴のある髪型だったのだ。
 だが、こうも思わずにはいられない。
『な、なんでこんなところまで・・・』
 呆然とたたずむ公だった。
 
 
 そんな事があって公が好雄の所に帰って来るのは遅かった。
「遅かったな」
「うん。まあ、ちょっとあってね」
 そうして3人は砂浜にひいたシートの上に腰を下ろし、ジュースに口をつけていた。
「女子達はまだかなあ」
 京間のつぶやきに、好雄がうれしそうな声で突っ込む。
「先生、気になりますか? なんなら様子見てきましょうか?」
「こら、なんだ? その様子を見てくるって言うのは?」
 京間が好雄の頭を、軽く拳で叩いた。
「そうだぞ、好雄。それで朝日奈さんにひどい目に遭わされたの、忘れたのか?」
「・・・公、それ、なんの話だ?」
「・・・なんの話だったっけ?」
 
 そんな会話をしていると公達の視界に人影が現れた。
「お待たせ」
 詩織の声に望が続く。
「荷物番ご苦労さま」
「ご苦労」
 これは夕子である。
 公達の見上げる先には、その他にも沙希、優美、魅羅、愛がそれぞれが選んだ水着に
着替え立っていた。
(絵的にはそうとう貴重なものだろうなあ)
 半ば放心状態になっているような公に沙希が言った。
「とりあえず私と優美ちゃんがここにいるから、公くん達泳いで来ていいわ」
 それに優美が続く。
「私達、交代に泳ぐように決めたんです。それで、まず、私と虹野さんが番になったん
です」
 しばらく呆けていた公だったが、優美の声に我にかえったように答える。
「あ、いや、ええと、まず、いいよ。まだ、ジュースも飲みかけだし、先に女の子達で
泳いでくれば?」
「え? ・・・でも」
 恥ずかしそうにそう言った愛には、好雄が答える。
「あ、俺もここにいるから、先に行って来ていいよ。ね?」
 ウインクして好雄がそう言うと、魅羅が身を翻して海に向かいながら言った。
「それじゃあ、遠慮なく先に行かしてもらいましょ」
 その声に引っ張られるかのように女性陣は海に向かった。
 その後ろ姿を見送ってから、公が好雄に言った。
「好雄?」
「なんだ?」
「お前もか?」
「・・・と言うと。公もか?」
「ああ、そうなんだ」
「・・・」
「・・・」
 無言の会話が二人の会話の間で交わされる。そしてしばらくして、どちらからともな
く乾いた笑いが沸き起こった。
「ははははは」
「ははははは」
 そんな二人に、京間が言った。
「まあ、しょうが無いんじゃないの? あんなの見せられちゃ」
「ひょっとして・・・先生も?」
 公の声に京間は視線をそらす。それは肯定を表す仕草だった。
 またもや無言の会話が三者の間で交わされ、3つの乾いた笑いが上がった。
 そしてその笑いが同時に収まり、
「はあーー」
 同じような3つのため息が漏れた。
(若い! 若いなあーー)
 
 
 
 そのころ、栗田は宿泊している家にいた。離れの和室の座卓に資料を並べ、調べ物を
していた。
「麦茶が冷えていますので、持ってきました」
 そこへお盆にグラスを載せた未緒がやって来た。
「あ、どうもありがとうございます。如月さん」
 栗田はそう言って未緒からグラスを受け取る。
 未緒はそのまま栗田の横に座る。
「何を調べていらっしゃるんですか?」
「え? ええ、私なりに調べておきたいことがありまして、明日からは忙しくなりそう
ですから今日の内に、と思いまして」
「海には行かれないんですか?」
 未緒の問いに、栗田は多少驚きに似た表情を浮かべる。
「まあ、私ぐらいになると直射日光に当たるだけで疲れてしまいますからね。
 休養を兼ねてですよ。
 如月さんこそ、皆さんと行かなくて良かったのですか?」
 その時の未緒の表情は、悲しさとかつらさのようなものを押し殺しているようにも見
えた。
「私も身体が弱くて、直射日光の下に一日いられませんから」
 実際、それと同じように言って公達を送り出し、一人残った未緒だった。
「そうですか・・・」
 何を言っても慰めにもならないと思った栗田は、手にしたグラスを飲み干した。
「ありがとうございます。美味しかったですよ」
 未緒はグラスを受け取り、ためらいがちに栗田に聞いた。
「栗田さんはお仕事、本当にいいのですか?」
「元々、楽隠居に近い仕事でしたし、うちの若い連中も、今ごろ、私のような口うるさ
い年寄りがいなくて、羽根を伸ばしている事でしょうね」
 苦笑いを浮かべる栗田に、未緒もつられる。
「ま、実のところ社長、望さんのお父さんから、望さんのお目付け役を頼まれたもので
すから、これも仕事のうちなんですよ。
 走るからには悔いのないようにさせてあげたいという、親心なのでしょう。
 社長も望さんには甘いから・・・」
「・・・栗田さん?」
 笑いを浮かべる栗田に対し、やや真剣な表情になった未緒が問いかける。
「なんでしょう?」
「予選、突破できるでしょうか?」
 主語を省略した未緒の質問にも、栗田は的確に答える。
「正直言って、絶対にとは言えませんが、可能性は充分ありますよ。
 客観的に見て、このチームの実力は未知数の部分を除けば、ごく普通の中堅どころと
いったところです。
 予選を通ってもおかしくはないし、落ちてもおかしくはない。
 そんなところでしょう」
「未知数というのは、どういう所なんでしょうか?」
「それが判らないから未知なんですよ」
 やや、趣旨を外した栗田の答えに未緒は面食らう。
 そんな未緒を見て栗田は笑い声を上げる。
「いやあ、すいません。これでは禅問答ですね。
 私がそう感じるのは、・・・そうですね。
 ・・・皆さんの若さ、・・・ですかね」
 そう言って栗田は窓の外を見つめた。
 未緒もその方向を見たが、そこには夏の青い空が広がっているだけだった。
 
 
 
 そのころ海水浴場では、公と望が他のメンバーから離れたところで泳いでいた。
 意識して離れたわけではなく、気が付いたら二人きりになっていたのだった。
 そう、気付く前は特にどうこうという訳ではなかったのだが、二人きりとなると、ど
うも変に意識してしまう望だった。
 公は? と言うとあまり変化はないようなのだが・・・。
「ね、ねえ、公くん?」
 平泳ぎの望が公に聞いた。
「何?」
 軽い背泳ぎをしながら公が答える。
「公くんはRZで走ってる時、何を考えて走ってるの?」
「え? ・・・そうだなぁ。走ることに集中してるから、あんまり他のことは考えないな。
 ただ、もっと早くなるためにはどうしたらいいか? というのはよく考えるけどね」
「そう、そうだよね」
「なんでそんな事聞くの?」
「え? う、うん。ただ、なんとなく、ね。そう思っただけだよ」
「ふーーん」
 気のない公の返事に望は内心思った。
『誰かを思って走るのか、なんて聞けるわけないでしょ』
 望は、詩織のミスを帳消しにするために、そうとう無理をした公のレースの事を忘れ
られないでいるのだ。
『私のために走ってくれるって言ったのに・・・』
 それが自分でも情けないと思える考えだと気付き、望は首を振る。
『いいじゃない。一緒に鈴鹿まで来れたんだし、それで自分なりに納得が出来たら、そ
うしたら・・・』
「どうしたの、清川さん? 何かあるの?」
 立ち上がった公の声に(上半身が出るぐらいの水深だった)望も立ち上がる。
「べ、別に、本当になんでもないのよ」
「・・・そう? それならいいんだけどね。
 ・・・何だか遠くまで来ちゃったようだから、そろそろ戻ろう」
「う、うん。そうだね」
 望がそう答えると、公もうなずいて再び泳ぎ始めようとした。
 その公を望が呼び止める。
「公くん」
「ん?」
「・・・あ、あのね。・・・うん。公式予選、頑張ろうね」
 望の言葉に公は再びうなずいた。
「もちろん」
 この声だけで、今の望はとりあえず満足だった。
 
 
 
 そして自動車部は、鈴鹿4時間耐久レースの公式予選を迎えるのである。
 
 
 
to be continue RZM「13」
 
 
SS RZM(13)285-Line
   

  第13回 「公式予選」


 
 鈴鹿サーキット。
 1962年に完成した、世界に名だたるレーシングコースである。
 F1やWGP(2輪の世界選手権)等が開催される、日本、いや世界的に見ても有数
の有名サーキットである事は間違いない。
 全長 5.86403kmの間に、17ヶ所のコーナーがバランスよく配置されたテクニカルコ
ースだが、もちろん高速部分もあり、あるF1ドライバーをして「トライのしがいがあ
るコース」と言わしめる。
 スタートから右曲がりの第1、第2コーナー、S字コーナーを抜け逆バンク(実際に
は違うのだが、走っているとそう感じられるため名付けられた)、デグナーカーブと続
く。
 ここから世界でも珍しい立体交差をくぐり、左曲がりのヘヤピンカーブ、右200R
を通過、その形からスプーンカーブと呼ばれる左コーナー(スプーンの先に相当する)
に突入する。
 そこを抜けるともう一つの直線、バックストレートが待っている。その終わりには、
左の高速コーナー130Rが控えており、短い直線をはさみ、通称トライアングルと呼
ばれるシケインが待ちかまえている。
 そして右曲がりの最終コーナーを抜けると、長い一周のフィニッシュラインがあるの
だ。
 そしてレースは、このサーキットを交代で4時間、走り続けるのである。
 
 
「と、まあ、そういった訳だ」
「何がそう言った訳なのよ? 先生」
 パドック裏で自動車部のメンバーを集め、京間がコースについての説明を終えてそう
言うと、夕子がすかさず突っ込んだ。
「え? ははは、まあ、頑張ろうって事だな」
「あによー、それ? もうちょっと具体的にどこをどう攻めるとか、ここに注意しろと
か言うアドバイスみたいのないのお?」
「朝日奈さんはそう言うけど、ここまで来たら、あまり細かいことを言ってもしょうが
ないと思うぞ。
 ともかく、全力を尽くすことだな」
「うーー、それはそうかも知んないけどぉ」
「朝日奈さん、何が不満なんですか?」
 京間に代わって未緒にそう言われ、夕子は多少怯みながらも答える。
「だってさあ、予選を通過してもらわないと私の居場所がないじゃないのよぉ」
 意外な答えに一同は、しばらく声をなくしてしまった。そして、詩織がその沈黙を破
る。
「キャンペーンガール、いえ、広報としての仕事がないって事かな?」
 詩織の表情は、少しばかり笑いの成分が含まれていた。
 それに対する夕子の表情は、ずっと真剣なものだった。
「そうなんよ。想像してたのとは違って、予選って意外と地味なんだもん。
 拍子抜けしちゃったわよ」
「それに報道関係者もそれほどいないしね」
 続いたのは魅羅だった。
「この姿の方が好感を得やすく、注目を浴びるというから我慢したのに、少々、残念だ
わ」
 その魅羅と夕子が着ていたのは、タンクトップとショートパンツであり、履いている
のはスニーカーというものだった。     (Kirameki High School Racing Club)
 白いタンクトップの背中と、左胸部分には、きらめき高校レーシングクラブを表す
「KRC」のロゴがある(制作 片桐彩子(笑))。
 それと黄色のショートパンツという取り合わせは確かにセンスが良く、彼女たちには
よく似合っていたが、夏という季節と場所がら(正確にはイベントがら)を考えれば、
さして目立つ姿でも、変わった姿でもない。
 これには少しばかり逸話がある。
 話は鈴鹿に来るずっと前、夕子と魅羅が鈴鹿でどんな水着を着るかということを決めている時の事だった。
 
 水着を着るものと思っていた夕子と魅羅は、京間がそうしろと言った時にはもちろん
反発した。
 だが、京間の意見は、夕子達の想像をはるかに越えていた。
「いいか? 実際はどうあれ、世間一般には”高校生はこうである”みたいな先入観念
みたいな物があるんだよ。
 露出度の高いハイレグみたいなのを着たりすれば、”近頃の高校生は”なんて言われ
かねない」
「ふるーー!なにそれ? 今時、チョダサーって感じー」
 夕子の不満に京間は笑って答える。
「まあ、そう言うなって、それが世間というものなんだよ。
 それに、そういった格好をする専門の人間がわんさかいるんだ。同じようにしてもか
えって埋もれてしまうぜ」
「それでタンクトップとショートパンツ?」
 魅羅が短く結論だけを述べると、京間がうなずく。
「そう。いわゆる”高校生らしい”格好の方が、よっぽど目立つと思うぞ。
 それに、ただ単に目立つだけだと、他のチームからの反発が有り得るけど、それなら
”高校生なんだから大目に見ようよ”って事になる可能性が高い。
 そうは思わんか?」
 夕子も魅羅も返す言葉もなかった。
 京間の言うことには一理も二理もあったのだ。ただ夕子は内心で
『ひょっとしたら、この先生、とんでもない策士じゃないの?』
と思ったものだった。
 
 だが、夕子自身が言った通り、予想よりはるかに地味な公式予選では(それでも観客
は2万人ほど入るのだが・・・)注目の度合いが思ったほど高くなかったのだ。
 夕子も魅羅もそれが不満の種らしい。
 だが、それも無理はない。
 予選参加チーム数が300を軽く超える状況では、各報道機関が全部を取材できるは
ずもない。
 取材を受けるのは予選を通過してからになるだろう。
 実際、4時間耐久レースはあくまでもサポートレースなのであって、メインは8時間
耐久レースなのだから。
 ”ともかく予選を通過しなければ”他のメンバーたちとは、多少ベクトルが違う気も
するが(笑)、その思いを強くする夕子と魅羅だった。
 
 ともかく、その公式予選、きらめき高校自動車部の出番はすぐ間近に控えていた。
 
 
 
 公式予選は参加チームが多すぎるため、何組かに分けて行う。
 公達の組がはじまる前、自動車部のピットに一人の女性が訪ねてきた。
「光代さん。いらしてたんですか?」
「ええ、もちろんですよ。郡司さんの教え子の皆さんの晴れ舞台、しっかり見届けたい
と思いますから」
 綺麗なソプラノでそう答えた女性は、その声に似合う美しい容姿を持っていた。
 白い肌、緑なす黒髪は腰の辺りまで伸び、冗談ではなく、白いシルクのワンピースと
つばの広い帽子がよく似合っていた。
「お兄ちゃん、あれ誰?」
 工具を整理しながら優美が好雄に聞いた。だが、好雄もそれに答えることが出来な
い。
「いや、俺も知らないなあ」
 それはこの2人だけでなく、部員全員共通の疑問だった。
 それに気づいた京間がその女性の横に立ち、やや顔を赤くしながら、照れくさそうに
言った。
「みんな、紹介しておこうな。こちらは川井 光代さん。一応、俺の婚約者だな」
「ひゅーひゅー」
 冷やかすような公の声に、京間は頭を掻いた。負けじと(?)夕子がびしっと京間を
指さし
「美女と野獣だね」
 と言ったのには、京間も口を尖らせる。
「確かに否定はしないが、そこまで言うかぁ?」
 京間のその姿に、ピット内は笑いに包まれた。
 その笑いが収まると光代が頭を下げる。
「川井光代と申します。常日頃、皆さんには京間がお世話になっております。
 今後ともよろしくお願いいたします」
 その姿を見て、未緒は愛に小声で言った。
「本当のお嬢様というのはああいう方のことを言うのでしょうか?」
「え? ええ、きっとそうだと思います」
 
 予選の準備を任せて(オイオイ)、光代と京間はパドック裏に来た。
「お邪魔でしたか?」
 光代の質問に京間は首を振る。
「とんでもありませんよ。いつでも構いません、お待ちしています」
「そう言っていただけると助かります。
 ご迷惑かとも思いましたが、郡司さんが熱中していらしゃる物がどんな物なのか、生
徒さんはどんな方々なのか? この目で確かめたくなったものですから」
「予選を通ることが出来ないと、今日限りですからね。いいご判断です」
「難しいのですか?」
「どうでしょうか? 全力は尽くしています。後は神のみぞ知るという所ですね。
 ともかく、私の教え子たちの姿を見ていってください」
「はい」
 光代はにっこりと微笑みながらそう答えた。
 
 
 
 きらめき高校自動車部の予選は、前半までは恐ろしいほど好調だった。
 まずはじめに乗った望が、2分26秒56という好タイムをマークして、予選突破と
いう目標を現実感のある物にしたのだ。
 あとは公が、それなりのタイムを残せば、予選を通過できるというところまで来てい
た。そして、公にはそのタイムが出せる実力があると、誰もが思っていたのだ。
 だが、それは起こった。起きてしまった。
 
 ストップウオッチを押し、沙希が叫ぶ。
「2分35秒87」
「遅い!!」
「遅いよ!」
 望と好雄が同時に叫んだ。
「先生?」
 心配げな声を上げる詩織に、京間も苦虫をかみつぶしたような表情で答える。
「うん。まずいな、これは、美樹原さんに言ったことが現実になっちまうよ」
 
 公が走る前、愛はある質問をした。それは、望が好タイムをマークしたのに、なぜ、
公もタイムを出さなければならないか? という質問だった。
 それに対し京間はこう答えた。
「清川さんのタイムだけなら、もう予選は通過できる。
 だけど、予選は何組かに別れて行うからイコールコンディションじゃなくなるの。
 ここまでは判るよね?」
「はい」
「そうすると、予選ギリギリのチームなんかは不公平が出るでしょ?
 その為にいろいろルールがある訳。その中で、あまりライダーのタイム差がありすぎ
ると、落とされちゃうんだよ、これが。
 まあ、大丈夫だとは思うんだが」
 ものすごく乱暴に、ルールをかいつまんで説明した京間だったが、全くの初心者であ
る愛に、細かなルールを説明しても混乱するだけなので、これはこれでいい方法ではあ
る。
「それで、具体的には、どのくらいのタイムを出せばいいんですか?」
「まあ、2分30秒は切ってもらいたいね。主人にはそのくらいの実力はあるよ」
 それは希望的観測ではなく、ある程度根拠のある予測だった。だが、公のタイムが上
がらないのもまた事実だった。
 
「主人、あがってるのか?」
 辿り着いた一つの仮定を京間は口にした。
「公が? まさか?」
 好雄は笑って真に受けなかったが、それに同意した者がいた。
「それは有り得ますね」
「栗田さん?」
 複数の声が上がった。
「公くんはこういった、本格的なレースに出た経験はほとんどありません。
 普段の精神状態と違っているということは、充分考えられます」
 栗田の推論に、ピット内に緊張した空気が流れる。
「ピットインさせれば?」
 魅羅の問いに京間は首を振る。
「駄目だ。今の主人には何も見えてないよ。ただ、景色が流れ去っているだけだ。
 なんかインパクトのあるメッセージを送らなきゃ、公は目覚めないよ」
「そんな事言われても・・・、何を書けば・・・」
 サインボードの白板をもって、如月は戸惑う。
 その時だった。無言のまま、詩織が如月の手からサインボードを受け取り、やはり無
言のまま何事か書き始めた。
 そしてそのままピットウォール(ピットとコースを分けるコンクリートの壁の事)に
取りつき、これ以上はないと思える笑顔を浮かべながら、サインボードをコースに出し
た。
『藤崎さん、何を?』
 その様子を見ていた者は誰もがそう思った。
 
 
 
 公は何がいつもの自分と違うのか判らなかった。ただ一つ、判っていた確かな事は、
自分が遅いという事だった。
『なんとかしなきゃ。なんとかしなきゃ』
 そうは思うのだが、それは空回りをするだけで、何もいい結果をもたらしてはくれな
かった。
 それがさらなる焦りを招くという、悪循環に陥る寸前だった。
「あれ? あれは詩織?」
 ホームストレートに戻ってきた時、自分のピット前にいる、緋色の髪の詩織が目に入
った。
 そして詩織が手にしたボードには、次の言葉が書かれていた。
 まず、小さく「予選落ちしたら」と書いてあるのだが、これは公には見えなかった。
 問題はその後のフレーズだった。
「好雄くんデートフルコースよ」
 それが公の頭の中で、まるで釣り上げられるブラックバスのように暴れまくった。
 
「好雄くんデートフルコース!」「好雄くんデートフルコース!」
「好雄くんデートフルコース!」「好雄くんデートフルコース!」
「好雄くんデートフルコース!」「好雄くんデートフルコース!」
 
「い、いやだーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!」
 その瞬間、RZのエギゾーストの音色が変わった。
 
 
 
 再び、公のRZがホームストレートに戻ってきた。
「2分30秒12」
 沙希の声に、ピット内に希望の声が沸く。
「これは」
「いけるかも?」
 という類のものだったが、次の周回でそれはまた違ったものになった。
 
「虹野さん、タイムは?」
 だが、沙希は答えない。いや答えられない。
「虹野さん!」
「は、はい」
 だが、ラップタイムを読み上げる沙希の声は、驚きのせいで、もはや日本語になって
いなかった(笑)。
「に、にふん、にじゅうろくびょう、いちにい。よせんつうかです」
「な、何ーーー!?」
「す、すごい」
「わ、私も頑張らなくっちゃ」
「何だあれ?」
 ピットの中は喜びというより、キツネにつままれたと言った感じだった。
 当然、詩織の書いた言葉に疑問が向けられた。
「藤崎さん、好雄くんデートって、何?」
 京間の質問に詩織は笑って答える。
「ちょうど一年前ぐらいよね。公くん、ちょっと天狗になっていて、私すごく怒ったこ
とがあったの。
 そんな時、好雄くんが私とメグを遊園地に誘ってくれたの。
 そこへ公くんがやって来たんだけど、私、冷たい態度とりつづけたのね。
 そうしたら、公くん、それからは本当にマメになったの。
 それからしばらくは”好雄くんデート”と言えば何でも言うことを聞いてくれるよう
になったんだけど、あんまり使いすぎると効果がなくなると思って、しばらく使ってな
かったのよ。
 でも、まだ、覚えていたみたいね」
 そう言って詩織は満面の笑みを浮かべた。
 その微笑みを見て、その場にいた面々はそれぞれに思った。
『わ、わるーー』
『あ、悪女』
『確信犯』
『この人は敵に回しちゃいけないなぁ』
 
 
 
 ともかくきらめき高校自動車部は鈴鹿4時間耐久レースの予選を突破し、本戦に駒を
進めた。
「やっぱり、男の子ってすごいのね」
 望は感心することしきりだった。
 ただし、その影には、RZを降りた後、ピットの隅で膝を抱える公の姿があったとい
うことは明記しておこう。
「好雄くんデートフルコースは、やだよーー。
 好雄くんデートは針のむしろだよーー」
(合掌)
 
 
 
 to be continue RZM「14」

 
SS RZM(14)262-Line


  第14回 「決勝前夜〜」
 
 
 
「それでは、我がきらめき高校自動車部、堂々の予選通過を祝って、
 乾杯」
「かんぱーーーーーーいい」
 自動車部の宿舎である旧家の大部屋では、予選突破を果たした事を祝って、ささやか
な祝賀会が開かれていた。
 朝日奈の音頭で、各人のグラスが音を立て、その中のソフトドリンクが飲み干されて
いった。
 もともとは、2日後に控えた本戦に向けてのミーティングをするはずだったのだが、
なんとなく、ほとんど、なしくずし的に祝賀会という形になっていた。
 それを止めるべき立場の京間は、その職務を放棄してしまった。いや、むしろ、逆に
それを煽っていたような感じさえする。
「先生、本戦があるって言うのに、浮かれちゃっていいの?」
 本戦の厳しさを知っている望は、一応(笑)、京間に釘を刺した。
 彼女とて嬉しくないわけがない。だが、皆が浮かれてしまっては、しめしがつかない
と思い、あえて冷めたことを言ったのだ。
 だが京間は、平然と、真面目ともふざけているとも言える表情で答えた。
「いいじゃないの。はっきり言って、予選など通って当然なんて言えるチームじゃなか
っただろ。
 予選を突破したことは、素直に喜ばなきゃ。
 気を締め直すには、あした一日で十分だろ。このメンバーなら」
「・・・」
 そう言われては、望も何も言い返すことは出来ない。
 止める者もない状況にあっては、宴会(?)のボルテージは上がる一方である。
 アルコールも入ってないのに、次々と繰り出される隠し芸や技に、場は盛り上がる。
(ちなみに、詩織が羊を数えそうになった時、公が慌てて止めたというエピソードがあ
る(笑))
 そんな光景を眺め、大人の特権で(笑)、ビールを飲み干す栗田のグラスに、未緒が
ビールをそそぐ。
「はい。栗田さん」
「や、これは、どうもありがとうございます」
「いいんですよ、こうして予選を突破できたのも、栗田さんのような方がいてくださっ
たおかげなんですから」
「そう言われると照れますね」
「でも、本当の事ですよ」
 そそがれたビールに口をつけ、しみじみと言った。
「若いということはいい事です。
 無限の可能性を秘めている。
 私はそのお手伝いをしただけですよ」
 未緒は栗田の言葉に、未緒は静かにうなずいた。
「ところで、如月さんは、あまり、はしゃがない方ですね。こういった騒ぎはお嫌いで
すか?」
 突然の話題の変化に戸惑いながらも、未緒はにこやかに答える。
「いえ、そう言うわけではありません。
 こういうのは、見ている方が好きなものですから」
「そうですか。それを聞いて安心しました。
 宴会というのは一人でも落ち着いた人がいれば、安心して騒げますからね」
「え?」
「申し訳有りませんが、私がつぶれたら部屋にほうり込んでください」
「え? え? え?」
 事態の飲み込めない未緒をしり目に、栗田が宴の中心に加わる。
「うわー!! 栗田さんの飛び入りだあ」
「すっごーい」
 などの複数の声が上がったが、未緒の目は眼鏡の奥で点になっていた。
(いったい、何をしたんだ?)
 
 
 
 宴会は盛り上がっていた。
(ただし、栗田はつぶれて寝入ってしまい、公と好雄が部屋に連れて行ったというエピ
ソードも有った(笑))
 そんな中、来客が告げられた。
「誰だ?」
 と、一同が思ったところに現れたのは、長い黒髪の青年だった。
 その青年を見た時、京間が叫んだ。
「タカ? タカか!?」
 その青年がうなずき、親指を立てた右拳を突き出す。
「よお、久しぶりだな。グン」
 その姿を見て、今度は望が叫ぶ。
「え? ひょ、ひょっとして、沢田 鷹志さん? GP500の沢田選手?」
 望の声にその青年、沢田は頭をかいて照れる。
「やー、現役の高校生の女の子にまで俺の名前が知れてるとは、ちょっと照れるぜ」
 そんな沢田を、人指し指で指さしながら京間が言った。
「妻帯者が何鼻の下伸ばしてるんだよ!?」
 そして、今度は望に向かって言った。
「清川さん、こいつには気をつけた方がいいぞ。
 大学でも手が早いことでは有名だったんだから」
「あぁ? 俺がか?」
 自分を指さし、沢田はしばらく茫然としていたが、猛然と反論を始める。
「よく言うぜ! お前の方こそ・・・」
「待った!」
 だが、その反論も右手を上げ、そう言った京間に遮られる。
「そんな事を言いに来たわけじゃ、あるまい。
 何の用だ?」
 上手いこと話をすり替えられたのだが、言われる通り別の用事があったので、沢田は
その話題を口にする。
「おお、そうそう、そうだった。
 おい、グン。水臭いな、鈴鹿に来るなら来るで、なんで一言俺に言わないんだ。
 今日リザルト表見て、監督の欄にお前の名前を見つけたときはたまげたぜ。
 で、どこに宿泊してるのかと考えて、ここか、と、当たりをつけてきた訳さ」
 望に案内され、京間の横に腰を下ろしながら、沢田は言った。
 差し出したビールを沢田に断られたので、自分のコップに注ぎながら京間が聞いた。
「タカ。お前の方こそ、なんで鈴鹿にいるんだ? ヨーロッパラウンドは?」
「何言ってる? 8耐に出るに決まってるじゃねえか」
 そう言われ、京間は合点がいった表情になった。
「ああ、そうか。ワークスはワークスで大変だねえ。スポットで、耐久にも出なけりゃ
ならないんだから」
「そうなんだよ。ハードスケジュールなんだぜ。
 まあ、鈴鹿という舞台を考えれば無理からぬ事なんだけど。
 だけどさ、カルロスと組めって言うんだぜ、上の連中は」
「カルロス・サンダーか、速いだろ?」
「そりゃ速いけどさぁ。あいつが乗ってくると、マシンが全然、別のものになってるん
だよ。参るぜ。
 つくづく、お前はいいライダーだったなぁ、って思うよ」
「おだてたって何も出ないぜ」
 京間が照れくさそうに笑った時。夕子が遠慮がちに手を上げる。
「あのーー、そっちの人、誰?」
「え?」
 沢田は少々、茫然とした表情になってしまった。
 考えてみれば、望のように、常にレースに近い環境にいれば、沢田の顔なども見知っ
ていることはあるだろうが、そうでなければ、なかなか芸能人のように顔が知られるこ
とはない。
 その事に気付いた京間が、沢田の紹介をする。
「こいつは沢田 鷹志。
 現在は、ホンダのワークスライダーだよ。
 ほら、先日のスペインGPの500CCで優勝したって、新聞にも載ってただろ?」
「えーー? 知らなーい」
 夕子の声に、沢田はがっくりとうなだれる。
 その肩を叩きながら、京間が慰める。
「まあ、そんなに気落ちするな。世間一般の関心なんて、こんなもんだ。
 それより、優勝おめでとう」
「ああ、ありがとう」
 うなだれたまま答える沢田に、京間は苦笑いを浮かべる。
 
 沢田がその調子なので、そこから先はほとんど京間一人が説明した。
 ひどく乱暴に言って、オートバイの世界選手権には一人で走る短距離(スプリント)
と、二人、もしくは三人交代で走る長距離(耐久)とに別けられる。
 沢田はそのスプリントのライダーなのだが、鈴鹿8時間耐久だけには出場せざるを得
ない。
 何しろ国内で有数のモータースポーツイベントなのだ。
 各国内メーカーも全力を注いでくる。ぶっちゃけた話、ここで勝てばその宣伝効果は
計り知れない。
 いや、それ以前に、メンツにかけても負けられないのである。
 よって、各チームの有力なライダーが、かりだされることとなるのだ。
 沢田もその中の一人というわけである。
 二輪の世界では、日本人ライダーの実力は、すでにトップクラスとして認められてい
る。ただ単に人気だけで出ているわけではないのだ。
 
 京間の説明で一同は納得をする。
 そこからは質問攻めだった。
 どんな、ラインを取るか? ブレーキングポイントは? 等という技術的なものから、
家族の話(奥様はアメリカ人だったりして)や、外国での暮らしなどというプライベー
トな事まで及んだ。
 ひとしきり質問が終わると、京間が手を叩く。
「はい。質問はここまで。
 沢田選手は明日が公式予選なんだ。もうお帰りの時間だ」
「え? ああ、そうだな」
 ささやかに沸き起こるブーイングを背に、沢田が玄関に向かい、見送るために京間が
後に続く。
「あ、あたしも」
「お、俺も
 望や公を筆頭とした送ろうとする面々を、京間は止める。
「はい。宴会はここまで。お前たちは後片付けをするように。
 ちょっとぐらいは二人きりにさせろ、な?」
 そう言われては、引き下がざるをえない。
「はーい」
 多少不満の成分を含ませた返事に、京間はうなずき、沢田と玄関に向かった。
 
 玄関先には一台の、白いホンダ、インテグラがあった(当然? タイプR)。
「これで来たのか?」
 沢田は肩をすくめる。
「一応、ライダーとしてのイメージがあるもんでね。本当はNSXにしたいんだが、金
がない」
 沢田の声に、京間は苦笑いのまま、うなずいた。
 だが、運転席に乗り込んだ沢田の表情は、真剣な、険しいものとなっていた。
 窓を開けながら、沢田が京間に言う。
「なあ、グン」
「ん? なんだ?」
「お前、本当に、もう走らないのか?」
「!?・・・な、何言ってんだよ? 俺の走りが、WGPで通用すると思うか?
 それに俺、結婚するんだよ」
「だからどうした? 俺だって、結婚してるぜ。
 それと、こんな話をするのはな、今、うちのチーム、テストライダーを捜してるんだ
よ。
 グンなら、任せられると思ったんだが、お前がそのつもりなら仕方がないな。
 ・・・だが、もし、気が変わったら・・・」
 沢田はダッシュボードから名刺を取りだし、京間に渡す。
「ここまで連絡してくれ。
 俺が推薦して上に働きかけるから」
「俺がコネを嫌いなの、知ってるだろ」
「コネじゃねえよ。グンの力を認めているだけだよ。
 ・・・まあ、考えてみてくれ」
 返事に困る京間を見て、沢田がインテグラのエンジンをかけた。
「あ、明日の公式予選、見に来るか?
 来るんなら、パドックパス用意するけど?」
「・・・いや、明日は休養と作戦会議。それに雑誌の対談というか、インタビューがある
んだ」
「対談? まあ、高校生チームって事で、ちょっとした話題になってるからな。
 で、誰と対談するの?」
「同じ高校生のチームが、あるんだそうだ。そことだ」
 沢田はゆっくりと首を振った。
「なるほどね。お前も大変だな」
「覚悟はしていたけどな」
「そうか、・・・それじゃあ、俺行くから」
「ああ」
 走り去るテールランプを見送り、京間はつぶやいた。
「タカ、かいかぶりすぎだよ。一体どういうつもりだ?」 
 
 
 
 翌日、京間、公、望の3人は、鈴鹿サーキット近くの旅館の一室にいた。
 オートバイ雑誌の招きで、同じ高校生チームと対談をするためである。
「こちらはチームアルゴノーツのライダー、明科 鈴帆さんと市野 清人くん。
 そしてこちらは、きらめき高校自動車部のライダー、清川 望さんと主人 公くん。
 今日はよろしくお願いします」
「はじめまして、・・・でもないんですよね」
「そうですね。きらめきサーキットで一緒に走ってますからね」
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
 雑誌の記者に紹介され、望達は挨拶を交わす。
 
 対談と言うより、インタビューという形で話は進められていった。
 2チームとも、主要メンバーが高校生でありながら、予選を突破したという事で、さ
さやかではあるが注目を集める存在になっていた。
 決勝の結果がどうあれ、この内容は8耐を特集した臨時増刊の雑誌に載せられるとい
う話だった。
 そのため、試合に臨む意気込みなども聞かれはしたが、これまでの経緯や、雰囲気、
活動内容等に関する質問が多かった。
 おおむね、雰囲気は良いものだったが、ただ、望にとって嫌だったことが一つだけあ
った。
 それは、覚悟はしていたことだったが、どうしてもキヨカワレーシングの話が出てし
まうことだった。
 直接関係はないと言っても、そう簡単には納得してもらえなかった。
 
「それで、お互いのチームの事、どう思っている?」
 と言う質問に、望は差し障りのない、ごく普通の応対をした。
「相手より、自分達との戦いがあると思っています。
 悔いのないレースを心がけるのみです」
 それは計算をした訳ではなく、自分の気持ちを正直に言ったまでだった。
 実際、きらめき高校自動車部には、他のチームのことに構っていられるような余裕は
全くなかった。
 だが、鈴帆の答えはかなり違った。
「はっきり言って、きらめき高校は、ライバルとして意識しています。
 負けたくありません」
 意外というか、強気な答えに、その場にいた一同は驚いた。
「それはどうして?」
 と聞かれて、鈴帆は答える。
「きらめき高校には一つ借りがあるんです。それを返したいものですから」
 パートナーの清人には、それが何の事かすぐに判った。
 先日のレースで、公にあっさり抜かれたことが、少しばかり引っかかっているのだと
いう事を。
『鈴帆も負けず嫌いだからなあ』
 内心そう考えて、苦笑いする清人だった。
 しかし、その片方の当事者である公はというと、
『え? 貸しって一体なんだろう?』
 と首を傾げるばかりだった。(苦笑)
 
 
 
 そして、暑い夜を経て、いよいよ、鈴鹿4時間耐久レースの決勝日を迎えることとな
る。
 
 
 
to be continue RZM「15」

 
SS RZM(15)241-Line


  第15回 「スタート」
           BGM ORIGINAL SOUNDTRACK ALBUM PATLABOR VOL.5”INQUEST” 
                       #11 出撃命令 #13 突入
 
 
 
「やはり8耐の前日の午後には、4時間耐久レースがよく似合います。
 マシンやチームの規模はかなわないまでも、その情熱はワークスに比べてもいささか
の遜色もありません。
 真夏の太陽に照りつけられるアスファルト。
 厳しく激しい予選を勝ち抜いたマシン63台が、グリッドに並びます。
 鈴鹿4時間耐久レース、まもなくスタートです」
 サーキット内のミニFM局のアナウンサーが実況をする声が、ラジオと場内放送から
流れる。
 観客数12万人。まさに人の波がサーキットを埋め尽くした。
 真夏の太陽の下、鈴鹿4時間耐久レースは、スタートを30分後に控えていた。
 
 
 
 予選を突破した、きらめき高校自動車部のパドックでは、魅羅と夕子が忙しそうに動
き回っていた。
 カメラマンの要求に答え、ポーズをとったかと思うと、資料を要求され、プレスリリ
ース替わり(笑)に、学校案内のパンフレットを配布していた。
 チームの事を資料にまとめたくとも、日にちそのものが浅く、まとめようが無い。
 その為に、結局、きらめき高校自体の案内になってしまうのだった。
 京間に言わせると、
「あの校長も、なかなかの狸だぜ」
 と、なってしまう。
 やや、乱暴だが、その言葉にも一理ある。
 なんにしても、それは学校のPRになることは間違いないのだから。
 その辺りの実際の事は定かではないが、それによって注目を浴びることとなった夕子
と魅羅は、がぜん、張り切ることとなったのである。
「はい、これが学校案内のパンフレットです。
 え? 写真ですか? もっちろんいいですよ」
 まるで水を得た魚のように、ポーズをとる夕子と魅羅。
 遊びである訳はなく、それは自動車部にとっても重要な役目だった。
 そこからわずかに離れたピットの中では、緊張した空気に満たされていた。
 夕子と魅羅は、そこから報道陣をシャットアウトし、余計なプレッシャーを与えない
ようにしているのである。
 言わば防波堤である。
 その二人の姿を遠くに見ていた京間は、ピットの中を見渡す。
 その中は緊迫してはいるが、それでいて、やや、間が抜けた雰囲気も醸し出してい
た。
 初出場という事もあって、準備に準備を重ねてきた自動車部だった。
 普通はなんらかのトラブルに遭遇して、ドタバタしてしまうものなのだが、どういう
訳か、ほとんどそう言ったトラブルもなく、ここまで来てしまった。
 それがかえって災いしたのである。
 仕事に追われていれば余計な事を考えなくとも済むのだが、こうなってしまうと何を
すればいいのか判らない。
 それは、ともすると”何かやり残したことがあるのではないか?”という疑問に突き
当たってしまう。
 それは余計な緊張感を産み出してしまうこととなる。ましてや、初めての大舞台なの
だ。
 工具を意味もなく磨く好雄。せわしなく動き回る優美。瞳を閉じ、サーキット走行の
イメージトレーニングをする望。見よう見まねでそれに習う公。
 他のメンバーも、それぞれに行動をしているのだが、どうにも落ち着かない。
『いかんなあ』
 そう思った京間は、それなりに落ち着いていた(ように見える)未緒に言った。
「如月さん」
「はい?」
「クーラーボックスの中からジュースのペットボトルを出して、みんなに配ってくれる
かな」
「・・・は、はい」
 意外な命令に一瞬迷った未緒だったが、愛、沙希と一緒に紙コップでジュースを配っ
ていった。
「みんな行き渡ったか?」
 そう言った京間に詩織が聞く。
「あの、これはどういう事なんですか?」
 手にした紙コップを高くあげ、不敵とも言える笑顔と共に京間が答える。
「まあ、ここで休憩としよう。
 これから4時間、休みなしなんだからな。そこらに腰を下ろして一休みしよう」
 京間の意図をくみ取った望が、真っ先に同意した。
「そうだね。
 ここまで来て、ドタバタしてもしょうがないよ。
 やる事はやって来たんだし、ちょっと休もうよ」
 それに、栗田が続く。
「私が言うのもなんですが、望さんの言う通り、皆さん初めてとは思えないほど、準備
は整っています。
 ここで休むというのは、悪い選択ではありませんね」
 そう言われれば、場の流れは決まる。
 各々がピットの中で休憩をした。
 望、公の二人はコースに面したところで、腰を下ろしていた。
 その背後に京間が立った。
「どうだ? 主人。スタートを間近にした心境は?」
 京間の質問に、公は答える
「俺は清川さんが走った後のスタートだから、今はそれほど感じないけど、間近になっ
たらどうかな?」
「大丈夫よ。公くんは普段通りの走りをすれば。
 それに、栗田さんが言った通り、みんな初めてとは思えないほど、順調に来ているん
だから。
 このチームは、本当に最高だよ」
「うん、そうだね」
 公がうなずく。
 
 その時だった。
 訓練された声を響かせていた場内放送のアナウンサーが、驚いたようなような声で
言った。
「おおっと、スタート間近のこの時期に、くつろいでいるチームがいるぞ。
 どこだ? ・・・おお、これは注目の41番、きらめき高校自動車部だ! 余裕だぞ!」
 突然、自分達の事を言われ、公達は驚いた。
 だが、京間は落ち着いた声で言った。
「手を振れ」
「え?」
「ここは放送ブースの前だからな。手を振ってやろう」
 そう言って手を振る京間につられ、公と望、そして後ろから優美や好雄等も手を振っ
た。
「おおっと、手まで振る余裕。これは楽しみだぞ。
 予選通過順位は51位だが、頑張れ高校生!!」
 アナウンサーの声にうなずく京間自身、恐ろしいほどチームの状態は順調だった。
 空になったコップを握りつぶし、ごみ箱に投げ入れ京間は手を叩く。
「よし! コースに出るぞ!!」
「ハイ!!」
 それに答える公、望達の集中力も並大抵の物ではなかった。
 
 
 
「ふーー!」
 スモークバイザーを下ろしたフルフェイスヘルメットの中で、望は大きくため息をつ
いた。
 メインスタンド側のコース脇に立つ望の反対側、ピット前でRZを支える公の姿を、
望は見つめていた。
『公くん、私達、ついにここまで来たんだね。
 まだ、レースはこれからだけど、私、何だか嬉しいよ』
 内心でそう思い、望はコントロールタワー電光掲示板に表示された、一秒毎に減って
いく数字を見た。
 その数字が0になった時、メインスタンド側に並んでいるライダー達は、一斉にマシ
ンに駆け寄りスタートする。
  ル・マン式スタートと言われる独特のスタート方法で、鈴鹿4時間耐久レースは開
始される。
(本当は、少し危ないんだけどね・・・)
 
「10、9、8、7、6、5、4、3、2、」
 アナウンサーと観客のカウントダウンが、緊張感を否応なしにもり立てた。
「1、・・・ゼローーーッ!! 
 鈴鹿4時間耐久レース、今、スタートです!!」
 望は走った。RZに向かって。
「清川さん!!」
 公の声に無言でうなずき、RZに股がる。
 その瞬間、各マシンのエンジンに火がともり、サーキットに爆音が響き渡る。
「行っくぞお!!」
 望の声と共に、前輪を持ち上げRZは加速する。
 そのRZを巻き込んで、各マシンは一団となって第1コーナーへと飛び込んでいく。
「危ない!!」
 ピットでその様子を見ていた京間が叫んだ時、1コーナーに白煙が上がった。
「あああーーっ!!
 第1コーナーでクラッシュ!! 10台前後が巻き込まれたぞ!!」
 アナウンサーの実況に、各ピットに戦慄が走る。
「清川さん!!」
 ピットに戻りかけていた公は、思わず立ち止まり、白煙のおさまらない第1コーナー
に目を向ける。
 だが、そこからは遠すぎて、詳しい状況は判らない。
 オフィシャルに注意され、公は慌ててピットに戻る。
「清川さんは!?」
「まだ判らん!」
 帰るなり、そう聞いた公に、苦々しい表情で好雄が答える。
「コースは塞がってないようだから、赤旗中断にはならないようだ。
 こうなると、戻ってくるのを待つしかない」
 京間の声に各人は視線を交わす。
 栗田だけは、瞳を閉じ、その時まで待つかのようであった。
 こうなると、2分というのは長い。
 
 その時、アナウンサーが叫んだ。
「な、なんだあ? マシンを持ち上げて復帰するライダーがいるぞぉ!
 ゼッケン89、チームカンザスだあ!!」
 その対象となったライダー、境はサンドトラップの中でCBRを引っ張りあげてい
た。
 砂にとられ、バイクをコースに持っていくのに各人がとまどっている。
 それに業を煮やし境は力任せにマシンを持ち上げ、コースに復帰したのである。
(ウエイトリフティングか?・・・)
 なんとかコースに戻った境は、息も絶え絶えに、わざわざ声に出す。
「ちっくしょーー!! 慎重に走ろうと思ったのに、いきなりこれかよ!?
 ”今日は”俺のせいじゃねえぞ!!」(苦笑)
 
 それを知った京間は、目が点になりながらぼそりと言った。
「あいつは鬼屋繁盛記か?」
「なんです、それ?」
 そばにいた好雄が聞いた。
(判る人、いないよな(笑))
 
 
 
 優美が叫んだ。
「清川さんが来ました!!」
 RZが帰って来た。1コーナーのトラブルを切り抜けた望は、グランドスタンド前の
ストレートを通過していった。
「12番手です」
 沙希が手元のボードに書き込みながら言った。
「こりゃ、すごいな」
 頭の上に右手を乗せての、京間の感想だった。
 スタート直後のドタバタを上手く切り抜けた望は、順位を大きくジャンプアップさせ
ていた。
 トップ集団とのラップタイムに、ほとんど差がないほどだった。
 いや、むしろ、差を詰めているほどだ。
「清川さん、・・・大丈夫かな?」
 心配そうな公の声に、詩織が声をかける。
「清川さんなら大丈夫よ。どんと構えてましょうよ」
「う、うん」
 そう答えたものの、公の表情からは不安の要素は消えてはいない。
「心配なの?」
 詩織の声に、公は戸惑いながらも答える。
「うん。
 順位は上の方が、そりゃいいに決まってるけど、それよりも無事に帰ってきて欲しい
よ。
 清川さん、気合いの入り方が尋常じゃなかったから」
 そんな公の声に京間がサインボードを指示する。
「如月さん、ペースアップのサイン」
「え!?」
「先生?」
 驚くピット内の空気に、京間はニヤリと笑った。
「いいんだよ。
 これで慌てる清川さんとも思えないし、ペースアップのサインを見れば、かえって落
ち着くはずだよ」
「そう言うもんなんですか?」
「そう言うものなの」
 余裕の表情の京間なのだが、内心は不安のかたまりだった。
 だが、それを押し殺すために、意識して余裕の表情を浮かべていたのだ。
(策士と言うのは、そういうものなのかも)
 
 
 
 きらめき高校のペースアップのサインを見て、別の場所では、サインボードを差し替
えるピットがあった。
「うちもペースアップするわよ!」
「鈴帆ちゃん、落ち着いてよ」
 55番手で予選を通過した、チームアルゴノーツだった。
 多重クラッシュをくぐり抜けた清人のVFは、順調に周回を重ねているのだが、それ
でも彼女には不満らしい(笑)。
 
 
 
 各チーム、それぞれの思惑が複雑に絡み合い、鈴鹿4時間耐久レースは進んでいっ
た。
 そして、スタート直後の多重クラッシュが表すように、レースは荒れに荒れた。
 優勝候補のチームが次々と脱落していく。
 あるところはメカニカルトラブルであったり、あるところでは転倒であったり、ま
た、あるところではピットインの際のヒューマンエラーであったりした。
 それぞれには因果関係はないのだが、不思議なものでこういう時には次々とトラブル
がおこるものらしい。
 もちろん、それは優勝候補のチームだけではなく、運命をつかさどる神のいたずらは
中団、そして下位のチームにも分け隔てなく仕掛けられていく。
 それはきらめき高校自動車部も、無関係ではいられなかった。
 
 
 
to be continue RZM「16」
 

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